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2012年4月12日 (木)

マーラー 交響曲第6番 エッシェンバッハ指揮

Shibaura

芝浦の運河沿いの桜。

夕日が背景で、怪しくも美しいのでした。

まだまだ頑張る今年の桜。

Mahalersym6_eschenbach

  マーラー 交響曲第6番 イ短調

   クリストフ・エッシェンバッハ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
                      (2005.11@フィラデルフィア・ライブ)


「悲劇的」というタイトルは付いたり付かなかったり。

でもそんなことはもうどうでもよくなってる。

この音楽には、深い体験と、それに基づく思い入ればかり。

どうしてそうなってしまうだろう・・・、といえるくらいに、この特異な交響曲には、わたしの音楽受容人生に重きをなすことがらばかりが結びついてしまう。

嫌いじゃなけど、本当に好きかといわれれば、9番や3番の方が好きだけど、電車に乗ってたり、仕事をしてたりするときに、ふいに出てくる旋律が1楽章や4楽章のものだったりするかなら不思議なのだ。

Maiernigmahler


1903年と翌年の夏に、今度はオーストリア南部、現在のスロヴェニア国境側のヴェルター湖畔マイアーニヒにて作曲。
曲調に反して、指揮者として、作曲家としても成功をしつつあった幸福なる時期。
だから、妻アルマがなんと言おうと、この曲は個人的・家庭的な悲劇一色じゃない。
わたしは、この曲は、純粋なる交響曲としてのフォルムをもった一服の長大なるシンプルな交響作品と認識して聴いた方がいいと思っている。

そして、聴き手のシテュエーションに応じて、受け止め方を変えればいいのではないかと。

3つの生涯忘れ得ないこの曲の実演に接し、そう思うようになりました。

①アバドとルツェルン・・・無垢なる指導者のもと、全霊を込めた崇高なる演奏行為。

②ハイティンクとシカゴ・・成熟した指導者と高性能のオケが成し得る最高演奏。

③聖響と神奈フィル・・・・異様なる環境のもと、演奏者と聴衆が作り出した奇跡。


こうした体験を経てしまっては、悲劇がどうの、アルマがどうのといったことは、どうでもよくなってきてしまった。
そこにあるのは、完成度の高い精緻なマーラーの音楽のみなのだ。
何故かこの曲は、そんな風にしか聴くことができません。

エッシェンバッハのマーラーは、彼の体質や、なりたちからいって、どの演奏も素晴らしく思っていて、ことにライブ体験した第9は凄まじい体験だった。
でも同じフィラデルフィアとのこの6番については、演奏としては完璧ながら、わたしはエモーション的に、上記3つの体験に、はるかに及ばないのです。
単独で考えれば、オケの素晴らしさもあいまって、揺れるテンポに、情熱と峻厳、そして耽溺。マーラーに必須のものはすべて完備してます。
あの3つを不幸にして知ってしまったワタクシの悲しいサガなのでしょうか。
これほどまでの演奏に、さらに上を求めてしまうのでありました。

来る聖響&神奈川フィルの「第10&大地の歌」への期待と、これまで連続してマーラー熱を再び萌え萌えにしてくれたことへの感謝をこめて、過去6番記事を以下、再褐しときます。

以下本ブログ、2011.3.12より引用

いまも続く大震災の余震。
そして、被災の甚大さが次々に明らかになっていて、むごいくらいの映像が報道されています。
その被害はまだ継続中だし、連鎖する地震も不安をあおって、今後、何がおこるかわからない・・・。
私の住む千葉や、職場の東京では、スーパーやコンビニに食品がまったくなくなっている。
物流が寸断され、日常ではなくなってしまった。
赤水だし、都市ガスは停止、電気も計画的に停電の予告・・・・。
交通機関もまだ不完全。
帰れなかった自宅に戻った土曜、食器は割れ、お気に入りの置物も落ち、部屋は混乱。
身近に起こっている事象です。

それでも、こうしてネットはつながっている。
この強いインフラは、災害時の教訓となろうか。

でも、こんな思いは生ぬるい。
むごたらしい映像を見るにつけ、東北・茨城の皆さまにみまわれた惨状に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
親戚もいますし、仕事柄、仲間も多いし、始終伺うことが多かった地。
青森から福島までの太平洋沿岸。いずれも訪問したことがある思い出深い地です。
どうか皆さん、ご無事でいらっしゃってください。

Kanaphill_201103


    マーラー 交響曲第6番

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                  (2011.3.12@みなとみらいホール)

今日、12日土曜日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会の日。
開催が危ぶまれましたが、yurikamomeさんから、決行のご連絡。
帰宅しなかったもので、都内から横浜まで、スムースに移動。
ひと気の少ないみなとみらい地区(ほとんどのお店がクローズしてます)、そしてみなとみらいホールは、3割~4割の入り。

こんな時に、音楽を聴くという、どこか後ろめたい感情・・・・。

今朝から、そんな思いにとらわれ、中止も半ば期待していた。

しかし、主催者側と演奏者側の熱い思いが、そんな思いを払拭してしまう、たぐいまれなるコンサートとなったのであった。

正直いって、わたしには、いま、言葉がありません。
特殊なシテュエーションが作用し、演奏する側と聴き手が一体となって、高みに達してしまう。
不謹慎ではありますが、マーラーの6番ほど、そんな思いを高めてしまう曲はありません。

この曲は、何度も実演に接して、「もう封印」などと思ってきた演奏ばかりなのです。
アバドとルツェルンの来日公演は、わたしのコンサート経験No1で、病後、復調のアバドが喜々として笑みを浮かべながら指揮するもと、その無垢な指揮者のもと、その人に全霊を尽くす奏者たちが無心で夢中になって演奏する神がかった演奏。
ハイティンクとシカゴの完璧極まりないなかに、スコアのみがそこにあるといった明確な演奏。
どちらも忘れえぬ体験。

そして、聖響&神奈川フィルのマーラー6番は、そのどちらでもない、悲しいくらいに美しく、痛切で、感情のこもった真っ直ぐな演奏だった。
それでいて、流れの良さを大切にしたスマートさも。
正直、こんなに心のこもった、全身全霊の演奏が聴けるとは思わなかった。
わたしは、指揮者と演奏者が一体化しているのが、うれしくって、まぶしくって。
そして、音楽が素晴らしくって。
そしてなんといっても、この震災が悲しくって、恐ろしくって、テレビで何度も見た映像が、辛くって、何度も何度も鳥肌が立って涙ぐんでしまうのであった。
しかし、音楽への前向きな取り組みは、マーラーの思いとは逆に、明日もある未来を予期させる若さと逞しさを感じさせました。

ハンマーで心かきむしられた終楽章。
あの、あまりに特異なエンディング。
指揮者も奏者もすべて動きを止め、その静寂が永遠に思われました・・・・・。

演奏会の冒頭。
聖響さんは、いまのこのとき、演奏家にとってなにができるか・・・、それはいい音楽をすること。義援金の募集のこと、などを話され、わたしたちも一緒に、長い黙祷を捧げたのでした。

この演奏会。
開催を決意した主催者側、果敢に一心不乱の演奏を繰り広げた聖響&神奈フィル、ホールに集まった音楽を愛する聴衆・・・・、心が一体になりました。
こんな時に、コンサートなんて・・・、という思いを一蹴してしまうような、心のこもった、愛に満ちた演奏に救われました。
どうか、奏者と聴き手が達したこの思いが、被災地の皆さまに少しでも届きますように。
そう、明日も、明後日も、まだあるんですから!

アフターコンサートは、意を決して集まったいつもの皆さんに、主席チェロの山本さんをお迎えして、短いながら充実の時間を過ごせました。

こうしている間にも、余震や余波の揺れが起きてます。
家人ともども不安で寝不足です。
みなさま、ご養生ください。

そして、被災地のみなさまには、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

以上、引用終わり


1


手抜きの長い引用、申し訳ありません。

あれから1年、世界各地の地震、地球環境の変動、身近な悲劇の連鎖・・・。

この音楽は、ますます、わたしの心を刺激してきます。

マーラー 交響曲第6番 過去記事

「バルビローリ&ニュー・フィルハーモニア管」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 演奏会リハーサル」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 演奏会」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 思い出」

「ハイティンク&シカゴ交響楽団 演奏会」

「金聖響&神奈川フィルハーモニー 演奏会」

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コメント

三浦の3年ぶりの勝利!おめでとうございます!
ヤクルトを完封!やるじゃん^^
アルマの浮気も「悲劇的」ってタイトルもどうでもよくなる時ってあります。
音楽鑑賞って「そばに誰かいおなじ感動を共有したい」と思う反面、「この感情って誰にも理解できないだろうなー」って部分が必ずあります。
演奏会が感動的であればあるほど、作品がすばらしいほど聞き手や演奏家は孤独になるような気がします。音楽は大勢の前で演奏しながら本当は孤独なのかも!ってよく思います。
マーラーの6番!そんな作品です。
好きです。
誰も何も言ってくれなくてもいい。
私は好きです。
そんな作品です。
一人でお酒を飲みながらどうしてもそう思います。

投稿: モナコ命 | 2012年4月12日 (木) 23時20分

モナコ命さま、三浦の渾身の完封。
涙を禁じ得ませんでした。
しかし、今宵は手ひどく某球団にしっぺ返しをくらいました。

>作品がすばらしいほど聞き手や演奏家は孤独になるような気がします。音楽は大勢の前で演奏しながら本当は孤独なのかも<

おおおっ!けだし名言にございます。
音楽を始めとする芸術は個人の世界が強く、それは孤独なる自己の世界なのですね。
マーラーの独特なる音楽は、孤独と共感を両方備えた不可思議な存在でして、6番や7番はことにそう思います。
そして、両曲ともに、酒がすすみに似合います。
わいわい飲んじゃだめで、一人酒ですね!

投稿: yokochan | 2012年4月13日 (金) 23時27分

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