マーラー 交響曲第9番 金聖響&神奈川フィル
桜の種類はたくさんあって、こうして開花が少しづつずれていたりするのも嬉しいものです。
千葉の東光院というところで、日曜に撮影。
こちらはどの桜でしょうかね。
八重の一種かと思われますが・・・。
わたしの住む関東では、今年の桜は、ずいぶんと長く楽しめました。
もちろん、関東でも、少し標高を上がれば、まだ3~5分咲きのところもあります。
そして桜は順調に北上をしております。
北へ上がるほど、多くの方々を楽しませ、癒して欲しいものであります!
桜とともに聴いてきたマーラーの交響曲も、ついに完成された最後の番号になりました。
マーラー 交響曲第9番 ニ長調
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(2011.5.28 @みなとみらいホール・ライブ)
昨年5月に聴いた、神奈川フィルのマーラーの第9が、1年を経たずして最良の音質で聴くことが出来る喜び。
2月の定期のこのコンビの「巨人」のときに、マーラー・スタンプラリーのご褒美に頂戴したこのCD。
そのときからやってやろうと企画していた、さまクラ・マーラー・シリーズの第9に持ってきてやろうと思っていた音源。
先に発売された神奈フィル40年の「復活」の、ちょっと寸詰まりぎみの録音とはうってかわって、潤いと美しい残響、そしてあの「みなとみらいホール」の少し女性的な優しい響きを上手く捉えた録音に感じます。
約80分間、あの日のまるで、デジャヴならぬ、再体験といってもいい新鮮な感銘にあふれているんです。
あの日は、あいにくの天候だったけれど、「聖響&神奈フィル&マーラー」のとりあえずの一区切りの節目といった感慨が、演奏する側も、ずっと聴いてきたわれわれ聴衆にもあって、独特の刹那的なムードがホールにみなぎっていたように記憶しております。
それは、震災後まだ間もない時期だったゆえの多感な思いも加わって、この時に、マーラーの第9という作品を演奏し、聴くという感情も確実にあったと思います。
マーラーの音楽は、こうした独特なシテュエーションやエモーションに、巧まずして符合し、そしてしっくりと入り込んでくる類いの音楽であります。
正邪悲喜、そのすべてを包括した多面的なマーラーゆえにございましょうか。
でも基本、マーラーはポジティブな人だったのでは、とわたしは思っておりますので、「大地の歌」以降の厭世3作があるにしても、マーラーは、トータルに、いまある私たち現代人のよき伴侶として、そして、スピーディで感情も刻々と揺れ動く毎日の生活に、なくてはならないビタミン剤のような存在のように考えます!
こんな風に思って聴いた方がいい。
どっぷり漬かって、胸かき乱すよりは。
そんな受け止め方を出来る聖響さんのマーラーなんです。
これはもちろん、神奈川フィルという類い稀な美音と覇気に満ちたオーケストラあってのことであるけれど、自己をある意味捨て、マーラーに同化しようとした聖響さんの素直さがあってのものだと思います。
このCDで、実演と違って聴こえるのは、いつもこだわる対抗配置で、ことに第1と第2ヴァイオリンの左右の掛け合いは、マーラーの巧みな筆致も相まって見事な効果をあげている。
マゼールやアバドのウィーン盤あたりから行われた第9におけるこの配置。
こうしてCDという安定した環境でじっくり聴くと、ヴァイオリン以外の低弦にも、その効果は見事にあらわれて聴くことができました。
それと、ヴィブラート少なめの弦がホールの実演よりはすっきり感や清潔感が増して、ツィーツイーという細見の響きが、独特の繊細感とウェーベルン的な次世代感を醸し出しているところが聴きとれること。
普段のこのコンビを聴かずして、このCDで初聖響&神奈フィルを体験する人は、かなり進取で新鮮なマーラーに聴こえ、驚くのではないでしょうか。
これはこれで、彼らのマーラー演奏の一局面だと思いますが、2011年の神奈川フィルのマーラーとしてずっと記憶しておきたい演奏に存じます。
そして、お互い若いコンビなのだから、次なるマーラー象も可能でありましょう。
さらに、聖響さんには申し訳ないが、異なる指揮者とのマーラーも、いまの神奈川フィルならば聴いてみたい。
1909年夏、イタリアに近いチロルオーストリアの街、トプラッハにて作曲。
こんな美しい町みたいです、トプラッハ。
指揮活動に忙しかったマーラーが、毎夏訪れる場所は、このように夏の作曲家マーラーの心象を優しく刺激する素敵な場所ばかりだった。
指揮活動も、家庭も、どこか冷え込みつつあったこの時期のマーラーを優しく迎えた景色かもしれません。
だから、わたしは「死に絶えるように・・・」と記された終結部のあとには、新たな世界と希望があると確信して、この無類に素晴らしい音楽を聴くのです。
「大地の歌」もしかり、この曲にも聴きどころは書けませんし、不要。全部です。
またもずるい作戦で、この日のライブの記事を再褐します。
以下本ブログ、2011.5.29より引用~長いです
>ついに「第9」にたどりつきました。
聖響&神奈川フィルのマーラー・チクルスは、昨シーズンからこれで、2番から8番を除いて、9番まで、7曲を聴いてきたわけです。
マーラーのなかでも、「第9」は、次の第10があるにしても、行き着いたひとつの道標みたいなところがあって、演奏する側も、聴く側も、思いきり入れ込んで、特別な思いで迎える曲だと思う。
今回のチクルスで、聖響&神奈フィルは、その絆を深めるとともに、マーラーを通じて、お互いの共同作業たる音楽創造にひとつの成果をあげることに成功したのではないでしょうか。
指揮者は、オーケストラの美点を引きだし、オーケストラは指揮者の率直さをそのまま音にするといったシンプルだけど、もっとも大事な図式。
それは、われわれ聴衆も同じで、ずっと聴いてきて、無理をしてるとしか思えなかったピリオド奏法に困ったこともあったけれど、マーラーを聴き続けたいま、またこのコンビの古典やロマン派を確認してみたいと思っていたりする。
そんなひとつの到達点が見えたような「第9」でした。
そして、わたしは毎度ながら、感動で涙を止めようがなかった。
マーラーの第9の存在を知ったのは、古いもので、バーンスタインとニューヨークフィルが万博の年の真夏に、この見知らぬ曲を演奏してから。
小学生だったから、その演奏会を聴けるわけはなかったけれど、レコ芸で白の夏用スーツで演奏するこのコンビの写真をみたり、吉田秀和氏のブルックナーと対比した記事などを読むなどしていったいどんな音楽かと想像を巡らせていたものです。
以来、この曲はバーンスタインとは切ってもきれない存在になってしまい、後年、イスラエル・フィルとの演奏会でついにバーンスタインのマーラー第9に接し、とてつもない感銘を与えられることとなった。
それは、まるで、峻厳なユダヤ教の儀式に参列しているかのような呪縛感の強いものだった・・・・・。
それ以前もあとも、この曲は何度も聴いてきているが、聖響&神奈フィルの第9は、それらの中にあって、もっとも自分にとって身近に、そして優しくフレンドリーに微笑みかけてくれるような演奏だったのです。
みなさん、厳しい表情や熱のこもった表情で演奏していらっしゃるけれど、そこから立ち昇る音は、慣れ親しんだ神奈フィルのスリムで洗練された美音。
ここには情念や、死への観念などは弱めで、マーラーの書いた音符が次々に美音によって惜しげもなくホールを埋め尽くし、滔々と流れるのでありました。
踏み込みが足りない、表層的だなどというご意見はありましょうが、わたしは、こんな感覚のマーラーがあってもいいと思うし、音色の美しさにおいて、これはもう充分に個性的だと思うのだ。
だから、うなりむせぶような弦に身も心も投じたくなる終楽章は、明朗で透明感がまさり、波状的にむかえるクライマックスも冷静に音の美しさ、音楽の美しさのみに耳を澄ますことができた。
この終楽章は、ほんとうに素晴らしくって、石田コンマスのリードする神奈フィルの弦の能動的な存在感ある響きが全開で、感動で胸を熱くしながらの25分間でした。
ヴァイオリン群の変ハ音の引き延ばしの場面は、いつも夢中になって息を詰めてしまうのだけれど、ここではごく自然に、そのシーンをむかえ、淡々と美音が引き延ばされるのを見守ることができた。
何度も書きますが、ともかく美しい。
ホール入りしたときから、ははぁ、あれをやるなと思った、アバドの二番煎じの照明落とし。
ライブ録音が入っているので、拍手封じにも効果的だし、集中力がいやでも高まる仕掛け。
そして、マーラーの常套句「死に絶えるように」と記された最終場面は、文字通り消え入るように、後ろ髪引かれるように、静かになってゆく。
私は、これまでの自分のこと、そんなこんな、いろんなことが脳裏に浮かび、切なくなってきて、終わって欲しくない思いも抱きながら、涙があふれるにまかせ、音が消え入るのに集中した。
指揮者も奏者も動きを止め、永遠とも思える沈黙がそこに訪れたのです。
そこには、まだ次がある、この先も違う世界がある、とのマーラーの、そして演奏者たちの優しいメッセージがあるかのようでした・・・・・。
辛い毎日ですが、そんな希望の光をもらいました。
優しい歌に満ちた第1楽章。
その最終部分、コーダに至るまで、音楽の様相は、彼岸のあっちの世界に漂うようで、ソロの皆さんの精妙さに聴き入り、そこにウェーベルンの顔を思い浮かべることもできた。
聖響さんのリズム感の豊かさが光ったレントラー風の第2楽章。
ビオラソロも華奢だけど、全曲にわたっていい音色でした。
そして疾走感あふれるロンド・ブルレスケでは、どんな強奏でも音が混濁せず、見通しがよい。
マーラーシリーズで、大活躍のトランペット氏の柔らかな音色による中間部は、まるで一条の光が差し込むかのようでした。
今回の第9は、奏者個々云々というより、オーケストラ全体のまとまりのよさを強く感じた聴き方となりました。
1番を残しますが、聖響さんの適正もあり、このマーラー・チクルスは大成功ではなかったでしょうか。
10番と「大地の歌」、そして「千人」もいずれ取り上げて欲しい。
そして、またいずれ機会を得て、聖響&神奈フィルのマーラー特集を希望します。
在京では味わえない、神奈川発のユニークなマーラーなのですから。<
以上、引用終わり
マーラー 交響曲第9番 過去記事
「若杉弘&NHK交響楽団 演奏会」
「P・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団 演奏会」
「ジュリーニ&シカゴ交響楽団」
「アバド&ベルリン・フィルハーモニー」
「金 聖響&神奈川フィルハーモニー 演奏会」
「ノリントン&シュトットガルト放送交響楽団 プロムス」
「アバド&ウィーンフィルハーモニー」
神奈川フィルハーモニー 定期演奏会
マーラー 交響曲第10番~アダージョ
交響曲「大地の歌」
T:佐野成宏 Ms:竹本節子
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2012年4月20日(金) 19:00 みなとみらいホール
どうぞ、お聴きのがしありませんように
あと3日です。さぁ、ヨコハマへ
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