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2012年4月18日 (水)

マーラー 交響曲第10番~アダージョ ベルティーニ指揮

Shiba_6

毎度すいません、東京タワーです。

夜桜の背景でどうぞ。

芝増上寺の奥にある、徳川家の菩提方面。

その下には、無数のお地蔵さんと風車。

夜になると、まったくひと気がなくってしまい、風も少ないのに、かざぐるまがカタカタなってまして、ちょっと怖い雰囲気。

でもワタクシは、こういうの平気なんです。

写真もいくつか撮ったけれど、あんまりよく撮れなかったので、また別の機会に。

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増上寺と東京タワー、そして宵の明星です。

一番星。

この音楽を最後に、やがて自分の時代が来ると確信して、星になりました。

マーラーの最後の音楽。

Brhams_schonberg

  マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ長調

   ガリ・ベルティーニ指揮 ユンゲ・ドィチュ・フィルハーモニー

                   (1978 @ベルリン)


1909年の第9に続いて、年一作ペースのマーラーは、翌1910年の夏にに、交響曲第10番の作曲に入る。
夏を過ぎ、体調のすぐれぬまま、またアメリカとヨーロッパを股にかけた多忙な指揮活動に従事するも、翌年、1911年5月18日にウィーンで亡くなってしまう。
51歳の短すぎる人生を駆け抜けたマーラー。

その歳をすでに超えてしまったわたくし。
ますます生への執着に溢れ、あれもしたい、これもしたいと思ってますし、諸先輩方からは、若い人はいいね、なんて、こんなワタシでも言われちゃう。
肉体的には、それなりに歳を感じるものの、まだまだ気概でも負けちゃいません。(つもりです)

マーラーの緯業を前に、芥子粒ほどのわたくしではありますが、その人生の悩みは大小こそあれ、近くに感じることもできます。
生計の基になるお仕事に、妻や子供たち、ふた組の両親のこと、そして何より、肉体と精神の具体的な衰え。
こうなってみないと絶対にわからない。
マーラー聴き始めの若いときには、絶対に理解の及ばぬことが、いまのわたしの世代には、具体的に身につまされるかたちで起こってくるのだから。

「大地の歌」・「第9」・「第10」の3作は、そうした意味で格別の想いをもって受け止めることができるようになってます。
それはまた、今後生きてゆくうえで、また違った姿で、私を魅了することでしょうし、その他のマーラー作品もまた然りなのでありましょう。

マーラーが10番について、どこまで残していたか、いまや全5楽章のほぼすべてが不完全ながら残されたとする節が有効のようで、それぞれの楽章にマーラー自身のいろんな想いを綴った書き込みもあるとされてます。

その補筆完成版は定番となったクック版を始めとして数種ありますが、今回は、マーラー協会の認める第1楽章「アダージョ」のみを取り上げました。
全曲盤は、またいずれ。
エルガーの3番とともに、完璧に成功した補筆完成版として、完全にマーラーの交響曲第10番として、その存在を確立しております。

25分の長大なアダージョ楽章は、第9の最後の楽章の延長のように、ヴィオラパートによる、むなしさ募る出だしで始まり、ヴァイリンの息の長い旋律でもって曲の雰囲気がかたちづけられる。
その後は、この旋律が中心となって、熱くてかつ寂しく、空しい展開が続くこの楽章。
随所に無調への入り口も見いだせるし、その空虚感が、あっちの世界を思わせもするが、最大のピークは、金管と、それに続く弦のひきつるような叫びです。
初めてこの曲を聴いたとき、それはメータの5番の2枚目のB面に付いてきた10番アダージョのレコードを聴いたときだ。
背筋が寒くなるような慟哭にもにた大音響。
そしてそれは、シェーンベルクのワルシャワなどの緊迫感に満ちた不協和音とトーンクラスター的技法の炸裂。
何層にも渡って襲いかかるこの場面に、一筋残るトランペットもやたらと印象的。
初聴きの1977年頃。
マーラーにあらためて、びっくりした時期でございました。

今日は、われわれ日本人にとってお馴染みの、ベルティーニの指揮する若いドイツのアマチュアオケの演奏にて。
オケは、少しチョンボもありますが、おおむね良好で、なによりも清新な雰囲気が、その弦の響きなどにもあふれております。
そして、美しい音の配列にことさら厳しいベルティーニの指揮があって、この10番の透徹した音楽が映えるのであります。
ケルンとの全集は、まだ聴けてない番号もありますが、ユダヤ人としての宿命的なイメージでなく、オリーブやオレンジの産地であるイスラエルの人、という、明るく明晰な音楽造りの人と感じていた。
ケルンとのマーラーチクルスや、都響の指揮者になってから、日本での名声が先行したが、わたくしは、それ以前にワーグナーやロッシーニも振るオペラ指揮者とのベルティーニに着目していた。
そしてFMで、81年頃に聴き録音してむさぼるようにして聴いたマーラーの7番(ベルリン)、3番(ウィーン響)で、ベルティーニのファンになった。
その後発売された、ケルンとの3番、6番のCDをそれぞれ、2CD=6000円を購入し、そのあと、都響やN響にやってきたベルティーニのマーラーをかなり聴いたものです。

このCDには、すでに記事にした、ブラームス=シェーンベルクのピアノ四重奏曲や、ウェーベルンのパッサカリアなどが収められております。
いずれも素晴らしく、わたくしのお宝みたいな1枚です。

後半に目が向きがちですが、オーケストラの持ち味が、とても味わえそうな、神奈川フィルの演奏会です。

神奈川フィルハーモニー 定期演奏会

 
  マーラー 交響曲第10番~アダージョ

        交響曲「大地の歌」

  T:佐野成宏   Ms:竹本節子

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

2012年4月20日(金) 19:00 みなとみらいホール

どうぞ、お聴きのがしありませんように


あと2日です。ヨコハマへGO

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コメント

ハイ、yokochanさま~。ご無沙汰していました!

お元気ですか? さて、ひっさしぶりに?ブログを見ましたら、小生の大好きなマーラーの、交響曲第10番の記事を発見~! これは、久しぶりに血湧き肉踊る話題でございます。小生のマラ10初体験は~、忘れもしない高校3年(1977年)のある夜に、FM放送でクーべリック&バイエルン放響の演奏を聞いた時!例によってトリスタン張りの無限旋律が、マーラー流の自己憐憫のノスタルジアに変容し、やるせなく此岸と彼岸を彷徨った後~、全オケが不協和音の絶叫に達した時、戦慄が全身に走り、改めてマーラーの凄さを実感した次第~! その後のトランペットのソロも、妙に心の襞に残りました。

そして、このブログに掲載されているオケが、またまた忘れもしない~ユンゲ・ドイチェ・フィル!このオケは、小生が何年か前に聞いたクック改訂全曲版を演奏していた、新進気鋭の青年オーケストラで指揮がベテランのバルシャイ。クック改訂と称しながら、バルシャイ流にまたアレンジを加え、諸所にマーラーらしからぬサウンドも聞かれて、感心しながらも違和感も覚えたCDでございました。

さて、さる20日に開催された神奈川フィルの定期では~どんなマラ10が演奏されたやらぁ~? 興味津々でございますよぉ~!

 

投稿: Warlock Field | 2012年4月29日 (日) 14時17分

Warlock Fieldさん、こんにちは。
マーラーの10番、お好きなのですね。
アダージョは、メータ盤で70年代に聴いていらいずっと親しんでますが、クックをはじめとする全曲盤が身近になったのは、ここ数年。
まだまだ私には練習中みたいな曲ですが、神奈フィル定期後半に予定されている全曲演奏に向けて、手の内に入れ込みたい曲でもあります。

先般のアダージョは、極めて美しい演奏でありました。
素晴らしいマーラーの音楽のひとつですね。

投稿: yokochan | 2012年4月30日 (月) 12時48分

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