R・シュトラウス 「インテルメッツォ」「メタモルフォーゼン」「ツァラトゥストラ」 6月神奈川フィル定期
クリスタルなハイビスカスのようなモニュメント。
そう、スワロフスキーのショーウィンドーをパシャリと1枚。
銀座通りのスワロフキーのお店。
オースリアはチロル発祥のクリスタルガラスのこちらのブランドは、いまやクリスタル・ジュエリー屋さんみたいになってます。
この会社も、世紀末に端を発する存在でして、その七色に光を変えるクリスタルガラスをながめていると、キラキラと千変万化するR・シュトラウスの音楽さながらに思えてしまいます。
わたしの唯一のウィーン訪問は、それこそ20世紀末。
東側体制の崩壊前年にあって、その東西の融合点だったウィーンでは数々の情報が入り乱れていたはずのようだったけれど、一介の日本人観光客には、そんな匂いすらわかるわけもありませんね。
記念に、スワロフスキーのクリスタルのキーホダーを購入して嬉々としておりました。
神奈川フィルハーモニーの6月定期は、オールR・シュトラウス(1864~1949)。
マーラーと同時代ながら、恵まれた環境と神童的な早期からの作曲活動、そしてなによりも純正ドイツ人だったことから、マーラーに常に先んじていたシュトラウス。
5月のワーグナーに続いて、R・シュトラウスとはまた嬉しくって小躍りしちゃいます。
わたしのブログをご覧いただければおわかりのとおり、わたくし、R・シュトラウス狂いのひとりなのです。(前回と同じフレーズに失笑しないでくださいまし)
今回の神奈フィルシーズンレビューで、このフレーズが何度出るか、お楽しみに。
R・シュトラウス 歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲
~暖炉のほとりでの夢想~
「変容」~メタモルフォーゼン
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2012年6月22日 (金) 19:00 みなとみらいホール
カタカナばっかりが並んでしまった3つの曲目だけれども、決してひるんではいけませんよ、みなさま。
神童の日々から、長命の晩年まで、シュトラウスのその作曲活動歴は長いけれども、その作風は生涯変わりません。
朗らかで明晰、陰りすくなく健康的な音楽。
そして晩年の澄み切った心境に達したその音楽はモーツァルトのような軽やかさと透明感を持ってます。
定期公演の3曲を作曲順に並べます。
①ツァラトゥストラ(1896)
②インテルメッツォ(1923)
③メタモルフォーゼン(1945)
③が例外的で、シュトラウスは、いま一番聴かれる数々のオーケストラ作品のほとんどを、早くに書き終え、1900年代以降、すなわち30代後半から「サロメ」や「ばらの騎士」を始めとする珠玉の傑作オペラに没頭してゆくのです。
「インテルメッツォ」は、全15作あるシュトラウスオペラの8作目。
家庭交響曲のように、シュトラウスお得意の家庭内秘話をオペラにしたようなもの。
作曲家の旦那に、嫉妬深い妻と、かわいい息子。
こんなのオペラにしちゃうシュトラウスの筆の冴えに驚きましょう。
オペラの前奏や間奏を抜き出した4編のうち、ふたつめが演奏されます。
ウィーンのワルツが散りばめられた親しみやすい音楽で、その2曲目は静かな家庭の雰囲気です。
プレヴィンとウィーンフィルの演奏は、この音楽が「ばらの騎士」の延長上にあることを理解させてくれますね。
オペラの過去記事→サヴァリッシュ盤
間奏曲過去記事→ プレヴィン盤、メータ盤、カイルベルト盤
「メタモルフォーゼン」は、23の独奏弦楽器のための、という副題つきです。
日本とドイツが破れる年にこんな豊穣かつ、その終焉を思わせる音楽を書いていたシュトラウスがスゴいと思います。
シュトラウスといえば、日本の紀元2600年記念祝典(1940年)に、軍国帝国日本より祝賀音楽の作曲を委嘱され、「祝典曲」を書いておりますが、それはこのメタモの5年前。
シュトラウスの微妙な立ち位置がうかがわれますが、そのあたりは、弊ブログにも何度か書いてますし、6月の本定期前の本格レビューであらためて。
そして、ちなみに、敵対国になりつつあった英国ブリテンは、「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」を書いてよこして、日本政府の怒りを買うのでありました。
明朗さを心髄としたシュトラウスにあって、この曲はかなりシビアなもので、23本の弦が錯綜するように協奏的に奏であう熱さは、心にジワジワとしみ込んでくるものです。
結果が見えた戦争へのあらわしがたい怒りが感じられますし、最終部分であらわれるベートーヴェンの英雄交響曲の2楽章の旋律が、ドイツの国と精神のひとつの終わりを表明しているとされます。
シュナイト時代の神奈フィルが、この曲とエロイカの2曲でもってプログラムを組み、深遠なる演奏を披歴したと、聴いております。
いまの神奈フィルの弦セクションが、伸びやかになりつつある聖響さんの指揮で、どう響くか、まったくの聴きものにございます。
今回はケンペとドレスデンの良き時代の香りする演奏で。
「ツァラトゥストラ」の冒頭、1分30秒。
泣く子も黙る「あれ」です。
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」です。
あの猿とモノリス、天に舞う骨、そして「美しき青きドナウ」。
いまでも謎っぽい、でも時代を経て少しチープになっちゃったけれど、シュトラウスのこの音楽を使うという天才的なひらめき。
カッコいいあの部分だけで終わってはいけません。
意外なまでに渋いツァラ全曲。
30分そこそこに、ニーチェの同名の書のエッセンスが散りばめられておりますが、あんな難書、わたくし読み切ったことはありません。
この曲あったから、大学時代意を決してチャンレンジしたけれど、数ページで沈没。
あんまり原作を意識しないで、シュトラウスのレンジの広いダイナミックかつ精緻な音楽に耳を傾けましょう。
オルガンの咆哮もみなとみらいホールゆえ、聴きどころではありますが、中間部のヴァイオリンソロの大活躍とその3拍子のワルツが極めてステキなのであります。
ヴァイオリンに絡むように、オーケストラの各奏者たちが付かず離れず、名技を競うのです。
これほど、コンマス石田&神奈フィルフレンズにお似合いの曲はございませんぜ。
楽しみ楽しみ。
メータとロスフィルのデッカ黄金時代の当時目も覚めるような録音は、いまは少し霞んできてしまいましたが、堂々としたその演奏は素晴らしいです。
過去記事→新旧メータ盤、ショルティ盤
6月には、違う演奏でいくつかこの曲のことを考えてみたいと思ってます。
神奈川フィルのシーズン定期に是非おいでください。
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コメント
ツァラトゥストラの冒頭以外の良さは、昨年6月サントリーホールで高関指揮の日フィルで聴いて初めてわかりました。自宅の貧弱な音響環境では理解できない素晴らしさでした。この曲は(自宅に立派な装置のある方を除き)、実演に限ります。
投稿: faurebrahms | 2012年4月29日 (日) 10時15分
faurebrahmsさん、こんにちは。
レンジの広いこの曲は、レコード時代から、デモ用に使われる典型の音楽ですが、安い装置だったので、スピーカーのビリ付きやハウリング、針とびなんてのが付きものでした。
その点からも、実演では安心して聴けます。
最近はオルガンがホールについてますので溶け合いもいいですね。
投稿: yokochan | 2012年4月30日 (月) 12時34分