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2012年5月

2012年5月31日 (木)

ワーグナー ジークフリート牧歌 ハイティンク指揮

Ajisai_5

今年最初の紫陽花です。

数日前、雷雨をやり過ごしたあとの公園にて。

充分に色づく前の淡い感じに、雨の雫がとても美しいのでした。

夏のように暑かったり、妙に涼しかったり、激しい雷雨だったりと、ドラマティックな天候が続きますが、気がつけば、梅雨も、もうそこまで。
紫陽花の季節なんです。

Ajisai_6

今年は、5月=皐月(さつき)らしい、麗しき天気はあまりありませんでした。

みんなおかしくなってる。

花々もきっとおかしいと思いつつ、でもちゃんと美しく咲いてくれます。
桜にツツジに、紫陽花。

ワーグナーの、もっとも美しく愛らしい音楽、「ジークフリート牧歌」を。

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   ワーグナー ジークフリート牧歌

 ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団


ワーグナーらしからぬ、壮大重厚な音楽とは遠くに位置する「ジークフリート牧歌」は、ワーグナーの家庭交響曲のような存在です。

1870年、妻コジマ(リストの娘=元指揮者ビューローの妻)の誕生日の朝、妻には内緒で、ルツェルンの邸宅の回廊で演奏して、コジマを感動させた美しい桂品。

回廊の音楽とも称されるように、オリジナルは、各楽器1本の室内的な音楽。
そして、広く愛され聴かれるようになって、オーケストラ作品としてもワーグナーの名作として欠かせない存在になりました。

18分あまりの交響詩的なこの作品は、フォルテは少なめで、ほのぼのと、のどかな、まさに牧歌的な癒しの音楽です。
まだ結婚するまえに身ごもり、その後生れた愛息ジークフリートを産んでくれたことへの感謝もこめての愛情たっぷりのこの音楽は、同時期に仕上げに入っていた「ニーベルングの指環」第2夜「ジークフリート」のエッセンスが、同時に詰まった曲でもあります。

2幕の「森のささやき」のグリーンな雰囲気そのままに、3幕のジークフリートとブリュンヒルデの幸福なる愛の二重唱の旋律がメインとなっております。

ジークフリートによって、目ざめることができたブリュンヒルデ。
実は、甥と叔母の関係にあるわけですが、そんなことはお構いなしが、「リング」の物語で、ヘンテコなミーメに育てられ、そいつが父でないとわかってしまい、ゆえに母や女性の姿を憧れとともに追い求めたジークフリート。
目ざめたブリュンヒルデに戸惑いながらも熱烈求愛するけれど、ブリュンヒルデは、ちょっと待った、そんなにやみくもに、川をかき混ぜるが如く来られても、こっちにも心の準備が・・・・、とおののきます。
そんな葛藤のときに流れる美しい旋律が、この「ジークフリート牧歌」のメインテーマなんです。
ブリュンヒルデは、そんな大らかで真っすぐな世界の遺産みたいなジークフリートを愛おしく思い、やがて彼や、一族を賛美して歌うのでした。

「ジークフリート牧歌」と楽劇「ジークフリート」を関係付けて思い、聴くここともまた、ワーグナー音楽の楽しみです。

神奈川フィルの先頃の定期演奏会をお聴きになられた方は、こちらの「ジークフリート牧歌」もまた是非お聴きください。
そして、神奈川フィルで聴いてみたい音楽のひとつですnote

オーケストラ演奏としては、ハイティンク盤がふくよかで豊かな心地の演奏です。
あと好きなのは、バレンボイム(イギリス室内)、ヒコックス、カラヤン。
室内バージョンとして、クレンペラー、ショルティ、ブーレーズも透明感ある美しいものでした。

NHKの年末バイロイト放送のエンディングもこの曲でして、ワーグナー全曲を聴き・録音したあとの満足感とともに聴く、ご褒美みたいな癒し音楽のイメージもいまだにあります。

あぁ、望まんところは、柔らかな朝日にもと、このジークフリート牧歌の生演奏にて、自分のベットで真っ白なシーツに包まれて目覚め、ブレックファーストを膝に載せてみたいものです・・・・・。

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2012年5月29日 (火)

二郎しちゃいました、そしてクレンペラーのワーグナー

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久しぶりに、じろっちゃいましたよ。

ラーメン二郎三田本店。

二郎経験したい、というお客さんに便乗し、9:30に三田駅で待ち合わせ。

並ばずに、朝から二郎、いまさらジローしました。

1年半前まで、わたくしは、この本店を見下ろせる場所におりまして、並んでる某おなじみブロガーさんを上から撮影したりもしてました。

そんな至近にいても行ったのは2度だけ。

いまは、徒歩圏ながら少し遠くなってしまったけれど、どことなく食べたいな、と思ってましたね。

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横からジロー。

ラーメン小、ニンニクのみ。思えば、麺少なめコールをするんだった。

久しぶりだったので、ちょっと甘くみてました。

いい盛りしすぎてますぜ。

親父さんのまん前の席でした。

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お隣から、分厚いブタ1枚移動してきました。ひぃーーーっ。

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麺を下から掻きあげつつ食すこと10分。

店前に売ってるウーロン茶の助けを借り、苦しみながらも見事完食すること、午前10時。

朝から何やってんだろ、ワタクシ。

お客さんたちとヒィヒィ言いながら打ち合わせに移動しましたが、三田・田町はラーメン屋さんが多く、その前を通り抜けるのも苦痛、麻布ラーメンの食券販売機を見るのも苦痛でございました。

あれから10時間あまり経過しますが、いまだに腹一杯。

恐るべし二郎noodle

今夜は、枝豆に、冷奴ぐらいだな。

といいながら、こんなの飲んでしまいました。

Tokuhohai

「トクホ・コーク・ハイ」

これ、まったく違和感なし。

体にいいような気がして、嬉しいトクホハイ。

ばかですねぇ。

トクホビールとか、トクホ焼酎とか、トクホ酒って出来ないんでしょうかね。

できるわけ、ねぇだろな(笑)

Wagner_klemperer

お腹一杯なのに、トクホハイのほろ酔いも手伝って、今日もワーグナー。

そろそろお終いにしますので、ワーグナーがお好きでない方、すいません。

ワーグナー 「ニーベルングの指環」から

  「ラインの黄金」~「ワルハラ城への神々の入場」

  「ワルキューレ」~「ワルキューレの騎行」

  「ジークフリート」~「森のささやき」

  「神々の黄昏」~「ジークフリートのラインの旅」、「葬送行進曲」

   オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

                    (1960、61 @ロンドン)


巨大なワーグナーが聴けます。

信じがたいような逸話の宝庫の持ち主、クレンペラーのワーグナーは、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような深遠で神秘的なものとは違う意味での巨大さ。
鋼のような強靱な意思でもってきっぱりと響きわたるワーグナーの音塊に、背筋が伸びるほどの筋の通った泰然としたこの指揮者の姿を感じる。
愛想はなし、期待する盛り上がりや、ロマンティックな陶酔もなし。
こんな色気のないワーグナーも、これもまたありか。

先般の神奈川フィルの演奏とはかなり異なる、男のワーグナー。
面白みは少なめだけど、耳の洗濯になります。
「葬送行進曲」はストイックなまでの厳しい演奏に聴こえました。

そして、わたしは、まだお腹いっぱい。

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2012年5月28日 (月)

漁港のにゃんにゃん①

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とある小さな漁港。

シラスも揚がるわたくしの郷里の海が、後ろに見えますよ。

そして、船の上には、にゃんこだ、こらっsign01

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見てよ、この怖すぎのお顔。

どう声をかけても、まったく動ぜず、このやぶにらみのまま。

「あのぅ、ちょっといいですか?」と、ワタクシ、低姿勢で。

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アップにしてみました・・・・、「にゃんだ、このヤローannoy

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強面にゃんこに、タジタジのわたくしを尻目に、去ってゆくのでございました。

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コイツ、船に住んでるし。

漁港のにゃんにゃんは、ふてぶてしく、力強いのでした。

月曜は、「ねこの日」です。

と、かってに決めた「さまよえるクラヲタ人」でした。

ネタが尽きぬようにネコ取材がんばりますッ。

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2012年5月27日 (日)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 お願いランキング

Minatomirai20120525_2

みなとみらい地区へは、今回東口から新高島を経由して歩いてアプローチしました。

こちらの美術館の前庭には水が緩やかにはってあったのではないかしら?

神奈フィル・ワーグナーを聴く前の自分でした。

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さあ、今日はテレ朝さまより、お願い戦士たちをお借りして、これまたいかにも、の、ワーグナー「ニーベルングの指環」ランキングをこれまた、やっちゃいますで、ございます。

一昨日の、神奈川フィルハーモニーの「リング」抜粋は、ほんとに素晴らしくって、興奮冷めやらぬなかの記事も、いま読むと恥ずかしかったりもしますが、直後の感動をうまく言葉として残せたのではないかと思います。

ワグネリアンとして、応援する最愛のオーケストラ・神奈フィルがピットに入って演奏した「タンホイザー」を聴き逃したことは、最大の失敗でした。

ワーグナー演奏のトレンドは、常に変化しつつありますが、いまやカリスマ的な存在となったバイロイトの音楽監督ともいうべきティーレマンは、古きに軸足を置いたようなズシリと重厚なるワーグナー。
ベルリンフィルのラトルも低音域は重くしっかりしている。

スッキリ系の透明感あふれるワーグナーは、ブーレーズやアバドだけれど、こうした演奏もだんだんと少なくなってゆくのだろうか。

今年のバイロイトの指揮者は、ティーレマン、P・シュナイダー、ネルソンス、P・ジョルダン。
ベテランと若手の混合ですが、ネルソンスやジョルダンは活きの良さがウリ。
古楽もこなすヘンゲルブロックのタンホイザーは契約がこじれ1年でおしまい。
バラエティ豊かなバイロイトのワーグナーは、そっくりいまのワーグナー演奏事情に反映されております。

でも、現田&神奈川フィルのワーグナーはそれらに負けず、オリジナルなワーグナーでした。
お聴きになっていない方々からは、ウソつけと言われてしまいましょうが、彼らのワーグナーは、ブーレーズやクリュイタンス、そしてベームのワーグナーと親近感を持つものでした。
ラテン的な透明感と明晰さ、輝かしさとしなやかさ。

ホールには奥様の佐藤しのぶさんがいらっしゃいまして、休憩後、席に戻るときにわたしの真前、お帰りも同様にすぐ前を歩いてらっしゃいました。
目立つお方ですが、思えば旦那さんとともに、わたくしと同期なんですね。
わたしもしょぼくれてないで、お二人の眩しさを見習わなくては。

長い前置き恐縮でした。

わたくしの好きな「リング」のランキングです。

手持ちの音源が前提。

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 ①ベーム&バイロイト

 ②ショルティ&ウィーンフィル

 ③カラヤン&ベルリン・フィル

 ④ブーレーズ&バイロイト

 ⑤ヤノフスキ&ドレスデン

 ⑥K・クラウス&バイロイト(53)

 ⑦カイルベルト&バイロイト(52)

 ⑧ハイティンク&バイエルン放送


こんな感じになります。

ベーム盤は、わたしの中学生時代の初リング。
シュタインのバイロイトリングで練習しつつ、親・親戚の協力のもと、正規に手にいれることが出来た記念碑的なリングのレコードでした。
来る日も来る日も、聴き続けたこのリングは、同じ「ベームのトリスタン」と並んで、わたしのワーグナーDNAの基になっているものです。

①~③は揺るぎありませんが、以降は順不同でもいいです。
世に名高いカイルベルトの55年ものは、まだ手にしておりません。
おまけに朝比奈盤も。

ただいま、CDでは、15種類のリングを所有しておりました。

ちなみに「リング」上演には、演奏会形式もふくめて5度。
そのうち「ジークフリート」と「神々の黄昏」は日本初演もありでした。

その音源画像は、左手バーのマイフォトにあります。

いまは自制しておりますが、DVDも含めて増え続けたリング、しいてはワーグナーの音盤。

FM放送の音源もいれると無尽蔵にありまして、それらを今後どうしたものか悩み中なんです。

ちなみにFM音源の「リング」のランキングは、一部欠落もありますが次のとおり。

 ①シュタイン&バイロイト(74、75年)

 ②P・シュナイダー&バイロイト(84、85年)

 ③シノーポリ&バイロイト(2000年)

 ④A・フィッシャー&バイロイト(2004年)

 ⑤ショルティ&バイロイト(83年)

 ⑥レヴァイン&バイロイト(98年)


バイロイトでは約5年のサイクルで、演出と演奏家が入れ替わるので、最後の年ほど、その熟成ぶりが高まるのです。
ブーレーズや1年で降りてしまったショルティの初年度は散々でした。
でも、シュタインやシュナイダー、フッシャーのような熟練オペラ指揮者にはムラがないところもまたおもしろいものです。

またまた、おバカな記事を書いてしまいました。

神奈川フィルのコンサートで、「リング」抜粋に興味をお持ちの方々、是非全曲盤にチャレンジしてみてください。
しかるのちに映像にも接していただきますことも。

ワーグナー漬けのワタクシ、次回まで「リング」してますので、あしからず、お許しください。
お口直しに、下記は、いまベルリンフィルで行われております「ワルキューレ」のライブの別撮りの一部です。

http://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/2580/


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2012年5月26日 (土)

神奈川フィルハーモニー 第281回定期演奏会 現田茂夫指揮

Minatomirai20120525

薄曇り、薄暮のみなとみらい、6時41分。

コンサート開始まで、あと19分。

もっとも楽しみにしていた神奈川フィルのワーグナーですよ。

そして、コンサート終了後、応援メンバーの皆さんに語った開口一番。

「もう、なんも言えねぇsign01

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     リスト 交響詩「レ・プレリュード」

          ピアノ協奏曲第1番

         Pf:後藤 正孝

    ワーグナー 「ニーベルングの指環」抜粋

    現田 茂夫指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          (2012.05.25@みなとみらいホール)


日本に、いや、世界にまたとないユニークなワーグナー。

ばか言うな、と言われそうですが、ワーグナー狂となって40年のワタクシがそう言うんですから、信じて下さい。
もっともっと多くの方に聴いて欲しかった。

>現田さんの、外向的で華やかかつ歌心にあふれたワーグナーが楽しみです<

1ヶ月前の記事で予告したとおりでした。

重厚長大、威圧的、難解・・・、といったワーグナーのイメージとは真逆の軽快できらびやかで明るくわかりやすい、明快なワーグナー。

 ①「ラインの黄金」より「ヴァルハラ城への神々の入場」

 ②「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」

 ③   〃        「魔の炎の音楽」

 ④「ジークフリート」より「森のささやき」

 ⑤「神々の黄昏」より「葬送行進曲」

 ⑥   〃       「ブリュンヒルデの自己犠牲」

あっという間に終わってしまった。
すっかり、自分の血肉と化した感のある「リング」。
歌抜きリングは、車で聴いたりするときは、ワタクシは、フローにウォータンにローゲ、ハーゲンになってまるでカラオケのように歌いまくって運転する変なオジサンです。

コンサートで、そんなことやったら摘み出されてしまいますがね、今回はホント歌いたくなるような気持ちのいい演奏。
そんな呼吸感と歌心あふれる現田さんの指揮は、見ていてもとても自然で流麗。
リングの後半あたりから、トレードマークのようになってしまった、背中の汗。
左右の点から徐々に広がって羽のようになって、ワーグナーの音楽とともに飛翔してしまうかのようでした。
 
  オーケストラも乗ってます。
神奈川フィルの本来の麗しき姿を見た思い。
明るい美音と曇りなく透き通った神奈フィルの魅力炸裂。

ラインゴールドは、ドンナーのハンマーと雷鳴の、カッキーン&ドッカーンが見事に決まった。神々の入場は、晴れやかで、軽快。ブラスのキレのよさも抜群。
 
有名曲ゆえ、このあたりから会場の雰囲気が変わった「ワルキューレの騎行」。

いつも途中からうつむいてしまうお隣の御婦人も、今日のワーグナーはしっかりとずっと聴き入っておられました。
ワーグナーの魔力に加え、うるさくならない、親しみあふれるこの演奏が、会場をひとつにしてしまったのです。
この「騎行」で拍手が来るのはやむをえないことですが、特定のおひとりさまが、どの曲も最後に拍手をするんですよ。
まして「葬送行進曲」は勘弁してよ。
さらに心外は、「自己犠牲」の感動的なエンディングでのフライング拍手。
いけませんよお客さん、現田さん、まだ手を降ろしてないじゃないですか。

でもそんな苦言もなんのその。
素晴らしき感動の前には、ちっぽけなこと。

「ウォータンの告別」は、ほんとうはもっと前の方からやってほしかったし、途中のカットも寂しく、いきなりローゲ召喚に飛んでしまったけれど、やはりこの音楽は感動的。

「Wer meines Speeres Spitze furchtet, durchschreite das Feuer nie!」
 (わが槍の穂先を恐れるものは、この炎を超ゆることなかれ!)

と心でつぶやいたウォータンの決めセリフ。
ジークフリートの主題が、これほどにブリリアントに響くなんて!
そして、炎は、赤くキラキラと輝くように聴こえました。

精緻でクリーンな「森のささやき」は、木管の皆さん冴えわたってましたね。
そして石田コンマスの甘味なるフライアの主題の美しかったこと。

自分では、心して、哀しみの面持ちでもって迎えた「葬送行進曲」。
でも悲しみは、ここには少なめで、輝かしき英雄の死といった感じで、死の動機は少しあっさり気味。そして、そのあとやってくる剣の動機では、トランペットにさし抜かれました。
そのあとのオーケストラ総力をあげての全奏では、感動のあまりワナワナしてしまい、涙でステージが滲んでしまった。

最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、この日のハイライト、最高の瞬間でありました。
25分に及ぶブリュンヒルデの長大なモノローグだから、ハイライトでは大幅カットはやむをえないことながら、もっともっと聴きたかった。
本当に素晴らしかった。
ブリュンヒルデが愛馬グラーネと亡き夫ジークフリートに別れを告げる場面、愛の救済のテーマが繰り返され、もう、わたしの涙線決壊。
指環がラインの流れに戻ると、そこは本当に涼やかで清らかなムードがただよい、再び「愛の救済」の動機があらわれますが、このリングきっての名旋律が、かくもゆったりと、そして思いをたっぷり込めて美しく演奏されるのを私は聴いたことがありません。
ともかく美しく歌う。
オケの皆さんも感じきって演奏してます。
現田さんも感動しながら指揮してます。
ワタクシも涙滲ませて聴いてます。

ビューテフルなワーグナーでいけませんか?

いえ、全然いいんです。


ワーグナーばっかりになってしまいましたが、前半のリストも素敵だった今宵のコンサート。
中間部の森のような情景に陶然となってしまった「レ・プレリュード」では、この曲のダイナミズムと抒情の対比が素晴らしく、冒頭からオケがこんなに鳴るものか、これ神奈フィルだよね、と嬉しくなってしまった。

そしてさらに嬉しかったのは後藤さんのピアノ。
小柄な青年がステージに現れたので、今風の華奢なピアノを想像していたら、ところがどっこい、強靱な打鍵を繰り広げる本格派でした。
それでいて第2楽章の夢想的なリストならではの静けさがまったく素晴らしい。
フランツ・リスト国際コンクール優勝の凄腕ピアニストに注目です。

Seiryuu

青菜炒めとプリッぷりのエビマヨ。

アフターコンサートは、皆さんで先ほどの感動を興奮冷めやらぬ勢いで語り、飲みまくり。
オーケストラメンバーと楽団スタッフの方にもご参加いただき、本当に楽しい会でした。
皆さまお世話になりました。

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2012年5月24日 (木)

神奈川フィルハーモニー5月定期演奏会 CDコンサート②

Senzoku1

「馬に乗らないで下さい!」

あ、はい。

Senzoku2

今にも飛び出しそうな駿馬。

確かに、乗りたくなりますな。

大岡山でひと仕事のあと、洗足池まで足をのばしてみましたよ。

お馬さんには、観光的に乗った経験があるのみですが、ブリュンヒルデとジークフリートに愛された愛馬「グラーネ」は、きっと忠実で飼い主の気持ちがわかる可愛いお馬さんだったのでしょうねぇ。

でも、グラーネは、ご主人ジークフリートが騙されて忘れ薬を飲まされるときには、干し草でもついばんでいただけ。
「それ、いけない」ぐらい言ってくれよ。

「リング」の物語で、もうひとひねり欲しかったぞ、グラーネの扱い。

神奈川フィルハーモニー第281回定期演奏会

   リスト 交響詩「レ・プレリュード」

        ピアノ協奏曲第1番

         Pf:後藤 正孝(2011 リスト・コンクール1位)

    ワーグナー 「ニーベルングの指環」抜粋

         指揮:現田 茂夫

  2012年5月25日(金) 19:00 みなとみらいホール


いよいよ明日の晩に迫った、神奈川フィルのリストとワーグナーの定期。
いかに、仕事を煙にまいて駆け付けるか。
あれこれ想像して、緊張して肩がこるし、眠れない予感が。
だから、飲みながら記事をしたためてます。

リハーサルも順調に運んでいるようです。

http://p.twipple.jp/user/kanagawaphil

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リスト「レ・プレリュード」と2曲のピアノ協奏曲が1枚で聴ける徳用盤。

このあるようでない1枚は、コンサートホール原盤の懐かしの音盤。

ただし、広くお薦めはできません。

何故って、録音がショボすぎるもんでさ。

かさかさの潤いのない録音は、もこもこしてて、オケはきっとちゃんとしてるのに、ど田舎のローカルむき出しの雰囲気。
でも、昔からそうと知ってると、これがいいんだな。

ことに、若い頃ばかりに聴いて、いまはろくに聴かなくなってしまった、こちらのリスト2曲などは、遠い昔のノスタルジーをひも解くような雰囲気に満ちてるんだ。

       「レ・プレリュード」

  ポール・パレー指揮 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団


デトロイト響での活躍が印象的なフランス人指揮者パレーは、わたしには、ミュンシュにも似た竹を割ったかのような剛毅なイメージがあります。
モンテカルロのオケから、荒々しいサウンドと抒情に溢れたサウンドを導きだしております。性急さもおもしろい。

    ピアノ協奏曲第1番

     Pf:ニキタ・マガロフ

  セルジュ・ボド指揮 チューリヒ放送管弦楽団


グルジア出身の往年のヴィルトゥォーソピアニスト、ニキタ・マガロフのお得意のリスト。
マガロフは、リスト、ショパン、チャイコフスキーを得意にしていて、フィリップスからいくつも素晴らしい録音が出ておりました。
スイスで活躍したこともあり、スイス録音の多かったコンサートホールレーベルにもいくつも録音がありまして、こちらや、チャイコの協奏曲などは、懐かしくも鋭敏な演奏としてわたしの脳裏に刻まれてます。
オケがボドの指揮っていうところも渋いでしょ。
プレートルの陰に完全に隠れてしまった、フランス指揮者のボドは、ほんとはもっと評価されていいと思います。

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「おやっさんのワーグナー」

  「神々の黄昏」~ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲

    ブリュンヒルデ:曽我栄子

  朝比奈 隆 指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団


             (1983.10.4@大阪)

ぐいっとひと振り、掴みは大きく、要所は外さず、構えも巨大。
でもあっさり浪速のカツオ出汁は、さっぱりとしていながら味わい深し。

おやっさん、朝比奈先生のワーグナーでした。

え?もう終わり?

じゃぁ、ちょっと追加。

曽我栄子さんの懐かしい歌声。
60~80年代を代表するドラマティックソプラノの曽我さん。
N響の第9、二期会のワーグナーものなどに曽我さんは絶対的な存在だった。
飯守泰次郎先生が、バイロイトで活躍し、二期会に彗星のごとく「ワルキューレ」で登場したときのブリュンヒルデだった。
83年のこちらの録音でも、そのお声は健在。
すっきりと、日本人ならではの透明感あるドラマティコで、立派すぎるブリュンヒルデに飽きたときに、耳に優しく、母の歌声のように聴こえる曽我さんのブリュンヒルデなのでした。

朝比奈さんの指揮は、87年の「神々の黄昏」全曲演奏の前段階のような感じで、掘り下げはそちらにかなり譲る。
でも、意外なくらいに、和風テイストのおいしいワーグナーだったりしまして、いい味してまんな、と声を掛けたくなる。

1983~87年にわたって、新日本フィル定期で、朝比奈リングが演奏会形式で全曲演奏された。
ワタクシは、その間、会員となってすべてを聴きました。

記事はこちら→朝比奈隆と新日本フィルの「リング」

あの時の、「神々の黄昏」の、葬送行進曲以降の素晴らしさは、いまでも忘れられない。
腰をかけて、譜面とにらめっこしながら指揮をしていた朝比奈先生は、ここからずっと立ちあがり、それこそ夢中の指揮ぶりで、歌手もオケも4部作最後の大団円に向かって感動を高めながら演奏していった。

リング全部を演奏することの感動の頂点は、このラストにきっとあると思うし、聴くわたしたちも、この最後があるから気持ちが高ぶるのでありましょう。

何回ともなく、そうした経験をしてきたワタクシ、明日の神奈川フィルでは、平常心ではいられなくなってしまいそう。

嗚咽の涙を流してるヤツがいたら、みなさん、それはワタシだよcrying

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2012年5月23日 (水)

バイクと一体化した「にゃんにゃん」

Cat_bike

街をさまよい中、バイク発見。

というか、ねこ発見。

色合いがほぼ、一体化しておりました。

Cat_baike2

よく見りゃ別な存在。

にゃんこは、このように物陰や、すみっこ、閉鎖空間などが、無性にお好きなようで。

本日は、疲れちゃって、ねこで、ごまかします。

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2012年5月22日 (火)

神奈川フィルハーモニー5月定期演奏会 CDコンサート①

Yokohama_56

連休に実家から横浜へ買い物と食事に。

アフターコンサートでご紹介いただいた横浜地麦酒の店へ。

そうしたら、応援メンバーの方、いらっしゃいましたよ。

家族を紹介して、いつもお世話になってます的なムードに。

音楽を通じ、神奈川フィルを通して輪が広がってます。


神奈川フィルハーモニー第281回定期演奏会

   リスト 交響詩「レ・プレリュード」

        ピアノ協奏曲第1番

         Pf:後藤 正孝(2011 リスト・コンクール1位)

    ワーグナー 「ニーベルングの指環」抜粋

         指揮:現田 茂夫

  2012年5月25日(金) 19:00 みなとみらいホール


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ダイナミックでかつ夢みるようなリストのオーケストラ作品の中でもピカイチの名曲、交響詩「レ・プレリュード」。
交響詩なのに前奏曲とはいったい何故?
と、オジサンは少年時代に思いました。
でも、大人になって理解できたこと、有名なるラ・マルティーヌの詩による「人生は死への前奏曲」という思想に基づく人生観によるものと。
ふ~ん、そうなのかといまだに思う。
死ぬための人生なんて、どうかしてるぜ。

でも、そんなことは抜きにして、このカッチョいい音楽を、スーパーオーケストラで聴く快感は、それこそ人生のあるべき喜びなんだな、これが。
まだ少し青臭いバレンボイムの力こぶの入った指揮は、気合たっぷりで、シカゴの剛腕がそれをしっかり受け止めてマッチョな音楽となってます。
もちろん抒情的な場面との対比もばっちりですよ。

Liszt_berman_giulini

華やかでかつ幻想的なピアノ協奏曲第1番
そのピアノ部分は、いかにもリストらしく技巧的でありつつ、思索的な雰囲気もばっちり。
4つの楽章はさながら交響詩にも似たり。
にぎにぎしい両端楽章もさることながら、2楽章のノクターンのような抒情的な調べと、フルートの調べが美しい。
そして3楽章はトライアングル協奏曲ですよ。
このあたりを注目して聴きたいです。

ソ連から冬眠から覚めた熊のように、彗星のように現れたラザール・ベルマンは、70年代後半の超絶派のリスト弾きでありました。
DGがすぐさま契約し、カラヤン、ジュリーニと共演、リスト作品もたくさん録音。
古風なロマンティストと思いきや、スタイリッシュな技巧派といったイメージのピアニストでした。
ジュリーニウィーン響のかっちりと、でも歌心あふれるオーケストラと微妙にマッチしてます。
このレコードが出たのは大学時代。なんだかとっても懐かしい思いに浸れましたよ。

Karajan_ring

こんなん作っちゃいました。

カラヤン「ニーベルングの指環」のジャケットを4つつなぎ合わせ。
ベームのリングのレコードが、わたしの初リングだけれど、同時にカラヤンも1年ごとに発売された4部作を、一挙にワンセットにして売り出された。
当時は、ショルテイ、カラヤン、ベーム、少し遅れてフルトヴェングラーしかリング全曲はなかったのでした。(あと実は、マイナーにスワロフスキーもあったり)

初めてリングを聴こうという方には、こちらのカラヤン盤はあまりお勧めしません。
ショルティか、いまならレヴァインあたりで入門いただき、その後に、ベームやカラヤン、ハイティンクをお聴きいただきたいところ。
 
 
でもいまや映像から入るのもありだから、その際には、具象的でト書きに忠実なレヴァインか、メッセージ性の強いバレンボイムとブーレーズというところでしょうか。

さて、カラヤン。
よく言われるように、歌手も意のままになるメンバーで、しかもリリックな声質をあつめ、緻密で室内楽的なリングを目指したカラヤン。
たしかに、CDでヘッドホンなどを通して聴くと、まさにその通りで、耳にも優しく鮮やかな抒情サウンドが満載。
でもカラヤンとベルリンフィルの底力は、そこここに噴出しております。
鉄壁のアンサンブルに、腹を揺るがせる豊かな低音、嵩にかかったような鮮やかなブラスなどに、いまさらながら驚くこととなります。
最近、かつては一流とは思えないオーケストラやオペラオケでのリングも増えておりますが、やはりベルリンフィルはすごかった。

Wagner_ring_karajan

全4部作からの聴きどころを集めた1枚も出てます。
国内盤もあるはずですので、是非、ほかの演奏と聴き比べてみてください。

葬送行進曲は輝かしくも、神々しいまでの超絶品にございます。

みなとみらいホールに、この音楽がいかに響くか・・・、思っただけで、もうたまりません。

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2012年5月21日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」つまみ聴き ヤノフスキ指揮

Nitsusyoku_8

今日、5月21日の日食は、みなさんご覧になりましたか。

わたしの住む関東は、金環日食エリアでしたが、千葉のわが家の上空は、ご覧のとおり。

6時に起きて構えていたのに、その雲は、厚みを増すばかり。

予定時刻でもこのとおりで、日食グラスなんて購入してもまったくの役立たず。

「リング」は結ばれませんでした。

Nitsusyoku_9

チラ見せの太陽を、やみくもに写しまくるのみで、ご覧のとおり、環っかは完結せず。

今日ほど、空模様が悲しく、恨めしく思ったことはございませんよ。

おまけに、日食完了とともに、空には青空が広がってまいりました。

チクショーーーsign03

しかし、日食のピークは寒いほどでした。

暗いし、まさに太陽の恩恵を強く感じましたね。

そして、ふだん、まともに見ることのない太陽を直視することがいかに危険かもよくわかりましたよ。

「天体ショー」なんて喜んでますがね、見世物じゃありません、太陽はいつも太陽。
単にそうした時が巡っただけ。

太陽の恵み、ありがたさを痛感するいい機会となりました。

Janovsky_ring

完結することのない「リング」。

ワーグナーの「リング」も思えば、そこに描かれた人間ドラマゆえに、永遠に終わることない結びのない物語に思います。

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」 抜粋

   マレク・ヤノフスキ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

                       (1980~83 ドレスデン)


来る、5月25日(金)。
神奈川フィルハーモニー定期演奏会のメインで取り上げられる、「リング」のオーケストラ抜粋。
ワーグナーが無二に好きなワタクシの期待は、金環日食とともに、日々高まっていたのであります。
日食観察が、前段のとおり、ちょっと残念なことになってしまいましたが、神奈フィル・リングにかける期待は、いやでも膨らんでおります。
明日のスカイツリー開業なんて、目じゃない。

ちょっと心配は、お仕事。
都心と横浜を2往復しなくてはならないので・・・・・。

いまや、押しも押されぬ名匠ヤノフスキの若き頃の名録音が、リング全曲。

日本のデンオンのPCM録音による、初のデジタル・リングで、録音の目覚ましさも評判に。
それと、長らく遠ざかっていた名門ドレスデンの戦後初のリング演奏ということも話題になった。そして歌手たちの豪華さも。

その舵取りに選ばれたヤノフスキには、「?」の人も多かったが、実際はテキパキとした明瞭なる指揮ぶりで、古色蒼然としたドレスデンのワーグナーの伝統を期待した聴き手を、大きく裏切るようなスマートなワーグナー像を打ち立てたのでした。
でも、ここには、まぎれもないドレスデンのふくよかで神々しいサウンドが響いていたものだった。
ワーグナー演奏が変化しつつあった80年代の代表作であります。

ワーグナーを聴くうえで、もっともそれに相応しいオーケストラとして、ドレスデンは克明なアンサンブルと音塊の大きさ、ふくよかな響きでもって、最右翼のものに思う。
あと、生き生きとした南ドイツの明朗さと精緻さのミュンヘンのオペラと放送局のオケ。
独特の暖かさと人の声の色気と温もり感じるウィーンフィル
そして、いつの時代も完璧なるドイツの最先端をゆく、パーフェクトなベルリンフィル

ドレスデン、ミュンヘン、ウィーン、ベルリン。
この4つのオケこそ、最高のワーグナーオケといえよう(誰っ?)

リングをレコードで揃える必要資金は、わたしの初リングの73年には、3万円。
ずっとこれが指標だった。
いまや解説抜きながら、CDボックスで、かつて血の出るような思いで購入したものが、たった2千円以下で。。。。
隔世の感は、CDの価格と比例して、音楽を受け止める気持ちの重さも軽くしてしまったのではないかと危惧してます。
ことにワーグナーのような巨大な音楽は、じっくりと考察しながら聴きとめることで、幅広い知識収集の航海への船出が約束されているので、廉価に購入されても、ともかく何度もすり減るほど聴き、いろんなことへの興味を掻き立てていただくことを願ってやみません。

かくいうわたくしも、いまだにいろんな切り口を見出し、ずっとワーグナーにハマりっぱなしの日々なのですから。

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神奈川フィル定期 ワーグナー facebook記事

5月25日 神奈川フィルハーモニー定期演奏会 後半のプログラムの「ニーベルングの指環」から。

facebookの応援サークルの一員として書きましたものを一部再褐。

こちら→http://www.facebook.com/yurikamome122

取りあげられる予定曲目

①「ラインの黄金」より「ヴァルハラ城への神々の入場」

②「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」

③   〃        「魔の炎の音楽」

④「ジークフリート」より「森のささやき」

⑤「神々の黄昏」より「葬送行進曲」

⑥   〃       「ブリュンヒルデの自己犠牲」

4部作「ニーベルングの指環」から、大河ドラマにも匹敵する長大な音楽物語(まさに楽劇)のエッセンスを失わずに、聴きどころをチョイスするとこうなります。

全部一気に通すと15時間もかかる、「ニーベルングの指環」=「リング」。

こんな風に、オーケストラが目覚ましく活躍するシーンを抽出すると、約40~50分。

CDもたくさん出てますが、「ヴァルハラ城への入場」がないかわりに、「神々の黄昏」から「ジークフリートのラインの旅」が入っていたりしますが、4つの楽劇からバランスよく、しかもストーリーを持たせるという意味では、今回の神奈川フィルハーモニーの選曲は、とてもよいものだと思います。

ちなみに、CDや音楽会では、このようなチョイスによるものと、オランダのヴリーガーによる1時間の編曲ものや、指揮者による編曲などもいくつか出ておりますのので、是非ともお聴きください。

ワーグナーは、物語の登場人物や物事、心象にいたるまで、それらをあらわす動機を作り上げていて、示導動機=ライトモティーフといいます。
ワーグナーの舞台作品のほとんどは、そうしたライトモティーフを基本として取り入れた音楽造りです。

ことに「リング」は、その技法が最高峰に達した作品で、作曲期間に間の開いた最後の「神々の黄昏」になるほど、そしてドラマが重層的・複雑になるほど、ライトモティーフは網の目のように張り巡らされ、人物は言葉で歌わずとも、オーケストラがライトモティーフで、その時の感情や状況を表現し尽くしてしまうという、極めて高度な音楽となっているのです。

性格もよろしくなく独善的ともされるワーグナーですが、作曲の技量と聴く人を虜にしてしまう魔力の前にはひれ伏すしかありません。

ライトモティーフを全部把握しながら聴くのは、なかなか至難の業です。まずは、音楽に慣れ、旋律を覚えてから、ライトモティーフの意味を知っても遅くはないと思います。

今回は、ライトモティーフを交えての聴きどころご案内は、最小限にとどめます。

それぞれの聴きどころをご案内する前に、これまでのお勉強で学んだこの大叙事詩の物語を、今回の曲目に応じて、超圧縮してご案内。

巨人族が請け負った新築の城の普請代金を、アルベリヒから強奪した頭巾や錬金した財宝、おまけに欲しくてならなかった「指環」でまかなった神々の長ウォータンは、妻や他の神様たちを伴って新居に晴れて入場。

巨人に渡した世界制覇が叶うラインの黄金から造った指環に未練たっぷりのウォータンは、指環争奪戦に備え、英雄たちを、自分の生んだ勇ましい戦乙女ワルキューレたちに命じて城に集めております。

ウォータンが、これもまた指環奪還のため、人間界で生みだしたジークムントとジークリンデ兄妹。恐妻や世間の板挟みになり、彼らを守ることができなくなったが、彼の意思を一番知る賢い娘ブリュンヒルデが、父の命に背き兄妹を助けようとする。しかし命令は命令。厳しい父は、娘との永遠の別れを告げ、山頂に炎とともに封印する。

ブリュンヒルデが救出したジークリンデが産んだジークフリートは、元気な青年に成長。母を思い、女性を恋しく思い、孤独を紛らわせるため森で小鳥や動物たちと戯れ憩います。

森の小鳥の導きで、巨人から指環を得て、さらに山上から解放したブリュンヒルデと永遠の愛を誓い、武者修行に出た英雄ジークフリートは、これまた指環を狙う神々の宿敵アルベリヒの息子ハーゲンに、唯一の弱点の背中を射抜かれて倒れ、葬送行進曲で送られる。

すべてを悟った賢女ブリュンヒルデは、指環の相続人として、指環をめぐって混沌としてしまった世界を救出するため、ラインのほとりに薪をくべ炎を起こして、ジークフリートとの愛の証だった指環とともに、愛馬と炎の中に飛び込みます。

指環はラインの乙女のもとに帰り、炎は、ヴァルハラの城をはじめ世界を焼き尽くし、元の世界へと戻るのでした。

こんなことを思いつつそれぞれの名品をお楽しみください。

 
厳しい局面にある神奈川フィルのことは、しいては日本のオーケストラ・クラシック音楽の問題にほかなりません。

是非ご理解と、ご支援を。

facebook       http://www.facebook.com/yurikamome122

神奈川フィル   http://www.kanaphil.com/bokin/

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ワーグナー ニーべルングの指環 記事総まとめ

わたくしが弊ブログにて書いた「ニーベルングの指環」記事を総まとめしてみました。

それにしても、粗製乱造、多いです。

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カラヤンのリング


ワーグナー 「ラインの黄金」 カラヤン 2006.07.19
ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン 2006.07.27
ワーグナー 「ジークフリート」 カラヤン 2006.08.01
ワーグナー 「神々の黄昏」 カラヤン 2006.08.06

ノリントンのワルキューレ

ワーグナー 「ワルキューレ」第1幕 ノリントン 2006.09.06

ビルギット・ニルソン逝去

ビルギット・ニルソンを悼む 2006.01.14

アストリッド・ヴァルナイ逝去

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ヴァルナイを偲んで 2006.09.08

ばらばらリング①

ワーグナー 「ラインの黄金」 ドホナーニ 2006.11.08
ワーグナー 「ワルキューレ」 メータ指揮 2006.11.12
ワーグナー 「ジークフリート」 ケンペ指揮 2006.11.20
ワーグナー 「神々の黄昏」 クナッパーツブッシュ 2006.12.01

オダチュウさんのワーグナー

ワーグナー 「ヴェーゼンドンク」&「神々の黄昏」 エヴァンス&尾高 2006.12.24

ルネ・コロ&スウィトナー

「ルネ・コロ」 ワーグナー集 スゥイトナー指揮 2007.01.13

ブーレーズのリング

ワーグナー 「ラインの黄金」 ブーレーズ指揮 2007.05.05
ワーグナー 「ワルキューレ」 ブーレーズ指揮 2007.05.13
ワーグナー 「ジークフリート」 ブーレーズ指揮 2007.05.20
ワーグナー 「神々の黄昏」 ブーレーズ指揮 2007.05.27

最愛のベームのリング

ワーグナー ニーベルングの指環 ベーム指揮 2007.08.17

ルイージ&ドレスデンのワルキューレ

F・ルイージ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団演奏会 2007.11.14

テオ・アダムのウォータン

ワーグナー 「ワルキューレ」ヴォータンの告別 テオ・アダム 2008.02.19

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二期会のワルキューレ


ワーグナー 「ワルキューレ」 二期会公演① 2008.02.21
ワーグナー 「ワルキューレ」 二期会公演② 2008.02.23

新国トーキョー・リング

ワーグナー 「ラインの黄金」 新国立劇場公演 2009.03.19
ワーグナー 「ワルキューレ」 新国立劇場公演① 2009.04.10
ワーグナー 「ワルキューレ」 新国立劇場公演② 2009.04.10
ワーグナー 「ジークフリート」 新国立劇場公演① 2010.02.21
ワーグナー 「ジークフリート」 新国立劇場公演② 2010.02.21
HILE MIME ! 2010.02.24
ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立劇場公演① 2010.03.30
ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立劇場公演② 2010.04.01
ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立劇場公演③ 2010.04.01
ワーグナー 「神々の黄昏」 新国立歌劇場公演④ 2010.04.02


ばらばらリング②

ワーグナー 「ラインの黄金」 バレンボイム指揮 2009.12.18
ワーグナー 「ワルキューレ」 ハイティンク指揮 2009.12.19
ワーグナー 「ジークフリート」 ヤノフスキ指揮 2009.12.20
ワーグナー 「神々の黄昏」 ショルティ指揮 2009.12.21


エド・デ・ワールト 

NHK交響楽団定期演奏会 エド・デ・ワールト指揮 2009.04.05

ヒルデガルト・ベーレンス逝去

ヒルデガルト・ベーレンス亡くなる・・・ 2009.08.20
ヒルデガルト・ベーレンスを偲んで 2009.08.22

アメリカオケで聴くリング

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 アメリカ5大オケ 2010.02.25

ショルティ ニュー・デラックス・ワーグナー

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ショルティ指揮 2010.03.11

ミトプーのたそがれ

ワーグナー 「神々の黄昏」第3幕 ミトロプーロス指揮 2010.12.14

ばらばらリング③

ワーグナー 「ラインの黄金」 ショルティ指揮 2011.12.12
ワーグナー 「ワルキューレ」 ベーム指揮  2011.12.18
ワーグナー  「ジークフリート」 レヴァイン指揮 2011.12.25
ワーグナー 「神々の黄昏」  フルトヴェングラー指揮 2011.12.30

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2012年5月20日 (日)

バッハ カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」 F=ディースカウ

Reinanzaka_church_6

最後の晩餐、席を立つユダ、そして十字架を背負い丘を登るイエス。

教会には、聖書の物語がこうしてステンドグラスで描かれております。

かつて、文字が必ずしも読むことができなかった庶民にもわかりやすくするためといわれてます。

霊南坂教会にて。

Reinanzaka_church_5

全体はこのようになっておりました。

前にも書きましたが、オルガンの練習もされておりまして、ひとり、心澄んだ時を過ごすことができました。

この教会はプロテスタント系。
質実な雰囲気が、バッハの音楽にとても相応しく感じられる。

Bach_cantaten56

 バッハ カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」BWV56

      Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団
               Ob:マンフレート・クレメント
                      (1969.7@ミュンヘン)


三位一体節後第19日曜日用、1726年10月27日に演奏。

苦難に満ちた人生の道行は、死という安らかな港にたどりつくことによって初めて救済に導かれる。(CD解説書より記載)という思想が貫かれたカンタータ。

バリトンのソロカンタータとして、もうひとつ、82番「われは足れり」とともに充実した作品として録音も多いです。

バッハのカンタータによく見られるパターンで、当初迷う人間が、イエスや神を得て、明るく、それは甘味なまでに飛翔し、最後には神を賛美して締める。

十字架を担う深刻さと苦痛を深く感じさせる冒頭のアリア、イエスとともに歩む舟路を人生に例え、チェロにはさざ波をあらわす音型が繰り返されるレシタティーヴォ。
そして、オーボエの喜ばしいソロを伴った歓喜のアリア。
このアリアは、本当に素晴らしくて、暗中の森を抜けだしたかのような光明を与えてくれる。
そして、次のレシターティーヴォでは安らぎが支配し、死への不安もさり、静かで感動的な最終コラールを迎える。

簡潔ながらバッハの音楽の持つ深みと、コンパクトな設計の中に、世の人々の人生がしっかり描かれていることを感じます。

先日亡くなった偉大な大歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの名唱で。
明るくハリのある明快な歌声に、繰り返しの言葉にもそれぞれの思いを変えながら、意味合いを付加してゆく巧みさ。
声のテクニックが鼻につくことなく、バッハの禁欲的・献身的な音楽の中に、しっかり納まっている。
バッハに関しての盟友ともいえるリヒターとともに、明晰なバッハがこうして聴けることに感謝したいです。

リヒターが54歳で亡くなったのは1981年。もう30年。
そして、フィッシャー=ディースカウが今年、享年86歳。
ほぼ同じ世代でありました。

リヒターの音楽は、若い日々のものほど厳しく厳格。
晩年は、バッハ以外の音楽も多数手掛け、芸風も変わっていった。
ライフワークだったカンタータ録音が、リヒターが長命して全部行われていたら、古楽奏法への対応など、いったいどのように変化していったことでしょう。

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2012年5月19日 (土)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを偲んで

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不世出と呼ぶに相応しい大歌手、ディートリヒ・フィシャー=ディースカウが亡くなりました。

1925.5.28~2012.5.18。 

87歳の誕生日を前に逝去。

92年に歌手生活に終止符を打ち、この20年は後進の指導や朗読など静かな余生を送ったフィッシャー=ディースカウ(FD)。

音楽を聴きだしたころからずっとずっと現役で、引退後も変わらず聴いてきて、ずっとそばにいた万能歌手がFDでした。
歌曲もオペラも宗教曲も、困ったとき、FDを選択すればハズレがなく、いつも満点の歌唱。
うま過ぎる歌唱、その計算されつくした知的な歌いまわしは、言葉への入念な感情移入も伴い、好みの分かれるところではありました。
 ですが、わたくしは、そんなFDが好きでした。

全集魔として古今東西網羅された歌曲の数々は、そのほとんどがFDが刷り込み。
宗教曲は、リヒターのバッハには必ず登場していたから、こちらもFDばかり。
オペラでは、FDはどちらかというと二番手に選択される役柄が多かったかも。
聴き慣れたモーツァルトやイタリアオペラやワーグナーも、FDで聴くととても新鮮で斬新だった。
FDの、スカルピアやイャーゴ、ファルスタッフ、オランダ人、ウォータン、ザックス、ヴォツェックは私には最高の歌唱だと思ってます。

 ワーグナー 「ワルキューレ」~「ウォータンの告別」

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


クーベリックのワルキューレも貴重だけれど、FDのウォータンは、ラインの黄金以外はこれが唯一。
オーケストラともども、明るく南ドイツ風で、滑らかなワーグナーはとてもユニーク。
一語一語かみしめるように、愛娘との別離を歌うFDのウォータンには泣けます。

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 マーラー 交響曲「大地の歌」~「告別」

     レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


そして、本当の告別です。
Ewig Ewig が、リアルに切なく、FDとの永久の別れがつらいです。
いずれも、指揮者も歌手も、みなこの世になくなってしまっているんですね。

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 シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」~「鳩の便り」

       ピアノ:ジェラルド・ムーア


FD60歳に発売された、自身の絵画をジャケットにあしらったシリーズの1枚。
何度も録音し続けたシューベルトの3大歌曲集。
「冬の旅」だけでも、いくつ録音があるだろう。
それぞれが独特の完成度を誇り、常に新しくチャレンジし続けたFD。

今夜は、「白鳥の歌」から、ザイドル詩によるシューベルト最後の歌曲「鳩の便り」を。
シューベルト晩年の死の影をたたえた音楽の中にあって、「鳩の便り」は明るく抒情的で、その旅立ちは暗くなく、愛らしい便りを運んでくれそうだ。
FDのさりげない歌い口の巧さが、シューベルトの歌心の本質をしっかりとらえてます。

歌手が亡くなるといつも思い、書くこと。
それは、現役から退き、過去の音源でしか聴けなくなってしまった歌手たちが、亡くなるときにだけ再びクローズアップされる。
わたしたちは、その現役時代にあった時代の自分のことを思い、その時間の経過に空白感を想う。

FDの死は、やはりとても寂しいものでした。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウさんの安らかな眠りをお祈りいたします。

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2012年5月18日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ショルティ指揮

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5月の小便小僧は、またも中旬の公開となってしまいました。

GW+端午の節句が過ぎちゃったので、少しばかり鮮度切れではございますが、5月はやはりコレsign01

金太郎の腹巻きに、金太郎柄の鯉のぼり。目出度い出世鯉のぼりですよ。

そして新聞で作った兜は、丁寧にラップされてます。

毎月、作成されるボランティアの皆さま、頭がさがります。

毎回、癒されます。本当に、ありがとう。

Hamamatsucho_201205_b

後ろ姿もご立派な5月。

というかお尻、かわゆいですな(笑)。

Berlioz_solti

月イチ「幻想」であります。

  ベルリオーズ  幻想交響曲

    サー・ゲオルク・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団


                  (1992.6 @ザルツブルク)

演奏されるホールやシテュエーションによって、こうも変わるのかと思う1枚。

ショルティ&シカゴの「幻想」は、まさにそのように感じた音盤です。

ショルティが亡くなる5年前。
シカゴを退任し、バレンボイムに継いでからヨーロッパに戻ったショルティ。
手兵との共演も継続し、ザルツブルクへ凱旋したおりのライブです。

結論から先に書いちゃうと、72年の「ショルティ&シカゴ」の「幻想」の有無を言わせなない強靱な演奏にこそ、このコンビの真骨長があった。
鋼のような剛毅なサウンドで、ゴリゴリ攻められる幻想には、若い頃、完敗でして、感動や興奮より、屈服感の方が強かった。
でもあの頃の「ショルティ&シカゴ」は素晴らしかった。

そしてその20年後の「ショルティ&シカゴの幻想」は、ヨーロピアンな滑らかさを感じる「大人の幻想」になっているんだ。

ワルツは流麗で心地よく、「野の情景」では、大人以上となったワタクシ好みの枯淡の味わい。より音楽を語らせ、余裕すら感じさせる表現に心なごみます。
でも、おいらは、ショルティ閣下の幻想を聴いてるんだぜ、という先入観をどこで満足させたらいいのか・・・・・・。
1楽章では、それはナシ。
2楽章の、最終部分での急激なアッチェランドに。
3楽章は、終始、なごやか。閣下の微笑みさえ感じちゃう。
4楽章の断頭台もそんなに威圧的じゃない。泰然とした堂々たる処刑台への行進でして、悟りの境地か・・・・
5楽章のヴァルプルギスに至って、音像が近くに感じるようになり、悠揚せまらぬ、そして音に迫真力が加わった感じで迫力満点となる。
これはいったいどういうことなのか。
一点一角揺るぎもしない正確極まりない圧倒的なクライマックスを築きあげるのです。

ライブならではの活きた音楽ゆえのこうした印象。

そして、こうした印象は、少しデッドでリアルなシカゴのメディナ・テンプルやオーケストラ・ホールでの録音に慣れてしまった耳が生み出すギャップなのでしょうか。
遠くで鳴っているシカゴは、この録音と、古くはマーラーの千人(ウィーン録音)に感じます。

でも、そこは天下のシカゴ。
オケの技量のもの凄さと、首席たちの腕前の冴えはしっかりと受け止めることができます。
スーパーオケの名に恥じない破壊力と完璧なまでのアンサンブル。
やはりシカゴなんです。

でも、閣下も含めて、どっか違う「ショルティ&シカゴ」の2度目の「幻想」なのでした。

72年盤は、まだまだ続く、「小便小僧&幻想」シリーズの中で、きっと取り上げることとなりましょう。

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2012年5月17日 (木)

キッチン さまクラ①

Pepeshirasu

本日は、音楽を離れて・・・とはいえ、音楽を流しながら作り、食すのでありますが。

わたくし、日々、結構、料理をします。

事務所メシも作ってみたりもします。

そんな中から、今日は2品。

まずは、シラスと大葉のペペロンチーノ。

これは単純・簡単。

ただし、事務所、ニンニク臭、注意だ。

オリーブオイルを熱し、乱暴に叩いたニンニクと鷹の爪スライス投入。
香り付け程度で取り除いても、そのままでも、なんでもよし。
そこへ、パスタ投入。塩加減のいいパスタ茹で汁も投入。
味を調え、お皿に盛りつけ、大葉と釜茹でシラスをおもむろにトッピングするだけ。
シラスの塩味があるので、塩分は控えめにね。

冷えたビールにも、ドライな白ワインにもバッチリですよ。

Curry_2

2品目は、無題・冷蔵庫の野菜処理カレー煮込み。

半端な残り野菜をともかくみんな投入。

しかも、賞味期限のやばい卵なんてもの茹でてからそのまま投入。

がじゃいも、ニンジン、玉ねぎ、ブロッコリーなどなど。なんでもいいです。

ブロッコリーは、芯まですべて使っちゃいます、食べれちゃいます。

固形ブイヨンで煮て、途中でカレー粉、ないしは余ったカレールーをぶち込むのみ。
ここにあと缶詰のトマトを入れても爽快ですぞ。

原価、ほとんどかかってないです。

こちらも、冷えたビール。それとハイボールなんてのが合いますな。
それと、少し焼き過ぎるくらいのトーストをちぎりながら、スープにひたしながら食べてもグッドですね。

以上、さまクラ・キッチンでした。

不連続シリーズ化の予感restaurant

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2012年5月16日 (水)

「Love is The Answer」 England Dan & John Foed Coley

Sagamiwan_sunset1_2

黄金色に染まる海。

相模湾のサンセットタイムです。

日の出よりは、夕暮れの海に沈む太陽が好き。

センチメンタルな男なんです。

夕日に映える海を思い、夕暮れの海を見て感じる曲・・・・。

たくさんあります。もちろんクラシックも。

でも今日は、少し古めのアメリカンAORを。

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England Dan & John Ford Coleyは、70年代アメリカのポップ・ロック・デュオ。

70~80年代、日本ではいわゆるAORとよばれたジャンルのふたり。

イングランド・ダンは、シールズ&クロフトのシールズと兄弟で、ダラス出身の同級生コーリーと69年頃からデュオを組んで、ダラスからスタートした。
イングランドは芸名で、英国音楽、とくにビートルズが好きだったからとも。

その彼らを、わたくしが聴いたのは、1979年のヒット、「Love is The Answer」。

大学生の頃でした。
神奈川の家から、都内の大学に通う平凡かつ多感な日々。
海のある街に心残しつつも、都会の生活、大人の生活にあこがれる日々は、少しあとの就職を控え、揺れ動いておりました。
テレビで、イメージビデオとともに毎日流されたAORの数々。
番組名は忘れましたが、海辺やサーフィン、都会の光景を背景にしたAORは、私には身近で、かつまた遠い憧れの世界に感じたりもしました。

その中のひとつが、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの「Love is The Answer」

夕映えの海を思いおこしてしまう、切ないくらいに哀愁と諦念、そして希望を歌った曲。
ちょっと長いですが、全文ネットより拝領して引用します。

  天国行きの切符があるとしたらいくら払う
  もうこんな所にいるのはごめんだ
  いい時も悪い時も経験して来たよ
  流されるだけ流されて
  近道なんてあっただろうか
  人生そうは簡単に行かぬもの

  ////

  心細く感じるとき  愛が必要
  道に迷ったとき  愛が必要
  ひとりぼっちのとき  故郷から遠く離れているとき
  見放されて落ち込んだとき  希望も尽き果ててしまったとき
  友達が必要なとき  そして道も終焉に近づいたとき

  愛が必要

  そう、ぼくたちには愛が残されているじゃないか

愛を振りかざしすぎるかもしれないですね。
でも、日本語の「愛」は多義的だけれど、男女の愛に傾きがち。
英語のLOVEは、もっと広範囲な「愛」を意味しているように思う。
日本語のニュアンスの豊かさは、ちょっとしたアクセントの違いで、言外の意味を込めたりと変幻自在なのだけれども、「愛」という日本語は、比較的新しく感じ、そこには男女色が第一義的に封じこめられてしまったように思います。

England Dan & John Foed Coleyが、ここで「愛」に込めた心情は、この歌詞を読めばわかりますね。
70年代後半、アメリカの良心が目一杯詰まった成功の暁の、反省とあきらめのの感情。
アメリカ自体が、ベトナムでの失敗や、ソ連との対峙による疲弊が見え始めていた時期で、人々は多感に、そして内面を見つめ、ナイーブになっていった頃。

いまの停滞と震災復興の日本の社会にも通じるものがあるかもしれません・・・・。

それでも、金色の夕焼けのあとには、より眩しい朝焼けがやってくるという、アメリカンな発想を是非にも持ち続けたい、わたしたちニッポン人です。

しなやかなAOR、England Dan & John Foed Coleyを聴いて思いました。

http://www.youtube.com/watch?v=_QZjJU-mtFU&feature=related

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2012年5月15日 (火)

ディーリアス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 

Hanamizuki2

連休中の数少なかった青空に映える「ハナミズキ」。

アメリカに送ったサクラに対するハナミズキ。

どっかの首相がアメリカ帰りに貰ってきたことはともかくとして、このアメリカヤマボウシとも言われる樹木はなかなかに美しい。

Hanamizuki1

まだ開かずに、下に落ちていたものを手にしてみましたよ。

真ん中の小さなものが花の集合。

一青 窈の「ハナミズキ」の素敵な曲を思うと、なんだか涙ぐんでしまいます。

儚い思いと希望をどこか感じるハナミズキでした。


Delius_vncon

  ディーリアス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲

     Vn:ユーディ・メニューヒン Vc:ポール・トルトゥリエ

   メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団


              
わが最愛のディーリアス(1862~1934)。

ディーリアスの協奏曲作品は、4つ。
ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。
いずれも、3つの楽章を持ち、ソロとオケが対峙するという協奏曲のイメージからは遠く、ソロもオケも、ディーリアスの持つ幻想的かつ感覚的な音楽の中に流れるように存在する感じです。
そしてどの協奏曲も、楽章の切れ目がなく、とぎれることなく音楽がつながっている印象を受ける。
コンサートでは、間違いなく演奏効果を上げにくい曲たちなので、演奏会には取り上げられることは稀であります。

ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲は、1916年、ヴァイオリンとチェロ奏者の、メイとピアトリスのハリソン姉妹の勧めによって書かれ、その初演時には「大戦で散ったすべての若い芸術家たちの追悼のために」という一文が添えられたそうです。
(三浦淳史先生の解説より)

先に記したとおり、同編成のブラームスのようなダブル・コンチェルトと呼ぶに相応しい恰幅のよさは、ここにはまったくといっていいほどありません。
協奏曲というより、「エレジー」(哀歌)のようであります。
事実、中間部は、まさに哀歌とも呼ぶべき美しくも儚い旋律が流れます。
こうして、ディーリアスならではの、遠く昔を眺めるようなノスタルジックな雰囲気にも覆われているんです。
単一楽章ではありますが、ABAの3部構成。
先の哀歌は、Bに現れます。
そして第1部Aは、少しばかり重い足取りの後ろ髪引かれる悲しい序奏がとても印象的。
英国音楽らしい行進曲風の旋律もおりまぜながら、でもなかなかに取りとめない音楽が続くA部分。
そして、この曲一番の聴きどころの哀しみと懐かしさに満ちたBの緩徐楽章部分。
このディーリアスならではの、茫洋と輪郭の定まらない曖昧な世界に、わたしは心の安らぎを覚える。
いつもながら、故郷の夕暮れや山の頂きに海などを思う。
AとBの総集編のような最終3部は、威勢のいい場面やソロたちの名技性を披露する場面などを経て、序奏が静かに懐かしく回顧され、エレジーとともに、ハープやフルートに送られながらソロ楽器の消え入るような哀歌でもって静かに終わります・・・・。

かつてはこの演奏しかなかった、わたしのディーリアス作品のルーツ盤のアンソロジーLPから。
もうなにもいうことはありません。
この盤と、タスミン・リトルとウォールフィッシュ&マッケラス盤も愛聴してます。
そして、タスミンが二度目の録音をヴァイオリン協奏曲とともに残しているので、そちらも聴いてみたいと思っております。

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2012年5月13日 (日)

頭上注意のにゃんにゃん

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久しぶりに、ねこネタ。

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とある公園にて遭遇のにゃんにゃん、橋の上で、なにやらごそごそ。

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手を伸ばして、カメラを上にすると、ヒョイとこんな感じ。

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お昼に買ったパンをひとちぎり。
獲物を狙う目ですな。

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そして、頭上注意だ。

注意といえば、ネコ注意。

Photo

西表島の道路に書いてあるんだそうです。イリオモテヤマネコ注意だ。

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ねこ、ダブルで。

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「ばかだにぇ~」  「うん、まったくだ」

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めんこいのう~

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2012年5月12日 (土)

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲 ミンツ

Isegen_3

神田須田町界隈をさまようクラヲタ人。

懐かしい思い出がたくさん。

歴史ある名店が、その歴史そのままの建物で現存してます。

あんこう鍋の「いせ源」。

接待で行ったことがあるけれど、若き日々、緊張してたし覚えてない。

Takemura 

揚げまんじゅう、甘味どころの「竹むら」

これもまたむかし、女子社員に連れられて行ったことある。

あんみつ食べた記憶が・・・・。

Yabusoba

高名なる神田「やぶそば」。

創業明治13年。

気品ある上品なお蕎麦は、確かに美味いが、量が少ない。

たくさん食べたい無粋な蕎麦好きの私には物足りない。

大人にならなくちゃ。

わたしには、近くの「まつや」の方が庶民的で大好きだな。

Botan

鳥すきの「ぼたん」。

こちらも明治30年。

会社の接待や宴会で何度か行ってましたが、ともかく美味しい。

美味しいという言葉しか思い浮かばない。でも高い。

重要取引先との忘年会で、まだ30歳前後の頃のこと。
若手も多かったが、興が乗ると必ずグチャグチャになっちゃうオジサンばかりのお互いの会社。
会社対決で、ジャンケン大会。負けたら一気飲み。それがだんだん器が大きくなって、ご飯茶わんから、どんぶりに。しかも、ビール・日本酒・刺身・ツマ・鳥肉の入る混合チャンポン。
すさまじいことになるし、座敷・座布団は汚れるし・・・・。
ふすまの陰から、ストリップめいたことやるおバカもいて、それがこともあろうに間違えて、違う部屋にやっちゃった・・・・・。
おまけに、襖倒しちゃうし・・・・・。
どこで飲んでもこうなるおバカな会社同士。
バブルしてました。

おかげさまをもちまして、「ぼたん」では出入り禁止を喰らいました。

会社名を言っただけで、断られてしまいます。

歴史ある名店を汚す、とんでもない会社。
辞めてよかった・・・・、相手方の取引先様は、某巨大会社に吸収されましたが、わたしがもといたところは、いまだに元気に存続してますよ(笑)

神田のこのあたりは、地上げにも合わず、保存エリアとして、しっかり存続していってます。

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 ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲 イ短調

        Vn:シュロモ・ミンツ

   ジェイムズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                       (1986.6 @ベルリン)

ノスタルジーあふれるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。

チェロだけが有名になりすぎたけれど、このヴァイオリンによるもの、そしてピアノも、とても素敵な協奏曲なのです。

初めて聴くと最初はとっつきが悪いかもしれない。
でも終楽章の明るく快活、スラヴ舞曲のような民族色あふれるメロディとリズムに魅せられてしまうことでしょう。

でも、何度か聴くうちに、この協奏曲の魅力は美しい第2楽章にあることに感じるはず。
1楽章から休みなく始まる、ヴァイオリンソロによるノスタルジックな旋律は、あのチェロ協奏曲にも通じるものがあり、この旋律にからむ木管など、聴いててうっとりとしてしまいます。全編朗々と歌うヴァイオリンを聴きながら、部屋から空や公園を眺めていると、思いは豊かな自然や懐かしい昔に飛んでゆきました・・・・。

少しばかり威圧的に感じる1楽章が、どこにも書かれているとおり、ブルッフを思わせるもので、全体の魅力からすると少々弱め。

持ち前の美音で、明るく力強いレヴァイン&ベルリンフィルをバックに気持ちよく弾きまくる感のあるミンツのヴァイオリン。
指揮者とふたりして、歌いまわしの豊かなドヴォルザークに仕上がってます。

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2012年5月11日 (金)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 カーゾン&ブリテン

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鮮やかなツツジが斜面に咲きほこってましたこちらは、毎度おなじみ吾妻山。

いっとき、このツツジが全然ダメな年が何年もありまして、ろくに咲かない時期がありました。

今年は、とてもきれいに咲きましたね。

菜の花ばかりに手がまわって、こちらはほったらかしだった・・・・?

色合いや中途半端感など、行政にもセンスが問われますが、わたくしが言うべき筋合いじゃぁないですな。。

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  モーツァルト  ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

          Pf:クリフォード・カーゾン

   ベンジャミン・ブリテン指揮 イギリス室内管弦楽団

                     (1970.9 スネイプ)


モーツァルトぐらいの作品になると、ケッヘル番号を覚えちゃうし、同時に調性もしっかり覚えています。
音楽ファンなら、きっとそうだと思います。
ブルックナーやマーラーも同列で聴くような世の中になったけれども、それら交響曲の調性は完全には覚えてません。

ブルックナーもマーラーも、わたしたちは、何番というようにして、その曲を呼んで語りますが、モーツァルトは番号もさることながら、K=ケッヘル番号や調性で呼んだりします。

モーツァルト受容歴が歴史的にもはるかに長いのと、多岐にわたるジャンルが作品番号で呼びあった方がわかりやすいことなどが、その理由かもしれません。
でも、やはり、みんなモーツァルトが好きだから、苗字のような番号で呼ぶより、名前のような呼び方に親しみや愛情を覚えるんだと思うんです。

で、K466といえば、20番のピアノ協奏曲。
短調の協奏曲といえばふたつだけ、そしてニ短調の協奏曲いえば20番。
と、いうことになります。

両端楽章が短調で、悲劇的な色合いが強く、ギャラントなムードは一切感じられない。
1楽章の長いオーケストラ部分に続いて弾き出す静謐で澄みきったピアノソロは、わたしには、まるで女声によるアリアのように感じてしまう。
この曲にはまった中学時代は、ともかく1楽章がとても好きでした。
ちなみにそれは、従兄に教えてもらったワルターの弾き語りの音源。
少しばかりデモーニッシュで劇的な3楽章とともに、この協奏曲は短調の悲劇一色に塗り込められた作品とばかりに思いこんでおりました。

そして高校時代に買ったレコードが、グルダとアバドの演奏。
21番とのカップリングは、うららかなウィーンの春のようなハ長調のK467が大いに好きになり、同時に短調の20番は、その愛らしくも美しい第2楽章ロマンツェが、とても愛おしく感じたのでした。

以来、この曲は、その第2楽章があるからこそ活きてくる短調なのだと思うようになりました。

カーゾン・ブリテン・イギリス室内管、という純正イギリス産のモーツァルト、均整のとれた透明感あふれる美しい演奏で聴くニ短調。
品のよさと、潔癖なまでの生真面目さが、青白さまで漂わす儚くも、恐ろしいまでの美しさを醸し出してます。
カーゾンのモーツァルトの魅力は、蒸留水のような透き通ったタッチによる繊細かつ、音ひとつひとつへの愛情にあふれた優しさ。
指揮者・ピアニストとしても最高の人だったブリテンの指揮するイギリス室内管の研ぎ澄まされた美しさも特筆ものです。

この音盤のB面は、最後の協奏曲K595。
こちらの演奏も、もったいなくて、特別なことがなくては聴けないような名曲名演なのです。

カーゾンは、晩年、アバドとよく共演していて、それらの音源がいずれ復刻されることを強く望んでおきます。

Tsutsuji_azumayama2

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2012年5月10日 (木)

チャイコフスキー 交響曲第5番 マリナー指揮

Wadakuramon3

皇居に架かる和田倉門橋から。

遠くに見えるタワーのようなものは、東京電力。

いつのまにやら、お国の直轄となってしまった東電。

値上げもすんなり通ってしまう環境に、われわれ需要家=お客様はなすすべない。

公共料金徴収業者のように扱われたこの民間企業は、思えばノンキなもので、選択の自由のないものを買わされ、不買抗議もできず、あげくのはては放射能を巻き散らかされてしまい、実質国有化の傘のもとに入り込んでしまう。

大事なインフラを担う業態ではあるけれど、民間であるならば、厳しい競争のもとにさらされて、安穏とできない状況に追い込まれるべきだった。
規制緩和の後押しが生む、際限無い競争は、あのバス事故を思い起こすものではありますが、それ以前の、緩い体質の改善こそ、東電、しいては日本の大手企業に喚起したいものなのに、待ったなしの状況に追い込まれ、うやむやのまま。
中小や個人は、努力以前の問題で、まったく立ちうちできない競争社会は、ますますエスカレートしていると思う。

Wadakuramon2

お堀の石垣を捉えてみました。

今日の、ほんの数分で天候ががらりと変わってしまう空模様を、しっかりとらえた天気予報は立派です。
天気予報の精度は、日に日に上がってゆくように思いますね。
あとは伝え方だけと思われます。

いまの世の中も、お天気と同じように、こうすればこうなると、しっかりと捉えられているのではないかと思うんです。
でもそうならないのは、人間がそこに介在するから。

電力の問題もそう、続々と発見される活断層の問題なんかもそう。

何が本当で、真実かわかりません。

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  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

   サー・ネヴィル・マリナー指揮 

        アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

ある時、突然に無性に聴きたくなる音楽。
前にも書いたかもしれない、それは、ケンタッキー・フライドチキンやマック、おせち料理に飽いた時のカレーやラーメンのように、わたしたちの体に入り込み染みついたもの(?)
そうでない方もいらっしゃるでしょう、ご笑覧まで。

どんな風に演奏しても、面白いし、第一カッコいい音楽は、演奏の当り外れが少ない。
そして、本当に気の入った演奏を聴いちゃと、どうしようもなく感動しちゃう。
小学生時代に聴いて、今日まで、ずっとこんなにフェイバリットな音楽って、ほかにないのではないかと思います。
それは、わたしにはベートーヴェン以上、ワーグナー&ディーリアス・フィンジ以下、いまならマーラー並みだったりします。
訳わからん喩えなれど、ともかく「大好きチャイコの5番」、なんです。

そして、そんなわたしの嗜好は、ロシアの本場ものをあえて遠ざけて聴く風潮があります。
ムラヴィンスキーはCDも実演も経験してますが、それをあんまりありがたがることもなく、スヴェトラさんや、ロジェヴェンも辛い。ゲルギーはもってのほか。
コバケンも聴いたことなし。
でも現田&若杉&尾高は、日本人指揮者の中で最高のチャイ5指揮者。

そして、わたくしは、ヨーロッパ系のチャイコフスキーが好きなのです。
こんな嗜好もまた馬鹿にされちゃいますね。

チャイ5のフェイバリット演奏は、アバド(LSO)、ハイティンク、カラヤン(BPO)、ヤンソンス、メータ、プレヴィンなどです。
その系譜に連なる、マリナー盤などは、きっと誰も聴かない、評価もしない音盤なのではないかと思います。
そんな、マリナーが好きなんです。
万能指揮者マリナーが、真摯に取り組んだチャイコフスキー全集は、大規模編成ではないアカデミー管弦楽団の濃淡薄目のスッキリサウンドに拍車をかけるような、すいすいすらすらぶり。
この第5も、歌いどころや、タメどころを軽くスルーしてみたりで、ロシアの濃厚な風土とは遠い、イギリスのジェントルで緩やかな自然を思わせる穏やかぶり。
でも、決めどころはしっかり歌い、ガンガン鳴らせてます。
そして、3楽章がやたらと小粋で、お洒落なんです。
そんな、マリナー&アカデミーのチャイ5も、わたしのフェイバリットの準推薦盤に位置する桂演なのでありました。

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2012年5月 9日 (水)

フィンジ 「エクローグ」 ケイティン&ハンドリー

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鮮やかな紅葉。

これは連休中の春紅葉。

実家に帰るたびに、朝早く登る吾妻山の山頂広場にて。

Harumomiji_azumayama1

新緑の緑との対比が、実際に目でみると実に鮮やかにございました。

この丘の先は、相模湾が広がっております。

5月の連休の実家は、いつもちょっと悲しい思い出があります。

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わたしの、一番大切なCDのひとつ。

ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の、主要な管弦楽作品を集めた1枚。

この中から、クラリネット協奏曲と並ぶ、わたしの愛してやまないフィンジの作品「エクローグ」を。

   フィンジ  ピアノと弦楽オーケストラのため「エクローグ」

            Pf:ピーター・ケイティン

      ヴァーノン・ハンドリー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


今日、5月9日は、わたしの父の命日です。

その数カ月前に突然倒れた父。

会社に母親が電話をしてきて、慌てて駆けつけた病院には意識のない眠ったような父。
まだ30代だったわたくし、現実とは思えず茫然としてしまいました。
春の桜も、うららかな日差しも感じることなく、そこにあり続けただけの父。
連休に、まだ幼かった娘を連れて、吾妻山に登り、満開のツツジを見て、日常に戻った矢先に父は強風とともに逝ってしまいました。
早朝に駆け付けた時は、今度は父の上には白い布がかけられておりました。

こんな私的なこと書いてすいません。

いつか来るであろう、自分のその時の思いも込めて、この時期、この日、わたくしは、フィンジのこの悲しみと慈しみのエクローグ(牧歌)を聴くのです。
あまりに美しく、そして優しい音楽は、今日も、わたしの心の中にそっと入ってきて、包みこんでくれる。

もう15年も経ってしまいました。

 「フィンジ作品集 ボールト指揮」

  「エクローグ ベビントン」

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2012年5月 8日 (火)

池辺、レーガー、ラフマニノフ 3月神奈川フィル定期

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シロノワール。あったかいデニッシュのうえに、ソフトクリームlovely

名古屋地区発祥のコメダ珈琲店にて。

コメダは、私が名古屋赴任中は、それこそ、どこにでもあるもんだから、食事に休憩に、待ち合わせに、打ち合わせに、と何でも対応できる万能ロードサイド喫茶店として、実に重宝したものです。

いまや、関西、関東甲信越に広域展開する人気店になっちゃった。

実家に帰って墓参りしたときに行った湘南台店にて。

Komeda_1 

シロノワールは家人に任せて、大人のワタクシは、コーヒーに豆菓子。

Costco

この日は、座間まで足をのばし、「コストコ」へ。

いやはや、ものスゴイ渋滞で、信号待ちで1時間以上。

店内もカートの渋滞でまいりましたよ。

ほとんど、ネタに近い大量ぶり。

毎日パン食ってますぜ(笑)

さて、画像と関係なく、神奈川フィルハーモニー今シーズン定期を聴くシリーズ最終回。

   池辺晋一郎  交響曲第8番 (神奈川フィル委嘱作 世界初演)

   レーガー    ヒラーの主題による変奏曲とフーガ

   ラフマニノフ  交響曲第2番

     金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

   2013年3月2日 (土曜) 14:00 みなとみらいホール


今シーズン最後の定期は、渋い演目とロマンティックな演目の組み合わせ。

神奈フィルとも縁が深い池辺さんに交響曲が7曲もあるとは知らなかった。
合唱作品やオペラ、ドラマの音楽、そしてダジャレ(?)のイメージだったものですから。
委嘱作品の初演に立ち会えます。

Reger_aco_jarvi

2曲目は、ドイツの作曲家、マックス・レーガー(1873~1916)。
マーラーとほぼ同世代で、「モーツァルトの主題による変奏曲」(K331トルコ行進曲のソナタの1楽章)ばかりが有名で、あとは晦渋でとっつきにくいイメージしかない作曲家。
その顔写真をみても、苦虫かみつぶしたような、愛想ない顔。
でも、暴飲暴食・大酒飲みの巨漢だったということも知り、どこか憎めないオジサンなんですよ、これがまた。

Reger(わしがレーガーじゃ)

いまのところ、レーガーはわたしにとって、厳しい作曲家です。
同じように少し苦手意識をもっていて、とっつきがいまだにままならない作曲家として、時代は相前後しますが、プフィッツナー、ブゾーニ、ヒンデミットらのみなさんがおります。

今回、ライブでレーガー、しかも珍しい「ヒラー変奏曲」が聴けるとあって、苦手打破の絶好の機会かもしれません。

この作品の元主題の作曲家のヒラーさんは、二人いて、どちらもドイツ。
レーガーがその変奏に使ったのは、古い方のヨハン・アダム・ヒラー(1728~1804)で、この方は、ドイツ・ジングシュピールの祖とも言われております。
ちなみに、ジングシュピールとは、モーツァルトの「魔笛」に代表される、民衆にもわかりやすいドイツ語による音楽劇みたいなもの。当時イタリア語やフランス語によるオペラばっかりだったドイツの劇場に市民の目線を植えつけたんです。
そのヒラーのオペラDer Erntekranz」(花輪の収穫?)というオペラの旋律による、主題と11の変奏、そしてフーガを原作者の活躍した同じライプチヒで作曲したのがレーガー。
1907年の作で、曲は、しばしブラームスチックである。
そうまるで、ブラームスがハイドンに魅せられ書いたあの名作のように、レーガーはヒラーの親しみやすい旋律をもとに、ブラームスを心に思いながら書いたに違いありません。

まだまだ練習中のわたくし、CDはヤルヴィとコンセルトヘボウ盤しか持っておらず、ろくに聴きこんでもおりません。
でもきっと、これは聴きこむほどに、味わいの増す、そう、スルメ系の音楽なのかもしれませぬ。最後のフーガのそれこそバッハのオルガン曲を編曲したかのような壮大な盛り上がりは、かなりいいです!
こんな曲だから、モヤモヤしていたら、ますます混沌としてしまいます。
神奈川フィルの音色を活かして、聖響さんには明快な解釈を施してほしいと今から思いますね。
期待しております。

Rachmaninov_sym2_dutoit

プログラム後半は、すっかりお馴染み、ラフマニノフ交響曲第2番

神奈川フィルは、現田茂夫さんの指揮で、すっかり手の内に入った曲です。

わたしも過去聴いて、感涙の涙をちょちょぎらせておりますよ。

そしてラフマニノフ大好きオジサンのわたくし、この曲フェチ男なんですよ。

何度も書いてますが、いまを去ること数十年前の独身時代、新宿のぼろアパートの侘び住まい。冬のしばれる6畳一間で、ホットウィスキー片手に、毎日毎日聴いたのがこの曲。
ちなみに、マーラーとディーリアスとシベリウスにワーグナー、ヴェルディの日々。

わたしの若き日への、ノスタルジー掻き立てる曲のひとつ。

1時間の大曲の隅々に溢れかえる歌、そしてまた歌。
それは募る気持ち抑えがたい故郷への思いを、甘味なロマンティシズムにすっかり置き換えてしまった、やるせないほどに、美しくもドラマテックな音楽なのです。

いま、こうして少し響きの弱いデュトワ盤を聴きつつも、どこもかしこも慣れ親しんだこの曲に心奪われ、陶然としてしまっている自分を見出すんです。
この媚薬的効果をもった音楽の聴きどころは・・・・、そう、最初から最後まで、すべてです!

1楽章のワクワク感を伴ったもりあがりと感傷的な旋律の対比。
打楽器も活躍のリズミカルな2楽章は、中間部のこれまた甘い歌。
そして3楽章は、甘味料たっぷり。聴いた後には皆さま歯をしっかり磨きましょう。
その甘い旋律は、涙に濡れそぼっていて、その憂愁に負けてしまいそう。
クラリネット素晴らしすぎ。
終楽章は、思いきり高揚してもらって、ドキドキさせて、ブラボーと叫ばせて欲しい。

神奈川フィルのラフマニノフ節に超期待sign03
この曲がバカみたいに好きなものだから。

過去記事たくさん。

「スラトキン&セントルイス交響楽団」
「サー・マリナー&シュトッゥトガルト放送響」
「現田茂夫&東京大学音楽部管弦楽団」
「プレヴィン&ロンドン響」

「ハンドレー&ロイヤル・フィル」
「現田&神奈川フィル」
「尾高&東京フィル」
「尾高&BBCウェールズ」
プレヴィン指揮 NHK交響楽団」 
大友直人指揮 東京交響楽団
ロジェストヴェンスキー指揮 ロンドン交響楽団」
ヤンソンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団」
ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団

ちなみに、この曲の最強演奏は、いまだにプレヴィン&ロンドン響のEMI盤でございます。

神奈川フィルの今シーズン・レビューはこれにて終了。

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2012年5月 5日 (土)

マーラー 交響曲第10番 2月神奈川フィル定期

Hibiya_park_1

ゴールデンウィークもあと1日。

私の住む関東・首都圏は日替わりで不安定な天候。

雨や荒天によって災害や事故に遭われた方々には、お見舞い申し上げます。

海沿いの神奈川中西部の実家に帰っても、渋滞と雨ばかりの連休にございました。

連休前の日比谷公園のチューリップを。

パープルとホワイト主体の渋めの庭は、とても美しゅうございました。

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白と紫、高貴なる配色にございますね。

思えば、マーラーの音楽は、いろんな要素があって雑多な印象もあるけれど、基本線は真面目に人生を真っ直ぐ見据えた気品ある存在に思います。

  マーラー 交響曲第10番 D・クック補筆完成全曲版

    金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  2013年 2月15日 (金) 19:00 みなとみらいホール


来年2月の神奈川フィルの定期演目は、マーラー10番の全曲版。
聖響&神奈フィルのマーラー・チクルスのひとまずの最後。

8番は、神奈フィルがきっと晴れて嬉しい日を迎えることができる暁のお楽しみに。

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その全部が聴きどころだけど、とりわけ聴き逃せないのが、ワーグナーとこの10番全曲の神奈川フィル今シーズン定期。

実は、わたくしのブログでは、この全曲版を取り上げるのは、これまで唯一の実演体験の飯森範親&東京交響楽団の演奏会のみ。(過去記事→こちら
音源視聴は、シャイーのベルリン時代のFM音源のCDR化と、ずっと最近のハーディングウィーンフィルのCDとスラトキン盤のみ。
でも、ご厚意により、色んなCDを比較視聴することもできた10番。

ここ1~2年で、ついに、わたしのところにやってきた、というかこちらから10番に近づき好きになった全曲版であります。
何故、こんなに遅くやってきたのか?

それは、わたしがずっと聴いてきたマーラー指揮者たちが10番全曲版を録音してくれなかったことにもあります。
でもそれ以上に、作者オリジナルじゃない補筆作品であることが、どうにもフィルターとしてかかっていて、無意識、いや意識的、に遠ざかる心情になっていた。

でも来ましたよ、ある日突然。

そのある日は、ハーディングとウィーンフィルのこのライブCDを何度も何度も聴いて。
時には、車を運転しながら。

余談ながら、同じ補筆完成版のエルガーの交響曲第3番も同じ運命をたどった曲で、いまではエルガーには3つの交響曲があるものと完全認知しております。

マーラー死の前年、1910年の夏、第9に続いて書き始めたジンクスを破る第10交響曲。
妻アルマと建築家グロピウスとの仲にさいなまれ、自身の体調の変調にも悩んでいたマーラーの心情が反映された音楽といわれます。
5つの楽章で構想され、1楽章アダ―ジョは、ほぼ完成。ほかは、スケッチの状態で残されたのです。
これらのスケッチには、愛する妻アルマへの思いや、それと思われるマーラーの書き込みが残されていて、このスコアを遺品として後生大事に保管したアルマの消し込みなども見られるとされることから、アルマに対する焦がれるような心情の吐露をその音符に乗せようとしていた晩年のマーラーの思いが察っせられる。

マーラーに封印を指示されたアルマも、おそらく、この残されたスケッチの素晴らしさを、感じていたのでありましょう、同時代のゆかりある作曲家にその補筆完成を依頼してます。
 しかし、アルマが当初容認していなかった英国のデリック・クック版がいまやいくつもある完成版の決定稿としての存在を固めつつあるんです。
それでも、クック版には3稿あって、その最終稿が年代的にも新しく、これからの定番となりそう(かも)。
聖響&神奈川フィルも、きっとこちらの版にての演奏。
今日の音源も最終稿。
ラトルと並ぶ10番のスペシャリスト、ハーディングと朋友関係にある聖響さんゆえ。

 第1楽章 アダージョ       25分
 第2楽章 スケルツォ       11分
 第3楽章 プルガトリオ~煉獄  4分
 第4楽章 スケルツォ       12分
 第5楽章 フィナーレ       25分


前後にアダージョ楽章を置き、真ん中にインフェルノの意の煉獄を置き、そこでは短いながら皮相なパロディがたくさん詰め込まれている。
そして、それを挟んで、スケルツォ楽章。

4月定期の素晴らしかったアダージョ楽章が、さらに深まることを期待しましょう。
そして、一度聴いたら妙に忘れがたい2楽章は変転するリズムと主題が聴きもの。
短いけれど、どこか怪しげで、とらえどころない、でもこの愛にあふれたマーラーの曲の一面を伝えてやまない3楽章では、パロディのモザイクを聴き分けたい。
大地の歌の旋律も現れては消える4楽章のスケルツォ、ヴァイオリンのソロも聴きものだし、レントラー風のリズムの取り方も決め手。
この楽章のキモ、終楽章のドラムの強打。
はじめはびっくり。でも、音楽は徐々に浄化されて極めて美しくなってゆく。
無常なる響きも漂わせる、愛と死と、悲しみの音楽は涙誘う美しさ。
とくにフルートいけませんぜ。泣かせちゃ。
きっと、ホールは静寂が包み、その美しさにわれわれ聴衆は息を飲み、涙を浮かべ、楽員と指揮棒の動きに釘付けとなってしまうエンディングを迎えることとなりましょう。

ハーディングの自信に満ちた演奏は、この音楽をおっかなびっくり演奏していた時代が過去のものとなり、マーラーのスタンダードとしてこの曲が確立したかのような堂々たる指揮ぶり。
ウィーンフィルの美音も手伝い、まったく普通に楽しめる未完の作品の完成された完全演奏に感じる。
だが、しかし、こんなに滑らかかつ完璧でいいのだろうか、とうわだかまりも捨てきれない。
美しすぎるから。

わたしには、まだこの10番がわかりません。
ほかの版も、もっと比較して聴いてみたいと思ってます。

そして、来年2月の本番定期を、いろんな見方で聴いてみたいと思います。

10番完成版が聴ける、神奈川フィルの定期会員になるにはお早めに。

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2012年5月 4日 (金)

ニコライ、ハイドン、ブラームス=シェーンベルク 1月神奈川フィル定期


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意地悪な低気圧でかなりの雨に見舞われた連休後半。

でもこれから旬の薔薇はキレイに開きつつあります。

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以前も書いたかもしれません。

薔薇の花の香りを抽出したバラエッセンスは高価なものですが、その最大の産地はインド。
英国の存在の名残であります。

私には薔薇のイメージは、「酒と薔薇の日々」・・・なんていう世紀末的かつ退廃的、かつ自暴自棄的な雰囲気を思い起こすものなんです。

どうにもいけませんね。

神奈川フィルハーモニーの今シーズン定期プログラムを踏破する特集。

今回は、来年1月の定期公演です。鬼笑ってます。

 

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

       2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール

毎シーズン来てくれるシモノーこと下野さん。
そのたび、大胆かつユニークな演目で、わたしたちに前向きな刺激を与えてくれる。
昨シーズンでは、ニールセンにグルダにラヴェルだし、その前は、ラロ、ショパンに矢代秋雄だ。
普通じゃないところが、普通に面白いぞ。

今回の統一テーマは、しっかりウィーンしてます。

古典の前半に、古典回帰したロマン派の作曲家を20世紀のウィーンのユダヤ人が装いも新たにした曲。

センスありすぎ。

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ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲。

言わずと知れたウィーンフィルの創設者ニコライ。

1842年にさかのぼる、みんな大好きウィーンフィルの祖なのですね。

その代表作が、「ウィンザーの陽気な女房たち」でして、かのシェークスピアが原作。
ヴェルディの最後の傑作「ファルスタッフ」と同じにございます。

そのオペラは、どこか憎めない愛すべきサー・ジョン(ファルスタッフ)の女泣かせの悪行を、奥様がたが力を合わせ阻止し、ぎゃふんと言わせる喜劇チックなもの。
まもなく公演が始まるウィーンフォルクスオーパーの来日上演がありますね。
そして、その指揮は、神奈川フィルとは相思相愛のゲッツェル君なんですよ。

ともかく明るく伸び伸びと楽しいのはそのエッセンスが詰まった序曲とて同じ。
生き生きと弾むニューイヤーコンサートみたいな音楽です。
シモノーの飛び跳ねる指揮にピッタシ。

そして今日は、少し重いかとおもわれたけれど、軽やかな足並みのティーレマンと21世紀のウィーンフィルで。

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トランペット協奏曲の最大の名曲、ハイドンのその協奏曲。

このジャンルに、ロマン派以降の作曲家は消極的で、何故かいまに至るまでハイドンのこのコンチェルトが一番有名なのだ。

ヴァイオリンやピアノには、時代を問わず名品がたくさんあるのに、管楽系はあまりに少なく、いまだにモーツァルトが最大最高、という不思議。

どなたか教えてください、この不可思議を。

もちろん、ゼロじゃないわけじゃないのですがね・・・。

ハイドンのトランペット協奏曲は、1796年の作。
3章あるものの短めの明るくも華やかな協奏曲は、カデンツァもしっかりあって、奏者の腕の見せ所。
そしていつも思う第2楽章が、完全にオーストリア国歌そのものにやたらと近いということ。
弦楽四重奏(皇帝)がその国歌なのだけれど、いつも酔って聴いてるので違いがわからん。

それはそうと、マーラーシリーズの数々の輝かしいソロで、その存在感を示した、神奈川フィル首席の三澤さんのソロは大いに楽しみです。
10番の、ホールをつんざく咆哮が甘く優しく変わっていくのを今も耳に残しております。
ハイドンを爽快・軽快に吹いてくれますことでしょう。

わたしのハイドンのこの曲の唯一の音源は、シカゴ響の首席をソロにしたハイドンとモーツァルトの協奏曲集。
指揮はクラウディオ・アバドで、トランペットは名手アドルフ・ハーセス。
こりゃぁぁぁもう、絶品にございますよ。
心地よさといい、目を見張る技巧といい、この楽器を軽々と奏するハーセス様々にひれ伏すのみにござるよ。
アバドの純なるサポートも文句なし。

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ブラームスのピアノ四重奏曲第1番を、オーケストラ作品としてリニューアルしてしまったシェーンベルク。

原作は1861年、編曲バージョンは1937年。

その間、76年の音楽界の流れは急で激しい。

この曲の正規CDは、今日のハンス・ツェンダーとユンゲ・ドイチュ・フィルのものしか持ってません。
あとは、FM録音音源がいくつか。
来年の定期に向け、いくつか聴きたいCDもありまして、それはまたその時にレビューするとして、今回は、過去記事を貼り付けておきます。
手抜き申し訳なし。

>シェーンベルク(1874~1951)はブラームスやJ・シュトラウスが好きだったらしく、ブラームスを通じてモーツァルトのリリシズムや起伏あるフレーズ、切り詰められた構造、組織だった作曲技法などを学んだと言っている。

この曲は、ブラームスの曲だから、どこから聴いても立派なブラームスだけれど、その響きは、新ウィーン楽派の眼鏡を通して見たものになっているところが、実に新鮮。
打楽器がじゃかすか鳴るし、弦の透明で頼りないくらいの鳴らし方も甘味さを誘う。
金管も管も唖然とするくらいに活躍する。
だが、3楽章を黙って聴くと、3番の交響曲の緩徐楽章と兄弟のような雰囲気でホンワカとなる。でも終楽章では原曲のジプシー舞曲風のリズムが、さらに拡張されたかのように、熱いフィナーレを迎えることとなる。<

あと、ブラームスの原曲との比較も必須な次回のレビューです。

シェーンベルクの鋭さと濃密さを基本としつつ、ブラームスらしい大らかさと歌を、下野&神奈川フィルがいかに表現することでししょうか!

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2012年5月 3日 (木)

「皇帝」と「英雄の生涯」 11月神奈川フィル定期


Odawara_chteau1


ライトアップされた夜のお城は、その城が機能していたころには、きっと考えられない美しさなのでしょう。

きっと有事には、かがり火で、赤く燃えるように輝いた城。

こちらは、北条氏の小田原城にございます。

この城のある街に、わたしは高校時代お世話になったのでございます。

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難攻不落と呼ばれた小田原城。

確かに、わたしの通った小田原の街は、海からは平たんだけれど、後背地に箱根を控え奥に行くほど傾斜があって、海と反対側にあった母校へは、坂と百段の階段を経なければ到達しなかった。
その場所は、城の一部でもあったから、いま思えば街全体が城ともいうべき巨大さなのだ。

大昔のことながら、拙者、この城を滅ぼした猿めが憎いぞよ。

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戦には負けたけれども、美味しいものでは負けません。

別館にて既報のお寿司屋さん。こちら→「時よし」さん

こじんまりと上品なお店です。

このアジは、永遠に忘れられない。

こんな小田原を思いながら、「皇帝」と「英雄の生涯」を聴きましょう。

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:ゲルハルト・オピッツ

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  2012年11月23日 (金・祝) 14:00 みなとみらいホール


大物ソリストの登場!
11月の定期は、しかも連休の初日の昼。
晴れる確率も高く、きっと秋の高く澄んだ港の空を望むことができますね。

充実の極みにあるオピッツのベートーヴェンが神奈川フィルをバックに聴ける喜び。
少し苦手な「皇帝」より、「4番」の方が良かったなんて言ったらバチがあたるかな。

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言わずと知れた名曲中の名曲のベートーヴェン「皇帝」。
名曲すぎてなんも言えねぇ~

先に書いたとおり、「皇帝」は少し苦手。
少年時代に聴き過ぎてしまったこともその要因で、構えが大きすぎで華やかに過ぎてしまうこともさらにその要因。
今年1月、本ブログでも取り上げましたが、その時が10年ぶりに真剣に聴いたこの曲なのですよ。
その時は、2楽章の静謐な美しさに感銘を受けました。
ベートーヴェンの本当の姿は、そんなところにあるんじゃないかしら。

ドイツの本流を引くオピッツのベートーヴェンは、わたしの天の邪鬼的な思いを正してくれますでしょうか。

不安は、聖響さんの指揮がベートーヴェンだけにどんなことするのか。
オケに不安はまったくないんですけどね。
でも、思うに、オピッツ主導のベートーヴェンになるんでしょう。
ドイツものばかりでなく、ロシア・北欧ものや、フランスものなども取り上げる柔軟なオピッツゆえに、変わった解釈もするかも・・・・です。

ともかく、今シーズン最大の大物だけに大注目でございます。

今日は、ピアニストとしての比重が高かった頃のアシュケナージと、メータ&ウィーンフィルの演奏にて。
ピアニストとしてのアシュケナージの演奏は、もろ手をあげて誉めちゃいます。
タッチの美しさと濁りのまったくない澄んだ音色は、メータの指揮するウィーンの美質が満載のオーケストラとばっちり溶けあっております。
ことに2楽章は美しい~。

アシュケナージには、もっと若いときのショルティ&シカゴとの共演盤もありまして、そちらを聴いてみたいのはある種のノスタルジーなのかもしれませぬ。

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R・シュトラウス「英雄の生涯」。

1898年、シュトラウス34歳にして、その自らの生涯を音楽で語る。

15ものオペラを書いたオペラ作曲家としてのシュトラウスは、まだ第1作「グンドゥラム」を書いていたのみ。
「サロメ」ですら、あと7年のちなのだ。

賢明なるシュトラウスは、自らの生涯とは言明しなかったが、音楽は明らかにそう。
これまでに書いた交響詩のモティーフが次々と回顧されるし、舌鋒評論家や無知なる聴衆との戦いまでもがパロディとして描かれているわけだから。
愛する女性との濃厚ラブシーンもあるくらいの厚顔無恥っぷりは、これまた純粋明朗快活たるシュトラウスならでは・・・。
最後は、妻にみとられて死んじゃう。

繰り返しますが、34歳にしてこれですから、ある意味幸せすぎるシュトラウスなのですよ。

以下の部分から成り立っております。

 ① 英雄 
 ② 英雄の敵 
 ③ 英雄の伴侶 
 ④ 英雄の戦場 
 ⑤ 英雄の業績 

 ⑥ 英雄の隠遁と完成

フルオーケストラの大迫力が味わえる「ツァラトゥストラ」と同様のオーディオ向けの曲。
ということは、実演で聴くと最高の興奮が味わえるということ。

ダイナミックで勇壮な出だしから、戦場の場におけるド迫力は、パーカッションが炸裂し、ホールを圧するサウンドが腹の底に響くことでありましょう。

そして、そしてですよ、この曲の魅力は、ソロコンサートマスターの大活躍。
CDでも、必ずコンマスの名前がクレジットされちゃいます。
有力オケの名物コンマスがこれまで何度もその名を刻んできた曲でもあるのです!
我らが神奈川フィルの石田コンマスがついに「英雄の生涯」をやってくれます。
まさに、「俺さまの生涯」となるでしょうか。
聖響さんも、マーラーの流儀で、素直にオケを信じ、音楽だけを鳴らして欲しいところ。

今日の音源は、ちょっと次元が高すぎますが、ハイティンクシカゴ響の2008年のライブですよ。
これはまたなんとも完璧かつ、音楽をする行為が最高度に行きついた凄演なのだ。
11月定期の前に、コンセルトヘボウとの旧盤と合わせてまた書きたいと思いますが、年輪が刻んだ「英雄の生涯」には、奢りも高ぶりも一切なく、音楽のみがそこに存在する感ありです。
この録音の1年後、わたしはサントリーホールで、このコンビのこの曲を聴きました。
マーラーの6番と合わせて、それはいくつかある生涯忘れえぬ演奏のひとつにもなっております。 (過去記事こちら

「英雄の生涯」の聴きどころは、あと⑥の生涯を振り返り、しみじみとする場面。
若い筆ではありますが、ここをいかに味わい深く演奏できるか、ハイティンクは文句なし。
そしてこの曲の名演に名を連ねる音盤の数々も素晴らしい人生回顧を音に残しております。
おっと、それと、このシカゴ盤のカップリングは、ウェーベルンの「夏風の中に」なのですよ。
この素晴らしく美しい音楽にハイティンクが取り組んでくれたことも感謝。
神奈フィル定期のウェーベルンにひと花咲かせるような符合にございました。

聖響さんのベートーヴェンとシュトラウス演奏の試金石となりそうな11月定期なのでした。

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2012年5月 2日 (水)

ブラームス、ウェーベルン、J・シュトラウス・ラヴェル 10月神奈フィル定期

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銀座の歩行者天国です。

こちらでは、日本人の行動は控えめ、いま元気のいい隣国諸国の方々は大胆かつ元気でございます。

かつての我が邦も、海外ではそのように映っていたのでございましょうな。

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銀座通りを新橋方面へ、8丁目あたり、「資生堂パーラー」さんです。

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原色を廃したとりどりのパステル色使いが、とても美しく、曼荼羅のようにございます。

神奈川フィルハーモニーの今シーズン定期プログラムを踏破する特集。

今回は、10月の定期公演です。

 
  ブラームス   ヴァイオリン協奏曲

         Vn:シン・ヒョンス

  ウェーベルン  小管弦楽のための交響曲

  J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」

  ラヴェル     「ラ・ヴァルス」

   キンボー・イシイ=エトウ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団


  2012年10月12日(金) 19:00 みなとみらいホール

石井さんと江藤さんが、ふたりで指揮するみたいな感じだけれど、日本の血を引くアメリカの指揮者ひとりにございます。
日本のいろんなオーケストラに客演して好評を博してますし、アメリカでかなりの実績をあげ、ドイツでは中世の色香ただようマグデブルク劇場の音楽監督としてオペラにコンサートにと活躍中の指揮者です。

神奈川フィルには2回目の登場で、2年前のコンサートでは半信半疑のワタクシが恥じ入るほどの素晴らしい名演を繰り広げてくれました。
オーケストラの統率力、指揮の技巧、勘所を押さえた聴きやすさ、そしてステージマナー、すべてがナイスなイシイ=エトウさんだったのでした。
前回の演奏会は、こちら→

Brahms_violinconcert_milstein

演奏会でかけられる古今のヴァイオリン協奏曲では、チャイコフスキーと並んで、トップかもしれない、ブラームスの作品。
神奈川フィルでは何度も聴いてますが、ここでもシュナイト師の演奏がいまだに耳に残っております。

前にも書きましたが、ブラームス・オケでもある神奈川フィルから、イシイ=エトウさんはどんな響きを引き出してくれるのでしょうか。

韓国の若いシン・ヒョンスのヴァイオリンも注目。

彼女はまだ20代。技巧と、かの国の諸先輩のように情熱を持ったヴァイオリニストのようだ。
ロン・ティボーコンクールの覇者でもありつつ、KPOP風の可愛い子(みたいです)。

今日は、10月の演奏会とは、おそらく180度違うでありましょう、熟練の奏者と指揮者の味わい深い組み合わせのブラームスをあえて聴きました。

ナタン・ミルシュテインとオイゲン・ヨッフムの老熟コンビに、70年代のウィーンフィル。
もう何も言うことはありませんね。
当初、メン・チャイと同様にアバドの指揮が予想されたが、ふたを開ければ、ヨッフム。
希少な組み合わせによるブラームスが実現しました。
渋さを通りこして、明るささえただよう大人の世界。
名人同士の無為の境地。

その正反対かもしれない、積極的かつ若さみなぎるブラームスにも期待しましょう。

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9月に続いて、10月もウェーベルン
それも、めったに聴けない交響曲とは。

このような曲を定期に持ってくる英断を讃えたい。

少ない作品の中でも、もっとも難解な部類の曲のひとつがこちら。

交響曲とありますが、演奏時間は10分。
師シェーンベルクの12音技法を用いての、室内規模のミニ交響曲は、1楽章のソナタ形式と2楽章の変奏形式のふたつの楽章からなります。
同じく師の室内交響曲を意識していたかどうか。
でもそれ以上に自由に、別次元に羽ばたいてしまった感のあるウェーベルンで、初演の際は、聴衆の笑いを誘ってしまったとあります。
それほどまでに、当時としては実験的、アヴァンギャルドに満ちていたわけなのでしょう。
いまでも、とらえどころない、明滅する10分間、いかに聴くかを鋭く問われてしまうようです。
前にも書いたとおり、「研ぎ澄まされた緊張感」を体現できます。

完璧極まりないブーレーズとベルリンフィルの演奏ではありますが、神奈川フィルの華奢な美音で聴くウェーベルンはどうでしょうか。

Wien_waltze

ブラームスが前半で、ウェーベルン以降が後半という、一見短いが、味わいに溢れた演奏会。
ブラームスも魅惑した、Jシュトラウスファミリーのワルツを持ってくるという、普通の演奏会では考えられない大胆な布陣。
しかも、前はウェーベルンなんですから!

ウィーンを魅惑したワルツは、R・シュトラウスが引き継ぎ、退廃的なまでの甘味なワルツをオペラや交響詩に組み入れた。
ウィーンを舞台にした、「ばらの騎士」のワルツを思い起こしながら聴くJ・シュトラウスの円舞曲もいいかもしれない。
シュトラウスが「ばらの騎士」で描いたモーツァルトもいた時代にはワルツの概念はなかった。

新ウィーン楽派の面々は、Jシュトラウスのワルツを室内系に編曲したりしていて、彼らのウィーンへのオマージュの精神がいかに強いかを伺い知ることもできます。

ゴージャスな「皇帝円舞曲」は、ウィーン華やかななりしハプスブルク帝国のお姿を伺い知ることができましょう。
1889年の作品で、このあと20年くらいで第一次大戦が巻き起こり、オーストリア帝国は終焉を迎えるのであります。

この曲をいにしえ風のヨゼフ・クリップス指揮のウィーンフィルの演奏で聴くと、かつての古き良きウィーンへのノスタルジーに満たされ、東洋人たる私どもも、あぁ、あの頃は良かったなぁ・・・・なんて想いにつまされてしまうんです。
時代を経た丸っこい録音にも哀愁を感じます。

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オマージュといえば、J・シュトラウスのウィンナ・ワルツへの想いがノスタルジックに結実したラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
自身、参戦もし、苦しい思いもした第一次大戦が終わってから書かれたバレエ音楽は、12分くらいの長さの中に、めくるめく魅惑のワルツと甘味かつ感傷的なシーンに溢れた、あまりにステキでお洒落な音楽なのです。

わたくしは、ラヴェルの音楽の中で、「ラ・ヴァルス」が一番好きかもです。

ワルツの3拍子は、耳に、脳に、そして体へとスルッ~と、入り込んできて、いかに聴く人を魅惑してしまうことでしょうか。
ラヴェルの音楽は、シュトラウス・ファミリーの明るく華やかで、気持ちを解きほぐす音楽以上に、人の五感にも完全に入り込んでくる音楽です。
ここにはもしかしたら、香りや味覚すら潜んでいるように感じるんです。

若きプレヴィンとロンドン響の演奏は、意外なまでの渋さもも持ちつつ、華やかさも欠けてません。
にちのウィーンフィル盤とともに、プレヴィンならではのビューティフルな演奏に思います。

イシイさんエトウさん。きっと神奈フィルにばっちり合ったこの曲で、爆発的な名演を聴かせてくれそうな予感がします!

いまからやたらと楽しみな10月なのでした。

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2012年5月 1日 (火)

へっぽこすぎる、モガベイ

Baystars

いいかげんにせんかい!!!!!!!!!!!


負け方が弱すぎる。

美しすぎるゼロ行進。

weepweepweepweepweepweep泣けるぜ・・・・・

求む格差是正。

こうなったら何でもありだ、好きなことやれい。

神奈川フィルシリーズやってますんで、美しくないのですぐ消します。

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