ディーリアス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
連休中の数少なかった青空に映える「ハナミズキ」。
アメリカに送ったサクラに対するハナミズキ。
どっかの首相がアメリカ帰りに貰ってきたことはともかくとして、このアメリカヤマボウシとも言われる樹木はなかなかに美しい。
まだ開かずに、下に落ちていたものを手にしてみましたよ。
真ん中の小さなものが花の集合。
一青 窈の「ハナミズキ」の素敵な曲を思うと、なんだか涙ぐんでしまいます。
儚い思いと希望をどこか感じるハナミズキでした。
ディーリアス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
Vn:ユーディ・メニューヒン Vc:ポール・トルトゥリエ
メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
わが最愛のディーリアス(1862~1934)。
ディーリアスの協奏曲作品は、4つ。
ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。
いずれも、3つの楽章を持ち、ソロとオケが対峙するという協奏曲のイメージからは遠く、ソロもオケも、ディーリアスの持つ幻想的かつ感覚的な音楽の中に流れるように存在する感じです。
そしてどの協奏曲も、楽章の切れ目がなく、とぎれることなく音楽がつながっている印象を受ける。
コンサートでは、間違いなく演奏効果を上げにくい曲たちなので、演奏会には取り上げられることは稀であります。
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲は、1916年、ヴァイオリンとチェロ奏者の、メイとピアトリスのハリソン姉妹の勧めによって書かれ、その初演時には「大戦で散ったすべての若い芸術家たちの追悼のために」という一文が添えられたそうです。
(三浦淳史先生の解説より)
先に記したとおり、同編成のブラームスのようなダブル・コンチェルトと呼ぶに相応しい恰幅のよさは、ここにはまったくといっていいほどありません。
協奏曲というより、「エレジー」(哀歌)のようであります。
事実、中間部は、まさに哀歌とも呼ぶべき美しくも儚い旋律が流れます。
こうして、ディーリアスならではの、遠く昔を眺めるようなノスタルジックな雰囲気にも覆われているんです。
単一楽章ではありますが、ABAの3部構成。
先の哀歌は、Bに現れます。
そして第1部Aは、少しばかり重い足取りの後ろ髪引かれる悲しい序奏がとても印象的。
英国音楽らしい行進曲風の旋律もおりまぜながら、でもなかなかに取りとめない音楽が続くA部分。
そして、この曲一番の聴きどころの哀しみと懐かしさに満ちたBの緩徐楽章部分。
このディーリアスならではの、茫洋と輪郭の定まらない曖昧な世界に、わたしは心の安らぎを覚える。
いつもながら、故郷の夕暮れや山の頂きに海などを思う。
AとBの総集編のような最終3部は、威勢のいい場面やソロたちの名技性を披露する場面などを経て、序奏が静かに懐かしく回顧され、エレジーとともに、ハープやフルートに送られながらソロ楽器の消え入るような哀歌でもって静かに終わります・・・・。
かつてはこの演奏しかなかった、わたしのディーリアス作品のルーツ盤のアンソロジーLPから。
もうなにもいうことはありません。
この盤と、タスミン・リトルとウォールフィッシュ&マッケラス盤も愛聴してます。
そして、タスミンが二度目の録音をヴァイオリン協奏曲とともに残しているので、そちらも聴いてみたいと思っております。
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コメント
ご無沙汰しております、申し訳ございません。
タスミンの2度目も気になりますが、この二人の、想いのたけを込めて歌い切ったような演奏が大好きです。
2部はディーリアスらしい儚さですし、私は3部後半のVnとVcがユニゾンで感極まったかのように奏される部分などには思わず涙です。
胸をかきむしられるような郷愁、といったら言い過ぎでしょうかね。
私には技巧云々を超えた名演奏です。
投稿: Tod | 2012年5月17日 (木) 19時52分
Todさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
こちらこそ、英国ネタがしばらくご無沙汰、申し訳ございませんでした。
この素敵な曲を、ご理解し愛する方がいらっしゃって、とてつもなく嬉しいです!
ご指摘のとおり、2部と3部の終わりの方、ディーリアスの真髄ですね。
実家で聴くのが理想ですが、どこで聴いても、いつしか、長く過ごした家や故郷を思い巡らしてしまう、そんな音楽です。
そっとしておきたい音楽、そして騒がれたくない名演のひとつですね!
投稿: yokochan | 2012年5月18日 (金) 00時12分