ニコライ、ハイドン、ブラームス=シェーンベルク 1月神奈川フィル定期
意地悪な低気圧でかなりの雨に見舞われた連休後半。
でもこれから旬の薔薇はキレイに開きつつあります。
以前も書いたかもしれません。
薔薇の花の香りを抽出したバラエッセンスは高価なものですが、その最大の産地はインド。
英国の存在の名残であります。
私には薔薇のイメージは、「酒と薔薇の日々」・・・なんていう世紀末的かつ退廃的、かつ自暴自棄的な雰囲気を思い起こすものなんです。
どうにもいけませんね。
神奈川フィルハーモニーの今シーズン定期プログラムを踏破する特集。
今回は、来年1月の定期公演です。鬼笑ってます。
ニコライ 「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
ハイドン トランペット協奏曲
Tr:三澤 徹
ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番
下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール
毎シーズン来てくれるシモノーこと下野さん。
そのたび、大胆かつユニークな演目で、わたしたちに前向きな刺激を与えてくれる。
昨シーズンでは、ニールセンにグルダにラヴェルだし、その前は、ラロ、ショパンに矢代秋雄だ。
普通じゃないところが、普通に面白いぞ。
今回の統一テーマは、しっかりウィーンしてます。
古典の前半に、古典回帰したロマン派の作曲家を20世紀のウィーンのユダヤ人が装いも新たにした曲。
センスありすぎ。
ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲。
言わずと知れたウィーンフィルの創設者ニコライ。
1842年にさかのぼる、みんな大好きウィーンフィルの祖なのですね。
その代表作が、「ウィンザーの陽気な女房たち」でして、かのシェークスピアが原作。
ヴェルディの最後の傑作「ファルスタッフ」と同じにございます。
そのオペラは、どこか憎めない愛すべきサー・ジョン(ファルスタッフ)の女泣かせの悪行を、奥様がたが力を合わせ阻止し、ぎゃふんと言わせる喜劇チックなもの。
まもなく公演が始まるウィーンフォルクスオーパーの来日上演がありますね。
そして、その指揮は、神奈川フィルとは相思相愛のゲッツェル君なんですよ。
ともかく明るく伸び伸びと楽しいのはそのエッセンスが詰まった序曲とて同じ。
生き生きと弾むニューイヤーコンサートみたいな音楽です。
シモノーの飛び跳ねる指揮にピッタシ。
そして今日は、少し重いかとおもわれたけれど、軽やかな足並みのティーレマンと21世紀のウィーンフィルで。
トランペット協奏曲の最大の名曲、ハイドンのその協奏曲。
このジャンルに、ロマン派以降の作曲家は消極的で、何故かいまに至るまでハイドンのこのコンチェルトが一番有名なのだ。
ヴァイオリンやピアノには、時代を問わず名品がたくさんあるのに、管楽系はあまりに少なく、いまだにモーツァルトが最大最高、という不思議。
どなたか教えてください、この不可思議を。
もちろん、ゼロじゃないわけじゃないのですがね・・・。
ハイドンのトランペット協奏曲は、1796年の作。
3章あるものの短めの明るくも華やかな協奏曲は、カデンツァもしっかりあって、奏者の腕の見せ所。
そしていつも思う第2楽章が、完全にオーストリア国歌そのものにやたらと近いということ。
弦楽四重奏(皇帝)がその国歌なのだけれど、いつも酔って聴いてるので違いがわからん。
それはそうと、マーラーシリーズの数々の輝かしいソロで、その存在感を示した、神奈川フィル首席の三澤さんのソロは大いに楽しみです。
10番の、ホールをつんざく咆哮が甘く優しく変わっていくのを今も耳に残しております。
ハイドンを爽快・軽快に吹いてくれますことでしょう。
わたしのハイドンのこの曲の唯一の音源は、シカゴ響の首席をソロにしたハイドンとモーツァルトの協奏曲集。
指揮はクラウディオ・アバドで、トランペットは名手アドルフ・ハーセス。
こりゃぁぁぁもう、絶品にございますよ。
心地よさといい、目を見張る技巧といい、この楽器を軽々と奏するハーセス様々にひれ伏すのみにござるよ。
アバドの純なるサポートも文句なし。
ブラームスのピアノ四重奏曲第1番を、オーケストラ作品としてリニューアルしてしまったシェーンベルク。
原作は1861年、編曲バージョンは1937年。
その間、76年の音楽界の流れは急で激しい。
この曲の正規CDは、今日のハンス・ツェンダーとユンゲ・ドイチュ・フィルのものしか持ってません。
あとは、FM録音音源がいくつか。
来年の定期に向け、いくつか聴きたいCDもありまして、それはまたその時にレビューするとして、今回は、過去記事を貼り付けておきます。
手抜き申し訳なし。
>シェーンベルク(1874~1951)はブラームスやJ・シュトラウスが好きだったらしく、ブラームスを通じてモーツァルトのリリシズムや起伏あるフレーズ、切り詰められた構造、組織だった作曲技法などを学んだと言っている。 この曲は、ブラームスの曲だから、どこから聴いても立派なブラームスだけれど、その響きは、新ウィーン楽派の眼鏡を通して見たものになっているところが、実に新鮮。
打楽器がじゃかすか鳴るし、弦の透明で頼りないくらいの鳴らし方も甘味さを誘う。
金管も管も唖然とするくらいに活躍する。
だが、3楽章を黙って聴くと、3番の交響曲の緩徐楽章と兄弟のような雰囲気でホンワカとなる。でも終楽章では原曲のジプシー舞曲風のリズムが、さらに拡張されたかのように、熱いフィナーレを迎えることとなる。<
あと、ブラームスの原曲との比較も必須な次回のレビューです。
シェーンベルクの鋭さと濃密さを基本としつつ、ブラームスらしい大らかさと歌を、下野&神奈川フィルがいかに表現することでししょうか!
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