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2012年6月

2012年6月30日 (土)

ドビュッシー 管弦楽のための「映像」 クリュイタンス指揮


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熊本、天草市大江にある「大江天主堂」

カトリックの教会です。

先だって、天草で仕事があり、それは今後に布石を打つような会への出席だったけれど、そこでの美しい海の風景は、晴れてあまりに美しかったのですが、でもお仕事ゆえ、写真を撮るような環境にはなかったのです。
でも、翌日の休日に、以前から訪れたかった天草下島の切支丹教会へと車を走らせたのでした。
しかし、雨。

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山の中腹に位置するように見える教会は、ちょっと南国風で、しかもかつての村の中心にあったようにも思わせる存在。

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教会から見下ろすと向こうには海が見えます。

あいにくの雨で、煙ってしまいましたが、この海から宣教師たちが危険を顧みず、遠い日本にやってきたのであります。

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カトリック教会ですから、聖母マリア、そして立派なルルドの泉がありました。

これもまた南国風にございましたね。

内部はロマネスク様式の壮麗な造りで、心休まる静寂の空間です。

禁撮影でしたので、ここでは公開しません。

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近くにある、「天草ロザリオ館」では、天草キリシタンにまつわる資料や品々が展示されてます。
天草島原の乱で全滅したと思われていた切支丹たちが潜行して、禁教の厳しい弾圧のなか、独自の姿にその教えを変えて守ってきた信仰。
マリア観音とか、お経を壺に封じこめてしまう経消しの壺、さらには踏み絵など、しばし、過去に思いを馳せながら過ごしたのでございます。

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  ドビュッシー 管弦楽のための「映像」

   アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団

             (1963.9 パリ)


ピアノに続いて、オーケストラのために書かれた「映像」を。

管弦楽の分野でも、印象主義としての作風を確立していた充実期にあったドビュッシーの最後の純粋オーケストラ作品。

 1.「ジーク」

 2.「イベリア」
     
     ①「町の道や田舎の道で」

     ②「夜の香り」

     ③「祭りの日の朝」

 3.「春のロンド」


イギリス、スペイン、フランスのそれぞれの民謡や舞曲を素材として取り入れ、それらを単なるモティーフとするわけでもなく、それらを各国の雰囲気、印象として扱った音楽。
だから単なる表題音楽や交響詩的なものでもないところが、ドビュッシーたる由縁。

「イベリア」ばかりが単独で抜き出されての演奏に録音と、やたらと有名だけれども、全3部作を一挙に聴くことが一番よろしい。
各国の、それこそドビュッシーが感じた英・西・仏の雰囲気をふんだんに楽しむことができる。
でも、イベリアばかりが長くて、ほかはちょっと短めなのが何故だろう。
作曲の順番が、イベリア→ロンド→ジークとなっていることも、特にジークでは苦労したらしい。
それと、当時のヨーロッパでのスペイン・ブーム。
ピアノの映像では、ジャポニズムの影響が色濃く出ていたのに、こちらは「イベリア」ゆえに、スペインカラーが強い。
かつての超大国、スペインは当時、海外の植民地を次々に失い、国内もきな臭くなっていた時期。
いまもいろいろと気になる国ではありますな。

音楽の方は、スペインの湧きあがる血と、濃密な夜を感じさせる「イベリア」がやはり聴きごたえありますが、茫洋とした中に光が満ちてくる感じの「ジーク」に、キラキラした中にも、どこか哀愁さそう「春のロンド」。

これの演奏は、今日は、匂い立つような芳香あふれるクリュイタンスパリ音楽院の音盤で。この品のあるドビュッシーは実によろしゅうございます。
当時のパリの管楽器のこ洒落た、そしていくぶん鄙びた響きもとても素敵なもので、このコンビのラヴェルとともに、至芸品として末永く記憶されるべきものに思います。

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天草市内、本渡を走行中前を走るバス。

こんな色っぽい市バスが。危ないぜ。

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雨の有明海沿いを走ると、前方から電車。

三角線(あまくさみすみ線)でございます。

味がありすぎだぜ。

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2012年6月28日 (木)

ドビュッシー 「映像」第1集・第2集 ミケランジェリ

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尾道の坂。

勾配のある坂に、家や寺社が張り付いている、そんな風情ある尾道。

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対面は、瀬戸内、そして向島。

こじんまりと、そして実にほのぼのとした街なんです、尾道。

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坂の途中途中に立派な寺社が毅然と存在してます。

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こんな立派な三重の塔。

天寧寺は、山にはりついたような素晴らしい塔でした。

春は桜が美しいそうな。

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猫の道もあります。こちらは、またあらためて。

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約3分の航路、向かいの島への便は、ひっきりなしに出てました。

朝ドラの「てっぱん」のロケ地ですな。

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おいしいタコ。歯ごたえあって、甘さもあるんです。

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ちょっと見た目がアレですが、肉づきよくかつ締まりのある身がおいしいシャコ。

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そして、尾道ラーメンですよ。

発祥ともいえる朱華園は、遅かったし、行けなかったけれど、駅前で。

いりこ出汁と鶏ガラのすっきりスープに、豚の背脂。

おいしゅうございましたね。

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尾道港の朝。

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 ドビュッシー 映像第1集 第2集

 

    ピアノ:アルトゥール・ベネデッィ・ミケランジェリ

               (1971.7 @ミュンヘン


ドビュッシー(1862~1918)の「映像」は、全部で3集からなります。
いずれも3つの章からなり、第1と第2集は、ピアノのために、第3集は、オーケストラのために書かれてます。

われわれが思い描く、印象派的なドビュッシーの音楽の典型を、これらの「映像」3部作に聴くことができます。

ことに、ピアノによる1集と2集は、そのタイトルも含めて、淡さと、模糊とした中にキラリとした輝きを聴くことができて、聴くわたしたちを幻想と霊感の世界へと誘うのでございます。

  第1集 「水の反映」

  
       「ラモーを讃えて」

       「動き」

  第2集 「葉ずえを渡る鐘の音」

       「荒れた寺にかかる月」

       「金色のさかな」


これらの邦訳、ほんとに詩的なものに感じます。

ことに第2集などは、ジャポニズムの影響下に、タイトル以上にエキゾシズムがあふれておりまして、われわれ日本人の感性とはちょっと違いながらも、感覚的には大いに共感できる音世界なのです。
1905年と07年の作品。
時代的には、完全な世紀末。
でも、フランスにあったドビュッシーは、脱ワーグナーをはかり、自由で官能とは無縁の禁欲的、かつ感覚的・点描的な音楽にあった。

「映像」は、高校時代にFMで毎日夕方放送していたクラシックリサイタルを録音して、来る日も来る日も聴いておりました。
だから、どこか懐かしい思いも付随するこの「映像」なのでした。

そして、いまは、なんといっても、ミケランジェリの磨き抜かれた詩的かつ美的なピアノが抜群に、どうしようもないくらいに素晴らしく、これ聴いちゃうと、他はもうどうでもよくなっちゃう。
難点は、パーフェクトにすぎるところか

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向島に向かう夜の連絡船。

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2012年6月27日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 アバド指揮

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楽員が去ったあと、ひとり呼び出され喝采に応えるアバド

いまから10年前の、イタリアは、パレルモにおけるヨーロッパコンサートの模様です。

病気から復活後2年、いまだ頬は少しこけてますが、表情にハリがあり、とても元気そう。

10年後の今と、そんなに変わらない姿を、久々に観るこの映像で確認できました。

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    ベートーヴェン 「エグモント」序曲

    ブラームス   ヴァイオリン協奏曲

             Vn:ギル・シャハム

    ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界から」

    ヴェルディ     歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (2002.5.1@パレルモ マッシモ劇場)


アバドが創設したベルリンフィルのヨーロッパコンサートは、1991年からスタートし、文字通りベルリンフィルが馴染みの指揮者たちと、ヨーロッパ各都市の、それも由緒ある場所を選択して5月に行う演奏会で、ラトル時代となった今も、毎年行われております。

2002年のこの記録は、アバド時代最後の演奏会。

シチリア島の北部にある街で、このDVDにも、パレルモの紹介映像があって、その美しさにわたしは見とれてしまいました。
ここは、イスラムやノルマン、フランスやスペインの治下や影響下にあった歴史もあり、その文化も独特みたいです。
この映像で出てくる人々も、その風貌はエキゾティックですよ。

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そして、ここマッシモ劇場は、バロック様式のゴージャスな雰囲気。
1997年に復活した劇場で、アバドや小澤さんの弟子、アントン・レックの尽力でもって、イタリア的でない、ユニークな劇場としての存在を確立してます。
レックのCDで、ベルクの「ルル」が出てますが、これがまたなかなかのものです。
ワーグナーゆかりの地でもあり、来シーズンは「リング」上演があるみたいで、その指揮はインキネンです。

この熱き血の流れる南イタリアの聴衆の熱烈なる反応は、昨日のウィーンの聴衆と大違いで、映像で観ていも、思わず目頭が熱くなってしまうくらいに、惜しみない拍手や歓声がアバドに対して向けられておりました。
そんな空気も後押しするかのように、このコンサートは、最初から最後まで、いや最初の「エグモント」からピリピリとした緊張と熱気を孕んでいるのに、そこからどんどん素晴らしく、熱く、そしてオケも聴衆のアバドの指揮と一体になって、「新世界」の終楽章では、もの凄い盛り上がりでもって魅せるのであります。

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シャハムのヴァイオリンは完璧。
汗だくで、楽器がしたたかなまでに濡れてしまうほどの熱中ぶりだが、その音は常に均一で、高感度を保っていて、どんなフレーズにも空虚感はなく、意味合いがこもってる。
技巧の素晴らしさは目にあまるくらいだが、それがメカニカルに感じないのは、音色の美しさも均一だからこそ。
クールで熱いシャハムです。

そしてアバドの「新世界」。

5年前の97年にもライブ録音をしているが、そちらも、柔軟で歌心にあふれたユニークな新世界だった。
そしてこのパレルモ盤は、熱い聴衆を背景にしたライブの感興も手伝って、より自在でのびのびとした解釈となっていて、時に驚くほどのアッチェランドがかかったり、その一方で、しみじみとしてみたり、そして圧巻は、聴き惚れてしまうほどの抒情の雫を感じる「ラルゴ」。
ベルリンの名手たちも、自分たちでお互いに聴き惚れて、うっているのがわかる。
素晴らしい「新世界」です。

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アンコールは、ご当地もののヴェルデイ。
パレルモを舞台にした「シチリアの晩鐘」では、「ああ、パレルモ」というバスのアリアがあまりにも素敵で、アバドはギャウロウと録音もしてます。
そして、この序曲は、ドイツのオーケストラとは思えない、カンタービレ満載の明るくも強靱な歌をベルリンフィルから引き出しております。
天井から聴衆が撒いた色とりどりの花々を、楽員さんたちは、思いおもいに胸や楽器に添えて奏でる、この素晴らしいヴェルディ。

アバドも楽員も、ときに笑みを浮かべながら、そして互いの音色を聴きながら楽しそうに演奏に興じる姿。(某日本人だけ、少し硬いかな・・・)
こんな姿こそ、アバドが、カラヤンのあとスーパーオーケストラにもたらしたものかもしれません。

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いつまでもいつまでも、元気に活躍をして欲しいクラウディオ・アバド。

これまでずっと共にありました。
    

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2012年6月26日 (火)

R・シュトラウス 「エレクトラ」 アバド指揮

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6月26日は、わが敬愛するクラウディオ・アバド、79歳の誕生日です。

アバド唯一のR・シュトラウスのオペラ演奏の「エレクトラ」をDVD鑑賞します。

おまけに、このところずっと、R・シュトラウスづいてますよ。

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オペラのジャンルは、オーケストラとともに、わたくしの基本ジャンル。
そして、いつも書きますが、オペラでは、ワーグナー、シュトラウス、プッチーニ、そしてモーツァルト、ベルク・シュレーカー・コルンゴルトなどを愛する音楽生活。

だから、R・シュトラウスの音楽には、常に歌の付随するオペラを感じます

金曜の金さんの指揮に欠けていたのは、やはり歌でしょうか。

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 エレクトラ:エヴァ・マルトン      クリテムネトラ:ブリギッテ・ファスベンダー
 クリソテミス:チェリル・ステューダー オレスト:フランツ・グルントヘーバー
 エギスト :ジェイムズ・キング     オレストの後見人:ゴラン・シミック
 クリテムネスタラの従者:ワルトラウト・ウィンザウアー、佐々木典子
 その他

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団

         演出:ハリー・クプファー

                       (1989年 @ウィーン国立歌劇場)


ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代の上演のDVD。

デビュー時代から、ずっとアバドのレパートリーを把握し、自身アバドを70年代からずっと聴いてきて、驚きだったのが、このR・シュトラウスの「エレクトラ」。

それまで、R・シュトラウスは、交響詩の有名どころを演奏ぐらいだったのに、そしてオペラなら、アバドの資質からいったら、「アリアドネ」や「ダフネ」以降の作品だろうと思っていたのに、「エレクトラ」だったなんてことが驚きだった。

シュトラウス44歳、1908年の「エレクトラ」は、15作中のオペラ4作目で、交響作品作曲家として確たる地位を築いたシュトラウスが、前作の「サロメ」でオペラ作曲家としてもビッグネームとなった次ぎの作品。

シュトラウスのオペラにおける作風の変遷は、数日前に書いたとおりで、このエレクトラはサロメとともに、その素材選に、古代の禍々しく血なまぐさいリアルな古典劇を基にしている点。
 そして、ライトモティーフの多用による音楽造りは、まさに劇ともタイトルされるとおり、ワーグナーの延長上にある。
同様に、「サロメ」との共通項は、時代背景は別としても、異常なまでのエキセントリックな女主人公と、その対軸にある、母と義父。ともに不倫という異常なシテュエーション。
加えて、それに天誅を下さんとするヨカナーン、そしてオレスト。
声質もすべてにおいて同じ。
サロメ歌いは、そろってエレクトラを歌うし、ヨカナーン=オレストです。

唯一、異なる存在は、女性的・母性的な存在であるクリソテミス。
この役にも、力のあるソプラノを要求するところが、短いのに有力歌手を要求する、この作品の上演を興行的にも阻む一因なのです。

それらとは異なる点の最大のものは、サロメは、まだ調性が維持されつつも、異国風・異次元風のミステリアスな空気を醸し出す抜群の筆致の境地にあること。
そして甘味で官能的な響き。
 エレクトラでは、それらに加え、さらにバージョンアップしたかのようの分厚く、濃厚、ヒステリックなまでの強烈なサウンド。
調性は、無調に域にも達することもあり、リズムもバーバリスティックな局面が多々続出し、観劇する側を、異常な興奮に巻き込む効果にもあふれている。
そして、一方で、メロディアスで、いかにもシュトラウスともいうべき、これもまた聴き手を引きこむやるせないまでの魅惑の旋律も続出する。

ここにおいて、シュトラウスは、当時の前衛の最前線に踊り出たのでございます。

こんな劇的で激しい「エレクトラ」をアバドが当時、どのように取り組んだか。

当時の、聴衆が下した反応は、ブラボー半分、ブーイング半分。

暗いモノトーンで、妖気的なクプファーの演出も助長したかもしれない。

DVDでは、音のバランスが調性されているかもしれないから、オケも舞台の歌手もバランスよくしっかりなっている。

それでも、充分感じるのは、オーケストラピットの音が抑制され、色彩も渋いくらいに刈り込まれていること。
音楽は、しばし、その演出の色合いのようにモノトーンで、劇中人物の心情に即したように、それぞれの隠された秘密や心に秘めた狙いのように静かに潜行している感じ。
 でも、その思いは、エレクトラと死んだと思われていた弟オレストが、出会い、お互いを知る爆発的なヶ所に、最大のピークにもってきたのような感動的な盛り上がりを見せるにおよび、その後の爆発的な音楽を一気に聴かせてくれる。
これを聴き、観ていて、わたしは、アバドの「シモン・ボッカネグラ」の父と娘の出会いのクライマックスを思いだしてしまった。

これがあるにも係わらず、劇場にいた聴衆の不満は、当時の批評によると、抑えきった鳴らないオーケストラにあったようだ。
シュトラウスのオペラの難しいところは、ワーグナー以上に、オーケストラ技法の熟練の域に達した作曲者の描く巨大オーケストラが、思い切り鳴りがよく書かれているのに対し、その上を突き抜けるように、舞台の声を客席に届けなくてはならない。
指揮者の力量がいやというほど問われるところ。
まして、このクプファーの舞台は、暗く奥と天井が高い空間配置のように見えた。
ゆえに、声がまっすぐ客席に届かないのではと、アバドは配慮したのではないかと思われた。
カーテンコールでブーを浴びるアバドの戸惑った固い表情がどこか印象的でした。

このエレクトラのあとは、疑古典の世界に遊んだ喜悦の「ばらの騎士」へと変貌するシュトラウス。
そんなターニングポイントの「エレクトラ」を果敢に取り上げたかったのが、新ウィーン楽派を得意とする意味で、アバドらしいといえるところ。
 
 

 それと、「エレクトラ」を得意にしたアバドが私淑するミトロプーロスがあっての、このオペラの選択。
ミトプーのエレクトラは、まだ聴いたことがないのだけれど、いくつかあって、ウィーンフィルとのものもあるらしい。
そして、アバドはミトプー・コンクールの優勝者だし、子供時代に音楽家を目指す出会いとなったのは、ミトプー&スカラ座のマーラーの3番だったりするんだから。

アバドが好んで取り上げるオペラは、初期のロッシーニは例外的に、ヴェルデイでもワーグナーでもベルクでも、そしてムソルグスキーやモーツァルトでも、いずれも深い人間ドラマが心理的に音楽と不可分に描かれていることが共通項。
思えば、ややこしいくらいの相関関係がおぞましいドラマとなっている「エレクトラ」もその一品かもしれない。

クプファーの演出は、正直、よくわからない。

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舞台に横たわる、亡き父アガメムノン王とおぼしき彫像の顔が半分地面に埋まった巨大レリーフと、その足もとを基本舞台に繰り広げる憎悪のドラマは、運命の手綱を引っ張りあうような登場人物たちによって進行する。
その人物たちの姿、というかお顔がまたなんとも不気味で奇妙。
ジャケットは、悪い母クリテムネストラで、その手を掴んでるのが、パンダのような顔になってるエレクトラ。まるでオカルトの異次元の人物。
クリテムネストラも真っ白けの顔で、太りだしたステューダーが、ごろんごろん転がるところは、失笑もの・・・・。

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比較的怪しくても、見栄えがいいのは、グルントヘーバーと、融通の効かなそうなJ・キングの悪叔父。

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(いまや日本を代表するシュトラウス歌い、佐々木典子さんと、スゴイファスベンダー)

でも、目を瞑って、この豪華キャストメンバーの実存的な声を聴けば、もう圧倒的な素晴らしさ。
ことにファスベンダーとステューダーは最高でございますよ。
前者の役への没頭ぶりがそのまま歌に反映される性格的な異常ぶりは凄い。
後者のスリムで暖かい歌声は、シュトラウス歌唱の理想かも。

後年、アバドはベルリン時代、ベルリンとザルツブルクでも、エレクトラを取り上げ、成功を勝ち得ている。
ウィーンから5年後。
ウィーンは保守的で伏魔殿的な場所であったが、いまや、そんな風潮は少し薄れ、斬新な舞台とメストの軽やかでスピーディな音楽と、ティーレマンの重厚な音楽などもともに受け入れられる劇場となっている。
アバドは、やはりよくも悪くも、カラヤン後という宿命をどこでも背負っていたわけであります。
昔のことですが、でも、自身が信じる切り口を常に貫き通したアバドの信念に、いまこそファンとして敬意を表したいです。

R・シュトラウス自身が残した、若き指揮者への道標のひとつに、「サロメやエレクトラを君はメンデルスゾーンの妖精の音楽のように指揮しなさい」という格言めいた指示があります。
そしてともかく抑えることを再三に忠告しております。

ベーム、カイルベルト、ケンペ、サヴァリッシュらの、シュトラウスのオペラ指揮者たちの演奏を思うとなるほどと思える言葉です。
アバドも、きっとそれを心に刻んで、軽やかに、テンポよく演奏するいことを心がけ、ついにベルリンで完成系に達したのでありましょう。

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アバド79回目の誕生日に寄せて。

 

「エレクトラ 過去記事」

  「バレンボイム&ベルリン国立j歌劇場」

  「シノーポリ&ウィーフィル」
      
 

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2012年6月25日 (月)

漁港のにゃんにゃん 特別編

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オジサンを待つ漁港のニャンコたちの中にあって、一番、毅然としていたのが、この子。

いい立ち姿だと思いませぬか?

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後ろのモサモサ君は、団体行動の中でも、ちょっと落ち着きなし。

真っ先に、反応して行動するタイプ。

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なかなかでしょ。このにゃんこ。

漁港シリーズでのトリに相応しいにゃんにゃんにございます。

そして、最後の最後に、もういっちょうcat

このエリアに足を踏み入れたとき、ふと感じた視線。

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こんなところに潜むにゃんこ。

ワタクシをジッと見つめる怪しい視線に、ここには何かあると直感し、この大作シリーズが生まれたワケでございます。

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鼻クソつけて、そんなに見つめないでよ。

味わい深いにゃんこにて、シリーズ終了cat


漁港シリーズ過去記事

「漁港のにゃんにゃん①」

「漁港のにゃんにゃん②」

「漁港のにゃんにゃん③」

「漁港のにゃんにゃん④」

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2012年6月23日 (土)

神奈川フィルハーモニー 第282回定期演奏会 金 聖響指揮

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あと9分。

いつもぎりぎりで飛びこむ「みなとみらいホール」。

夏至から1日、1年で2番目に昼が長い日だから、7時9分前でもこんなに明るい。

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  R・シュトラウス 歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲

               ~暖炉のほとりでの夢想~

            「変容」~メタモルフォーゼン

           交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               (2012.6.22@みなとみらいホール)

オール・シュトラウス・プログラム
、わたくしにとって垂涎の一夜。

思えば、3曲ともに、ピアニッシモで静かに終わるコンサート。

そしてダイナミックレンジも幅広く、お家では味わえない大音響と、耳をそばだてる静けさの両方ともに楽しめるコンサート。

ゆえに聴き手も集中力を求められるが、メタモルフォーゼンでの早すぎる拍手にはガッカリ。余韻ぶち壊しですよ。

コンサートにはこんなリスクもつきものだけれど、少し前までは、特に静かに終わるオペラなどで、「余韻をお楽しみください・・・」なんていうアナウンスが事前にされていたもので、これもまた情けないというか、興ざめだったりもしますね。
まぁ、聴く側の意識の問題につきるわけですが・・・。

前置きはともかく、今回も、神奈川フィルの持ち味である、その美音を充分に楽しめた素敵な演奏会でございました。
このオーケストラで、そして響きのキレイなみなとみらいホールで聴くワーグナー以降の音楽が、いかに素晴らしいか。これはもう体験した方しかわかりません、耳のご馳走なんです。(ワーグナー以降と書いたのは、後期ロマン派男のワタクシのこだわりにすぎませんが)

まずは、オペラ「インテルメッツォ」の間奏曲。
のっけから、その美しい演奏にノックダウン。
思考停止をうながすかのようなシュトラウスならではの、甘味かつ暖かな音楽に、理想的すぎる神奈フィルの音色。
初めてお聴きになる方々も多かったでしょうが、皆さん、無条件に、聴き惚れてしまったのでは。
こんな、美しい旋律を、いとも易々と、どんな条件下でも紡ぎだしてしまうシュトラウスの天賦の才に驚きです。
 この曲は、妻クリスティーネが、夫を思い、アンニュイにひたる場面なのですが、オペラでは、ソプラノの歌が曲の半分くらいまで入っております。
手持ちCD は、サヴァリッシュとカイルベルトなのですが、そのサヴァリッシュ盤での、妻役、ルチア・ポップの柔らかく気品ある歌声が、とてつもなく素晴らしいんです
 そして、歌はなくても、今宵の素敵な演奏に、8分間酔いしれたのでございます。
そうそう、今日は、いつもの聖響対抗配置でなく、通常配置でありましたことを、ここにご報告申し上げます。
これは、次の「メタモルフォーゼン」ゆえの処置かも。

で、コンサートで初めて聴いた「メタモルフォーゼン」は、神奈フィルの弦の23人が綾なす極上の絹織のようなサウンドに、無心に聴き入り、あっという間の25分間。
 あっという間は、自分が、高い集中力でもって聴いたことと、聖響さんの選んだ速いテンポ設定によるところです。
神奈フィルは、かつてシュナイト翁と英雄交響曲との組合わせで、この曲を演奏したそうで、わたしは、まだ神奈フィルファンになる前のことですが、それはそれは壮絶な演奏だったといいます。
ドイツの敗北のあの時期を知る指揮者が、思いの丈をたっぷりと注いだ詠嘆の極みだったのでしょう。
 でも、そんな世界とは、まったく別次元に存在する聖響さんは、スポーティーなくらいに飛ばして、哀しみも、シュトラウスの人生も、外側から眺めるが如くにあっさりとやってのけたんです。今風といえは、そういうことで、こだわりの少ない客観的な解釈は、一連のマーラーと同じこと。
歌が少なめなのも、毎度お馴染みで、こちらも慣れましたが、先月のなみなみとしたワーグナーと大違い。
でも、ここは、神奈フィルの誇る弦
一本一本が、ともかくきれいで、それらが、キラリと光る蜘蛛の
糸のように、輝きながら降りてきて、そして、ラストの方で、ユニゾンに達するとき、わたしは、感動と美しさのあまりに、涙ぐんでしまいました。
指揮者はともあれ、出てくる音が、コレなもんですから、シュトラウスの美感ばっちりでございましたよ。

アルコール注入後の「ツァラトゥストラ」、天から降り注ぐごとし、まぶしかった冒頭。
切れ味よろしく、ずばずば、さばさば進行する快速特急ツァラトゥストラ、戸惑いはあったものの、すっかり手の内に入り、垢にまみれてしまった感ありのこの曲に、とても新鮮で清烈な印象を受けました。
 そこになにが残ったか、というと、通り過ぎただけの印象となってしまうけれど、ここでも、指揮者の意図しないところで、オーケストラが、勝手に煌めいて輝くものだから、わたくしは、聖響さんのくねくね後ろ姿でなく、オケメンバーを見渡しながら、ほうほう、と思い感心しつつの鑑賞会となりました。
オケのみんなは、お互いに聴きあいながら、アイコンタクトしながら、時には他の奏者の演奏に体を揺らせながれながら、雰囲気がとてもよいのです。
在京オケもたくさん聴いてきましたが、それ以外の地方オケに特有の、私にとっての、わが街、隣近所のオーケストラみたいな存在にますますなってきたと思います。

最後に、石田コンマス、最高sign01
秋に聴ける「英雄の生涯」とともに、石田サマのためにあるような曲です。
前にも書きましたが、「ツァラ」「ドンキホーテ」「英雄の生涯」は、交響詩であるとともに、オケメンバーのための合奏協奏曲みたいな趣きがあります。
それらを、こうして、石田・山本・柳瀬という神奈フィルの名手たちで聴ける幸せを感じております。

勢いとスッキリ感は、聖響さんの持ち味だし、オケを信じて共同作業をなす心得も、最近とても快く思えてきました。
あとは、音楽に語らせる、そんなゆとりの大人の解釈が欲しいところデス。
このコンビを聴いておもうこと、「もしかしたら次はもっと変わっているかもしれない」、ということ。
若さゆえのそんな期待です。


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こんなの作ってみました。

今回のアフターコンサート、すなわち、「勝手に神奈川フィルを応援するサークル」意見交換会は、いつもの中華屋さんで、オーケストラメンバー、新旧副指揮者おふたり、楽団スタッフさん、そして初参加の方も交えまして、ほんとうに楽しいひとときを過ごすことができました。
皆さま、お疲れのところ、ありがとうございました。そしてお世話になりました。
そして食いしん坊のワタクシ、野毛の焼肉屋さん・・・、とても気になりますねぇ~

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2012年6月21日 (木)

神奈川フィルハーモニー6月定期演奏会 CDコンサート

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今日も紫陽花。

蒸し暑くて、どっかり降る雨。

でも、アジサイは毎年、同じように咲いてその風情を楽しませてくれます。

いまのところ、何があっても、几帳面な自然の一面ですな。

6月の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、オール・シュトラウス・プログラム。

R・シュトラウス 歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲

              ~暖炉のほとりでの夢想~

            「変容」~メタモルフォーゼン

           交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    2012年6月22日 (金) 19:00 みなとみらいホール


いよいよ明日となりました神奈フィル定期。

先月のワーグナーと並んで、むちゃくちゃ楽しみなんだから。

このところ、忙しくて、その仕事がちょっとばかりキナ臭くなってきて明日はヤバイ感じだけれど、何がなんでも横浜に行ったるぜ。

Strauss_tate

実は、今回の3曲の中で、一番好きな音楽かもしれないのが「インテルメッツォ」。

シュトラウスのオペラをワーグナーやプッチーニとともに愛するわたくし。
すべてのオペラを一通り聴きつくし、舞台観劇も15作中、9作品まで体験しました。

そんな中で、少しばかり肌色の違うのが「インテルメッツォ」。

このところ何度も触れてますとおり、シュトラウス一家の家庭内物語ともいえる素材は、シュトラウスのオペラの中ではユニークなもので、ちょうどホフマンスタールと蜜月にあった時期なのに、台本はシュトラウス自身が編んだものでもあります。

ホフマンスタールとすりゃ、人さまの家庭の中にまで踏み込んだ台本はできないとしたワケでございましょうねぇ。

言葉の洪水のようなこのオペラの中にあって、劇中の雰囲気をしっかりと伝えるオーケストラ間奏曲を抜き出した4編からなる作品は、ほんとうは今回全部聴きたかったところだけれど、前半が長くなりすぎちゃうので、やむなしでしょうか。

でもできれば、ワルツと疑古典の「町人貴族」を思わせるような雰囲気あふれる1曲目はやって欲しかった。
そして、今回演奏される、2曲目の静かで甘味なる雰囲気の愛の夢想とも呼ぶべき音楽は、その名のとおり、陶酔境に誘う美しい音楽なんです。

こんなきれいな音楽を聴いてしまうと、オペラでは、そのあとに訪れる激しい嫉妬の嵐が信じられません。
シュトラウスの作曲の手腕の凄いところは、こんな風に、劇的に訪れる喜怒哀楽と、それに完璧に即したオーケストラの変幻自在の表現力。
一番、いい例が、「ばらの騎士」でもって、オクタヴィアンとの危ない火遊びに夢中になっていたマルシャリンが、賑やかに訪問する売り子や歌手、訴状を持った人々、そしてあつかましいオックス男爵らが大騒ぎする中、ふと自身の姿を鏡に写し出し、そしてふと感じる自分の姿と時の残酷なまでの流れ・・・・。
シュトラウスの音楽は、180度転換してしまい、急激に神妙に、そして歳を経たものだけがわかるアンニュイなる悲しみを表出しつくすのです。

ジェフリー・テイトロッテルダム・フィルの爽やかで、6月の紫陽花のように清々しい演奏は、この曲にぴったり。

Strauss_wagner_schoenberg_levine

「メタモルフォーゼン」と先の「インテルメッツォ」との音楽の違いは、そのまま、それらの曲の成り立ちの違いにひとしいです。

ドイツへの鎮魂歌でありつつ、晩年を迎えたシュトラウスの自己肯定的な人生振り返りの音楽は、音楽による自己表現にたけたシュトラウスならではの作品かも。

わたくしは、シュトラウスのオペラを易々と聴くようには、この沈滞し深みのある音楽を簡単に聴くことはできないでいました。
事実、ほとんどの主要作品をblog記事にしてきた中にあって、この曲だけは例外的に取り上げておりませんでした。

自分でも驚いておりますが、エロイカが鳴ることがどうにもこれは尋常じゃなく思いこんでいて、音源はあっても、そのCDのほかの曲ばかりに耳がいったりしてました。

今回、手持ちの音源を総ざらいしまして、はたして、こんなに集中力と情熱に飛んだ曲だったっけ?と驚きを隠せずにおります。
印象に残った演奏は、深い情念に飛んだバルビローリ、その音色に疲弊してしまうくらいに美しいプレヴィンとウィーンフィル、そして、こだわりなく音をたっぷり鳴らして聴かせてみせたレヴァインベルリンフィル
このレヴァイン盤は、「ジークフリート牧歌」と「浄夜」というナイスな組み合わせで、カラヤンの亡霊が出てきそうな選曲でもありますが、ここにカラヤンの姿はまったく感じることなく、爽快なまでに、音楽にどっぷりと漬かり最大公約数的な音楽の楽しみを味わあせてくれるんです。
そして唸りを上げるベルリンフィルの弦も、ここでは明るくかつ明晰。

これもまたアリと思わせる素晴らしいシュトラウス演奏に思いますね。

Strauss_zara_ozawa_bso

「ツァラトストラ」は、小澤さんの音盤で。

サラリーマン生活初期、LP末期に発売され、即購入した小澤のシュトラウス。

このあと、「英雄の生涯」も続くわけだが、レコードも当時、特別価格で2000円じゃなかったかしら。

シュトラウスに関しての録音は、比較的奥手だった小澤さんは、このあとオペラも含めて次々に取り上げてゆき、同時に、マーラーの全集録音も併行することとなる。

手兵のボストンとの最盛期でもあり、ここでは、名コンマスシルヴァースタインの鮮やかなソロも楽しめます。

で、なによりも、発売時、このレコードのウリのひとつは、ボストンシンフォニーホールにおける録音の素晴らしさ。
派手さは一切なく、しっとりとしながら、芯のある音楽的な響きは、当時、手持ちだったメータやカラヤンとはまた違った意味で、ツァラの名録音と思ったものです。

いまでも、すこしばかりこじんまり感はあるものの、素晴らしい録音だと思います。

そして演奏は、そのこじんまり感が、ほかの人眼もはばからない肉食系の演奏にくらべ、あっさりしすぎていると思ったりもします。
メータやカラヤンは、バターやソースをたっぷりと上手に使った、一口で美味しいと思わせる濃厚なる味わいにも似ているのに比して、小澤さんの演奏は、醤油やかつお出汁を滲ませながら、素材、すなわち楽譜そのものを生のままに美味しく味わうに似た感触の演奏でございます。

小澤さんが、単身ヨーロッパ音楽社会に切り込みをかけた、その包丁さばきは、ここにも健在でして、和風出汁の味わいがさらに増している、との感を受けました。

こんな印象、大巨匠に対していけませんでしょうか・・・・。

ということで、今回、3曲ともに、比較的さっぱりと爽快なシュトラウス演奏を選んでみました。

聖響&神奈川フィルは、きっとそんな流れを汲んだ、そして美麗な演奏となることでしょう。
いやはや楽しみ楽しみ。

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オペラのR・シュトラウス 神奈川フィル「インテルメッツォ」に寄せて

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紫陽花の色では、これが一番好きかな。

6月の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、オール・シュトラウス・プログラム。

R・シュトラウス 歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲

              ~暖炉のほとりでの夢想~

            「変容」~メタモルフォーゼン

           交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    2012年6月22日 (金) 19:00 みなとみらいホール

今日も、Facebookページ「神奈川フィルを勝手に応援するサークル」に投稿した記事をそのまま記載いたします。
シュトラウスのオペラについて書きました。
まだ続編が書けそうです。

フェイスブックページは、こちら→

R・シュトラウスは、作曲家であるとともに、有力な指揮者でもあり、執筆家でもあり、そしてなによりも、出版会社主体のドイツにおける著作権の概念を作者ありきに覆した人でもあります。
 自己の主張という思いでなく、純粋なる音楽家として、これはおかしいという心情を貫いたシュトラウスの姿は、一般に誤解されやすい、世渡り上手のシュトラウスという側面を過ちと思わせるにたる一面です。

また、ナチスとの関係で云々される「帝国音楽院総裁」というポジションならびに、ドイツ同盟国日本が「皇紀2600年」の祝典音楽を委嘱し、晴れやかな曲を作曲して捧げたことは、反戦の士ブリテンが「鎮魂曲」を献上したことと対照的であったこと。
 ところがそんな一面は、シュトラウスの処世の表と裏のほんの一面で、ホフマンスタールのあと、最良のパートナーだった台本作者ツヴァイクがユダヤ系ゆえ、ナチス当局よりチェックを受け、しかも共同新作オペラ初演のポスターから、その名が当局より削除されるにおよび、ナチスに弓を引くこともいとわなかった芸術本位のシュトラウスを知るにつけ、色眼鏡をはずし、その音楽のみに耳を傾けるべし、との思いを抱かせます。

R・シュトラウスには15曲のオペラがありますが、そのほとんどが、わたしたちがよく聴く有名な交響詩や交響曲が作られたあと。

最後の交響詩「英雄の生涯」が、1898年34歳で、最初のオペラ「グンドラム」と2番目「火の欠乏」の間。
最後の交響曲「アルプス交響曲」は1915年51歳で、これは少しあとで、6番目「ナクソスのアリアドネ」と7番目「影のない女」の間。
そのあと、8つものオペラを85歳で亡くなるまで残すことになります。

こんな風にシュトラウスの後半生は、オペラときっても切れないものなのでした。

シュトラウスのオペラの概要を表にしてみました。

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シュトラウスのオペラの特徴を以下に羅列してみます。

①急激な作風の変化

 最初の「グンドラム」は、完全なワーグナーの影響下にあり、3作目「サロメ」では、世紀末風デカダンスの境地で、ワーグナー後の世界に達した。

次ぐ「エレクトラ」こそ、当時の前衛の最先端で、不協和音と耳をつんざく強烈なフォルテなど、当時としては極めて斬新な音楽でした。
「サロメ」とともに、血なまぐさい題材とともに、その音楽が「春の祭典」よりもずっと前を考えると、それは驚きなのです。

ところが、その2年後、正確には、エレクトラを作曲中も、その構想を抱きつつあった「ばらの騎士」は、前衛の旗手と目され、若手の指標となりつつあったシュトラウスは、18世紀ウィーンを舞台にした貴族社会の優雅でありつつ、愛とほろ苦い官能の世界を描いたものだから、一挙に大衆路線かつ保守古典帰りとなりました。
この「ばらの騎士」は、空前のヒットとなり、当時ドレスデンで上演され続けたときは、ウィーンや周辺の都市から、「ばらキシ」観劇ツアー列車までもが仕立てられるようになったといいます。
 シュトラウスの作風の大きな変化はここまでで、あとは素材選びも含めて、大体概ねのパターンが出来上がり、多作化できたものと思われます。
この音楽の転身は、シェーンベルクらの新ウィーン楽派の硬派としての方向づけを後押ししたともいわれております。

②シュトラウスと台本作家

ただ、忘れてならないのは、ワーグナーの場合、自身が台本も創作し音楽を付けていったのに対し、シュトラウスは、強力な脚本家との共同作業があってこそ、素晴らしいオペラが次々に残されていったわけで、それは台本作者に対する超わがままなくらい厳しかったプッチーニと並び称されるものです。

シュトラウスには、ホフマンスタールという天才劇作家が切ってもきれない存在でした。
6つのオペラと、基本の発想がひとつ。

ことに「ばらの騎士」は、モーツァルトの「フィガロの結婚」を音楽もドラマも意識させる点で、この作品以降の方向性を決定づける超名作です。
速筆だったシュトラウスは、ホフマンスタールの台本の完成が待ち切れず、上がるたびに即、曲をつけてしまい、最後の幕の最美の3重唱などは、セリフなしで先に曲を作ってしまい、ホフマンスタールがそれに合わせて作詞したといいます。ふたりの往復書簡はやたらと多く、そしてとても興味深いものです。
そして、ワーグナー離れとありつつも、生涯ワーグナーの舞台芸術に敬意を払い続けたシュトラウス。
ホフマンスタールは、「ばらの騎士」は、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でもあると述べております。
若い二人のために、身を引く熟年。少し野卑だがユーモラスな恋敵。フィガロ以上に、内容はマイスタージンガーしてます。
 さらに、後年の「影のない女」は、巨大オーケストラがピットに入る大作ですが、おとぎ話たるその内容は、こんどは「魔笛」そのもの。
こんな風に、シュトラウスのオペラは、音楽も台本もモーツァルトとワーグナーがその根底にあるものが多いのです。

しかし、ホフマンスタールの急死により、最良のパートナーを失ってしまい、次に良き伴侶となるはずだったのがシュテファン・ツヴァイク
ところがユダヤ系だったツヴァイクは、ドイツをのがれ、やがて自決してしまう。
ツヴァイクの残した台本や素材のアイデアは素晴らしく、シュトラウスを魅惑しましたが、結局味わい深い「無口な女」1作を完成したのみで、基本プランのみ残した2作(平和の日、カプリッチョ)は、グレゴールクラウスの手に引き継がれることとなりました。

このふたりの作者と、もうしばらく作業ができたら、シュトラウスのオペラはさらに書かれていたことと思います。

③シュトラウスのオペラの素材

これは極めて多彩。
古代ラテンのギリシア社会から、古代オリエントの聖書の世界、中世、16~19世紀と多士済々。
しかし、お気に入りは、ギリシアの神話の世界で、カオスとややこしい神様たちと、意志強い女性とを描くこと。5作品もあります。

で、今回、注目は「インテルメツォ」。

曲目解説でも述べましたが、これは、シュトラウス自身の家庭を述べた痴話オペラだということ。

口うるさく、姐御肌だった妻パウリーネは、よく悪妻ともいわれますが、ただでさえ、勤勉で日々同じペースの生活をし、かつ天才肌だったシュトラウスの尻をたたいたので、こんなに多作だったとも言われちゃいます。
でも、したたかだった(良い意味で)シュトラウスは、その反動で、妻や家庭も音楽として風刺して描くことができたし、なによりも妻にない多彩な女性の姿を台本作者と手を携えて描きつくすという方向づけがなされた、という意味で、パウリーネの存在は思いのほか大きかったと思います。

この「インテルメッツォ」は、主人公が楽長で、作曲者そのもの。嫉妬深い妻は、パウリーネ。パパの擁護者、可愛い息子は、そのままシュトラウスの愛息フランツ。

劇中、主人公はウィーンにオペラの仕事に出張で出かけるし、シュトラウスも大好きで日々欠かさなかったスカートというトランプ遊びもしっかり描かれてます。

このオペラが初演されて、妻役を歌ったロッテ・レーマンは「これはご主人からの素敵なプレゼントね」と評したところ、パウリーネは、「つまらぬ代物よ!」といい放ったとされます・・・・・。(喜多尾道冬氏の著書より)
ふたを開けたら口うるさくにぎやかな女性だったというオペラ「無口な女」も、思えば家庭内の物語を思わせる一品。

一方、交響曲で、自分の家の中の出来事まで買いてしまった「家庭交響曲」。

交響詩では、若いのに、自身の人生の告知「英雄の生涯」。

こんな風に、R・シュトラウスは、自己の生活・内面を音楽で告白することの好きな作曲家という側面もあるのです。
自己告白という点では、より複雑なマーラーも同一でありましょう。

先の、「インテルメッツォ」で、妻が楽士の夫にあらぬ疑いを抱き、怒りに燃えるとき、劇中の息子は「パパはそんな人じゃないよ」と母親をなだめます。
これ、なんだかとても印象的な場面で、これを書いたシュトラウスがにとても親近感を覚えます。

シュトラウスは筆まめで、旅先で折に触れ、妻パウリーネに近況報告の手紙を書いているし、息子たちにも愛情あふれる手紙をたくさん書いております。

「わが愛する息子よ!・・・お前が少しずつ成長して中で、この恐ろしい戦争の時代に無事でいられる>殊勝で勇敢なお前がそれをよしとないことはわかっているが<ことはお前にとってもわたしたちにとってもこのうえない喜びなのだ。こんな時代であればこそ、なおさら、お前は諸芸術を熱心に学び、高貴なる文化の仕事を目指し、精神の有能なる労働者たるべく努力を怠らないでいてくれるものと思う・・・・。」

これは、第1次大戦中の手紙でありますが、芸術本位、そして芸術は人のためにという信念をナチス治下でも失わなかった高潔の精神がうかがわれると思われます。

Strauss


④シュトラウスのオペラの主人公

男子が主役のものもありますが、シュトラウスのオペラは女声による主人公が多い。
15作中、11曲。

この点も、女性の心情の機微を見事に描きつくしたプッチーニと共通。
でも、いろんなタイプの女性が満載で、ひたむきでけな気な可愛い系が好きだったプッチーニとはちょっと異なる。

・恐ろしくおっかない女性・・・・・・サロメ、エレクトラ

・優美でかつ大人の訳知りの女性・・・マルシャリン(ばらキシ)、マドレーヌ(カプリッチョ)

・強い意志をもったまっすぐ系・・・・アリアドネ、皇后、バラクの妻、ダフネ、ダナエ、アラベラ

・ワル・・・・・・・ヘロディアス、クリテムネストラ

・カワイイ系・・・・ゾフィー、ズデンカ

・ゴージャス美人・・・ヘレナ、アラベラ、ダフネ、ダナエ

・小悪魔ちゃん・・・・ツェルビネッタ、フィアカーミリ(アラベラ)

・もしかして世の奥さま・・・・アミンタ(無口な女)、クリスティーネ(インテルメッツオ)

どうでしょう、多彩なものです。

男性編も、いずれまとめてみたいと思います。

そしてまだまだありますが、それはまた秋以降に。


「インテルメッツォ」過去記事 

 「サヴァリッシュ盤」

「インテルメッツォ」 交響的間奏曲 過去記事

 「プレヴィン盤」

 「メータ盤」

 
 「カイルベルト盤」

 

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2012年6月19日 (火)

神奈川フィルハーモニー6月定期演奏会 曲目紹介 R・シュトラウス

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梅雨どころか台風きちゃいました。

大きな被害が出なければいいのですが。

北区王子の飛鳥山、線路沿いの紫陽花を観てきました。

ともかく美しく、その淡い色調は、日本のこの時期ならでは。

でも、日本を取り巻く自然環境は世界規模で変化してしまいました。

しっとりとした風情ある梅雨は、それこそ露と消えてしまいました・・・・。

Strauss

R・シュトラウスが晩年を過ごした、バイエルン州、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン。

かの地では、シュトラウス音楽祭が毎年開かれているそうな。

晩年の闊達としつつも、几帳面なシュトラウスらしい自画像のような1枚。

そして、6月の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、オール・シュトラウス・プログラム。

R・シュトラウス 歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲

              ~暖炉のほとりでの夢想~

            「変容」~メタモルフォーゼン

           交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    2012年6月22日 (金) 19:00 みなとみらいホール

今日は、Facebookページ「神奈川フィルを勝手に応援するサークル」に投稿した記事をそのまま記載いたします。

フェイスブックページは、こちら→

弊ブログをご覧いただいておりましたら、わたくしがいかにR・シュトラウス好きかおわかりでございましょう。
先月のワーグナーに続いて、今回はシュトラウス。
まったく、神奈川フィルったら、もう次々にもう

①歌劇「インテルメッツォ」 4つの交響的間奏曲より“暖炉のほとりでの夢想”

15作あるシュトラウスのオペラ作品のうち、8番目の作品。1924年ドレスデンでK・クラウスにより初演。

シュトラウスのオペラに関しては、別記事といたしますが、有名どころ、すなわちよく上演されるものは、「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」「カプリッチョ」あたりで、約半数のオペラ作品に必ずしも日があたっているとはいえない状況なのが残念です。

今回演奏される「インテルメッツォ」もそのなかのひとつながら、シュトラウス自身が、抜き出して組曲として編んだ4つの交響的間奏曲は、コンサートにもときおり乗りますし、ワルツも交えて華やかで聴きやすい作品となっております。
このオペラの表題は「2幕からなる、交響的間奏曲付きの市民的喜劇」と記されていて、この4つの間奏曲のイメージそのものがオペラの基幹となっているものです。
 そもそも「インテルメッツォ」とは、「間奏曲」という意味です。

オペラの内容は、「楽長ローベルト・シュトライヒがウィーンに長期出張の合間に、あらぬ嫉妬をいだく奥方、そして最後は温厚な夫が婦人を本気で叱り、愛されている自分を知る妻、そして、可愛い息子もそれにからんで夫婦円満が戻る。」という他愛もない家庭内痴話物語。

何を隠そう、楽長シュトライヒは、シュトラウスのことで、その妻はまさに「怒りんぼ」だったパウリーネそのもの。

このオペラは完全にシュトラウスの家庭交響曲のオペラ版なんです。
そして自分で台本も手掛けたこのオペラは、息子フランツに捧げられております。

組曲の2つめ「暖炉のほとりでの夢想」は、1幕の中間、夫と喧嘩したまま出張に送り出してしまい、若い男爵とも少し火遊びをしたけれど、夫の優しさをいまさらに思い、ひとり憩う場面です。
 でも、このあと、彼女を嫉妬の嵐に巻き込む手紙が出現するなんて、ここでは思いもよりません。。。。

②「メタモルフォーゼン」~23の独奏弦楽器のための習作

シュトラウス晩年1945年、ドイツ敗戦の年の作品は、<ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3>という独奏楽器の指定のうえでの編成。
この作品完成の3ヶ月後のドイツの全面降伏。

シュトラウスは、「激しい戦争によって次々と破壊されてゆく祖国の貴重な文化財や劇場に対する深い悲しみと嘆き」を込めて書いたとされる。
 一方で、シュトラウス自身は「わが生涯の反映」とも述べていて、この曲には崩壊の悲壮感とともに、自身の生涯を肯定的に回顧する思いも込められているものと思います。

自作の旋律を取り入れることでは、他作品と同じくするところで、「ツァラトストラ」と「ナクソスのアリアドネ」からの引用があるほか、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王のライトモティーフも使われております。
これらは、諦念や深い嘆きを意味するものに。
 そして、全曲を覆い尽くすかのようにいろいろと姿を変えて登場するのが、ベートーヴェンの「英雄交響曲」の第2楽章「葬送行進曲」は、悲哀の挽歌です。

祖国の死を悼むとともに、過去との惜別の念がじわじわと広がってゆく様を、どうぞじっくりとお聴きください。

独奏であって合奏。複雑に交錯しあう弦楽器の奏であう美しい響き、これをまさに神奈川フィルの弦で聴ける喜びは大きいですね。

胸が熱くなるような演奏を期待したいところですが、きっと聖響さん、すっきりとしたこだわりの少ない響きを聴かせるのでしょうね。それもまた、シュトラウスの姿であります。

ちなみに、シュトラウスは、同時進行でこの作品の弦楽7重奏版も残しています。 

機会があればそちらもお聴きください。

③交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

1896年、シュトラウス32歳の作品は、その冒頭部分のみがあまりに有名。

冒頭の1分30秒だけでなく、今回は32分ぐらいの全曲ですから、シュトラウスの絢爛豪華なオーケストラ・サウンドを思い切り、耳と体でもって浴びてください。

ニーチェの同名の著に従って構想された曲ですが、その哲学書を表題的に扱ったものではなく、「音楽という手段によって、人類の発展の観念を、その起源からその発展の様相をへて、ニーチェの超人の観念に至るまでを伝える」ことを目的としたというのです。

なんだか、わかるような、よくわからないような話でありますが、このスコアに書かれた引用は次のとおり。

「ツァラトストラは30歳になったとき、故郷と故郷の湖とを捨てて山に入った。ここで彼は、思索と孤独を楽しみ、10年間倦むことがなかった。しかしついに彼の心気は一転し、ある朝、暁光とともに起き出し、太陽にむかって進みたち、次のように太陽に語ったのだ」

こうして始まる「ド~ソ~ド~」の旋律。 「なんじ大いなる天体よ!もし、なんじにして照らすものがなかりせば、なんじの幸福はそもいかに?」 9つの部分に分けることがで、いくつもの主題がちりばめられて壮麗な音のページェントと化すのですが、主要な主題はふたつで、『自然の主題』と『人間の主題』。

自然と人間、端的に、これこそが、ツァラトストラの根本モティーフといえるかもしれません。

ヴァイオリン独奏が大活躍するという点で、このあとの「英雄の生涯」の先取りでもありますし、翌年の「ドン・キホーテ」がチェロとヴィオラの協奏的な作品であることも考えると、大きめの交響詩3作、「ツァラ」「ドンキ」「英雄の生涯」の3作はそれぞれ別な顔を持ちながらも、共通する存在であることもわかります。

そしてやがて、シュトラウスは、オペラの道へと入ってゆくのであります。

石田コンマスの輝くばかりの名技がきっと聴かれることでしょう。

すっかり、当日の演奏内容を日々夢想しているワタクシでございました。

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2012年6月18日 (月)

漁港のにゃんにゃん④

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まだ待ってますにゃん。

月曜ねこの日、大型連載企画「漁港シリーズ」その4。

しかし、ずっと待ってるばかりで、なにも起きない。

しびれをを切らせて、わたくしは立ち去ろうといたしました。

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名残り惜しくて、振りかえったその時、にゃんこ軍団は勢いよろしく集まっていくのでした。

あわてて現場に駆け付ける取材班camera

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そして現場はこんなでした。

菓子パン食ってますよ。

おまけに、左手には犬もいますよ。

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数えると12にゃんこ。

なははは、アジサンの足の間にもはいちゃってる。

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それぞれに個性がありますな。

オジサンを待つ漁港のにゃんこたちなのでしたぁcat

来週も、漁港特別編です。

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2012年6月17日 (日)

ツェムリンスキー 交響詩「人魚姫」 J・ジャッド指揮

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実家の町にある吾妻山から。

360度の眺望の山上ではなく、中腹から湘南相模湾方面を。

近くは大磯の街、遠くは三浦半島に江の島が見えます。

もっとちゃんとしたカメラが欲しいところデス。

Enoshima_1

アップにして撮ってみましたが、解像度悪すぎ。

江の島の手前に、烏帽子岩が見えますよ。

この海に、山、ワタクシの原風景にございます。

ですから、海と山の音楽にもいろんな思いが想起されて大好きなのです。

Zemlinsky_maermaid_judd

  ツェムリンスキー 交響詩「人魚姫」

    ジェイムズ・ジャッド指揮 ニュージーランド交響楽団

                 (2006.6 @ウェリントン)


ムチャクチャ大好きなこの曲、2006年以来、久々に取り上げます。

アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1941)は、ウィーン生れの両親の改宗にもよるが、ユダヤ系の作曲家。
マーラーやRシュトラウスの10年あと、シェーンベルクと同時代の人。
指導者・指揮者としても戦前は活躍したが、ナチス台頭でアメリカに逃れ、忘却の彼方となった作曲家。
そうした存在として、コルンゴルトとまったく同じで、そのコルンゴルトは、ツェムリンスキーの弟子でもあります。

さらに、シェーンベルクの師でもあり、義理の兄でもある。
そして、アルマの師で、かつアルマへの求婚者だった人。
アルマはマーラーに取られ、でも、マーラーはツェムリンスキーの擁護者として、そのオペラを積極的に上演してゆく。
いまや、マーラーが中心となって語られるウィーンの世紀末音楽シーンですが、実はキー・マンみたいな存在がツェムリンスキーなんです。

忘れられたツェムリンスキーのリバイバルは、80年代初頭。
ラサールSQや、アルブレヒト、マゼール、シャイーなどが積極的に取り上げて、ポスト・マーラー兼シェーンベルクのように聴くことができることが判明。

ことに、マゼールの「抒情交響曲」とシャイーの「人魚姫」が、ともにメジャーレーベルということもあり、画期的なツェムリンスキー見直しの音盤となりました。

ともに、いろんな録音が増えましたが、ナクソスからいずれも素晴らしい録音が登場してます。
イギリスの指揮者ジェイムズ・ジャッドが南半球のクールなオーケストラ、ニュージーランド響を指揮した1枚。
ジャッドはN響にも客演してますが、英国ならではのスマートかつフレキシビリティあふれる音楽造りをする人。
英国指揮者は、本国ではあまり活躍しないパターンのとおり、他国での活躍が目立ちます。ニュージーランドでも長く音楽監督をつとめ、後任は、お馴染みのインキネン。

現地マオリ系の方々も奏者にいらっしゃるニュージーランドのこちらのオーケストラ。
欧米のオケとは異なる新たな勢力として、オーストラリア、わが邦、ひいては韓国・中国などもオーケストラ音楽の発信源となってゆくことでありましょう。

NZSO(ニュージランド響)のカッコよすぎるホームページはこちら。
http://www.nzso.co.nz/

シーズン演目のページなどは、指揮者や楽員をモデルに、映画風、ニュージーランド風のあまりに素晴らしくクールな出来栄え。
欧米のオケの王道を極めたスマートなページとはまた異なる、個性的かつ濃すぎのHPは、日本のオーケストラも参照すべき点ありです。

「人魚姫」は、1903年の作品。
マーラーは6番の交響曲に取り組んでいた年。
1903年の作曲、シェーンべルクの「ペレアス」と同時に、自身の指揮により初演されたのが1905年。
妹婿のシェーンベルクの方に活躍の勢いもあり、思うような成功を収められなかったツェムリンスキー。
その後、作曲者の名前ともども忘れさられ、日の目をみなくなったこの作品は、アンデルセンの有名な童話「人魚姫」に基づくもので、3つの楽章からなる甘味かつロマンティックな交響幻想曲なのであります。

人魚国の王の6人娘の15歳の末っ子が、人間の王子に恋をした。
16歳の王子の誕生パーティで、彼の乗った船が転覆し、人魚姫は必死に助けるも、人間にその姿を見られてはならない悲しさ。通りがかりのとある女性が王子を介抱し、王子も命の恩人と思いこんでしまう。
 王子を忘れられない人魚姫は、自分が救ったともいえない。その声と引き換えに人間の姿をもらうこととなるが、もし王子と結婚できないならばその次ぎの日にはその心臓が泡と消えてしまうとの宿命を背負うことになる。
そして、王子に妹のように可愛がられ近くに仕えることとなり幸せを感じる日々が始まった。
でも、言葉を発することができず、王子は介抱してくれた女性を選び、結婚することに。
人魚姫の姉たちは、王子を殺せば、また元の姿に戻れると諭すが、王子を愛する彼女は、そんなことができず、海に身を投げ自らの命を差し出す。
彼女の体は海の中でみるみるうちに溶けだし、やがていくたの泡となり、空気の精となって永遠の魂を得て昇天する・・・・・。

悲しい報われない恋を描いたこのストーリーを想いながら、この美しい音楽を聴くと、気の毒な人魚姫が愛おしくなります。
世紀末風のもしかしたら明日はもうない的な、刹那的な雰囲気もただようこのツェムリンスキーの音楽は本当にステキなものです。
最後に人魚姫が靄のようになって昇ってゆく場面では、音楽は海に沈む美しい夕映えのようであります。

演奏は、シャイーの名盤に肉薄するような素晴らしさ。
オケの明るい響きも印象的でありました。

過去記事

 「シャイー&ベルリン放送交響楽団」

Sodegaura_5

わたしには、海も感じさせる、ノスタルジーあふれる音楽でもあります。

そうそう、子供のころ、アンデルセン物語のソノシート(レコード絵本みたいなもの)を買ってもらって、来る日も来る日も夢想しておりました。

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2012年6月16日 (土)

ベルリオーズ 幻想交響曲 カサドシュ指揮

Hamamatsucho201206_a

6月の小便小僧は、想定内の雨支度での大胆なる放尿ぶり。

ホント、どうやって着せるんでしょうか。

Hamamatsucho201206_b

かわいいお背中にブーツ、哀愁そそる傘。

Hamamatsucho201206_c

関東地方は、まだ梅雨が始まったばかり。

熱帯風ドカ雨はいやですよ。

しっとりと風情ある梅雨であって欲しいもの。

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    ベルリオーズ   幻想交響曲

   ジャン=クロード・カサドシュ指揮 国立リール管弦楽団

                     (1980.6 @リール)


今月の幻想交響曲は、それこそ、しっとりとしなやか、本場おフランスの香りのする純正仏国産の麗しき演奏で。

クロード・カサドシュは、高名なるピアニスト、ロベール・カサドシュの甥で、もう77歳になるが、フランス国内での活躍が多いため、なかなか日本などでは評価が伝わりにくい指揮者だ。
録音もかなりあるものの、レーベルがハルモニア・ムンディやシャンドスだからなかなかメジャーではないし、欧米一流オケへの客演としての名前もあがってこない。
ともかく、地味系のフランス人指揮者なのだが、こちらの幻想は、ゆったりとエレガントで、慌てず急がず、最初から最後まで、落ち着きを失わない冷静なムードで進行する幻想なのだ。
演奏時間にして55分は、この曲にしてはかなり長いものです。

ときおり嘆息が聞かれそうな後ろ髪惹かれるような第1楽章。
エレガントの極み、お洒落なワルツの2楽章は、よく聴けば推進力あってノリがよいです。19世紀フランス絵画のような洗練された香り高いムードを感じる第3楽章。
わたしには、コローの絵などを彷彿とさせる演奏ですよ。
かつてのマルティノンの演奏に近いかも。
断頭台への行進は、刺激的で一切なく、ゆったりと少しレガートぎみに演奏されて、妙に新鮮ですが、もっとガンガン行って欲しいと思ったりもします。
かつて、マリー・アントワネットは、刑場へ連行されるとき、見せ物にされる馬車に乗せられるときに「ごめんあそばせ」と申したとか。
まさに、そんな感じの演奏なんです。
おなじく、終楽章のヴァルプルギスも、堂々たるインテンポで刺激臭いっさいない。
威圧的なフォルテもなし。しかし打楽器は結構強烈。
オケの力量も正直、もっと上を求めたいところなれど、多少のローカルな味わいがあってよい。

こんな「幻想交響曲」もありだと思う。

ほんとうは、もっともっと鄙びて、下手くそで野暮ったいローカルな「幻想交響曲」があってもいいと思うくらい。
同様に、フランクやドビュッシーも、そんな風に地域の風を感じさせる演奏が好きなんです。

次ぎの「幻想」は、もう完全に夏、7月です。

何度も言いますが、ほんとうに、日々が早く、カレンダーが次々に更新されます・・・・。

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2012年6月15日 (金)

ベートーヴェン 交響曲第4番 ヨッフム指揮

Onomichi

尾道に行ってきました。

映画やドラマの舞台として、そして小京都として、人気の街。

通過したとは何度もあれど、こうして宿泊を伴って、時間の余裕も作れたのは初の尾道でした。

駅から、客先との時間を気にしつつ、大急ぎで歩きましたよ、坂と細かい路地、そしてあふれる寺社の数々・・・・、さらに猫の道。

Onomichi2

山門からJR山陽本線の線路と街を見通して。

NHKの朝ドラ「てっぱん」で、大阪から来たみんなが、ひと目で好きになっちゃう街が尾道でしたね。

わたしも、その緩やかで、誰しも暖かく受け入れてくれる雰囲気のあふれる尾道が好きになりましたよ。

大慌てながら、たくさん写真を撮ってますのでお楽しみにどうぞ。

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  ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調

     オイゲン・ヨッフム指揮 ロンドン交響楽団


ベートーヴェンの交響曲を聴くのは久しぶり。

歳とともに、奇数よりは偶数の方がよい。

なかでも、2、4、6番がいいんです。

おおらかで、どこかしっとりしていて、しかも面倒くさくなく明快。

4番は、ほとんどロマン派の世界。

「ふたつの北欧神話の巨人にはさまれた、ギリシアの乙女」

シューマンが、4番に対してこのようにおっしゃいました。

たしかに、そう。エロイカと運命にはさまれたらそうなっちゃう。

でも、いまや、3・5番は巨人というほどのことなく軽やかに演奏され、当の4番もギリシアの乙女というよりは、軽快でリズミカルな小回り聴く女子、って感じで演奏されちゃう。
こうした傾向も新鮮味があってよかったのだけれど、いまこそ逆に、たっぷりと音を鳴らしきった堂々たるベートーヴェンにこそ、新鮮味を覚えるようになった。

その代表格ともいえようヨッフムの晩年のロンドン響との全集は、まさに正しきベートーヴェンともいえる風格に溢れております。
ヨッフムのよいところは、ドイツ本流でありながら、明るさと、よい意味での緩さがあるところ。
ニュートラルで反応のよいロンドンのオケが、しっかりとヨッフムに応えております。

EMIは、こんな素晴らしい音源を持ちつつ、自社では正規のCDを出しておりません。
どうも不可思議なレーベルに存じますね。

Onomichi3

くろねこさんも、こんな風に大活躍の尾道です。

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2012年6月13日 (水)

R・シュトラウス 「ティルオイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」 サヴァリッシュ指揮

Dotonbori

大阪はミナミ、道頓堀。

先週の出張から。

数日後、この近くで、あんなとんでもないことが起きるなんて・・・・。

人間の心と頭は、いまどうしちゃったのでしょうか。

Obake

この日は、まずホルモン食べて、粋な居酒屋さんで、魚をつまんで、最後はバーでアイリッシュウイスキー。

こちらは居酒屋さん。

「おばけ」です。関西ではよく食べられる、鯨の尾ひれをさらしたもので、酢味噌でさっぱりといただきます。
食感もよろしく、キリリとした日本酒にとてもよく合いましたね。

Strauss_domestica

 
 R・シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

   ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団

                   (1993.5@サントリーホール)


来週は、きっとシュトラウスずくしになります、当ブログ。
何故って、22日は、神奈川フィルの定期でして、オール・シュトラウス・プロなんです。
前哨戦に、一番有名どころを聴いときます。
というか、一番短めだから、時間のないときは手頃なもんで。

あまりにも有名な、ティル・オイレンシュピーゲルの物語。
権力を小馬鹿にしてやりたい放題、悪戯三昧のティル。
14世紀に実在し、物語として語られ出版された内容は、読んだことはないものの、Wikiなどによれば、スカトロジー満載のちょっと臭そうなものみたい(笑)。

音による天才的な描写の才あったシュトラウスは、ティルのおしっこまで描いてるんだ。
トイレをガマンして、これ聴いてると危険ですよ、中高年の諸氏。
あっ、わたしのこと?

ともあれ、昔々・・・で始まる、ストーリー・テラー交響詩は、最高に面白い音楽のひとつでありましょう。

ちょっと生真面目なサヴァリッシュだけど、充分に微笑みも感じるし、オーケストラの明るく鮮やかな音色がまた見事なもんだ。
サントリーホールのライブだけど、これが演奏されて、もう20年近くになるんだ。
月日が経つのは、本当に早いものです。

ティル記事

「ネヴィル・マリナー&シュトットガルト放送響」

「ヤンソンス&コンセルトヘボウ」

「セル&クリーヴランド」

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2012年6月11日 (月)

漁港のにゃんにゃん③

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前回の続きから1週間。

月曜、ねこの日です。

ねこたちは、数を増し、そしてみんな同じ方向を見つめております。

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「おうおう、なんだにゃんだ」と少し落ち着きを失いつつあるニャンコさんもいらっしゃいます。
部外者の猫になりすましたワタクシを警戒するかのように。

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ついに5匹cat

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白混じりにくらべて、こっちの連中は落ち着いたもんですにゃ。

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おっ、彼らの視線の先、擁壁の上にもcat

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さらに追加の壁の上。

いったい、ここには何匹のにゃんこがおるねん。

と、いうことで、続きは今回もWebでね。

な~んてね、引っ張るわよね~cat

衝撃の結末は次週、このページにてcoldsweats02

なんてことないかもしれませんがね・・・・・。


漁港シリーズ過去記事

「漁港のにゃんにゃん①」

「漁港のにゃんにゃん②」

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2012年6月10日 (日)

神奈川フィルの一日 

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梅雨入りの雨の土曜日。

この日は、神奈川フィルの一日です。

午前中 お仕事

13:30 ①オーケストラの休日@ランドマークプラザ

16:00 ②グリーンウェーブコンサート@保土ヶ谷ハンズゴルフクラブ

18:00 ③勝手に応援団打ち合わせ@焼肉店

18:45 ④山本裕康氏エフヨコ出演聴取@焼肉店

22:00 ⑤勝手に応援団2次回@居酒屋

00:20 ⑥終電帰宅

       あ、いかん、今日9日は、息子の誕生日だった。
       取り合えず、マックでごまかす。

こんな、楽しすぎの一日。
雨なんて、関係ない。
でも、日曜は、息子にご奉仕だ。

さて、それぞれ、レビューしてみましょう。

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ブルーダル君も登場

①ブルーダル基金コンサート「オーケストラの休日」

 神奈川フィル・ファンファーレ「ブルーダル・プレリュード」

 メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」~「結婚行進曲」

 チャイコフスキー  「くるみ割り人形」~「トレパーク」

 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

 J・シュトラウス 「ラデツキー行進曲」  (アンコール)

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                    (2012.6.9 @ランドマークプラザ)


これ、誰でも聴ける、無料のコンサートでした。
高い吹き抜けの空間で音は拡散して散りぢりになってしまうのでは、と心配したけれど、素晴らしい豊かな響きと、意外なまでの求心力ある音に、いつも聴いてる神奈川フィルの音そのもを確認できましたよ。
ほんの30分だけれども、コンマスには石田氏、指揮は聖響さんと、なみなみならぬ楽団の思いが伝わります。
通りすがりのお客様も、今日知らずにランドマークにきて、イベントがあるから聴いてみようと思った方も、そして、わたしたち神奈川フィルのファンの人々も、等しくみな、神奈川フィルの美しく親密な音をしっかり受け止めることができました。
冗談抜きに、ほんとに素晴らしかった。
ことに、ワーグナー好きとしては堪えられないハ長の明晰サウンドが鳴り響いたマイスタージンガーには、唸らされましたぞ。
ナイスなコンサート、ありがとうございました。

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神奈川フィルの現状を説明する進行役のNさんに合わせて、指揮者・楽員が全員立ちあがった姿に、集まった人々もきっと心を動かしたはずです。
いつものメンバーのそんな姿に、わたしもグッときてしまいました。

いずれにしても、「横浜に神奈川フィルあり」を一般の方々にもわかっていただくいい機会だったのではないでしょうか。
いろいろと準備方も大変でしょうが、この催し、継続希望です!

②第14回グリーンウェーブコンサート

Greenwave

 カッチーニ  「アベマリア」

 モーツァルト 「ロンド」K373

 タルティーニ 「悪魔のトリル」

 ドビュッシー 「アラベスク」

 エルガー   「愛の挨拶」

 シンディング 「組曲」~「プレリュード」

 リスト     「コンソレーション」(ミルシュテイン編)

 クライスラー 「才たけた貴婦人」

 ファリャ    「はかなき人生」~スペイン舞曲1番(クライスラー編)


 サラサーテ  「チゴイネルワイゼン」

 森園 康香  「雨上がりの歌」  

       ヴァイオリン:森園 ゆり

       ピアノ    :佐藤 裕子

                 (2012.6.9 @ハンズゴルフクラブ)


今年で14回目という、なかなか歴史あるコンサート。
ゴルフ練習場のレストランホールでの、ヴァイオリン・リサイタルです。
ちょっとした軽食も楽しめます。

われらが神奈川フィルの第1ヴァイオリン奏者の森園さんが、70分間にわたって弾きまくる魅惑の演奏会は、去年が初参戦。
今年は、あいにくの雨となってしまいましたが、去年はお天気がよくて、音楽を聴きながら、窓の外の新緑と木漏れ日が眩しく輝くのが最高に素晴らしかった。
でも、雨降る外の景色も悪くなくて、モーツァルトやピアノソロのドビュッシー、そしてエルガーやリストなどは、どことなく物憂くてすごく詩的な思いに捉われてしまうのでした。

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オーケストラの中では、いつもおしとやかに弾いてらっしゃる森園さん。
ソロでは全然別のお顔を見せてくれる。
技巧満載の「悪魔のトリル」やスペイン情緒たっぷりのファリャ、そして「チゴイネルワイゼン」でかいま見る熱きパッション。
そして抒情的な優しい音楽では、神奈川フィルの一員であることを強く感じさせる繊細かつ煌めくような美しい音色。

そして、ご覧のとおりのナイスなプログラミング。
それぞれに関係しあう曲たちが、お互いが語りだすかのように感じられましたね。
ブラームスの第3ソナタをモティーフにしたという、アンコールの娘さんの作品も美しいものでした。

佐藤さんのピアノも素敵です。

普段、ゴルフクラブを握っている方々、ご近所の方々、ヴァイオリンやピアノを勉強中の子供たち。
そんな方々と並んで聴くコンサートもまた格別なものです。

③勝手に応援団打ち合わせ@焼肉店

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打ち合わせと称しながらの焼肉三昧。
森園さんのコンサートのあとの秘かな楽しみとなりつつある、近くの名焼肉店。
困ったくらいに、とてつもなく、けしからんくらいに美味い、ウマすぎの焼肉屋さん。
店主は、アマチュアながらもゴルフの名手と。
さすがは保土ヶ谷です。

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なかでも、生でもいけちゃうロースは狂おしいまでの甘味なる味わい。
ちょっと炙ってみたら、お口の中で、溶けちゃいましたぁlovely

④山本裕康氏エフヨコ出演聴取@焼肉店

われらが神奈川フィルの主席チェロ山本さんが、FM横浜に出演。
焼肉しながらスマホで聴いちゃいました。
定期公演で演奏されたシュトラウスの「ドン・キホーテ」の最後の場面に、焼肉しながらもホロリとしてしまう。
山本さんのお人柄が、そのお声からもうかがわれます。

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そして、まだ食べる焼肉は、眞露2本目、ホルモン&ミノ3皿目に突入。

もう1枚、美味しいところを

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⑤勝手に応援団2次回@保土ヶ谷駅居酒屋

まだ飲むぜ。
音楽に話題尽きず、ハイボールで乾杯。
最終電車をチェックし、途中退出。

皆さま、お世話になりました。

⑥終電帰宅

保土ヶ谷で横須賀&総武線に乗れば、そのまま1本。
東京湾をぐるりとして、へろへろ帰宅。
娘から今日は帰ってくるのか?メールあり、息子の誕生であったことを思いだしたダメなお父さん。
駅前のマックで、少々買い込み、コンビニで発泡酒を買い、日付が変わっても飲んでるお父さん。
今日は許してね、だって楽し過ぎたんだもん。

次ぎの日。
お肉大好きの息子には、お寿司と、ステーキを焼いてあげました。
いつかは一緒に行こう、あの焼肉へpig

特別付録

Salon

あのおいしい焼肉屋さんは、こちらが目印。なぁ~んてね。

よく見ると、うちの息子に似てるgawk

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2012年6月 8日 (金)

レオンタイン・プライス プッチーニ&R・シュトラウス

Tokyotower

東京タワーをその足元から。

暮れる前の空と、オレンジが美しい。

「ALWAYS 3丁目の夕日」の世界は、ワタシが生まれた頃。

2作目の64年バージョンは、東京オリンピックの年。

高度成長に入った日本が、上を向いて走り始めた頃。
覚えてますよ、あのオリンピック。
競技の内容じゃなくて、あのファンファーレ!
カッコよかった。
そして、各国の国旗を集めました。
純心で、なにもかもが新しく、前向きに進んでいった頃でした・・・・。

Leonttne_price

いやだなぁ、このジャケット。

いったいどういう趣味なんでしょう・・・・。

RCAの、少し前に出ていたこの2CDのシリーズは、みんなこうだ。最低のジャケット。

でも、ここに収められたCD2枚は、わたしの最大フェイバリット作曲家、プッチーニR・シュトラウスのヒロインのアリアやモノローグがたっぷりと収めらていて、あまりにも好きな曲ばかりだから、これまで何度聴いたことかわからない。

ここで歌うは、往年の大ソプラノの一人と言ってもいいかもしれない、レオンタイン・プライス

プライスは1927年、ミシシッピー州の生れ。
父は製材所勤務、母は助産婦で、教会の合唱団でもあった。
そんな両親のもと、ピアノを習い、そして母のように教会で歌い、コーチも受けて合唱のなかでも頭角をあらわし、やがて学生時代の1952年に校内のオペラ(ファルスタッフ)でオペラデビュー。
ダラスで同年、「ポギーとベス」に出演して、オペラ歌手としてのキャリアを踏み出した。

 その後アメリカ国内で着々と地歩を築き、1956年、渡米中のカラヤンのオーディションを受けて(このときはサロメ)、1958年にウィーンでアイーダをカラヤンのもとで歌ってヨーロッパデビュー。
その後の、カラヤンやショルティ、ラインスドルフとの共演・録音。
もっとも成功した黒人ソプラノとして、燦然と輝く記録が数々残されております。

1985年に引退するまで、最盛期を過ぎても、思わぬところに登場して、プライスの名を残しておりました。
かつて共演した指揮者やプロデューサーたちは、彼女のゴージャスで、グローリアスな歌声が忘れえなったのでしょう。

CD1 プッチーニ

 1.「蝶々夫人」~「ある晴れた日に」「さよなら愛しの坊や」
 2.「トスカ」~「恋に生き歌に生き」
 3.「マノン・レスコー」~「晴れやかに着飾っても」「一人さびしく」
 4.「トゥーランドット」~「お聞きください」「氷のような姫君の心も」
 5.「修道女アンジェリカ」~「母もなく」
 6.「ラ・ロンディーヌ」~「ドレッタの夢」ほか
 7.「ラ・ボエーム」~「さよなら、あなたの愛の声に」
 8.「蝶々夫人」~「二重唱」 R・タッカー
 9.「マノン・レスコー」~4幕二重唱 P・ドミンゴ
10.「蝶々夫人」~花の二重唱 M・ホーン


    オリヴィエロ・デ・ファブリティース、エドワーズ・ダウンズ
    フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ、ジェイムズ・レヴァイン
    エーリヒ・ラインスドルフ

    ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、
    RCAイタリアオペラ管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団


CD2 R・シュトラウス

 1.「ナクソスのアリアドネ」~アリアドネのモノローグ
 
 2.「エジプトのヘレナ」~ヘレナのモノローグ
 3.「サロメ」~終幕の場面
 4.「影のない女」~皇后のモノローグ
 5.「ばらの騎士」~マルシャリンのモノローグ
 6.「グンドラム」~フライヒルトのモノローグ
 7.歌曲「万霊節」、「高鳴る胸」、「親しき幻(5つの歌曲)」
      「どうやって秘密にしておけるでしょう」

    ファウスト・クレーヴァ指揮   ロンドン交響楽団(アリアドネ)
    エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団(サロメ)
        〃             ニュー・フルハーモニア管弦楽団
    ダヴィッド・ガーヴェイ:ピアノ

プッチーニ
(1858~1924)とR・シュトラウス(1864~1949)は、ほぼ同世代のイタリアとドイツのオペラ作曲家。
こうして並べてみると同世代なことに驚きますでしょう。
プッチーニはイタリアオペラ界では、偉大なヴェルディの後継者となったし、R・シュトラウスは、同じく大ワーグナーの後継者。
イタリアとドイツを代表する後期ロマン派・世紀末の作曲家であります。

そして、もうひとり。
それは、マーラーです。
1860~1911年の生没年は、これらの伊独のオペラ作曲家にまったくかぶる存在なのです。
交響曲におけるマーラーの存在は、シュトラウスとプッチーニを刺激したかもしれないし、なによりもオペラ指揮者としてのマーラーは、特にシュトラウスとの結びつきが強い。

3人の作曲家は、ともにメロディストであり、自己耽溺型のロマンティストで、聴く側を陶酔の淵に魅惑してならない甘味さにも欠きません。
でもそうした表面的な魅惑以上に、大胆で斬新なオーケストレーションがあります。
緻密で繊細な響きから、不協和音が鳴り渡る大音響までのレンジの広さは、近代オーケストラを聴く喜びにほかなりません。

マーラーは、交響曲という形式に、自己の複雑多岐な思いや大自然を封じ込めて、それはもうオペラの劇世界にも足を踏み入れていたわけだけれど、プッチーニは、完璧なオペラ作曲家。
自己の厳しい目で厳選したドラマがあって、そして、自分の愛するソプラノ=女性のキャラクターがあって、そこに音楽が生まれる。
R・シュトラウスは、オーケストラは散々に極め尽くしたあげくのオペラの世界。
現実から遠い神話や、歴史絵巻があって、そこに思い思いの女性の心情を鮮やかに載せていき、自在な音楽をつけていった。

三様のドラマと音楽とのかかわりを強く感じますし、ワーグナー・ヴェルディ以降のこの3人の音楽が、いまさらながら愛おしく思い次第です。

レオンタイン・プライスの歌は、プッチーニもシュトラウスもいずれも毅然としていて、風格がたっぷり。
そして、どこか危ないきわどいくらいのがけっぷちの必死の歌いぶりに、聴くこちら側も乗せられてしまい、ドキドキすることとなります。
ドラマティックという一言では片付けられない刹那的な雰囲気を感じるのが、プライスの歌のすご味なんです。
やはり、プッチーニが場数を踏んだ抜群の表現力に満ちてまして、蝶々さんやマノン・レスコーは極めて素晴らしいです。
そして私の大好きな、「ロンディーヌ(つばめ)」なんかもう、そのハスキーな歌声に振い付きたくなるような魅力を感じましたよ。

対するR・シュトラウスは、渋いところが並んでます。
アリアドネは、ショルティ盤でも歌ってますが、これは評論家諸氏のご指摘のとおり、ドスが効きすぎで、この音楽の持つ地中海的な透明感や軽やかさが後退しすぎ。
J・ノーマンのアリアドネ、しいてはシュトラウスにも、わたしはそう感じてしまいます。
でも難役エジプトのヘレナの神々しさと真っすぐの歌声はバッチリですし、皇后も同じく凛々しいのです。
あとはなんといっても「サロメ」のド迫力と退廃感は、ラインスドルフ&ボストンというバックを得て、素晴らしいものがありましたね。

プッチーニとR・シュトラウスの音楽の同質性と異質性を、ひとりの大ソプラノでもって味わえる、素晴らしい2枚組。
いやなジャケットには目をつぶりましょう。

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2012年6月 7日 (木)

I wish it so ドーン・アップショー

Rugne_1

琥珀色に身も心も酔ってしまった、ワタクシさまよえるクラヲタ。

久方ぶりに大阪へ。

今回は1泊のみだったので、大阪の音楽仲間の方々には声掛けできませんで残念でした。

ミナミで飲みました。

こちらは3軒目の、「PUBBAR IVROGNE」というバーでして、アイラモルトのボウモア。

なんば駅にも近い4丁目エリアは、かつてはちょっと怪しい雰囲気だったと聞きますがね、いまは個性的な、それも小さなお店が並ぶグルメエリアみたい。
どの店も、お客さんで一杯。

Upshaw

     I wish it so

          ドーン・アップショー  ソプラノ

        マイケル・スターン   ピアノ

わたしのお気に入りの1枚。

アメリカのソプラノ、ドーン・アップショーが歌う、アメリカのブロードウェイ・ソングブック。

アップショーは、ジンマン指揮するグレツキの「悲歌のシンフォニー」でブレイクしたリリックソプラノで、モーツァルトのスーブレット系の諸役やR・シュトラウスなどでメットを中心に活躍。
多彩で器用な彼女は、ミュージカルやジャズ、現代音楽も歌いこなすんです。

「I wish it so」は、マルク・ブリッツスタイン(1905~1964)が音楽を担当したミュージカル「JUNO」の中の1曲。
戦時のアイルランド、ダブリンに生きた働きもののジュノーの物語。
旦那はワークレスの飲んだくれで、彼女は家族をかいがいしく支えてゆく。

「そうだといいのに・・・・」

毎日、忙しくて、ずっとこんなだわ。心休むときもない、そしてベットにもぐり込むだけ・・・。
もうおかしくなりそう・・・。
そうなればいいに。。。。それは今夜、いや明日かも・・・。

少し哀しくも、どこか希望がある、とっても愛らしくも美しい曲なんです。

アップショーのクセのないクリアボイスはとっても可愛いのです。

疲れて、寝る前に、琥珀色の液体をくゆらせながら聴くのに最高の音楽なんです。

Rugne_2

個性的なバーがふたつ並んでました。

youtubeに、このアップショーの歌がありましたからどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=VDpNJgu7aWE&feature=related

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2012年6月 5日 (火)

ドヴォルザーク ピアノ協奏曲 リヒテル

Jinbocho6

神田神保町をさまよう。

靖国通りと、すずらん通りの間の路地には、渋くて味わい深いお店がいくつか点在してます。
50年以上の歴史を持つ「さぼうる」。

神保町歴は長いけれど、じつは数回しかいったことない。
いつも酔ってたし・・・・・。

Jinbocho3

少し行けば、「古瀬戸」。

ちょっとお高いけれど、ゆっくりと珈琲を楽しむには満足の空間。

城戸真亜子さんの書いた壁画に囲まれてランチもいけます。

会社員時代の出向先が、すずらん通りに面したビルにありましたから、ここは社内の密談によく利用しましたね。
ここが開店した頃ですから、25年くらい前でしょうか。

Jinbocho1

「ミロンガ」は、場末感漂う洋風居酒屋だった。というか、そんな風に使っていましたから。

お隣の「ラドリオ」で飲んで、こちらに梯子。またはその逆みたいなことをよくやってました。

この「ミロンガ」に行ってるころは、白髪の江戸っ子おばあさんがいて、もしかしたら娘とも思っていた女性とふたり、しゃきしゃきと切り盛りしてました。
お二人とは、よく上司のことなど、会話したものですよ。

いまは経営も変わっちゃったみたいで、おばあさんは亡くなってしまったとか・・・・。

もう四半世紀前ですから人は変化します。

でも店そのものは残るわけで、人は限りあり、でもその意志は悠久、ものは不変なのです。

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「ラドリオ」も外観はそのままに、なんとなく前と違うような。

この真ん前が、事務所ビルのB面でしたね。

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この日は、午後3時頃のことで、お腹は一杯だし、お店は中休みだしで、臨場感ありませんね。

今来た道を、神保町駅方面に戻りますと、中華の「徳萬殿」があります。

この店は、わたしが神保町にいた時に、このビルとともに開店しました。

いまはどうも大盛り系の店として名を馳せてますが、当時は普通に美味しい中華。
よく食べたのは、あっさり系のタンメンとミニ炒飯のセット。
進化したのか、コンセプトを変えたのか・・・・。

大盛りならば当時、すずらん通りにピアノ屋さんに並んで、元気なおばちゃんと、もの静かな厨房の旦那、ふたりの中華屋さんがあって、そちらは、黙ってると大盛りを食わされてしまう人懐こい店だった。ことに中華丼がすごくて、お盆に溢れだす具には往生しました。
いまは、ピアノ屋さんも含めて、地上げされてビルと化してます。

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その隣は、「ふらいぱん」。

昔も今も、こちらも変わらない風情。

昼は定食屋、夜は居酒屋。

昼の「まぐろ中落ち定食」は、鮮度いい中落ちがたっぷり味わえます。

ここも四半世紀以上でしょうか。

夜の部も、ほんと安くて、人情味あるお店。

亭主のゲンさんはいまも健在です。とっつき悪いけど、すこぶるいいオジサンですよ。

懐かしい~。

神保町路地散策、変わらず、いつまでもあって欲しい街です。

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  ドヴォルザーク  ピアノ協奏曲 ト短調

      Pf:スヴャトスラフ・リヒテル

   ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 プラハ交響楽団


        (1968.5 @プラハ)

ヴァイオリン、チェロ、ピアノと3つのドヴォルザークの協奏曲のなかで、もっとも地味。
というか、ドヴォルザーク作品でもマイナーな曲に属する作品。
断トツの存在、チェロ協奏曲の20年前1876年、35歳の作品ですが、どこを聴いても、どこをとっても、この音楽はドヴォルザークそのもの。
自身が、ピアノのヴィルトゥーソ的なものから離れて作曲したというとおりに、独奏ピアノの存在は少しばかり地味で、華やかさとは無縁で、旋律を滔々と弾きこなすというより、オケと一体になって、味わい深いボヘミア的、かつ敬愛する先達ブラームス的な世界を健気に求めてゆくという風情であります。

イメージとしては、つねに地味な中期以前の交響曲みたいな存在なんです。

だからこそ有名になれないけれど、それゆえにドヴォルザークの体臭がしっかり刻まれた桂曲でもあるんです。

全体でほぼ40分。
感傷的ながら親しみ感じる第1楽章は、オケ優位の交響的な雰囲気。
2楽章では、ピアノが常に先導し、ドヴォルザークの数ある交響詩のような文学的かつ幻想的な雰囲気で、最後の方は夢見心地の緩やかさ。
安住感を持つ、麗しの楽章。
そして、活発で民族的な3楽章は、協奏曲のおわりに相応しい元気のよさとフィナーレ感を持つものです。

けっして、地味な凡作じゃありません。
ソロとして華やかな演奏効果のあげにくい音楽であるがゆえの地味さ。
その地味さこそ、ドヴォルザーク中期の魅力なのかもです。

リヒテルは、ことあるごとにこの曲を演奏していて、超有名なところでは、カルロス・クライバーとバイエルン国立歌劇場で、EMI録音があります。
そして、そのずっと前、プラハの春でのライブは、まさに「プラハの春」の出来事の年。
ソ連からきたリヒテルと、チェコのスメターチェクという外見上・政治的なことは、まったくさておいて、素晴らしいドヴォルザークに感動できます。

カップリングはスメターチェクの「新世界」なのですが、まるで「猿の惑星」のようなジャケットは、かなり意味深長なのですよ。

神田近辺とドヴォルザーク~「ヴァイオリン協奏曲」

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2012年6月 4日 (月)

漁港のにゃんにゃん②

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漁港のにゃんこ、その2。

先の船の住人(猫)は船の中。その横にいた2匹。

夕日を受けて凛々しいそのお姿は、こちらをしっかり見てますな。

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ところが、お、お~ぃ、どこ行くんだよsign01

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どこか気になる方向へ・・・・。

あっ、車の下にも一匹発見。

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うーーむ、いったい、その先に何があるんだろ

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「続きはWebでにぇ・・・・・」と言っておりました。

おい、じゃねーだろよ。

次回、「月曜ねこの日」をお楽しみにcat

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2012年6月 2日 (土)

レスピーギ 「ローマ3部作」 マリナー指揮

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芝公園のバラと東京タワー。

スカイツリーの大盛況にめげず、頑張ってほしい東京タワー。

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先っぽが、交換工事のため撤去され、短くなっちゃった。

スカイツリー詣ではまだだけど、東京タワーの品格はやはり別格だと思います。

今日は、土曜日だし、華やかなオーケストラ曲を爽快に。

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レスピーギ(1879~1936)の交響詩集、「ローマ3部作」。

  交響詩「ローマの松」

  交響詩「ローマの噴水」

  交響詩「ローマの祭」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
                         (1990.9 @ロンドン)


この大音響と繊細なるピアニシモのあふれる3つの交響詩は、レコードでは、そのダイナミズムゆえ、1枚に詰め込むことがなかなかできませんでした。
いまや、3つが一緒に1枚に。CD時代の恩恵をこうむった典型かもしれません。
レコード時代の花形は「ローマの松」で、これ単独で、他の作品と組み合わせられることも多かったし、「ローマの噴水」とのコンビがもっとも多かった。
だから、もっとも遅くやってきたのは「ローマの祭」だけど、いまは「祭」が一番好きになった。

作曲年代は違えども、やはり同時に、一緒くたに聴きたい「ローマ3部作」。

「ローマの噴水」(1916)、「ローマの松」(1924)、「ローマの祭」(1928)。

この3部作ばかりが有名なレスピーギだけれど、初期は交響曲、豊富なオーケストラ曲、各種協奏曲、室内楽曲もたくさん。そしてオペラと歌曲は珠玉の世界。
そうです、まるで、R・シュトラウス(1864~1949)でございます。

少し時代は違えど、イタリアのR・シュトラウス、しいてはイタリアの後期ロマン派の旗手がレスピーギ。

「ローマ3部作」をマリナーの指揮で聴いてる人はあんまりいないだろうな。

これらの曲に期待する明るい華やかさとキラキラ感は充分。
でも、フルオーケストラの強大サウンドとはどこか無縁。
アカデミーとはいえ、フルオケクラスの布陣と思われますが、マリナーが指揮すれば腰は少し軽めなれど、透き通ったオーケストラサウンドに、あっさりさっぱりの見通しよいレスピーギが聴かれるのです。

アッピア街道の松の大行進も威圧的でなく、純音楽的なひたむきな盛り上げ方だし、祭のチェリチンチス、最後のダイナミックな主顕祭の興奮きわまりない場面でのきっちりと律義なまでのリズムの取り方とスコアそのものの盛り上がりを信じたかのような演奏ぶりは、非常に好ましいものです。
かつてのマリナーなら、さらさらと過ぎてしまうような、カタコンブやジャニコロの松の粒立つような抒情の素晴らしさや、水しぶきをあびるような清冽なトリトンの噴水、そしてローマ郊外の祭の夜のセレナーデなど、あくまでナチュラルで透明感ある抒情サウンド満載なのでした。

多くにお薦めはできませんが、古風なメロディスト、レスピーギの姿をかいま見るうえでも、是非聴いていただきたいサー・ネヴィル・マリナーの1枚でした。

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 ローマ3部作 過去記事

「ローマの松」 ヤンソンス&オスロフィル

「ローマの噴水」 デュトワ指揮

「ローマの松」  トスカニーニ&NBS響

「ローマの祭」   シノーポリ&ニューヨーク・フィル 


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2012年6月 1日 (金)

キッチン さまクラ②

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キッチンさまクラは、今日は野菜いため。

あまりに簡単。

野菜をあれこれ買ってくるのが面倒なときは、スーパーの野菜炒めセットの袋で充分。
あと、冷蔵庫の残り野菜や肉、あれば魚介などを適当に投入するのみ。

肝心なのは、塩は入れません。
中華の顆粒ダシがあればそれで充分。
そして、ワタクシは、この野菜炒めを大根おろしにつけて食べるんです。
このおろしには、ポン酢をかけておきます。

あっさり、さっぱり、驚くほどウマいよ。

ご飯すすむよriceball

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こっちも似た感じだけど、余ったもやしと鳥肉を胡麻油でシャッキリと炒めました。

ビールのつまみに最高。

鷹の爪でピリッと。そしてここでも中華ダシのみ。

ビールやハイボールすすむよbeer

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ティペット 交響曲第4番 ショルティ指揮

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お家で居酒屋。

去年の画像ですがね、このフィッシュ&チップスに、チューハイは、「テスコ」というスーパーで買ったものなんです。

「テスコ」は、イギリスの大手スーパーチェーン。

世界第3位を誇る世界規模に展開するチェーンストアなんです。

何度か書きましたが、唯一の英国訪問は会社員時代の店舗視察でして、イギリスでは「テスコ」、フランスでは「カルフール」や「オーシャン」など。
わたくし、油業界の人間でしたので、欧米、とくにヨーロッパでは、スーパーにガソリンスタンドが普通にあり、スーパーのブランドで、食料品の買い物の一環として、そしてそのスーパーの一品目としてガソリンを購入するという、ワンストップ型店舗コンセプトが定着しており、その様子を視察したのでした。
その経験を持ち帰り、あまたある日本独自の障壁と闘ったのは、もう18年くらい前でしょうか・・・・。
北海道のC社、全国チェーンのD社を中心に実現しました。

その「テスコ」が、8年前、日本に進出したときに、選んだ投資先兼パートナーが、「つるかめ」という、いわば下町風のミニスーパー。
ライバルの「カルフール」は、自社モデルの大型ハイパー・マーケットを日本折衷型にして大都市圏に展開したものの、おフランスの香り薄く、それを期待した日本のマーケットを読み込めず失敗し、イオンに売却して撤退。
 アメリカのウォルマートは、弱った西友を買収し、西友ブランドを残し、ウォルマート商法がいまの賢くも財布の紐が固い日本の消費者にマッチして成功。
 「テスコ」は、都市型・共働き世代・高年齢者層をターゲットとしつつも、やはり「つるかめ」はチープすぎた。
印象脆弱で、チェーン店としてもボリューム追及に難があったのか、日本市場からの撤退を決定している・・・・。
慎重すぎる展開も結局は実を結ばなかった。
日本の高度なマーケットを過大に恐れすぎたのでしょうか・・・・
かえって、ロープライスとボリュームに徹したウォルマート流が残ったのも、皮肉なもの。

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首都圏しかありませんが、撤退するまでに、お近くのテスコに是非行ってみてください。

国産OEMばかりでなく、英国産のテスコブランドの食材が売ってますよ。

ワインや紅茶、スープ、ビスケット、缶づめなど、イギリスの品々がありますので。

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今日の英国音楽は、新しめで、サー・マイケル・ティペット(1905~1998)の交響曲第4番。

ティペットの作品を本ブログで取り上げるのは、まだこれで2回目。
最初は、オラトリオ「我らが時代の子」→プレヴィン盤
第二次大戦中、ドイツのユダヤ迫害に怒りを覚えて書いた感動的な作品。

ティペットは、徹底した平和主義者であり、反戦を訴え、良心的兵役忌避者でもあった高潔の人物。
この点で、少し後輩のブリテン(1913~1976)とラップします。
しかも、ともに、あちら系の恋愛嗜好。
まさかお友達だったとは、文献上は見出せません・・・・・。

いずれも心優しく、でも強情なまでに戦争を憎み争いを嫌った。

戦争の火種、とくに第1次大戦や中東紛争を導きだした、かつての大国を母国に、反戦を訴え続けたティペットとブリテンの強き意思と、正しき良心には頭が下がります。
その心が反映された、彼らの音楽は、いまの時代、もっともっと聴かれ評価されるべきです。

ティペットの作品は、4つの交響曲に、各種協奏曲、室内楽全般に器楽曲、オペラ5作品に、声楽曲多数・・・という具合で、多岐にオールマイティです。
自身が指揮者として演奏したので、その点もブリテンに同じ。
長命だったので、自作自演もたくさんあり、亡くなるまで有名楽団からの委嘱作品も受けていたから、90年代は、当時の現存する作曲家としてかなりメジャーな存在だった。
亡くなって2000年代になり、少し忘れられた存在になりつつあるも、さすがシャンドスレーベルが全作品の録音を手掛けつつあり、ヒコックスの後を継ぐ指揮者が求められている状況。

今日の第4交響曲は、1976年シカゴ交響楽団の委嘱によって書かれ、77年にシカゴでサー・ゲオルク・ショルティの指揮によって初演された。
その年、ショルティ&シカゴは、ヨーロッパツアーを行い、ザルツブルクでの2演目演奏会のひとつでお披露目し、大成功を博した。
その時の模様は、77年末NHKFMで放送され、当然にエアチェックしました。
ほかには、展覧会やバルトークだったような記憶がありますが、肝心のテープは消失してしまいました・・・。

ショルティ&シカゴの強力コンビによる、ティペットのクールな交響曲。
休みなく連続する交響詩的な作品は、おおまかに4つ部分に分かれていて、提示部・緩徐・スケルツォ・フィナーレの構成に巧みになっている。
CD解説によりますれば、若き日に人類学博物館で観た細胞が単一から増えていくウサギの細胞の記録映像にインスパイアされたものという。
それは、生の息吹きというべき誕生の概念。
それが持ちまれた交響曲だそうな。
その息吹きを創成するのに、当初はウィンドマシーンを予定したらしいが、このレコーディングでは、実際の人間のふぅ~っという息吹きが使用されていて、やたらと生々しい。
生々しくリアルといえば、ショルティ&シカゴが引き出す、強靱かつシャープな響きで、そこには甘さは一切なく、厳しい造形に、聴く側もただごとじゃなく、背筋を伸ばして受け止めることになる。
ともかくカッコよく毅然とした妥協を許さないこのコンビの音は、ティペットの尖がった音楽の一面を正しく捉えてやまない。
N響で、ノリントンが先ごろ取り上げたらしい。
気になります。

ティペットは、いろんな側面をもった作曲家。
交響曲と、オペラを中心に、また取り上げてみたいと思います。

横浜みなとみらいの高層マンション群の一隅にも「テスコ」はありまして、先日の神奈フィルコンサートのおり仕入れたものもございます。
それもまたいずれ。

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