R・シュトラウス 「エレクトラ」 アバド指揮
6月26日は、わが敬愛するクラウディオ・アバド、79歳の誕生日です。
アバド唯一のR・シュトラウスのオペラ演奏の「エレクトラ」をDVD鑑賞します。
おまけに、このところずっと、R・シュトラウスづいてますよ。
オペラのジャンルは、オーケストラとともに、わたくしの基本ジャンル。
そして、いつも書きますが、オペラでは、ワーグナー、シュトラウス、プッチーニ、そしてモーツァルト、ベルク・シュレーカー・コルンゴルトなどを愛する音楽生活。
だから、R・シュトラウスの音楽には、常に歌の付随するオペラを感じます
金曜の金さんの指揮に欠けていたのは、やはり歌でしょうか。
エレクトラ:エヴァ・マルトン クリテムネトラ:ブリギッテ・ファスベンダー
クリソテミス:チェリル・ステューダー オレスト:フランツ・グルントヘーバー
エギスト :ジェイムズ・キング オレストの後見人:ゴラン・シミック
クリテムネスタラの従者:ワルトラウト・ウィンザウアー、佐々木典子
その他
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団
演出:ハリー・クプファー
(1989年 @ウィーン国立歌劇場)
ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代の上演のDVD。
デビュー時代から、ずっとアバドのレパートリーを把握し、自身アバドを70年代からずっと聴いてきて、驚きだったのが、このR・シュトラウスの「エレクトラ」。
それまで、R・シュトラウスは、交響詩の有名どころを演奏ぐらいだったのに、そしてオペラなら、アバドの資質からいったら、「アリアドネ」や「ダフネ」以降の作品だろうと思っていたのに、「エレクトラ」だったなんてことが驚きだった。
シュトラウス44歳、1908年の「エレクトラ」は、15作中のオペラ4作目で、交響作品作曲家として確たる地位を築いたシュトラウスが、前作の「サロメ」でオペラ作曲家としてもビッグネームとなった次ぎの作品。
シュトラウスのオペラにおける作風の変遷は、数日前に書いたとおりで、このエレクトラはサロメとともに、その素材選に、古代の禍々しく血なまぐさいリアルな古典劇を基にしている点。
そして、ライトモティーフの多用による音楽造りは、まさに劇ともタイトルされるとおり、ワーグナーの延長上にある。
同様に、「サロメ」との共通項は、時代背景は別としても、異常なまでのエキセントリックな女主人公と、その対軸にある、母と義父。ともに不倫という異常なシテュエーション。
加えて、それに天誅を下さんとするヨカナーン、そしてオレスト。
声質もすべてにおいて同じ。
サロメ歌いは、そろってエレクトラを歌うし、ヨカナーン=オレストです。
唯一、異なる存在は、女性的・母性的な存在であるクリソテミス。
この役にも、力のあるソプラノを要求するところが、短いのに有力歌手を要求する、この作品の上演を興行的にも阻む一因なのです。
それらとは異なる点の最大のものは、サロメは、まだ調性が維持されつつも、異国風・異次元風のミステリアスな空気を醸し出す抜群の筆致の境地にあること。
そして甘味で官能的な響き。
エレクトラでは、それらに加え、さらにバージョンアップしたかのようの分厚く、濃厚、ヒステリックなまでの強烈なサウンド。
調性は、無調に域にも達することもあり、リズムもバーバリスティックな局面が多々続出し、観劇する側を、異常な興奮に巻き込む効果にもあふれている。
そして、一方で、メロディアスで、いかにもシュトラウスともいうべき、これもまた聴き手を引きこむやるせないまでの魅惑の旋律も続出する。
ここにおいて、シュトラウスは、当時の前衛の最前線に踊り出たのでございます。
こんな劇的で激しい「エレクトラ」をアバドが当時、どのように取り組んだか。
当時の、聴衆が下した反応は、ブラボー半分、ブーイング半分。
暗いモノトーンで、妖気的なクプファーの演出も助長したかもしれない。
DVDでは、音のバランスが調性されているかもしれないから、オケも舞台の歌手もバランスよくしっかりなっている。
それでも、充分感じるのは、オーケストラピットの音が抑制され、色彩も渋いくらいに刈り込まれていること。
音楽は、しばし、その演出の色合いのようにモノトーンで、劇中人物の心情に即したように、それぞれの隠された秘密や心に秘めた狙いのように静かに潜行している感じ。
でも、その思いは、エレクトラと死んだと思われていた弟オレストが、出会い、お互いを知る爆発的なヶ所に、最大のピークにもってきたのような感動的な盛り上がりを見せるにおよび、その後の爆発的な音楽を一気に聴かせてくれる。
これを聴き、観ていて、わたしは、アバドの「シモン・ボッカネグラ」の父と娘の出会いのクライマックスを思いだしてしまった。
これがあるにも係わらず、劇場にいた聴衆の不満は、当時の批評によると、抑えきった鳴らないオーケストラにあったようだ。
シュトラウスのオペラの難しいところは、ワーグナー以上に、オーケストラ技法の熟練の域に達した作曲者の描く巨大オーケストラが、思い切り鳴りがよく書かれているのに対し、その上を突き抜けるように、舞台の声を客席に届けなくてはならない。
指揮者の力量がいやというほど問われるところ。
まして、このクプファーの舞台は、暗く奥と天井が高い空間配置のように見えた。
ゆえに、声がまっすぐ客席に届かないのではと、アバドは配慮したのではないかと思われた。
カーテンコールでブーを浴びるアバドの戸惑った固い表情がどこか印象的でした。
このエレクトラのあとは、疑古典の世界に遊んだ喜悦の「ばらの騎士」へと変貌するシュトラウス。
そんなターニングポイントの「エレクトラ」を果敢に取り上げたかったのが、新ウィーン楽派を得意とする意味で、アバドらしいといえるところ。
それと、「エレクトラ」を得意にしたアバドが私淑するミトロプーロスがあっての、このオペラの選択。
ミトプーのエレクトラは、まだ聴いたことがないのだけれど、いくつかあって、ウィーンフィルとのものもあるらしい。
そして、アバドはミトプー・コンクールの優勝者だし、子供時代に音楽家を目指す出会いとなったのは、ミトプー&スカラ座のマーラーの3番だったりするんだから。
アバドが好んで取り上げるオペラは、初期のロッシーニは例外的に、ヴェルデイでもワーグナーでもベルクでも、そしてムソルグスキーやモーツァルトでも、いずれも深い人間ドラマが心理的に音楽と不可分に描かれていることが共通項。
思えば、ややこしいくらいの相関関係がおぞましいドラマとなっている「エレクトラ」もその一品かもしれない。
クプファーの演出は、正直、よくわからない。
舞台に横たわる、亡き父アガメムノン王とおぼしき彫像の顔が半分地面に埋まった巨大レリーフと、その足もとを基本舞台に繰り広げる憎悪のドラマは、運命の手綱を引っ張りあうような登場人物たちによって進行する。
その人物たちの姿、というかお顔がまたなんとも不気味で奇妙。
ジャケットは、悪い母クリテムネストラで、その手を掴んでるのが、パンダのような顔になってるエレクトラ。まるでオカルトの異次元の人物。
クリテムネストラも真っ白けの顔で、太りだしたステューダーが、ごろんごろん転がるところは、失笑もの・・・・。
比較的怪しくても、見栄えがいいのは、グルントヘーバーと、融通の効かなそうなJ・キングの悪叔父。
(いまや日本を代表するシュトラウス歌い、佐々木典子さんと、スゴイファスベンダー)
でも、目を瞑って、この豪華キャストメンバーの実存的な声を聴けば、もう圧倒的な素晴らしさ。
ことにファスベンダーとステューダーは最高でございますよ。
前者の役への没頭ぶりがそのまま歌に反映される性格的な異常ぶりは凄い。
後者のスリムで暖かい歌声は、シュトラウス歌唱の理想かも。
後年、アバドはベルリン時代、ベルリンとザルツブルクでも、エレクトラを取り上げ、成功を勝ち得ている。
ウィーンから5年後。
ウィーンは保守的で伏魔殿的な場所であったが、いまや、そんな風潮は少し薄れ、斬新な舞台とメストの軽やかでスピーディな音楽と、ティーレマンの重厚な音楽などもともに受け入れられる劇場となっている。
アバドは、やはりよくも悪くも、カラヤン後という宿命をどこでも背負っていたわけであります。
昔のことですが、でも、自身が信じる切り口を常に貫き通したアバドの信念に、いまこそファンとして敬意を表したいです。
R・シュトラウス自身が残した、若き指揮者への道標のひとつに、「サロメやエレクトラを君はメンデルスゾーンの妖精の音楽のように指揮しなさい」という格言めいた指示があります。
そしてともかく抑えることを再三に忠告しております。
ベーム、カイルベルト、ケンペ、サヴァリッシュらの、シュトラウスのオペラ指揮者たちの演奏を思うとなるほどと思える言葉です。
アバドも、きっとそれを心に刻んで、軽やかに、テンポよく演奏するいことを心がけ、ついにベルリンで完成系に達したのでありましょう。
アバド79回目の誕生日に寄せて。
「エレクトラ 過去記事」
「バレンボイム&ベルリン国立j歌劇場」
「シノーポリ&ウィーフィル」
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コメント
お早うございます。マエストロ・アバドは、私がクラヲタになったばかりの頃は巨匠の入り口か、将来有望な中堅という感じでしたが、月日が経つのは速いもので今や大巨匠ですね。
恥ずかしい告白ですが私はエレクトラの映像作品というとこのアバド盤とベームの最晩年のオペラ映画ぐらいしか観たことがないのです。レヴァインのも観たいです。観たのはアバド盤のほうが早いのです。クプファーの演出には最初は戸惑いましたが、今はすっかり慣れて、抵抗なく楽しんでいます。むしろオーソドックスな演出であるベーム盤に違和感を覚えるぐらいクプファーの演出には馴染んでしまいました。FDのオレストは滅茶苦茶にカッコイイですが。
クプファーの演出でよく分からないのはネルソン指揮バイロイトの85年のオランダ人の第3幕ですね。あれはオランダ人が見た幻覚か何かだったのでしょうか?昔出ていたLDにはクプファー演出に関する詳細な解説が付いていたらしいのでそれが読みたいのですが、今は読めません。私が持っているDVDにはほんのちょっとした解説しか付いていないのでこれだけではさっぱりです。ブログ主様のレクチャーを拝読したいところです。
投稿: 越後のオックス | 2012年7月 1日 (日) 11時10分
越後のオックスさん、こんばんは。
アバドは、そのレコード本格デビュー時から着目しておりまして、いまの大巨匠となった姿に眩しくもあり、自分の目に狂いはなかったとの思いで一杯です。
エレクトラ映像は手持ちでは、このアバド盤だけなんです。
ベームは、何故かスイスのホテルで見たんです。
不思議な体験でした。
そしてクプファーのオランダ人ですか。
実は、これも見たことないんです。
その音源は、FM録音で何種類も持っているのですが、肝心の映像はまだです。
確か、放送での解説では、病的なまでのゼンタの夢想を描いたのではなかったかと記憶してます。
黒人エステスの宿命的な存在(声です)と、救済のない終わり方が、音源ではとても印象に残ってます。
初年度のDR・デイヴィスが鮮烈でした。
いずれ映像を観てみなくてはなりませんね。
投稿: yokochan | 2012年7月 2日 (月) 23時58分