レオンタイン・プライス プッチーニ&R・シュトラウス
東京タワーをその足元から。
暮れる前の空と、オレンジが美しい。
「ALWAYS 3丁目の夕日」の世界は、ワタシが生まれた頃。
2作目の64年バージョンは、東京オリンピックの年。
高度成長に入った日本が、上を向いて走り始めた頃。
覚えてますよ、あのオリンピック。
競技の内容じゃなくて、あのファンファーレ!
カッコよかった。
そして、各国の国旗を集めました。
純心で、なにもかもが新しく、前向きに進んでいった頃でした・・・・。
いやだなぁ、このジャケット。
いったいどういう趣味なんでしょう・・・・。
RCAの、少し前に出ていたこの2CDのシリーズは、みんなこうだ。最低のジャケット。
でも、ここに収められたCD2枚は、わたしの最大フェイバリット作曲家、プッチーニとR・シュトラウスのヒロインのアリアやモノローグがたっぷりと収めらていて、あまりにも好きな曲ばかりだから、これまで何度聴いたことかわからない。
ここで歌うは、往年の大ソプラノの一人と言ってもいいかもしれない、レオンタイン・プライス。
プライスは1927年、ミシシッピー州の生れ。
父は製材所勤務、母は助産婦で、教会の合唱団でもあった。
そんな両親のもと、ピアノを習い、そして母のように教会で歌い、コーチも受けて合唱のなかでも頭角をあらわし、やがて学生時代の1952年に校内のオペラ(ファルスタッフ)でオペラデビュー。
ダラスで同年、「ポギーとベス」に出演して、オペラ歌手としてのキャリアを踏み出した。
その後アメリカ国内で着々と地歩を築き、1956年、渡米中のカラヤンのオーディションを受けて(このときはサロメ)、1958年にウィーンでアイーダをカラヤンのもとで歌ってヨーロッパデビュー。
その後の、カラヤンやショルティ、ラインスドルフとの共演・録音。
もっとも成功した黒人ソプラノとして、燦然と輝く記録が数々残されております。
1985年に引退するまで、最盛期を過ぎても、思わぬところに登場して、プライスの名を残しておりました。
かつて共演した指揮者やプロデューサーたちは、彼女のゴージャスで、グローリアスな歌声が忘れえなったのでしょう。
CD1 プッチーニ
1.「蝶々夫人」~「ある晴れた日に」「さよなら愛しの坊や」
2.「トスカ」~「恋に生き歌に生き」
3.「マノン・レスコー」~「晴れやかに着飾っても」「一人さびしく」
4.「トゥーランドット」~「お聞きください」「氷のような姫君の心も」
5.「修道女アンジェリカ」~「母もなく」
6.「ラ・ロンディーヌ」~「ドレッタの夢」ほか
7.「ラ・ボエーム」~「さよなら、あなたの愛の声に」
8.「蝶々夫人」~「二重唱」 R・タッカー
9.「マノン・レスコー」~4幕二重唱 P・ドミンゴ
10.「蝶々夫人」~花の二重唱 M・ホーン
オリヴィエロ・デ・ファブリティース、エドワーズ・ダウンズ
フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ、ジェイムズ・レヴァイン
エーリヒ・ラインスドルフ
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、
RCAイタリアオペラ管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団
CD2 R・シュトラウス
1.「ナクソスのアリアドネ」~アリアドネのモノローグ
2.「エジプトのヘレナ」~ヘレナのモノローグ
3.「サロメ」~終幕の場面
4.「影のない女」~皇后のモノローグ
5.「ばらの騎士」~マルシャリンのモノローグ
6.「グンドラム」~フライヒルトのモノローグ
7.歌曲「万霊節」、「高鳴る胸」、「親しき幻(5つの歌曲)」
「どうやって秘密にしておけるでしょう」
ファウスト・クレーヴァ指揮 ロンドン交響楽団(アリアドネ)
エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団(サロメ)
〃 ニュー・フルハーモニア管弦楽団
ダヴィッド・ガーヴェイ:ピアノ
プッチーニ(1858~1924)とR・シュトラウス(1864~1949)は、ほぼ同世代のイタリアとドイツのオペラ作曲家。
こうして並べてみると同世代なことに驚きますでしょう。
プッチーニはイタリアオペラ界では、偉大なヴェルディの後継者となったし、R・シュトラウスは、同じく大ワーグナーの後継者。
イタリアとドイツを代表する後期ロマン派・世紀末の作曲家であります。
そして、もうひとり。
それは、マーラーです。
1860~1911年の生没年は、これらの伊独のオペラ作曲家にまったくかぶる存在なのです。
交響曲におけるマーラーの存在は、シュトラウスとプッチーニを刺激したかもしれないし、なによりもオペラ指揮者としてのマーラーは、特にシュトラウスとの結びつきが強い。
3人の作曲家は、ともにメロディストであり、自己耽溺型のロマンティストで、聴く側を陶酔の淵に魅惑してならない甘味さにも欠きません。
でもそうした表面的な魅惑以上に、大胆で斬新なオーケストレーションがあります。
緻密で繊細な響きから、不協和音が鳴り渡る大音響までのレンジの広さは、近代オーケストラを聴く喜びにほかなりません。
マーラーは、交響曲という形式に、自己の複雑多岐な思いや大自然を封じ込めて、それはもうオペラの劇世界にも足を踏み入れていたわけだけれど、プッチーニは、完璧なオペラ作曲家。
自己の厳しい目で厳選したドラマがあって、そして、自分の愛するソプラノ=女性のキャラクターがあって、そこに音楽が生まれる。
R・シュトラウスは、オーケストラは散々に極め尽くしたあげくのオペラの世界。
現実から遠い神話や、歴史絵巻があって、そこに思い思いの女性の心情を鮮やかに載せていき、自在な音楽をつけていった。
三様のドラマと音楽とのかかわりを強く感じますし、ワーグナー・ヴェルディ以降のこの3人の音楽が、いまさらながら愛おしく思い次第です。
レオンタイン・プライスの歌は、プッチーニもシュトラウスもいずれも毅然としていて、風格がたっぷり。
そして、どこか危ないきわどいくらいのがけっぷちの必死の歌いぶりに、聴くこちら側も乗せられてしまい、ドキドキすることとなります。
ドラマティックという一言では片付けられない刹那的な雰囲気を感じるのが、プライスの歌のすご味なんです。
やはり、プッチーニが場数を踏んだ抜群の表現力に満ちてまして、蝶々さんやマノン・レスコーは極めて素晴らしいです。
そして私の大好きな、「ロンディーヌ(つばめ)」なんかもう、そのハスキーな歌声に振い付きたくなるような魅力を感じましたよ。
対するR・シュトラウスは、渋いところが並んでます。
アリアドネは、ショルティ盤でも歌ってますが、これは評論家諸氏のご指摘のとおり、ドスが効きすぎで、この音楽の持つ地中海的な透明感や軽やかさが後退しすぎ。
J・ノーマンのアリアドネ、しいてはシュトラウスにも、わたしはそう感じてしまいます。
でも難役エジプトのヘレナの神々しさと真っすぐの歌声はバッチリですし、皇后も同じく凛々しいのです。
あとはなんといっても「サロメ」のド迫力と退廃感は、ラインスドルフ&ボストンというバックを得て、素晴らしいものがありましたね。
プッチーニとR・シュトラウスの音楽の同質性と異質性を、ひとりの大ソプラノでもって味わえる、素晴らしい2枚組。
いやなジャケットには目をつぶりましょう。
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コメント
ソプラノといえばフレーニなどのリリコかレッジェーロが好きだった少年の日。
プライスは大嫌いでした。
最高のリリコ・スピントとはどういうものか、ということがわかったときに、少年から大人のペラゴロになってしまいました。
投稿: コバブー | 2012年6月 9日 (土) 19時56分
コバブーさん、こんばんは。
PC不調で、ご返事遅くなりました。
正直、わたくしもイタリアオペラではリリコばかりの少年・青年時代でしたね。
そして、プライスを見直したのは、プッチーニが大好きになってから。そんなに昔じゃありません。
伊達に、大物ではありませんでした。
投稿: yokochan | 2012年6月11日 (月) 00時14分