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2012年7月 8日 (日)

コルンゴルト 「死の都」 インバル指揮

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薔薇の花と青空。

でも、ことしは雷雨が多いから、実はその後の薔薇と空なんです。

くっきりしてますが、こうやってバラの花を見上げると、どこかミステリアスな雰囲気があるんです。

六本木ヒルズのモニュメントみたいなシュール感がでました。

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  コルンゴルト  「死の街」

       パウル:ステファン・フィンケ  マリエッタ:ソルヴェイグ・クリンゲルボルン
   フランク:ステファン・ゲンツ   ブリゲッタ:クリスタ・マイヤー
   ジュリエッテ:エレノーレ・マルグーレ ルシエンネ:アエリア・エーシュ
   ガストン:ジーノ・ポテンテ    ヴィクトリン:シ・イージェ
   アルバート卿:マティアス・シュルツ

    エリアフ・インバル指揮 フェニーチェ歌劇場管弦楽団・合唱団
        演出:ピエール・ルイージ・ピィツイ
                    (2009.1 @ヴェネツィア) 


コルンゴルト(1897~1957)は、わたしの大好きな作曲のひとり。
その過去記事にて、コルンゴルトのことは散々書いてますので、ご確認いただければと思います。→コルゴルト記事
超要約すると、神童の名を欲しいままに、子供時代から大人びた音楽を書き続け、当時の大指揮者たちがこぞってとりあげる人気作曲家だった。
しかし、戦争がこのユダヤ系作曲家を陰に追いやることとなり、退廃音楽としてのレッテルを張られ、アメリカに逃れ、かの地では映画音楽の作曲家としての地位をえるものの、本業のクラシカル作曲家としての立場は認められず、戦後、ヨーロッパに戻っても、忘れられた存在は変わらず、失意のうちにアメリカで没する。

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その音楽は、後期ロマン・世紀末系音楽の典型で、甘味なる旋律線と大胆な和音の展開は、マーラーとシュトラウス、プッチーニの延長上にあるもの。
華麗でロマンティック、哀愁と望郷、センチメンタルでダイナミック、過去とこの先・・・・。
コルンゴルトの音楽には、そんな例えが相応しい。
マーラーのようには自己耽溺でも個性的でもなく、シュトラウスのようには器用でなく融通も効かなかった。

「死の都」は、5つあるコルンゴルドのオペラのなかで、3番目のもので、1920年、この時作曲者は23歳。
早熟すぎるコルンゴルトは、ヨーロッパ楽壇で人気抜群の存在だった。
このオペラは、彼の作品の中では、もっとも上演回数の多い作品で、音源もいまやそこそこにありますし、映像で思いもよらぬインバル盤が出てきたときは驚いたものです。

ジョルジュ・ロダンバックの「死都ブリュージュ」という小説をもとに、息子を一流に仕立てようと常に尽力した音楽評論家の父ユリウスと息子によって台本がなされた。

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その内容は、ゴシック・ロマンの典型で、主人公男性が亡き妻を忘れられず、街で見かけた妻似の女性も登場して、夢と現実が交錯しあい、倒錯のひと時を過ごすというもの。
そして、ブリュージュの街自体がこの物語を怪しく取り囲んでいるといったミステリアスな風情を持つ。

この物語にコルンゴルトがつけた音楽は、毎度のことながら、とうてい23歳の青年とは思えず、溢れ出る甘味なる旋律とチェレスタ・グロッケンシュピール・ピアノ・マンドリンなどが活躍する近未来的響き、そして人物の心象に即したライトモティーフ手法など、まるで熟練の技で、夢かうつつか幻かの、この怪しいドラマに、いかにもの背景になっております。

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そして、あまりにも素敵なソロもあります。
1幕に、マリエッタによって歌われる「マリエッタの歌」と終幕最後にパウルによって引き継がれるその同じ歌は、古今東西わたくしの大好きな名旋律です。
あと2幕でピエロに扮した友人フランクの甘~いモノローグも素晴らしくって、陶然としてしまいます。
他にも、1幕最後のパウル、3幕はじめのマリエッタ、それぞれのモノローグもなかなかの聴かせどころです。

でも、このオペラは、歌手が大変で、主役級3人に人を得ないと散々なことになります。
ことに、テノール役のパウルは、没頭的な激しさと甘さと体力を求められる難役で、ワーグナー歌手の持ち役となります。
キング、コロ、ケルルなどがすでに出ている録音ですし、最近話題のC・フォークトの新盤は未聴ですが、きっとユニークなものなんでしょう。

ヒロインのマリエッタは、透明感と張り詰めた高域を要求される、これも難役。
フランク役は、甘いバリトンだけれど、友愛と裏切りと両方の個性を歌いださなくてはならない。

今回のヴェネチアでの上演における3人は、その名前はあまりメジャーじゃないけれど、欧米ではかなり活躍していて実績ある人たち。
 ドイツのヘルデンテナー、フィンケはジークフリートも歌う人で、今回初聴きだけれど、少し一本調子なところが、この思い込みの激しい役柄にぴったり。
でも甘い雰囲気は、ルネ・コロの足元にも及ばない。

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クリンゲルボルンは、その名前がそれっぽい通り、ノルウェーのソプラノで、彼女もまたワーグナーやシュトラウスを得意にしていて、ローエングリンのDVDも出てます。
北欧の歌手に特有の透明感とすっきりした歌声を持っていて、高音も嫌味なくキレイ。
自国もののCDもたくさん出ているので、是非そちらも聴いてみたいと思っております。
 さらにドイツのシュテファン・ゲンツ
この人の甘く美しいバリトンが実は一番驚きでした。シュトラウスやマーラー以外にも、ドイツの古典からロマン派まで、若い期待のバリトンに思いましたね。

フェニーチェ劇場の音楽監督インバルは、マーラーとブルックナーの専門家みたいに思われているけれど、若い頃から劇場での活動も盛んで、「オペラを振らない指揮者は何かが欠けている」的なことも昔言っていたように記憶します。
世紀末系が得意なインバル、響きをしっかり精査して緻密な演奏を行ってます。
ベネチアの明るい音色がそこに華を添えてる感じで、このコンビでワーグナーやマーラーも聴いてみたく思います。

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ピッツィの演出する舞台は、奇抜なことをせず、わかりやすいもので好感を持ちます。
古都のコラージュすら出てきますが、全体の色調はモノトーンでブラック。
舞台奥にはヴェネツィアらしく水が張られていて、後背にある鏡にその水の動きや、そこで展開される、いわばパウルの夢の世界を映し出す仕組み。
なかなか美しいものでしたね。

亡き妻の想い出や亡霊、そして古色怪しいブリュージュという街に取り込まれてしまった主人公パウル。
最後は、その街を決意をもって後にするわけですが、われわれも、パートナーや住む街が変わるだけで、その人生が様変わりすることを体験しております。
変わりたくない自分と、変わりたいと思う自分。そして過去への執着。
そんな甘味なる思いに、コルンゴルトの美しい音楽は、ぴたりと寄り添い、まとわりついて離れません。

 「死の都」過去記事

  「ラニクルズ&ウィーンフィル ザルツブルクライブ」

  「マリエッタの歌~ヘンドリックス、メスト&フィラデルフィア」

以前の記事より粗筋を再褐しときます。

第1幕
ブリュージュに住む中産階級の男パウルの家。先頃亡くした若い妻マリアのことが忘れられず、自宅に亡妻の肖像や遺髪をあしらった部屋を設け悔悟に浸っている。
友人のフランクや、家政婦から、生き続けてマリアを偲ぶことこそが幸いだと言われるが、パウルはまだ妻の死を受け入れられない。
その証拠に、街でマリアに似た女に会い、今日この家に招待したと言う。
 そこへ、マリーとパウルが思い込むマリエッタがやってくる。
彼女は快活で美しい踊り子なのである。
もう夢見心地で錯乱的なパウルに戸惑いながらも、マリエッタはそれでも大切なお客の気を惹こうと踊りや歌を披露する。このとき高名な「マリエッタの歌」が歌われる。
これで恍惚としてしまうパウロ、その彼を残して、マリエッタは立ち去ってしまう。
 以降は完全に、パウロの幻想の中・・・・。
マリーの肖像画から亡霊のようにマリーが出てくる。自分を忘れないように・・・・。
一方でマリエッタへの興味もありつつのパウロ。ますます困惑していく・・・・。

第2幕
幻想のまま、2幕に突入。
マリアは、しっかり生きて・・・と言うが、パウルはマリエッタにぞっこんだ。
一方のマリエッタは、仲間を引き連れて賑やかに登場。
道化や二枚目、ダンサーたち。彼らに請われて、蘇りの寸劇を躊躇しながらもすることに。
しかし、パウルはここに現れ(夢の中で、目覚めて)、嫌悪感を示し、マリエッタは、一同を去らせる。
二人きりになったマリエッタは抵抗せずにパウルを受け止めるが、これも実はまだ、パウルの幻影の中の出来事なのだ。

第3幕
幻影と現実が入り乱れる。パウルの幻影のは続行中、マリエッタと暮らすようになったが、パウルがあまりに変なものだから、マリエッタも愛想をつかしつつある。
亡き妻の遺髪を引っ張り出したものだから、パウルも切れてしまいマリエッタの首を締めてしまう。ここで「亡きマリーにそっくりだ」と驚くパウル。
 殺してしまった・・・・と、夢から覚めるパウル。実は悪夢の中に漂っていた・・・・。
ここでようやく夢から覚めて我に返る。
実はまだ、1幕から時間がちょっとしか経っていない。
そのマリエッタもちょっと前に忘れた傘を取りに来て、さりげなく去る。
パウロは友人フランクの勧めを受け入れ、「死の都ブリュージュ」を立ち去ることを決心し、死者は安らかに止まり、自らはこの家を離れ生き続けることを歌い、幕となる。

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コメント

今晩は。40にもなっていないのに頭部が薄くなり始め、落ち込んでいる越後のオックスです。でも皆悩みながら生きているのですよね。九州の大雨は一体どうなるのでしょう?ブログ種様がよく仰るように自然も人心も変になってしまったのでしょうか?
 コルンゴルトは好きですが、鑑賞している作品の質でも量でもブログ主様の足元にも及びません。世紀末的な魅力にあふれる死の都は、ラタム・ケーニヒ指揮のDVDで鑑賞しています。デノケが出ています。私はとんだ思い違いをしておりました。ケーニヒ指揮のDVDだと最後にパウルがリストカット自殺をするのです。そしてこのDVDには日本語字幕はついていますが日本語解説は付いておりません。主人公は最後まで死都ブリュージュの魔力からもマリエッタの呪縛からも逃れられなかったのだなーとばかり私は思い込んでおりました。ところがブログ主様の解説だとパウルは死の都の呪縛から逃れて新しい人生を歩むことが出来たようですね。こういうのを読み替え演出というのでしょうか?私はこういう演出がどうも苦手で・・・演奏は楽譜に忠実でないと火のように怒るのに、演出は作曲者や台本作家の意図を無視してもいいのかとどうしても疑問に感じてしまいます。インバルのDVDは比較的オーソドックスな演出のようですね。
 パソコンを新しいものにし、メルアドも変わりましたので新しいのを記入しておきます。頭が薄くなってきたのがショックで髭をそる気力も失せてしまった越後のオックスでした。

投稿: 越後のオックス | 2012年7月15日 (日) 23時46分

越後のオックスさん、こんにちは。
猛暑の休日になってしまいましたね。
そちらはいかがですか?
まず、髪の問題ですが、ワタクシもその悩みを抱えてもう30年過ごしてまいりました。
30歳くらいから始まってしまいましたよ、私の場合は。
いまはも見る影もありません・・・・。
気にしないことです。心ないヤツに喧嘩で嘲笑されたことがあり、ショックなこともありましたが、どうしようもないものですし、いまはいろんな方法もありますからね。
わたしは無策ですが、もういいんです。

「死の都」のエンディングは、わたしはそういうものだと思って過ごしてきました。
和訳がなく英訳で想像するのみですが、街を去るのがオリジナルのはずです。
ベルリンドイツオペラの上演の映像(LD)では、パウル役のキングは、ピストルを最後に取り出すのだそうです。
いつも書いていることですが、わたしは読み替えでも、音楽の意図を邪魔しなければ、その解釈はオペラの楽しみとして積極的に受け入れたいと思ってます。
しっかりと音楽を勉強してから演出を施すという過程がわかれば許します。
もちろん、その内容が受け入れ難いものであれば批判すればいいわけです。
ですから、最初から読み替えを否定してしまう気は、これらの前提付きで、ありません。

ですからどうでしょうね。パウルが命を絶つというのも、ある意味、街からの訣別という決着のひとつかもしれないですね。

髭を伸ばすこともしてみましたが、失敗でした。
きれいに清潔に小ざっぱりした方が、わたしらの場合はよいと思います!

投稿: yokochan | 2012年7月16日 (月) 17時55分

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