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2012年7月11日 (水)

アイスラー ドイツ交響曲 ツァグロセク指揮

Toyopetprince

トヨタ系、ニッサン系、それぞれの販社が同じビルの上下に。

前にネットで見て、ほほぅ~と思っていた。

そして、この前、千葉を車で走っていたら、何気に、いきなり、そのビルが目の前に現れた。

あわてて、この珍景をパシャリと撮りました。

このときの車のBGMは、展覧会の絵じゃなかったけれど・・・・。

呉越同舟、こんなこともあるんですねぇ。

仲良くやること大事ですよ。

Eisler_deutsche_sinfonie

    アイスラー  ドイツ交響曲 

          
        (アンチ・ファシスト・カンタータ)

 

     S:ヘンドリケ・ハングマン A:アネッテ・マルケルト
     Br::マティアス・ゲルネ   Bs:ペーター・リカ

     語り:クルト・グートショウ、フォルカー・シュヴァルツ

     エルンスト・ゼンフ合唱団(ジークルト・ブラウンス指揮)

   ローター・ツァグロセク指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

                      (1995.6 ライプチヒ)


ハンス・アイスラー(1898~1962)は、ライプチヒ生まれのユダヤ系作曲家。
ウィーンで、シェーンベルクの門弟に入り、12音技法による作曲や後進の指導を行うも、やがて師や新ウィーン楽派たちの方向性に疑問をいだき、脱退。
作家で詩人、あの三文オペラのブレヒトと意気投合し、親友となり、やがてマルクス主義を標榜し、ブレヒトを始めとする政治的な詩に曲を付けた歌曲など、純粋音楽から方向性を少しずつ変えていった・・・・。
これを当時、ナチスが見逃すことはなく、すでに友人の忠告もあってドイツを出て転々としていたアイスラーは、この反ナチスともいうべきこの「ドイツ交響曲」を作曲中であった。

このカンタータとも呼ぶべき交響曲は、1937年パリ万博にその一部を初演することで準備を進めていたものの、その情報をキャッチしたナチスは、フランス政府に圧力をかけ、その曲目をアイスラーの1931年作第3組曲に切り返させた。
その時、アイスラーが用意していた新作交響曲のタイトルは「反ナチスシンフォニー」というものでありました。

ここまでくると、このアイスラーという人、反骨精神が武骨なまでに豊かで、権力に屈しない力強いオジサンという感じです。(オジサンといったのは、写真で見ると、ほんと偏屈なオヤジにしか見えないのです。

さらに激動のアイスラー人生は続く。

ついに、ナチスから、その一切の音楽の演奏禁止、そう、退廃音楽のレッテルを晴れて受けました。
アイスラーは、コミュニストという側面を持ちつつも、1938年、アメリカに活動の地を求めて亡命。
新天地では、どちらかというとシリアスな作品専門に映画音楽作曲家として活躍し、成功を収めております。
まったく同時期に、ナチスを逃れてアメリカに渡り、映画音楽に活路を見出したのがコルンゴルトでして、そちらは活劇や甘い恋愛やサスペンス音楽。
ほかにも同様の運命をたどった作曲家や、作家もいるので、ある意味、アメリカはユダヤ系芸術家の移動で芸術はおろか、各種ジャンルが興隆した点もあるように思います。

さてところが、アイスラーさんは、その揺るがぬ意思を隠そうとも、いや隠すこともできず、戦後のアメリカの赤狩りで、見事に引っかかり、国外退去の運命とあいなります。
1948年、分裂ドイツの東側に迷うことなく赴き、そこでまたひと花咲かせることとなります。
ユダヤ人でありつつ、ドイツ人、そして共産主義者でもあったアイスラーの辿り着いた安住の地は東ドイツだったのであります。
もっと長生きしていたら、さらに次なる運命も待ち受けていたはずのアイスラーは、1962年に亡くなっておりますが、なんといっても、東ドイツ国歌を作曲しているのです。

オリンピックでは、ソ連と並んで、むちゃくちゃ強かった東ドイツ。
その国歌はyutubeにありました。

  廃墟からの復活:Auferstanden aus Ruinen

  http://www.youtube.com/watch?v=6mzx-B4_110&feature=related

オリンピックや、東からの来日オーケストラでよく聴きました。
その詩は、いま見ると、赤っぽくて、さぁ皆さんムチャクチャ働きましょうみたいな感じで、空々しいんだけど、廃墟から立ち上がるドイツ人魂は充分に感じます。

実は、そんな精神が、このアイスラーの交響曲のベースにもあるような気がします。
反ナチスからスタートしたこの作曲は、実はずっと書き足し続けられ、基本はブレヒトの詩に基づくものですが、一部、ジローネという作家のものも含まれていて、1957年にようやく完成。
そのあたりが、少し雰囲気が違うようで、対訳がなく勝手な憶測ながら、社会主義的なブレヒトの作に、よりリアルな残虐性も醸し出しつつも、ソ連の悲惨な民衆の様子をもうかがわせるジローネの詩は、この作品が、反ファシストの思いとともに、コミュニストでありながら、東に理想の国家を願ったアイスラーの姿を映し出しているのです。(解説文より参照推察)

1959年4月に、ベルリンの国立歌劇場にて初演されております。

11の部分からなる1時間超の大作。
音楽は、難解で、苦渋に満ちたように、最初は、とっつきが悪い。
かつての師のシェーンベルクのようでもあり、ブレヒトつながりで、ワイルのようでもあり、ショスタコーヴィチのようにシニカルでシャープであります。
激しさとともに、軽快、かつリズミカル。慣れれば聴いてて面白いです。
4人の歌手も、バリトンを主体に大活躍。
シャウトする語りも大迫力。

思えば、この形式は、マーラーの「大地の歌」やツェムリンスキー「抒情交響曲」、ショスタコ「死者の歌」と同じくしながら、さらに規模拡大した、メッセージ交響曲です。

その詩は、やたらと言葉が多く、いつもほろ酔いで聴いてるワタクシには、対訳なくば、ついてゆけませぬ。いずれはじっくり・・・と思ってます。

冒頭のプレリュード「ドイツよ、青ざめた母よ! なにゆえ、そなたの最良の息子の血に汚され、座すのか・・・・・・・」

最後のエピローグ「絶望して血にまみれた子供たちの顔を見るがよい。・・・・子供たちを暖めてください。彼らの手足はかじかんでしまっている。子供たちを見て!」

全編、こんな感じのリアルな描写と激しい抗議にあふれている、アイスラーの「ドイツ交響曲」です。

いまの日本には、こんな反骨魂が耳に痛い。
求む「日本交響曲」!

 

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