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2012年8月

2012年8月31日 (金)

シベリウス 「フィンランディア」 ベルグルンド指揮

Ageshirasupizza

キッチンさまクラ。

これは、油揚げですよ。

揚げは、つまみとして、新潟の栃尾のものならば、そのままオーブンで焼いて、大量のネギとおろしと生姜で食べるのが最高。

普通の揚げは、納豆を袋詰めにして、焼くかオーブントースターでこんがり。
これもまた、大好きなおつまみ。

そして、ネットで調べたこの調理方法。

揚げを適当な大きさにして、ネギをのせ、出汁醤油をかけ、さらにシラスの釜茹でをのせ、最後にチーズを散りばめて、オーブントースターでチンします。

すると、どうでしょう、ピザ顔負けのこおばしい、最高のおつまみが、簡単にできあがるのでした。
あまりにも美味しくて、あっという間に食べちゃいます。
当然に、ビールですな。
あとは、キリリとした白ワインなんかも。

Sibelius_berglund_1

  シベリウス  交響詩「フィンランディア」

   パーヴォ・ベルグルンド指揮 フィルハーモニア管弦楽団

                  (1980 ロンドン)


こんな名曲、もう何を言えばいいでしょう。

本当に、久しぶりに、そして、この日々クソ暑い晩に聴く「フィンランディア」。

感動の極みでした。

クラシック音楽の中で、愛国心を歌う音楽は数あれど、この曲ほど、どんな国の人々の心をも熱く燃え上げ、じわじわと感動させてしまうものはありません。
中間部の金管とシンバルの活躍する勇壮な場面に奮い立つのも然りですが、なんといっても、フィンランディア讃歌とも呼ばれる、歌心あふれる旋律は、いやでも心から湧き上がる静かなる民族の魂の歌として感じられます。

オリンピックで、つかの間の愛国心を奮い立たせた日本人に、次々と突きつけられる、隣国からの難題。
彼らも、その背景には、国に煽られているとはいえ、熱い愛国心と信じ込んだ心がある。
教育により、そのように育ってきているから、その心は間違いとは言えない。
実に難しい局面に陥ってしまったものだ。

いまは、「フィンランディア」を聴いて、冷静に、でも、心に熱い魂を持っておきましょう。
それが、しがないクラヲタ人としてできること。

ベルグルンドは、交響曲もオーケストラ曲も、複数録音しているが、そんな中でも、ブリリアントな音色のフィルハーモニアとのデジタル初期の録音の演奏の、じわじわと盛り上がる素晴らしさは格別のものがあります。
これもまた、名曲・名演です。

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2012年8月30日 (木)

デュカス 「魔法使いの弟子」

Isobe_2

ご家庭でも、ホッピー。

いまや簡単に、どこでもホッピー。

Isobe_1

そして、あるとき、無性に食べたくなり、焼いてしまいましたよ、磯辺焼き。

あたくし、これ、大好きなんですよ。

海苔も手でちぎっちゃって、荒々しい作りですが、キレイな仕上がりじゃない方がうまそう。

お正月は、醤油味で、ほうれん草と鶏出汁、なるとのお雑煮と、磯辺焼きが、ワタクシのお餅の食べ方。

砂糖とかきな粉は、まったく受け付けません。。。。

 前にも書いたかもしれませんが、銀座の路地には、夏は風鈴、冬は磯辺焼きの屋台が出ます。
若かりし頃、調子にのって、お土(オミヤ)で数十個買って、お店に持って行きました。
ところが、それを食べ尽くしたのは、持ち込み人のワタクシにございました。
その夜、一晩中、胃が痛くてたまりませんでしたね・・・・。

いまは、自分で、佐藤の切り餅を買ってきて焼いて作ります。

Previn_musicnight

   デュカス   「魔法使いの弟子」

     アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

              (1974、75 ロンドン、キングスウェイホール)


ポール・デュカス(1865〜1935)、魔法使い一曲で名を成しているようなフランス作曲家でありますが、その生涯はなかなか地味で謎。

ウィキによれば、完璧主義者ゆえ、その作品は大半が破棄され、13曲程度が現存するのみとあります。
その中から、聴く機会の比較的あるものを選べば、この曲と、無題の交響曲、「ラ・ペリ」、「ポリュークト」序曲、オペラ「アリアーヌと青髭」あたりになるでしょうか。

「魔法使い」に聴かれる、鮮やかなオーケストレーションと光彩陸離たる華やかさは、そのごく一面で、デュカスの音楽は、意外なまでに渋くて、かっちりしたまとまりあるものに思ったりしてますから、オペラの傑作、「アリアーヌ」をいずれ取り上げたいと思ってます。

1897年、世紀の変わり目に書かれたこの曲は、いわずもがなですが、ゲーテがまとめた詩をもとにしてますが、なんといっても、ディズニー映画の「ファンタジア」ですね。

スココフスキーの音楽指揮で、1940年(!)の極彩色の作品ですよ。
スココフスキーといえば、さらにその前、「オーケストラの少女」が1937年です。
こりゃ、日本は負けるわな。

ミッキーマウスが魔法使いの弟子に扮し、箒がこれでもか、これでもかとバケツに水を運んでくるこの場面。
子供の頃に、テレビのディズニー・アワーで何度も見て、もうやめなよミッキー・・なんて、その音楽の緊迫感とともに、念じるように見ていたことを覚えてます。

長じて、今度は、自分の子供たちに、ビデオになったこの作品を見せるようになりました。
子供たちには、意のままにならない箒が怖かったようですし、なによりも師匠の怒りが、ミッキーを打ち砕くのが怖かったようです。

こうして、親子代々、ディズニーは受け継がれてゆくのですね。

しかし、そこに流れたクラシック音楽は、必ずしもそうならないところが、クラヲタお父さんとしては悲しいところなのですね。

そんな哀しみと、懐かしい思い出を抱きつつ、デュカスの巧みな音楽を楽しむのも悪くないです。ほんとに、よく出来てる作品です。

プレヴィンは、この曲が大得意で、ロンドン響とのこちらの盤と、ロスフィルとの再録、N響での演奏など、何度も手がけてます。
後年のものほど、重たくなってしまうのですが、LSOの顔として大人気だった70年代、BBCのテレビ番組に基づいて録音されたシリーズのひとつです。
聴かせ上手だけど、嫌味がまったくなく、ソフィスティケートされた耳にも心にも気持ちよい演奏。思えば、プレヴィンのこんな芸風は誰にも真似できないものだった。
LSOの上手さもも引き立つ1枚です。
いまから37年も前の演奏とは思えません。

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2012年8月29日 (水)

チャイコフスキー 「イタリア奇想曲」 フィードラー指揮

Chilli_1

「キッチンさまクラ」

今回は、チリビーンズを。

これはアメリカ料理です。

中学時代から放映されていた「刑事コロンボ」で、あの野暮ったいコロンボがお昼にチリを食べているのを見た。やたらと大好きだとも言っていたように記憶していて、チリとはいったい???
と思っていて、チリビーンズを作ってもらったりしたこともあるけど、どこかトマトの甘い感じ
がありすぎで、どうも違うとずっと思っていた。
チリソースは、辛いのが定番だもんね。

で、海外食材がスーパーでも買えるようになり、缶詰のチリビーンズなんかも買えるようになり、自分勝手に辛くして調理するようになりました。

Chilli_2

こちらが、英国初のスーパー、テスコブランドのチリトマトソース。

これをベースに作ってみましたよ。

お肉がなかったので、ベーコンで代用。

ピリッとして、ビーンズの歯ごたえもあって、ビールに最高っ!

Fiedlerboston_pops

   チャイコフスキー  イタリア奇想曲

    アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス・オーケストラ

                     (1977.10 ボストン)


チャイコフスキーの管弦楽曲は、長さも手頃だし、旋律も豊富で、ドラマティックで結構盛り上がるしで、時間のないときや、自分が元気のないときなどに聴くには、うってつけの音楽である。

ドイツや北の芸術家がイタリアに訪れると、決まってイタリアの陽光にさらされ、魅惑され、明るい作品を残すことになります。
チャイコフスキーもその例外でなく、弟と訪問したそのイタリアで、当地の民謡や風物に触れて書いたのが「イタリア奇想曲」。

1880年、40歳、交響曲では4番とマンフレッドの間ぐらい。

ともかく、かげりや暗さはまったくなく、明るい。
隅々まで、イタリアの光にあふれてます。
第2部のバレエ音楽のような、心躍るような旋律が好きですよ。
もちろん軽騎兵序曲のようなラッパによる出だしも、子供の頃には大いに惹かれましたよ。
そして、タランテラ舞踏による、あっけらかんとした後半。
晴れ晴れと、爽快、嫌なことなんてみんな忘れちまえーーー的な楽しさ満載のフィナーレですよ。

あ〜、すっきりした。

ポップス専門家でなかった名匠フィードラーのクラシカルな1枚は、Rコルサコフのスペイン奇想曲との、ロシア作曲家による、南欧カプリッチョコンセプトの組み合わせ。
予想外に派手なことせず、じっくり音楽に取り組んだ渋い演奏ですよ。

この曲、バレンボイムとストコフスキー、メータ、カラヤンが愛聴盤にございます。
なぜか、アバドはこれ、演奏しないんだよな。

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2012年8月28日 (火)

ベルリオーズ ローマの謝肉祭 マゼール指揮

Tonkatsubento_1

千葉駅の名物駅弁、「トンかつ弁当」です。

なぜ、トンがカタカナなのか?

そして、そもそも調理人というかなんというかが、ブタさんなのか?

これはよくある共食いの構図ではなかろうか。

この写真の賞味期限には目をつぶってくださいまし。

ちゃんとその日に、ビール飲みながら食べましたから。

Tonkatsubento_2

見た目は、なかなかボリューミーな、ソースかつ丼。

480円というコスパは高いぞ。

しかし、これ、超薄い紙みたいなカツなんすよ。

なんちゃってトンカツなんだけど、ご飯に染み込んだ甘辛のソースが美味いんすよ。

ソースご飯弁当といってもいいかもしれないけれど、チープで憎めない味が、その人気の秘密かもpig

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   ベルリオーズ 「ローマの謝肉祭」序曲

    ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1984.4 ベルリン)


幻想ばっかりの私のベルリオーズ。

ほかの大作も結構聴いてるんですよ。

オペラも準備中ですが、しかし、対訳がなくって往生してます。

今日は、疲れちゃったし、気分がすぐれないので、軽くて短いヤツを。

「ローマの謝肉祭」は、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を使って、演奏会用序曲に作り上げたもの。

オペラの序曲はまた別にあるし、そちらも、イタリアの陽光が溢れる明るい雰囲気です。

こっちは、もっと明るく、演奏によっては、はちゃめちゃになってしまうものあります。

断食前のハメはずし、飲めや歌えやのカーニヴァル状態だけど、そこにある歌心もしっかり押さえたマゼール。

マゼールとベルリン・フィルは、ほんとうは相性がよかった。
輝かしいサウンドを、ベルリン・フィルから苦もなく引き出す才は、目を見張るものがありました。
アバド就任前の自意識も満タン、やるきまんまんのマゼールなのでした。

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2012年8月27日 (月)

「法善寺のにゃんにゃん」

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大阪ミナミの法善寺。水掛不動尊も左手におられます。

ミヤコ蝶々さんの夫婦善哉、「包丁一本、さらしに巻いて〜」の「月の法善寺横丁」・・・・。

関東の育ちですが、子供の頃から、「法善寺」はどことなく馴染みがありました。

大人になって、このあたりで飲んだりしちゃうなんて、夢にも思わなかった。

少し前のこと。

もう、ほろ酔いですよ。

この横丁は、にゃんことよく遭遇するんですよ。

1a

はい、発見。

血筋のよさをうかがわせる毛並み。

2_2

眠り狂四郎ですな。

お手々がエエですな。

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野良っぽい、図太さとたくましさを感じるご尊顔。

まったく動かず。

4

どこか視線を感じると思ったら、左奥に、もうひとにゃんこ。

熱く見つめてます。

5

どーですか、このにゃんこの背景は。

神々しいですよ。

6

去りかけると、ご覧のように、二人寄り添って、いい感じに・・・・。

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守る夫か、守られる夫か・・・・・。

どっちでしょーーかねぇ、みなさん。

尻尾立てちゃって、仲がよろしいようで。

ええ、夫婦やなぁ〜

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2012年8月26日 (日)

「バイロイト音楽祭2012」 勝手に部分総括

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夏も終わりの花火が、昨晩上がりました。

まだまだ暑いけれども、晩夏はどこか寂しいものがあります。

Bayreutherfestspiele

バイロイト音楽祭も、28日でもって千秋楽を迎えます。

かつては例年、舞台の様子も不明で、話題を呼んだ新演出などは新聞や音楽誌で知り、年末のFM放送で音楽を知るというパターンだった。
ところがここ数年、ネット環境の大幅なる進化によりまして、開幕のほぼリアルタイムで舞台も音楽も味わうことができるようになりました。
 加えて、テレビでも放送が、オンデマンドでも視聴ができるという夢のようなことも可能になった今。
でも、年末やイースター(パルシファル)の思い出深い風物詩だったエアチェックのスリルと楽しみは、遠い過去のようになってしまった・・・・。

しかし、またそれも復活せざるを得ないのが、高音質ネット配信を牽引してきた、ハンガリーのバルトークラジオの音質劣化と、ストリーミング期間の大幅短縮。
これは困ったもので、実は油断してたら、今年の演目の半分は聴き逃してしまった。

「さまよえるオランダ人」・・・・・既報のとおり

 録音して数回聴いたが、やはりティーレマンの重厚なオケは凄いけど、あの舞台写真が脳裏にあるからそれとのバランスが・・・・・。
ユンとピエチョンカは、とてもいいと思います。

「トリスタンとイゾルデ」

Tristan2012

 今年聴けたなかで、一番よかったかも。
去年で終りかと思ったら、リングなしのため、異例のロングラン。
大植英次のプリミエが大昔のことに思える。
シュナイダーの指揮の安定感が圧倒的で、分厚いオケからワーグナーのうねりが聴かれる。スミスのトリスタンも年々、力強さと歌の味わいが増してきた。
テオリン様も相変わらず威力ある声だが、少し揺れが気になりましたが、それは贅沢な注文。
ブリートとラシライネンのブランゲーネ、クルヴェナールもいい。

「タンホイザー」

Tannhauser_2012_a

 タンホイザー、カーテンコールのティーレマン。
ヘンゲルブロックが、降りてしまい、ここでもティーレマン。
ティーレマンのタンホイザーは前回アルローのプロダクションでも登場済みだが、パウゼを多用し、劇的で堂々たる内容は、今回も同じ。
それ自体は立派なワーグナーだけど、これまた変な演出の画像が脳裏にあるから、ちょっとそぐわないような・・・・。
ヘンゲルブロックの透明感と躍動感あるワーグナーの方が、新鮮だったな。
来年のタンホイザーは、ティーレマンの名前が入ってないから誰だろう。
 あと交代は、トルステン・ケルルのタンホイザー。
破滅的なところも持ち合わせつつ、クールな歌唱で私の好きなテノールです。
そのイメージ通りの素晴らしいタンホイザーだったと思います。とりわけ、ローマ語りは見事に決まった。
ニールント、グロイスベルク、ナジィいずれもバッチリの歌手陣。
そのバイオハザートっぽいと想像するその舞台は、おそらく来年あたりビデオ収録されるのでは。

「ローエングリン」

Lohengrin2012

ピンクのねずみ、カーテンコールの歌手たち。
お騒がせ、ノイエンフェルスも真ん中に。
音楽面では、充実期を迎えるローエングリンだけど、無念なことに、2幕途中までしか聴いてません。
油断してたら、ストリーミング期間終了につき。
それでも、ネルソンス指揮のオーケストラの躍動感あふれる鮮烈な響きは感じ取ることができましたよ。

「パルシファル」・・・・・未視聴

フィップ・ジョルダンの初登場だけど、この「パルシファル」は、来年はお休み。
新演出は2016年ネルソンスの指揮で、ということなので、ヘアハイムのパルシファルは、再登場ありかもです。

2013年は、ついに「リング」新演出。
フランク・カストルフの演出に、キリル・ペトレンコの指揮。
歌手はどうなるんでしょうねぇ。
あとは、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンのロマンテックオペラ3作。
2014年は新演出なしで、パルシファル復活、2015年は、カタリーナ&ティーレマンのトリスタン・・・・と続きます。

あれこれ、文句つけても、それは想像してるだけで、死ぬまでに一度、かの地へ。

元気に頑張って、毎年ワーグナーを楽しみにしなくっちゃ。

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2012年8月25日 (土)

プロムス2012 前半

London_a

一部、後味が悪かったものの、オリンピックは成功裡に終りました。

次は、パラリンピックですね。

そして、ロンドンの音楽のお祭り、プロムス2012は、まだまだ継続中。

2か月に渡って、ロイヤル・アルバートホールで繰り広げられる音楽祭の数々。

例年にも増して、英国各地のオーケストラと英国人指揮者、そして英国作曲家の名前が目立つ今年のプログラム。

100演目近いコンサートをいくらなんでも全部はチェックできません。

好みのプログラムだけ、ネット試聴したり、録音しましたので、簡単に前半戦をレビューしときます。

Proms2012

①4人の英国指揮者による英国作品・・・・既報

②ドビュッシー ペレアスとメリザンド

  ガーディナー指揮・・・・いかん、半分しか聴けなかった。
   情を切りつめたあっさり系でした。

③スメタナ(セル編曲) 「わが生涯より」、ドヴォルザーク7番

  ビエロフラーヴェク指揮 BBCso

   セルによって編まれたオケ版スメタナが、まるでシンフォニーのようで素敵。
  ドヴォルザークも充実の演奏。この指揮者はもう大物級です。

④ブリテン シンフォニア・ダ・レクイエム、マーラー 10番
  ストラヴィンスキー 「春の祭典」

   マーク・エルダー指揮 オールドバラ・ユースオケ

  魅惑のプログラム、ブリテンゆかりの地の勉学生による、やるきあふれる演奏。
  ハルサイは、はやり若者の音楽だ。

⑤尾高忠明指揮 BBCウェールズso  オール英国もの・・・既報  最高っsign01

⑥ワーグナー 「ジークフリート牧歌」、ブルックナー8番

    ドナルド・ラニクルズ指揮 BBCスコテッシュso 

  ワーグナー指揮者による熱演。テンポ早し。
  スコットランド出身の左手による指揮棒は、本物ですよ。

⑦「マイスタージンガー、スコットランド幻想曲、ドン・ファン、ローマの松」

       Vn:ニコラ・ベネデッティ

     ドナルド・ラニクルズ指揮ナショナル・ユース・オケ・スコットランド
                     BBCスコテッシュso

Benedettinicola

  盛りだくさんのプロ。好きな曲ばかり。
  わたし大好きニコラちゃんのおおらかなブルッフ。
  ダイナミックなローマの松は超盛り上がり。

⑧バーンスタイン  ミサ曲

     クリスティアン・ヤルヴィ指揮 BBCウェールズso
                        合唱、歌手多数

  ライブでは初聴きの曲。この曲のスペシャリストのヤルヴィ二男。
  主役歌手がイマイチだけど、全体にノリノリの好演。
  ビデオ・クリップで映像が数分見れます。
  クリスティアンは、親父ネーメと、ジョン・トラボルタを足したような顔しとる。

⑨エルガー 「アポステルズ(使徒たち)」

      エヴァンス、ケンプスター、グローヴスほか

    マーク・エルダー指揮 ハルレ管、合唱団、LPO合唱団

  エルガーらしい真摯なる音楽。CDでかなり聴きこんだ音楽は聴けば聴くほど感動的。
  この曲は、いまエルダーが一番かも。
  エルガーの3大オラトリオ、じっくり聴いてみて欲しいと思います。

⑩シェーンベルク 「グレの歌」

      デノケ、オニール、シェーネ

    エッカ・ペッカ・サラステ指揮 BBCso cho

    まずなにより、曲が好きだし、素晴らしいシェーンベルクの音楽にしびれちゃう。
  歌手も万全。世紀末系はデノケですよ! 
  そして、往年のアンフォルタスやシェーン博士のシェーネの味わい深い語り。
  ワーグナー歌手としても注目のオニールのヴァルデマール。
  サラステの指揮も意外なほどいい。
  最初は、ビエロフラーヴェクの名前だったような気が・・・

⑪ディーリアス「パリ」、サン=サーンス ピアノ協奏曲2、チャイコフスキー5番

      シャルル・デュトワ指揮ロイヤル・フィルハーモニー
        Pf:B・グロスヴナー

  デュトワのディーリアスとはまた珍しい。さすがにカラフルなパリっ!
  定番チャイ5は、新コンビRPOとの相性ばっちり、ビューテフル。

⑫ドヴォルザーク「新世界」、コープランド「市民のためのファンファーレ」
  ヴィラ・ロボス、ほかブラジル系音楽

      マリン・オールソップ指揮 サンパウロso

  情に流されない、意外なほどにまっとうな美しい新世界。
  後半はラテン大会で、大盛り上がり!!
  次回オリンピック開催国からの来演。
  世界のオケの一員として注目かも。

⑬ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4、5、6番

      アンドリュー・マンゼ指揮BBCスコテッシュso

    こんなプログラムは、英国プロムスならでは。
  4・5・6ですよ。
  4と6は戦争の影もあり、激しさと不条理さが響き合うが、5番は田園的柔和さ。
  5番がとても美しい演奏でした。
  マンゼは、ヴァイオリニストとして、バロックから近現代まで、指揮者としても
  ヨーロッパ全域で活躍中。
  この人ブレイクしますよ、きっと。

⑭チャイコフスキー 「マンフレッド交響曲」

  ウラディミール・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニック

  俊敏でダイナミック、でも、こけおどしのない純音楽的なチャイコ。

⑮フィンジ「バガテル」より、ディーリアス「エヴェンテュール」、ニールセン5番

     Cl:マイケル・コリンズ

   オスモ・ヴァンスカ指揮 BBCso

   前段はエグモントとモーツァルトのCL協、ヴァンスカらしいユニークなプロ。
  ヴァンスカのディーリアスは、ミステリアスな「昔々・・・」で始まるディーリアス。
  オケの声による咆哮は大人しめだったけれど、雰囲気豊かなディーリアスが聴けた。

⑯ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

   アンドリス・ネルソンス指揮 バーミンガムシティso

    弾むリズムに、生き生きとしたフレーズ。巧みな聴かせどころの盛り上げ。
  若きヤンソンスを思わせる絶好調男ネルソンスだ。
  オケも実に上手い。

前半、というか、残り、3分の1。
これから大物が登場して、楽しみも増します。

BBCは、こうして全演目、ストリーミング放送をしてくれます。
以前は、1週間限定だったけれど、日によって1ヶ月以上そのままだったりしますので、その加減がよくわかりません。
ソリストがいない場合とか、BBC放送系のオケだったり、と想像するのですが不明。
本国内ならば、映像もタダで楽しめるみたい。

わが国営放送の厳然としすぎた管理下におかれた各種音源たちの扱いと、大違い。
いずれにしても、毎年ありがとう、BBCッて感じですよ。

後半は、また9月半ばに。

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2012年8月24日 (金)

フィンジ ピアノとオーケストラのための大幻想曲とトッカータ 

Azumayama_4

夏だから、まだ淡い色彩のコスモスです。

しっかし、暑いです。

処暑なのに。

そして、日本も処々囲まれ、熱いです。

ところで、先日まで五輪で熱かった英国では、ネッシー騒ぎで沸いているそうですよ。

なんでも、漁船のトナーが大小2匹のネッシーらしき影を捉えたそうです。

Lochness

英国音楽好きとしては、一度は訪れたいスコットランド地方。

ネス湖は、幽玄な自然あふれるスコットランドにあります。

霧が多く、この湖も透明度が低く、プランクトンの量も半端なく多く、そこに住む生物を多様にしているそうです。
しかも、複雑な水流の強さがあって、新鋭の機器でも、なかなか探索しにくい環境が整っているとのことで、ネッシー発見も夢じゃぁない!

いつまでもあって欲しい神秘と夢のおはなしです。

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 フィンジ ピアノとオーケストラのためのグランドファンタジアとトッカータ

             Pf:フィリップ・フォウク

      リチャード・ヒコックス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック

                          (1988.11@リヴァプール)


ジェラルド・フィンジ(1901〜1956)。
自作に厳しい目を常にむけ、破棄してしまった作品も多くあるといいます。
でも、その残された作品群は、いま、センシティブな日本人の心にしみ込むように、優しく訴えてやみません。

今日の曲を、そのまま訳すと、「大幻想曲とトッカータ」ということになるのですが、優しく感じやすいいつものフィンジとは、ちょっと違う雰囲気です。
このタイトルから想像がつくように、それは、大バッハを意識したものです。

1920年代後半に、書かれた若書きの幻想曲に、ずっと後年、1953年にトッカータを書いて追加した作品で、合わせて16分あまり。
わたしが溺愛する、ピアノとオーケストラのための「エクローグ」を、この曲の間、すなわち第2楽章に据えれば、30分あまりの、素敵なピアノ協奏曲が出来上がります。

いい感じだと思いますが、でもちょっと違う。いや、まったく違う。

静的でナイーブな落ち着きを持った「エクローグ」と異なり、この「幻想曲とフーガ」は、技巧的で自由で即興的な雰囲気が漂い、とりわけ幻想曲では、バロック的な華やかさとバッハ風の峻厳さを感じます。
これを聴くと、わたしは、キース・ジャレットのピアノを思い起こします。
思えば、キースもバッハの人。
ピアノによるソロが6分あまりも続きます。そんなジャジーな幻想曲を聴いてると、フィンジとは思えなくなってきます。

そして、ウォルトンに影響されて付け足すこととなったトッカータは、一転、オーケストラによる爆発的な開始で、ピアノ協奏曲の第3楽章のようなフィナーレ的な効果を持つ華やかなものです。
数十年を経ながらも、フィンジは、前半の幻想曲のフレーズを、後半オーケストラとピアノで、シリアスの奏でて、やがてトッカータが帰ってきて爽快に終了!

前半と後半が、巧みに結びついたこの曲に、「エクローグ」は入り込む余地はありませんでした。
やっぱり、別々に聴きましょう。

Fowke(フォウク)と読んでいいのでしょうか?英国のこのピアニストはなかなかに鮮やか、そして自在なピアノです。
ヒコックもダイナミックな音楽造りで、フィンジの音楽を隈取りを豊かに指揮してました。

P・ケイティンとハンドリーのCDも素晴らしいです。→ボールトのフィンジ

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2012年8月23日 (木)

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番 アシュケナージ

Tokyotower20120821_a


ちいちゃいですが、三日月。

ビル(ホテル)には、東京タワーが映し出されてます。

都会のひとコマ。

Ashkenazy_rachmanunov2

  ラフマニノフ   ピアノ協奏曲第4番

       Pf:ウラディミール・アシュケナージ

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
       
                          (1984.12@コンセルトヘボウ)


ラフマニノフ好きだけれど、気が付いたらピアノ協奏曲はこれまで、2番3番の有名どころしか取りあげていなかった。
1番のむせかえるような情熱に、4番の上品な抒情、ともに魅力的な残りの2曲なのです。

ともかく、この4番は、その第2楽章がとっても美しいのです。
繰り返し繰り返し寄せるさざ波のようなオーケストラのフレーズに乗って、ピアノが端正に音を紡いでゆくさまは、ラフマニノフに、私たちが思い描く甘味でかつ陰鬱なイメージそのものです。
「音の絵」からの引用もあるようです。

1927年フィラデルフィアでストコフスキーの指揮で初演。
反響は芳しくなく、すぐに加筆改訂したものの人気を得ることあたわず、ずっと後になって、大幅に縮小改訂し、1941年に初演と同じメンバーにて再演し、成功を収めるも、やはり2番3番の影に隠れてしまった4番です。
それでも、30分ぐらいのコンパクトなこの曲は、先にあげた2楽章以外にも、幻想的な1楽章と、目まぐるしく楽想が変転し、最後は華々しく、ラフマニノフらしくジャジャンと終了する3楽章。それぞれに素敵なものです。

やたらと長いらしい、初版を是非聴いてみたいものです。

ピアニストとしての比重がまだ高かった頃のアシュケナージは、これぞ、ザ・ラフマニノフ。
知情意揃った素晴らしいピアノに、ハイティンクが豊かなオーケストラの響きでもって応えております。
名盤!

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2012年8月22日 (水)

ドビュッシー フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ 

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毎度恐縮ですが、相模湾をコスモスとともに望む図です。

お正月に菜の花を咲かせるためか、このコスモスたちも早咲きで、もうすぐ刈り取ってしまうそうです。

温暖の地ですからできることですが、秋桜にしては暑すぎの毎日ですね。

しかし、この素晴らしい景色にマイナス要素は、そう、あのマンションです。

反対運動はかなりのものだったが、反対に法的な根拠もなく、建ってしまった。

こうして見ると、いかに景観をぶち壊しているか、無粋な建築物かがわかるというもの。

湘南・西湘エリアは人気の居住エリアですから、こうした開発は、いろんな規制がありながらも、いまも各所で続いております。
複雑な心境であります。

Debussy_sonatas

   ドビュッシー   フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ

          Fl:ジャン・ピエール・ランパル

          Vla:ピエール・パスキエ

          Hp:リリー・ラスキーヌ

                    (1962.4)


今日は、ドビュッシー(1862〜1918)が、150年前に、パリ北部、サン=ジェルマン=アン=レーで生まれた日です(8月22日)。

150年ですよ。
思えば、1970年、わたしがクラシックに目覚めた頃、日本は大阪万博に湧いていたけれど、音楽界では、幾多の来日演奏家に加え、ベートーヴェンの生誕200年で大爆発だった。
わたしの記憶は古いほど鮮明なので、つい先日のこととのように覚えてます。
だからゆえ、ドビュッシーの生誕150年というと、ベートーヴェンとそんなに近かったの?
と勝手に思ってしまう次第。
でも計算すれば90年近く違うわけで、50年の差プラス分、自分がそれだけ歳を経てしまったことに愕然としてしまうのですよ・・・・・。
来年は、ワーグナーとヴェルデイの200年だし、自分に残された年月をも意識せざるを得なくなってくるんです。

変な思いに沈んでしまったのは、ドビュッシーの残したソナタ3つを聴いて、ホワーンとした気分になり妄想してしまったからかも。。。。

今日は、その3つのソナタの中から、一番不思議な楽器の取り合わせの曲を。

交響曲は書かなかったし、協奏曲もなし。
ドイツ的な形式主義を一切拒んだドビュッシーは、もっともフランス的でありなんとする思いから、フランスらしい、そしてフランスのバロック的な自由な形式で、ソナタを6つセットで残そうと考えた。
それが、「チェロとピアノのためのソナタ」と「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」「チェロとピアノのためのソナタ」の3つ。
あとの3曲は、ドビュッシーの死によって結実することがなかった。
自身のメモでは、次は「オーボエ、ホルン、クラブサンのためのソナタ」と記されているそうな。
ユニークな楽器の組み合わせによる、ドビュッシーらしい印象派としての作品が、あと3つあったとしたら、それぞれの楽器奏者にとっても天啓ともいうべき作品が残されたことでありましょう。

1915〜1917年にかけて作曲された3つのソナタ。

ソナタといいながらも、3つの楽章を持ちながらも、それぞれ、「パストラーレ」「間奏曲」「終曲」と、まるで組曲のような名前と配置を持ちます。
パストラーレは、「亜麻色の髪の乙女」の旋律を思わせる美しくたおやかなもの。
この3つの楽器の透明感とクールな優しさが溢れます。
2楽章では、スケルツォ的な場面と、明るく水しぶきをあげるような涼しげなムードが漂う。
フルートとハープの透き通ったこの世ならぬ響きに、ヴィオラが下支えしつつ、どこかアンニュイなムードを添えます。
とらえどころがなかなか難しい曲ですが、雰囲気的・感覚的な模糊とした音楽は妙に魅力的。
終曲へ行くと、こちらも慣れてきて、これらの楽器が醸し出す独特の響きと、捉え難く変転してやまない楽想を、耳が感覚として受け止めるようになってくる・・・気がする。

3つのソナタの中では、一番不可思議だけれど、独特の雰囲気を持つ曲です。

フランス人たち、3人の、ゆかしき演奏。
鼻から空気が抜けていきそうな感じで、いまにも、わたくしフランス語を話せそうな気になりましてよ。

この同じ編成の音楽、あと、バックスと武満徹を持ってます。
いずれとりあげたいと思ってます。

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2012年8月21日 (火)

モーツァルト ピアノ協奏曲第9番 ゼルキン

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お盆休みに、実家のいつもの山に登り、今年一番のコスモスを。

この下は海です。

これから秋にかけて、もっと色濃く、枝もしっかりとしてくることでしょう。

Serkinabbado

  モーツァルト ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 「ジュノーム」 K271

            Pf:ルドルフ・ゼルキン

      クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                        (1981.ロンドン)


久しぶりにモーツァルトを聴くと、心洗われる思いがします。

とりわけ素敵なピアノ協奏曲の数々。

ギャラントな若い番号のものでも、どこかに陰りを感じることができるし、ブッファ的な転がるような軽やかさもあります。
それが、後期のものになるほどに、深みと夕暮れの度合いを増してくるのでした。(まるで、某Uさんみたいな表現)

その若い番号の9番は、変ホ長調で、その同じ調声には、モーツァルトの作品の中でも高貴で気品にあふれる曲がいくつかあります。
39番の交響曲に、ヴァイオリンとヴィオラの協奏曲、同じピアノ協奏曲では14番と22番、晩年のディヴェルティメント・・・、あっ、あとあの美しいピアノ四重奏曲の2番もそう。
ともかく魅力的な音楽がたくさんあります。

フランスからジュノーム嬢がやってきて、フランス風の洗練された奏法や楽風をモーツァルトに植え付けた。
その結果生まれたこの曲は、フランス楽旅の前に、しっかりとフランス風の流麗さと軽やかさを見に付けてしまって生まれた桂作。

冒頭に、前奏もろくにないままに始まるピアノソロ。
そのあと、フランス訛りも感じる優美なオーケストラと、どこまでも軽やかで愛らしいピアノ。
3楽章の弾けるリズムに、どこまでも飛翔するかのような音楽。
でも中間部でのピアノの独白の澄み切った音色にはまったくまいってしまいます。
それを伴奏する弦楽のピチカート、ついで奏される澄んだヴァイオリンのユニゾン。
 これら1楽章と3楽章だけでも素晴らしいのに、間に咲く第2楽章の朝露に濡れたような、しっとりとした悲しみと、そして愛らしさにあふれた音楽には、さらに、そして、ほとほと、まいってしまいます。
いまさら驚きませんが、21歳のモーツァルトです。

枯淡の境地にありながら、そしてゆったりとした音楽運びにありながら、その表情がとても若々しいゼルキン翁のモーツァルト。
80年代初めから始まったゼルキンのDGへのモーツァルト録音の功績の半分は、一歩引いて、ゼルキンにぴったりの透明感あふれるオーケストラを指揮するアバド
 このコンビの数枚の音盤は、永遠に枯れることのない、純なるモーツァルト演奏のひとつだと思います。

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2012年8月20日 (月)

「雨宿り中のにゃんにゃん」

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雨降ってます。

一軒の軒先に、にゃんこ発見。

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プランターの下にうまいこと入り込んで、雨が通り過ぎるのを待ってますよ。

何考えてんのかねぇ〜

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近づく、怪しいワタクシに気がつき、びっくりしてますよ。

「別にどうこうしようって訳じゃないですからね」

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しっかり睨まれてしまい、退散するワタクシ。

雨宿りの陣地を守るにゃんこなのでしたぁ。

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2012年8月19日 (日)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ゲルギエフ指揮

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薄暮の浜松町駅。

オリンピックも、お盆も終り、日常と晩夏を迎えるこの時期に、8月の小便小僧だ。

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予想外に着込んだ小便小僧は、ちょっと暑そうですが律義な制服姿は、夏の海難事故防止をしっかりと訴えておりました。

Hamamatsucho201208_c

ごらんのとおり。

メッセージを掲げる健気な小便小僧なのでした。


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  ベルリオーズ   幻想交響曲

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (2003.5 ウィーン・ムジークフェライン)


猛暑に聴く幻想も悪くないもんだ。
しかも、よりによってゲルギエフの指揮で、だなんて。

毎年のように来日し、絶倫顔負けの超重量プログラムを連日難なくこなすこの指揮者のことがいまだによくわからない。
今年は、N・デセイと「ルチア」のコンサート形式上演、ショスタコ5番、チャイコ4番、そして「幻想」などが演目。
それと復興支援の特別コンサートも催す多彩ぶり。
ゲルギエフは、祖国の危機にも立ちあがり、平和活動にも熱心で、こうしたことにも頭が下がるヒューマンな方なんです。

爆演系と称されることもありで、80~90年代は、その濃いお姿や、爪楊枝指揮棒をチクチクと動かす指揮姿に、そんなイメージを抱いたものですが、後年、わたしが実際に聴いた時には、そのイメージはうかがわれず、むしろ焦点定まらずでした。
でもその中のひとつ、ベルリオーズのレクイエムは、劇的な場面をこけおどし的に演奏するのでなく、全体の構成をしっかりととらえた真摯な演奏でありました。
しかし、その数年後に聴いた、ショスタコの5番や10番では、ひっかかりもとっかかりもなく、さらさらと流れるのみの演奏に味気ない想いをすることとなりました。

以来、ゲルギエフのライブは、魅力のワーグナーやシュトラウスでも聴いておりませんし、音源も聴くことはなくなってしまいました。

2003年のこの「幻想」のウィーン録音は、発売時に一度聴いたっきりで、その印象は忘却のかなた・・・・。
それ以来の視聴で、全然至極まっとうの幻想に、もっと大暴れを期待していたワタクシは肩透かしをくらうことになるのでした。
ウィーンフィルの幻想といえば、かつてはモントゥー、ハイティンク、デイヴィスと趣きある演奏が思い出されますが、ここでは、フィリップス録音の素晴らしさが後押しし、克明で一音一音ゆるがせにしない重厚な解釈に聴こえます。

でも、終楽章までは、なにも起きない幻想。
そのヴァルプルギスの夜は、そこそこ荒れてます。終結のアッチェランドも鮮やかなもので、演奏会では、終わりよければ的に盛り上がりそうです。
やはり、わからない、どうも不明のゲルギエフ疑問は、最近のLSOのものでもしっかり聴かない限り、ずっと続くのでしょうか・・・・。

せっかくのウィーンフィル。3楽章の野の情景が、極めて美しいことは特筆しておきましょう。

むしろ、このCDの聴きものは、余白に入った「クレオパトラの死」かもしれません。
独唱カンタータに劇性と抒情、ベルリオーズらしい筆致を巧みに聴かせてくれます。

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2012年8月18日 (土)

ヴェルディ レクイエム バルビローリ指揮

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お盆最後の送り火のあとに見た夕景。

遠くに富士山。

晴れて、昼との温度差が出ると、こんなに美しい夕焼けとなるこのごろ。

かつては、こんな夕焼けはあんまり見れなかった気がしますがどうでしょうか。

Fujisawa_endou_fuji_2

富士を少しアップで。

樹木越しでも、美しい輪郭とピンクからオレンジに染まる夕焼けは美しい。

自然は巧まずして、このような美景を造り出してしまいます。

Verdi_requiem_barbirolli_barenboim

     ヴェルディ    レクイエム

      S:モンセラット・カバリエ    Ms:フィオレンツァ・コソット
      T:ジョン・ヴィッカース      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                             〃        合唱団

                  (1969.8、70.1 ワトホード・タウンホール)


何度も書くことになりますが、8月のヴェルディのレクイエムにある思い出は、テレビで見たバーンスタインの壮絶な指揮ぶり。
バーンスタインのドシンバタンと跳躍とともに、ディエス・イレの烈しさが以来ずっと耳についてます。
1972年か73年のことだったかと記憶します。

以来、ヴェルディのレクイエムは、わたしには夏が一番お似合いの音楽になりました。
もちろん、折に触れ聴いてますし、年中聴いてもその感動は変わりません。

ヴェルディならではの、歌を中心とする劇性に大きく傾いたレクイエムは、ディエス・イレばかりの聴き方から脱したときに、この音楽の持つ抒情と歌心という真髄が見えてくる。
その歌心とそして祈り、適度な劇性が結実した演奏にこそ、魅力を感じる。
これも何度も書きますが、アバドとスカラ座の演奏がわたしには一番です。

今日のバルビローリ最晩年の演奏は、この点、とてもユニークなものです。
イタリア人の父とフランス人の母を両親に持つ英国人は、さながらドイツ系のディーリアスにも英国の血が流れてないところが通じておりますが、父方の祖父もイタリア人で、ともにオペラハウスのヴァイオリニストで、同時に「オテロ」初演のオケのヴァイオリニストであったということで、ヴェルディ演奏の本流筋にあったと思われます。
近々取り上げる予定の、サー・ジョンの「オテロ」録音と並んで、晩年に巡ってきたヴェルディ録音は、本人も熱望したであろうことだが、ニュー・フィルハモニアを指揮して、並々ならない意欲をここに聴くことができる。

約90分、たっぷり、ゆったりと時間が流れてゆきます。
冒頭のレクイエム、慈しみと優しさにあふれたデリケートな出だし、合唱も品位を保ちながら語りかけるような歌い口。静かな場面では、こんな感じに進行し、盛り上がりも絶叫はなく、怒りの日もじっくりと一音一音をかみしめるかのような着実さが身上。
ところどころ、その思いが募るように、音楽の流れが沈滞してしまうのもバルビローリらしいところで、こうした芸風がダメな人は、サー・ジョンとは無縁の方かもしれません。
時おり、聴かれる指揮者の唸り声も音楽の一部みたいに感じられるようです。
ラクリモーサの痛切な響きは、さながらヴェルディのオペラの一節を聴くかのような思いです。

 ただ、歌手で、ジョン・ヴィッカースがひとり異質で、ほかの3人が流麗なカンタービレを聴かせるのに、どうにも粘りがあっていけません。
でも女声ふたりの美声とその二重唱のミキシングは例えようがなく耳洗われます。
バルビローリの描き出すゆったりとした背景に展開されるレコルダーレはともかく美しい。
カバリエコソット、そう忘れもしない、「アドリアーナ・ルクヴルール」の恋のさや当てのふたりの共演です。
バスのライモンディの滑らかな美声も若々しく素晴らしいものです。

外は雷雨も過ぎて、青空が広がってきました。
まだ続きます、暑い夏。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

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2012年8月17日 (金)

ブリテン 戦争レクイエム ヒコックス指揮

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心の平安を感じる風景。

実家のいつもの海を見晴らす山には、朝早く登ります。
ひと気なく、海も空も済んで混じり気なくきれいです。

わたくしの、もっとも好きな場所です。

この山の麓にある小学校に通い、海の音が聞こえる幼稚園と中学校に通い、そこで育ちました。

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ガラスのうさぎ像。

東京大空襲で、母や兄弟を失い、この町に父とともに疎開。
その父も、突然の空襲で、目の前で亡くしてしまう少女の実際の物語。
ガラス工場だった都内の家で、熱により変形してしまった手にしたウサギ。
この像でも、同じように歪んで造られております。

終戦間際のできごと。米軍は日本各地を無差別に攻撃するようになっていった。
攻撃側の意識も感覚も、ここまでくると、どうにかなってしまっていたとしか言いようがない。
戦争の恐怖は、人間をここまで駆り立ててしまうこと。

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   ブリテン  「戦争レクイエム」

     S:ヘザー・ハーパー        T:フィリップ・ラングリッジ
     Br:ジョン・シャーリー=クヮーク

       リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
                        セント・ポール・カテドラル少年合唱団

                   (1991.2 @ロンドン
St Jude's church)

不戦・平和の祈りをこめた、ブリテン(1913〜1976)の「戦争レクイエム」を、今年も、この時期に聴きます。

人類への警鐘と、犠牲者への追悼、そして不戦への永遠の誓いに満ちたブリテンの不朽の名作は、音楽とそのメッセージが重すぎて、普段なかなか聴くには勇気がいる。
ヴェルデイのレクイエムとともに、日本人の思いにとって特別な8月のこの時期に聴くことの意義はわたしには大きいです。
昨年来、さらに、この時期聴く音楽として(というか、ときおり何度も聴いてますが)、日本の佐村河内守の交響曲第1番「広島」も大きな存在感を持って加わりました。

いずれも、不合理な死への怒りと強い平和希求、そしてなによりも、人間愛、救済のある人間としての存在をしっかり感じさせる・・・・、こんな思いをこうした曲に抱かされる意味でも8月のこの時期の日本人にぴったりと符合すると思うのだ。

オリンピックに浮かれぎみだったこの8月。
でも選手たちは浮かれず、淡々として戦いメダルを手にしました。
悔しさや悲壮感は柔道は別として、他国のような激しさを伴うこともなく、そこに満足し、明日を誓う好印象を世界に与えたと思います。

本来なら、人類唯一の被爆国なのだから、原発の平和利用そのものの概念をはなから否定すべきだった日本。
原爆と原発、ふたつの被爆を経験してしまった日本なのだから、もっともっと平和希求の声をこれでもかというくらいに声を大にして主張すべきです。

>ラテン語の典礼としてのレクイエムに、早世の詩人オーウェンの生々しい反戦詩による独自のオラトリオ風な詩劇を混ぜ合わせた独創的な作品。<

このユニークで感動的なレクイエムが、1962年5月に、初演されてからちょうど50年。
1924年に、良心的兵役拒否者の申請を行い大戦の兵役免除を得たブリテン。
戦火の日本では、非国民扱いとなるであろう行為でしょうが、戦争を憎んだブリテンならではだし、おかげで多くの作品が残されることにつながり、平和なわたしたちには、喜ぶべきこと。

ソプラノ独唱は、典礼文の歌唱、男声ふたりは詩を担当、よって生々しい戦場の様子を歌う兵士同士ともなる。

重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
第2曲は長大な「怒りの日」。戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。
第3曲目「奉献誦」、男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
第5曲は「アニュス・デイ」。テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
第6曲目「リベラ・メ」。打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。

合唱の神様、ヒコックスの長らくの手兵であったロンドンの合唱団の強力さは驚き。
同様に、この曲を初演したロンドン響も雄弁極まりなく、どちらもその迫真力を引き出す指揮者の強い想いを感じさせる。
そのヒコックスも今は亡く、数あるこの指揮者の音源のなかでも最高のもののひとつ。


この曲の初演者はもうひとり、ヘザー・ハーパー。衰えを感じさせない毅然としたその歌は感動的で、あとともに、ブリテンとの共演も多かったラングりッジに、シャーリー・クヮークの劇的かつ気品ある歌唱も素晴らしいものがあります。

音楽が音楽だから、どんな演奏でも、心を刺しぬくほどの感銘を味わうことができますが、作者自演盤に迫るヒコックス盤はとりわけ強い力を放っております。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

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2012年8月14日 (火)

「尾道 猫の細道」

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尾道の街。

坂と寺の小京都、尾道。少し前ですが、現地客先との待ち合わせより早めに到着し、1時間ばかり、汗をかきつつ散策しました。

猫の細道があるんです。

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その坂道の入口にある、招き猫美術館。

こちらで製作する福石猫が、この細道のいたるところにいますよ。

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さぁ、出発。

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おっ、道には、猫の足跡がありますよfoot

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すぐに、前方から1にゃんこ、登場。

こんな細道だから、逃げ道はねぇぜ、しめしめ。

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少しアップで。

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はいはい、おいでおいで~

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なかなか、かわいいにゃんにゃんですなcat

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ご対面まで、もう少しのところで・・・・・、あれ?

姿が消えた・・・・・、と思ったら、もう後ろ姿が・・・・。

にゃんと、左手の境内に、目にも止まらぬ速さで、入り込み、ワタクシを迂回して細道に再び登場したのでした。

実に機敏なにゃんにゃん。

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ふっふっふ、ここのにゃんこたちは、君のようなオジサンには相手にならんのだよ・・・。

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途中には、いろんなお店が点々と。

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初代の福石猫。

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こんな猫も。

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いろんなところに、点々と・・・。

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仮設の金網越しの、伸びきったにゃんにゃん。

けだるそうですなぁ。

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薄め開けて見てますよ。

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いい感じでしょ。

実物にゃんこは、2にゃんこに遭遇したのみですが、もっとたくさんいるみたいです。

ゆっくり来たいものです。

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招き猫美術館も、次回は訪問してみたいですね。

客先と打合せ後、瀬戸内のお魚で一杯。

そのあと、ひとりで、ふらふらした尾道の街。

気に入りましたよ。

再褐ですが、尾道ラーメン貼って、一日遅れの「月曜ねこの日」を閉じたいと存じます。

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2012年8月12日 (日)

「サージェントペッパーズ」&「アビー・ロード」 ザ・ビートルズ

London_night

残りわずかとなりましたロンドン五輪。

有終の美へと、カウントダウンに入りました。

日本の活躍する競技には、必ずアジアの近隣の国々が・・・・。

アメリカやヨーロッパ、アフリカ勢と競合することがあんまりなくなってきた気がします。

隣国同士が同質化しているのでしょうか、それとも、少し先んじた日本に追いつけ追い越せの風潮なのでしょうか・・・・。
国同士の競争は、相手方が必死なほど、悔しそうにすればするほど、どうも後味がよろしくないようで・・・・。

ご褒美がありすぎるもの考えもので、内政の不安を紛らわせるという常套手段は、オリンピックに政治はなしとの原則を、どうも反故にしていると思うんですが。

それはそうと、イギリス音楽としてのビートルズです。

わたしの、英国音楽好きは、もしかしたら中学時代のビートルズから来てるかもしれません。

今日は、それぞれ2度目の記事となりますが、一番好きなビートルズの2枚です。

Sgt_peppers

「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

1967年とは思えないくらい、今でも斬新で、次々に繰り出されるバラエティ豊かな曲調のナンバー造り。
ライブでなく、スタジオレコーディングなのに、一夜のコンサート仕立てとした巧みな仕掛け。
もう完璧極まりない、レコード芸術です。

しかも、メンバー4人の個性が、それぞれに際立っていて、4人のソロアルバムを1枚にしたみたいだけど、ビートルスが4つの個性豊かな音楽家の集積であるこを体感させてくれます。
これはまた、グループの成り行きとして、4人の危機をも感じさせることになるわけだが、このロック・ポップスのひとつの行きついた先としての完成度の高さは永遠のものかもしれなません。

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こんな風に、ポールだけ、後ろ向いちゃってますの中ジャケ。

「Lucy in the sky in the daiamonds」「A day in the life」「She's leaving home」「With you without you」「When I'm sixty hour」
このあたりが好きです。
ちょっといっちゃってる風のJ・レノンに、ポップス王道をゆくパール・マッカトニー、インド音楽を極めてしまったジョージ・ハリソン、とぼけた味のチームの緩衝役リンゴ・スター。

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「アビー・ロード」

もしかしたら、これが一番かも。

裸足のポールは、彼の死亡説すら生み出しました。

サージェント・ペッパーズがコンサートを卒業封印してしまったビートルズのレコード上のコンサートだったのに対し、こちらは、録音芸術からさらに転じて、本来のビートルズのロック魂とアコーステックサウンドを希求したような1枚に思います。

4人の分裂の危機は、すでに訪れていたのですが、これじゃいけない、昔みたいに・・・との思いを感じます。
そして、当時ソロへの動きも示していたジョージ・ハリソンが、ジョンやポールと同じくらいに自己主張をしております。
抒情的で爽やかな音楽造りは、名曲「Something」「Here comes the Sun」でもって結実してます。
この2曲、ほんとにいい曲だし、大好きです。

「Come together」「Oh Darling」「Octopas's garden」「I want you」などに続いて、レコードB面は、オムニバス的な組曲みたいになってます。
こちらは、休みなく連続で聴くのがいいです。
なかでも、「Golden Slumbers」は、泣けてしまいます。
「The long and windingroad」とともに、来し方行く末を歌っているように思えます。

オリンピックの最後の閉会式にも、きっといいんじゃないかと思います。

前にも書きましたが、わたしにはビートルズは英国音楽です。
そして、ロック・ポピュラー・ジャンルのモーツァルト的存在です。

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2012年8月11日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 「Riders to the Sea」

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海に漕ぎ出す人々。

「Riders to the Sea」

この題名のオペラを作ったのは、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872〜1958)。

V・ウィリアムズ(RVW)は、一般には、「グリーンスリーヴス幻想曲」や「揚げひばり」で知られていると思いますが、それらのイメージでいくと、いかにも、英国の田園情緒あふれたカントリーサイドの緩やかな音楽の作曲家となろうかと存じます。

しかし、RVWは、実に多面的で多彩な音楽造りをした人です。
9つある交響曲を順番に全部聴けば、その多彩な顔つきを、ほぼ理解できるものと思います。
かの抒情的な作風は、ほんの一面で、思いつくままに列挙すれば、スペクタルな映画音楽風、不協和音鳴り響くシャープな厳しさ、教会旋法も意識した宗教風、エキゾティックな東洋風、英国各地の民謡をベースにした懐かし風、ユーモアあふれる洒脱風、ミステリアスな神秘主義風・・・、まだあったかな。。。

ゆえにとらえどころのない作曲家に見られるのもやむなしだが、そのパターンにハマると、どこにもかしこにも、RVWの音を確認できるようになるから、その作品を複数のジャンルで次々に確認したくなる。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 「海へ漕ぎ出す人々」

   マウーリャ:サラ・ウォーカー  キャスリーン:イヴォンヌ・ブレナン
   ノーラ:カスリーン・タイマン   バートリー:ヒュー・マッケイ
   女:  マリー・シェリダン・デ・ブラウン

   ブライデン・トムソン指揮 Telefis Éireann コンサートオーケストラ

                        (1988 アイルランド)


RVWには、オペラないしは、それに準じる作品が7つあります。
そのなかで40分ほどの1幕オペラがこれです。

ところがコンパクトだけど、その内容は救いのない人の死が横溢する暗い内容なのです。

ミリントン・シング(1871〜1909)というアイルランドの劇作家が、イエーツのアドバイスで訪れたアラン島のイニュシュマン(ニットで有名です)というところで、その自然や人にインスパイアされて書かれた同名の詩劇をほぼそのまま台本として作曲されたもの。

1925年より構想を練り、1937年に、マルコム・サージェントの指揮によって初演されていて、今でも英国やアイルランドでは上演されております。

シングの書いた劇中の言葉は、アイルランドの方言で、わたしにはわかりませんが、独特の言い回しとかあるみたいです。
アイルランド北西部の厳しい海が、主役のような凄惨な内容のオペラ、簡単にその筋を。

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アイルランド最北西部の島の貧しい家。
母マウーリャと、その娘キャスリーンとノーラ、息子のバートリー。
外は、波の音も聞こえ、風音も強い。
忙しく家事をするキャスリーンは、寝室で落ち込んでいる母を気遣っている。
そこへ、ノーラが駆け込んで来るが、彼女が手にしていたのは、兄弟のマイケルのものかもしれない衣服の一部。
神父が、北の海で溺れた男の衣服を届けてくれたという。
母親が起き出す気配に、その衣服を隠す2人。
母が居間にやってくると、そこに息子のバートリーが帰ってきて、意気揚々としている。
船を駆って、コネマラの街(ポニーで有名)に行って、馬を売ってこようと、縄などの準備に入る。
母は海は荒れているから留まるように懇願するが、バートリーは受け入れず出ていってしまう。
娘たちは、母に、息子の安全と祝福を祈らずに出ていかせてしまったのだから、パンを持って早く追いかけるように言い、母も慌てて出てゆく。

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 その間に、さきほどの衣類を調べる姉妹は、それがマイケルのものだとわかってショックを受ける・・・・。
ほどなく哀しみのうちに帰ってきた母。
息子には会えなかったが、その彼が跨る馬に、マイケルが見えたと語る・・・。
キャスリーンは、実はマイケルは・・・と溺死したことを母に話し、ショックを受けた母マウーリヤは、淡々とこれまでの悲劇を語る。
夫を海で亡くし、その父も、さらに息子たち5人も海で亡くしてしまったと・・・・・。
 そこへ、村人たちが、若い男、すなわちバートリーの遺体を運んでくる。
悲しみに暮れる一同。

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母マウーリヤは、アイルランドの古謡を息子を聖水で清めながら歌う。
「わたちたちに、これ以上ができようか。人はみな、永遠に長くは生きることができない。それでよしとしなくてはならない・・・・」
  外は、風と波の音。

          幕

どうですか?この暗澹たる内容。
RVWの音楽も、暗く陰湿で、ずっと短調のまま。大きなフォルテもなく寂しいだけ。
この劇の内容に、よくもこれだけぴったりの音楽をつけたものです。
RVWの語法としては、交響曲で言うと、第4番、6番、7番あたりと波長が合います。
とりわけ、海の荒涼とした雰囲気とミステリアスな女声合唱のアカペラは、7番南極交響曲の雰囲気そのものです。

なぜ、ここまで救いのないオペラを書いたのでしょうか?
ブリテンの「ピーター・グライムズ」も厳しい海を描いたオペラですが、あちらは、ピーター個人と群衆があって、背景に海がある。
でも、RVWのこちらは、主役は声を発しない海のように思えるのでした。

原作者シングと同様に、アイルランドの厳しい海に生き、その海なくしては存在できない人々とその人々を支配するかのような「海」を描きたかったからに違いありません。
あの大震災もあったものだから、昨年、このオペラを取り上げることは控えてきました。
自然の前には無力な人間ということでは同じ。
そして、それを受け入れ、淡々とそして力強く生きてゆく人間がいる。
1900年ごろの物語ですが、いまや船舶が安全となり、彼の地も海への備えもきっと増しているでしょう。
第一次大戦を経験し、次の戦争も始まった頃。それでも、海へ漕ぎ出す人々を描きたかったRVWの心情がわかるような気がします。

こちらのDVDは、アイラの寂しい海辺の村の雰囲気を実によく出してます。
母のウォーカーの疲れきった、でも、すべてを受け入れる意思を持った女性をよく演じ、歌ってます。
オケが少し解像度悪い録音ながら、ブライデン・トムソンの男性的でシャープな音造りは、この曲に合っております。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 「海へ漕ぎ出す人々」

   マウーリャ:リンダ・フィニー     キャスリーン:リン・ドーソン
   ノーラ:イングリット・アットロット   バートリー:カール・ダイアモンド
   女:  パメラ・ヘレン・ステファン

   リチャード・ヒコックス指揮  ノーザン・シンフォニエッタ
                    
                     ザ・シンフォニア・コーラス
                        (1995.3 ゴスフォース)


もうひとつ、こちらはCD。
演奏だけなら、こちらの方が精度が高くよろしい。
ヒコックスの誠実な指揮によるオケもいい。
なによりも録音が素晴らしい。
あと、カップリングの2曲が、このオペラと旋律的にも関係があるものを選んでいて、全体として聴き応えがあります。

多くの方にお勧めはできませんが、RVWの魅力を味わえるオペラであり、RVWのいろんなお顔を確かめたい方は是非どうぞ。

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2012年8月10日 (金)

ホルスト 「惑星」 ユロフスキ指揮

Syutokou_shibuya

天使の梯子と呼ぶのでしょうか。

ヤコブの梯子とも言うそうでして、シェーンベルクの未完の声楽作品がありまして、旧約聖書のヤコブの天啓の物語です。

首都高速を疾走中、写したものです。いい感じに撮れました。

お盆期間に、また天体ショーがいくつかあるみたいだけど、お天気はどうでしょう。

Nitsusyoku_31

あと、まったくダメだったのは、今年5月21日の日食の撮影。

甘く見すぎてました。

日食グラスなんかじゃ、豆粒みたいでわからない。

コンパクトデジカメでは、まったく歯が立たない。

曇ったことが幸いして、それでもこんなもんでした。

望遠で、フィルター付けて、三脚かまして準備万端の人のみが撮すことができたんでしょうな。

まったく遺憾なことに存じます。。。。

イカンといえば、今日も遺憾が連発。

遺憾以上だろよ、あれは!腰引けすぎだ。

Tthe_planets_jurowsky

      ホルスト 組曲「惑星」

  ウラディミール・ユロフスキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                           〃            合唱団

                        (2009.5@ RFH)


これは、出色の「惑星」です。
ご覧のとおり、ロンドン五輪に調子にのって、ずっと英国音楽をやってますが、見慣れぬ作曲家や曲ばかりで、引いてしまわれる方も多かったのではないでしょうか。

ご安心ください、今日は「惑星」ですよ。

「惑星」は、英国音楽としては異例なまでのヒット作で、ホルストの名を、これ1曲で世に残すこととなってしまった名曲だし、日本じゃ、「ジュピター」の曲で、「威風堂々」クラスの人気を得ることになってしまった訳でありますな。

ロシア出身のユロフスキは、早くにドイツに移り、オペラハウスでの下積み的な活動も経験していることから、オペラの実績がふんだんにあります。
グライドボーンの指揮者だったこともあって、自然な流れでロンドン・フィルの主席となった40歳の若手。
ロンドンの5大オケの中では、ちょっと地味に陥りがちだった(先代がMズアだったし)LPOを、一番輝かしい存在にしつつあるウラディミール君は、親子指揮者でもあります。
親父の方も、なかなかの屈強で、珍しいレパートリーを披歴するユニークな存在。

ユロフスキの惑星を聴いて思うのは、43分という早いタイムながら、それを感じさせない、堂々たる恰幅のよさを備えていること。
そして、強弱のバランスが豊かで、ここぞという場での盛り上げが実にうまく、木星の歌いっぷりに、天王星のかっこよさ、火星の逼迫感など、決然とした若者らしさが横溢してます。
一方で、歳を経て渋いところに耳が行くようになったワタクシをも喜ばせる、金星の抒情の雫を感じさせるような美しさや、土星の底光りする老性感。
惜しむらくは、最後の海王星が、少しばかりあっさりとしすぎているところか・・・。

ユロフスキは、スヴェトラーノフが君臨した、ロシア国立響の指揮者にも就任していて、あのオケをどうさばいていくか、今後注目です。

そして、ロンドン・フィルは、ハイティンク・ショルティ時代の黄金期をもう一度迎えることができるでしょうか。

「惑星」録音は、ロンドンのオーケストラがダントツに多いと思います。
次いで、でっかいアメリカ。
ロンドンの中でも、LPOが一番多くて、ついで、LSO、PO、BBC、RPOの順でしょうか。
英国音楽として、英国のオケで聴くのが好きです。

それと要望として、神奈川フィルで聴いてみたいsign01
本日、仕事で、サマーミューザの神奈フィルを聴きにいけなかった・・・・。
だって、遠いんだもん。
登戸や向ヶ丘遊園じゃ厳しすぎ。
ミューザは、来年春の再開らしいです。
                  

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2012年8月 9日 (木)

エリック・コーツ 「ロンドン組曲」 ボールト指揮

London_brdg

英国大使館のページから拝借しましたロンドンブリッジ五輪画像。

五輪の輪っかって、互いに交差してるのね?

あんまりじっくり見てなかったし、色の配分も子供の頃は知っていたけれど、大人の今は、全然気にしなくなった。
おまけに、5つの色を言えないかも・・・・デス。

Coates_boult


エリック・コーツ(1886〜1957)は、英国ライト・ミュージックの作曲家。

そもそも、ライト・ミュージックって?

日本では、軽音楽なんてふうに訳されて、クラシックっぽいポップスという感じでなんだか曖昧な線引きが行われそうなジャンルなんだけど、英国では、それ専門みたいな作曲家も存在した。
貴族社会と、彼らのリゾート休暇ライフの無聊を慰めるために生まれたような軽いクラシック。
その流れは、マントバーニー、パーシーフェイス・・・・、イージー・リスニングに派生していったのでしょう。
一方で、クラシック専門のオケが、軽いクラシックやポップス系を演奏するための別名オケも編成してますね。
有名どころでは、ボストン・ポップス、ハリウッド・ボウル、シンシナシティ・ポップス、そして身近なところで、神奈フィル・ポップスですよ!

で、ロンドンには、BBCコンサート・オケがあります。

コーツはロイヤル・アカデミーでヴィオラを専攻し、卒業後オーケストラ奏者として活躍するかたわら、作曲活動も続け、ヘンリー・ウッド指揮するクィーンズ・ホール・オーケストラでの主席ヴィオラとしての活躍が特筆されます。

5分前後の曲ばかり、そしてまさに軽〜くて、軽快、すっきり爽快、悩みなし、前しか向かない明るい音楽。
ワタクシのように、英国音楽に憂愁や陰りを聴きとり、あごの下に手を当ててしまう人間には、のほほんのしすぎて辛いものがありますが、たまにはいいんです。

しかも、指揮してるのが英国騎士みたいなボールト様ですからして。

 エリック・コーツ 「ロンドン組曲」

    ①コヴェント・ガーデン

    ②ウエストミンスター

    ③ナイツブリッジ

   サー・エードリアン・ボールト指揮BBCコンサート・オーケストラ

               (1975.6 ロンドン)


ロンドン中心部のそれぞれの3地区、観光客が必ず訪問する3エリアを軽〜く音楽にしてみました的なナイスな作品。

Coventgarden

コヴェント・ガーデンといえば、音楽好きにはロイヤル・オペラ。
でも各種店舗やアーケード、アミューズメント施設が溢れる賑やかな街。
大道芸なんかも路上やってますよ。
音楽は一瞬、エルガーのコケインみたい。

London_2

ウェストミンスターは政治をはじめとするあらゆる中心エリア。
この画像は、ワタクシ運転中の画像。
ゆったりと悠然とした雰囲気を醸し出す音楽。
途中、お馴染みのチャイムが鳴ります。
そこは、V・ウィリアムズの「ロンドン交響曲」に同じ。
しっぽりとした気分になれます。

Harrods

ナイツブリッジ(Knightstbridge)は、商業の中心。
東京なら銀座でしょうか。
ハロッズがあります。
わたくしも、おのぼりさん的に行きまして、バッグ買いましたし、娘の可愛いセーターなんぞも買いましたぞ。
そんな楽しく、ワクワク感あふれる行進曲ですよ。
楽しい〜っ!

ずっと英国音楽を特集してますが、いろんな音楽があって、それはそれは多彩な世界なんです。

Coates

コーツさんは、こいつだ!

なんて失礼言ってますが、フルトヴェングラー+カルロス・クライバーだったのです。

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2012年8月 8日 (水)

ブリス チェロ協奏曲 ウォールフィッシュ

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汐留あたりの夕暮れ。

遠くに、東京タワーや愛宕のビルが見えます。

都会の切り取られた一風景にございます。

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  ブリス   チェロ協奏曲 

      Vc:ラファエル・ウォールフィッシュ

   ヴァーノン・ハンドレー指揮 アルスター管弦楽団

                    (1989.11 @ベルファスト)


サー・アーサー・ブリス(1891〜1975)は、その生没年から伺えるように、近時まで生きた英国の作曲家。
作曲家であるとともに、教育者であり、指揮者でもあった。
英国の先達の音楽を広めるべく、活動し、ロンドン交響楽団の指揮者としても、1964年に、デイヴィスやケルテスとともに来日している。

ブリスは、わたしにとっては、「カラー・シンフォニー」と「チェックメイト」、声楽作品の「モーニング・ヒーロー」や深刻かつ優しい「羊の群れは野に安らう」などの作品ぐらいしか馴染みがありません。
今回のチェロ協奏曲は、英国風の緩やかさや、田園情緒、そして繊細なフォルムなどをあまり感じさえることのない、シャープでモダンな独特の音楽に感じ、先にあげた作品などと聴き合わせれば、世紀末を過ぎて、次の世代にあったブリスの立ち位置が感じ取れるはず。

この協奏曲は60年代の終わりに書かれ、1970年、オールドバラ音楽祭で、ブリテンの指揮、ロストロポーヴィチのチェロで初演されています。
作曲にあたっては、ロストロポーヴィチのアドヴァイスやサジェスチョンがかなり加えられているようで、実際、聴いていると、あたかもかのロストロポーヴィチが弾いてるんじゃないか、と思うような雄弁な曲調を随所に感じます。
大きくない通常オーケストラ編成に、ハープとチェレスタを交えた近未来的な響きは、異論はありましょうが、わたしには、コルンゴルトの甘味なる響きにも等しく聴こえます。

1楽章は、とらえどころなく、妙に長くて(27分中の12分を占める)ちょっと息切れしそうな雰囲気だが、キツイ線描をじっくり追いかけて聴いてると、なんとなくわかったような気がする不思議な音楽。
2楽章は、英国音楽ならではの緩徐楽章として、荒涼たる木管が麗鈴と冷たく響き、チェロも青白く奏され、なかなかのクールぶり。チェレスタもちょろりんと味付けがあって、なかなかの雰囲気なんです。
ティンパニのメロディ(?)で始まる終楽章。多彩なチェロに、男性的でダイナミックなキレのよいオーケストラ。
バランス的に短いのがなんですが、かっこいい音楽です。

シャンドスのチェロの顔だったウォールフィッシュにハンドレーとアルスター管の演奏で。
数々の映画音楽も創作したブリスのかっこいい音楽。
でも彼らの演奏は、しっかり英国してます。

ブリスの音楽は、まだ練習中、そしてだいぶ前からも練習中、といった感じで、どうも焦点があいにくいのですが、声楽作品を次回以降取り上げて、聴き込んでいきたいと思ってます。

  ブリス 過去記事

「グローブス&ロイヤル・リバプールpoの色彩交響曲」

「ハンドレー&アルスター管の色彩交響曲」

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2012年8月 7日 (火)

エルガー 交響曲第1番 ボールト指揮

Thames

テムズを行く五輪。

英国人は、やることがナイスですな。

でも、ちょっと大まかなんですよね。

林望さんの本かなにかで読んだことがあるんだけど、「英国はおいしい」だったか、英国料理はマズい、という定番の風評を肯定はしつつも、英国の歴史がそうさせてしまったというもの。

それは、Villege=村を基本単位とした英国各地には、祭りや村人同士の交流から、その地独自の食べ物や文化が育ち、進化していったが、やがて地主が生まれ、村を支配する仕組みができ、地方のくくりも大きくなり、支配階級が生まれ、村から搾取するようになり、個々の文化は停滞していった・・・・、このことから食文化も味気なくなっていった・・・。

とかいうものだったように思います。
日本も同じような流れですが、日本の場合は内側に固まる意識も強くて、密かに守り育てられる文化が、のちの鎖国も手伝って独自化していったのですが、英国は列強として外へ外へとそのパワーは向かい、内なる国内は支配階級の思うがままになっていったんだと思います。
英国の貴族階級は、いまも半端なく凄いものがありそうですが、それはかつての支配階級の流れの中にあります。
日本の武士=軍人が消え去ってしまったことと、ここでは大きな違いがありますね。

そして英国貴族は、かつての武力も有した支配階級ではありますが、ノーブルで嗜み豊かで、毅然としております。

ちなみに、わたくしの英国訪問は一度だけ。
忙しい出張でしたが、ギドニー・パイとかステーキ(固い)、サンドイッチなど、悪くはなかったと思ってますが。。。。

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  エルガー   交響曲第1番 変イ長調

   サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
       
                      (1976.9,10 アビーロードスタジオ
                                &キングスウェイホール)


もうすっかり有名交響曲の一員となりました、エルガーの交響曲第1番。
日本のコンサートでも、いつもどこかで演奏されてます。

50分を越す大作だけど、各楽章が冒頭のモットーと何らかの関係で結ばれていて、最初のじわじわとした高揚感から、2楽章の行進曲風の勇壮さ、3楽章の陰りある儚い美しさ、苦しみの中から、最後は冒頭楽章が感動的に回帰する輝かしい終楽章と、一度ハマれば、聴きてを魅惑してやまない素晴らしい交響曲なのです。

もう何万回も聴き、何回も記事にしてきましたが、バルビローリと並んで、英国音楽・エルガーの音楽のご本尊さま的存在のボールト盤をこれまで一度も取り上げてきませんでした。

ボールトの1番で、もっとも一般的なのが、1976年のロンドン・フィル盤。
どういう塩梅か、終楽章だけ録音場所が異なり、微妙に雰囲気が異なりますが、この1枚は実に安心して身を委ねることができます。
おおらかで、小事には動じることのない真っ直ぐのブレのない解釈は、エルガーのノビルメンテの指示そのもを体現してます。
細部のきめ細やかさでは、昨今の精度高い演奏にひけをとりますが、一本筋の通った骨太な流れの中にエルガーの高貴なる眼差しと、自国への愛情を感じることができます。

惜しむらくはEMI録音の、一枚ヴェールのかかったような響き。
同時期、音楽監督だったハイティンクがロンドンフィルとはフィリップスに、重厚でウォームかつ克明な録音を残しているのと大違い。

Elgar_sym1_boult_2


  エルガー   交響曲第1番 変イ長調

   サー・エードリアン・ボールト指揮 BBC交響楽団
       
               (1976.7.18 ロイヤルアルバートホール) 


そして、ボールトのエルガー1番、もう1枚は、さきのEMI盤の2ヶ月前、プロムスにおけるライブ録音で、珍しくBBC交響楽団を指揮したもの。

こちらの放送録音の方が心地いいって、いったいEMIさんはどうなってるんだろ。
で、演奏はライブの感興そのもが反映された興奮と思い入れそそるもの。
思いの丈をしっかりと乗せて、じっくり聴かせてくれる3楽章もふくめて、テンポが実に早く、表情づけも早い分、若々しい。
でもさすがはボールトと、機敏なBBCだけあって、時にアクセルを緩めじっくり構える指揮にしっかり着いていって、硬軟取り混ぜた、実に鮮やかなエルガーに仕上がってます。
圧巻は、ライブだけあって、やはり最後の感動的な大エンディング。
いやはや、ものすごい歓声が巻き起こります。

参考タイム:

          Ⅰ      Ⅱ       Ⅲ       Ⅳ

BBC     17'22"           7'05"          9'04"     11'19"

LPO     18'39"           7'14"         10'53"           12'03"

エルガー 1番 過去記事

 「バルビローリ/ハルレ管弦楽団 新旧」

 「湯浅卓雄/神奈川フィルハーモニー」

 「マリナー/アカデミー管弦楽団」

 「尾高忠明/NHK交響楽団」

 バルビローリ/フィルハーモニア管」

 「
大友直人/京都市交響楽団 演奏会

 「
尾高忠明/BBCウェールズ響

 
ノリントン/シュトットガルト放送響

 
プリッチャード/BBC交響楽団

                        

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2012年8月 6日 (月)

東京タワーと夜のにゃんにゃん

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イルミネーションに輝く東京タワーを背景に、人んちの塀のうえでくつろぐにゃんにゃん。

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こっちに気がつきましたね。

夜風に吹かれて気持ちよさそうにしてますよ。

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夜なもんで、フラッシュも焚くのは基本嫌いなものだから、こんなボケ具合いですがね、なかなかにいいお顔してますな。

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動じない塀の上のにゃんこを通り過ぎると、また一匹。

おんなじカラーリングで、親子か兄弟でしょうか。

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気になるものがあるらしくて、カメラマンを無視して、一点を凝視。

植物の先っちょに、なんかいるんでしょう。

くそっ、とばかりに気を引くために、手持ちのポケットテッシュを取り出し、ビニールがさがさ音を出してみたら、即座に反応。

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こっちへ来ましたよ。

あんまり急に来るもんだから、シャッターが追いつかず、めんこいそのお顔を撮ることができませなんだ。

わたしの周りをスリスリしながら一周して、何事もなかったかのように去っていきました。

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そのお尻に、わたくしは、さようならをするのでした。

にゃんこは、予測不能、きまぐれなのです。

また遊んでもらおうっと・・・・。

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2012年8月 4日 (土)

フィンジ 「いざ花冠を捧げよう」 ヴァーコー&ヒコックス

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札幌郊外の大きな公園、去年の夏です。

針葉樹とヒースの茂る公園は、あきらかに本土とは違います。

北海道の自然と風物は、絶対、絶対にわが固有のものとして守らなくてはなりませんね。

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  フィンジ    歌曲集「いざ花冠を捧げよう」
  
   
             Let us garlands bring〜シェイクスピア詩

      Br:ステファン・ヴァーコー

   リチャード・ヒコックス指揮 シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ


昨日と同じ、フィンジ(1901~1956)の珠玉の歌曲を。

今度は、弦楽オーケストラによる伴奏のバージョンにて。

1929年から1942年にかけて作曲されたシェイクスピア歌曲をまとめて、ヴォーン・ウィリアムズの70歳を祝福して、朋友ハワード・ファーガソンのピアノで、その1942年に初演。
同時に、弦楽オーケストラバージョンも作られ放送録音された。

ピアノによる、楚々とした迫真の哀しみと比べ、弦楽バージョンでは、清潔さと甘味さが織り交ぜになった豊かな響きに満たされ、歌がよりドラマティックに聴こえる。

 1.「Come away, come away, death」〜来たれ 死よ

 2.「Who is Silvia?」〜シルビア

 3.「Fear no more the heat o' the sun」〜もはや日照りを恐るることもなく

 4.「O mistress mine」〜おぉ 愛しい君よ

 5.「It was a lover and his lass」〜それは恋する若者たち


やはり、1と3とに無性なまでに愛情と愛着を感じます。

弦楽合奏を背景にすることにより、同じフィンジの「エクローグ」や「ディエス・ナタリス」などをも思わせることになり、感動もひとしお。

フィンジの音楽が持つ憂いあるその感受性に、わたくしは、いつも魅せられてきた。

オリンピックや各地の音楽祭に心奪われつつも、日々の大変さは何ら変わりことはありません。
一時の高揚感が去ったあとに来る、今以上の厳しさを予感するがゆえに、フィンジの音楽は、きっとそのときも、心の支えになってくれそうなんです。

英国の歌を歌わせては、ヴァーコーの優しくマイルドな声は、バリトン音域ではほかに並ぶ方がおりませぬ。
ともかく、素晴らしい声です。
これ聴いちゃうと、昨日のターフェルがオケバージョンで、ヴァーコーがピアノで・・・とも思いたくなってしまいます。

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2012年8月 3日 (金)

フィンジ 「いざ花冠を捧げよう」 B・ターフェル

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うだる夏でも静謐感漂う日本庭園。

そして、虚空に浮くかのような鯉。

しばし、涼みました。

Terfel

 フィンジ    歌曲集「いざ花冠を捧げよう」
  
   
             Let us garlands bring〜シェイクスピア詩

 

          Br:ブリン・ターフェル

          Pf:マルコム・マーティノー

                 (1995.2 @ヘンリー・ウッド・ホール)


ジェラルド・フィンジ(1901〜1956)の決して多くない作品のなかで、歌曲集はCDにして約3枚分ぐらいはあります。
いずれもフィンジらしい、静かに聴きてに語りかけてくるような優しさとやわらかさにあふれてます。

その中でも、少し古風で、少し哀しく、少しユーモアもあって、そしてそれゆえに愛すべき作品が「いざ花冠を捧げよう」です。
5つの曲からなってます。

 1.「Come away, come away, death」〜来たれ 死よ

 2.「Who is Silvia?」〜シルビア

 3.「Fear no more the heat o' the sun」〜もはや日照りを恐るることもなく

 4.「O mistress mine」〜おぉ 愛しい君よ

 5.「It was a lover and his lass」〜それは恋する若者たち



一番に印象的で心にグッとくるのが、1曲目

    Come away, come away, death

    Come away, come away, death,
    And in sad cypress let me be laid;
    Fly away, fly away, breath;
    I am slain by a fair cruel maid.
    My shroud of white, stuck all with yew,
    O prepare it!
    My part of death, no one so true
    Did share it.

    Not a flower, not a flower sweet,
    On my black coffin let there be strown;
    Not a friend, not a friend greet
    My poor corpse, where my bones shall be thrown:
    A thousand, thousand sighs to save,
    Lay me, O where
    Sad true lover never find my grave,
    To weep there!


 
シェイクスピアの書いた哀しい歌は、道化の歌。

   死よ来たれ、悲しみのうちに糸杉の中に横たえてくれ
   一輪の花も捧げることはしないでくれ
   悲しき誠の恋人が見出すことのない我が墓・・・

恐ろしく悲しく、自ら見捨てられたことに自虐を歌う詩に、フィンジは透徹の眼差しでもって孤高の音楽をつけました。
これを聴いて心動かされない人はいますまい・・・・・。

     Fear no more the heat o’ the sun

    Fear no more the heat o’ the sun,
    Nor the furious winter’s rages;
    Thou thy worldly task hast done,
    Home art gone, and ta’en thy wages;
    Golden lads and girls all must,
    As chimney-sweepers, come to dust.

    ・・・・・・・・・・・・・

    No exorciser harm thee!
    Nor no witchcraft charm thee!
    Ghost unlaid forbear thee!
    Nothing ill come near thee!
    Quiet consummation have;
    And renownéd be thy grave!


戯曲中、毒殺されてしまったかと思われた女主人公を悼んで歌われる、痛恨の哀歌。
こちらも物悲しく、楚々とした気持ちに誘われる。
もはや、灼熱の太陽をも恐るな・・・あらゆる禍々しい災いを列挙し、それらからは開放され、恐ることはないと歌います。
最後は哀悼の意を評し、静かに印象的に終わります。

ほかの3つは、明るめのシンプルな歌。

5曲目の鳥の鳴き声を快活に歌う曲で、心は晴れてゆきます。

美しく哀しいフィンジの音楽。

静かに、心に染み込んできます。

B・ターフェルはオペラやドイツ物ではアクの強さが目立ちますが、自国ものを慈しむように、そして過度の思いを乗せずに、静かな語り口で歌って聴かせてます。
このCDは、V・ウィリアムズ、アイアランド、バターワースなど、珠玉の英国歌曲が収められてます。
折にふれ聴く、愛聴盤のひとつです。
     

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2012年8月 2日 (木)

プロムス2012 尾高忠明指揮

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今日の東京タワーのイルミネーションは、金メダル獲得の日なので、ダイアモンドヴェール。

オリンピック開催中は、平日でも、金メダル出ればこうなります。

すさまじい一日だった今日、夜には東京タワーの美しい姿を見てほっと一息入れてます。

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(メルボルン響のHPより)

ロンドンのプロムス2012真っ最中。

7月31日には。われらが、オダチューさんこと、尾高忠明が、古巣BBCウェールズ響を指揮して、オール・イギリスものを披露しました。

翌日の、内村選手の金メダルにも増して、うれしいことですよ、これは。

  ヴォーン・ウィリアムズ 「タリスの主題による変奏曲」

  アイアランド  「These Things Shall Be」

  ディーリアス  「村のロミオとジュリエット」〜「楽園への道」

  ウォルトン   「ペルシャザールの饗宴」

       Br:ジョナサン・レマル(アイアランド、ウォルトン)


     尾高 忠明 指揮 BBCウェールズ交響楽団
                ロンドン・ブラス
                BBC合唱団
                BBCウェールズ合唱団

               (2012.7.31 @ロイヤル・アルバート・ホール)


イェーーイ、とんでもなく、すんばらしい盛り上がりのエンディングに、ロンドンっ子たちは奇声を発し、興奮の坩堝ですよsign03

大合唱と独唱をともなったウォルトンの大歴史絵巻の、壮大で輝かしい幕切れでのこと。

バビロニアによるユダヤ民族捕囚の頃、ネブガドネザルの息子ペルシャザールは、ユダヤ国から奪ってきた財宝に囲まれ、その酒器でもって酒池肉林の大宴会。
ところが虚空に指があらわれ謎の文字が・・・・。
ダニエルというユダヤ人が、それを解読し、王の治世の終わりと国の分割と、読み説き、ペルシャザールは死んでしまう・・・・という、旧約の物語。

驕れるものは久しからず・・・・、旧約時代より伝わる提言でございます。

このあらましを、ウォルトンはダイナミックな音楽でもって劇的なカンタータ風にしたてました。
40分あまり、対訳があればなお楽しく聴けますが、最後の歓喜の爆発は、CDで聴いても大興奮だし、コンサートだったらむちゃくちゃ盛り上がります。

尾高さんの緻密な指揮による、着実な積み上げとその爆発は、RAHの聴衆を釘付けにしてしまったようです!
このところ、尾高さんは、この曲に集中していて、秋にも日本で指揮します。

あと、私が注目してたアイアランドの20分を超える独唱と合唱の作品。
この曲大好きなんです。
ヒコックスのCDで何度も聴いて、そのたびに深い感動を味わってました。
それを尾高さんが指揮してくれちゃうなんて。
おそらく初のレパートリーじゃないでしょうか。
第一次大戦もからんだ時期の祖国への愛も歌いこまれた高揚感と、抒情性にあふれた名品。かっこいい前半と、バリトンソロのヒロイックな歌、その後静かな部分を経て、合唱を加えて再び盛り上がる後半での大感動。
静かに消え入るような末尾も素敵なものです。
無二のヒコックス盤より、少しテンポを上げて淡々とすすめるこの尾高演奏、いいじゃないですか!
ただ、ニュージーランド出身のレマルの歌は、わたしには受け入れがたい声の揺れ方でありましたこと申し添えます。

RVWの静謐なタリスに、バルビローリ以上に、ゆっくりと情を込めて優しく進められたディーリアスの村のロミオとジュリエット。
尾高さんは、きっと、日本のことを思って、万感を込めて慈しむように指揮したのではないでしょうか。
あまりにもデリケートで美しいディーリアスです。

英国音楽の伝統を受け継ぐ指揮者がこんな近くにいたことを痛感し、感謝したくなるプロムスでした。
尾高さん、今回で1988年以来、30回目のプロムス登場でした。

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タワーを写し込んだ今宵の建物。

「アイアランド」 ヒコックス盤

「ウォルトン ペルシャザール」 プレヴィン盤
                

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2012年8月 1日 (水)

ホルスト コッツウォルズ・シンフォニー ボストック指揮

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暑いときにもカレーがやたらと食べたくなりますな。

スーパーで、昔では考えられないくらいに多彩なレトルトカレーが売ってます。

国立薬膳カレーを食べてみましたよ。

「こくりつ」ぢゃぁなくって、「くにたち」ですから。

野菜だけ、多彩なスパイスとハーブ、低カロリーがうたい文句のすぐれものは、ピリッと爽やかな美味しいカレーでございました。

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一度お試しあれ。

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  ホルスト   コッツウォルズ交響曲

   ダグラス・ボストック指揮 ミュンヘン交響楽団

           (1999.5 @ミュンヘン)


グスターヴ・ホルスト(1874〜1934)といえば「惑星」。

英国音楽の中でも、絶大な人気と実力を誇る名曲ゆえ、オンリー・ワン的な作品となってしまい、ホルスト=惑星ということで、なかなかホルストのほかの作品に親しむ機会がないのが現実でありましょう。

もちろん私も「惑星」から入りましたし、ずっと「惑星」と、せいぜい「セント・ポール組曲」ぐらい。
でも、英国音楽を貪欲に聴くようになって、ホルストのほかの作品も次々に聴いております。
記事では、まだまだ惑星ばかりですが、これまでに聴いた「雲の使者」や「パートソング」、「イエス讃歌」、オペラ「サーヴィトリ」、「エグドン・ヒース」、「ピアノ作品」など、とてもいい曲ばかりですよホルストさん。

今日の「コッツウォルズ交響曲」は作品番号8で、1900年、ホルスト26歳の若い作品。
王立音楽院を卒業後、スコテッシュ管弦楽団やオペラのオーケストラでトロンボーンを吹きつつ、作曲活動を開始していた時期。
同郷のヴォーン・ウィリアムズと親交を結んだ頃でもあり、ふたりでイギリスの各地方の野辺を散策しつつ、民謡の採集に勤しんでもいた。

そんな背景も感じさせる、どことなくのどかで、親しみあふれる30分くらいのシンプルな交響曲は、オーケストラの編成もさほど大きくなく、シンフォニエッタみたい。
若き日々はワーグナーの影響下にもあり金管の扱いなどにそんなことを匂わせる。
でも基調は、師匠のスタンフォードを思わせるし、ブラームスのように古典風で、ドヴォルザークのように民族風でもあります。
明るい色調で拍子抜けの場面もありますが、この交響曲の白眉は、第2楽章エレジー。
ウイリアム・モリス(William Morris)の思い出に・・・と題されております。
モリスは詩人でありデザイナーであった人で、ホルストのこの交響曲が作曲される前、1896年に亡くなっていて、それに触発されてのこととも言われます。
そのデザインは、東洋風な装飾で、サンスクリット文化をも後に愛するようになるホルストがきっと好んだものでありましょう。

あと、解説によりますれば、この時期は、イギリスは海外覇権も盛んで、南アフリカでボーア戦争を行っていて、コッツウォルズ地方からも戦地に赴く人も多く、それを思っての楽想であるともいいます。
ボーア戦争は、英国びいきとしては、極めてよろしくない戦でして、アフリカの金やダイアモンドの利権争いが生んだ人間の暗黒面を映し出したもの。
強制収容所まで作ったりで、ナチスもびっくりの蛮行も行われたという。
このあたりのことを、わたしは小説で読んだことがありまして、あんまりいい気分はしなかったものです。

ともあれ、そんな現地のことはホルストは知る由もなかったはずで、純粋に戦争に赴き、名前を失ってゆく人々のことを思ってのレクイエムだったのです。
ともかく美しく儚い音楽です。

ボストックとミュンヘン管は、この手の珍しい作品をたくさん残してくれました。
ありがたい。
最近、ナクソスからも出たみたいです。

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