ヴェルディ レクイエム バルビローリ指揮
お盆最後の送り火のあとに見た夕景。
遠くに富士山。
晴れて、昼との温度差が出ると、こんなに美しい夕焼けとなるこのごろ。
かつては、こんな夕焼けはあんまり見れなかった気がしますがどうでしょうか。
富士を少しアップで。
樹木越しでも、美しい輪郭とピンクからオレンジに染まる夕焼けは美しい。
自然は巧まずして、このような美景を造り出してしまいます。
ヴェルディ レクイエム
S:モンセラット・カバリエ Ms:フィオレンツァ・コソット
T:ジョン・ヴィッカース Bs:ルッジェーロ・ライモンディ
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
〃 合唱団
(1969.8、70.1 ワトホード・タウンホール)
何度も書くことになりますが、8月のヴェルディのレクイエムにある思い出は、テレビで見たバーンスタインの壮絶な指揮ぶり。
バーンスタインのドシンバタンと跳躍とともに、ディエス・イレの烈しさが以来ずっと耳についてます。
1972年か73年のことだったかと記憶します。
以来、ヴェルディのレクイエムは、わたしには夏が一番お似合いの音楽になりました。
もちろん、折に触れ聴いてますし、年中聴いてもその感動は変わりません。
ヴェルディならではの、歌を中心とする劇性に大きく傾いたレクイエムは、ディエス・イレばかりの聴き方から脱したときに、この音楽の持つ抒情と歌心という真髄が見えてくる。
その歌心とそして祈り、適度な劇性が結実した演奏にこそ、魅力を感じる。
これも何度も書きますが、アバドとスカラ座の演奏がわたしには一番です。
今日のバルビローリ最晩年の演奏は、この点、とてもユニークなものです。
イタリア人の父とフランス人の母を両親に持つ英国人は、さながらドイツ系のディーリアスにも英国の血が流れてないところが通じておりますが、父方の祖父もイタリア人で、ともにオペラハウスのヴァイオリニストで、同時に「オテロ」初演のオケのヴァイオリニストであったということで、ヴェルディ演奏の本流筋にあったと思われます。
近々取り上げる予定の、サー・ジョンの「オテロ」録音と並んで、晩年に巡ってきたヴェルディ録音は、本人も熱望したであろうことだが、ニュー・フィルハモニアを指揮して、並々ならない意欲をここに聴くことができる。
約90分、たっぷり、ゆったりと時間が流れてゆきます。
冒頭のレクイエム、慈しみと優しさにあふれたデリケートな出だし、合唱も品位を保ちながら語りかけるような歌い口。静かな場面では、こんな感じに進行し、盛り上がりも絶叫はなく、怒りの日もじっくりと一音一音をかみしめるかのような着実さが身上。
ところどころ、その思いが募るように、音楽の流れが沈滞してしまうのもバルビローリらしいところで、こうした芸風がダメな人は、サー・ジョンとは無縁の方かもしれません。
時おり、聴かれる指揮者の唸り声も音楽の一部みたいに感じられるようです。
ラクリモーサの痛切な響きは、さながらヴェルディのオペラの一節を聴くかのような思いです。
ただ、歌手で、ジョン・ヴィッカースがひとり異質で、ほかの3人が流麗なカンタービレを聴かせるのに、どうにも粘りがあっていけません。
でも女声ふたりの美声とその二重唱のミキシングは例えようがなく耳洗われます。
バルビローリの描き出すゆったりとした背景に展開されるレコルダーレはともかく美しい。
カバリエとコソット、そう忘れもしない、「アドリアーナ・ルクヴルール」の恋のさや当てのふたりの共演です。
バスのライモンディの滑らかな美声も若々しく素晴らしいものです。
外は雷雨も過ぎて、青空が広がってきました。
まだ続きます、暑い夏。
過去記事 ヴェルディ「レクイエム」
「アバド&ミラノ・スカラ座」
「バーンスタイン&ロンドン響」
「ジュリーニ&フィルハーモニア」
「リヒター&ミュンヘン・フィル」
「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」
「アバド&ウィーン・フィル」
| 固定リンク
コメント
やはり、この曲は怒りの日を中心に絶叫演奏するのが正統だと考えます。しかし、このバルビローリのようなデリケートな演奏も世の中に存在価値があると思いますし、個人的にはデリケートな方が好みです。
ジョン・ヴィッカースはカナダ生まれのようで、ラテン系の他の3人とは異質かもしれませんが、インジェミスコなども健闘しており、私は十分許容できます。
投稿: faurebrahms | 2012年8月19日 (日) 07時13分
私もヴェルレクは夏の曲です。
バーンスタインのテレビ放送は1971年8月15日でした。
私にとっても「記念日」みたいになってて、よく憶えています。↓
http://blog.goo.ne.jp/lbrito/e/b002b7312db622d5069f43f836fa5475
バルビローリのもいいですね。ちょっと突然のテンポ変化に戸惑うところもありますが・・・。
私も、夏が終わる前にヴェルレク聴きたいですね。
アバドかフリッチャイ、あるいはコルボとか、そのあたりが、「今聴きたい」って思う演奏かな?
投稿: 親父りゅう | 2012年8月19日 (日) 11時55分
はじめまして、いい音楽との出会いを求め、日々彷徨っている埼玉のサラリーマンです。
ヴェルディのレクイエムは、本当に深くよくできた偉大な曲だと思います。
かつて大きな喪失を経験した時、随分助けて貰いました。
投稿: 山元 光 | 2012年8月19日 (日) 14時20分
夏は暑い!当たり前体操の時間です。
昨年も同じ時期にこの曲を取り上げておられましたね。
大好きです!ヴェルディのレクイエム!本当にレクイエムのつもりなのか、演技のないオペラを書いているんじゃないのか、アイーダそっくりの場面もあるじゃん!とか、いろいろ考えて聴衆をタイクツさせないあたりもヴェルディのお客様第一主義で好ましい^^
同じことをロッシーニのスタバートマーテルでも感じます。こちらのオペラ専門店の老舗としては宗教曲を書いていても聴衆に「いらっしゃいませ、こんにちは」といってしまうんでしょうね。そのあたりも好きです。
ヴィッカースのテナーか。。。この曲では聴いてないのですがおおよそ想像はつきます。この曲のLPやSPを選ぶときもテナーとバスが誰なのかで決めてしまいます。いかんいかん、演奏全体で判断する目を持たないといかんいかん。と思いながら私の人生も晩年に入ってきております。男声で購入レコードを決めてしまう姿勢は変えることができそうもありません。
投稿: モナコ命 | 2012年8月19日 (日) 15時46分
faurebrahmsさん、こんばんは、コメントどうもありがとうございます。
3大とか、5大とかいうふうにランク付けされるレクイエムのなかで、もっとも劇的な作品ですね。
歳とともに、大音響の場面でなく、独唱の活躍する静かな場面を好むようになってきました。
そんな気持ちに、バルビローリの演奏はぴったりくるのでした。
ヴィッカーズは嫌いではありませんが、ワーグナーに比べて、イタリア物はわたしにはちょっと粘っこく感じてしまいます。
こちらでは、単独ではとても素晴らしい歌唱なのですが、ほかの3人とのバランスにおいて厳しい評点となりました。
投稿: yokochan | 2012年8月19日 (日) 20時56分
親父りゅうさん、こんばんは。
71年でしたか!
ご案内どうもありがとうございます。
わたしも忘れもしない日です。
親戚の人々が集まる恒例行事は、子供達(わたし)が、社会人になるまで続きまして、あれは、そうした日の一日でした。
夏のヴェルレク、同感の方々が多いですね。
そして、コルボとフリッチャイですか、まだ聴いたことがありません。
一年ごとに、未聴のヴェルレクを揃えていきたいですが、これ以上のCD追加は許される環境になく、悩ましいです。
いろんな演奏で聴きたくなる名曲ですね。
投稿: yokochan | 2012年8月19日 (日) 21時03分
山元 光さん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございました。
ヴェルディのレクイエムとは長い付き合いですが、文中にもありますように、その聴き方が歳とともに変わってきております。
わたしも、肉親との別れを重ねるたびに、この曲やフォーレ、ブラームス、フィンジなどが、本当に身にしみこむように感じ、音楽のありがたさを実感してしまいます。
投稿: yokochan | 2012年8月19日 (日) 21時12分
モナコ命さん、こんばんは。
暑いですね。
そして、この夏は気まぐれな雨との戦いです。
毎年、ヴェルデイのレクイエムと戦争レクイエムを聴いちゃいます。
オペラティックなレクイエムは、確かにオペラ好きをも夢中にさせてしまいますし、歴代のヴェルディ指揮者が何度も録音を重ねてます。
ロッシーニのスタバトと、もうひとつもミサ曲も麗しの限りを尽くしますね。
男声で選ぶという、モナコ命さん。
よくわかりますよ。
わたしもオペラは男声で選択ですからして。
で、ヴィッカース氏はカラヤンとショルティに重宝されましたが、ちょうど、ヘルデン払底の時期、ヴィッカースは頑張ってます! トリスタンやジークムントは決して悪くないとは思います。
投稿: yokochan | 2012年8月19日 (日) 21時21分