フィンジ ピアノとオーケストラのための大幻想曲とトッカータ
夏だから、まだ淡い色彩のコスモスです。
しっかし、暑いです。
処暑なのに。
そして、日本も処々囲まれ、熱いです。
ところで、先日まで五輪で熱かった英国では、ネッシー騒ぎで沸いているそうですよ。
なんでも、漁船のトナーが大小2匹のネッシーらしき影を捉えたそうです。
英国音楽好きとしては、一度は訪れたいスコットランド地方。
ネス湖は、幽玄な自然あふれるスコットランドにあります。
霧が多く、この湖も透明度が低く、プランクトンの量も半端なく多く、そこに住む生物を多様にしているそうです。
しかも、複雑な水流の強さがあって、新鋭の機器でも、なかなか探索しにくい環境が整っているとのことで、ネッシー発見も夢じゃぁない!
いつまでもあって欲しい神秘と夢のおはなしです。
フィンジ ピアノとオーケストラのためのグランドファンタジアとトッカータ
Pf:フィリップ・フォウク
リチャード・ヒコックス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック
(1988.11@リヴァプール)
ジェラルド・フィンジ(1901〜1956)。
自作に厳しい目を常にむけ、破棄してしまった作品も多くあるといいます。
でも、その残された作品群は、いま、センシティブな日本人の心にしみ込むように、優しく訴えてやみません。
今日の曲を、そのまま訳すと、「大幻想曲とトッカータ」ということになるのですが、優しく感じやすいいつものフィンジとは、ちょっと違う雰囲気です。
このタイトルから想像がつくように、それは、大バッハを意識したものです。
1920年代後半に、書かれた若書きの幻想曲に、ずっと後年、1953年にトッカータを書いて追加した作品で、合わせて16分あまり。
わたしが溺愛する、ピアノとオーケストラのための「エクローグ」を、この曲の間、すなわち第2楽章に据えれば、30分あまりの、素敵なピアノ協奏曲が出来上がります。
いい感じだと思いますが、でもちょっと違う。いや、まったく違う。
静的でナイーブな落ち着きを持った「エクローグ」と異なり、この「幻想曲とフーガ」は、技巧的で自由で即興的な雰囲気が漂い、とりわけ幻想曲では、バロック的な華やかさとバッハ風の峻厳さを感じます。
これを聴くと、わたしは、キース・ジャレットのピアノを思い起こします。
思えば、キースもバッハの人。
ピアノによるソロが6分あまりも続きます。そんなジャジーな幻想曲を聴いてると、フィンジとは思えなくなってきます。
そして、ウォルトンに影響されて付け足すこととなったトッカータは、一転、オーケストラによる爆発的な開始で、ピアノ協奏曲の第3楽章のようなフィナーレ的な効果を持つ華やかなものです。
数十年を経ながらも、フィンジは、前半の幻想曲のフレーズを、後半オーケストラとピアノで、シリアスの奏でて、やがてトッカータが帰ってきて爽快に終了!
前半と後半が、巧みに結びついたこの曲に、「エクローグ」は入り込む余地はありませんでした。
やっぱり、別々に聴きましょう。
Fowke(フォウク)と読んでいいのでしょうか?英国のこのピアニストはなかなかに鮮やか、そして自在なピアノです。
ヒコックもダイナミックな音楽造りで、フィンジの音楽を隈取りを豊かに指揮してました。
P・ケイティンとハンドリーのCDも素晴らしいです。→ボールトのフィンジ
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コメント
フィンジは、僕も大好きな作曲家で、自分のFacebookで何度も取り上げてきました。クラシックを聴いている人の中でも、まだまだこの作曲家の素晴らしさを知らない方が多いように感じます。
投稿: 山元 光 | 2012年8月25日 (土) 00時15分
山元 光さん、コメントどうもありがとうございます。
まだまだ知られれいないフィンジの音楽は、日本人の心情にぴったりだと思います。
わたしも、声高にならないよう、静かに、フィンジの素晴らしさを広めてまいりたいと思います。
わたしもFBは初めてますが、まだまだ慣れません。
投稿: yokochan | 2012年8月25日 (土) 00時56分
う~ん、僕にはまだこの曲の良さが分からないんですよ。yokochanさんのいう、いつものフィンジと違う雰囲気に馴染むことができないんですよね。コンサートで実際に聴いてみると印象が変わるかもしれませんが、この曲をやってくれる方々がいてくれるか(笑)。
投稿: ナンナン | 2012年8月25日 (土) 01時01分
ナンナンさん、こんにちは。
実は、ワタクシも、この曲のこと、いまひとつ理解できないままの記事でした。
でも、キース・ジャレットを思わせるピアノの長いソロは、魅力的です。
フィンジの違う顔に戸惑うのも、熱きファンゆえでしょうか。
投稿: yokochan | 2012年8月25日 (土) 21時42分