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2012年9月

2012年9月30日 (日)

ディーリアス 「フェニモアとゲルダ」 ヒコックス指揮

Toya_2

静謐な湖面を漂わせる洞爺湖。

数年前のものですが、ここでサミットが行われたのはもう大昔みたいに感じる。

日本も世界も、まったく変わってしまったけれど、北海道のこうした光景を思うにつけ、ずっと不変であって欲しい自然の姿です。

Delius_fennimore_and_gerda

  ディーリアス  「フェニモアとゲルダ」

 フェニモア:ランディ・シュテーネ  ゲルダ :ユディス・ハワース
 ニールス・リーネ:ペーター・コールマン・ライト
 エリック・レフストラップ:マーク・タッカー
 領事クラウディ:オーゲ・ハウクランド その妻:アンネッテ・シモンセン
 ゲルダの父:ステファン・クーション
 そのほか

  リチャード・ヒコックス指揮 デンマーク国立放送交響楽団/合唱団
   
                   (1997.5 @コペンハーゲン)
                   (ジャケット写真:北欧の夏の宵 リッカルド・ベリ)


印象的な絵のジャケットそのままのイメージのディーリアスの音楽。

スウェーデンのリッカルド・ベリという画家さんの作品です。
 ベリは、フランスのグレ・シュールロワンで、北欧の画家たちとともに活躍した人で、時期で言うと1890年頃。
そして、われらがディーリアス(1862~1934)が、同地に滞在し永久の住処としたのもその少し前。
北欧の風物を愛したディーリアス、きっとこの画家たちとも交流があったことでしょう。

そんなことを思わせる秀逸なジャケットです。

6つあるディーリアスのオペラないしは、オペラ的な作品の最後のものがこちら。
「イルメリン」「魔法の泉」「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「赤毛のマルゴー」「フェニモアとゲルダ」。

デンマークのヤコプセンの「ニールス・リーネ」に基づき、ディーリアス自身によるドイツ語台本によるもので、1910年の完成。
ケルンでの初演をもくろんだものの、第一次大戦の影響で中止となり、初めての上演は1919年のフランクフルトまで持ち越されることになった経緯がありました。

歌詞はドイツ語だし、初演場所もドイツ、物語の舞台はデンマークということで、英国色はゼロに近い。
それでも、出生と育ちがイングランドで、英国の血の流れていなかったディーリアスの音楽に強く英国音楽そのものを感じるのは、形式や構成よりも、流れ重視の自由な感覚中心の音楽がその最大の特徴にあるから。

「フェニモアとゲルダ」の舞台はデンマーク。
それもフィヨルドのある川岸の町とのことなので、スカンジナビアに近い北部。
北欧を愛したディーリアスならではのオペラ素材なのです。

副題は「ヤコブセンの小説による11の情景からなるニールス・リーネのふたつのエピソード」という長いものがついてます。
その標題どおりに、連続した短い11の場からなり、約80分間、静かに熱く物語は流れるように進行する。

  1910年頃のデンマーク

若い頃お世話なった領事の家に、作家ニールスと画家エリックの従兄弟ふたりが遊びにきます。領事の娘フェニモアはリュートを手に歌を歌いもてなします。

フィヨルドのほとり、フェニモアとエリックは恋に落ち、それを静かに見つめるニールスは哀しみます。

3年後、若い夫婦の元に、ニールスが訪問し、エリックは歓待します。
二人になったときに、フェニモアはニールスにエリックが酒に溺れ絵を書かなくなってしまったことを語る。一方陽気なエリックはウィスキーで乾杯。

エリックはニールスに、最近の悩みを語り、どうしたらいいかと相談するが、旅をするのがいいと答える。

久しぶりに筆を取ったエリックだが思うように書けない。そこへ、街から友人が何人もやってきて、飲みに行こうぜ、と誘う。出かけようとするエリックにフェニモアは、友達ならニールスがいるじゃないと制止するが、振り切り出てゆく。
涙するフェニモアに驚くニールスは慰める。

帰りを待つフェニモアに、朝になりしたたかに酔って帰宅したエリックは冷淡。

夏、川辺の森を歩くニールスとフェニモア・・・、ついに二人は禁断の愛を語ることに。

冬、そとは吹雪、フェニモアの元に電報が。それはエリックが車から投げ出され粉々になって死んでしまったというものだった。
悲報を持って、ニールスのもとへ駆けつけるフェニモア。

雪、フェニモアのただならない様子に驚くニールスは、事を聴いて、気の毒なエリックと涙を流し絶句。フェニモアを優しく慰めようとするが、フェニモアは激しく自分を責め、ニールスのことを激しく拒絶します・・・・。悪夢のようだと呆然とするニールス。

3年後、農夫姿のニールス。農場の先にはフィヨルドが広がり、遠くを見つめ、慰めを見出したニールス。農場の娘たちのハミングも聴こえる。

春、古い林檎の木に花がつき、チューリップも咲く農場。
ニールスは、議員の娘ゲルダを愛するようになり、彼女に結婚を申し入れ、ゲルダも歓喜に包まれ、父も祝福、妹3人の楽しい歌声でもって、喜びの幕となります。

                 幕

どうでしょうか、なかなか微妙な三流ドラマみたいな仕立てで、最後にはあれよあれよで幸せになってしまうニールス。

「フェニモアとゲルダ」・・・・・、ニールスが愛した二人の女性ということになるわけでした。

ゲルダは、ほんのちょっとしか出てこなくて、農場の物語をバランス的に厚くして欲しかったかも。

ですが、ディーリアスの全編リリカルで静的な音楽は極めて美しいものがありまして、オーケストラの微妙に変転し、色合いを変えてゆく淡い色調には魅力を禁じえません。
季節の変化もその音楽で聴きとり感じることができるのもディーリアスならでは。

出会いの春や初夏、死と別離の冬と雪・・・、そしてまた色とりどりの緑の春がめぐってくる。
人間の心の機微を見つめ、それを美しい自然でもって奏でたディーリスの優しい眼差しを想い、この音楽を聴くと涙が出てきます。
有名な間奏曲は、ニールスが辛い別れを経た情景⑩の最初と最後に聴くことができます。
ニールスとフェニモアの二重唱は、トリスタンばりの濃厚なロマンを感じます。

ことさらに声高に歌うことのない歌手たちは、このCDでは、英国や北欧の歌手たちが選ばれております。みんなクリアーですっきりした声です。
そして、ヒコックスは、デンマークのオーケストラを選択して雰囲気あふれる抒情的な演奏を残してくれました。
またこの録音には、波の音は、厳しい吹雪、グラスの音など効果まんてんの音が入ってます。

EMIには、メレディス・デイヴィス盤もあって、そちらもデンマークのオーケストラが起用されております。

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2012年9月29日 (土)

ラフマニノフ 交響的舞曲 マゼール指揮

Imado_temple_1

は~い、招き猫ざんす。

今日、9月29日は日中国交正常化40周年の日でもありますが、じつは、「招き猫の日」だったのです。

「来る福」という言葉から9月29日。

わたしは、「にくきゅう=肉球」だと思ってました・・・・。

右前脚をあげていると金運を招き、左は人を招くといわれる招きにゃんこ。

いくつかあるその由来をしのぶため、奥浅草にある今戸神社に浅草への打ち合わせを兼ねて行ってきました。

本殿にででぇーーんとかまえる、二体の招き猫。
おふたり、顔も模様も違いますね。

Imado_temple_2

こちらは、沖田総司の終焉の地ともされてます。

さらに縁結びのご利益もあって、若い女性やカップルが平日でもたくさん。

劇団オヤジひとりのわたくしは、肩身の狭い猫取材でございました。

月曜ねこの日にまた取り上げますね。

Rachmaninov_symphpnicdances_maazel

      ラフマニノフ   交響的舞曲

    ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  
                   (1983 ベルリン)


3つの交響曲と交響合唱曲「鐘」とともに、ラフマニノフ好きにとって大事な曲がこちら、交響的舞曲であります。

1943年に亡くなったラフマニノフのほぼ最後のオーケストラ作品。
数年前のピアノ連弾によるこちらの作品をオーケストレーションしたのが1940年。
亡命先のアメリカで亡くなるラフマニノフの、やはり本国への憧憬にも満ちた哀愁ただようシンフォニックダンス。

躊躇しながら、おぼろげに哀感を漂わせつつ、ついに官能と甘き香りのワルツが醸成されるさまは、これもまた世紀末・後期ロマン+望郷ロマンの局地であります。

この第2楽章がはなはだ素晴らしく泣けるのですが、1楽章のクールビューティな旋律美も捨てがたく、曲の出だしのかっこよさも比類ないです。
3楽章は、どうにもとらえどころなく3番の交響曲の終楽章のような求心力がないような気がするが、ラフマニノフの常套手段ともいうべき、グレゴリア聖歌の「ディエス・イレ」が最後にゴンゴンとなり始め、ものすごい興奮のうちに一気に集結へ持っていかれる。

この曲を知るきっかけになったのが、マゼールとベルリンフィルの交響曲全集の流れの一貫のこちら。
目の覚めるような鮮やかなベルリンフィルならではのゴージャスなラフマニノフだけれども、どこか覚めたクールさも漂うユニークなラフマニノフ。
この頃のマゼールは、ベルリンフィルとはツェムリンスキーやシェエラザード、バルトークなど、近現代ものにナイスな演奏を続出させつつあった。
この頃までが、わたしの好きなマゼール。
あとは、どこか斜に構えた感じがどうにも・・・・

余白には、「アレコ」の間奏曲と、白痴日的な「ヴォカリーズ」が収められてます。
後者は、寝る前のひと時、ナイトキャップ的に聴くと、夢幻境に誘い込まれる想いがいたしますです・・・・・。


過去記事

  「ヤンソンス&コンセルトヘボウ」

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2012年9月28日 (金)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 レオンハルト

Nakamise1

先日、浅草に久しぶりに行ってきました。

昼の約束で、そのあと散策しまくり。

以前は、客先があって、定期的に訪問する浅草でしたが、そちらも移転してしまい、足が遠のいてしまいましたが、たまたま別件にての浅草行きでした。

相変わらず、観光客は多いのですが、耳を澄ませると言語が以前と違う。

隣国二国の言葉はほとんどナシ・・・・、変わって、東南アジア系の方々と背の高い欧米の方々が目立ちました。
国際的な観光地でありますから、いまの情勢を正直に反映しておりますです、はい。

Bach_goldberg_leonhardt

   バッハ  ゴールドベルク変奏曲

      Cem:グスタフ・レオンハルト

              (1975 パリ)


あの連日の猛暑がウソのように、涼しくなった毎日。

冷房を一晩中いれるわけにいかないから、夜は切って寝ていた夏の日々は、ともかく汗をかいてしまい、寝苦しい毎日でした。
そんなときは、どんな音楽も受け付けず、眠りを誘う曲なんてありはしなかった・・・・。
これまではそんなことがなかったのに、今年はともかく辛かった・・・・。

そこで、取り出したるは、バッハのゴールドベルク変奏曲。
昨年は、真夏にゼルキン盤を聴いてましたから元気な夏だった様子です。

真偽は不確かながら、不眠に悩む伯爵のために演奏された曲とされておりますが、いま、この早秋の頃、夜も長くなり、空気も澄んできて、とてもお似合いの音楽ですな。

最初と最後のアリアをはさんでの30の変奏曲。
それらの変奏曲も、真ん中をピークに、多様なスタイルで変幻自在さを装いつつも、じつに緻密で厳格な構成によって書かれている驚きのゴールドベルクです。

繰り返しを励行すると70分の大曲。
繰り返しなしでも50分かかりますね。

そしてなによりも、チェンバロばかりでなく、モダン・ピアノによる演奏も他のバッハ作品以上に普遍的になりました。
もちろん、グレングールドの功績であります。

さらにジャック・ルーシェが切り開いたジャズのジャンルとしてのコラボレーション。
多感な中学時代は、厳然たるクラシカル音楽としてのバッハが、こんな風にジャズ化されてしまうことに嫌悪感を覚え、そんな行為許すまじ・・・・といった気分に捕らわれたものであります。

長じて、そんな教条的な感覚は遠のき、あらゆるスタイルを柔軟に受け入れ、それでもバッハ本来の顔やテイストを失わない、大バッハの偉大さにこそ、オールジャンルの無敵さと偉大さを感じるようになったのでした・・・。

チェンバロでの演奏のわたしのこの曲のルーツは、EMIへのヘルムート・ヴァルヒャの録音でした。
盲目のバッハへの帰依者たるヴァルヒャの演奏はオルガン曲においても、厳格であると同時に、どこか甘味で緩やか、そして微笑みを感じるようなバッハでありました。
その後、さらに厳しさと鋭利な息詰まるようなリヒターを聴き、80年代、社会人として聴いたのが、グスタフ・レオンハルトのものでした。

世代的には、さほど乖離があるわけではないのに、ヴァルヒャとリヒターとの違いは、トータルにバッハを演奏しながら、レオンハルトは古楽演奏のジャンルのパイオニアのひとりであったこと。
そしてアーノンクールやコープマンらの先鋭さと軽快さと異なり、しっとりとした中に厳しい造形と生真面目さと孤高のクールなスタイルがあった。
さらになんと言っていいのでしょうか、余剰なものがない、シンプルでピュアな姿とでもいう感じが終始ただようのです。
これはオルガンでも、指揮でも同じ感覚です。
極めつけは、「マタイ受難曲」でした。

久しぶりに聴いたレオンハルトのゴールドベルク、不芳な日々に、心洗われるような清冽さを味わいました。

何度聴いても、変奏がすべて終わり、最後にアリアが再び奏でられるとき、心の中に熱いものがこみ上げてきて涙腺が刺激されます・・・・。


ゴールドベルク 過去記事

 

 「マレイ・ペライア盤」

「ピーター・ゼルキン盤」

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2012年9月27日 (木)

アンディ・ウィリアムスを偲んで

Andy_williams

アンディ・ウィリアムスさんが亡くなりました。

1927年生まれ、享年84歳。

ヴォーカルと呼ぶジャンルでしょうか、アメリカの良き時代を象徴するような名ポピュラー歌手でした。

小学生から中学生にかけての頃、テレビで放映された「アンディ・ウィリアムス・ショー」をよく見ていたクラヲタなりたての少年のワタクシ。

当時のスタンダードナンバーや映画音楽の数々を多彩なゲストたちを交えて歌うアンディ・ウィリアムスの歌声は、ゴージャスで明快で、誰しも好きになってしまう普遍的なものでした。
加えて、まだまだあったアメリカへの憧れ。

「ルーシー・ショー」や「奥様は魔女」「ドリス・デイ・ショー」などと並んで、子供心に、物心両面で豊かなアメリカの強さと美しさを見せつけられたようなものです。

そして、アンディ・ウィリアムスの歌声は、ラジオでも常に流れてました。
FMでもAMでも、耳にする機会がとても多かったのです。
さらに、当時の専属CBSソニーから出ていたレコードもベストセラーで、「一家に1枚」みたいにしてご家庭に必ずありました。
クリスマスシーズンともなると、決まってベスト盤が発売されるのもアンディ・ウィリアムスでした。

ちょっと古い世代の方々ならきっとわかっていただける60~70年代のアメリカン・ポピュラー音楽の偉大なるワンシーンを飾った大物でした。

冒頭の画像は、いま残っていた17センチLPのジャケット。
「シャレード」「男と女」「いそしぎ」「慕情」といったスクリーンミュージックの名曲ばかりです。
古きよき名曲、でも、いま聴くと、とても新鮮なんです。
そして輝かしいばかりのアンディさんの歌声は、一点の曇りもなくはればれ晴天なりです!

逝去を機に、youtubeをいろいろ観てみました。
ずっと後年、70代までも、その素晴らしい声は健在でした。

「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドとの共演。
彼女は早世してしまったけれど、アンディ・ウィリアムスと5つ違い。
その娘は、ライザ・ミネリですから!



こちらも貴重な共演。 お馴染みのジュリー・アンドリュースですよ。
これはもう、われわれクラシック音楽好きをもうならせる名人芸です。

あと忘れちゃならないのは、アンディ・ウィリアムス4兄弟。
みんなおんなじ顔と声質で、フォーブラザースでした。
クリスマスソングなど、映像でたくさんあります。

でも、ここではこれ。

夢のようなクリスマスに思いを馳せることができるアンディ・ウィリアムスの歌声にステージセット。
子供心のクリスマスは、こんな感じと、大きなクリスマスツリーに、クリスマスブーツにラメの鮮やかなカードに、ケーキとプレゼント。
それもこれも、アメリカナイズされたテレビ番組が心の背景にあったように思います。

そして、その歌声はいつもアンディ・ウィリアムスでした。

歌好きだったダンディな、亡き伯父にそっくりでもありました。

WE WILL MISS YOU ANDY!

アンディ・ウィリアムスの公式ページにこうありました。

アンディ・ウィリアムスさん、思いでをありがとう、そして安らかならんことをお祈り申し上げます。

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2012年9月26日 (水)

フォーレ ヴァイオリン・ソナタ第1番 ガロワ=モンブラン

Shiseido_green

わたくし、メロンソーダが大好きです。

それも緑の濃い~の。

駄菓子屋で売ってる粉のヤツを口にそのまま含んだりもしてましたよ。

そして、こちらのとてもセンスあるショーウィンドウは、資生堂パーラーです。

ちょっとレトロな感じがいかにもいいんです。

Faure_violinsonata_montbrun

   フォーレ  ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調

     Vn:レイモン・ガロワ=モンブラン

     Pf:ジャン・ユボー

             (1969.10)


フォーレの音楽作品の主体は大きく分けると、室内楽、ピアノ曲、声楽曲、この3つでしょうか。
もちろん、管弦楽作品も、オペラもありますが、作品の数と生涯に満遍なく作曲されたことからすると、この3つのジャンルなのでしょう。

だいたい10作品ある室内楽作品は、その充実度からして後期ロマン派としては、ブラームスやドヴォルザークに並ぶ存在であります。

作品13、このジャンルの最初期のヴァイオリン・ソナタ第1番は、1875年、フォーレ30歳の音楽。

ともかく、若やいでいて、フレッシュな様相が全編をおおっていて、熱を帯びたようなロマンがここでは交錯しているように感じます。
しかもそれがフランス語風に鼻に抜ける母音の語感を感じさせる甘さと官能に結びついているんです。
フォーレの音楽、ことに室内作品を聴くときにとりわけ思うこの感じ。
わたしの感覚が変なのですかね?
ですからね、葡萄酒などを口に含んで、グルグルと味わうときに鼻腔を抜けてゆく、あの芳香・・・・・・。
前にも書きました。
日曜の夕方、明日からまた始まる日常をちょっと憂いながら、ワインを含みながら聴くフォーレの音楽。
そんなひと時を過ごす週末がワタクシにはかつてありました。

4つの楽章からなるカッチリとした外観のヴァイオリン・ソナタ第1番。
第2楽章のシンプルだが、ソロとピアノが拮抗しあいつつ、夢見るように歩むたおやかさは極めて美しいです。
3楽章の愉悦にとんだお洒落加減もいいです。

モンブランとユボーのお菓子のような名前の二人のコンビは、センスが極めてよろしく、さりげなく、濃厚さとは一線を画したタッチが素敵な演奏に感じましたね。

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2012年9月24日 (月)

母は強し、守るにゃんにゃん

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某コンビニの前に、母と思しきニャンニャン発見!

見上げるのその目が睨んでます。

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店から出てきたら、ほれ、このとおり。

可愛い子にゃんにゃんが奥に、そしてそれを守るかのような母にゃんにゃん。

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ワタクシのオーラに警戒して、隙なく見張ってますよ。

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それにしても、奥の子はかわゆいのだ。

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おいでおいで〜

怖いオジサンの声に惹かれて出てくる子にゃんこ。

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あきまへんannoy

と、ぴしゃりと釘をさされたワタクシでした。

7_2

そうしてる間にも、車のヘッドライトに反応する母にゃんにゃん。

動じません。 影にも美しくも強い意思を感じますにゃ。

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誰も、許さにゃいわよcat

は、はぁ〜〜、おみそれいたしやしたぁ〜

健気に、強く、子を守るにゃんにゃんなのでしたぁ〜

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2012年9月23日 (日)

ヤナーチェク 「死んだ男の日記」 ラングリッジ&アバド

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復元が完成にほぼ近づいた東京駅丸の内北口。

この日の晩、映像やイルミネーションのCGショウのリハーサル。
そして、22と23日の夜には本番です。
あいにくと観ることができませんが、ちょっとやりすぎの感があり・・・・ですかねぇ。

神奈川県民だったから子供の頃から、首都東京への入口は湘南電車で、品川・新橋・東京駅が起点。
親類がみな池袋・板橋方面だったので、やはり東京駅でしたね。

前にも書きましたが、子供時代、東京の帰りは駅で売ってた「ミルクドーナツ」。
赤い箱に入ってた一口サイズのドーナッツで、グラニュー糖みたいなサラッとした砂糖が別に着いていたもの。
これは、ほんと美味しい東京の味でしたねぇ〜

Janacek_tagebuch_eines_verschollene

  ヤナーチェク   歌曲集「死んだ男の日記」

        T:フィリップ・ラングリッジ 

        A:ブリギッテ・パリーズ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1987.11@ベルリン・イエス・キリスト教会)


チェコのモラヴィア出身のヤナーチェク(1854~1928)は、かつては、シンフォニエッタとふたつの弦楽四重奏、ヴァイオリン作品、グラゴールミサぐらいでしか聴くことのない作曲家だったように思うが、本場での上演や録音はいくつかあったオペラに、サー・チャールズ・マッケラスがメジャーレーベルに次々と名録音を残すようになって、オペラ作曲家としてのイメージに激変した。

日本での上演は、残念ながらヤナーチェックのオペラは、かなり少なく、新国でも一度も上演機会はない状況だが、いずれは果敢に取り上げてくれるのではと思ってます。

そして、9作あるオペラ作品の番外編。
「消えた男の日記」を。

これはもともと、ピアノ伴奏によるテノール独唱の歌曲集、ないしは、女声版であったものを、ヤナーチェクの死後、専属写譜屋だったセドラーチェクがオーケストラに編曲し、オペラ上演可能としたもの。
数年前のパリ・オペラ座の来日公演で上演されてます。
音源では、こちらのオーケストラバージョンはともかく、オリジナルのピアノ版もいくつも出てます。

この原作の詩は、モラヴィアの農村で実際にあった事実の主人公であった青年が熱い思いとして残したもの。

その事実とは、その青年がジプシーの妖艶な娘に誘惑されて恋におち、さらに子供も孕ませてしまい、村の厳格なしきたりや人々の目に耐えられなくなって、泣く泣く村を捨て、ジプシーたちと行動し失踪する・・・・というもの。

これは、まるで、「カルメン」を思いおこします。

ジプシーは、差別的用語とされているようで、「ロマ」とも称されるようだ。
どうもピンとこないけれど、インド起源とされるこの移動非定住民族は、われわれ島国の民族が思う以上に、ヨーロッパでは古来忌み嫌われていて、いろんな紛争の元にもなっていたし、ナチスによる迫害もユダヤ人の比でなかった。
そんな彼らも、いまや各国に溶け込んでいるものの、まだまだ差別は残っているようです。
男性からすると、エキゾチックな風貌のかの女性たちは、ミステリアスで情熱的にうかがえ、ドン・ホセさんやこちらの「消えた男」さんの心情がよくわかりますな・・・・・

ヤナーチェクは、早くに結婚生活に失敗し、この曲を作曲していたころ(1917)、歳の差38歳の人妻と恋に落ちていた。63歳と25歳。
でも、ほんとうの純愛で、お互いに尊敬しあうものだったともいいます。
こんなことから、かつては、ヤナーチェクは女好きとのレッテルもありました・・・・・。

曲は22の部分からなっており、さらに場面で大きく分けると3つ。
ひとつめのくくりは、若者が胸元まで編んだ黒髪を垂らしたジプシー娘に会い、その想いが高ぶるさまを歌う。

 ふたつめの部分は、仕事でジプシーがいまいる森へ向かうこととなり、自分は大丈夫、と強がるが、実際に娘と会い、誘惑され、ついに床を共にしてしまう。
オーケストラの間奏が、その模様を甘く、情熱的に奏でる。

 三つめは、後悔する若者。恥ずかしくて牛の顔もまともに見れないと歌う。
愛する妹のブラウスもこっそり盗み貢ぐ、それも悔やむ揺れ動く心。
やがて、すべての定めとなった運命を受けとめ、父と母、妹、そして愛する村に別れを告げ、去ってゆく。
ジプシーの娘が息子を抱きしめて待つところへ帰ると・・・・・。

35分あまりのこの音楽は、編曲とはいえ、ヤナーチェックの語法がしっかりと刻まれていて、さらにハンガリー風な音型とかエキゾティックな音色も各種鍵盤楽器の効果もあって巧みに描かれております。
そして何より、テノールの没頭的な歌も加わって、劇的で緊張感あふれる作品になってます。
最後の告別の場面はとても感動的で、どこか明るい展望さえ感じるのでした。

問題意識に富んだアバドは、こんな渋すぎる曲をも選び出して、鋭くえぐり取ってみせた。
シンフォニエッタは若い頃から得意にしていたが、オペラなら「死者の家から」を選択するアバド。
ジプシーにまつわる音楽だけを集めたコンサートも開いたり、ロシア系でもムソルグスキーの社会性に着目したりと、しいたげられたマイノリティを描いた音楽を積極的に取り上げてきたアバドです。
少し明るめのベルリン・フィルの先鋭な響きを得て、実に説得力ある演奏。
故ラングリッジの性格的な歌唱も惹かれます。

ピアノ伴奏のオリジナル版のヘフリガーやシュライヤーをいずれまた取り上げてみたいと思います。

ヤナーチェクのオペラ記事

「マクロプロス家のこと」

「ブロウチェク氏の旅行」

「死者の家から」

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2012年9月22日 (土)

お願いランキング~アンコール曲

Mana Fuku

芦田愛菜ちゃんと鈴木福クンでぇ~す。

こちらのブロンズ像は、東京駅の丸の内仲通りで行われている「BENCH ART IN MARUNOUCHI」。
時代をリードした20人が、こうしてベンチに座って思い思いのポーズをとってます。
家康や竜馬、西郷さんなんかもいましたよ。
コンプリートできませんでしたが、近く、写真集としてUPしておきます。

Onegai

さぁて、またもやお願い戦士たちの登場。

今日のランキングのお題は、コンサートのお楽しみのひとつ、「アンコール」だ。

今回は、オーケストラコンサートに絞っての自分のランキングですよ。

定期演奏会では、めったにないけれど、特別演奏会や来日演奏会では必ずきます。

でも、最近は、マーラーのように長大で、かつピアニッシモで終わったりする曲も多く、その余韻のためにもアンコールは不要だったりします。

しかし、メイン曲が華々しく終わったあとは、やっぱり欲しいですね、アンコール。

前の曲との関連性は無視して、わたしの聴きたい・好きなアンコール曲を列挙しますよnote

 1.ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

 2.ヴェルディ  「運命の力」序曲

 3.プッチーニ 「マノン・レスコー」間奏曲

 4.ブラームス 「ハンガリー舞曲」第1番

 5.バーンスタイン 「キャンディード」序曲

 6.V・ウィリアムズ 「グリーンスリーヴス幻想曲」

 7.ドヴォルザーク 「スラヴ舞曲」第8番

 8.バターワーズ  「青柳の堤」

 9.ウェーバー   「魔弾の射手」序曲

10.J・シュトラウス 「こうもり」序曲

11.ビゼー      「アルルの女」 ファランドール

12.シューベルト  「ロザムンデ」間奏曲


13.シベリウス   「ロマンス」

14.チャイコフスキー 「くるみ割り人形」 花のワルツ

15.「ロンドンデリーの歌」

 番外大穴  J・ウィリアムス 「スターウォーズ」


定番もあるし、なにそれ? も、あります。

そして、華々しい曲に、しみじみ曲。

アンコールは、こんな風に、聴き手の心を楽しく、そして安らかにして、帰宅の途につかせるための大切な10分間なのです。

わたしの場合、どうしてもオペラの曲が多いですが、ワーグナーなら「ローエングリン」3幕前奏曲や、「ワルキューレの騎行」となるところが、それらはどうもその終結部の編曲が気にくわないので、完結感あふれる「マイスタージンガー」ということになります。

それとアンコールの才人(?)、カルロス・クライバーをちょっと意識して、8~10。
盛り上げの巧さでは天才。
そして、いまのアンコール王子は、ヤンソンス。
偶発性の爆発力でもって、オケも聴衆も乗せまくっちゃう。
アンコール曲のCDまで出しちゃった。
あと、プレートル、昔の小澤さん、シモノフなんかが面白い。

器楽や歌となるとまたいろんな曲が思い浮かびますね。
それはまたいずれ・・・・。

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2012年9月21日 (金)

サンダーバード カフェ

Thunderbird_cafe1

神保町を歩いているときに発見してしまった「サンダーバード・カフェ」

いよいよ、客先訪問を終えた夕方、このゲートをくぐりましたよ。

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国際救助隊の世を欺く姿は、トレーシー一家のレゾート・アイランド。

その島のお部屋を再現したカフェなんです。

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こちらが国際救助隊ベース基地への扉。

よしっ、行くぞ!

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おぉっ、壁に映された5人兄弟たちの写真を見よ。

上のペネロープ画像は、店内いくつものプロジェクターで放映されているサンダーバード映画のひとコマ。

スコット(左から2番目の長男)の目が光るんです。

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すると兄弟たちの肖像は、普段着の世を欺くボンボンたちに・・・。

みんな、お父さんに、「はい、パパ」と従順な青年たち。

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次は、ペネロープ嬢だ。

トレーシーの姪っ子で、世界的な美人モデル。

でもその実態は女スパイ(国際救助隊としての)。

黒柳徹子さんの声で、ほんとにおしゃれなイギリス貴婦人でしたねぇ〜

運転手は、ちょっとドジなパーカー。

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一方の壁には、サンダーバードの各機種たちのモデルが・・・。

あぁ、なんと精巧なジェットモグラ号。

プラモデルで作りましたよ。キャタピラで動くし、ミキサー部分も回転したんだ。

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2号の格納庫から出撃する4号。

こちらは海底・水上の専門機だ。

明るい4男、ゴードンが担当。

2号のおまけのようだったプラモデルも、単独だと実に立派なもので、海底探索ライトがついたりしたような記憶があります。

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ペネロープ号もありましたよ。

ピンクのこのロールスロイスも、プラモデルで購入しました。

基本的に、すべての機種は持ってました。

でも、全部、どこかで処分してしまったのですね。
興味を失うと子供はまったくダメな典型ですよ。

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トイレはどこ?  国際救助隊員兼店員さんに聴くと案内してくれました。

するとどうでしょう。

通路に描かれたハイウェイに、サンダーバード2号の影が!

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上を仰ぐと、なんということでしょう、2号がとんでます。

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案内された男子トイレは、注意もされましたが、驚きの無重力状態??

いやでも慎重になりますなぁ〜

女子トイレはどうなってるんでしょうね?

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洗面台の上には、宇宙ステーション5号が中空に浮いてましたよ。

冷静沈着、学者肌の次男ジョンは、宇宙の孤独もへっちゃら。

交代で訪れる五男坊のアランは、宇宙とのつなぎの3号ばかりで、実際の救助の主役にはならず、焦りと不満を抱える末っ子。
こんな風に、兄弟それぞれ、性格も的確に描かれていたんだ。

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トレーシー一家のお茶会の団らん。

ブレインズと謎の存在ミンミンも。

ブレインズは、機器の大半を設計したが、それを施工し現地に落とし込んだのは誰、どこの業者?
守秘義務契約はさぞかし厳しかったのか?
忘れ薬を飲ましたのか?   謎であります。

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カウンターにある2号の巨大モデル。

実際に上下しますぜ。

2号は3男バージルが担当。スピードは遅いが、現場に必要資材を確実に届け、実質的な救助活動を行う頼もしい堅実な男。
島では、ピアノを弾いちゃったりしする芸術家肌だったりしましたね。

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入口に鎮座する1号と、その操縦者、長男スコット。

超速1号を駆って、現場に真っ先に駆けつけ、あらゆる指示の源はこのスコットだ。

おいしい長男の役が集約されてますぞ。

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さぁ、いよいよお食事。

この日は夕飯がわりで、トレーシーアイランドを模写したロコモコ。

色使いでお分かりのように、3号や2号、4号もイメージされてますよ。

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ジェットモグラ風のビール。

これはフローズンビールで、今年いまいちのヒットだった。

泡切れがいまひとつで、ずっと残って損した気分は呑んべならではの心情。

リピートのご褒美がもらえるポイントカードや、コースターが、その場であたるゲームなどもあり、楽しめますよ。

店員さんも、ノリがよく、コスプレ衣装の撮影も可能なようでして、ますますハマりそうなサンダーバード・カフェなのでした。

こちらの経営は、首都圏でおしゃれなリゾートカラオケ店やカフェを手がけるところです。
ほかにも、仮面ライダーカフェや、ドラゴンクエストなどのコラボ店もありますから、好きな人にはたまらない機敏なる経営手段だと思います。

ともかく、私のような世代、中高年を刺激する感度高いサンダーバード・カフェでした。

最後にオマケの拾いもの。

ちょっと誇張すぎだけど、名古屋にしばらくいたから、いつのまにか自分も喋ってましたよ。

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2012年9月20日 (木)

プロコフィエフ 交響曲第5番 エッシェンバッハ指揮

Skytree_nippoli_1

日暮里駅近くから望んだスカイツリー。

まだ接近を試みたことがないスカイツリーは、都内・千葉のいろんなところからチラ見しているけれど、どうも東京タワーのような親近感がない。

まぁ、それも時間の問題でして、もう少し涼しくなったら近づいてやろうと思うさまよえるオジサンなのでした。

Eschenbach

サントリーホールで、スタンディングオヴェイションに答えるスキンヘッド。

がくがくブルブルでこっそり撮ってしまいました。

かれこれ8年前のフィラ管との来日時。逮捕されちゃいますかね、あたし・・・・・。

絶対にやらないことだけど、この人は撮りたかった。

手ブレでボケちゃっても、わかりますよね。

わたくし、賛否両論ありますこの指揮者兼ピアニストが好きなんです。

第一、なにをしでかすかわからないんですもん。

そしてハマるとドデカイことをやらかすし。

   プロコフィエフ  交響曲第5番

     クリストフ・エッシェンバッハ指揮 北ドイツ放送交響楽団

               (2002.9 @ハンブルク)


しかも今回は、さらにイケナいことに、非正規盤ライブでございますわ。

あくまで、個人のお楽しみを、日記にしてしましたの図で受け取りください。

ワーグナーやブラームス、後期ロマン派、ロシアものなどの、重厚長大系に驚きの名演をくりひろげるエッシェンバッハ。

大戦末期のソ連にて書かれた第5交響曲は、プロコフィエフの交響曲の中でも一番、旋律的で、抒情的かつ独特のリズム感にも貫かれた名作。
中学生のときに、コンサートホールレーベルのサージェント&LSO盤を手にして目覚めたこの曲。
後年、やたらと凝っていろんな演奏を聴きまくり、原点のサージェントと新旧プレヴィン盤、そして意外に、FMでのチェリビダッケが好きだったりします。

数年前に手にしたこちらのエッシェンバッハもいまはお気に入りの1枚。
ゆったりとねっとりと始まり、テンポはつねにゆったりめ。
1楽章の最終音の壮絶さといったらありません。
一気呵成の2楽章も面白いし、まったく素晴らしいのが3楽章のアダージョの深遠なる世界。まるでマーラーを聴くかのようなジワジワとした感銘の深まりが味わえます。
それでもって、終楽章のとんでもない怒涛の煽りっぷり。

こんな風な、ちょっとお下劣チックないつものエッシェンバッハですが、そんななんでもアリ的な演奏が、マゼールのような計算ずくなところが見え隠れしないところがいいと思うんです。

詩的で、痛いほどに思い詰めたような繊細さと鋭さもあったピアニストのエッシェンバッハは、指揮者となってどこへ向かうのか、実はよくわからなかったりします。
そんな一筋縄ではいかないところが、ほかの元ピアニストの指揮者たちと異なるところデス。

Ozawa_eschenbach

特別付録 フサフサの若き日、いつもこんな風でスノッブな方から顰蹙をかっていた小澤さん。そして亡き石井眞木さん。

ワタクシが、エッシェンバッハを妙に好むのは、この他人事とは思えない激変ぶりぶりにあるのかもしれない。
オレ様だって、若い頃は・・・・って歌うのは腹の出たファルスタッフでございましたなぁ〜

おぉ、ついでに申さば、プロコの5番、現田さんと神奈川フィルでやってほしいな。

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2012年9月19日 (水)

ワーグナー 「ローエングリン」〜はるかな国に デル・モナコ

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このお弁当ふくれてます。

そして重たかった。

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横からチラリ。唐揚げ弁当。

Kiyomotoya3

この冗談みたいに大きな唐揚げ。子供の拳大だ。

4つも入って550円。しかし、お昼に半分でお腹一杯に・・・・・。

芝にあるちょっと有名なお弁当屋さん「清本屋」です。ふぅ〜。

このお昼ご飯は数週間前のものですがね、本日は、バタバタしていて、音楽を聴く時間も、そして疲れちゃって気力もありまへん。

よって、わたしの知り合いの、おもろいオジサンの話を3題。

①再登場ですが、どう考えてもおかしい話

  そのオジサンから、わたしの携帯に電話がありました。

  「あの〜、いま電車の中ですから後で電話します。」
 
  ・・・・・・・・・・、はぁ?

②某カフェで待ち合わせして、久しぶりに打ち合わせをしました。

  「やっぱり、あれですか、いま売ってらっしゃるのはLSDが多いのですか?」

  「は?」

  
  「ひとつあたりいくらぐらいするんですか、LSDは?」

  「LEDです!」

  「これからは、もうLSDですよね」

   周囲の目が怖かった・・・・・・

③オジサンから電話がありました。

  「Yさん、申し訳ないんですが、インターネットで、会社を調べて欲しいんですが」

  「はい構いませんよ」

  「渋谷にあるサディストっていう会社なんですが」

  「えへ?」

  「サ デ ィ ス ト!」

  「サディスト?? ほんとですか? すごい名前ですね? なんの会社ですか?」

  「マンションディベロッパーなんですよ」

  「はぁ」

  このあと、むちゃくちゃに調べたけれど、ヤバい店ばっか・・・・。

  知り合いの建築事務所に聞いたら、大笑いされて、それはもしかしたら
  「サジェスト」じゃないの?とのことでした・・・・

まったく油断できないオジサン。
しかしネタの宝庫で、愉快なのでした。

Del_monaco

   ワーグナー 「ローエングリン」〜「はるかな国に」

       マリオ・デル・モナコ  (アルジオ・クワドリ指揮)


デル・モナコさまの剛毅で、気品あふれるローエングリン。
イタリア語の歌唱で、違和感ありありのオテロ状態。
でもしかし、どこまでもデル・モナコであるところがいい。
誰でもない、モナコさまでしかない。
歌いまわしや発声は、ドミンゴのワーグナーを思い起こしてしまった。

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2012年9月18日 (火)

ドビュッシー 弦楽四重奏曲 パレナンSQ

Manseibashi

日の暮れるのが早くなってまいりました。

秋葉原の万世橋。

下を流れるのは神田川です。

左手のレンガの壁は、旧万世橋駅。

激変してしまった秋葉原だけれど、神田や淡路町寄りは、まだまだ風情ある神田の顔が残ってます。

石丸電機は、エディオンになってしまい、一部カラオケビルにもなってしまった。

外資ショップが出てくる前は、石丸電機はクラシック好きにはありがたい存在だったなぁ。
店員さんが詳しくて、商品の扱いも丁寧。
たいていのものは揃っていた。
寂しいなぁ〜。
あと、いま急に思い出したのだけど、神保町の大手スキーショップがレコードやCDを売っていて、クラシックも相当に充実していたし、店員さんもこれまた詳しい人がいました。
レコードからCDへの以降時に大変お世話になりました。
ヴィクリアだったかな?? やばいくらいに記憶が曖昧な自分が悲しいよ。

Debussy_ravel

      ドビュッシー  弦楽四重奏曲

          パレナン四重奏団

              (1950年代半ば)


曖昧な記憶を優しく包み込んでくれ、そしてさらに模糊とした雰囲気に誘い入れてくれ、それでいい、との、ある種酩酊状態に満足感を与えてくれる。

そんな弦楽四重奏曲です。

旋律的にも、感覚的にも、より明快でおしゃれなラヴェルの四重奏曲と、ほぼ100%カップルになってレコード時代から聴かれているドビュッシーの作品。

1892年、まだ「牧神」の前、印象派的な作風にも達していない30歳の時の音楽。
伝統的な4つの楽章で、精密な循環形式を採用しているが、聴いていて、カッチリした様式よりは、感性の豊かさがもたらす瞬間的な美が先行して感じ、ことに3つめの緩やかな楽章では甘味ささえただよってきて、陶然としてしまいます。

ミステリアスな1楽章に、これまたピチカートが独特の雰囲気を醸し出す2楽章。
終楽章は、全体を俯瞰しつつも、きっぱりとした活気の中に終了。いいです。

パレナン、シャルパンティエ、コロ、ペナソゥのパレナンSQは、EMIにステレオ再録音をしていて、名盤の世評も高いが、こちらはモノラル期に仏パシフィックに録音していたものの復刻盤であります。
お世話になってますEINSATZレーベルのCD、素敵な解説は、わたしにはおなじみのNさんです。
レコードで聴く、弦楽器のぬくもりある美しさと、このフランスの楽団の持つ、甘い音色が決して古臭くなく、むしろ新鮮なくらいに鮮やかに蘇って聴こえます。

暑さに疲れてしまった体、渋いけれど甘さもある日本茶などをすすりながら聴いてみました。
(でも、実際は焼酎をお茶で割って・・・・・・)

「月曜ねこの日」は、今週はお休みを頂戴しております。

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2012年9月17日 (月)

神奈川フィル定期演奏会 後夜祭

Minatomirai_2_2

悪化する中国の治安。

そんなところに、神奈川フィルが行ってどうにかなってしまったら私たちファンは困ってしまうことになりました。
早く、まともな文化交流くらいができるように戻って欲しいものですが、しばらく無理でしょうな。

日曜の晩に、暴徒のニュースとバイオハザードの群がるゾ○○をチャンネル変えながら見ていたら、どっちも同じに見えてきてしまった・・・・。

そんな悪夢はいまは置いといて、神奈川フィル定期での演目を聴いて、3人の作曲家に興味をお持ちの皆さんに、「聴いてみるならこんな曲」をご案内。

Abbado_webern_3

  ウェーベルン オーケストラのための5つの小品

           オーケストラのためのパッサカリア


演奏会で聴いた6つの小品と対のなすような作品。
6つの小品が「動」ならば、5つの小品は「静」。
5分あまりの演奏時間の中に、時間が凝縮されたようで、なにも起こらない5分間だけど、とてもその5分間が大切に思えてくるような濃密な瞬間を味わえる音楽。
アバドが初来日したとき、評論家先生たちは、ベートーヴェンやブラームスは酷評したけれど、この曲を静寂で歌うように演奏したアバドに驚嘆した。

それと作品番号1のパッサカリアは、初期作品だけに、後期ロマン派臭プンプンの濃厚ロマンティシズムあふれる音楽。
こちらも10分に満たない演奏時間だけれど、内容は濃い。
マーラーとツェムリンスキーの流れの中にあるこの曲は、やはりウィーンフィルで聴くのが一番。ホルンの響き、泣けます。
神奈川フィルで聴きたい曲、上位に位置します。
かつて、ジュリーニとウィーン響の来日公演で聴きました。

Alpensinfonie_mehta

  R・シュトラウス  ホルン協奏曲第1番

2番を聴いたら、やはり1番。
こちらも朗々たるホルンが屈託なく響き渡る名曲ですよ。
このザイフェルト&メータ盤は、アルプス交響曲とのカップリングで、アルペンホルンのジャケットがいかにも、この曲にもお似合いです。
一般には1番の方が有名ですが、2番が楽しめたら絶対にこちらもお薦め。

Strauss_concerto_kempe

  R・シュトラウス  オーボエ協奏曲

シュトラウスの協奏曲で、一番すぐれた作品。
ホルンの2番と同じく晩年の作品で、こちらも澄み切った明るい基調で、オーボエソロはよどみなく常に吹き続け、歌い続ける難役です。
まるで、オペラのようなこの協奏曲は、しみじみと達観した雰囲気も漂います。

Previn_rstrauss_opera

  R・シュトラウス 歌劇「カプリッチョ」~「月光の音楽」

シュトラウス最後のオペラの、それもヒロインの最後のモノローグの前に演奏される絶美の間奏曲。
ホルンのソロが紡ぎ出す透明感あふれる豊饒かつ繊細な音色。
銀色の雫が舞い降りてきそうな夕暮れの音楽。
わたしの好きなオペラの中でも、上位にくる「カプリッチョ」の神がかり的に美しい、「月光の音楽」とそのあとの伯爵令嬢マドレーヌのモノローグ。
この曲も是非にも、神奈川フィルで聴いてみたいnote

Brahmas_pianoconcert2_pollini_abbad

   ブラームス   ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

第2交響曲はニ長調で、かつ全楽章が長調の明るく、優しさにあふれた交響曲でした。
次月のプログラムにのるヴァイオリン協奏曲もニ長調だけど、こちらは気品というか高貴さが先にたち、交響曲の持つ優しい微笑みとはまた違う魅力があります。
 というわけで、第2交響曲のあとは、ほぼ同じ頃に書かれたピアノ協奏曲第2番はいかがでしょうか。
4つの楽章を持つシンフォニックな協奏曲。季節で言えば、「ブラームスの秋」のイメージよりは、春、それも5月ぐらいの好天がお似合いのうららかで、明るく幸せな音楽です。
これもまた神奈川フィルで是非お願い。

Umaya_2

麦酒を背景に、土曜日のアフターコンサートの料理の数々。
地産地消、神奈川県内の素材を多く使ったお料理はとてもおいしかったです。
そして、こちらで醸造もされているビールもbeer
ちょっと飲みすぎました。

  横浜ビール「驛の食卓」

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2012年9月16日 (日)

神奈川フィルハーモニー 第283回定期演奏会 伊藤翔指揮

Minatomirai

まだまだ暑い土曜日の昼のコンサート。

都内でも、魅力的なコンサートやオペラもたくさんのこの日。

本格シーズンのスタートです。

そして、神奈川フィルから巣立つ若い指揮者を眩しい想いで、聴くことができました。

Kanaphill_201209

   ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

  スラヴィッキー  ソロ・ホルンのための音楽~第3楽章
                           (アンコール)

       Hr:プジェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番

   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

              (2012.9.15
 みなとみらいホール)

伊藤翔さん、というか翔クンと呼んだ方が、神奈川フィルを聴いてきたファンとしては、親しみがあります。
ウィーンに学び、著名指揮者に師事、今年3月まで神奈川フィルの副指揮者をつとめるかたわら、昨年は、ルトフスワフスキ指揮者コンクールで2位受賞した、1982年生まれの若い翔クンです。

神奈川フィル定期デビューは、実に堂々と、そして爽やかなものでした。

「マーラーとその時代、爛熟ウィーンへの旅」が今シーズンのお題。
昨シーズンのマーラー特集を汲んでの内容。

今回は、シーズン当初にブラームスのハイドン変奏曲から、ウェーベルンへと曲目変更がありました。
これまた、実に見識高いもので、次回も再びウェーベルンは実に嬉しい。
精緻で、緻密な構成のウェーベルンの音楽は、ライブで聴くと静寂のピアニッシモがとりわけ美しく感じられ、オケの皆さんとともに、われわれ聴き手も、その緊張感を共有できる。
この日の「6つの小品」は、音楽の中にある静寂の間と、音色の美しさ、ピアニッシモから最強フォルテまでの鮮やかな対比。
多分に慎重な出だしだったけれど、そのあたりが見事に決まっておりました。

次いで、チェコ出身のヴォイタ氏のホルン。伊藤氏より若くて、はるかに大きいヴォイタ君は、83年生まれ。
ベルリン・コンツェルトハウス管(旧ベルリン響)のソロから、今秋はベルリン・シュターツカペレのソロに転じる、若き注目株。
若書きの1番の方ばかりを聴いてしまう傾向があったが、こうしてじっくりと、後年の2番を聴いてみると、シュトラウス晩年の澄み切った心境の作風の刻印を随処に聴くことができました。
まず、なによりも、いい曲だなぁ、と思わせる演奏。
さりげなく演奏しているけれど、実は難易度がむちゃくちゃ高い。
大きい人だから、ホルンがおもちゃみたいに見えちゃうし、あんまりにもスイスイすらすら吹くもんだから、唖然としている暇もない。
これ誉めてるんです。こんだけ余裕を持って演奏されるとヒヤヒヤせずに、曲に没頭できます。そして何より、確かな技巧もさることながら、その音色の美しさに感嘆。マイルドで輝かしいそのホルンは、R・シュトラウスにぴったり。
このホルンで、アルペン交響曲や月光の音楽を是非聴いてみたい。
 で、神奈フィルの煌めくシュトラウス・トーンは、この曲でも健在。
ことに第2楽章の緩やかで、優しい旋律は、前回定期の「インテルメッツォ」や「家庭交響曲」とも相通じるほのぼのと達観した名品でした。
若いオーボエの佐藤君、見事でした。
 ソロと指揮者の二人の大小コンビはとても相性よく感じましたね。

さて後半のブラームスの2番。
心持ち早めの運びで1楽章。わたしの好みは、もう少しゆったり目。
この楽章では、オケももっと心地よく歌わせた方がよかったかも。
でも、新芽の息吹を感じるようなフレッシュな表情のブラームスは悪くないぞ。
木管とピチカートの終結部では、安心して夢見るような気分に浸ることができましたよ。
 思いのほか渋く、じっくりとまとめた第2楽章は、堪えた寂しさと若々しい抒情が交錯する素晴らしい演奏でした。
さらに、鈴木さんが戻ってきた3楽章の優しいオーボエを中心とした木管と弦の掛け合いの妙は、神奈フィルの音色の美しさを堪能できました。
 終楽章へは、トゥティで突入して欲しかったけれど、爆発は最後のお楽しみで、淡々と着実な歩み。もっとギラギラと爆走するかと思ったら、好漢翔クンは、浮足立つことなく、大人のブラームスを目指してまとめ上げている。
しかし、歓喜爆発のエンディングでは、テンポもみるみる上げて、これまで押さえ気味だった金管も全開となって、ホール一杯に喜びが響き渡る晴々しい旅立ちを飾る終結となりました。
もちろん、大ブラボーの拍手喝さいでございました。

指揮者を讃える、オーケストラのみなさんの暖かい足踏みと拍手もとても印象的。好ましい指揮者の門出。
気持ちのいい、素敵なコンサートを聴くことができました。

Yokohama_beer

これもまたお楽しみ。アフターコンサートは、応援メンバーに楽団のおふたりをお迎えして、横浜地麦酒、「驛の食卓」で。
こちらの常連さんのメンバーのお骨折りで、目もくらむ料理の数々、そして劇ウマの各種ビールをたくさんたくさん飲んで食べて、音楽を語りました。

来季は構想中とのことですが、客席も日に日に埋まるように見え、ブルーダル基金も右肩あがり。
中国公演の延期は、情勢を鑑み残念なことですが、神奈川フィルの明るい展望がうかがえるような、初々しいコンサートを楽しむことができ、元気をもらったようで感謝の気持ちで一杯です。

Moheat

2軒目突入。ガイジンさんもたくさんいるバーで、モヒートbar

本日を締めくくる爽やかな一杯でした。

でも、調子に乗り過ぎ、電車は途中までとなりました・・・・・。

みなさま、お疲れさまでした。

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2012年9月14日 (金)

神奈川フィル定期演奏会 前夜祭 

Rainbow

先週の日曜日、急な雨が降って、慌ただしく上がったあと、虹が広がりました。

しかも、虹、ダブルでscissors

バーでは、いつもウィスキー、ダブルで、と唱えますが、虹ダブルはより嬉しいですね。

9月15日は、神奈川フィルハーモニーのシーズン後半の幕開け定期演奏会。

 ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番

   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール


暑い日中、早めに会場に着いて、汗を覚まさないと、精緻なウェーベルンが台無しになってしまうかも。

8月より、湿気も手伝って、やたらと暑いです。

この2か月間、隣国との雲行き怪しい動向には、日々、目を離せなくなってしまった。

神奈川フィルの日中国交正常化40周年の記念公演も、招聘元の広東省人民対外友好協会から昨今の情勢から安全面確保の観点から延期の要請があり、楽団側も受け入れたとのこと、本日発表ありました。

近隣二ヶ国との繋がりも強い横浜ですが、どうも複雑な心境です。

さてと、明日のコンサート演目に関しましては、4月に聴きどころを含めCD再現コンサートを行いました。

→ウェーベルン、R・シュトラウス、ブラームス 9月神奈川フィル定期

前夜祭として、先と違う演奏で、練習しておきたいと思います。

大きな聴きどころとしては、前副指揮者の伊藤翔さんの本格定期デビュー。

それと、これまた若いチェコのホルン奏者、バレンボイムのベルリンシュターツオーパーの主席ヴォイタのソロです。

Boulez_webern

  ウェーベルン オーケストラのための6つの小品

     ピエール・ブーレーズ指揮 ロンドン交響楽団


マーラー後、ツェムリンスキーをはさんでの新ウィーン楽派は、シェーンベルクを師とするウェーベルンとベルクの3人で構成される世紀末トリオ。

ウェーベルンは作品は少ないものの、その当時の前衛的な手法において、一頭抜きん出ていて、後世、ブーレーズやケージに至るまで影響を及ぼしているとされます。

前にも書きましたが「精緻で研ぎ澄まされた緊張感」あふれるその音楽。
中間部の大フォルティッシモを頂点にした母の死を想っての怪しく光る美しい音楽です。

あまり深く考えず、その音色の変化を体で受け止められたらいいと思います。

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  R・シュトラウス  ホルン協奏曲第2番

        Hr:デニス・ブレイン

    ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管弦楽団


2曲あるシュトラウスのホルン協奏曲。
父親がホルン奏者だったし、モーツァルトと同じように、息子の出世も大いに気にかけた父親。
息子は、オケ作品を書いても、ホルンが図抜けて活躍する作品が多かったりします。
18歳の若書きの1番から60年後、オペラもすべて書き終えた晩年の2番の協奏曲。

生涯、その明朗快活な作風が変わらなかったシュトラウスならではの、おおらかかつ歌にあふれた音楽です。
1番と同じく、スイスの山々にこだまするような朗々とした1楽章。
第2楽章は、シュトラウスの家庭交響曲やこれまでのオペラの一節を思わせるような、平和な雰囲気でホノボノ。
終楽章は、古典的なロンドフィナーレで、きっとヴォイタ氏の超絶技巧が冴え渡り、大盛り上がりとなることでしょう。
それとオーケストラの皆さんも、一聴、シンプルで古典風に聴こえるものの、実は奏者泣かせな曲だという情報もございました。
シュトラウストーンを持った神奈フィルの伴奏も楽しみですよ。

ブリリアントで神々しいブレインと、若きサヴァリッシュの共演は素晴らしいです。

Brahmas_sym

   ブラームス 交響曲第2番

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団


アバドの1回目の70年録音の2番は、わたくしが一番好きなブラ2の演奏。
ともかく、歌いに歌う。
音色は明るく、でも構成は豊かで、俊敏でかつ若々しい。
シュナイト翁の南ドイツ風の明るさとも違って、アルプスの山をひと超えちゃって、イタリア側から見た晴朗なブラームス。
揺るぎない私のブラ2ナンバーワンの音源です。

伊藤翔君の若い感性は、神奈川フィルとともに、どんなブラ2を聴かせてくれるのでしょうか。
1楽章の繰り返しは?
第2主題はどんなに美しく鳴らすでしょう。
そして1楽章の素敵な終わり方も聴きどころです。
少しかげりのある2楽章は、どんな憂愁を漂わせるでしょうか。
可愛い3楽章では、神奈フィルの管と弦の掛け合いが聴きもの。
そして、終楽章の若さの爆発は、みなとみらいホールにどう響きわたるでしょう。

とても楽しみです。

ブラームスの2番は、歳とともに、好きになってきました。3番もそうです。
そのブラ2で好きな演奏を列挙しちゃうと、新旧アバド、B・クレー、ハイティンク(ACO)、スゥイトナー、ベーム(VPO)、バルビローリ、シュタイン、ヤンソンス(RCO)、カラヤン(60’)・・・などなどたくさんあります。

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2012年9月13日 (木)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 カラヤン指揮

Chibaport_a

千葉港から東京湾を望む。

海に沈む夕日は大好きです。

刹那的な想いになるから。

音楽も数々頭に浮かびます・・・・・。

Chibaportb

スカイツリーも見えます。

解像度悪いばかちょんデジカメですから、薄ぼんやりです。

Karajan_tristan

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1974 ベルリン)


最上級に好きなワーグナーの音楽といったら、「トリスタン」でしょうか。

あっ、でも「リング」もすべてが好きだし、「パルシファル」も、「マイスタージンガー」も・・・。

前期ロマンティックオペラ3作に比べると、後期の作品の方に好みが傾くのはやむないところ。

どれも全曲を聴きだしたら止まらないし、すみずみまで聴き尽くし、これから死ぬまで何度でも聴くことになるワーグナーの音楽。
どこか一節鳴っても、それが何か、もしかしたらわかるかもしれない。

管弦楽曲として取り出して聴くには、やはりこれ。

そして、カラヤンとベルリンフィルのトリスタンは、ビューティフルでかつ不健康的な悩ましさも兼ね備え、低音分厚く、オケがうねりをあげるようにして高揚してゆくさまが、聴く人を夢中にさせ惑わしてしまう演奏。

全曲としてはスタジオ録音がひとつ、ライブがふたつ(?)。
しかし、「前奏曲と愛の死」は、いったい何度録音していることだろう。
そのすべてを聴いていないが、全曲盤はイエス・キリスト教会の響きの豊かな演奏で、やはり全体を見通しての前奏曲になっている。
しかし、その数年後に録音されたものは、フィルハーモニーザールに録音会場を移してのもので、低音の鳴りっぷりが実に豊かになり、当時レコードで思い切り聴いていると、スピーカーがハウリングを起こして困ったものだった。
 しかし、ネットリ感と緻密なスケール感がマッチした、70年代カラヤンの充実ぶりがここに聴かれる。
後年の何度かの演奏よりは、愛着と羨望の想いがあるのです。

カラヤンは、日本ではついにオペラを振ることはなかった。
完璧主義者だし、招聘側もコストが見合わうはずがない。
タイムマシンがあれば、カラヤンのワーグナーの舞台を観て聴いてみたいもの。

土曜日は、神奈川フィルの定期演奏会の後半シリーズがスタート。

R・シュトラウス、ウェーベルン、ブラームスという、ウィーンにゆかりがあり、マーラー、しいてはワーグナーにも結びつく作曲家たちの演奏会。

「トリスタン」の20年後1877年のブラームスの2番を思うと、ブラームスの頑迷さがどこか愛おしく思えてくる。

さらに「トリスタン」の50年後のウェーベルン。
そんな風な年代背景を頭に置きながら、土曜日は楽しもうと思います。

そろそろ来シーズンの演目も固まったころでしょう。

2013年アニバーサリー作曲家は、おおどころでは、ワーグナー、ヴェルディ、ブリテン。
さて、どんな風になるんでしょうか。

土曜日の神奈川フィル定期の詳細はこちら→

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2012年9月12日 (水)

プロムス2012 後半

London_bdg

この夏、世界中がロンドンに注目。

パラリンピックも終了し、同時に音楽の祭典、プロムス2012もラスト・ナイト・コンサートでもって終わりました。

ほぼ2ヵ月間、オーケストラコンサートを中心に毎日行われたその模様は、全部BBCのストリーミング放送でもって世界中に配信されるという、開かれた文化発信のBBCの姿勢は、大いに評価すべきです。

8月の後半以降、聴いた気に入ったプログラムのみを、ここに記録しとこうかと思います。

⑰ディーリアス ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ 10番

     Vn:タスミン・リトル

  ヴァシーリー・ペトレンコ ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック


 CDにもなっているタスミンのディーリアス。彼女はヴァイオリンのデュ・プレだ。 
 
 明朗快活、陰りも充分、歌いに歌うピュアなヴァイオリンは、ほんと気持ちいい。
  ペトレンコのタコ10は、スピーディで疾走感あふれる快演だった。

⑱ブリテン 「ピーター・グライムズ」

     ステュワート・スケルトン、アマンダ・ロウクロフト、イアン・ペテルソン
     マテュー・ベスト、フェリシティ・パーマー

  エドワード・ガードナー  イングリッシュ・ナショナルオペラ


 
 
Peter_grims

 自国最大のオペラ作曲家ブリテンの代表作を演奏会形式・セミステージ風上演。
 
 
 10月の新国でもタイトルロールを歌うスケルトンが、実に没頭的な歌唱で素晴らしい。
 
  携帯音源として、日々楽しんでます。
オペラ全体に散りばめられた、有名な海の間奏曲をはじめ、聴き応え充分。
ガードナーは、期待の英国音楽演奏の継承者。

⑲パルシファル、ベルク ヴァイオリン協奏曲、ばらの騎士、ラ・ヴァルス

         Vn:F・ペーター・ツィマーマン

     ダニエル・ガッティ  マーラー・ユーゲント・オーケストラ


 渋いプログラム、でも、アバド以来続く、このオケのバックボーン的な曲目ばかり。
  ガッティの思いのほか着実で手堅い演奏。
  ツィマーマンとのベルクでは、歌謡性豊かで、とても美しかった。

⑳ドビュッシー フルート・ヴィオラ・ハープのためのソナタ
 
  シェーンベルク  ピエロ・リュネール

         S:クリスティーネ・シェーファー

      マーティン・ブラビンス  ナッシュ・アンサンブル


  ドビュッシーとシェーンベルクというナイスなショートプログラム。
  シェーファーの蠱惑的かつ、没頭的な演じる歌があまりに素晴らしい。
  バッハもルルもしっかり歌う彼女。どうも、わたしはあのホクロが好きなんだな。

㉑ハゥエルズ 「楽園讃歌」  エルガー 交響曲第1番

        ミア・パーション、アンドリュー・ケネディ

     マーティン・ブラビンス  BBC交響楽団/合唱団
                     ロンドン・フィルハーモック合唱団


Howells


  今年のプロムスの中で、尾高さんの英国ものと、ハイティンク&ウィーンとともに、
  もっとも注目していたコンサート。
  英国音楽好きのわたしですが、なかでも最も好きな曲がふたつ。
  ハゥエルズの我が子の死への想いを込めた鎮痛かつ、慰みに満ちた合唱作品。
  ブラビンスは心を込めて演奏してくれました。
  ミア・パーションの清純無垢なソプラノも泣けました。
   いつも陽気な、RAHに集まった聴衆も神妙に集中してます。
  後半のエルガーでは、ブラビンスが、ヒコックスの後継者として決まり、
  とわたし的に思わせる、納得の演奏。

㉒リゲティ アトモスフィール、ローエングリン前奏曲、シベリウス 4番
  ドビュッシー 遊戯、ラヴェル ダフニスとクロエ組曲

       サイモン・ラトル  ベルリン・フィルハモニー管弦楽団


  なんと、見事なプログラミング。リゲティとローエングリンは連続して演奏。
  そして、精緻なシベ4へと続きました。
  底光りするようなベルリンフィルの凄さを感じ、また後半のドビュッシーと
  ラヴェルでは、ラス細工のような音色と、きらめきと爆発力に感嘆。

㉓メシアン われ死者の復活を待ち望む マーラー 6番

      リッカルド・シャイー ライプチヒ・ゲヴァントハウス


  なかなか長大・充実のプロ。
  まさかのゲヴァントハウスのメシアン。
  これが新鮮で、シャイーはこういうのがいい。
  マーラーは、明るく軽快に聴こえましたが、集中力常に高し。

㉔シェーンベルク 5つの小品、パリのアメリカ人

      デイヴィット・ロバートソン セントルイス交響楽団


  前半のドイツものはスルー。お得意のシェーンベルクは切れ味よく、かつ説明的。
  ラスト、ガーシュインはノリノリで、アンコールはキャンディードときた。
  このコンビ、かつてのスラトキンのようになるか。
  ロバートソンはもっと聴かれていい指揮者。日本のオケが捕まえとくべき。

㉕アダムス 「ニクソン・イン・チャイナ」

      カスリーン・キム、アラン・オーケ、ジェラルド・フィンリーほか

     ジョン・アダムス BBC交響楽団  BBCシンガーズ


  3幕の長大なオペラのセミステージ上演。
  ながら聴きも半分、録音したのでいずれレヴューしたいと思います。
  クセになる音楽の一種であります。

  こんなオペラをやってしまうプロムスがすごい。
  ちなみに、今年のプロムスのオペラは、「トロイ人」「ペレアスとメリザンド」
  「女王のボディガード(サリヴァン)」「フィガロ」「ピーター・グライムズ」
  そして、「ニクソン・イン・チャイナ」

㉖ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番  ブルックナー 交響曲第9番

       Pf:マレイ・ペライア

    ベルナルト・ハイティンク ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


Vpo

  もう、なにをか言わんや、この素晴らしいハイティンクならではのプログラム。
  ペライアの透明感とともに、雄弁さも兼ね備えたベートーヴェンはいい。
  そして、ハイティンクのブルックナー。
  もったいなくて、1楽章のみの視聴でお預けとしました。
  録音したので、これもまたいずれ。

㉗ハイドン 104番「ロンドン」 R・シュトラウス 「アルプス交響曲」

   ベルナルト・ハイティンク ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


  これもまた充実極まりないプログラムに、その演奏。
  至芸品のような手作り感溢れる名演。
  活気あふれるハイティンクのハイドンは、録音が少ないのが残念。
  かつて、ロンドンフィルと録音していたフィリップス盤を復刻希望。
   そして、ハイティンクの定番となったアルペン。
 
  堂々たる構えで、恰幅よろしく、でも重ったるさはひとつもなく、どこまでも明快。
  ウィーンフィルも、ときおりやらかしてますが、夢中の演奏ぶり。いい!
   アンコールは、驚きのウィンナ・ワルツ、「春の声」でした。


㉘ラスト・ナイト  

Nikola_2

  シンプソン、スーク、ディーリアス「告別の歌」、オペラアリア
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 J・ウィリアムス オリンピックファンファーレ
 ドヴォルザーク 「謝肉祭」、ショスタコーヴィチ「くまあぶ」・・・・あとはいつもの。

      Vn:ニコラ・ベネデッティ

      T:ジョゼフ・カレヤ

   イルジ・ビエロフラーヴェク  BBC交響楽団 合唱団


  ビエロフラーヴェクの任期、最後の出演となるのでしょうか。
  ディーリアスの「告別の歌」が実にしんみりと演奏されました。
   だが、さしもの自国物とはいえ、部分部分で拍手が入ってしまう・・・。
  快活なニコラたんのブルッフは素敵すぎ。
  カレヤはちょっと好みの声じゃないけど、盛り上がり大。
  5月にCBE勲章を叙勲したビエロフラーヴェクの指揮する後半は、自国物と、
  英国の国歌みたいな各曲をユーモアたっぷりで、そして有終の美に輝く演奏。

Jili


以上、プロムス2012おしまい。

今年は、オリンピックがあって、実に賑やかで多彩な演目。

それとディーリアスを中心に英国音楽も多々演奏され、実に嬉しいことでした。

そんななかで、久々登場の尾高さんが誇らしく思えます。

BBC系の各地のオケとロンドンの各オーケストラの実力もまざまざと感じましたね。

外来常連の、ベルリンとウィーンのオケのスーパーぶりも引き立ってました。

画像は、BBC放送のサイトより拝借。

プロムス2012 前半

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2012年9月10日 (月)

眠れるにゃんにゃん Vol.2

Atago1

眠れる猫。しかもホワイト。絵になります・・・・が、この笑いの寝顔・・・・、以前の「眠れるにゃんにゃん」の続編、同じにゃんこにございます。

→「眠れるにゃんにゃん」

暑い昼下がり、そりゃ眠いわなぁ〜。

でも、わたくし、起こしますっ!!

Atago2

「おいっ、これ、起きろよ」

「は、はいっ・・・・・」って感じで目を開けましたよ(笑)。

Atago3

「あの。。う〜ん、その〜・・・、ううう〜〜ん、眠いですにゃん・・・・」cat

Atago4

眠ってしまった・・・・・・・・。

「わたしは、猫になりたい」

と、強く思う月曜日のワタクシなのでしたぁ〜。

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2012年9月 9日 (日)

ベルリオーズ 幻想交響曲 プレートル指揮

Hamamatsucho201209

9月の浜松町小便小僧。

Hamamatsucho201209_b

今月は、粋なお祭りはっぴ男ですよ。

足元の神輿がいいですな。

Hamamatsucho201209_c

祭の文字をしょった背中、鉢巻きもいいです。

夏の暑さで心身ともに疲れたみなさんに元気を与えてくれそうな、9月の小便小僧なのでした。

Berlioz_symphpny_fantastique_pretre

     ベルリオーズ  幻想交響曲

       ジョルジュ・プレートル指揮 ボストン交響楽団

                      (1969.ボストン)


まだまだ暑い9月の第1週は、それでも日陰は涼しい風が吹き抜けて気持ちがいいし、夜の涼しさもだんだんと深まってきてます。

そんなときでも「幻想交響曲」は、美しく怪しく、ダイナミックに響きます。

今日は、いつのまにやら現役最長老巨匠指揮者のひとりとなってしまった、ジョルジュ・プレートルの若き日の演奏で。
1924年生まれ、今年、88歳のプレートル。
90年代終わり頃から、もてはやされるようになり、ニューイヤーコンサートや数々の放送音源のCD化などで、急速に高まったプレートル評価。
 どこがどう変わったか、わかりません。
わたしには、どこか、かつてのヴァントやザンデルリンクなどと同じように、希少な大巨匠を祀りたてるような風潮を感じたりもします。

でも彼らと同じように、プレートルは若い頃から、同じくプレートルのはずなんですが、人気が盛り上がらなかった。
カラスのバックや、フランスものなど、豊富なオペラ録音、そして70年万博の年のパリ管との来日での記事などを通じて、昔からプレートルは親しい存在だったけれど、でもそれ以上でもなかったのは、フランス専門みたいな感じに捉えていたからかも。
特定のポストを長く持たないスタイルも、その指揮者の特徴を色濃くしなかったと思う。 
 おそらく、ずっと演奏してきたであろう、独墺系、ロシア系などの演奏が注目され始めたのが、ここ最近だから、やはり専門のレッテルはマイナスなんでしょうかね。

Pretre

RCAの専属になったことから生まれたボストン響との共演は、プレートル45歳。
1楽章から疾走感が爽快で、流れの良さと勢いの良さが合いまって、実に新鮮。
一方で、野の情景の透明感をすら感じる美しい光景は実に素晴らしいものがありました。
そして、後半のふたつの楽章の生々しさ。
ヴァルプルギスでは、徐々に音の厚みと速度が増してゆき、打楽器のリアルな響きも加わり、鮮やかな最終局面を迎えます。
なんか、最後は飛ばしすぎて、すっとこどっこい的になっちゃってますが、全体としてみると、なかなかに爽やかな幻想になってます。

ラインスドルフとスタインバークというドイツ系が続いていたボストン響。
さすがに明るく美しく正しきボストンという感じです。
ミュンシュと小澤さんの間に位置するようなプレートルの幻想でした。

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2012年9月 8日 (土)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 ズッカーマン&ブーレーズ

Mikimoto8m

銀座ミキモト店頭、8月です。

9月はもう違うかもしれませんが、あと少しでクリスマスツリーが立ってしまうんですな。

季節の巡りは暑くて遅く感じますが、あと3ヶ月でクリスマスですよ。

自分も1年歳を重ね、そう考えると、もういやになってしまいますね。

Berg_boulez

    ベルク    ヴァイオリン協奏曲

        Vn:ピンカス・ズッカーマン

     ピエール・ブーレーズ指揮 ロンドン交響楽団

                   (1984.11.21 ロンドン)


わたくしにとって、3大ヴァイオリン協奏曲といえば、ベルク、コルンゴルト、バーバーだ。

略して、BKBだ。

アルバン・ベルク(1885~1935)。短い生涯、さほど多くない作品、でもオーケストラ曲、協奏曲、室内楽、器楽、オペラ、歌曲と音楽のすべてのジャンルを網羅している点がすごいと思う。

そのほぼすべてが好きですが、なんといっても、わたくしとしては、このヴァイオリン協奏曲と「ルル」と「ヴォツェック」のふたつのオペラに集約されます。

1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、アルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。
「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となりました。

そんな思いで聴くこのヴァイオリン協奏曲には、もうひとつ、バッハの名前も重なります。
2部構成の第2楽章で、バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ」からのコラールがそのまま引用されていて、ヴァイオリンや木管で再現されると、そのあまりの美しさと崇高さにわたしは卒倒してしまいそうになる。

「主よみ心にかなうのなら、このいましめを解いてください。わがイエスがきます。お休みなさい、おお世界よ。わたしは天にある家に戻ります・・・・・・・」

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされます。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされるのであります。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思います。

ベルクの音楽を聴くと、師シェーンベルクとも、同僚のウェーベルンとも異なる、劇的音楽への親近性を思います。
オペラの人であり、裏返しは、オペラ指揮者でシンフォニストのマーラーのようでもあります。
シェーンベルクは革新を築き、ウェーベルンは革新の先の未来の音楽を開き、ベルクは、過去を見据えながらもオペラの歴史を継承した。
ベルクの音楽には、ほかの二人にない人間の顔を見出すことができます。

三人のバッハとの結びつきある音楽を選んだ特集でした。

新ウィーン楽派は、ブラームス、ワーグナー、マーラーとを結ぶかけはし的な存在でもあります。

ブーレーズが、この3人の作曲家を繰り返し演奏することも、こうしてわかります。
一音一音が耳にそのまま入ってくるリアルさがあり、その非情さが実に美しい。
ズッカーマンの抜群の音色のよさは、鋭利ではないけれど、ベルクの音楽の味わいを表出してやみません。

ともかく、わたしは、ベルクのヴァイオリン協奏曲が好きだ

ベルク ヴァイオリン協奏曲の過去記事

 「シェリング&クーベリック」

 「ブラッヒャー&アバド」

 「渡辺玲子&シノーポリ」

 「パイネマン&ケンペ」

そして、神奈川フィルでは、次週から2定期連続でウェーベルンが聴けます。
新ウィーン楽派の音楽のライブは、なかなか聴く機会もありません。
横浜へ是非!

  ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番
   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール

そして、声を大にして言いたい!

石田コンマスで、BKBを!!!

ベルク、コルンゴルト、バーバーを神奈川フィルで!!!


(コルンゴルトは、藤沢で9月23日演奏されますが、いけそうもありません・・・)

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2012年9月 7日 (金)

ウェーベルン 6声のリチェルカーレ ブーレーズ指揮

Senouji_mita

高層ビルを望みつつ、江戸時代よりの由緒ある寺社。

こちらは、港区三田の寺社院が密集する坂の多いアリアです。

幽霊坂、暗闇坂、蛇坂、大きなところでは魚藍坂。

なんでも、江戸城開闢いらい、城周辺より移転してきた寺社群だそうです。

都会の中でのコントラストが東京=江戸ならではです。

Boulez_webern

   ウェーベルン (バッハ)

        「音楽の捧げもの」〜6声のリチェルカーレ


     ピエール・ブーレーズ指揮 ロンドン交響楽団


このジャンルになると、圧倒的にブーレーズのおハコです。

思えば、ブーレーズがいなかったら、新ウィーン楽派や、バルトーク、ストラヴィンスキーなども、いまみたいに、ふんだんに聴くことができなかったかも。

60年代後半に作られた、ブーレーズのウェーベルン全集。
DGに、ベルリンフィルを中心とした二回目の全集を録音はしたが、そして収録曲が微妙に異なるものの、1回目のエッジの効いた鋭い、そして問題意識に富んだ全集は、レコード録音芸術史上に名を残す名盤なことは衆目の一致するところであります。

ウェーベルンは63歳の生涯だが、短命ベルク(50歳)とともに、師シェーンベルク一門にあり、そしてともに、その作品数は限られております。
シェーンベルクが、後期ロマン派風の甘味なる音楽からスタートし、無調、表現主義、十二音と進んで行ったのと、ほぼ同じ足跡を歩みます。
がしかし、その作曲ジャンルは、室内的な作品や合唱作品が多く、管弦楽作品は、いまならCD1枚に収まるぐらいのものしか残さなかった。
ブーレーズの監修全集も、CD3枚。

大作はなく、ミニアチュア的、独創的な短編が多くて、それら緻密極まりない音楽が後世に与えた影響ははかりしれないものがあります。
こちらのブーレーズも、その作曲家としての音楽は大いに影響を受けてます。
武満徹を代表として、日本人作曲家の多くもそうかもしれません。

そして、ウェーベルンの音楽の源流は、ほかの新ウィーン楽派作曲家たちと同じく、ブラームスとマーラーの、そう伝統と世紀末音楽との流れを汲むウィーンの本流なのです。

バッハの「音楽の捧げもの」は、自由な発想で演奏できる柔軟な形態でありながら、やはりバッハゆえに厳格で孤高の側面も持っている名品。
その一部であるリチェルカーレを、ウェーベルンは、大オーケストラの作品に編曲。

原作以上に、透き通った響きを醸しだし、次々に現れる明滅するようなオケの各楽器が浮かんでは消えて、やがて、フルオーケストラの響きに収斂してゆくさまは、ウェーベルンのオリジナル作品として、しっかり受け止めながら聴いている自分を最後は見出すものだ。

ジャズの領域までにも許容範囲のあるバッハの音楽の素晴らしさと、ウェーベルンの透徹した音楽造りが結びついた、これまた名品にございます。

ブーレーズの演奏は、のちのベルリン盤よりは、こちらのロンドンでのものの方が好き。
あとは、歌と色があるアバドとウィーンフィルも!

そして、神奈川フィルでは、次週から2定期連続でウェーベルンが聴けます。
新ウィーン楽派の音楽のライブは、なかなか聴く機会もありません。
横浜へ是非!

  ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番
   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール


明日も、新ウィーン楽派いきます。

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2012年9月 6日 (木)

シェーンベルク 管弦楽のための変奏曲 ブーレーズ指揮

Rainbowbridge_1

いならぶコンテナを臨むことができるレインボーブリッジからの眺め。

田町、浜松町方面、東京タワーも。

Rainbowbridge_2

東京湾の対岸に目を転ずれば、高層マンションの間からスカイツリー。

東南アジアか中国のどっかの都市みたいだ。

Scoenberg_boulez

シェーンベルク 管弦楽のための変奏曲

 
 ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団

 (1991.12@シカゴ)


後期ロマン派、表現主義から無調、そして次ぎに来る12音技法。
1928年、フルトヴェングラーとベルリン・フィルによって初演された「管弦楽のための変奏曲」は、オーケストラによって初めて書かれた12音技法作品。

この技法の少しばかりしかめっ面をしたシビアな音楽を、かのフルトヴェングラーが初演しているところが面白い。
そして、ちなみに日本初演は1974年の朝比奈隆と大阪フィルによるもの。
こちらもまた面白い。

オクターブ内の12音を均等に使用する技法。
音列(セリー)の原型とその展開系を上げたり下げたりの組み合わせ。
それらが変奏として展開してゆくのであるが、9つの変奏をそれぞれに分析して、理解してゆくのは、わたしごときには至難の技であります。

室内楽的なソロの活躍する場面と、フルオケが鳴り響く場面、それらが交互に変転してゆく音楽に、素直に身を任せて聴き入るのみ。
 それでも、主題の部分の原型音列を耳に入れておくと、各変奏にその変化形がちょろちょろと確認することができて、なんとなくわかったような気分になります。
そして、変奏部分が終り、最後の長めの終曲では、明快に主題原型が力強く登場してくるので、完結感もある12音全鳴らしの結末を迎える。

よく出来てるし、理論先行の頭でっかちに陥っておらず、音楽がまだしっかりあるところがよい。バッハのカノンも見受けられるのでよけいにそう感じる。

12音技法の創設者であるシェーンベルクには、まだ音に色があり、弟子のウェーベルンになると、無色で無音の静寂が、ベルクには歌と熱が。
それぞれに違うイメージを持ってる新ウィーン楽派たちの12音。

Schoenberg_boulez

新旧ブーレーズ盤を聴いてます。

新シカゴ盤は、奏者の腕前の鋭さが目立ち、オケの全奏となると圧倒的な威力を発揮。
それを司るブーレーズの指揮ぶりも精緻そのもので、かつ明快・明晰。

対するBBC響は、70年代のブーレーズの切れ味の鋭さがビンビン響いてくる演奏。
エッジは強く、かつ音塊は熱い。音符に力を感じる。
BBCの無機質ぶりもよし。

実は、BBCの方が好きだな。

あと、超絶素晴らしいのが、ミトプーこと、ミトロプーロスとベルリンフィルの冷徹極まりないオカルト的な演奏。

そして、神奈川フィルでは、次週から2定期連続でウェーベルンが聴けます。
新ウィーン楽派の音楽のライブは、なかなか聴く機会もありません。
横浜へ是非!

  ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番
   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール


明日も、新ウィーン楽派いきます。

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2012年9月 5日 (水)

矢代秋雄 チェロ協奏曲&三善 晃 ヴァイオリン協奏曲 神奈川フィル

Choumeiji

谷中にあります、日照山長明寺。

日蓮宗のお寺でして、左手にはたくさんのお墓がございまして、由緒あるお山にございます。

つい最近、改築されたようで、ご覧のように、ぴっかぴか。

眩しい青空と、百日紅の色合いも加わって、とても清新で、清々しい。

気温は30℃をゆうに超えてましたが。

Yashiromiyosi

  矢代 秋雄   チェロ協奏曲(1960)

       チェロ:向山 佳絵子

  
三善 晃    ヴァイオリン協奏曲(1965)

       ヴァイオリン:ドゥヴィー・エルリー

   外山 雄三 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               (1993.9.17、1993.11.19 音楽堂)


神奈川フィルハーモニーの定期演奏会のライブCD。

第111回と、113回の定期演奏会です。

神奈フィル指揮者としては4人目、音楽監督として第2代目の外山さんは、演奏会に必ず、日本人作曲家の作品を載せたとあります。
このCDの演奏会の演目。

  111回 シューベルト   交響曲第1番
        矢代秋雄       チェロ協奏曲
        ドヴォルァーク 交響曲第9番「新世界から」

  113回  ウェーバー   「魔弾の射手」序曲
        三善 晃     ヴァイオリン協奏曲
        モーツァルト   交響曲第41番「ジュピター」

このように、硬軟とりまぜ、真ん中に日本人作品を入れ、聴きやすいように配置し、聴衆にとっても無理なく魅力を感じるプログラムを作ってます。
名曲があることで、それらを完璧にすることで、厳しいトレーナーとされる外山さんの薫陶もきっと光ったことでありましょう。

名曲への人気は、いつの世も根強いものがありますが、一方で、マーラーやブルックナー、世紀末系への嗜好も高くなり、あわせて重厚長大作品が好まれるようになった昨今。
バランス的に、日本人作品を配置するのがなかなか難しくなったような気もします。

でも、過去に演奏された半世紀前のこれらの作品の充実ぶりには、正直目を見張るものがあります。
矢代作品、三善作品、どちらも、ヨーロッパの伝統音楽と日本の文化としての音楽が、高次元で結びついた感があり、西洋楽器を用いて、それは西洋とはまったく異なる世界が築き上げられております。
時に、ベルクやショスタコーヴィチ、ブリテンなども感じさせますが、そのテイストは、濃厚なソースではなくて、醤油や加減のいい出汁です。

矢代作品は、チェロならではの朗々とした響きが全曲を支配する耳馴染みのいい曲で、明快な旋律線はないように感じるが、その独白的なソロは思索的でとても聴き応えがありました。
レント楽章で、フルートソロと繰り広げる独奏チェロのモノローグは、和楽器同士のつぶやきみたいで、深いものがあります。

一方、三善作品の方は、打楽器の活躍も目立ち、オケが満遍なくよく響き高鳴ります。
3つの楽章を持つ伝統的な作りのようですが、その内容はかなり自由で、ロマンティックです。
先に記したとおり、わたしにはベルクの協奏曲を思い起こす音楽でした。

この際お願いしておきましょう。

神奈川フィルに取り上げてもらいたい曲として、このふたつ。

ソロは、もう誰とは申しません、あのお二方です。

指揮は、下野さん、湯浅さん、もちろん聖響さんでも。

そろそろ、来シーズンの演目が煮詰まっているんじゃないでしょうか。

ファンとしては、勝手に提案して妄想する会で、酒が飲めちゃうんですよね。

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2012年9月 3日 (月)

ギャラリー猫町〜はなちゃん写真展

Nekomachi

谷中にあります、「ギャラリー猫町」に行ってきました。

谷中といえば、夕焼けだんだんの谷中銀座。

にゃんにゃんの町ですよ。

谷中銀座から、徒歩10分くらいでしょうか、容赦ない暑さの夕方でした。

Nekomachi_1

汗だくのワタクシを、正しい姿でもって出迎えてくれるにゃんこの彫像。

いいでしょ。

Nekomachi_2

階段には、こんな風に駆け上がるにゃんにゃん。

Nekomachi_3

ここは、猫にまつわるアートが鑑賞できるギャラリーです。

「猫的生活美術」だそうですよ!

Nekomachi_4

階段を登りきると、ここにもにゃんこが座って出迎えてくれます。

そっぽ向いてる風なところが、いかにも猫ですな。

Nekomachi_5

さっそく、入ってみましたよ。

1階は、春日工房展さんの猫をモティーフにした様々なグッズが展示・販売されてましたね。
ほんと、みなさん、猫が好きなんだから。

Hanachan

そして、2階は、お目当ての写真展。

「友達猫“はなちゃん”との日々」です。

カメラマン北田友二さんは、野良猫カメラマンとも言っていいくらい、わたくしの理想ともするべき、素敵な写真を撮られる方。
月刊カメラマン誌で拝見し、この写真展を知りました。

ワタクシなんぞ、その足元にも及ばない、にゃんこの生き生きとした写真。

「はなちゃん」は、氏が出会った自由なにゃんこで、飼い主様はいらっしゃるが、外猫みたいにフリーな存在だったといいます。

そのめんこい、はなちゃんとの楽しい日々を、四季の移り変わりとともに写真にされました。
季節ごとに、順に拝見していて、見ている人は、猫好きならば、作者と一体化して、そこに猫と遊んでいる自分を見出すような、そんな素敵な写真ばかりでした。

最後は、今年の春の訪れの頃。

春を告げる雪が降ったあと、おっかなびっくりの「はなちゃん」の写真でした。

ところが、「はなちゃん」は、その時からいなくなってしまったのです。

確証はないとおっしゃいますが、どうも何者かに連れ去られてしまったらしいのです・・・・。

こんな風に、最後、ちょっと涙誘われる写真展。

北田さんがいらっしゃいましたので、お話もうかがいました。

優しい、ほんとうの猫好きの方でございました。

野良にゃん好きとして、ワタクシ弟子入りしたいですよ。

それにしても、いけませんね。首輪もしてたのに。人懐こいものだから・・・・。

ちょっと、おセンチになりながら、谷中銀座にメンチを食べに向かうワタクシでした。

Nekomachi_6

また来てニェ〜

「ギャラリー猫町」 http://gallery.necomachi.com/

「ねこまんま〜北田友二」 http://www2.odn.ne.jp/nekomanma/

                 http://nekomanma.petit.cc/

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2012年9月 2日 (日)

ワーグナー 「パルシファル」 バイロイト2012

Parsifal_1

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルシファル」

 アンフォルタス:デートレフ・ロート  ティトゥレル:ディオゲニス・ランディス
 グルネマンツ:クワンチュル・ユン  パルシファル:フルクハルト・フリッツ
 クリングゾール:トマス・イェーザトコ クンドリー:スーザン・マクレーン
 聖杯守護の騎士:アルノルト・ベズゥイエン、クリスティアン・チャーレヴュ
 小姓:ユリア・ボルヒェルト、ウルリケ・ヘルツェル
     クレメンス・ビーバー、ウィレム・ファン・デア・ハイデン
 花の乙女:ユリア・ボルヒェルト、マルティナ・ルーピン
        キャロラ・グーバー、クリスティアーネ・コール
        ユッタ・マリア・ベーネルト、ウルリケ・ヘルツェル
 アルト独唱:シモーネ・シュレーダー

  フィリップ・ジョルダン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                   バイロイト祝祭合唱団
         合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
         演出:ステファン・ヘアハイム

               (2012.8.11 バイロイト)


NHKのテレビ放送は逃しましたが、オンデマンド放送で全曲視聴しました。

Parsifal

ヘアハイムの演出は、2008年のプリミエで、ガッティの指揮、藤村美穂子さんがクンドリーを歌って、音源ではかなりの高水準の出来栄えで、初年から充実の音楽面であったプロダクション。
でも、何故か、その舞台の様子は写真でしか伝わってこなくて、わたしには謎のパルシファルだったもの。
指揮が、スイスのフィリップ・ジョルダンに変わって、今年ビデオ収録が行われました。

「パルシファル」には、ワーグナー自身が特別な作品として「舞台神聖祭典劇」という表示をし、なおかつ、自身の作品の上演用に建立した「バイロイト祝祭劇場」でのみの上演に限定し、「ワーグナー家」もそれを順守してきたという歴史があります。

その決めごとが打破されたのが1913年、その著作権が切れ、スペインやハンガリー、ベルリンで正式上演されているが、ときは、第一次世界大戦大戦勃発前夜でありました。

ゲッツ・フリードリヒの弟子、ノルウェーの若いヘアハイムは、「パルシファル」「舞台神聖祭典劇」「バイロイト祝祭劇場」「ワーグナー家」といった、これまで冒しがたい特別なる世界を、いとも簡単に軽く扱い、手に触れがたかったものを、ごく身近に、まるでテレビで日頃見るがごとくの存在にしてしまった。

ヘアハイムの前任が、故シュルゲンジーフの演出で、私は見てもないのに、クソだなんだかんだと非難しまくり。だってそうでしょ、アフリカの原住民まで出てくるし、映像でウサギが腐って朽ちてゆくさままで映し出したんだもの。
その彼が、「パルシファル」を徹底的に、ぶっ壊したあとだったから、ヘアハイムの過激さもかなりフィルターがかって感じたのでは。
今回、映像を見てそう思いました。
初年度は、ブーイングも凄かったけれど、年々ブラボーに変わった。

けど、初めて観るわたくしには、どうもまだ受け入れがたい。
というか、よくわからない。

ともかくメッセージが多すぎだし、演技・演出の過多で、この手のいわゆる読み替え演出にあるように、音楽がともすればBGM的になりかねない。
でも救いは、「槍」や「聖杯」がちゃんと機能しているところか。

あまりにいろんなことが、前奏曲の初めから、最後の平和到来まで、いろいろ起こりすぎるので、それをいちいち取りあげて検証していられない。
何度も観て、そこにあるメッセージをひとつひとつ味わいのがいい舞台かというと、そうでもない。
漫画チックな劇画実写版として、流れるがままに楽しむのがいいのかもしれない。
なんたること、「パルシファル」がこれだよ。
神聖祭典劇は、どこ行った??
1幕のあとは、普通に拍手あります。

舞台設定は実にややこしく、各幕で時代背景が変わるという、ドラマの一貫性としてはご法度の手法をとっているが、これは人物たちが人間を超越した存在に描かれているから。
なんたって、パルシファルとアンフォルタスを除いて、あと3幕のグルネマンツとクンドリーも除いて、みんな背中に天使(?)の羽が生えてる。
しかも舞台装置は、ワーグナー家のバイロイトの居宅、「ヴァンフリート荘」。

Gral

これを基本背景に、「パルシファル」の伝統的舞台であるグラールのお城(Joukowskyの絵)も再現され、さらに、戦時下の病院や、戦犯を裁く裁判所なども出てくるからもう、次から次、手練手管という感じで目が回ります。

Hospital

さらに、テクノロジーを駆使した各種意外性の連続。
パンと火花が散ってクリングゾールの城は壊れちゃうし、終始舞台に据えられたベットは性と生死のそれこそ舞台となって、人が消えたり現れたり。
さらに、真ん中のサークルは泉になって水がなみなみとしていたり、廃墟の岩場となったり、聖餐の祭壇になったり・・・・。
 舞台奥に巨大鏡が出現して、舞台の詳細を写し出したり、オケピットの指揮者や観客も写してしまう。
こうした装置過多も、みんな、なにもかも見せてしまおうという演出家の意図にほかならない。
 なんたって、ワーグナー家とバイロイト音楽祭が触れずにいたこと、しいては過去の抽象的な演出がヴェールに包んできたものを、丸裸にしてしまおうということだから。

てんでバラバラに舞台の出来事を自分の記憶をとどめるために書いときます。
それと、いずれ発売されるDVDを楽しみにしようとする方はネタバレとなりますのでご注意を。

第1幕

 前奏曲から、パントマイムで、ヴァンフリート荘で、死のベットに横たわったヘルツァライデが、幼少のパルシファルを呼ぶが、パルシファルは抵抗してメイドさんの胸に逃げてしまう。まわりにいるのは、グルネマンツに聖杯守護の騎士たち?
前奏曲後半では、ベットから今度は、クンドリーと思しき女性は赤いバラをもって出てきて、ひとり舞いもどり、こんもりした舞台前面のワーグナーの墓と思しきところへ、岩組みをして遊んでいるパルシファルを早くも誘惑する・・・・。
なんじゃこりゃ?のまさに、物語の前奏。

物語の開始とともに出てくるグルネマンツと騎士、小姓たちご一行は、いずれも天使の羽、それもグレーのやつをつけてます。
怪我にあえぐアンフォルタスは、茨の冠が頭に仕込まれたイエスのよう。
最初からずっとそこにいるパルシファル少年を見つめたり迫ったりするし、グルネマンツも少年の世話を焼いたりする。
あげくに、少年は裸になって風呂入っちゃうし・・・。
グルネマンツの長大な昔話、聖なる城の役目を語るとき、館の奥にはクリスマスツリーがキラキラと輝き、雪も舞ってきて、人々は手にろうそくのような明かりを持ち、聖夜のイメージができあがりました。
次いで、少年パルシファルの動きも怪しくなり、倒錯的なガーターベルトにモッコリ姿のクリングゾールが壁からニョッキリあらわれて、漫画みたいな図となりました。
アンフォルタスが罠にはまった件では、ベットのクンドリーにアンフォルタスがのしかかり、腰を動かしながら下へ沈んでゆくという猥雑さも描写。
 館のバルコニーに青年となったパルシファルが弓を持って登場、射抜いたのは、なんと少年の自分。
 白鳥は登場しませんが、館の上に、羽を広げてる鳥の紋章のようなものは、白鳥+鷲に見える。

Parsifal_2

そして、聖堂の神聖なる儀式へ移るが、そこではなんとまた赤子を産む場面。
母親から取りあげ、リアルなキモイ胎児を掲げ持ち、皆を膝まずかせるのはグルネマンツ。
これは一体? 生まれながらの王アンフォルタスの出自でしょうかね?
Parsifal_3

傍観してたパルシファルは、ここで早くもベットで赤いバラを持って誘惑するクンドリーに、滑稽なくらいの動きでもって魅せられてしまい、これまたベットに沈没。
目の前では、アンフォルタスが聖杯を掲げているのに、あぁもう~。
聖杯騎士の合唱は、なんと、第一次大戦のドイツ軍。
背景の映像も行進する軍隊。

儀式が終わると、そこは何事もなかったかのような館にもどり、パルシファルも少年に逆戻り。グルネマンツに、ドアから締め出されて幕。

第2幕

薄暗い野戦病院で、オカマのクリングゾールが怪しく歌ってます。

Parsifal_8

クンドリーにパルシファル誘惑をたきつけるが抵抗するクンドリーは、赤いドレスに長い巻き毛。1幕の天使の一員だった姿とは大違い。でも、ここでも登場の子供パルシファルを守ったりする。
怪我人多数、看護婦さんが付き添いますが、クリングゾルの歌とともに、全員がベットの上で腰をグラインドさせ、リアルにおっぱじめます。R18だぜこりゃ。
やがて、パルシファルがやってくると、彼が木端微塵にやっつけた男たち(ぬいぐるみ)が、切り刻まれて舞台に放り込まれます(笑)

Parsifal_4

花の乙女たちは、歌う6人が看護婦。女声合唱は、世紀末頃のデカダンスあふれる踊り子さんたち。これまた滑稽。
 パルシファルは、いい忘れたけれど、1幕から青年になっても成長できないセーラー姿。真打ちとして登場のクンドリーは、クリングゾールと同じくタキシード姿にシルクハットのマジシャン。

Parsifal_7_2

すべてを覚醒させるクンドリーの熱い接吻後、パルシファルの内面は劇的に変貌するも、外観は呑気なセーラー姿なところが、ここまでやったらもう一工夫が欲しいところ。

Kundry

手に負えなくなったクンドリーはいったん退き、今度は、丸い泉がまるで井戸になったようなところから、白い衣装に髪を垂らし、下をうつむきながらジワジワ上がってくる。
こりゃまるで、「貞子」だよ、まったく。
クンドリーの悩みの激白は、なかなかの緊迫感で、かの人(イエス)と会い「笑った」という場所では、音楽は驚きの完全休止。こんな長い休止初めて聴いた。
そして、クンドリーの体にも、血が滲んで傷跡。
 親分はバルコニーから、そして手下どもは、なんと第二次大戦のナチス軍で、館の左右には、ハーケンクロイツの鉤十字の垂れ幕が・・・。
そしてなんと槍をパルシファルに向けて構えるのは、今度は少年パルシファルだ。
 パシッと閃光とともに、槍はパルシファルの手元に。
少年は消え、クリングゾールとナチス軍は倒れました。

第3幕

 戦後の荒廃地が、寂しい前奏曲とともに映像で流される。
廃墟と化した、ヴァンフリート荘。
グルネマンツは、倒れたクンドリーを見つけ、介抱するというより、引っ張り出して、躊躇しながらも上に覆いかかろうとします。何でこうなるの?
奉仕をしようとするクンドリの手には、病院にあったような白い洗面器。
 あの有名なナルシスティックな出で立ち(上にある絵)をしたパルシファル登場。
ここからあとはしばらく、無難で安心、感動的な場面が不思議と続く。
槍と武具を、枯れてしまった泉(井戸)に置くと、いったん下にさがり、泉がとめどなく湧きあがってます。
グルネマンツとクンドリーは、パルシファルを白い聖衣に着替えさせ、傷の介抱もします。

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聖金曜日の奇跡を歌うグルネマンツは、二人の真ん中に立ち、両手を広げます。
パルシファルの足元のクンドリーは髪で、彼の足を洗い、清め、そしてパルシファルから洗礼を受け、さめざめと涙するのでした。
ワーグナーの音楽と劇のなかでも、もっとも感動的な場面です。
ここまで、伝統的な解釈にこだわったのは、パロディーかとも思ってしまう、観るこちら側の警戒心を刺激しようとの意図か。
 野の花の情景を歌うところでは、かつての花の乙女たちが、戦後うらぶれてしまい手にスコップを持って元気なく登場。
彼女たちに、手を差し伸べる救われて晴々としたクンドリーとパルシファル。
この図も美しく感動的だ。
 ところが、このあとですな、またもやらかしてくれる。
聖堂への場面転換は、ワーグナーのデスマスクが薄ぼんやりと・・・・。
それを徐々に埋め尽くす煉瓦ブロックのウォール。
戦後の「みそぎ」なのか。

Parsifal_6

舞台は、急傾斜の法廷で、スーツ姿の陪審員。
被告というか自己弁護者は、アンフォルタス。苦しい胸の内を歌うが、それを揶揄しやじる騎士たち。しまいに、紙クズを投げつける。
戦後ドイツの国旗で覆われた父ティトゥレルのお棺のなかには、王冠をかぶったリアルなミイラ。
救われるのは、アンフォルタスに加え、ワーグナー家とバイロイト祝祭劇場か。
1951年から復活です。

Parsifal_5

救い主として登場のパルシファルは、普通に「役立つのただひとつの武器・・・・」と歌って、アンフォルタスの傷に槍をあて、救済された旧王は、父王の棺の中で絶える。
次ぎの王に就任のはずのパルシファルは、姿を消し、舞台奥には巨大ミラーが出現し、赤く灯された泉が美しく反映し、ブルーの照明も美しい背景ができあがる。
やがて、手をつなぎ前面にきたグルネマンツとクンドリーの間には、下から少年が一人登場。まさか、このふたりが結ばれたんじゃないでしょうねぇ!?
少年は、服装と顔立ちからして、明らかにパルシファルじゃぁない。

背景のミラーは、天球のようになり、指揮者と観客席を映し出しつつ、終幕の美しい天上の合唱となって、指揮者のエンディングの動きを見守りつつ幕。

                  

あ~ぁ、疲れた。

こんなに苦労したブログはこれまでないぞ。

自分があとて読んで思い出すようにと、いつも書き過ぎちゃうワタクシですがね、今回は、舞台で起こったことのごく一部しか再現できませぬ。

この演出の、いくつかのキーワードと思しきものを列挙して終わります。
「死」「生」「眠り=休息」「ベット」「鏡」「天使の翼」「水」・・・・。
あと、大きなくくりとしては、前褐のとおり、「ワーグナー家」「バイロイト祝祭劇場」「ドイツの歴史」「ユダヤ」などを想像しました。

そして、時代背景は、ワーグナーの息子ジークフリートが生れた頃1869年から、戦後の新バイロイトが始まる頃までとみられる。
よって、それにワーグナー家とバイロイト音楽祭を重ねあわせることも可能かも・・・・。

いろいろ起き過ぎ、あり過ぎのヘアハイム演出。よくわからん。

読み替え演出は否定はしない前提に、音楽理解が伴わなくては、と思ってますが、ヘアハイムは既定の決まりごとをすべて打ち破ったものの、でも音楽と言葉には、不思議と即していたような気がいたします。
G・フリードリヒの流れを引く彼ならではなのでしょうか。

こんなややこしく、めんどくさい演出で演じ、長大な歌を歌わなくてはならない今の歌手たちは本当に大変だと思う。

Parsifal_10

バイロイトの低音の顔みたいになってしまった韓国のクワンチュル・ユンが実に素晴らしい。深くて柔らかなバス、声の通りもよろしく均一で、しかもタフ。
今夏は、グルネマンツにマルケ王も歌ってる。
この人を始め、チームとして完璧に出来あがった今年のパルシファルの歌唱は最高。

Parsifal_11

音域が広く、光沢あるマクレーンのクンドリーは素敵だったし、性格的なバリトンふたりも面白いくらいに決まってました。
唯一、初めて登場のブルクハルトは、悪くはないけれど、声がブツ切れに感じる発声は、去年のヴァルターでも感じたところ。バレンボイム・チームの一員。

いつものように威力あふれる合唱団。映像でみると、いろんなことやらされてるのに凄いものだと思います。

それと、ジョルダン指揮する生き生きとしたオーケストラ音色は、これまでのガッティにも増して鮮度あふれるものでした。
親子そろって、「パルシファル」の映像を残したジョルダン家です。

Parsifal_9

しかし、ウォルフガンク時代の「パルシファル」が懐かしい。
そこには、伝統があるようにあった。
隠れていたものを炙りだしてしまったあと、いったいどうすればいいんだろ。
この音楽から「聖なるもの」を取っ払ってしまったら・・・・・・。

(以上、画像は2011年の上演の模様と今年の舞台裏から、BR放送のサイトから拝借)

次ぎの映像で、少しだけ見れます。



過去記事はたくさんありすぎ。

直近のアバドの記事で、一覧にしておきました。   →こちら

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2012年9月 1日 (土)

スメタナ 「モルダウ」 ビエロフラーヴェク指揮

Katsuo

かつおsign03

ワタクシの好物のひとつです。

タタキもいいけど、生のお刺身で。

で、最近の好みの食べ方は土佐風に、ネギ、ミョウガ、生姜、ニンニクをザクザクと切りこんで振りかけてしまいます。
シャキッとした歯ごたえと、かつおのネットリとした舌触り、そして脂のほどよい按配。
もう最高っ。

この日は、初孫を飲みながら。

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   スメタナ   交響詩「モルダウ」

    イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1990年 プラハ)


スメタナ(1824~1884)の「モルダウ」は、いうまでもなく、連作交響詩の「我が祖国」の中の一曲。
この「モルダウ」ばかりが、有名になり、演奏会でも、チェコやスロヴァキアからの来演オーケストラは、これと新世界ばかり。

音源では、「モルダウ」ばかりでなく、「我が祖国」全曲を楽しむ聴き方がCD時代になって急速に増えたと思う。

1枚のCDに収まる演奏時間。
コンサートでも、真ん中に休憩を入れてちょうどいい長さ。
そして、最後の大団円が、全体を振り返るような感動的な盛り上がりを示す。

そんな感じで、「モルダウ」を「我が祖国」の中の1曲としてとらえて聴く聴き方もまたありなんです。

ということで、「我が祖国」として演奏された「モルダウ」を、本場チェコフィルとチェコの指揮者によって聴いてみるのです。

ビエロフラーヴェクは、ノイマンのあと、かつてチェコフィルの指揮者となったが、ドイツ人のアルブレヒトに主席を譲り、故国やスロヴァキアのオケの指揮をつとめ、BBC響の主席になったのが2006年。
N響や都内のオケにも盛んに来演していて、その生真面目な指揮ぶりが結構好きだった。
でも、この人が飛躍したのはBBCに着任してから。
スラヴ系音楽一辺倒のイメージから大きく脱却したのは、英国のフレキシビリティあふれるオーケストラとのコンビネーションのなせる技でありました。
マーラーやエルガー、ドヴォルザーク、そして驚きのトリスタン(LPO)の素晴らしさ。
端正な音楽造りに、音楽する自信に裏打ちされた安定的な説得力。

今年から、チェコフィルに復帰する、この名匠は、今後、大家としてノイマンにも匹敵する指揮者となることでしょう。

20年前のこちらの演奏は、すっきりとした流れと、スタイリッシュな運びで、あまり思い入れを強く感じさせない清冽なものになってました。
愛国心を敵対的なまでに強く持ち過ぎるのも困ります。
ほどよく、気分のよろしい「モルダウ」であり、「我が祖国」です。

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