ラフマニノフ 交響的舞曲 マゼール指揮
は~い、招き猫ざんす。
今日、9月29日は日中国交正常化40周年の日でもありますが、じつは、「招き猫の日」だったのです。
「来る福」という言葉から9月29日。
わたしは、「にくきゅう=肉球」だと思ってました・・・・。
右前脚をあげていると金運を招き、左は人を招くといわれる招きにゃんこ。
いくつかあるその由来をしのぶため、奥浅草にある今戸神社に浅草への打ち合わせを兼ねて行ってきました。
本殿にででぇーーんとかまえる、二体の招き猫。
おふたり、顔も模様も違いますね。
こちらは、沖田総司の終焉の地ともされてます。
さらに縁結びのご利益もあって、若い女性やカップルが平日でもたくさん。
劇団オヤジひとりのわたくしは、肩身の狭い猫取材でございました。
月曜ねこの日にまた取り上げますね。
ラフマニノフ 交響的舞曲
ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1983 ベルリン)
3つの交響曲と交響合唱曲「鐘」とともに、ラフマニノフ好きにとって大事な曲がこちら、交響的舞曲であります。
1943年に亡くなったラフマニノフのほぼ最後のオーケストラ作品。
数年前のピアノ連弾によるこちらの作品をオーケストレーションしたのが1940年。
亡命先のアメリカで亡くなるラフマニノフの、やはり本国への憧憬にも満ちた哀愁ただようシンフォニックダンス。
躊躇しながら、おぼろげに哀感を漂わせつつ、ついに官能と甘き香りのワルツが醸成されるさまは、これもまた世紀末・後期ロマン+望郷ロマンの局地であります。
この第2楽章がはなはだ素晴らしく泣けるのですが、1楽章のクールビューティな旋律美も捨てがたく、曲の出だしのかっこよさも比類ないです。
3楽章は、どうにもとらえどころなく3番の交響曲の終楽章のような求心力がないような気がするが、ラフマニノフの常套手段ともいうべき、グレゴリア聖歌の「ディエス・イレ」が最後にゴンゴンとなり始め、ものすごい興奮のうちに一気に集結へ持っていかれる。
この曲を知るきっかけになったのが、マゼールとベルリンフィルの交響曲全集の流れの一貫のこちら。
目の覚めるような鮮やかなベルリンフィルならではのゴージャスなラフマニノフだけれども、どこか覚めたクールさも漂うユニークなラフマニノフ。
この頃のマゼールは、ベルリンフィルとはツェムリンスキーやシェエラザード、バルトークなど、近現代ものにナイスな演奏を続出させつつあった。
この頃までが、わたしの好きなマゼール。
あとは、どこか斜に構えた感じがどうにも・・・・
余白には、「アレコ」の間奏曲と、白痴日的な「ヴォカリーズ」が収められてます。
後者は、寝る前のひと時、ナイトキャップ的に聴くと、夢幻境に誘い込まれる想いがいたしますです・・・・・。
過去記事
「ヤンソンス&コンセルトヘボウ」
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コメント
今晩は。遅まきながらブリテンのオペラ観劇お疲れ様でした。
交響的舞曲はこのマゼール盤しか持っていなかったのですが、最近アシュケナージ指揮の交響曲全集を買いました。鐘も死の島も交響的舞曲も入っています。ただ、ユース・シンフォニーというのが入っていないのが残念でした。昔出ていた一枚もののCDには3番とユース・シンフォニーが入っていたのですが…柴田南雄先生がエッセイか何かで「マゼールの演奏のほうが知的で自分の好みには会っている。ただ、アシュケナージのほうが一般受けするだろう」と書いていたのを覚えています。柴田先生はスラトキンのラフマニノフはあまりお気に召さなかったようですね。
投稿: 越後のオックス | 2012年10月11日 (木) 19時35分
越後のオックスさん、こんばんは。
ブリテンの音楽と劇作の素晴らしさにすっかり心奪われてしまいました。
前日のブラームスとブリテンも然りです。
世評高いアシュケナージは、1番しか聴いたことがありません。コンセルトヘボウだし、ともかく全曲は揃えるべしと思ってますが、どうにもいつも思うだけでして・・・。
わたしは、マゼール、アシュケ、スラトキンときたら、スラトキンですね(笑)。断然、面白い、聴かせ上手です。
投稿: yokochan | 2012年10月11日 (木) 23時45分