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2012年10月

2012年10月29日 (月)

谷中七福にゃんにゃん

Yanaka

谷中銀座の日暮里側の入口は、ご存知、「夕やけだんだん」。

Yanaka_b

ここから見る下町の夕焼けが素晴らしいそうな。

遠くの無粋なマンションが、昭和の雰囲気を壊しているけど、この秋から冬にかけて、夕焼けを見にいってみよう。

この坂の下にあるお寿司屋さんは有名になってしまったけれど、若きサラリーマン時代、いまを去ること20年以上前、近くに住むお客さんのところに集金にうかがったおり、ご馳走になりました。
とても雰囲気がよくて、やたらと美味しかった記憶しかありませんので、いずれ思い出を手繰って行ってみたいと思ってます。

Yanaka_1

こちらの谷中銀座商店街には、七福猫が潜んでいるんですよ。

これはまず、最初の白にゃんこ。

夕焼けだんだんとは逆から登ります。

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別角度から。

惣菜屋さんの屋根の上から、いい感じですよね。

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越後屋、お主も屋根の上に猫を飼っておるのか。

隅におけないのぉ~

Yanaka_4_2

ふっふっふ。

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おっと、こちらはお茶屋さんの中に。

いい色合いだこと。

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こんな風におイタをするようなニャンコもいますよ。

Yanaka_7

そして商店街のセンターあたりに、どどーーん、とダブルにゃんこ。

招き猫ざんす。

これで、6猫。

あと1にゃんこがどうしても見つからなかったのです。

だいたい、目星は付けておりますゆえ、いずれ追加いたしますね。

ワタクシは、これまた高名な、谷中メンチを食べましたこともここにご報告しときます。

さぁ、みなさんも、谷中で七福猫を探す旅に出かけられてはいかがでしょう。

と、まるで旅番組のような、さまよえるクラヲタ人なのでした・・・・・。


おまけ画像

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いくつかあるお肉屋さんから、テイクアウトした谷中メンチ。

混雑した山手線の中が、メンチ臭につつまれてしまったことも、ここにご報告しておきます。

メンチ注意だぜ

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2012年10月28日 (日)

バッハ ミサ曲ロ短調  ヘンゲルブロック指揮

Harunasan_momiji

先週行った群馬県の榛名山にて。

色付き始めた紅葉。

この週末は、さらに濃くなってることでしょう。

雨の降り出した日曜、部屋から見える公園も黄色やオレンジの葉が増えてきましたよ。

今日は、そんな窓の外を見ながらロ短調ミサを。

Bach_mass_hengel

     バッハ  ミサ曲 ロ短調 ニ長調

   トーマス・ヘンゲルブロック指揮 フライブルク・バロックオーケストラ

                        バルタザール・ノイマン合唱団  

                   (1996.10 @ゲーニンゲン、福音教会)  


調性がふたつ表記されてます、このヘンゲルブロック盤。
ご承知のとおり、自作からの転用も多いバッハ作品だが、このミサ曲も数々の引用がなされております。
さらに、ミサ曲として一貫して書かれたわけでなく、1724年から最晩年の1749年にかけてのものを集大成した作品群である。
このあたりは、多説あり、ややこしくて、わたくしも不明です。
いろいろ詳しく書かれてますので検索するとたくさん出てきますね。

そして、基調となる調声はニ長調で、全5部27曲の大半。
ロ短調は、冒頭のキリエほか、シリアスな決めどころで登場。
ここにある調性併記も納得できる処置ですが、やはり「ロ短調」は「ロ短調」。
「ロ短調ミサ」と呼び親しんできたわけなので、「ロ短調・ニ長調ミサ」ではどうもね・・・・。

もう15年も前の録音ながら、今年入手して、気に入って折に触れて聴いてきたのが、このヘンゲルブロック盤。
ヘンゲルブロックは、昨年のバイロイト音楽祭で「タンホイザー」を指揮したが、そのバイロイトデビューを知った3年ほど前に、遅ればせながら知った人。
その「タンホイザー」は、すっきりと軽快、見通しのよい演奏で、数年間のプロダクションがどう熟してゆくか楽しみだったけれど、1年で降りてしまった。
練習時間などで劇場側と意見が合わなかったとされますが、真相は不明。
(ヘンテコな演出を嫌ったのかも・・・・、ちなみに、今年はティーレマンがピンチヒッターで、来年は若杉さんのその任にあったライン・ドイツオペラのアクセル・コベル。)
そのヘンゲルブロックは、現在は北ドイツ放送響の指揮者となり、契約も延長され順調なようで、今年、来日も果たしていて、その折も好評だったそうな。聴きたかった。
 古楽から現代音楽まで、指揮者であると同時に舞台プロデューサーでもあるマルチ芸術家なのだ。

この「ロ短調ミサ」の演奏は、シュヴェチンゲン音楽祭で舞台ステージ付きのバージョンで上演されたあと、ゲーニンゲンの教会で録音されたもの。
そのステージ写真がジャケットを飾っていて、9人のアクターがこの曲のイメージをそれぞれ演じるもののようです。
演出は、アハイム・フライヤーとヘンゲルブロック。
フライヤーは、ちょっと奇抜で前衛的な演劇系の演出家で、どこかで見た名前だと思ったら、84年のハンブルクオペラの来日公演でのドホナーニ指揮「魔笛」を観てました。
青い舞台に、妙な衣装に、手品のような演出は私が初めて観る、普通じゃない演出でありました(笑)。

今回は、音だけなので、この赤い舞台は気にせずに。

ピリオド系の演奏なので、キビキビとメリハリある早めの展開で、全曲は1時間50分。
ノンヴィブラートもここまで練れているとまったく違和感なく、むしろ暖かみと潤いさえ感じる境地に至っております。
全編に感じる、軽やかな透明感は実に魅力的でして、数ある古楽系の演奏の中でも、そのナチュラルぶりは出色のものと思いました。
合唱はリブレットの名前を数えると27人と少人数で、その中からソリストが曲ごとに入れ替わって担当しているので、ソロの方の記載はこちらではしませんでした。
しかしながら、それぞれ実に見事なもので、全員がソリストといってもいいくらいの優秀な合唱です。
ですから、ソロと合唱が均一な統一感があって、これもまた全体に落ち着きとバランスのとれた安定感を及ぼす結果となっているように感じる。

それと同時に、ともに同じヘンゲルブロックという指揮者を仰ぐオーケストラと合唱のこれまた均一感。どちらも、過剰なヴィブラートを配し、見通しのよい透明感あるサウンドを根ざしており、教会の澄み切った残響が実によく映える美しさに心洗われる思いがします。

バッハの音楽というのは、その演奏方式も多彩で、それぞれを受けとめ、逆に音楽が演奏そのものを包みこんでしまう懐の大きさがあるのでは、と思います。
従来より多くの名演を生みだしてきている「ロ短調ミサ」のなかでも、ヘンゲルブロック盤は、なかなかにユニークで美しい演奏なのではないかと思います。
宗教観や高度な芸術感とはまた別の次元で、音楽の楽しみと日常の営みなども融合させたかのような格式張らない普遍さもあります。

峻厳なるリヒター、優しさに溢れたヘルヴェッヘ、歌と明るさのアバド(FM録音)、祈りの音楽の高みなる境地に達したシュナイト(ライブ)。
まだまだ少ない「ロ短調ミサ」のレパートリーに、もうひとつ追加です。
軽やかな透明感のヘンゲルブロック。

次ぎは誰の「ロ短調」を聴きましょうか。    

  ヘンゲルブロック 過去記事

 「ヴォジーシェク 交響曲」

 「バッハ マニフィカト」

 「ワーグナー タンホイザー」

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2012年10月27日 (土)

シュレーカー あるドラマへの前奏曲 シナイスキー指揮

Mikimoto2


銀座ミキモトのショーウィンドウから。

美しゅうございます。

11月になったらきっとクリスマスモードに包まれるのでしょう。

また街は何故かハロウィーン。いつからこうなった?


Schreker_prelude_toadorama_shinaisk

  フランツ・シュレーカー(1878~1934)

     1.「あるドラマへの前奏曲」

     2.「ヴァルス・レンテ」

     3.交響的序曲「エッケルト」

     4.「宝さがし」~交響的間奏曲

     5.「はるかな響き」~夜曲

     6.幻想的序曲

  ヴァシリー・シナイスキー指揮 BBCフィルハーモニック

                         (1999.4 @マンチェスター)


わたしのフェイバリット作曲家のひとり、シュレーカー。
過去記事から、あらためまして、そのプロフィールを短くまとめたものを引用しておきます。

シュレーカー(1878~1934)はユダヤ系オーストリアの作曲家。
自らリブレットを創作し、台本も書き、作曲するという、かつてのワーグナーのような目覚ましい才能で、10作(うち1つは未完)のオペラを残している。
指揮者としても、シェーンベルクのグレの歌を初演したりして、作曲家・指揮者・教育者として、世紀末を生きた実力家。
シュレーカーのことは、弊ブログの大事な作曲家のひとりになっていますので、過去記事をご参照ください。
ドイツオペラ界を席巻する人気を誇ったものの、ナチス政権によって、ベルリンの要職を失い、失意とともに、脳梗塞を起こしてしまい56歳で亡くなってしまう。

その後すっかり忘れ去られてしまったシュレーカー。

マーラーの大ブレイクの影に、同時代人としてまだまだこのうような作曲家がたくさんいます。
しかし、いずれも交響曲作家でなく、劇音楽を中心としていたところがいまだ一般的な人気を勝ちえないところだろうか。<

オペラ作曲家といってもいい存在だったところがマーラーと違うところですが、そのオペラは全部で10作。
当ブログでは、5作品を取り上げ、あと3作は記事準備中。
未完と音源が出ていないものがあと1つずつとなります。

今日のCDは、オペラ作品にまつわる管弦楽曲を中心に集めた1枚です。

は、「烙印された人々」の前奏曲のデラックスバージョン。(過去記事
オペラ初演ののちに、ワインガルトナーとウィーンフィルによって演奏されている。
本来の前奏曲に、オペラ各幕の間奏曲などをつなぎ合わせて交響詩のように仕上がっていて、20分の大作となってます。
このオペラが大好きで、前奏曲だけでも何度も聴いてますから、これはもう嬉しい作品です。
甘味で濃厚なロマンティシズムにあふれた身も心も、耳も痺れるような音楽。
でもどこか醒めたクールさがただようところがシュレーカーならでは。

は、ウィーン風の瀟洒な感じの小粋なワルツで、小管弦楽のために、と付されております。パントマイム(バレエ)「王女の誕生日」との関連性もある桂作です。

の「エッケルト」は、オルガンもガンガン鳴る大規模な序曲で、もろにワーグナーの影響を感じさせます。
比較的初期の1902年の作品。これもまたウィーンフィル(ヘルメスベルガー指揮)によって初演されていて、いかにシュレーカーが当時メジャーだったかがわかりますね。
ヴィクトール・フォン・シェフェルという人の同名の小説をもとにした表題音楽。

④「宝さがし」の間奏曲。3幕と4幕の間に演奏される長い、これまた官能的な曲。
このオペラは過去記事を参照してください。
宝物を見つけることのできるリュートを持った吟遊詩人の物語。
主人公と彼を愛し、でも裏切る女性との濃厚ラブシーンはまるで「トリスタン」の世界で、そのシーンのあとに演奏される音楽。
田まらんばい。

⑤「はるかな響き」の夜曲は、シュレーカーのオペラ2作目で、いよいよ世紀末風ムードの作風に突入していく契機の作品。
これも過去記事ご参照。
はるかな響きが聴こえる芸術家とその幼馴染の女性、それぞれの過ちと勘違い、転落の人生。イタイ物語が多いのもシュレーカーの特徴です。
このオペラから、夜にひとり悲しむヒロインの場面などを中心に編まれた音楽がこの夜曲。
これまた超濃厚かつ、月と闇と夜露を感じさせるロマンティックな音楽であります。
超大好きですよ、これ。

は③とともに初期作品。1904年に完成し、初演は遅れること1912年。
もうその頃はシュレーカーのスタイルは濃厚系に変貌してしまっていたころ。
少しばかりとらえどころなく、後年の魅惑のスタイルと比べると魅力に欠ける。
それでも、ダイナミックで色彩感も豊かで、これはこれで個性的でもありました。

シナイスキーは日本でもお馴染みのロシアの指揮者で、シャンドスにはロシアのきわものを多く録音中だが、以外なところでのこのシュレーカーは大胆かつ繊細で、実に器用なところを見せている。
マンチェスターのBBCフィルは実にうまくて、英国のBBCオケの層の厚みを感じます。
このコンビのシュレーカーは第2集もありまして、それはまたいずれのお楽しみに。

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2012年10月25日 (木)

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 グリュミオー

Harunako

群馬県の榛名富士と榛名湖。

昨日(10月24日)に、親類の3回忌を兼ねた墓参に行ったおりに身内だけで行ってまいりました。

紅葉は三分ほどでしたが、ご覧のとおりの青空にも恵まれ、とても美しい光景でした。

上州ならではの風も吹き、気温もかなり下がりましたが、澄んだ空気と、この美しさは、日頃のモヤモヤや不安をいっとき晴らしてくれるものでした。

下山して、そして都会に舞い戻ると、もうそこは嫌なくらいの別世界で早くも辟易としてしまうのでした・・・・・。

Brahms_violin_sonata_grumiaux

  ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 「雨の歌」

      Vn:アルトゥール・グリュミオー

      Pf:ジョルジ・シェベック

           (1976.2 コンセルトヘボウ)


深まる秋に、ブラームス。

もうベタですけれど、澄んだ空気と景色も朱色やブラウンに変わりつつある光景には、ブラームスやフォーレ、シューベルトの室内楽や器楽曲がとてもお似合い。

3つの傑作ヴァイオリン・ソナタは、いずれも壮年期以降の作品だけに、どこもかしこも我々が思うあのブラームスの刻印がしっかりとなされている。
第2交響曲やヴァイオリン協奏曲の頃の作品だけに、明るいムードのなかにも、気品と旋律線の豊かさが溢れ出ていて、何かの拍子に、ふと脳裏に浮かんだりするこの曲の1楽章の素敵なメロディだったりするんです。

「雨の歌」のタイトルがどうもしみついてしまい、窓辺から見る小雨そぼ降る秋の日なんてイメージも妙にしっくりきて、思索にふけったりしてしまいたくなるのもこの曲だったりします。
もちろん、このタイトルは自作の同名の歌曲の旋律が3楽章に用いられているからなんですが。

全編にただよう、しみじみ感は、たまらなく魅力的です。
1楽章に続く2楽章での嘆息ともとれる哀しみ誘う憂愁。
3楽章での思わぬ短調での展開から、完結感がじわりじわりとにじみ出てくるラストに移ろってゆくさま、そして静かなエンディングがとても美しい。

グリュミオーの芳醇なるヴァイオリンで聴くブラームスもまた、この秋にピッタリでした。
美しい音色は常に気品とともに慎ましさも一筋通っていて、とても好ましいものです。
フィリップスのアナログ最盛期のアムステルダム録音がまた耳に心地よろしいものでしたね。

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2012年10月23日 (火)

プロコフィエフ バレエ組曲「道化師」 アバド指揮

Marumasu1

都内北区赤羽の名店「まるます家」。

ここは、AM9:00~PM10:00という営業時間で、酒から、豊富なおつまみから、定食、ご飯ものまで、オールタイムで楽しめちゃうワンダーランドですよ。

ネット上ではとんでもなくいろんな情報が出てます。

Marumasu3

先日、川口でお客さんとPM5時からしこたま飲んで。
(生ビール1、熱燗4、生酒1、焼酎1)

そのあとひとり、都内方面に戻る途中、急に思い立ち、赤羽に途中下車。

PM7時30分。
この時点で、もうそうとう酔ってます。

そして、なんと行列に並んで、「まるます家」さんでしたよ。

「ごめん、こんな席で」と通された急ごしらえの席は、どうしてどうして、カウンターじゃなかったけれど、劇団ひとり居酒屋にしてはもったいないお席。

でも、初挑戦の店で、「何します?」と急に言われても、酔ってるし、メニューは壁に貼ってある紙が遠くて読めないし・・・・・、で、思いついたのが、「うなぎ」。
そしたら、「ないない、ない!」って怒られちゃった。
で、気を取り直して、出てきた言葉が「チュウハイ、やまかけ」と、何故か「イカ納豆」。

で、こうなりまして、おんなじようなのばっかりのパワーアップ商材ばかり。

アタクシ、決してそんなつもりじゃぁ・・・・・。

このあと、おばちゃんがやたらと丁寧に・・・・。

Marumasu5

こうなりゃ、やけくそっ、とばかりに、遠目に見えたメニュー札から、「メンチカツ」をオーダー。
これはしかし、マジにうまかったぜ。

ライスもらおうとおもったけど、ガマンしてやったぜぇ。

チュウハイ飲んで、ネバネバ系ツルツル流し込んで、メンチカツだぜぇ。

この店、お酒は3杯までの決まりがあるので、このあたりでオバチャンとお別れ。

これで、よく覚えてないけど、2000円チョイ。

「すいませんぇ~ん、こんな席で申し訳ありませ~ん、またいらしてね」

な~んて、言われちまったぜ、おい。

このあと、へろへろのワタクシ、駅のパン屋さんに突入して、ベーコンエピやソーセージフランスや、アップルパイや、グラタンパンなどを購入したようで、さらに田町駅に降りて、駅前のベンチに座ってそのパンを食って、コンビニで北川景子のアイス「パリッテ」を買って、食べてやったぜ。

朝起きたら、記憶はないけど、そんな残骸をいくつも発見して、悲しかったぜぇ。

はぁ。

Prokoviev_abbado

     プロコフィエフ バレエ組曲「道化師」から

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

            (1966.10 @キングスウェイホール、ロンドン)


飲むとひとり道化師のようなワタクシ。

音楽にも「道化師」とタイトルされた作品はいくつもありますが、やはりオペラやバレエに多い。
一番は、レオンカヴァッロのオペラ、それとヴェルディの「リゴレット」もそうでしょう。
いずれも、お笑いを宿命とする男の悲哀と涙の悲劇で、優しい仮面の裏の激情を描いてます。
それと、最近また復刻したカバレフスキーのナイスなオーケストラ組曲「道化師」。
これはいいです。メロディがヒロイックでかっこいいです。
あとは、プロコフィエフのバレエ音楽「道化師」です。
 こちらは、「ロミオ」や「シンデレラ」に押されて、人気の点で少し落ちるかもしれません。

「アラとロリー」に続く、プロコフィエフ2作目のバレエ作品は、1915年で、作者24歳。
例によってディアギレフのバレエ・ルッスからの依頼によるもの。
第一次大戦により初演もされることなく、またディギレフからの要請で大きく手を加え、1921年にパリで初演されている。
さらにその後、バレエ組曲として自身の手で編まれたのがこちらの組曲で、全部で12曲のうち、アバドは9曲を選んで録音している。
この作曲から初演までの6年間の間に、プロコフィエフは、ロシア革命の難を逃れ、アメリカ亡命を決意し、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、航路、福井の敦賀にやってきて、そのあと日本各地を旅することとなります。
 わたしたち日本人が、ときにプロコフィエフの音楽に感じる親しみは、こんな経緯で採取された日本のメロディがどこか根底に使われてたりするからでありますね。

内容は、細かくは不明ながら、「7人の道化師を騙した道化師の物語」とサブタイトルがつけられているとおり、ひとりの道化師が、仲間の7人の道化師を騙して金をくすめとり、その7人が道化師を殺してやろうと繰り広げる物語・・・のようであります。
この音楽は、けっして豊かでも、面白くもありませんが、やはりなんといっても、プロコフィエフならではの弾むリズムと、抒情性、興奮呼び覚ますバーバリズムに、早くもあふれているところが魅力なところです。
後半の争いの場面や終幕の踊りでのダイナミックで、野生的な雰囲気は面白いです・
それと、この頃通じていたストラヴィンスキーとの交流の影響とも思われる場面が、道化師たちの妻の死の場面で、「ペトルーシュカ」を完全に思わせるミステリアスぶり。
舞台で観たら、きっと面白いのでしょう。

アバド、34歳の指揮。

1966年は、レコーディングでは、ほぼデビューの年で、ウィーンフィルのベートーヴェンに次ぐ録音と記憶します。
青臭さが一切なく、当時も機能性抜群だったロンドン響を縦横に指揮しつつ、堂々たる演奏になってます。
リズム感、旋律の歌わせ方のしなやかぶり、強靭なまでのカンタービレ、切れ味の鋭さ・・・・、どれをとっても、いまのアバドと遜色なく、こうした曲では、アバドはまったく変わりない俊馬ぶりなのでした。眩しいですよ、音が。
 
オリジナルカップリングの。「ロミオ」組曲は、後年のベルリン盤とも違った推進力が。
3番とのカップリングだった第1交響曲も清々しい、軽快な演奏に思います。

イタリア人は、プロコフィエフが得意なんです!

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2012年10月22日 (月)

不思議なにゃんにゃん

5

にゃんにゃん、IN ショーウィンドウ。

ねこ売ってます、じゃなくて、いまはもうなくなってしまった某質屋さん。

1

入ります。

2

出ます。

4

痒ぃ~のよ、ポリポリ

3_2

ぼぅ~。腹減ったぁ~。帽子かぶってません。

6

ひとんちの窓辺まで映してしまう。
だってニャンコがいたんですもの。
いけませんね。もうしません。

にゃんこ画像の在庫整理をした、ワタクシなのでした。

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2012年10月21日 (日)

「NOUVEAU MONDE」 パトリシア・プティボン

Asakusa_2

浅草の吾妻橋のたもとから。

アサヒビールのあれと、スカイツリーとお月さんを。

ゴージャスな墨田区役所も。

だいたいに、どうして行政区の建物は、このように超立派なのでしょうか。

都内の区はほとんどそうで、高層ビル化もしてるし、地方は地方で空虚なほどの庁舎が忽然とそびえております。

公僕っていってはいけないのかしら、いまは、やたらと腰がひくく丁寧になったお役所の皆さん。
仕事がら制服を来たや○ざみたいな方々と接するもとも多々ありましたが、いずれにしても、明日をも知れぬ中小・民間の人間との立ち位置の違いは巨大であります。
こうしたゴージャス庁舎に行くと、売店もあるし、なによりも食堂があって、一般人も、ばかみたいに安く食事ができるんですよね。それこそ、ばからしくなっちまいます。

あ、もうこのへんでやめときましょう。

スカイツリーを核としたこのナイトビューをついに撮ることができました。

甘味なる光景におもいましたね。

社会人になりたて、ここには、由緒正しいアサヒビアホールがありました。

Petibon_nouveau_monde

  「NOUVEAU MONDE」~ヌーヴェル・モンド 新しい世界

         S:パトリシア・プティボン

    アンドレーア・マルコン 指揮 ラ・チェトラ

                  (2012.2 @バーゼル)


わたくしのアイドル歌手、パトリシア・プティボンの新作が出ました。

年一回、だいたいこの時期に発表されるプティボンのCDは、毎回、異なる知的なテーマを掲げ、彼女の魅力を全開したユニークな歌唱とあまり聴くことのできない選曲でもってサプライズを与えてくれるんだ。
 それはもう、ビジュアル系のアーティストが繰り広げる、通常名曲のありふれ演奏とはまったく次元を異にする本格ぶり。
オペラアリア集から卒業してしまったプティボンは、もう自身がアクターであり、オペラの登場人物の域を超えてしまった存在なのかもしれません。
 ですから彼女の歌は音盤にはなかなか入りきれません。
プティボンが年一作、考え抜いて作り上げたCDは、それこそ彼女の魅力が凝縮された、彼女の舞台やオペラ映像にも匹敵するような濃密な出来栄えとなっているんです。

DGの専属となってから安定的に録音されるようになったこうした音盤ですが、理解しがたいことに、日本のユニバーサルミュージックは、昨年の「メランコリア」の国内発売を今にいたるまでしておりません。
来年、もしかしたら実現するプティボンの来日まで温存する気なのでしょうか。
リセウの「ルル」も同様。
完全に、プティボンをビジュアル系アイドル路線で売りこもうという目論見が、実は、驚ろくほどの本格路線に販売路線を見出せぬままになってしまったのが真相なのでしょうかね。
まったく、ばかやろうで、腹のたつ話ですよ。

もちろん、ファンとしては輸入盤をすぐさま手にして、彼女の進化ぶりを堪能しておりますゆえ、国内盤の有無は関係ありませぬが・・・・・・。

 1.ホセ・デ・ネブラ サルスエラ 「Vendado es amor, no es ciego」
 2.アンリ・ル・バイイ  「私は狂気」
 3.古謡     「マルティネス写本」より
   「Cachua a voz y bajo Al Nacimiento de Christo Niestro Senor」
 4.ホセ・デ・ネブラ サルスエラ 「Vendado es amor, no es ciego」
 5.パーセル  「ダイドーとエーネアス」~
                  「わたしが地中に横たえられたとき」
 6.ラモー    「優雅なインドの国々」~未開の人々のダンス
 7.ヘンデル カンタータ「決して心変わりしない」
                (スペイン・カンタータ)HWV.140より
 8.古謡     「マルティネス写本」より
         「Tonada la lata a voz y bajo para bailar cantando」
 9.作者不詳  「わが愛は遠くなりけり」
10.古謡     「マルティネス写本」より トナーダ「コンゴ」
11.シャルパンティエ   「何も恐れずこの森に」  
12.シャルパンティエ   「メデア」~3つの場面
13.古謡     「グリーンスリーヴス」
14.古謡     「I saw the wolf」
15.ラモー    「優雅なインドの国々」 寛大なトルコ人~エミリーの歌
16.パーセル  「アーサー王」~「もっとも美しい島」


以上、15の作品、全部で18トラックの多彩なるプティボンのめくるめく歌の世界。

「新世界」とタイトルされたこの内容は、ラテン・アメリカのバロック期の音楽と、それらにまつわる欧バロック作品を集めたもの。
古くは、ヨーロッパ中心から見た場合、ほかの国々はみんな新世界だったというのも乱暴な言い方だけれども、よくまぁ、こうした曲を集めてきたのもだと思います。
今回の2度目の共演マルコンの手腕にもよるところも大きいとも思われる。

それにしてもなんというバラエティの豊かさであろうか。

曲の配列のバラバラなようでいて、サルスエラ、伝承古謡、英仏のバロックオペラと巧みに配置していて、単に異国情緒を追いもとめただけの単純な選曲ではなく、かの地へよせる憧れや、隷属者の悲しみなどがプティボンの抜群の表現力でもって歌い込まれているから次々に飽きがこず、サプライズの連続でありました。
 概して欧州作者による異国への想いは、悲哀も美しいが、現地伝承やサルスエラなどのリアルで皮相的な悲しみの方が妙に明るかったりしてプティボンの明るい歌声が映える。

はまるでハイドンかモーツァルトみたいな古典のオペラみたいで、弾むリズムが楽しい。
②パーカションと南米ハープやギターが雰囲気ありありのサッドソングは、プティボンの超高音域が耳にビンビン響きます。
こちらも涼やかなハープとケーナを思わせる笛がこれまた情緒たっぷり。だんだんとアッチェランドしてって熱くなりますが最後は静かに終了。酒が飲める歌。
カスタネットも高鳴るムンムンする雰囲気に、プティボンのスペイン語の色気を感じます。
南米ムード満点のところに、高名なるパーセルのオペラから高貴なる悲しみに満ちたアリアが始まるともう、聴き手は次ぎの次元に。
こんな風にガラリと雰囲気が変わってしまう変幻ぶりはプティボンならでは。
涙の雫さえ感じるしっとりとした歌唱に聴き惚れます。
すると今度は、これもまたクリスティ&プティボンで有名になったラモーの軽快で特徴的なダンス。あの映像を思いだしつつ体が動いてしまう。
初めて聴いたヘンデルのこの曲。ここではカスタネットにテオルボが伴奏して、本当にヘンデル?と思ってしまう。歌唱もスペイン語。
ギターにドラム、ベース、ケーナとまたもや異次元に。
ルネサンス音楽をも思わせる不可思議サウンドに、プティボンの面白歌唱。
コンゴから連れてこられた奴隷の悲しくもユーモアある歌、プティボンのコンゴー!の威勢のいい掛け声がアクセント。
シャルパンティエの歌は、明るくユーモア一杯。そして溜息が色っぽいです、はい。
オペラの3つの場面では、共演者も登場して本格的。
抒情的なシャルパンティエの音楽が楽しめます。
まさかのグリーンスリーヴス。イングランド民謡なのに、何故に。
この女性の悲しみは、ここでは娼婦ともいわれますゆえ、プティボンはここで取りあげたかったのでしょうか。古雅な雰囲気でしんみりします。
わりと有名な「狼を見たよ」、⑨と似た雰囲気の楽しい曲でノリノリですよ。
もう一度ラモー。ここでは船に乗り異国から出国する主人公。囚われの身の悲しみです。嵐吹き荒れる情熱歌唱に感激です。
パーセルの有名なアリア。島(ブリテン島)を讃えるヴィーナスの歌。
高貴で麗しいパトリシアの歌唱は、清楚でとても感動的。
旅の最後を締めくくるに相応しい曲に歌いぶりです。

聡明な彼女、レパートリーを重たいものへと徐々に広げつつあって、ちょっと心配なところで、従来の羽毛のような軽やかさが少し後退したかな・・・と思うところもあります。
しかし、歌のうまさと心くすぐる甘味さとキュートな声はまだまだ健在。
思えば、いつもいろんな彼女の局面を見せつけられ、その都度驚嘆し、魅惑されているわけで、次はまた何をやってくれるかと楽しみになります。
 そして、そろそろオペラアリア集を所望したいところです。

DGサイトより、プロモーションビデオ

Petibon1

プティボンのソロCD

Petibon2

その2

下から順に新しくなります。
こうして、ますます個性的に、幅広い個性が際立つパトリシア・プティボンでありました。

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2012年10月20日 (土)

ベルリオーズ 幻想交響曲 マゼール指揮

Hamamatsucho_201210_a

遅ればせながら10月の浜松町駅の小便小僧は、生誕60周年の赤いちゃんちゃんこでした。
毎日通っていながら、今頃取材しまして、あいすいません。

Hamamatsucho_201210_c

後ろ姿も、ほれ、ご覧のとおり、お爺さんのようです。

60年前、当時の駅長が友人から寄贈され、浜松町駅に置かれるようになったそうな。

その節の経緯は、ググればたくさん出てきますよ。

いま、このコスチュームを担当してる皆さんにも、大いに感謝しなくてはなりません。
これからも、どうぞ楽しませてください。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲

    ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

                    (77.1 クリーヴランド)


10月はタイミングを失してしまい、一瞬忘れてしまった、ツキイチ幻想。

ようやく感じる秋の気配が幻想でありませんように。

1年前の記事を見ていたら、ちょうど今頃、ベイスターズはモガベイ騒動の真っ最中。
1年後もその弱体ぶりは相変わらずながら、資金力がいまのところはありそうなので、今オフはちょっと楽しみなんです。
それから毎年今頃新作が出る、わたしのアイドル歌手の記事も。
こちらは明日、記事にします。今回もぶっ飛びの可愛さとクレヴァーさで魅惑してくれます。

そして、1年前は、バーンスタインの幻想。
今年は、同じCBSのアメリカ産の幻想で、来日中のロリン・マゼールの指揮で。

マゼールという人は、わたしにとってはなかなか難敵で、いまだにその正体が掴めず、いっとき気にいって聴きまくったけれど、そのあとは嘘のように冷めてしまって今に至っている指揮者。

その出自とポストの遍歴を見てみると、これが一人の歴史であろうかと思われるくらいの変転・変幻自在ぶり。

出生はフランス、勉学、キャリアスタート地はアメリカ。
父親はユダヤ系ロシア人、母親はハンガリーとロシア系。
渡欧後の勉学の地はイタリアが中心。
ポストは、ベルリン放送響、ベルリン・ドイツ・オペラ、フィルハモニア(主席客演)、クリーヴランド、フランス国立管、ウィーン国立歌劇場、ピッツバーグ響、バイエルン放送響、ニュー・ヨークフィル、トスカニーニ響、ミュンヘン・フィルなどなど。

こんな風にみるからに、一色に染まらない、そしてカメレオンのように姿を変えるようなメゼールの曲者ぶりがうかがえるというもの。
そんなマゼールの面白かった時期は、今思うと、ベルリン時代とクリーヴランド時代で、わたしも、クリーヴランドからウィーンにかけての時期をかなりマゼールの音楽で過ごしたワケであります。

そのクリーヴランド管との演奏は、デッカ、CBS、テラークより数々出ていて、録音の良さもそれぞれ嬉しいところでした。
この「幻想」は、マゼールの初幻想でした。
レコード時代、FMで聴いたけれど、どうも軽いタッチに聴こえて、(これはCBSの録音によるせいもあったかもしれない)イマイチの印象。
82年に、こんどはテラークに再録音して、これはレコードを購入したけれど、こちらは重量級の分厚い響きも楽しめる鮮やかな演奏で、結構お気に入りだった。
でも、後にCD化された77年盤を聴いた時には、かつて感じた軽さは、緻密な計算に基づく慎重な音への配慮と、静と動、巧みなその対比が結構面白く聴けることを発見したのでした。

1楽章と2楽章は、快速だけれど、マゼールにしては意外なくらいに素直で、しなやかかつ流線的な美しさ。コルネット入りで、ハープの左右に配置したワルツもあざとさ少なめ。
そして、これもまた美しい田園風景を丹念に描いた3楽章の静けさをピークに、4と5楽章では、あのマゼールらしさが炸裂。
早いテンポでずばずば決めてくる断頭台への行進は、切迫感が伴い忙しい。
休みなく続けられるヴァルプルギスの夜は、強弱メリハリが実に豊かななもので、グワーっと押し寄せる音塊にタジタジになってしまうが、いつしかそんなマゼールの魔術にまんまと乗っけられ、やたらと興奮してしまうワタクシ。
おっと、その手は食わねぇぜ、と思っていても、コーダの凄まじい大太鼓にエンディングの輝かしいクレッシェンドに参ってしまいました。

いまもきっとこんな風な幻想をやってくれそうなマゼールであります。

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2012年10月18日 (木)

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 ピリス&アバド

Koke_momiji

少し先取りしすぎですが、数年前の深まる秋に某寺所で撮った苔と紅葉です。

こういうのを見ると、つくづく日本人でよかったと思います。

騒がしい周囲のお国の方々には、こんな静的な静寂はわかりますまいて。

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 モーツァルト  ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調

            ピアノ協奏曲第20番 ニ短調

      Pf:マリア・ジョアオ・ピリス

   クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ

                      (2011.9 ボローニャ)


モーツァルト最後のピアノ協奏曲と、中期の短調の名作のカップリング。
あらゆる意味で、いま最高の高みに達して、なお若々しさと進取の気性に富んだふたり、ピリスアバドの息の会ったコンビが久しぶりに、モーツァルトで共演してくれました。

21・26番ウィーンフィル(90)、14・17番ヨーロッパCO(93)に次いで、3枚目。

集中力と感受性の強さをひしひしと感じさせるピリスは、当時も今も変わらず、さらに無作為の美しさも加味して透明感が増してます。

そして、アバドは、過去録音の年代の履歴の通りに、ウィーンスタイルに乗った躍動感と歌心満載のウィーン時代から、若い奏者と共感しあいつつ瑞々しく簡潔な演奏に傾くようになったECO(ベルリン時代)を経て、古楽奏法も視野に入れ、テンポも増してより躍動的でシンプルな音楽造りが目立つようになったベルリン卒業後のいまがあって、その進化ぶりが著しい。
歳を経て、こんなにも、どんどん若々しい音楽造りに帰ってゆく芸術家はこれまでの大家で果たしてありえた存在でしょうか!

音は軽く羽毛のようでもあり、純水のように恐ろしくピュアでかつ特定の味がない。
味がなく無色透明だけれど、何にも染まらない水にこそ、味がある・・・。
日本酒や葡萄酒は研ぎ澄ますと水のようになるといいますが、まさにそんな感じ。
ひっかかるものがなくて、面白くないとおっしゃる方もおいででしょう。
ピリスとともに、アバドの作り出すこの透明感プラス若々しさには老成感は一切なく、モーツァルトの微笑みや悲しさ、遊び心もすべて内包しているようです。

早めのテンポでサラリと流すように演奏される変ロ長調の第2楽章の美しさといったらありませんでした。
同じくニ短調の2楽章も低徊感はなく、さりげないくらいに弾き、オケも演奏されます。
どうしたらこんなに無心に演奏できるのでしょう。シンプルさが恐ろしく、そして美しいのでした。

とかく深遠な思いにとらわれがちのこれらの協奏曲を、いともさりげなく、無色に演奏してしまったピリスとアバドでした。
清々しいモーツァルトが聴けました。

モーツァルト管は、若いプレーヤーとアバドを慕う仲間演奏家たちとのコラボレーションオケのようです。
ジャケットやHPサイトを見ると、ルツェルンでのメンバーたち喜々として参加してます。

シューマン2番、メンデルゾーン3番、ピリスとの23番、バッハ管弦楽組曲などなど、魅力的な演奏が報じられております。

楽団のページにあります紹介映像を貼っておきます。

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2012年10月17日 (水)

ヨーゼフ・シュトラウス 「オーストリアのむらつばめ」 スウィトナー指揮

Minatomirai7

まだまだあります、みなのみらいの夜景。

運河に映る大観覧車のイルミネーションはきれいです。

左手の遊園地コスモワールドの華やかな明かりも楽しいものです。

ドイツには一度行ったのみですが、ヴュルツブルクかミュンヘンに泊まったとき、ホテルの前の大きな公園が遊園地になっていて、それが季節限定の移動式遊園地だった。
イースターのお休みだからだったからでしょう。

夜はとてもきれいだったけど、でも人は少なめで、ちょっと寂しくって怖い。
海外の夜の遊園地って、ちょいと犯罪やホラーの雰囲気を感じるのは映画の見過ぎか。
あと、「ルル」の切り裂きジャックなんかも、そんな夜の遊園地のおっかないイメージ。

でも、基本、遊園地は楽しいワルツですな。

今日もワルツします。

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  ヨーゼフ・シュトラウス 「オーストリアのむらつばめ」

   オトマール・スウィトナー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

                     (1979.12 ドレスデン)


ヨハン・シュトラウス1世の息子で、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの弟・・・
と書くと、やたらとややこしい。
要は、ヨハンの弟、ヨーゼフ・シュトラウス(1927~1970)。

わりと早く亡くなってしまったこともあって兄の名前に隠れがちだけれど、作品数は多いし、なにかと耳にしている作品もあるし、よく言われるように、抒情的な作風が結構しみじみとさせてくれて、わたしは好きだったりします。
「天体の音楽」や「水彩画」「我が人生は愛と喜び」「うわごと」とかは好きですね。

そして今宵は、いかにもオーストリア・アルプスにかこまれた田園地帯の花と緑、そして鳥のさえずりにあふれた初夏・・・といったワルツ、そう「オーストリアのむらつばめ」を聴きました。
この曲を選んだのはもうひとつ、昔からのお気に入りのワルツ集の、スウィトナードレスデンの音盤を久しぶりに手にして、あの茫洋とした指揮姿から、生まれ故郷のインスブルックの風景がうかがえるからです。(行ったことないけど)

N響と親しかった指揮者の中で、日本のこのオーケストラを振って、お堅いオケから優美で柔らかいオーストリア・ウィーンの音色を引き出したのが、このスウィトナーと、もうひとりワルベルク。
サヴァリッシュはミュンヘン生まれだけれど、ウィーン響とも長かったので、同団とレコード録音をしているのに、N響とは絶対にJ・シュトラウスをやることはなかった。
そんなことを何かで読んだことがあって、面白いことだなと思ってました。

70年代の終わり頃、ドレスデンがまだまだ馥郁たる香りと、19世紀的な存在にも満ちていたころ。
驚くほどダイナミックな音も出てますが、弦のしなやかな美しさと木管の古雅な佇まいに、マイルドだけど力強い金管。
素晴らしいオーケストラです。

ウィーンの演奏とはまた違った、麗しいワルツやポルカの演奏です。
これも、スウィトナーの指揮があってのもの。
季節は秋で、つばめも去ってしまいましたが、目を閉じれば、あの指揮姿がまぶたに浮かびます・・・・。

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2012年10月16日 (火)

ラヴェル 「優雅で感傷的なワルツ」 プレヴィン指揮

Minatomirai_5

桜木町駅からほんの少し歩いて撮影。

神奈川県人だけど、横浜までは45分もかかる海辺が実家だから、子供時代は通常は平塚か茅ヶ崎、藤沢へ、ハレの日の買い物に。
とうぜん、各駅にあったデパートの食堂がお目当て。(茅ヶ崎はデパートじゃなくってダイクマだったから、アツアツのたこ焼きだ)

姉が横浜の大学に通うようになって、我が家もグレードアップして、休日に横浜へいくようになったのが中高時代。
西口と石川町ばかり、というか、当時は伊勢佐木町は大人の街だったし、桜木町なんて、それこそなんにもなかった駅だったような記憶が。
そして私は、大学時代は渋谷だったので、横浜から東横線でした。

わたしの、ノスタルジーは渋谷と横浜の街に多くあるんだけれども、渋谷はご存じのとおり、別の街に変貌してしまいました。
でも、横浜は横浜博を境に街の具合が変わりましたが、今も当時も本質は変わりません。
同じく、大洋ホエールズも川崎から移動してきても、名前やオーナーが変わっても変わりません。

いま住む、千葉にも愛着はありますが、神奈川の田舎だけど、そちらへの想いはまた別格。
歳とともに強く感じるし、若き日々の選択を苦く思う、今の歳を経た自分であります。

Ravel_previn

  ラヴェル  「優雅で感傷的なワルツ」

    アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハモニー管弦楽団
                        
                   (1985 ロンドン アビーロードスタジオ


ワルツが好きだったラヴェル。
「ラ・ヴァルス」(1920)より早く、1911年にピアノによるワルツとして書かれ、その好評に気をよくして、翌12年にオーケストレーションがなされた曲。

ウィーンのワルツや熱狂的な舞踏会をオマージュして書かれた「ラ・ヴァルス」と合い和するように、こちらではシューベルトのスタイル、すなわちレントラーでありましょう、を思わせるようにして書かれた連作ワルツです。

華やかで爆発的な「ラ・ヴァルス」と違い、こちらは一服の幻想曲のようで、渋くて内面的、でもとってもお洒落な音詩。
8つの円舞曲は、ほぼ18分くらいで、それぞれ繊細でもあり、ダイナミックでもあり、痛快洒脱でもあり、です。
 でも繰り返しますが、ともかく、「オシャレ」。
パリのシャンゼリゼを闊歩するかと思うと、ふと秋色のショーウィンドウを足を止めて眺めたり。オープンカフェでソーセージをつまみながら白葡萄酒を飲むの雰囲気。
こんなおフランスしてる曲なのに、いまひとつ大衆的な人気がないのは、先に書いたとおり、ラヴェルならではの爆発的なエンディングがなく、静かに後ろ髪引かれつつ終わること。

でも、じっくり聴いてください、このワルツ。

フランスの光と影、ちょっと寂しくてシックな光景、それがきっとどなたの耳にも伝わるんじゃないでしょうか。

かつて聴いたこの曲を含むしなやかな名演。
小澤さんがラヴェルのアニヴァーサリーイヤーにラヴェルを連続して取りあげた年。
この曲と「ラ・ヴァルス」を休みなしに演奏しました。
そのあとは、武満の「カトレーン」初演と「ボレロ」だったかな?

ともかくお洒落じゃなくちゃいけません。
この曲は。

プレヴィンロイヤルフィルの希少な演奏は、少し腰が重いけれど、歌いまわしの豊かさと、ビューティフルな音色の配合では素晴らしいものです。

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2012年10月14日 (日)

ブリテン 「ピーター・グライムズ」

201210shinkoku_3

新国立歌劇場の前庭。

右手2階部分が客席ホワイエ。

ブリテンの「ピーター・グライムズ」は今日が千秋楽。

5日、金曜日に観劇して、おおいに感銘を受けて、あのあと手持ちの「ピーター・グライムズ」を聴きまくり。
しかも、いま頭のなかは、4日に聴いたブリテンの「ラクリメ」、ブラームスのピアノカルテット、12日のブラームスのヴァイオリン協、ウェーベルン、エンペラーワルツにラ・ヴァルスがともにそれぞれ渦巻いております。

「4つの海の間奏曲+パッサカリア」も含めて聴いてると頭の中が「海」のイメージで一杯になります。

新国の上演パンフレットを読んだら、来年のブリテン生誕100年のオールドバラ音楽祭では、このオペラの舞台となったその地の海で、「ピーター・グライムズ」を上演する企画があるそうだ。
臨場感たっぷりの凄い舞台になりそうで、あれこれ想像したくなります。

Aldeburgh

 オールドバラがあるサフォーク州のサイトから拝借、いかにも「ピーター・グライムズ」(PG)の世界を感じさせる画像です。

イングランド東部の海岸沿いの街がオールドバラ。そしてその隣町スネイプ。
スネイプにずっとオトモダチのピーター・ピアーズとともに住んだのがブリテン。

夏には、音楽祭が行われ、イングランド有数の避暑地ともなるようですが、冬には北海が厳しい牙をむく場所ともなるそうです。

新国の「ピーター・グライムズ」の舞台にも荒涼たる雰囲気はとてもよく出ておりましたが、あと少し欲を言えば、塩の香りといった生々しさが欲しかったところか。

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Pg_most

手持ちの音源は4つと、映像ひとつ。

①ハイテインク指揮 コヴェントガーデン歌劇場
    ロルフ・ジョンソン、ロット、アレン

  なんといってもハイティンクのシンフォニックかつ、ふくよかな音楽が素晴らしい。
  歌手も豪華なものです。
  この音源をついに国内発売なかった罪造りなEMIさん。

②デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
    ウィンスレード、J・ワトソン、M・ムーア


  デイヴィス2度目のロンドン響ライブ。
  幕が進むごとに、熱気をどんどんはらんでくるところがさすがデイヴィスのライブ。
  
③ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団
    ラングリッジ、J・ワトソン、オーピ


  オケ・合唱ともにヒコックスの熱い指揮のもとに一体となって迫力満点。
  ラングリッジの性格歌手ぶりも特徴的。逝っちゃってます。

④ブリテン指揮 コヴェントガーデン歌劇場
    ピアーズ、C・ワトソン、ビーズ


  作者と共同作業者によるスタンダード盤。
  なにもいうことはございません。
  かつては、ブリテンの音楽はブリテンの演奏しかなかった。
  いまや、多様な演奏者によって、いろんな側面の演奏も認知されるようになった。
  ブリテンやバーンスタインの音楽は、自演がスタンダードなのでなく、
  その音楽がいまやスタンダードになったのだ。
   ピアーズのように、PGを歌う歌手はもういないかも。

⑤ウェルザー・メスト指揮 チューリヒ歌劇場
    ヴェントリス、E・マギー、ムフ


  ずっと未開封で忘れていたDVD、かれこれ3年。
  ワーグナーかシュトラウスでも上演できそうなメンバー。
  パウントニーの演出。
  最初だけ見たけど、どうにもドイツ臭ただよう雰囲気。
  近く視聴予定。

あと、作曲者以外の初録音となったC・デイヴィスの1度目のフィリップス録音が欲しいです。映像で見れますが、J・ヴィッカースの入魂の歌唱は、ワーグナーやヴェルディで感じる粘っこい違和感を微塵も感じさせず、むしろピーターの特異性を浮き彫りにしてます。

こうして、いくつも音源を揃えてしまうのは、音楽が素晴らしいからです。

わたくしの場合、ワーグナーといい、R・シュトラウスといい、そしてプッチーニも、その音楽が大いにすきだからずっとハマっているのです。
それに加えて、その音楽とドラマが不可分となってなりたっている作品存在の素晴らしさが並々ならないからです。ブリテンやコルンゴルトもそのひとりとして最近は加わってます。

その次ぎ、多様な演出の解釈や、演奏・歌の違いを楽しむようになるのです。
でも行きすぎた解釈は困りもの、なにもそこまで風の過剰演出がドイツを中心に常態化してしまい、バイロイトまでもその後追いをするありさま。
アメリカは、メットも徐々に脱保守をはかりつつあるようだが、まだまだ安心の領域。
そして、ほどよくちょうどいいのが、わが日本の劇場かもしれません。

モネ劇場からレンタルを受けた今回のプロダクション。
同様に、コヴェントガーデンでも上演されていて、すでに完成された舞台は、簡潔ながらも求心力が高くて、装置や読替えによる役者なみの演技などが伴わなくても、群衆の凝縮された動きと、それに対峙する人物、それひとつでブリテンの音楽に雄弁な奥行きを与えてやみませんでした。
素晴らしい上演でした。

ブリテンのオペラは全部で16作。もう少し長生きして欲しかった生涯にわたって、手掛け続けたジャンルです。
「ピーター・グライムズ」を含む初期のものは規模も大きく、旋律線も豊かで聴きやすい。
やがて、より緊張感の高い室内オペラを編み出し、明快でユーモラスさも加味したり、ミステリーや文学作品を素材に選び、さらに宗教色濃い渋い世界にも足を踏み入れ、自身の多様なオペラのスタイルを確立。
ここにあるのは、常のテーマとする「キリスト者の目線、無垢でピュアな存在、平和希求、社会的疎外者への理解」などとわたくしは理解してます。

わたくしのブログでとりあげた作品は10作(※)、あと6つ。
来年の生誕100年には、全作制覇したいと思ってますが、入手できない音源もあり難渋してます。

  ①「ポール・バニヤン」       1941
  ②「ピーター・グライムズ」     1945    ※
  ③「ルクレティアの凌辱」     1946  ※
  ④「アルバート・ヘリング」          1947    ※
  ⑤「ベガーズ・オペラ」               1948   
  ⑥「オペラを作ろう」                  1949
  ⑦「ビリー・バッド」                    1951  ※
  ⑧「グロリアーナ」                    1953  
  ⑨「ねじの回転」                      1954  ※
  ⑩「ノアの洪水」                       1957
  ⑪「真夏の夜の夢」                  1960   ※
  ⑫「カーリュ・リヴァー」               1964   ※
  ⑬「燃える炉」                          1966  ※
  ⑭「放蕩息子」                         1968    ※
  ⑮「オーウェン・ウィングレイヴ」   1970   ※
  ⑯「ヴェニスに死す」                  1973


聴きでがあり、探究しがいのあるブリテンのオペラです。

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2012年10月13日 (土)

神奈川フィルハーモニー 2013~2014シーズン演目発表

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神奈川フィルハーモニーの来シーズン定期演奏会の演目が発表されました。

ここに、ご紹介しときます。(ワクワク)

①4月26日
  ブーレーズ      「ノタシオン」
  ストラヴィンスキー  「火の鳥」「春の祭典」
      金 聖響 指揮

②5月24日
  ベートヴェン     ヴァイオリン協奏曲
      Vn:三浦 文彰
  ヴェルディ      「アイーダ」序曲、バレエ音楽「シチリアの晩鐘」「運命の力」
              「ナブッコ」「トラヴィアータ」
      現田 茂夫 指揮

③6月29日
   リゲティ       「アトモスフィール」
  ドヴォルザーク   チェロ協奏曲
      Vc:ミヒャエル・カヌカ
  バルトーク      管弦楽のための協奏曲
      金 聖響 指揮

④9月27日
   ストラヴィンスキー 詩篇交響曲
   グラズノフ      ヴァイオリン協奏曲
       Vn:石田 泰尚
   R・シュトラウス   アルプス交響曲
      沼尻 竜典 指揮

⑤10月18日
   ブリテン      ヴァイオリン協奏曲
       Vn:ダニエル・ホープ
   ホルスト      「惑星」
       広上 淳一 指揮

⑥11月22日
   ブラームス    交響曲第3番
   ラフマニノフ   ピアノ協奏曲第3番
       Pf:田村 響
       垣内 悠希 指揮

⑦1月25日
   ブラームス   ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
       Vn:石田 泰尚   Vc:山本 裕康
   ワーグナー   「タンホイザー」序曲
   R・シュトラウス 「ばらの騎士」組曲
       サッシャ・ゲッツエル

⑧2月22日
   ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
   ブルックナー 交響曲第7番
       飯守 泰次郎 指揮

⑨3月20日
   藤倉 大   「アトム」
   マーラー   交響曲第6番
       金 聖響 指揮

以上の魅惑のプログラム。
シーズンテーマは不詳なれど、アニヴァーサリー作曲家(ワーグナー、ヴェルディ、ブリテン、あともしかしたらブラームス、ラフマニノフとリゲティらも)を中心に近現代の各国もの。

全部が全部、ワタクシの好みのものばかり。
近現代20世紀音楽は、昨今の世界のオーケストラコンサートのトレンド。
一方で、モーツァルトを代表に、古典系が見当たらない。
音楽堂をはじめとする特別演奏会では古典・ロマン派が聴けることでしょう。

最大の楽しみはというと、飯守先生のトリスタンとブルックナー。
それと、現田さんのヴェルディ。なんたって、珍しい「アイーダ」の初稿序曲が聴ける。
あと、ダニエル・ホープのブリテンに、ゲッツェルの「ばらキシ」に主席ふたりのドッペルふたたび。
神奈フィルで聴きたかった、「ハルサイ」「アルペン」「惑星」。
それと、ブーレーズとリゲティという現代ものの古典。
最後は、震災翌日のあのマーラー6番の凄演なるか!

さぁさぁ、みなさん、12月18日より会員募集開始です。

まだまだ今シーズンも残ってますが、はやくも来年に想いを馳せるワタクシなのでした。
      

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神奈川フィルハーモニー 第284回定期演奏会 イシイ=エトウ指揮

Minatomirai

いつもと違った場所からパシャリと1枚。

あの先で、これより神奈川フィルの10月定期公演ですよ。

Kanaphill_201210

      ブラームス   ヴァイオリン協奏曲

                「ヴェニスの謝肉祭」(アンコール)

           Vn:シン・ヒョンス

      ウェーベルン  小管弦楽のための交響曲

      J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」

      ラヴェル     「ラ・ヴァルス」

   キンボー・イシイ=エトウ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団


                 (2012.10.12 みなとみらいホール)

「マーラーとその時代、爛熟ウィーンへの旅」のお題に基づいた、不可思議兼よく考え抜かれたプログラム。
一昨年のちょうど10月、コープランドや新世界で神奈フィルとの相性ばっちりの素敵な演奏を聴かせてくれたナイスガイ、エトウさんイシイさんの指揮に期待が高まりました。

・・・ですが、終わってみると、あれ? こんなはずじゃ?

という印象が正直なところ。
どうしちゃったんだろ、調子が悪そうで、キレがなく、オケともしっくりこないままに、「ラ・ヴァルス」をむかえ、そして最後はさすがに勢いで華々しく終了されてしまった感じ。

ブラームスの協奏曲から、ヴァイオリンのシン・ヒョンス嬢に気圧されていた感あり。
若い彼女、チョン・キョンファやサラ・チャンらの先輩たちとも違った個性・・・・との触れ込みだったけれど、超絶技巧を駆使したアンコールも含め、どうしてどうして、自己主張たっぷりのかの国ならではのパッション系のヴァイオリンでありました。
繊細さ、力強さ、歌いぶり、いずれも強調され、これでもかというばかりに圧倒的。
スゴイなぁ、と感心しながら聴くことしばし。
でもチャイコフスキーならともかく、これはブラームスだよなぁ。
うむ、豊かな才能は、これから年月を経てどう音楽をとらえ、開花してゆくのでしょうか。
いまのところは、わたしの思うブラームスとは遠いところにあるブラームスでした。
でも、第2楽章のオーケストラはふくよかで美しかった。
 

コンマスの石田氏にピチカートを強要(?)し、それが弦楽アンサンブルに伝播しつつ、目もくらむ技巧でもって、ひょいひょいと弾いた「ヴェニスの謝肉祭」。
すっかり圧倒されましたよ。
これこそ、スゴイのひとこと。

20分の休憩をはさんで、後半に期待。

いきなりウェーベルンの不思議世界につれていかれてしまい、緻密な時間空間を10分間息を殺すようにして楽しみました。
ブーレーズの冷徹な演奏のCDに慣れてしまっていたものですから、ちょっと緩くは感じましたが、こうした曲を取り上げてくれたことは実にうれしい。
コンサートには、こうした刺激も必要ですからね。
 ただ、曲の配列からして、ちょっと異質すぎましたかね。
後半は、フルオケの曲ばかりにして、オーケストラの温度を高めていったほうがよかったかも。
同じウェーベルンなら「パッサカリア」とか、ベルクの「3つの小品」とか。

「皇帝円舞曲」は、異次元に持っていかれたこちらの耳を補正できぬまま、どこか余所行き風に聴こえてしまったのは、こちらのせいかしら?
いや、神奈川フィルならもっと美音の爆発があってもいいはず、と思いつつ終わってしまった10分間。

うーむ、ラヴェルに期待だな、とぎっしり勢ぞろいのフル神奈フィル。
でもラヴェルならではの精緻さ・精妙さがちょっと足りなくて、イシイさんとエトウさんの指揮姿とオーケストラの音に乖離が感じられる。やっぱり体調でも悪いのか、と思ってしまう。
でも、ラヴェルの巧みな音楽は、そんな思いを最後は見事に吹っ飛ばして、ゴージャスなエンディングを華麗に迎えてしまうのでした。
そして、ここに至って、さすがは神奈川フィル!と溜飲を下げるワタクシでした。

忙しすぎの神奈川フィルの皆さん、今回は文句言ってしまいすいません。
聴く側にも夏の疲れが出てますし、次回は満員御礼の「皇帝」と「ヘルデン・レーベン」をバッチリ聴かせていただきます。

演奏終了後、退職されるファゴットの境野さんへの花束贈呈セレモニーがありました。
石田コンマスは、こんな厳粛なムードでも笑いをとってしまうんですね(笑)。
境野さん、お疲れ様でした。

そして、アフターコンサートは、新メンバーも交えて、終電まで飲みまくり。
こちらもお疲れ様でした。

Minatomirai2

こちらは、日付が変わった桜木町駅前。

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2012年10月11日 (木)

神奈川フィル定期演奏会 前夜祭

Atago5

池の縁に立っただけで群がる鯉たち。

黒いのもいますが、色合い的に目立ちませんね。

こんな鯉より、群れずに、静かに佇む姿の方がよいですな。

でも、鮮やかなもんです。

明日は、神奈川フィルハーモニー10月定期演奏会

  ブラームス   ヴァイオリン協奏曲

         Vn:シン・ヒョンス

  ウェーベルン  小管弦楽のための交響曲

  J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」

  ラヴェル     「ラ・ヴァルス」

   キンボー・イシイ=エトウ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団


  2012年10月12日(金) 19:00 みなとみらいホール

「マーラーとその時代、爛熟ウィーンへの旅」が今シーズンのお題。

J・シュトラウス(1825~1899)、ブラームス(1833~1897)、ラヴェル(1875~1937)、ウェーベルン(1883~1945)の4人。
ワルツ王もブラームスも以外ながら、思えば世紀末を生きた作曲家。
間にマーラー(1860~1911)をはさんで、シーズンテーマに合致し、どうしても玄人好みになりそうなテーマの中で、一見とりとめないながらも、有名曲もうまく配分した巧みなプログラムです。

Brahms_violin_con_mullova

ブラームスの協奏曲は、韓国女流のシン・ヒョンスさん。
若い美人ですぞ
女流先輩、キョン・ファ・チョンやサラ・チャンとの違いを確かめたいです。
で、ムローヴァは、女性演奏家にある情熱の発露はどちらかというと控えめで、クールで知的なアプローチが先行するタイプです。
アバド(当時噂のふたり・・・)とベルリンフィルの明晰で確固たるバックを得て、まっすぐピュアなブラームスのサントリーホールライブです。

Webern_3_boulez_5

12音技法に則った、ウェーベルン後期様式の名作、交響曲op21は、録音も少なめ。
難解なれど、何度も何度も聴いてゆくと、静的かつ空間美を持った音の配列に魅せられるようになってくる。
聴いてると、何もおこらないけれど、実は時間の経過を音にした10分間を過ごしてしまった自分に気がつく。
ブーレーズの冷静かつ冷徹な指揮が切れ味鋭いナイフみたいだ。
1度目のCBSへのウェーベルン全集には、この曲は入ってなかった(はず)。

Jstrauss_ormandy

ここで、J・シュトラウスのウィンナ・ワルツが演奏されてしまうことの大胆さ。
思えば、新ウィーン楽派とブラームスとシュトラウスって、大いに結びつきがあります。
12音を聴いて、その真反対の調性全開の曲とはまた刺激的なプログラム。
聴きても、演奏側も、ともに気が抜けません。
そして、今宵はウィーンとは遠いアメリカのメジャーオケのゴージャスだけど、以外に渋い演奏で。
オーマンディとフィラデルフィアの演奏は、色気や遊びは少なめだけど、とても音楽的で音楽そのもの素材のよさを味わうことができる。時としてケバいところは録音のせいかとおも思います。
旧オーストリア・ハンガリー帝国出身指揮者とアメリカンオケとの組み合わせ。

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ラヴェルのラヴァルスがここにあるのは、ウィーンのワルツつながり。
コンサートの大団円を迎えるに相応しいゴージャス演目。
華奢できらびやかな音色のオケ、神奈川フィルのラヴェルは最高なんですよ、みなさん。
絶対、絶対に、めくるめく音色の洪水とトロける甘味なる雫に全面降伏してしまうであろう明日のワタクシ。
おフランスの本場オケ(フランス国立管)とアメリカンな指揮者バーンスタインの組み合わせ。ときに粘っこい指揮者にしっかりついてゆくオーケストラだけど、最後の猛烈なる向こう見ずな追い込みには、ほとほと興奮させられます。
この曲は、ほんと、大好きでして、アバド、ブーレーズ(NYPO)、プレヴィン(VPO,LSO)、ハイティンク(ACO)、小澤、メータ等々、もちろんアンセルメ、クリュイタンス、マルティノン・・・・。往年系の演奏ばかりを好みます。

明日の指揮者は、注目の日系指揮者です。
ドイツのオペラハウスでの活躍も目立ち、準・メルクルのような存在になって欲しいと願うイシイさん&エトウさんなんです。

まだ間に合います、明日12日、横浜へ、神奈川フィルへ是非。

「神奈川フィル全演目レビューの過去記事」

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2012年10月 9日 (火)

「孤独のグルメ」

Kodoku3

おぅおぅ、なんともうまそうな肉。

テレビ画像ですよ。

これを食べちゃうのは・・・・・。

Kodoku2

井之頭五郎さん。

演じるは、個性派、松重豊さん。

ときおり、飯屋や飲み屋で読んでいた「SPA」に連載されていた「孤独のグルメ」という漫画のテレビ版でありますよ。

体育会系出身の五郎さんは、体格もいいが、舌が肥えていて、よく食べる。
でもお酒はからきしダメ。

そんな彼が、お昼ご飯を各地でこだわりをもって食べまくる、そんな物語です。

サラリーマンじゃなくって、自営の起業家。
そんな姿も描かれてます。

わたくし、さまよえるクラヲタ人も、脱サラ企業10年組です。
仲間や客人はいますが、基本は「ひとり」。
群れることを卒業して、団体で闊歩する人々とはまったく違う日々を送ってます。

ですから、酒を飲まない点をのぞいては、まったく自分の姿を映し出すような五郎さんに、おおいに共感してるんです。

テレビの全12話は、ネットで検索すると全部見れますよ。

もう、最高っ!

即、食べたくなる名品ばかり!

女性には行けそうにない店ばかりの、男ひとりの世界だ。

Kodoku_gurumet

特別編集版の漫画も読みましたよ。

路地裏大好きだ。

そして、10月10日 PM11:58から、テレビ第2弾が始まります。

ここで紹介されると、その店はブログ記事多数、人気店がさらにすごいことになってしまうそうな。

そんな有名店でなくとも、わたしも、みなさんも、それぞれ、自分ひとりで楽しみたいお店をきっと持っているのではないでしょうか・・・・。

あぁ~、なんか腹減っちゃった。。。。

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2012年10月 8日 (月)

「わたしも猫になりたい」ぞっ、とな

Taitouku

ごろごろにゃ~ん

いいなぁ、にゃんこは気ままで

Taitouku2

いいマーブルカラーしてるね。

このいい味だしてるにゃんこは、たくさん遊んでくれましたので、また次の機会に。

頭の中が、「ピーター・グライムズ」しちゃってるし、たまに家にいると忙しいので、今日はとりわけ、にゃんこが羨ましいワタクシなのでした~。

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2012年10月 7日 (日)

ブリテン 「ピーター・グライムズ」 新国立劇場公演

201210shinkoku_1

久しぶりの新国立劇場。

我慢できずに駆けつけました。

新シーズンオープニングの「ピーター・グライムズ」。

英国音楽、ブリテンの音楽が大好きなわたくしですから。

数年前、尾高さんが札幌交響楽団で演奏会形式上演を行ったとき、チケットを購入しておきながら、家庭の都合で行くことができなかった。
その尾高さんが上演にこだわった「ピーター・グライムズ」は、尾高さんも首の持病でピットでの指揮が叶わなかった・・・・。

今回の、R・アームストロングは、英国の本格オペラ指揮者。
キリ・テ・カナワをはじめとする名歌手たちのソロCDによく名前を見ることができます。
文句なしの指揮者と歌手を揃えていただきました。

201210shinkoku_2

エントランスの勅使河原茜作のお迎えの花。

英国舞台芸術フェスティバルの一環でもあって、背景にユニオン・ジャックがうかがえます。

Britten_peter_grimes_shinkoku

      ブリテン  「ピーター・グライムズ」

 ピーター・グライムズ:ステュワート・スケルトン 
 エレン:スーザン・グリットン
 バルスロード船長:ジョナサン・サマーズ  
 アーンティ:キャサリン・ウィン=ロジャース
 姪1:鵜木 絵里                               姪2:平井 香織
 ボブ・ボウルズ:糸賀 修平         スワロー:久保 和範
 セドリー夫人:加納 悦子          ホレース・アダムス:望月 哲也
 ネッド・キーン:吉川 健一          ホブソン:大澤 建

   リチャード・アームストロング指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                        新国立劇場合唱団(三澤洋史指揮)

      演出:ウィリー・デッカー
      
      芸術監督:尾高 忠明

      ※ベルギー王立劇場の上演よりレンタル

                     (2012.10.5 新国立劇場)


思い立って出かけた金曜の夕方。18:30からの上演。
16:30に劇場に到着し、当日券を確認すると、2階席センターの思いのほか良席を確保できました。
まともな昼食をとってなかったので、オペラシティのインド・カレー屋さんでビールとカレー。
そして劇場入りすると、かなりの空席。
オープニング公演にも係わらず、他日もチケットはまだかなり残っている様子。
ブリテンのオペラはまだまだ馴染みないのでしょうか。
幕間での話し声を盗み聴きましたが、「こんなの普通聴かないよ・・・。」

わたくしは、ちょっとがっかりでしたが、きっとそんな風に思っていた方々も、ブリテンの音楽の素晴らしさと、社会派としての問題提起と人間への愛にあふれた劇作の鋭さ、そしてなによりも全スタッフが全霊をかけた高品質な舞台に接して、きっと感動につつまれたのではないのでしょうか。

16作あるブリテンのオペラのうち、2番目の「ピーター・グライムズ」で自国を舞台にしたシリアスな作品でもって、世界に英国オペラの地位を確立したといっていい。
大オーケストラに合唱も加え、グランドオペラ的な性格も。
しかし、一番の特徴は、ブリテンが常にテーマとしている、社会的存在からの除外者とそれを生む社会への警告。
そして、キリスト者としての優しい目線。
また、ここでは「海」も主役のひとつ。

演出のウィリー・デッカーは、ザルツブルクの「トラヴィアータ」を映像で見た程度で、装置はほとんどなく、静かな人物描写のみが印象的だった。

以下、舞台の様子に触れますので、今後観劇の方ネタバレ注意です。

背景に海の荒天を想起させるスクリーンを配置し、舞台はピットに向かって傾斜がつけられ、左右の黒い壁が広がったり狭まったりして、巧みな空間処理ができる仕組み。
それ以外は、椅子やテーブル程度で、モノトーンのすっきりした舞台。
閉塞感と逃げ場のない緊張感、変わることのない背景は小さな村社会をそれぞれ表現していたように思う。
終始そうした場面設定で行われるプロローグと3つの幕。
1幕と2幕の間に休憩。
休憩もあっという間に感じられる、密度の濃い上演でした。

プロローグ
 軽快な木管のユニゾンで始まると、そこは村の集会場と思しき場面で、どうみても座れそうにない座高の高い椅子がおかれ判事スワローが飛び乗り、弟子の死に関しピーターを皆で問い詰める。
この冒頭からもう、村のアウトロー、ピーターは、1対数十人の動きとして、完全に浮いた状態として描かれていて早くも異常な村の体質と頑迷なピーターという印象を植え付ける。

間奏曲1~夜明け(ここでは幕が降りたかどうか覚えておりませんが、各幕や場に設けられた6つの間奏曲では、幕が降り、オーケストラの演奏にじっと耳を澄ますことになります。

第1幕
 教会か集会場のような整然と客席に向かって椅子が組まれたスペースに三々五々、人々が集まってくる。手に紙か~聖書のような書であろうか~を持って歌う。
漁をするために、徒弟を孤児院から連れてくるというピーターの考えに、皆が拒絶反応を示し、ピーターを集団の動きでもって追いつめて行く・・・。
そこに割ってはいるエレンは、聖書の「わたしたちのうち罪のないものがまず石をなげるがよい」との言葉を引用してピーターをかばうと、村人は一気に退いてしまう。
こうした人々のメリハリのはっきりした動きの扱いが実に見事だし、怖いものがある。
このエレンの感動的な歌は、聖歌風のテイストもあって、感動的でほんとうによくできている。

間奏曲2~嵐 鳥肌がたつカッコよさ!

 居酒屋ボーア亭を外を仕切る巨大なドアでもって表現。

Pg_london
 (モネ劇場のサイトより)

卑猥で粗雑な酔った村人の中、ピーターがドアを急に開けて入ってくる。
そこには後ろからスポットがあてられ、いかにも浮いた存在に。
(よく知らない場所で、思いきって初めての小さな小料理屋さんの扉を開けたりすると、一瞬シーンとしてしまうのに似てるあの感じ~笑)
大荒れの外、突然の余所者の来訪の陰鬱を晴らそうと「年寄りジョニー」の陽気な歌が歌われるが、その時にダンスの振り付けも面白い。
やがてやってくる少年ジョンの登場も、さきのピーターのときと同じような運命的な現出の仕方だった。

                休憩

間奏曲3~日曜の朝 鐘のモティーフが爽やか

第2幕
 左右の仕切りが真ん中ですぼまり、その先は教会という設定。
人見知りするジョンは、エレンが構おうとすると逃げてしまい、壁にくっついてしまうピーター2世みたいな人を受け付けない様子。
本来ジョンのセーターを編み物している場面だが、舞台はなにもなく壁のみ。
教会の中からは讃美歌が聞こえてきて、エレンはジョンに新しい生活を説き、少年も心を開きエレンに飛び込む・・・、しかし少年の首にあざを見つけ、また暗い陰りをエレンは感じる。
そこへピーターがやってきて、ジョンを漁へと連れていこうとするが、安息日だし休みを取らせなさいと止めるエレンとの間でひと悶着を起こし、少年を担いで出ていってしまう。
これに気付いた村人たちはエレンに尋問し、ピーターの所業を聞き出そうとするが、まるでエレンを犯人扱いするかのような厳しい演出。
ピーターの家へ押しかけようとする男衆は抗議デモのようにホブソンが太鼓を叩きながら舞台左端から行進してゆく。
こうした打楽器の巧みな使用と、聴く側を興奮させるリズムは、ブリテンお得意の技。
男だけのオペラ「ビリー・バッド」でも凄い効果を発揮している。
 それに対比するかのような、女4人による重唱は、思わずホロリとくるメロディアスで哀しげな雰囲気。身勝手な男たちに翻弄される女性たちへのブリテンの優しい目線であります。

間奏曲4~パッサカリア、ヴィオラの虚しい旋律からやがて厚みをまして壮大な音楽に

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 (コヴェントガーデンのプロダクションより)

斜めになったピーターの家には、大きなベットがひとつ。
支度に急きたてる無常なピーターに怯える少年は見ていて気の毒だ。
しかし、家庭を築く夢などを優しい口調で歌うピーターに少年も打ち解けて、抱きついたり飛び乗ったりして、観衆は少し心なごませる。
各場にあるピーターのモノローグだが、この場ほど、喜怒哀楽が激しく長大なものはない。
スケルトンは、もうこのあたり乗りに乗ってすさまじかった。
やがて、人々の行進のざわめきが・・・。
焦ったピーターは部屋の隅にある穴から、少年を崖ずたいに下らせ船に行かせるが、やがて長い悲鳴が聞こえ、転落してしまったことがわかる。
あとを追って姿を隠すピーターのあと、村人が潜入しひと気のない部屋を確認して立ち去る。
そのあと、ピーターは赤いセーターを着て動かなくなった少年を抱えてベットに降ろし、途方にくれる。静かで不気味な幕切れ。
 (原作では、ピーターは戻らず姿を見せず、彼の理解者たるバルストロードのみが部屋に残り、ピーターの後を追うことになっている)

間奏曲5~夜の海、月明かり・・・・目を閉じて聴いていたら涙が出てきた

第3幕
 あの日から3日後の夜、お馴染みの先が閉じる仕掛けの集会場の中では、村人たちが飲んで歌っての乱痴気ぶり。
全幕の流れからのあまりの急転直下ぶりは、「ヴォツェック」と同じく、ひとりの部外者の悲劇とは関係なしの場所にいる無関心な人々との対比を鮮やかにするもので、ブリテンの見事な手腕に感服。
女性は赤、男性は黒の服で、頭には家畜や動物のかぶりもので、群れとしての存在。
ここでもユニークなダンスが隙間から垣間見られ、卑猥な動きもあります。
 スノッブな噂好きのオバハン、セドレー夫人の活躍。
赤いセーターを見つけたエレンとバルストロードの会話を盗み聴きして、ピーターの犯行を吹聴してだんだんと騒ぎを大きくしてゆく。
その証拠品セーターを早く隠せばいいのに、ついにみんなに取られてキャッチボールのように残酷にも投げ渡されてしまい、おろおろするエレン。
人々は十字架までも登場させ、エレンに迫りまくる。
クレッシェンドして興奮高めて行く音楽。
耳と心を震撼させる「ピーター・グライムズ!!」と叫ぶ人々の声とエレンに迫る恐怖。
恐ろしき群集心理を激しく描いてやまない演出。
 (エレンのグリットンの歌う刺繍のモノローグは、悲しくって涙さそう名唱)

間奏曲6

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 (モネ劇場のサイトより)

疲れ果てたピーターが上着を抱えながら舞台奥から登場。
錯乱状態に陥ったピーターは、色んな想いにとらわれていて、海の悪霊や「年寄りジョニー」を口ずさんだりする。
何もない舞台に、荒涼とした背景にピーターひとり。殺伐とした光景は印象的だ。
遠くで響くピーター探しの声。
やがてエレンとバルストロードがあらわれ、エレンの救いの言葉も耳にはいらない。
「さぁ行こう、船の準備をしよう」というバルストロードに、エレンの「NO!」
「陸が見えなくなったら、沖で船を沈めるのだ。お別れだピーター」
歌わずに静寂の中で語られるこの最後の場面。
ピーターは、バルストロードの胸に手を置き、一人背を向け去ってゆく。

嗚咽するエレンひとりを幕前に残し、いったん幕が降りたあと、そこは集会場で、エレンとバルスロードの席を残し、村人がじっと座っている。
音楽は静寂から、夜明けの間奏曲の旋律。
ピーターの上着は傍らに脱ぎ捨てられたまま。
沖で沈没船があるとの報もあるが、もう助けられない、どうせまた噂でしょ・・・。
無表情に、白い紙を顔まであげて「海」を歌う。
バルストロードに続き、やがてエレンも席に着くが、彼らは最後まで白い紙を顔にまであげることはせず、印象的に曲を閉じる。

                   

(最後の場面、原作では、ピーターが沖に出るのを手伝う二人で、浜辺で別れを交わす。
それと人々は、朝を迎え、日常生活の準備中で、やがていつもと変わらない毎日がまた始まるという設定になっています)

幕が降りて、わたしは感動のあまり、拍手もできず固まってしまいました。

幕が開くと、体当たりの熱演をしたスケルトンがひとりカーテンコールに出てまいりました。

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 (今年8月のプロムスでのスケルトン)

スケルトンは、パルシファルを聴いたことがあるが、こんな没頭的で個性的な歌手だとは思わなかった。今年のプロムスでのピーターも際立っていたスケルトン。
こんどはジークムントあたりを。
スーザン・グリットンは、シャンドスの英国ものでは必ず登場する名ソプラノで、同情に満ちた暖かい歌唱と英国歌手ならではのクリアボイスが実に魅力的でありました。
サマーズの毅然としたバリトンも、英語圏特有の高貴さと力強さを感じるバリトン。
最後のピーターへの別れの台詞には泣けました。
酒場の女将アーンティの複雑な豹変ぶりを歌ったこれもまた英国のウィン・ロジャースもよい。
定評ある日本人組も存在感たっぷりで、憎まれオバハンを歌った加納悦子さんのなりきりぶりが目立ちました。

先にふれたアームストロングの指揮は、この日好調の東フィルから、前半は固かったものの、シャープでブリリアントなブリテンの音色を見事に引き出してまして、間奏曲は曲を追うごとに凄いことになっていきました。

ごてごてと飾らないデッカーの舞台演出は、求心的なブリテンの音楽にぴたりと合っているように思えます。よけいな動きや解釈を施さなくても、音楽だけの力で、人々の群集心理と、個々の人物たちが追いつめられてゆくさまを描くことができるという典型に思います。

共同制作でも、レンタルでも構わない。
質の高い、先端の上演を確実にキープしてもらえるなら。
お金のかかるオペラだからこそ、知恵をふりしぼって、上演本数を確保してほしいものです。

来年は、ブリテン(1913~1976)のアニバーサリー・イヤー。
新国でも、もしかしたら、「真夏の夜の夢」や「ねじの回転」、「カーリュ・リヴァー」などのどれかが体験できるかも。  

 ピーター・グライムズ 過去記事

 「ハイティンク指揮 コヴェントガーデンCD」

 「ラニクルズ指揮 メトロポリタン ライブビューイング」

 「ガードナー指揮  スコテッシュ・オペラ プロムス2012」

 「ラニクルズ指揮 サンフランシスコオペラ 4つの海の間奏曲」

 「ビエロフラーヴェク指揮 BBC響 4つの海の間奏曲」

 「マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団 4つの海の間奏曲」

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2012年10月 5日 (金)

H・メニングハウス ヴィオラ&室内楽リサイタル

Musicasa

コンサート前の静けさ漂うホールです。

緊張と期待の高まる瞬間。

こちらは、代々木上原にありますMUJICASA(ムジカーザ)という音楽専用ホールでして、室内楽やピアノ演奏で、その立地のよさとともに、優れた音響にて定評ある場所です。

バイエルン放送交響楽団の主席ソロ・ヴィオラ奏者のヘルマン・メニングハウスのソロと室内楽コンサートに行って参りました。

Menninghaus_2012

    ヒンデミット   「葬送音楽」

    ブラームス   ヴィオラ・ソナタ第2番

    ブリテン     「ラクリメ」~ダウランドの歌曲による投影

    ブラームス   ピアノ四重奏曲第1番

   
     シューベルト  「万霊節の連祷」  (アンコール)

    ブラームス   ピアノ四重奏曲第1番 終楽章コーダ (アンコール)

              Vla:ヘルマン・メニングハウス

            Pf:諸田 由里子

                         Vn:水谷  晃

            Vc:山本 裕泰

                                                        (2012.10.04@ムジカーザ)

メニングハウスさんは、バイエルン放送響の前はカラヤン治世下ベルリンフィルの史上最年少のメンバーの第一ヴァイオリン奏者という超一流の経歴の持ち主。
カラヤンのBPO、ヤンソンスやマゼールのBRSOの映像にきっと映っているでしょうね。

 そして、われらが神奈川フィルのソロ首席の山本さんに、奥様の諸田さん、群馬響の若きコンマス水谷さん。
メニングハウスさんの要望による合わせものに高い信頼感ある諸田さんに、日本オケの名手たち。
独日練達のブラームスをこれから深まる秋に聴く妙。

後半ばかりに期待していたらとんでもない。
 思いのほか、メロディアスで哀悼の念が滲み出たヒンデミットの曲は、英国滞在中に遭遇した国王ジョージ6世の逝去に伴って書かれた桂曲。
滴るようなヴィオラの豊かな音色にびっくり!

この日は、終始、声量豊富なバリトン歌手の歌声を耳元で聴くというような贅沢な案配でありました。

次ぐブラームスのヴィオラソナタは、その第一音から、ホンワカしみじみとしたブラームスの旋律に心の底から、「ああええなぁ~、これだよこれっ」と思いましたね。
そして諸田さんの、そのお姿からは想像できない、構えの大きなピアノ。
メニングハウス氏のヴィオラとともに、ブラームス特有の呼吸感と豊かな足取りを感じることができました。
それにしても、この曲、クラリネットでのソナタもいいけれど、ヴィオラの人声に近い緩やかな親近感には至福の思いを感じます。
暑い夏も終わって、空気も澄んできたから、よけいに感じるその思いです。

さて、前半最後は、わたくしのファイバリット作曲家のブリテン。
この演目はアナウンスされてなかったので驚きでした。
そして初聴きの曲でした。
シビアで取っ付き悪いブリテンの器楽曲ですが、最近は無伴奏チェロ組曲にはまってます。
技巧の限りを尽くし、これといった旋律もないまま、リズムと断片的な感覚のみで曲が進行してゆくのは、ブリテンお得意の世界で、いずれその緊張が高まった時に、思い切り感動的なフレーズやメロディが現出するのがブリテンワールド。
緻密な劇音楽でもその力量は全開で、ブリテンのオペラにはまるとわかっちゃいるけど、やられてしまう感動の常套手段なのだ。
それらがそっくり、この曲にもあてはまり、最後の場面にいたって、ジョン・ダウランドの「あふれよ我が涙」の名旋律が滔々と奏されるのでした。
あまりの感動に、涙が出てしまいました。
帰宅後、調べたら弦楽合奏を背景にした演奏のCDを持っておりました。
心震わす、素晴らしい音楽に、あまりに豊麗かつ劇的なメニングハウスさんのヴィオラでした。

これを聴いて、封印していたオペラ鑑賞への思いがふつふつと湧き上がったのでした。
新国の「ピーター・グライムズ」にございます。

涼しい夜気にあたり、後半はいよいよブラームスのピアノ四重奏。
交響曲みたいな存在の大きなこの曲、ご存知のとおり、シェーンベルクがオーケストラバージョンに編曲してまして、まばゆい世紀末音楽へと変身させております。
そちらは、今シーズンの神奈川フィル定期で、下野さんの指揮で演奏予定でして、山本さんもチェロ主席の座で、再度いどまれることでしょう。

この熱く若い情熱が詰まったようなブラームスの曲に、4人の名手たちは渾身の力を込めて演奏してました。
みなぎる若さ全開の水谷さん、豊麗極まりないメニングハウス氏、硬軟見事な諸田さん、そして山本さんのチェロはいつもながらの人情肌の温もりあふれる音色でもって、メンバーたちと目を配せあいつつ、和の中心として核たらんたる存在でした。
2楽章と3楽章で、お外は雷鳴と雨音。
そんなナイスな効果音とみなぎる緊張感は、今宵の演奏を後押しするかのようでした。
あの緩やかかつブラームスらしい毅然とした3楽章を聴きながらの雨音は悪くないものです。
そして皆さんを拝見していて、そして「来るぞ~」と期待していた終楽章のジプシー風暴走特急に手に汗状態のワタクシにございました。
若いお兄さんブラームス、キターーっ、ですよ、まったく。

アンコールは、シューベルトの歌曲から。
こんな曲を聴いちゃうと、ヴィオラはまさに人声、バリトンです。
こんなに歌いまくることができるヴィオラって、いったい・・・・・・・!!

最後の最後は、再度嬉しい、暴走特急。こっちもさらにすごかった。

コンサートがはねたら、外はまだ雨。

出口でご挨拶して・・・・・。

ご一緒した皆さんと、近くのチェコ料理のお店「セドミクラースキー」へ。

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チェコのビールに、珍しいチェコのお料理。

ブラームスに続いて、ドヴォルザークも聴きたくなる雰囲気にございました。

Sedmikrasky_1


素晴らしい演奏を聴かせていただいた4人と、ご一緒した仲間に乾杯です。

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2012年10月 1日 (月)

招き猫だらけ

Manekineko_himeji

どっかーーん。

右手(足)は金運。

左手は招客。

こちらは、お寿司屋さんのカウンターに鎮座した招きにゃんこ。

ワタクシは、この猫の正面でサシで飲んだのでした。

9月29日は、「招き猫の日」でした。

当日のブログにも書きましたが、「来る福」という語呂合わせです。

Manekineko_kitashinchi

こちらも、お寿司屋さん。

左手はマグロで、右手は鯛の提灯持っちゃってますよ。

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飲食ビルのエントランスからにょっきり顔出す招きにゃんにゃん。

こちらも右手。

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ゴールド招き猫は、わたしの事務所におりました。

リアルにマネーですぜ

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浅草の仲見世裏の招き猫屋さんのなかで、一番ゴージャスなにゃんにゃん。

招客、招福、金運、全部お招き中だ。

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これがそのショーウィンドウ。

ニャハハ~

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こちらは、お正月の川崎大師。

めでたすぎるぜ

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従姉妹の形見・・・、いまは事務所にいます。

招喜屋の可愛いにゃんこです。

福よ、いいかげんに来いや

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