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2012年11月

2012年11月30日 (金)

ベートーヴェン 交響曲第4番 ケンペ指揮

Queens_1

冬のイルミネーション時期を迎えております。

省電力光輝度のLED製品の充実と浸透により、節電と自粛のムードは少し遠のいた感があります。

寒い冬には、心も目も暖まるキレイなイルミネーションは必要と思います。

クリスマスとお正月をピークに、そのあとは一挙に寂しくなってしまうのも考えもの。

さらに、今年特に思うことは、東京の繁華街ばかりの異常な明るさ。

なにもかも東京という図式は今に始まったことはないけれど・・・

でも、こんなグリーンやブルーの彩色のツリーやイルミは落ち着きます。

Beethoven_kempe_1

  ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調

   ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1973.4 @ミュンヘン)


ケンペのベートーヴェン全集は、レコード時代、何の予告もないままに、忽然と姿をあらわした驚きのセットだった。

世は、オイルショックによる世界的な不況の時期で、レコード業界も節電からレコーディングが減少したし、製品も原料節減からカッティング枚数が減り、しかもペラペラの薄いレコードとシングルのジャケットばかりとなった時代。

ケンペはドレスデンとのR・シュトラウス全集が出て、大いに名を上げたが、いまもって地味な存在で、そんなケンペがいきなりベートーヴェン全集を出してきた。
しかも、オケはドレスデンでなく、地味なマイナーオケだったミュンヘンフィルだったのだ。

ミュンヘンフィルは、73年の札幌五輪(夏季がミュンヘン五輪)のときに来日したが、当時はクナのレコードぐらいしかなくて、あまり知られていないオケだった。
ケンペは来ずに、ノイマンが来る予定が病気で不可となり、F・リーガーがやってきた。
だから余計に地味な感じが・・・・。

レコード時代は、まともに聴けなかったこの全集を、CD化になってようやく全貌を把握できたのが10年前でしょうか。
ケンペの真摯な生真面目さと、オペラ指揮者ならではの硬軟自在の柔軟さ。
ワーグナーとシュトラウスはたくさん聴いてきたなかで感じられた、過度な表現を排しながらも、実に豊かな音楽性と知性を感じさせる落ち着いた音楽が、ここに並々とあることをしみじみと痛感したのでありました。

いま、4番のみをこうして聴いてみても、まったく当時の思いと同じです。

酸いも辛いも、まだまだこれから味わわなくてはならない年頃ですが、それでも人並み以上の辛酸をなめつつある途上のわたくしの心に響くシンプルかつ豊かな4番。
第2楽章のクラリネット独奏にたおやかにまとわりつく弦の何気ない美しさや、ピチカートひとつに、なんだかとても心奪われてしまうのでした。
それほどに、細部に美しいヶ所を見つけることのできる桂演でした。

一方で、カルロスなみの快足調の3楽章は、ダイナミクスも豊か。
肝心の1楽章の大らかなる歩みは、今回チクルスの穏健演奏の確固たる場面です。

終楽章は演奏時間こそ繰り返しなしで5分ですが、とてもゆったりと堂々たる表現。

ブルーからグリーン系のピュアで気持ちのいいケンペのベートーヴェンでした。

1807年の完成。英雄から3年後、第5・第6と連続して書かれた時期。
自己顕示欲あふれる兄弟にはさまれながら、美しさと健気さだけが取り柄でない、しっかりした妹みたいな交響曲。

けっこう好きです4番。

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2012年11月29日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 マリナー指揮

Tokyo_tower_201211

冬の寒気が入った11月のある晴れた日の東京タワー。

やはり、東京にはなくてはならないこのタワーの居住まいの正しさ。

キリッとしてます。気持ちよかです。

Beethoven_sym3_marriner

  ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 変ホ長調

     サー・ネヴィル・マリナー指揮

           アカデミ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                      (1982.6 ロンドン)


写真にもお似合いの、気持ちいい爽快「エロイカ」を。

わたしのフェイヴァリット指揮者のひとり、ネヴィル・マリナーの指揮する、いわゆるアカデミー室内管弦楽団の演奏で。

重厚でもなく、淡白でもなく、ベーレンライターでもなく、ピリオドでもなく、ごくごく普通のエロイカ。
英国紳士が、何のこだわりもなく、見通しのいい、ちょっと小ぶりの編成のオケで、サラサラっと演奏してしまった感のあるエロイカ。

いつもマリナーのことを、あっさり君とか、さらさら、とか言ってしまい、そこが大好きっと言い放つワタクシですが、ここでも半ば同じことが言えまして、楽譜を真っ正直に音にして、さらに、歌い回しも過剰にならずに、最低限にとどめる劇性は、何度も繰り返し聴くのに、まったくほどいい按配。
2000年くらいまでは、そんなマリナーの美質が、この手兵との演奏の数々では毎度いえること。
昨今のN響への客演や、スペインのオケとの共演などでは、劇性とメリハリをかなり増して、驚くばかりのダイナミズムを効かせた演奏を披歴するようになった。
長老巨匠として、行き着いた境地なのだろうか。
小粋な演奏を聴かせる一方で、ベートーヴェンやブラームスに熱い想いをぶつけるような強い音を鳴らすようになった。

それもこれも、愛すべきマリナーなのですが、本当は、それ以前のいわゆる、アッサリ君のマリナーの方が、かねてよりのマリナー、親しんできたマリナーなのかなと思うワタクシなのです。

そんな思いが、しっかり叶えられる音源のひとつが、フィリップスレーベルへのベートーヴェンです。
先に述べたような印象が全部聴いてはおりませんが、しっかり味わえますものの、それゆえ個々に、ベートーヴェンの音楽の作風変化もこうした演奏だからこそ、ちゃんと味わえます。
妙に、先鋭的になったり、これみよがしにグワッーっと鳴ったりすることもなく、中庸の枠組みのなかに、室内オケ的な見晴らしの良さと独特なリズム感が実によく生きてます。
普通誰もここがいいと言わないであろう、3楽章が何故か、むちゃくちゃ素晴らしかったりしました。
快速テンポでスイスイ進むスケルツォは、ピリオドのようなせわしなさはなく、軽快そのもの。オケの小回りの良さも特筆もので、こんな気持ちいいエロイカ3楽章はないです。
 連続する終楽章も、ノリの良さは抜群で、やはり快速急行。
各変奏場面、フルートソロに刻まれる背景オケの軽やかさは、透明感にそのまま通じるもので、終始爽快に、薄目に、快調に運ばれ、一気に最終を迎える寸法だ!

繰り返しを励行した1楽章は17分の長さだが、明るく俊敏で、健康的。
2楽章でも、テンポは落としつつも、透明感を保ちつつ終始重たくならないスマート葬送行進曲だ。

約50分の演奏。
少し軽めな印象に書いてしまいましたが、これはこれで、音楽する喜びと、それを受け止め聴く喜び、双方がナイスな気分になる、ある意味内容の豊かなベートーヴェンだと思いますよ。
あれこれガチガチに考えず、ベートーヴェンは、ときに、軽やかな気分で演奏することも大事ではないでしょうか。

1804年の作。革新さと巨大さ、ナポレオンにまつわる逸話。
そんなことは、あまり気にせずに、交響曲第3番な演奏がマリナーでした。

マリナー&アカデミーのベートーヴェンは、なかなか入手難でして、わたしもまだ6曲しか聴いてません。
タワレコあたりが、全集として復刻する予感ありですよ。

Marriner1jp

マリナーの過去来日公演の様子~レコ芸より

過去記事~「マリナーの第9」

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2012年11月28日 (水)

ベートーヴェン 交響曲第2番 モントゥー指揮

Morioka_momiji_1

真冬なみに寒くなったけれど、本来はまだ味わえる紅葉。

地面に敷き詰められた鮮やかな紅葉は、息をのむほどに美しいです。

こちらはだいぶ前の、盛岡の城址公園にて。

ちょうど今頃。

Monteux_1

  ベートーヴェン 交響曲第2番 ニ長調

   ピエール・モントゥー指揮 ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

                     (1959 ハンブルク)


こちらのCDジャケットは、高名なる作品、その名も「春」で、冒頭のわたしの写真とは正反対の季節となりました。

今は亡き、会員制レコード頒布組織「コンサート・ホール・ソサエティ」が、CD時代になってほんの数年復活し、またすぐに消滅してしまった。

1枚350円でまず会員となり、毎月断らない限りは送られてきてしまう、正会員は1350円のレコード頒布会組織。(ステレオでなくモノラルで選択すると1150円という不思議)

マガロフのチャイコフスキーのピアノ協奏曲でもって入会し、毎月のお小遣いで、少しばかりですが揃えました。
見知らぬ演奏家たちに混じって、モントゥー、シューリヒト、ブーレーズ、スワロフスキー、クリップス、ワルベルク、グルダ、ペルルミュテール、フルニエなどの名の知れた演奏家たちの音源も豊富で、いまや復刻の目玉ともなっていますね。

さまクラ・ベートーヴェン交響曲チクルスの第2番は、そのコンサートホールレーベル録音から、モントゥーの2番です。

デッカに録音した一連のベートーヴェンの中では、2番はロンドン響とのもので、そちらは1960年。
そしてその1年前のハンブルク録音は、4番とのカップリングで、その4番もほぼ同じ頃のロンドン録音。
残念ながら、その聴き比べはできておりません。

しかしながら、こちらのハンブルク北ドイツ放送響との録音では、驚くほどの活気と活力にあふれていて驚きます。
今回のチクルスは、自分で「穏健シリーズ」なんて名付けておきながら、久しぶりに聴いたモントゥーの演奏が、元気あふれるものでしたから、困っちゃいましたよ(笑)。
よくいわれる、CHレーベルの録音のもこもこ的なイマイチ感。
こちらでも感じ、それゆえ、一聴、田舎弁混じりのオケの音色に思われますが、よく聴けばマスタリングの成果もあって、隅々まで、実によく歌わせて、生き生きと弾んだ音楽に仕上がっているんです。
2楽章の可愛い抒情性は、ほのぼのと、でもかなり明晰に描かれていて、音楽はどこまでもくっきりとしていて見通しがいい。
ともかく気持ちいい。
全曲に渡って、躍動感にあふれた疾走感あるベートーヴェンです。

好々爺モントゥーの小粋なベートーヴェン。
実にイイと思います。
併録の4番も、同様に、楽しく麗しく、流麗です。

1802年の作曲。
交響曲での番号は若くても、作風は中期のものへと移行しつつあったものの、この曲があの「ハイリゲンシュタットの遺書」の頃のものとは思えない、聡明さとくったくなさを持っているところが不思議です。
ピアノソナタでは、16番や「テンペスト」、18番などの桂作が生み出された頃。
交響曲でのフレッシュ感に対し、少し大人のベートーヴェンがそちらの分野では聴かれるような気がします。

この曲、昨今ともかく第2楽章が好きです。

あとこの曲では、以外にもノリントンのピリオド演奏もばっちり楽しいです。

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2012年11月27日 (火)

ベートーヴェン 交響曲第1番 アバド指揮

Kanzakura

芝公園でみつけた寒桜。

花振りは、小さいけれど、しっかりと中身が詰まったような花。

そして、ピンク、薄桃、白、薄緑の各色を愛でることができます。

秋空に映えて、とても美しいと思いましたね。

Beethoven_sym14_abbado

  ベートーヴェン 交響曲第1番 ハ長調

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1988.1 @ウィーン)


晩秋がなくって、いつのまにか冬、それも本格的なものに突入してしまった感があります。

ベートーヴェンの1番って、フレッシュなイメージに塗りこめられているから、春のスタート時期か、または欧米では9月の新シーズンの開始に相応しいイメージがあります。

1800年頃に書かれた第1交響曲は、よくいわれるように、ハイドンとモーツァルトの音楽、とりわけ先達の交響曲の影響下にあるとされます。
モーツァルトはすでに9年前に亡く、ハイドンはまだ存命中ながら、交響曲から卒業して5年。
まさに、若き30歳のベートーヴェンの時代を自ら開いた初々しい1番の交響曲。

「運命」「田園」「英雄」「第九」ばかりの小中時代の音楽聴き始め。
それもカラヤンとダイアモンド1000シリーズの廉価盤ばかりの1970年の自分。
まさにその年は、ベートーヴェンの生誕200年と、大阪万博の重なった目出度い年。

自分では人気薄だった1番も、その年に聴きました。
確か、フジテレビが株主だった分裂前の日本フィルの日曜朝のクラシック番組で聴いたはず。
指揮は、渡辺暁雄か、手塚幸紀。
モーツァルトのジュピターとの相似も解説で述べられてました。
全然ベートーヴェンじゃないじゃん・・・と少年心に思ったものですが、長じて聴いて思う、この交響曲の愛らしさと潔癖なまでの清潔さ。
辛くて、悩み一杯のベートーヴェンのお顔はまったくうかがえません。

CDも、今日は、そんな初期モードの緩やかさに満ちているアバドの1回目の全集から選択してみましたよ。
50代の活力みなぎるアバドは、どこをとっても自然体で、にこやかな指揮ぶりが思い浮かぶようです。
加えて、ウィーン・フィルの青竹のような新鮮な響き。

演奏会だったら、これを前半に、後半は、マーラーの1番あたりを爽快に聴いてみたくなるような演奏であります。

この1番を皮切りに、ベートーヴェンの交響曲チクルスを始めますよ。

東京では、旬のヤンソンス&バイエルンのベートーヴェンの全曲演奏会もおこなわれてます。
コンサートに行けないわたくしは、ヤンソンスの全集はのちの楽しみとして、CDで9曲、バラバラの演奏で聴いてみたいと思います。
途中、別な曲も入りますが、「穏健シリーズ」が切り口ですよ。

Kanzakura_2

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2012年11月26日 (月)

危うし、にゃんにゃん

Karasu_1

にゃんにゃんに忍び寄る悪いカラス。

Karasu_2

全然気がついてないのか、はなから無視なのか。

余裕の顔繕いのにゃんこ。

Karasu_3

このカラスの野郎は、なかなかしたたかで、にゃんこが振り向くと、さっと知らんぷり。

続きは動画で。

鞄が重くて、カメラが上下しちゃいまして、見にくくて恐縮です。

意外と何も起きなかったりしますが、このにゃんこは、なかなかの大物ですよ。

次回この続きの画像をお届けしましょう。お楽しみに~

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2012年11月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー 第285回定期演奏会 金 聖響指揮

Landmark

ランドマークプラザのツリー、今年は、デビュー40周年、「Yuming Tree」。

Landmark4

ハートには、ユーミンの歌がメロディとともに書かれておりますよ。

誰しも、思い出をきっと持ってるユーミンの歌を心に浮かべながら、みなとみらいホールへ向かいましたよ。

Kanaphill_201211

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:ゲルハルト・オピッツ

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」


      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

              (2012.11.23 @みなとみらいホール)


たくさん埋まった休日の定期公演。
前半は、皆さま待望のオピッツを迎えての「皇帝」。
わたくしにとって初オピッツ。

ステージに登場したオピッツさん、ふくよかな大きい方で、にこにこといかにも感じのよさそうな雰囲気ですが、やはり一流奏者としてのオーラを感じさせるものが早くもありました。
でも、白いお髭でサンタさんみたい(いつもいい香りで惑わされるシュークリームのオジサンも)と思ったわたしはいけませんかね。
鎌倉にも居をかまえて、日本滞在を楽しむ親日家のオピッツさんに、登場した瞬間とても親しみを覚えました。

そして冒頭弾き始めから驚いたそのしなやかなタッチと音色の美しさ。
まったく予想外でした。
ドイツ本流筋という認識にあったものですから、がっちり堂々たる威容でせまりくるピアノを想像してました。
たしかに、フォルテや早いパッセージなどは、余裕のある強い音をしっかり響かせてますが、それらも含めて、音の表現の幅がとても大きく、聴くわたしたちに、ともかく安心感を与えてくれるピアノ。
そんな柔軟でリリカルなピアノの響きが最高に美しかったのは、第2楽章。
歳を経て、ベートーヴェンの緩徐楽章に魅力を感じ始めました。
そんな思いを優しく包んでくれる包容力と内省的な語り口に溢れた素晴らしいオピッツさんの演奏でした。もう、涙が出そうになりましたよ。
この人のピアノでなら、シューベルトは間違いないでしょうね。
ドイツ的・ドイツ本流なる曖昧なる言葉の無意味さを感じたオピッツのピアノ。
それは、暖かく親しみと、曖昧さのない明晰な美しさでした。

オピッツのCDは恥ずかしながら、誰もが聴かないであろうスクリャービンの協奏曲しか持ってませんでした。これからもっと聴いていきたいと思いますね。

聖響&神奈川フィルは、誠実に、そしてこのオケならではの美しさでもってバックをつとめておりました。
3楽章コーダでの、ピアノとティンパニとの対話が静かななかでありますが、ホールに響くティンパニの音がとても印象的でした。
だがしかし、この場合はバロックティンパニでなく、そして配置も対抗に合わせた右端でない方を聴いてみたかった気がしますね。

後半は、ステージぎっしり、ゴージャス・シュトラウス。

ベートーヴェンの「皇帝」から「英雄の生涯」までの年月は87年。
ひと一人の人生のほぼ一生分の月日は、音楽の変化について例えると途方もなく大きい。
ロマン派の幕を開いたベートーヴェンに、後期ロマン派として行き着いてしまい、ロマン派の幕を降ろしたR・シュトラウス。
この対比が耳にも、歴史的なお勉強を経た脳裏にも刺激的なるコンサートです。

ベートーヴェンもいいが、わたしにはやはりシュトラウスの方が好みです。
34歳にして書いた最後の交響詩。
このあと、あの味わい深いオペラたちをずっと作曲してゆくことになるのですから恐ろしい才人であり、職人です。

冒頭、「英雄の旋律」は、もう少し深い「えぐり」が欲しかったが、すぐに音は温まってきて全開の心地よさ。おォ~、シュトラウス!って感じで、もうワタクシの心は舞い上がってしまいましたよ。
メンバーも変わりつつあるのかしら、でも相変わらず鉄壁の木管群が鮮やかだった英雄の敵たち。
それからいよいよ登場、石田コンマス!
いやぁ、千両役者ですね。完全にオケ引っ張ってましたが、ソロで出てくるとホールの空気をその繊細かつ艶やかな音色でもって一変させてしまう。
 濃厚にならない、神奈川フィルの魅力満開の極美の世界でもって聴くシュトラウス・サウンドは、この愛の場面でもって早くも最高潮に達した感があり、わたくしは泣いてしまいました。
 対する戦闘の場面では、もう、もう手に汗握る大スペクタルに興奮の坩堝。
聖響さん、いつもの動きながら、意外と冷静に振ってますが、出てくる音楽が超かっこいいもんだから、聴いてる方はじっとしていらんない。
思わず手が体が動き出すのをとどめるのに必死でしたよ。
 そして、英雄の動機が力強く晴れやかに回帰するところでは、もう感動は最高潮。
大きく体を揺らしながら音楽に入り込んで演奏しているオケの皆さんを見ていると、さらにその感動も高まってきました。
 散漫になりがちな、過去作の回顧の場面は、しっかりとそれらの旋律や、隠れたところでささやかれるように鳴る一節が、実によく聴こえてきて見通し抜群です。
若い佐藤さんのコールアングレがよかった隠遁と平安の場面。
石田ソロがここでも最後、素晴らしくて、有終の美を飾るように、儚くも後ろ髪引かれるようで、だんだんと切なくなってきて、ここでもまた泣きそうになってきました。
若いホルン女子も、しっとり艶やかに決めてくれました。
弦楽器は動きを止めて、管と打楽器だけでのフィナーレは研ぎ澄まされるように、音がどんどん清涼感を増してゆくのが見事でした。

そこで訪れた静寂は、緊張感と満足感を楽しむ素晴らしい瞬間でした。

そのあと、ホールはブラボー混じる大喝采となりましたことは申し上げるまでもありません。

やっぱりよかった聖響&神奈川フィルのR・シュトラウス。

来シーズンは「アルプス交響曲」(沼尻指揮)、「ばらの騎士」(ゲッツェル指揮)が控えてます。
神奈川フィルのシュトラウスは最高ですよ
在京オケをお聴きの方、是非とも、来シーズン聴きにいらしてください

興奮さめやらぬなか、喉の渇きも覚えつつ、定期演奏会に伴う有志の懇親会に移動。

Umaya3

メンバーのおひとりがまるで店長さんのよう(?)な、横浜地麦酒「驛の食卓」へ。

おいしい数々の鮮度高いビールを飲みました。

初めての方、楽団の方をお迎えして今宵もコンサートの続きがまだ続いているかのような楽しいひと時でした。

Alehause_1

2軒目も行きます、ハイボール。

外飲みですよ。

こうして、昼のコンサートなのに、終電近くまで過ごすといういつものパターン継続中なのでした。
月一回の楽しみです。

皆さま、お疲れさまでした。
そして、多忙でも、いつも素晴らしい音楽を聴かせていただいている神奈川フィルにも感謝です

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2012年11月22日 (木)

「皇帝」と「英雄の生涯」 神奈川フィル定期前夜祭

Chiba_sogo2012

街にはイルミネーションがあふれてまいりました。

以前より書いてます、「わたしはイルミ男、ルミヲ」です(笑)。

冬の楽しみは、夜の街を美しく飾るイルミネーション。

節電の厳しさも、LEDで解消できるようになり、今年はまた鮮やかな冬が期待されます。

もちろん、懐厳しく、取り巻く環境も尋常でないけれど、イルミに癒されるのは事実ですし、心にともし火を忘れちゃいけません。

こちらは、千葉そごうのJR入り口です。

明日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会。

月に一度の楽しみであります。

ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:ゲルハルト・オピッツ

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  2012年11月23日 (金・祝) 14:00 みなとみらいホール

        11月25日 (日)   14:00 
                       グリーンホール相模大野

コンサート前日、これらの曲の、わたくしのいま好きなCDを聴いてみることにしました。

Gulda_beethoven

  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:フリードリヒ・グルダ

    ホルスト・シュタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
      
                         (1971.ウィーン)


これは、いまではなく、ずっとずっと好きな「皇帝」。
いや「皇帝」はおろか、ベートーヴェンの5つの協奏曲は、みんなこのグルダの演奏が好き。
国内LPのオリジナルジャケットはもう手に入らないけれど、録音当時のグルダの様子がよくわかるものでした。
どこかお茶目で、なにかをしでかすかもしれないという期待も感じさせるグルダの演奏姿。
その姿は、演奏にも反映されていて、キラキラとゴージャスにいくと思えば、あっさりと通りすぎたり、かと思うと、じっくりと立ち止って内面から磨き上げたような渋さを表現してみたり。油断ならないいつものグルダなのですが、それがモーツァルトやベートーヴェンの場合、自分の音楽としてしっかり消化して極め尽くしているから説得力が高い。

威圧感をまったく感じさせない、ノリのいい「皇帝」です。

シュタインは金管をガンガン鳴らすものの、小回り豊かなな小粋さもウィーンフィルとともに表出できていると思います。
ワーグナー指揮者だけど、そのお姿とは程遠い、センスのいい指揮者だった。
ともに、鬼籍に入ってしまったのが信じられないコンビです。

Strauss_herdenleben_thielemann


   R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

     クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                        (2002.9 ウィーン)

このCDが発売時、即購入したのが多分2004年だったかと思います。
私生活が超大変で、ティーレマン、そう、シュトラウスね・・・って感じで、流して聴いてしまい、じつはこの11月まで忘れ去っていた1枚です。

それがなんということでしょう、聴いてみたら驚きの強演!
いまをときめくティーレマンは、10年前からなんの変わりもなかった。
聴くわたくしの耳も変わった(?)
かつて感じた時代めいた腰の重さと、押しの強さ。
ワーグナーのオペラでも、意図的に加えるパウゼの多さに辟易としていた頃で、さすがにオーケストラ作品ではそんなことは少なかったものの、どこかそのイメージが、あの剛直な指揮ぶりとともに印象として刷り込まれていたように思う。
バイロイトでのワーグナーの諸作、ことに「リング」でのもの凄い集中力と巨大で緻密な相反する音楽づくりに度肝を抜かれてから、ティーレマンは侮りがたい存在として、再び、わたしの中で記憶されることとなりました。

そんな耳で聴いた「英雄の生涯」は、まさにそうした印象をしっかりと刻印させる見事なもので、くどいほど、崩壊寸前なほどに強調されるクライマックスに、むちゃくちゃ心動かされてしまったのです。
こういう風に感じる聴き方、そして、世にティーレマンが絶賛されること。
これは、音楽の受け止め方、聴き方が変わりつつあることなのでしょうか・・・・。
即断はできませんが、この人の存在は、そいした意味でも大いに着目し続ける必要があると思いました。

ですから、崇高なる戦いの腹の底まで達する太鼓の圧力や、その半面として愛情あふれる濃厚な愛の場面などは最大公約数的なまでの見事さです。
ウィーンフィルという名器が、難なくそれらをこなしていることは申すまでもありません。

間違いなく、神奈川フィルで聴かれる演奏とは、「皇帝」も「英雄の生涯」も別世界的な演奏を選択しました。

いずれも名曲。音源も相当あります。

皆さまの、愛聴盤はいかがでしょうか。

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「皇帝」「英雄の生涯」 神奈川フィル定期 聴きどころ

定期演奏会にむけて、「神奈川フィルを勝手に応援サークル」のフェイスブックに書き記した記事を再褐します。

①ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 「皇帝」

もう何もいうことのない名曲中の名曲ですね。
申すことなど不要の音楽。
ピアノ協奏曲というカテゴリーの、人気・実力ともにおそらく筆頭に位置するでありまししょう「皇帝」。
三大Bとか三大ヴァイオリン協奏曲はあるけれど、三大ピアノ協奏曲ってあるとすればきっとその筆頭に必ずくると思われるのが「皇帝」。
これまでのお勉強でおわかりのとおり、ベートーヴェン中期の傑作の森の一環を占める傑作で、ナポレオンによるウィーン制圧と時を同じくして作曲が進められ、さらに持病の悪化で耳鳴りに悩まされる日々に書かれたわけです。
そんな苦境のなかとも感じさせないこの音楽は、協奏曲の王者たる、堂々とした佇まいと、高貴なる威姿、豪華さと清廉さも兼ね備える名曲なのです。
合わせて、従来の協奏曲の概念を打破する独自性は、奏者にカデンツァを自身が書いた音符以外は許さない、後の音楽ではあたりまえの姿勢を貫くことで際立っております。
さらに、長大な序奏があって、さぁ、本日の奏者は・・・、という感じで登場する古典派スタイルの協奏曲から完全に脱した意味でも革新的な存在なのです。
4番で確立したその方式、オケの序奏はなく、いきなりピアノが鮮やかなカデンツァで登場する。
ソロを弾きたてるオーケストラでなく、オーケストラもしっかりとその存在を主張する。
そんな点に着目して、是非聴いてみたいと思います。
また晴れやかな1楽章と、ロンド的な盛り上がりを見せる3楽章の間にある静謐な2楽章。
この抒情的な美しさこそ、ベートーヴェンの音楽の神髄。
 ドイツ本流の大家、オピッツ氏を迎えて、神奈川フィルの個性がいかに引き立ちますか。
聖響ベートーヴェンは、ピリオドを継続するのか。
その場合の真逆と推測されるオピッツとの兼ね合いは?
こんなところにも着目したいですね。

②R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

交響詩の大家であると同時に、それ以上にシュトラウスはオペラの人でありました。
34歳の作品である「英雄の生涯」を最後に、交響詩の作曲から卒業してしまうシュトラウスは、以降、家庭とアルプスのふたつの表題的交響曲を書くだけで、その生涯の残り半分をオペラの創作に費やすこととなります。

「英雄の生涯」は、その調整が変ホ長調で、いうまでもなくベートーヴェンの「英雄交響曲」を大きく意識したものです。
しかしその英雄は、R・シュトラウスそのもの自身なところが、恐れ多くも畏くも・・・なところでして、30代にして極めてしまったところが不遜なまでに恐ろしいところです。
それまでの、巨大編成による管弦楽作品を、世の評論家にけちょんけちょんにけなされてしまったシュトラウスは、自身をこの英雄にみたて、それら口さがない評論家筋を敵とみたて、あらゆる苦難に打ち勝ち、愛も得て戦って、有終の美を飾る物語を打ち立てて、交響詩としてしまったわけです。
実際にこの曲や、これまでの交響作品を聴いてみて、描写できないものはないと自負した老獪なまでの音楽づくりと、聴く者の心と耳をくすぐる天才的なまでの手法において、まさに、「ただモノでない!」という印象を与えられるのです。
まさに、「シュトラウスの勝ち」と今に至る後世が証明してみせ、いまや、音楽愛好家の人気曲のひとつとして君臨しているわけなのです!
 1898年作のこの音楽、ベートーヴェンの「皇帝」とは89年の年月がありますが、その年月が短いと感じるか、いや、長いと感じるか、このあたりも今回のコンサートの聴きどころかもしれません。

4管編成の超フルオーケストラは、みなとみらいホールの舞台を楽員さんたちで、ぎっしりと埋め尽くしてしまい、まずは壮観な眺めとなることでしょう。
6つの場面からなる40分超の音楽。
通常コンサートマスターによって弾かれる、語り部のような難易度高いヴァイオリンソロが大活躍。
オーケストラにとっても、コンマスにとっても、難易度の高さでは最高度の音楽で、CDでも、名指揮者・名コンマス・名オーケストラの三拍子、さらには音響的にオーディオファンもうならせる曲でもあることから、名ホール・名録音・名エンジニアの三拍子も必要とされる大名曲なんです。

1.「英雄」           腹の底に響くヒロイックな名テーマは英雄の旋律。

2.「英雄の敵」        英雄を揶揄する批判の渦。
                  シュトラウスの腕の冴えを聴きましょう。

3.「英雄の伴侶」       まるでオペラの大恋愛物語のようなラブシーン。
                  英雄を支える伴侶の登場。
                  オーボエとヴァイオリンソロの濃厚な美しさ。

4.「英雄の戦場」       不穏な気配が舞台裏のトランペットで漂ってくる。
                   さあ、闘いだ!
                  強烈な攻撃に合い、猛然と戦う英雄。
                  オーケストラを聴く醍醐味はここに尽きます。
                  腹の底に響く大太鼓、戦闘的な小太鼓にトランペット。
                  うなりをあげる低弦。
                  伴侶たる妻も、健気に応援します(ヴァイオリン)。
                  やがて、勝利宣言のように回帰する、冒頭部分。
                  決然と響くこの場面を聴く快感は、
                  ある種エクスタシーにも通じます。
                  恐るべし、シュトラウス・マジック!

5.「英雄の業績」       闘いも収まり、自身の業績の回顧をする
                  ドン・キホーテ→ドン・ファン→ツァラ→死と変容→
                  ティル→マクベス→ドン・キホーテ
                  この流れは、探究してみたいテーマです。

      
6.「英雄の隠遁と完成」   曲調は静かに平穏になり、人生の終わりを感じさせる
                   ヴァイオリンソロもふたたび活躍し、
                  伴侶にみとられるなか、静かな終焉を迎える・・・・・。
                  このしみじみ感は、シュトラウスの音楽を聴く、
                  例えようもない魅力のひとつです。

なんといっても、石田コンマスに注目。
それと、活躍する楽器は、前々回のホルン協奏曲を思い起こしてください。
シュトラウスゆえに、随所にホルンの聞かせどころがあります。
あと、オーボエ。そしてチェロです。
 音楽が完璧なまでによく書かれているから普通でも満足が得られますが、わたしたちは神奈川フィルの美しい音を知っております。
この曲の演奏でその威力が満開となることを期待します。
聖響さんも、飛ばさずに、大きな指揮をしてもらいたいと思ってます(なんて偉そうですね)。

 

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2012年11月21日 (水)

R・シュトラウス 「英雄の生涯」 ハイティンク指揮

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芝浦地区の夕暮れのひとこま。

高層マンションに人が住み、近くの高層オフィスで人が働く、その間を縫うようにして走るモノレール。

かつては全国から東京への空からの入り口であったモノレールも、いまは、その沿線に住まう人、働く人が多くいて、運営もJRとなった。

東京の進化は、こうして目立たぬところにも、とどまるところを知らず、街の一部が気がつくといつの間にか変わっていることも多い。

これを良しとするか否かは、まだ答えはありませぬが、経済の側面から見ると自転車操業のようにしか思えない。
なにもそこまで、とか、もったいない、とかいう思いしか浮かびませんので・・・・・。

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    R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

  ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

          Vn:ヘルマン・クレヴァース

                (1970.5 アムステルダム)


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   ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

          Vn:ロバート・チェン

                 (2008.12 シカゴ)


シュトラウス最後の交響詩、「英雄の生涯」。
といっても、34歳の作品で、85歳まで生き、生涯現役の作曲家だったシュトラウスからしたら、没年の50年前の若書きということになります。

しかし、残された音楽が、若書きと思わせず、老獪ともいえる手口と語り口でもって完璧さをまとっているところがR・シュトラウスの凄さでありましょう。

このあと、オペラの道へ入ってゆくシュトラウスですが、そのオペラも、「英雄の生涯」以前はまだ処女作「グンドラム」のみ。
その「グンドラム」は、ヘルデンテノールのひとり舞台で、かつワーグナーのまともな影響下にあり、劇のないようも、「タンホイザー」っぽかったりします。
 しかし、「英雄の生涯」を挟んで生れるオペラの数々、ジングシュピール的な「火の欠乏」、ユーゲントシュティール・世紀末・大胆な作風の「サロメ」「エレクトラ」と続いて、モーツァルトと諦念が結びついた「ばらの騎士」・・・・・。そのあとも、次々とその作風を変転させてゆくシュトラウス。

多くの方が、交響詩のみで語りがちですが、シュトラウスの85年の生涯を大きく掴んでみるときに、オペラの存在は無視できず、しかも「ばらキシ」以降の充実の諸作にも耳を傾けるべきであります。

 

あれ?違う方向に行ってしまう。
シュトラウスのオペラすべてを愛するわたくしゆえ、申し訳ありません。

「英雄の生涯」を得意にする指揮者・オーケストラって、きっと皆さん共通認識にたたれるかと思います。
指揮者でいえば、作者を除外して、クラウス、ベーム、ライナー、カラヤン、カイルベルト、ケンペ、スウィトナー、サヴァリッシュ、ハイティンク、メータ、小澤、ヤンソンスなどなど。
オーケストラは、ウィーンフィル、ベルリン・フィル、ドレスデン、コンセルトヘボウ、バイエルン放送、シカゴ。

それぞれの共通項で、マッチョなメータの音盤の聴き比べをしましたが、今回は、その新旧どちらも最高の「ヘルデンレーベン」と確信している新旧ハイティンク盤を併せて聴いてみました。

新盤は、今年の5月に記事にしてます

恰幅のよさと、超高性能、どんなに咆哮しても、静寂でも、その緻密さと鮮やかさは絵に描いたように完璧で、その先もまだまだあるような余裕を感じさせるものです。
それが鼻もちならない雰囲気にならないのは、ひとえに全人的なハイティンクがそこに君臨しているからでして、もっとゴンゴンがんがん行ってしまうところが、巧みに抑制されているんです。
ゆえに、濃厚な愛情吐露のシーンよりは、業績をしのび、顧みる場面が、実にしみじみと味わい深く、若くして生涯を回顧してしまったシュトラウスが、まるで、幾多のオペラを経て迎えた真の晩年のような感情を呈しているかのように聴こえるのでありました。
コンマスは99年以来の台湾系のR・チェン。
わたしも実演で聴いていますが、むちゃくちゃうまく、歌いこぶしも実によろしい。
完璧なる演奏ですが、ハイティンクゆえの温もりとふくよかさ、そして物語の完結感を持った新盤。

ほんとは、この間に、ドレスデン盤があればいいのですが、いまだ音源化されておりません。

 

さかのぼって、38年
ハイティンクも40歳。
コンセルトヘボウをしょって立つ若い気概に溢れていた60~70年代。
思わぬ落ち着きと、恰幅のよさに驚きますが、それもまた今聴けば、この時期のこのコンビの奥ゆかしい絹のようなあでやかかつ細やかなサウンドとホールの響きを巧みに捉えたフィリップス録音でありましょう。
ハイティンクが評価されるようになる前から、いま聴けば常にこれだけのクオリティを有していたんです。
この「英雄の生涯」がレコード発売されたのは72年だったか?
レコ芸評では、準推薦マークだった。
それでもハイティンクにしては大検討で、それまでのブルックナーやマーラーはけちょんけちょんだったから。
当時は、カラヤンやメータの、聴かせ上手なゴージャスサウンドばかりが評価されていたから、当然の扱いだったかもしれませんが、いまこうして聴くと、こちらの方がある意味ゴージャスに聴こえる。
わたしたちの耳も聴き方も変化しているのは否めない事実なれど、当時からなに変わらず、真摯に自分たちのサウンドを守りとおしてきた演奏家がこうしてあったことに敬意を表すべきでありましょう。
コンセルトヘボウ的存在だっコンマス、クレヴァースのヴァイオリンは、新盤のチェンと次元の違いを見せつけてくれます。
これぞ、脈々とつながる伝統の風格。
ときに、ヴァイオリン協奏曲と化してしまう気もするが、オケの美質と一体感をもったこのヴァイオリンは大いなる聴きものでございます。
そして、突進力あるハイティンクの指揮は、シュトラウスの濃厚ロマンの表出にも欠けておりません。
この旧盤は、シュトラウスが若くして到達した円熟のサウンドを正しく伝えてやみません。
真の晩年の枯淡の世界をも感じさせる新盤に比べ、この新盤は、シュトラウスのいっときの到達点を完璧に捉えたものと思います。

明後日の演奏会は、神奈川フィルゆえ、そして石田コンマスゆえに、この曲の違った美質を見せてくれるような演奏になるような気がします。

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:ゲルハルト・オピッツ

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  2012年11月23日 (金・祝) 14:00 みなとみらいホール

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2012年11月20日 (火)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 オルティス

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青空に東京タワーに、色付いた銀杏。

止まれは、ご愛嬌。

構図的にどうしても入ってしまうのでした。

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  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

       Pf:クリスティーナ・オルティス

   リチャード・ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ

言わずと知れた「皇帝」、いきなり取り上げます。

11月23日(金)の神奈川フィルの定期演奏会の演目です。

ドイツの本流、ゲルハルト・オピッツをソロに迎えるコンサート、チケットはソールド・アウトだそうです。
休日の午後、こんな大家の演奏で、名曲を聴く贅沢。
わたしに許されていいのか?
これも神奈川フィルを応援してゆく楽しみでございます。

いつも書きますが、わたくしは、「皇帝」がちょっと苦手でして、コンサートでは大昔、たぶん30年前に、ゼルキン翁と小澤さんが共演した演奏会を一度聴いたきり(たぶんそう思う)。
CDでも、数々持っているはずだけど、今年の正月に、もしかしたら10年ぶりくらいにちゃんと聴いたと思う(たぶん)。

ほかの番号、ことに2番、4番は好んで聴くのに、5番は、少年時代より聴きすぎてしまったこともあるし、構えが大きすぎて、ちょっと怯んでしまう(というか白けてしまう)のだろうと思ったりしてます。

でも、ライブで大好きな神奈川フィルで聴けば、また違う魅力を、そしてオピッツ氏の誠実な演奏ならば、楽しく聴けるのではないかと期待してます。

今宵はしかし、いわゆる「皇帝」のイメージから少し遠い演奏を聴いてますよ。

ブラジル出身のクリスティーナ・オルティスのピアノに、私の好きな英国指揮者ヒコックスの手兵がバックをつとめたナイスな「皇帝」ですよ。

明るくのびのび、小気味よく、ハジケ具合もよろしく、早めの軽快なテンポ設定にのって、スイスイと演奏しております。
ラテン系の彼女ですが、お国もののヴィラ・ローボスを得意にするのは当然ながら、ラフマニノフやスヴェンセン、アディンセル(!)やガーシュイン、バーンスタインなどの近代ものから、シューマン夫妻、ブラームスなどのドイツ物もレパートリーに持つ多彩なピアニストなのです。
元気いいイメージを抱かせてしまいますが、2楽章のしっとり感など、なかなかのもので、ヒコックスの巧みなサポートを得て、清々しいベートーヴェンにもなっておりました。
そして全般にタッチの美しさは極めて魅力的です。

オルティスは、いまでも欧米で活躍しておりますが、いまは録音活動も地味です。
N響でラフマニノフを演奏してましたし、なによりも、わたしのような世代にはメジャーレーベルでのハツラツとした快活な女子といった感じのジャケットのお写真の数々が懐かしいものです。

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オルティスとプレヴィン(彼女のHPより)~若い

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彼女のHPでデスコグラフィーを見ていたら、聴いてみたいものがいくつもありました。
入手は難しそうですが、小泉和宏さんとの共演レコードも懐かしく拝見しましたよ。

で、23日の演奏会。
チケットは難しいですが、同じプロの25日相模大野公演は、まだ大丈夫かもです。
是非!

ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

         Pf:ゲルハルト・オピッツ

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

   金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  2012年11月23日 (金・祝) 14:00 みなとみらいホール

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2012年11月19日 (月)

睨むワイルドにゃんにゃん

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ねこは、見知らぬ存在に対し、警戒すると目を細め、睨んだようなお顔になります。

「月曜ねこの日」、今日は、にらんだ顔の、おっかないニャンコ特集ですにゃん。

海辺に生息するワイルドなヤツ。

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こいつは、どうだ。

片足上げて、いいポーズをとってくれたぞ、おい!

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某城址公園の石垣を通過中のねこ様に声を掛けたもんで、「うっせ~な」、というお顔をされてしもうた。

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親戚のにゃんにゃん。

行くたびに、写真撮ったり、いじくるもんだから、ホント、鬱陶しそうにしてる。

許してね、おうちに猫いないもんだからさ。

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ぐわっーーツ!

くろねこワイルドざんす。

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最後はこちら最強の睨みをきかせておりますでしょう。

どーすか、このふてぶてしさと、闘いを物語る傷跡。

今回のワイルド王は、あんただよ

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2012年11月18日 (日)

交響曲第1番「HIROSHIMA」 聴きどころ

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前回、佐村河内記事と同じような写真ですが、こちらは時間が少し経過した相模湾の夕日。

堤防を歩いて、洋上から見える箱根の山々。

わたしが育った町から。

この海までは、すぐのところで、波の音が聞こえた。

けれども、台風の大波などで侵食され、浜辺がだいぶなくなってしまった。

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   交響曲第1番 「HIROSHIMA」

     大友 直人 指揮 東京交響楽団

               (2011.4.11/12 パルテノン多摩)


テレビで特集もされ、その名前が多くの皆さんの知ることとなり、CDもプレスが間に合わないほどの状況と聞きます。

佐村河内守さん。その存在は、日本の現代音楽界において特異な存在なのかもしれませんが、そのハンディや壮絶な生き様という点を差し引いても、普段、クラシック音楽を深く聴くことのない人々の心を動かし、CD購入へと走らせるものが、彼の音楽には確実にあります。
それを真摯に受け止めなくてはならないと思います。

過去の音楽家の名前を連ねて、斜に構えて聴くということも理解できますが、事実、わたくしも当初は、そんな風な聴き方をしたかもしれませんが、すぐにそんな概念を超えて、氏の音楽が訴えてくるものを聴くようにしました。

何度も書きますが、この音楽がわたくしに与えてくれた、そして今も与えてくれる力は希望と光です。
家康の言葉に、「人の世は、重き荷を背負いて、遠き道をゆくが如し」とありますが、人生は安泰ではなく、人生そのものが苦しみの方もおります。
わたくしも、そうした負の連鎖に陥ってしまって久しいです。

でもかろうじてそんな環境に克己して向かっていけるのは、日々、音楽がそこにあるからなのでして、幾多の音楽たちが私を慰めてくれております。
そんな中でも、最強のものが、今では佐村河内音楽なのです。

わたしのブログをご覧になればおわかりのとおり、多い記事は、わたしに力を与えてくれる音楽たち、すなわち、大好きな音楽とそのジャンルでいくと、ワーグナー、英国音楽(ことにディーリアス、フィンジ)、アバド(その生き様)、オペラ(人生ドラマ)、世紀末系美音(マーラー、ベルク、シュレーカー、コルンゴルト)などです。
それらに加わった佐村河内音楽は独自な存在なのかもしれませぬ。

交響曲第1番の、わたくしなりの聴きどころを、以下列挙しておきます。

第1楽章 19’58”

 冒頭~4’00  低弦のピチカートにのって重々しい出だし
            やがてはやくも、太鼓やハープなどが登場してこの音楽が
            編成のうえでも並々のものでないことを告げる

 3’00       宿命的な鐘に乗って、この曲の主要主題が響く

 4’00~     優しい、慰めの旋律。これは主要主題そのもの

 7’00~     再度厳しい雰囲気となりテンポを増して、主要主題を展開

11’00~     やや古風なコラールふうの調べ、教会風、安らぎます

            でもだんだんと、不穏な雰囲気がただよう、なにか起きる予感

17’45~     強大なフォルテ、耳をつんざく悲壮感
           でも、それを最後に、うねるような低弦とともに、音は止んでゆく


第2楽章 34’33”    

  冒頭~2’00  ここでも不安を募らせる序奏から始まる。
           第1楽章の暗い宿命のまま

 2’00~     第1主題を弦が優しく回顧、しかしまた厳しい雰囲気に
            マーラーの晩年の境地を思わせる

 4’50~     木管が合いの手をいれるいい雰囲気
            しかし、どうしてもまた厳しい状況がめぐってきて、
            やがてメインテーマが高鳴る。
            でもまた、曲は静まり、地味な展開を繰り返す。
            なにか、強大なものが生まれる前の静けさかと苦しみか

            
11’00~     パルシファル3幕前半のような真の道を探求する様子

12’39~     急展開。雲行きが怪しくなり宿命との闘いを予見させる。
            しかし、ここでもまた音楽は沈思しつつ内面的になる

16’00~     パルシファルの2幕を想起させる。クンドリーの苦しみ。
            ミステリアスで静かなこの雰囲気は心に染み込んでくる。

21’00~     まだ沈鬱感はやまない。
           低弦がうごめき時間が止まってしまうかのよう
           シュトラウスのアルプス交響曲の日没のように主題が奏でられる

23’00~     トロンボーンに始まる金管のコラールは虚しく無情を感じさせる
           しかしとても印象的な場面で、胸に突き刺さる
            ここからまた新たな展開を予見

28’30~     宿命的な旋律が導き出され、痛切なフォルテが組成され、鐘も鳴る
            この厳しい展開は、敗北感すら感じ、不安の中に置かれたまま
            長く、哀しく、うごめく低弦で消え入る

第3楽章 26’53”

冒頭~       最初からビンビン来る、激しい闘争感、阿鼻叫喚

4’00~       それもつかの間、嵐の前の静けさが続く
            遠くで鳴る優しいあの旋律、不思議なチェレスタ

7’35~       弦の逼迫したユニゾン、ついに始まる聖戦
            ズバズバと突き刺さる音の切れ味と切迫感

9’00~       キターーッ、ついに宿命に対峙、負けない、最後の闘い
            これまでの集大成のようにあらゆる旋律が入り乱れ、
            心も、耳も、全身がその壮絶なる音塊に全開で虜となってしまう

12’00~      大いなるカタストロフをむかえる。
            木管によるコラール、トランペットの微妙なファンファーレ
             高まるファンファーレだが心も体も傷ついてしまった
             勝利かどうか不明
             まだ幾多の苦しみが襲ってくるのか、とどまるところがないのか
             不安は隠しきれない

19’00~      もう一度、高まる興奮と闘いへの兆し
             だがしかし、いま一度カタストロフが巻き起こり、
            何かが大きく崩れ去った
             今度は、今度こそ。
            清涼な空気がみなぎってきた。

21’00        浄化された平安がただよいはじめる。
             弦が安らぎ感を導きだし、ポルタメントも麗しく決まる。
             ハープの合いの手も美しく、低音の持続音も安心感を与える。

             
               
               
              ほのかな光が見え始めた。
              その光は、徐々に強く輝くようになって行き
              やがて、ついには眩しく強力な力を伴ってきて
              聴くわたくしたちを圧倒してしまう

           
             そして、わたくしたちの心の残るのは、一筋の光

以上

こうしてこの音楽は、複雑な曲折を経ても、わたくしたちに希望の強い光を与え、感じさせてくれるのです。
ありがとう!

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相模湾の朝日

※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。


         

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2012年11月16日 (金)

コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲~THE SILVER VIOLIN ベネデッティ

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日本橋三越のイルミネーション、11月最初から始まってます。

毎度、申し上げますが、イルミネーション大好き、クリスマスのきらきら大好きおじさんです。

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近づいて、下から見上げて。

ツリー・イルミネーションは、こうして、接近してその飾り付けと照明の具合いをアップして見るのがいいんです。

子供の頃に、庭には樅の木があって、父親がシーズンになると、鉢に植え替えて、室内に運び込んでくれました。
そこに嬉々として、毎年お決まりの飾りを姉弟で付けてゆくのでしたが、どれをお互い付けるか、暗黙の了解がありました。
ツリーのてっぺん、一番星は、わたしに譲ってくれる優しい姉でしたね。
う~ん、しみじみ・・・・・。

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  「SILVER VIOLIN」   ニコラ・ベネデッティ

銀のヴァイオリン、その音色が銀色のように、モノトーンの美しい光沢を帯びた音色、とそのイメージの作品。

シネマ、そう、銀幕(Silver Screen)の音楽が、そのテーマ。

若いけれども、そのビジュアルに反して、本格クラシカル路線を歩むニコラ・ベネデッティに相応しい。

スコットランド生まれ、ゆえに、少しエキゾティックで彫りの深い容貌の美女、ベネデッティ。
デビューは、DGからシマノフスキのヴァイオリン協奏曲で、ビジュアル、ポピュラー路線と一線を画していたところからすでにワタクシのお気に入り。

タスミン・リトルと並んで、英国系女流はともかく無条件に好きなんですが、ついにやってくれましたよ、コルンゴルト

  1.J・ウィリアムス  「シンドラーのリスト」

  2.コルンゴルト   「死の街」~ピエロの歌

  3.ガルデル     タンゴ「首の差で」

  4.ショスタコーヴィチ  「馬あぶ」~ロマンス

  5.コルンゴルト   ヴァイオリン協奏曲

  6.ヘス        「ラヴェンダーの咲く丘で」メインテーマ

  7.ショスタコーヴィチ  「呼応計画」~アンダンテ

  8.マリアネッリ   「ジェーン・エア」

  9.ハワード・ショア 「イースタン・プロミス」

 10.マーラー     ピアノ四重奏曲 断章

 11.ショスタコーヴィチ  5つの小品~プレリュード

 12.コルンゴルト   「死の街」~マリエッタの歌

                  Vn:ニコラ・ベネデッティ

     キリル・カラヴィッツ指揮 ボーンマス交響楽団

                 (2012.4,6 @サウザンプトン)


何故に、マーラーがここにあるか不明ながら、ロマンティックなその習作は、上記のこの流れを阻害することなく、ノスタルジーと甘味なる調べがテーマともなっている銀幕音楽の中にしっとりとおさまっているから不思議であります。

どの曲も、それぞれにメロディアスで麗しいのですが、やはりわたくしにとってコルンゴルトは特別の存在と思うにたる3つの作品があまりに素敵なのです。

来シーズン、再来年に新国立劇場で上演される「死の都」から、とりわけ素晴らしいふたつのモノローグは、ともかく美しく、退廃的なまでに甘くやるせない。
通常、歌を伴っての作品ですが、こうしてオケ部分はそのままに、ヴァイオリンで聴くと、まるで人声のように、どこまでも歌があってヴィブラートも歌でならやり過ぎと思うものも、全然OKで、素直に酔いしれることができます。

ベネデッティ、いや、ニコラちゃんのヴァイオリンは、意外なまでに淡泊で、妙に媚びていないところがよいんです。

そして、わたくしの3大ヴァイオリン協奏曲のひとつ。
ここでは、ハリウッドに本人の意思はともかく名を残し、後世のJ・ウィリアムズにまで影響を与えたという意味で、本CDの核心になってもいます。
詳細はわたくし自身検証できてませんが、この協奏曲の主題のいくつかは、コルンゴルトの書いた映画作品のものが転用されてます。そういう意味でも銀幕音楽でしょうね。

本題のこの曲は、なにをおいても、その音楽があまりに素敵なのだ。
ふとした時に、電車に乗っているときに、人と話しているときに、そして夢の中に、頭に佐村河内やディーリアスやワーグナー、シュトラウスらとともに、めぐってくる音楽なのです。
それだけ、血肉と化しているんです。

伝統的な3つの楽章の構成で、幻想風な1楽章、あまりに甘味(本稿で何度書きましたでしょうか、この言葉)で郷愁あふれる第2楽章。
無窮動的なせわしなくもユーモアにも満ちた3楽章。

ニコラちゃんのヴァイオリンは、正直まだ味が薄く、健康的にすぎるきらいもあります。
でも、若さみなぎるハツラツ感は、聴いていてビジュアル以上の若さを体感させてくれます。
こんな健康的なエロ眩しさも、コルンゴルトの音楽にお似合いなのです。

またお気に入りのこの曲の演奏が加わりましたよ。

ボーンマス響の首席、カラヴィッツは、ウクライナ出身の注目株です。
こちらも落ち着いたいい雰囲気出してます。

Silver_violin_2

ニコラた~ん。だいしゅき(酔ってます)。

彼女のホームページで素敵な映像も見れますよ。

http://www.nicolabenedetti.co.uk/

Nihonbashi_mitsukoshi_2

玉のなかに、わたくし映ってます。

コルンゴルトの協奏曲。

きっと石田コンマスが弾いたらいいと思ってましたが、先日藤沢で演奏してくれました。
あいにく、聴くことはできなかったのですが、神奈川フィルで現田さんまたは、ゲッツェルの指揮でなにがなんでもやっていただきたい曲のひとつでございます

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2012年11月15日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」 ジュリーニ指揮

Nakai_fuji_1

神奈川県中井町から望んだ富士山。

もう真っ白の雪がおおってます。

急に冷えてきました。

やっぱり、ニッポンの富士山は、頭に雪をかぶってないと。

Beethoven_sym6_giulini

  ベートーヴェン 交響曲第6番 「田園」

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1979 ロサンゼルス)


わたしがベートーヴェンのこんな名曲を取り上げるのって珍しい。

と言ってみる。

が、しかし、「田園」は結構聴いてるし、ブログにも取り上げている。
両端の5番と7番よりは、はるかに聴いてるし好きだ。

でも。カラヤンを唯一の例外として、キビキビ系でなく、おっとり系の「田園」じゃないといけない。
せかせか散歩したんじゃ、せっかくの安らぎに満ちた風景が台無しだから。

そんな中のひとつがジュリーニのDG時代の「田園」。

ジュリーニは、ばらばらながらベートーヴェンの全曲録音がありますが、録音回数では「田園」が一番多くて、4回あります。
その全部を聴いておりませぬが、わたしは、このロスフィル盤が一番好きであります。
それは、DG時代のジュリーニが一番高貴で輝きと気力にあふれていたと思うから。

シカゴの主席客演を務めるかたわら、ウィーン響を辞めて、ロスフィルに就任したときは驚いたものだったが、メータのあと、明るいカリフォルニアサウンドに、深みと慎重さを加えて、ロスフィル新時代を築いたジュリーニ。
多くはないけれど、その録音はシカゴのものとともに、わたしの学生~社会人へと歩む時期の貴重な思い出のものばかりです。

録音のせいもあるが、少しゴツゴツした感じの第1楽章は、ゆったりとしながら、かつ克明でどこまでも光があたっているかのようなユニークなもの。いいです。
そして、真骨長は、第2楽章のほんとうに自愛にあふれたような歌、そして、また歌。
明るくのんびりした農民の集いから、一転、ロスフィルの輝かしい威力が炸裂する嵐の場面。厳しい表現であります!
でも来ますよ、心底から感じる祈りに満ちた平和な光景。
本当に、心から、あぁ~・・・・、いいなぁ~、これだよ~、となります。
最後の場面など、シュナイト、ワルター、ベームの演奏と並んで、感涙ものであります。
唯一の贅沢すぎる難点は、立派すぎるというところで、そうそうに気安く聴けない側面もあるんです。

ジュリーニが指揮棒を握りしめて長い手で、緩やかに指揮をしている姿が思い浮かびます。歌心にあふれた素晴らしい「田園」でした。

前にも書きましたが、ジュリーニとロスフィルの来日公演は聴き逃しましたが、その前のウィーン響とのものを聴くことができました。
ウェーベルン「パッサカリア」、モーツァルト40番、ブラームス1番という魅惑のプログラムで、なかでもブラームスは終生忘れえぬ深い感銘を受けました。
アンコールには「皇帝円舞曲」。ジュリーニのウィンナ・ワルツでしたよ。

Nakai

みかん、甘くなって熟成中

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2012年11月14日 (水)

シューマン ピアノ協奏曲 ルービンシュテイン

Tokyo_st2

東京駅、丸の内口。

南北、横に長いもんだから、その全部を収めるには距離を置かなくてはなりません。

いまは人が多いので、しばらく無理かもです。

Shumann_grieg_rubinstein

  シューマン  ピアノ協奏曲 イ短調

      Pf:アルトゥール・ルービンシュタイン

    カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

                   (1967.3 シカゴ)


久しぶりにシューマンのロマンティックなピアノ協奏曲を聴きます。

イ短調という第1楽章の調性が、幻想味を大いに醸し出しておりまして、こちらでも、そして始終カップルで録音されるグリーグの同じ調性の協奏曲と別物ながら、相通じるものがあります。

この曲の冒頭は、よく語られるように、「ウルトラセブン」の最終回で劇的に使われました。
モロボシ・ダンが、アンヌ隊員にセブンたる自分の正体を明かす場面。
1968年のテレビ放送で、小学生だったわたくし、もちろんドキドキしながら見ておりましたよ。
当時、クラシックを聴き始めの少年でありましたが、まさかそれがシューマンのピアノ協奏曲だったなんて、気付きもしません。

思えば、ウルトラシリーズの中でも、ウルトラセブンはどこかもの哀しくって、怪獣たちも哀愁そそるものが多かった。
ドラマとしてもなかなかよく出来ていたと思う。
そして、お子様ながら、ワタクシ、アンヌ隊員が好きだったんだわ(ムフフ)。
そのアンヌさまが、のちに大胆にも・・・・・。

間奏曲と題された第2楽章の甘味な美しさを知るのもずっと後年。
オーケストラの歌が最高に素敵です。

ピアニスト泣かせの技巧的な3楽章。ピアノとオケとの掛け合いも楽しく、輝かしいけれど、やはりそこはシューマンで、どこかかげりがあるところがいい。

初演は、奥様のクララのピアノ、1946年の元旦です。

ルービンシュタインの構えの大きな、そしておおらかなピアノは、シューマンでも、ショパンと同じように、聴きてに安心感を与えてくれる。
いまのバリバリ弾くピアノからしたら、ずいぶんと呑気に聴こえるかもしれませんが、わたしには、遠い昔からずっと親しんできた、住み慣れた我が家みたいな感じなんです。

ジュリーニとの共演も珍しく、しかもシカゴ。
つつましく、歌心にあふれたオーケストラでした。

このCD、某所で105円でした。もったいない。

Tokyo_st1

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2012年11月12日 (月)

おやすみにゃんにゃん

N3

月曜ねこの日。

今日は疲れましたので、おやすみにゃさい。

娘の友達にゃんこシリーズから。

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2012年11月11日 (日)

交響曲第1番「HIROSHIMA」 

Yamanishi_2

相模湾の夕焼け。

遠くは、真鶴、さらには伊豆半島。

Samuragochi_sym1_2

  佐村河内 守  交響曲第1番 「HIROSHIMA」

      大友直人指揮 東京響楽団

           (2011.4.11,12 @パルテノン多摩)

NHKで特集した佐村河内さん。

「ただイマ」、ご覧いたでけましたでしょうか。

震災後、10日目。

弊ブログにコメントいただいた内容をここに再褐いたします。

ご本人に未確認のままでありますこと、申し訳なく存じます。

以下、3月11日「大友直人指揮東京交響楽団新潟定期」の記事に対するコメント

『ウィーンフィルが東日本大震災の追悼演奏をして観客と共に1分間の黙祷をした』とNHKのニュースでやっていました。追悼曲がモーツァルトだったのは???でしたが、やはり被災し家族を失った僕にとっては感動的なニュースでした。
今も避難所で悲しみと被ばくの恐怖に震えています。
僕は大友直人と東京交響楽団のファンで、昨年4月4日、遥々東北から東京の芸劇に被ばく二世の作曲家佐村河内守の交響曲第一番“HIROSHIMA”を聴きに行きかつてない感動を得ました。あまりの感動に8月14日の秋山和慶と京響の演奏を聴きに京都まで行きました。もちろん大友直人と東響のほうが素晴らしかったです。
大友直人と東京交響楽団で佐村河内守の交響曲第一番“HIROSHIMA”の全曲演奏を期待しています。
祈りの大交響曲である佐村河内守の交響曲第一番“HIROSHIMA”こそ被災した僕たちに今最も希望をもたらす曲であると信じています。

        投稿:辰之 2011年3月21日(月) 15時25分


        ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

辰之さん、被災地にあられ、しかもご家族を失われたとのこと。
適切な言葉もなく、どうお見舞いを申し上げいいのかわかりません。
音楽を通じ、メッセージをお送りすることしかできません。

ウィーンフィルの報道は、いまほど確認しました。
バレンボイムの弾き語りだったのですね。
そして、素晴らしくも、すごい音楽と、その作曲家を逆にお教えいただきました。
youtubeで、佐村河内氏の人となり、そして交響曲の第3楽章を聴きました。
感動で、鳥肌が立ちました。
そして、涙が出ました。

わたしは、大友さんは、英国音楽ばかりで追いかけておりましたが、こうした音楽を広く紹介してゆく真摯で誠実な音楽家に思います。
 そして、まだ未聴の祈りの大交響曲を是非にも聴きたいと思うとともに、辰之さまが、おっしゃるとおり、希望をもたらすこの音楽が皆さまを勇気付けるものと、わたくしも思い、微力ながらyoutubeをリンクして、記事にしたいと存じます。

寒さもまだ厳しいようですし、物資の不足も心配ですが、どうか気持ちを強くお持ちになってお過ごしになられるようお祈りしてます。

         投稿:yokochan 2011年3月21日(月) 17時14分

思えば、こちらのコメントを契機に、佐村河内さんを知り、その作品を聴くこととなったのです。
わたくしごとですが、福島と宮城を中心に仕事をしておりました。
不況業種に属する職種でしたので、震災前より仕事ははかどらず、苦心の日々でした。
大熊やいわき市での活動もあり、それが震災、原発でダメ押しともいえる不芳を被りました。

 そして、自粛気分のなか、おとなしくしていた中に、お知らせいただいた佐村河内音楽。

不謹慎ながら、3月21日、即日聴いた折には、あまりに切実、ひっ迫のサウンドに、震災の数々の映像が脳裏を駆け巡りました。
 でも、最後の眩しいほどの希望の輝きに体が震えるほどの感銘と感動を味わうこととなったのです。
 こんな素晴らしい音楽と、そして作曲家、佐村河内さんをお教えいただきましたこと、あらてめましてここに感謝申し上げます。

以来、わたくしは、日に日に、この交響曲を聴いております。
 仕事も好転せず、日々厳しいことには変わりはありませんが、この音楽に救われております。
 嫌なことがあったとき、プチ逃避に、スマホで持ち歩き、帰りの電車で聴いて、没頭して感動しまくってます。
 そんな時、もしかしたら涙ぐんでるかもしれません、手に握り拳をつくっちゃってるかもしれません。電車の中で恥ずかしいことになっているでしょう。

わたくしにとって、日々の喪失感を埋めるような音楽のひとつにしっかりとなってます。 

人生、ひとそれぞれに、試練や苦しい課題が必ず課せられていることと思います。
そんな試練の克服にいくばくか、いや、大いなる後押しをしてくれる音楽。

佐村河内さんは、常人では想像もできない苦難を背負っておられ、苦しみつつもそれをバネにして、闘争とともに、これまでの活動をなされてまいりました。

そして、そこから生まれたご自身の子供でもある作品を確認することが出来ない。
その心中たるや、いかばかりのものでありましょう。
その作品・音楽を耳で確認できるわたくしたちは、佐村河内さんに、その音楽の素晴らしさと、その影響の大きさをこうした文章でお伝えすることが出来るんです。
そして、そうすることで、氏に力をお与えし、新たな創作への活力をお与えすることができるものと思います。

佐村河内さんを応援しましょう!

わたしたちは、力をもらってます。

交響曲第1番の、自分にとっての聴きどころを、また後に書いてみます

※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。

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2012年11月 8日 (木)

バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ポッジャー

Nihonnbashi

東京、日本橋。

大阪にも、日本橋ありますから、東京をつけなくちゃ。

しかし、ご存知のとおり、東京の日本橋は、ご覧のように橋の上に、しっかりと蓋がされてます。
その蓋こそ、首都高速道路であります。

上を走行中、そこはたいてい渋滞してたり、分岐があったりで、そわそわと忙しい地点なのですが、下には、お江戸日本橋があるなんて、想像もできない状況が仕組まれているんです。

いまでこそ、その高速の下、すなわち橋の上には照明設備がつきまして、夜は鮮やかな雰囲気が醸し出されるようになってます。

家康の時代から数えて、409年。
今のこちらの橋、101年ものでございます。

Bach_podger

  バッハ  無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番

        Vn:ラクエル・ポッジャー

                 (1998、99 @デーヴェンター、オランダ)


申すまでもございません、バッハの無伴奏。

無伴奏といえば、バッハのヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、そしてチェロのための組曲。

精神性の高さと普遍的な神々しさを兼ね備えた、それぞれの楽器のための無伴奏作品。
後年の作曲家たちも、諸所チャレンジしているものの、バッハが常に師であり、お手本として厳然と存在し続けているわけです。

いまこの時代に、こうしたジャンルに、しかも「シャコンヌ」というタイトルでもってチャレンジした日本の作曲家、佐村河内守氏がいます。
その標題も、オマージュともとれるその内容も、いろいろと注釈を付けることは可能かもしれません。
しかし、あの大交響曲や弦楽四重奏とともに、失われてしまったジャンルに堂々と挑み、そびえ立つ、それも、旋律優位の多くの人の心に届く音楽という意味で、玄人筋からは評価をいただきにくい、異端の音楽ともいえるのです。

その佐村河内作品は、過去記事をご参照ください。

そして、聞き込めばバッハと違う次元で、その存在が別物と理解できる佐村河内作品。
それを大きく包み込むような大きなバッハのご本家作品。

ヴァイオリン音楽のバイブルとも称すべき、作品集の中でも、長大な「シャコンヌ」を備えた「パルティータ第2番」こそ、神々しくもかしこくも、音楽を聴き嗜むものの普遍的な存在かもしれません。

今宵は、バロック・ヴァイオリンを快活に明るく、そして技巧的にことも無げに弾きまくるポッジャーの演奏で聴きました。
もう10年以上前の録音ですが、2000年発売当時、軽々しいくらいに、快活にバッハを弾くこの演奏に、みんな驚いたし、わたくしも同感し、そうです、ネヴィル・マリナーのバッハのような清々しさを感じたのです。

ある意味、軽快で薄味。でも、そのスピーディな快感は、いまの行き過ぎの激しいピリオド奏法と従来奏法との中間点にある存在。
イギリス生まれ、ドイツ育ちのポッジャーのバッハ。
眉間にシワ寄せて聴くようなバッハじゃありません。
朝起きて、歯を磨きながら。
昼は、メシ食ったあと、シーハーしながら、お茶飲みながら。
夜は、食卓の音楽として。
わたしには、そんなシーンで聴けちゃう演奏なんです。

お叱りをうけるかもしれませんが、心安らうバッハ、親しみあふれるバッハも、バッハのその音楽の一面です。
古楽器による演奏でも、こんなフレンドリーで活気溢れた演奏ができる、そのお手本のようなポッジャーさんのヴァイオリンです。

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2012年11月 6日 (火)

奇跡の作曲家「佐村河内守」 NHK放送必見

Samuragochi_sym1_2


     交響曲第1番「HIROSHIMA」


10月24日、大阪で、この曲の演奏が行われました。
大友直人さんの指揮、大阪交響楽団の定期演奏会です。

この曲4度目(うち2回は、2楽章なし)の正式演奏会。
震災直後に、佐村河内さんのこと、この大交響曲のことを知り、とりつかれるようにして聴いてきたわたくし。
大阪までは行けませんでした。

しかし、この作曲家のことをNHKが特集する番組が制作され放送されるのです。

  11月9日(金曜日) 22:00~22:48

       
  「情報ライブ ただイマ」


         http://www.nhk.or.jp/tadaima/

番組は、当日の演奏会の模様や、佐村河内さんの日々が放送され、いま、この人の音楽が私たちをいかに感動させるか、その魅力に迫る内容となっているそうです。

そして、わたくしも、ほんのちょっとだけ登場する予定です。

今日は、また、この交響曲を聴きながらこの記事を書いてます。

何度聴いても、いつ聴いても、感動。

拳を握り、涙が滲んできます。

今週か次週、もう一度、この交響曲のことを書こうかと思ってます。

まずは、みなさん、佐村河内とは?という方は特に必見。

是非とも放送をご覧ください。

※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。

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2012年11月 5日 (月)

007とにゃんにゃん

James_bond

10月5日は、「ジェイムズ・ボンド」の日だそうな。

ちょうど50年前、1962年10月5日が、「007ジェイムス・ボンド」シリーズの第1作「ドクター・ノー」がロンドンで封切りされた日ということで。

もう50年なんですねぇ。

確かに、初期のものを今見ると、スピード感は今の世からすると落ちるし、マシンも呑気な感じだし、ピストル撃ちまくるだけだし・・・ということで経年劣化は避けようがありませんが、でも、ともかくカッコイイし、スパイという概念は、007を持ってして植えつけられたイメージですから完全無敵の存在です。

歴代ボンドも6人。
やはり、初代ショーン・コネリーが一番印象深い。
実は頭がアレで、胸毛もじゃもじゃで驚きだったけど。
 あとは、エレガントなロジャー・ムーアが世代的に親近感あり、ですね。

で、ボンドシリーズに登場する「猫」のはなし。

007_a

ボンドの謎の敵役、エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド。
スキン・ヘッドの悪役で、常に俳優は変わったようですが、膝に抱えた白のペルシァ。
これを撫でる姿が有名になりました。

007_b

こんな風に、悪漢が操作する悪マシンの間に、ちょこんと座ってます。

007_c

ところが、形勢不利とみるや、さっさと悪のご主人様の膝上から逃げ出しちゃいます。

ギャオ

この画像は、第12作「ユア・アイズ・オンリー」であります。

N2

「Your Eyes Only」

ちょっと調べたら、「あなたに首ったけ」的な意味と、「これはあなただけ(機密文書)」的な意味の両面あるそうな。

なるほどですね。

娘が撮影してきた、ひとんちのにゃんにゃん。たまらんばい。

N1

そ~っと、チラ見

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2012年11月 4日 (日)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カイルベルト指揮

Tokyo_st_1

東京駅、南北の駅舎の天蓋。

ロマネスク風といいますか、かなりのベタな雰囲気なので、いいのかなぁ?

改装前の東京駅はこんなに華やかだったかな?

レトロの復元は難しいものがありますからして。

Tokyo_st_2

この天蓋は見事なもの、その下も丸の内ホテルとして復活しましたものの、どうも私にはキレイすぎて、あざとすぎて感じます。

東京駅は、今後もビルが左右に建ち、どんどん変わっていきそうです。

Meistersinger_keilberth_1

 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

  ザックス:オットー・ヴィーナー   ポーグナー:ハンス・ホッター
  フォゲルゲザンク:デイヴィット:ソー  ナハティガル:カール・ホッペ
  ベックメッサー:ベンノ・クッシェ     コートナー:ヨーゼフ・メッテルニヒ
  ツォルン:ヴァルター・カルナッス アイスリンガー:フランツ・クラールヴァイン
  モーザー:カール・オステルターグ  オルテル:アドルフ・ケイル
  シュヴァルツ:ゲオルク・ビーター  フォルツ:マックス・プロープストル
  ヴァルター:ジェス・トーマス     ダーヴィット:フリードリヒ・レンツ
  エヴァ:クレア・ワトソン        マグダレーネ:リリアン・ベニングセン
  夜警:ハンス・ブルーノ・エルンスト

   ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
                    バイエルン国立歌劇場合唱団
                    合唱指揮:ウォルフガンク・バウムガルト

                       (1963.11.23 @ミュンヘン)


今度の11月7日に、このブログは開設8年を迎えることになります。

これまでのご愛顧、感謝いたします。

そして、どんなに辛くても、音楽が聴けるかぎり続けようと思ってます。

これからもよろしくお願いいたします。

で、やっぱり日曜だし、ワーグナーを聴いてみるんです。

ハ長調の明るい名作、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、長いワーグナーの作品のなかにあって、トップを競う上演時間です。
「神々の黄昏」「パルシファル」とそれぞれ同じくらいか、もう少し長いかも。

何度も書きますが、前作の「トリスタン」が半音階を駆使した技巧的な作品であり、同時に書かれた次作「マイスタージンガー」は、全音階・ハ調の、明るい調和の世界に満たされた作品で、そこには不安や情熱はなく、笑いと風刺、若者や大人の恋、そして忘れてならなのは民族愛がしっかりと描かれていることです。

「トリスタン」が、同時期と後世の音楽家に強烈な影響を与えたのに対し、それと表裏の関係にある「マイスタージンガー」は、音楽ばかりでなく、ゲルマン優位を掲げる人物や体制を刺激、いや彼らが巧みに利用したという点で、明るいなかにも陰りを生みだしてしまった作品ともなった。

いうまでもなく、戦中ナチスがプロパガンダ的に活用したわけであるが、戦後はその禊にも折り合いをつけ、本来の喜劇的で明るい作品ということで、祭典的な側面を持った楽劇としてドイツでは蘇ったわけであります。
 劇場のこけら落としに、シーズンオープニングにうってつけのオペラ。

1951年、戦後復活したバイロイトの再出発にも選ばれた。
あのフルトヴェングラーの第9の年です。
その時はカラヤンが指揮で、ミュンヘンのルドルフ・ハルトマンの演出。
ヴィーラント・ワーグナーの抽象的な演出でもってスタートしたが、「マイスタージンガー」は外部演出家に。
ヴィーラントの手法が具象的な「マイスタージンガー」にそぐわないのと、なによりも、一度に「リング」と「パルシファル」の新演出を出すという激務が外部招聘ということになったのです。

そして、1963年こちらも再建なったバイエルン国立歌劇場のスタート演目として上演されたのも「マイスタージンガー」。
なんたって、「マイスタージンガー」初演の劇場ですから、そりゃもう当たり前の選曲。
その時の記念碑的ライブが、今日の「マイスタージンガー」。
当時の音楽監督、おなじみのカイルベルトの指揮と、当時、綺羅星のごとくの名歌手たち。
それに、この劇場の最強のオケと合唱。よくぞ、上質の録音でもって残されたものです。
同時に上演された「影のない女」と並んで、ドイツオペラが好きな人は必帯の音盤であります。

戦後のこの劇場の指揮者たちを見てみると、その豪華さに驚きます。
クナッパーツブッシュ、ショルティ、ケンペ、フリッチャイ、カイルベルト、サヴァリッシュ、シュナーダー。
 しかし、21世紀からは、国際的な顔ぶれとなり、メータ、K・ナガノ、K・ペトレンコと非ドイツ系の指揮者たちが牽引し、演出もドイツでは一番保守的だったのに、いまやしっかりドイツ劇場のトレンドを踏襲して走り続けております。
 でも変わらないのは、ここのオケと合唱の優秀さ。
ミュンヘンのオケに特有の暖かみと南ドイツ的な明るさ。
でもこの頃は、まだまだ鄙びた雰囲気も持っていて、現代の機能的なオケとも違う味わいをここに聴くことができます。

そんなオケと舞台を統率するカイルベルト。
 劇場たたき上げのカペルマイスターであるが、この人の音楽にはドイツの重厚感とともに、同世代カラヤンなどにも通じるスタイリッシュで緻密な構成感もあって、いま聴いても新鮮だし、ぜんぜん現代に通じる音楽造りに思います。
生き生きとした音楽は、舞台の音と合わせて、劇場のライブ感を半世紀を経ても、こうして伝えてやみません。

 歌手は、ちょっと古臭い感じの人と、やや非力なる人も混在してますが、充実の60年代を充分に感じさせてくれます。
 ジェス・トーマスの力感としなやかな瑞々しさ溢れるヴァルターは、まったくもって素晴らしくて、久々に聴くトーマスの歌声に、昨今のテノール歌手のことが悲しくなってしまいました。
 それと、立派すぎるホッターの父ポーグナー。イメージとしてウォータンにすぎるところが難点か。
 K・ワトソンのチャーミングなエヴァも好きです。
ダーヴィットとマグダレーネはいまひとつ。
そして、オットー・ヴィーナーのザックスが弱い。声質が軽すぎるし、ザックスとしての深みに欠けるように思えます。

Meistersinger

 舞台の画像を見るにつけ感じる安心感。こんな舞台もいまや遠い昔の思い出話になってしまった昨今。
そして、そんな舞台で演じ、歌われている音盤を聴くことの、これまた安心感。
そんな希少な思いを感じることのできる60年代の「マイスタージンガー」に久々に浸りきった日曜日でした。
それにしても、秋晴れの空は気持ちいい。

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2012年11月 3日 (土)

ベルリオーズ 幻想交響曲 サロネン指揮

Hamamatsucho201211_a

早いものでもう11月。

風も冷たくなってきました。

完全防備の11月の小便小僧は、消防士さんの出で立ちです。

お顔真っ暗です。

Hamamatsucho201211_b

秋の火災予防運動との連動コスプレでしたよ。

どちらさまも、「火の用心」ということで。

Berlioz_symphony_fantastique_salone

   ベルリオーズ  幻想交響曲

    エサ・ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

               (2008.9.28@ロイヤル・フェスティバル・ホール)


またまた月イチ幻想となりました。
このあいだまで暑い暑いと言っていたのに、街には早くもクリスマスの飾り付けがちらほら。

そして、どんだけ「幻想」が好きなんだとお思いでしょうが、そこそこ好きなんです。
かなり好きじゃなくて、そこそこ。
不思議とCDをこれまで集めてしまっていたものですから、毎月取りあげてやろうと企画したら、まだまだやれちゃう。
小便小僧のシュールなコスプレを毎月撮影する楽しみと相まって、まだまだ続けられそうですよ。

今月の幻想は、サロ様こと、「サロネンの幻想」

わたしと同い年のサロネンは、紅顔の青年指揮者だった頃からずっと聴いているけれど、その若々しい面影はずっと変わらないし、そのクールさの中にも熱さを感じるのも今も昔も変わりません。
そんな域から脱して、巨匠風の趣きが備わっていくのはこれからでしょうか。
作曲家でもあり、そのレパートリーが、近現代ものに偏りがちなところは、ブーレーズとも相通じるところがありますが、そのブーレーズの若い頃の冷徹さは、サロネンにはあまりありません。

フィンランド放送響、スゥエーデン放送響、ロサンゼルスフィルと順調にステップアップしてきて、ヨーロッパへ帰ってからは、フィルハーモニア管の主席に。
かねてより相性のいいオーケストラでした。
ロスフィルあたりで録音して欲しかったけれど、こちらのフィルハーモニアとのライブは、とても面白くて、サロネンならではの名演となりました。

わりとおとなしめ、至極まっとうな展開の1楽章ですが、リズムの弾み、刻みの明確さ、俊敏さ、サロネンならではの特徴がジワジワと出てきます。
2楽章のワルツも、まっとうな運びですが、しなやかな線の美しさが聴きどころ。
3楽章は、繊細で極めて美しい田園風景。強弱のダイナミクスも広大。
そして、かっこいいのが断頭台。ティンパニの連打はちょっと聴いたことがないくらいに、弾けてぶっ飛びまくってます。ガンガン行進できます、断頭台!
断頭台のあとは、阿鼻叫喚のあちらの世界・・・、ですが、冷静クールな展開。
しかし、徐々に青白い炎が熱を持つように熱くなってくるのがサロネンの音楽。
展開部から終結にかけてのエネルギーのカロリー度数はかなり高まってきて、インテンポで行き切るかと思ったら、最後の最後でぶっちぎりのゴールインを見せてくれ、観衆のライブ喝采も楽しめるのでありました。

やっぱり、サロネンの音楽はかっこエエで

Hamamatsucho201211_c

新幹線とモノレールを左手に、もう1枚。

浜松町駅西側最先端。

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2012年11月 2日 (金)

ディーリアス 「ブリッグの定期市」 ビーチャム指揮

Harunasan2


群馬の榛名山再び。

1週間前だから、いまはもっと鮮やかに染まっていることでしょう。

榛名湖の水面(みなも)すれすれまで降りれたので、たっぷりとした湖の雰囲気が撮れました。

Harunasan

こちらは、湖まで降りる前。

この道路は、路面に細工が施してありまして、ここを通過すると道路が歌うんです。

「静かな湖畔の森の影から~」と聞こえるんですよ。

渋滞したらアウトですが、これは嬉しいですよ。

高速道路でも、カーブや、単調な場所に、ドライバーに刺激を与えるために、音のでる舗装をしてますね。

Delius_beecham

  ディーリアス

   1.「夜明け前の歌」

   2.「ノルウェーの7つの歌」~「帰郷」、「夕べの声」

   3.「ハッサン」 間奏とセレナーデ

   4.「ダンス・ラプソディ」第1番

   5.「ダンス・ラプソディ」第2番

   6.イングリッシュ・ラプソディ「ブリッグ・フェア」(ブリッグの定期市)

   7.「春初めてのかっこうを聞いて」

   8.「川の上の夏の夜」

   9.「デンマークの2つの歌」~「秋」、「すみれ」

  10.「イルメリン」 前奏曲

        S:エルシー・サダヴィ  A:マージョリー・トマス

   サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハモニー管弦楽団

                      (1946~52 ロンドン)


ディーリアス(1862~1934)とビーチャム(1879~1961)。

ディーリアスの音楽がいまあるのは、ひとえに、指揮者ビーチャムと献身的な弟子、エリック・フェンビー(1906~97)のおかげ。

フェンビーは晩年のディーリアスの音楽的な手となり足となって、全霊を込めて師を支えた。自身が補筆、編曲したものも少なくなく、指揮者・ピアニストとしても、数々の音源を残しております。

そして、ディーリアスの音楽そのものを、英国楽壇に、世界に知らしめ広めたのは、ビーチャムをおいてほかにないでしょう。
バルビローリ(1899~1970)もまた、そのひとりと強く思いますが、作曲者に会い、おおいなる影響と、その人物そのものに傾倒したという点で、ビーチャムにまさる指揮者はいないのでしょう。
EMIへのステレオ初期録音が、あまりにも有名で、かつ素晴らしいのですが、今日はそれらより10年前の、同じ手兵ロイヤル・フィル(RPO)を指揮したモノラル録音を聴いてます。

いずれも、ディーリアスの幽玄なる音楽を世に広めようという意識が先立つ演奏、というよりは、一音一音、自分がともかく好きなんです、ともいわんばかりの愛情たっぷりの演奏ぶりで、その暖かな共感ぶりに感じ入ってしまうピュアな演奏です。

モノラルの音は、ディーリアスに不思議とマッチするものですが、ここでも雰囲気たっぷりで、へたな最新デジタル録音よりは、音楽性が極めて豊かに感じます。
 いま、こんなふうに慈しみと大いなる共感をもってディーリアスを演奏する人はいなくなってしまった。

のちのステレオ録音でも、断トツに素晴らしかったのは「ブリッグの定期市」。
そもそも、わたくしがディーリアスが好きになったルーツのレコードがEMIのステレオ盤で、もう40年くらい前のこと。

過去記事→「望郷のディーリアス」

オーストラリアから来たグレンジャー(この人ナイスなのよ)が採取したイングランド東部の民謡をもとにしたラプソディーで、初夏をイメージした音楽ですが、こうして秋に聴いてもしんみりと、そこはかとなく、楚々と心に耳に染み入ってくる音楽です。

ダンス・ラプソディのふたつなど、ビーチャムとのちにフェンビーが得意にした音楽は、キビキビとした中に、シニカルさとユーモアもたたえた演奏に思いましたね。

うつろいゆく時間を、ただただディーリアスの音楽に、そしてモノラル録音の人肌のビーチャムの演奏で身をゆだねていると、今日も明日もなくなってしまって、昨日や懐かしい過去にいつのまにか囲まれている自分を見出すこととなります・・・・・。

音楽にもこんな側面があっていいのだと思います。

きまって、ゆったりと眠れますし、また次の日の活力にもなりますからね。

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2012年11月 1日 (木)

プッチーニ For ピアノ  ジョン・ベイレス

Shimbashi

新橋にあるヴィクトリア調のパブにて。

アイリッシュウィスキーを飲んでます。

パリの雰囲気とはまた違うけれど、重厚でかつアールヌーヴォ風。

世紀末系の音楽が似合う雰囲気です。

Puccini_album

   The Puccini Album

      ~ピアノのためのアリア~

        Pf:ジョン・ベイレス

              (1993.5 @NY)


もう、このCD最高!
メロメロです。

わたくしのこのクラヲタブログをご覧のとおり、私はオペラ好きです。
なかでも、ワーグナーとR・シュトラウス、ブリテンと並んで、最高に大好きなのがプッチーニ
メロディアスで、陶酔的、そしてお涙頂戴のメロドラマも満載。
大衆的なようでいて、実は精密緻密なその音楽造り。
オーケストレーションはマーラーの域にも達すると思います。

オペラ作品や声楽作品も全部取り上げてきました。

そんな中で、さりげなく出会ったこのCDは、ピアノソロにトランスポートされたアリアやオペラの場面の数々を集めた1枚。
その編曲と演奏は、テキサス州出身のピアニスト・作曲家・教育者のジョン・ベイレスという、そこそこイケメンの人。

この方、ビートルズのバッハ風とか、バーンスタインのウェストサイド・ピアノ版とか、エルトン・ジョン、クリスマス音楽などなど、幾多のCDを出してます。
ムーディな、甘々の空虚な演奏と思いきや、youtubeでたくさん聴けるそれらの音源を聴くと、実に音楽性豊かで、説得力高く、思わず感動してしまいます。
バッハ風なんですよ、しかも。
氏のホームページで、たくさん映像と音源を確認できますので、どうぞ。

http://johnbayless.com/

①プレリュード

②「ラ・ボエーム」~冷たい手を、私の名はミミ、二重唱、ムゼッタのワルツ、ミミの死

③「トゥーランドット」~泣くなリューよ

④「ジャンニ・スキッキ」~わたしのお父さん、「つばめ」~ドレッタの歌

⑤「蝶々夫人」~ある晴れた日に、花の二重唱、ハミングコーラス、さよなら可愛い坊や

⑥「トゥーランドット」~リューの死

⑦「トスカ」~星は光りぬ

⑧「トゥーランドット」~誰も寝てはならぬ、この宮殿の中で

⑨終曲

トスカが少ないけれど、ほぼ網羅されたプッチーニのオペラ。
これをピアノで弾いちゃってるんです。

普通にメロディやアリアの旋律を奏でてるだけじゃなくて、オーケストラそのものも意識した巧みな編曲に、鮮やかな技巧。
ちょいとやりすぎで劇的にすぎる場面もありますが、すごい表現力だと思います。
冒頭に書いたプッチーニの音楽の特徴、それらが完璧にピアノ1台で表現されてます。

最初のプレリュードは、これから始まるプッチーニのオペラのエッセンスのオマージュ。
ピアノが幻想風にプッチーニの各作品のメロディを奏で、実際のオペラの声が巧みに絡み合い、コラージュされていきます。

そして始まる本編。

「蝶々さん」、なんて、劇的で、切なくて、悲しくて、最後はリストのピアノ曲みたいに超華麗に散ってしまうんですよ、これが。

一方、静かに切ないまでにプッチーニの優しい旋律を奏でる「ボエーム」では、涙のひとつも流したくなる気分になります。

「トゥーランドット」をそこここに散りばめて、いい雰囲気を作り上げているところがニクイところ。
トゥーランドットのアリアの豪華絢爛ぶりは、アメリカ人の明るき良心をすら感じてしまいますねぇ。

最後は、しんみりと、これまでの登場人物を回顧するかのように、そしてかなたに消え去るように静かな終曲が演奏されます。

プッチーニのアリアなら歌ってしまいたくなるワタクシです。
うまいことカラオケ風に使えるかもと思って購入したのですが、伴奏の域をはるかに脱し、ピアノ1台で、すべてを表出してしまっているものですから、黙って聴くしかないことに気がつきました・・・・・・。

プッチーニ好きならたまらない、ナイスな1枚でした。

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