ベートーヴェン レオノーレ&フィデリオ アバド指揮
週末を迎えたけれど、マヤの例の終末は来ませんね。
かの大陸では大騒ぎじゃありませんか。
こちらは、華美かもしれませんがね、新宿テラスシティのイルミネーション。
こちらが、テラスシティの駅西口側の入り口。
右手は京王デパート、左手が小田急百貨店のミロードで、そのどちらも数千億レベルの年商が。
加えて東口の伊勢丹や三越あとの店舗も考えると、新宿という街の異常な消費レヴェルが。
さらには、ほかにもこんな街がいくつもある東京&首都圏の突出ぶりと各地の対比の無情さは、いかんともしがたいものがあります。
ベートーヴェン レオノーレ序曲第1番~3番
フィデリオ序曲
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1986、89 ウィーン)
普段やたらと聴くことの多い「レオノーレ序曲第3番」。
第9の前置きに、オーケストラのコンサートの前半の曲目に、そして外来オーケストラのアンコール曲、さらには、歌劇「フィデリオ」の劇中音楽として。
最後のオペラ劇中音楽は、多分に因習的な扱われ方があって、それがかつては輝かしい効果を生んでいたものですが、いまや、そんな悠長な扱われ方はなくなってしまった。
劇的な序曲であるはずの第3番の効果が、オペラの中で、しかも、最大のクライマックス、妻が夫を身を呈して守り、そこに正義の味方登場のファンファーレが響く・・・・という場面での挿入。
劇的な緊張感のピークでのこの大序曲の挿入は、やはり場違いとしかいいようがない。
というのが現在の定説でしょうか。
ベートーヴェン唯一のオペラ「フィデリオ」には、苦心の作に相応しく、4つの序曲が作曲されております。
最終的に妻の男名「フィデリオ」のタイトルどおりの序曲。
その前の、妻の名、「レオノーレ」とタイトルされる3つの序曲。
その作曲順番も、その番号どおりでなくって、不評をかこったオペラの序曲としてそれを払拭しようと次々と書いたのは、2番→3番→1番→フィデリオ。
という微妙な順番となります。
1804年から1814年の10年の年月で、いくつかの推敲をもとに書かれたオペラにそれぞれ付随するはずだった序曲たちなのです。
勢いと、シンプルな劇性が顕著な、いまあるオペラの「フィデリオ」序曲。
それとの対比でいうと、ほかの3つの堂々たる序曲3兄弟は、オペラの序曲とすると、かなり異質に感じます。
序曲に、ベートーヴェンの専売特許みたいな「明→暗」を凝縮してしまった感のある3つの作品は、正直、回りくどいものを感じます。
オペラの中の旋律が、ここでは先取りされていたりして、それを知って聴くと、また趣きが違うのですが、3番あたりの大きな規模の大序曲は、オペラの序曲や、間奏的な場つなぎとしても、やはり異質で、それそのものの単品として存在できる音楽であります。
アバドの指揮によって集中的に録音された序曲集。
CDでは、2枚目がそっくり序曲4曲が収められおりまして、連続しての聴き方がずっとお馴染みでありました。
1番と2番を聴かされて、それが何の曲か?と言われても答えられないです。
ですが、聴きなじんだ旋律やリズムが終始恥ずかしげもなく出てきますので、すぐさま、レオノーレ&フィデリオ関係と察することが出来るのです。
一番演奏されない、それこそ1番が、今回、熱い音楽に感じとれましたね。
こんなに序曲に苦労したのに、本題のオペラの方は、モーツァルトのような成功を勝ちえなかったところがベートーヴェンらしいところでしょうか。
あんまりにも、真面目すぎて・・・・・。
それにしても、壮年期アバドの流麗かつパンチの効いたウィーンとのベートーヴェンは素晴らしいです!惚れぼれしますよ!
そして、あれですな、わたしらの世代で、「レオノーレ」と言ったら、ベームの来日公演の、あの火の玉のような烈火あふれる演奏でございましょうな!
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