R・シュトラウス 4つの最後の歌 マッティラ&アバド
2012年も大晦日になりました。
震災があった去年、いろいろあった去年。
そして、今年もなにかとありました1年。
オリンピックやノーベル賞はあれど、でも、不条理な出来事が例年以上に多かった気がしますね。
とことん、ろくなことがなかったから、年末の結果としてなった政権交代に期待が集まってしまう風潮も。
ともあれ気配だけで、多少なりとも押し上げてしまった新政権。
頼みますよ。
今年の年末の六本木ヒルズは、とりわけ寒くて、空気も澄んで、シルバーな雰囲気がとても美しかったのです。
例年、東京駅の丸の内の写真で最後を飾るのでしたが、ことしは再築とあらたなアトラクションの過剰な人気で尻すぼみになってしまい、かつ雨天も手伝い寂しいことになりました。
R・シュトラウス 最後の4つの歌
S:カリタ・マッティラ
クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1998.12 ベルリン)
毎年、12月31日恒例の、「最後の4つの歌」。
2012年の最期は、フィンランドの名花、マッテラとアバドによる演奏です。
R・シュトラウス(1864~1949)の文字通り、最後の作品たち。
4つ揃えての歌曲集としての作曲では必ずしもないが、1948年に間を置きつつ書かれた歌曲で、ヘッセとアイフェンドルフの詩によります。
歌詞の内容もふくめ、シュトラウス晩年の諦念と、澄みきった心境を反映しての、すべてをやり遂げた感ある完結感もある意味あります。
1.「春」(ヘッセ)
2.「9月」(ヘッセ)
3.「眠りにつくとき」(ヘッセ)
4.「夕映えに」(アイヒェンドルフ)
はるかな、静かな、平安よ
かくも深く夕映えのなかに
私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう
これがあるいは死なのだろうか
「夕映えに」、最後の詩です。
夕映え輝く空に、羽ばたき飛んでゆく鳥の姿、それを緩やかに見送る自分が見出せるような最後の場面。
音楽に美というものがあるのなら、きっとここは一番美しい瞬間ではないでしょうか。
シュトラウスの人工的ともいえる、音楽造りの巧みさは、オーケストラ作品、それとオペラにしても歌曲にしても、聴くわたくしの耳を捉えてやみません。
この音楽も、自分の今際に流して欲しいと思いますね。
「死と浄化」のメロディーも流れるが、決して、最期じゃない。
夕暮れだけど、その先には希望や明日迎える美しい朝があると思わせるR・シュトラウスの清朗さ。
マッティラは北欧系の歌手らしく、透明感と怜悧さを備えた歌声に、最近は力強さも加わり、ドラマティックな役柄も手掛けるようになったが、こちらでは、彼女のリリカルな要素が大いに発揮され、精巧なガラス細工を思わせる歌唱となっている。
クラシック以外の歌も難なく歌ってしまう驚くほど器用な彼女は、少し地味な存在だけれど、もっと注目されていい歌手です。
アバドとの「シモン・ヴォッカネグラ」なども素晴らしいものです。
そして、そのアバドの病に倒れる前の指揮。
オケはカラヤンのようにやりたかったかもしれないげ、内面をみつめ、集中力も高く、輝きや耽美性には背を向けた渋いものです。
マッティラの抑制された歌いくちも、アバドとの完全な協調があってのものでしょう。
静かな年越しを迎えるに相応しい演奏にございました。
過去の年末「最後の4つの歌」
2007「シュティンメ&パッパーノ」
2008「ステューダー&シノーポリ」
2009「ポップ&テンシュテット」
2010「フレミング&ティーレマン」
2011「デラ・カーザ&ベーム」
ほかにも、実演はじめ、いくつかあります。
なかでも、シュナイト&神奈川フィルの松田奈緒美さん歌唱による演奏会は、わたしの経験のなかで、この曲一番の演奏でした。
過去記事を探してみてください。
松田さんも、最後は泣いてました。
さて、今年は、わたしにとっては、あまりいい年ではなかったです。
ただ、好きな音楽の方では、神奈川フィルが勝負の年へ向けてよい方向へ舵取りされているのを確認できましたし、なんといっても、現在ある作曲家、佐村河内守氏の音楽がますます、近くに感じられるようになりました。
今年一年、どうもありがとうございました。
(こんなこと言っておきながら、すぐに日は変わり、今年もよろしくなんて、言うんですね)
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