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2012年12月 2日 (日)

R・シュトラウス 「カプリッチョ」 シュタイン指揮

Sodegaura

毎度トップを飾る写真ですが、相模湾の夕日。

わたしの故郷の、もっとも好きな景色のひとつです。

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耳に、「英雄の生涯」の英雄が過去を回帰しつつしみじみとしたエンディングを迎える音楽が、いまだに残っています。

神奈川フィルのよる素晴らしい演奏でした。

寒い日曜、大好きなR・シュトラウスのオペラから、わたしの愛する最後のオペラ「カプリッチョ」を映像観劇しました。

シュトラウスが到達した最後のオペラの世界。

若き日の最後の交響詩「英雄の生涯」は交響詩というスタイルの集大成。
晩年に、今度はオペラ、いや総合舞台芸術の終焉を描いたかのような作品。

それを大々的な音楽とせず、小編成オーケストラによる透明感あふれる背景のもとに繰り広げられる「劇中劇オペラ」をオペラにしてしまったようなオペラ。

15作のオペラを書いて、自身も台本に携わったことはあれど、やはり名台本作者との綿密なコラボレーションがあって生まれたシュトラウスオペラの素晴らしさ。
その最後に行きついた成果が、「カプリッチョ」であることを思い聴くと格別なる感銘を覚えるのであります。

最良の相棒、ホフマンスタールのあと、グレゴール、ツヴァイクと変遷し、最後は指揮者クレメンス・クラウスといった共同作業によるオペラなのでした。

  R・シュトラウス  「カプリッチョ」

   伯爵令嬢:アンナ・トモワ・シントウ 伯爵:ウォルフガンク・シェーネ
   フラマン:ベルンハルト・ビュヒナー オリヴィエ:アンドレアス・シュミット
   ラ・ローシュ:テオ・アダム       クレーロン:イリス・フェルミリオン
   イタリアS歌手:エディット・シュミット・リーンバッハー
   イタリアT歌手:ジョナサン・ウェルヒ トープ:ハインツ・ツェドニク

  ホルスト・シュタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

   
     演出:ヨハネス・シャーフ
                      (1990.8.5@ザルツブルク)


ザルツブルク音楽にての上演のNHK放送をビデオ録画したものです。
DVD化して、ひとりで楽しんでます。
CD化された同年の上演と、キャストが一部違いまして、こちらの方が良いです。

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「詞か、音楽か」どちらを選ぶ、どちらが大事?

伯爵令嬢をとりまく、そして彼女を愛する詩人と作曲家。

そんな令嬢マドレーヌの揺れる心。
恋のさや当てと、芸術論争、そして一同がオペラ作成へ向かうという小粋なドラマの中でマドレーヌは答えを出せない・・・・・。

「カプリッチョ」とは、音楽の形式(狂詩曲)の意も音楽的にはあるが、より自由な、とか、気まぐれな、とかいう自在なスタイルの形式を意とするもの。

シュトラウスは、このオペラに「1幕の対話劇」と副題をつけているように、登場人物たちがそれぞれに、自身の立場でもって思い思いに発言し行動する2時間20分の音楽劇を作り出していて、それこそ晩年のシュトラウスが到達した自在な境地ともいえます。

人物たちは、軸となる伯爵兄妹が芸術好きのパトロン、それと、舞台芸術家、作曲家、詩人、女優、歌手、プロンクター、という面々で、それぞれ舞台音楽芸術をつかさどる人々であります。
 そんな彼らが、言葉の洪水のように歌い、語る内容を詳細に把握するのは至難なことですが、こうして字幕付きの映像はありがたいものです。
それでも、展開が早くて目で追うのが忙しいこと極まりないです。

シュトラウスとクラウスは、こうした高尚な舞台の人々や、お金持ちとは無縁の人々(召使いたち)に皮肉たっぷりのシーンを用意していてこのオペラに味わいを増しています。
さらに舞台で日のあたる人々が去ったあと、文字通り、穴ぐらから登場するプロンクターにも実は俺がいなければ…的な存在を与えられていて思わずニヤリとしてしまいます。

そして、いつものように、細かなところまでいろんな仕掛けがなされている職人芸的な手口。
バロック期の物語設定であることから、オペラの話題ではカッチーニやグルックの名前が出てくるが、その際には当然に彼らの音楽がなります。
さらに、この物語のオチである、新作オペラの素材選びの際には、これもまた話題となる「アリアドネ」や「ダフネ」のタイトルが出ると、それらの自作が鳴るという仕組み。
 さらには、グランド・オペラをもしかしたら揶揄しているかもしれない、バレエの挿入。
過去作でも、なんども行われているイタリア人歌手によるイタリア語による時代めいたアリア。
こんなシュトラウスの常套が、まさに総括されるかのようにきめ細かく配備されております。

 時代錯誤の舞台を提案し、劇場支配人のラ・ローシュが皆に揶揄される、そのこともよくわかるシテュエーションながら、そのあとのラ・ローシュの大説法の反逆。

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ここでテオ・アダム演じるラ・ローシュは説得力抜群です。
これはすごい。ザックスの「親方たちをさげすんではならぬ」のパロディ。
シュトラウスが書いた低音域のソロレパートリーの最高峰。
こんな大モノローグが挿入されているところも味わい深い一点であります。

ここでは古典も独自に否定し、ワーグナーの大音響も否定し、人間の歌とドラマを賛美する劇中劇に名を借りたシュトラウスの音楽賛美なのでした。

その結果は、モーツァルトでもない、シュトラウス独自性の発露と毎度感じますがいかに?
「言葉(詩)、音楽」どちら?
シュトラウスが投げかけるオペラの本質の真髄。

この「カプリッチョ」では答えはありません。

そのかわり、そこに残したシュトラウスの音楽は、あまりにも美しく、あまりにも儚くて、いまその音楽を聴くわたくしたちには、「音楽♪」としか、答えようがない状況です。

 舞台から騒々しい人物たちがみんな立ち去り、そこに月夜が訪れ、シュトラウスが書いた絶美の音楽「月光の音楽」が始まる。
銀色の月の雫が舞い降りてくるような、ウェットでかつ羽毛のように軽やかな音楽。
 さらに、続く、令嬢マドレーヌのモノローグの場面は、間奏曲の雰囲気をそのままに、数時間後には、ふたりの求愛に答えを出さなくてはならない揺れる心中を歌う、シュトラウスが書いたもっとも美しい歌と音楽のひとつ。

ふたりの芸術家、音楽か詩か?
「さぁ、どちらにするのマドレーヌ?」と鏡の自分に問いかけます。
何度も書きますが、彼女は答えを持ち合わせておりません。
ともに分かちがたくなってしまった「音楽」と「詩」のどちらも選べません。
音楽は後ろ髪引かれるように、そして素晴らしい余韻と軽やかな酩酊感を残しつつ、洒落たエンディングとなります。

音源は別として、この映像と、フレミングのパリでの上演映像、そしてなんといっても2009年11月の二期会公演がわたくしの「カプリッチョ」体験の最大のものです。
 それは、時代を第二次大戦の占領下のパリ郊外に移した読替え演出で、いま思い出しても胸が熱くなってしまい、涙ぐんでしまう驚きと悲しみあふれる内容でした。

いずれも下記過去記事リンクをご覧いただければと存じます。

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ホルスト・シュタイン指揮するウィーンフィルの音色の細やかな美しさと、歌と言葉に符合し、相和するオーケストラがなによりも素晴らしい。
ワーグナーばかりと思われがちなシュタインの、オペラ指揮者としての柔軟で器用なあり方は、軽やかなシュトラウス演奏において完璧な指揮ぶりです。
 画面では、亡きヘッツェルとキュッヘルが並んで弾いているところもうかがえました。

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そして、そう、トモワ・シントウのヒロインのこれまた素晴らしさ。
カラヤンも愛したブルガリアの名ソプラノは、高貴な佇まいたっぷりで、わたしたちが大好きだったヤノヴィッツの系統もたっぷりのリリカルな透明感にあふれていて、最高の伯爵令嬢を演じ、歌っておりました。

先に感嘆したアダムをはじめ、渋い役まわりで固めた上演陣。

シュトラウス作曲時20世紀半ば当時と、本来の18世紀を錯綜させた時代設定の演出は、不自然でなく、むしろ、穏健なもので安心感を覚えました。

何度観ても、聴いても、最後のマドレーヌの音楽には涙をとどめることができません。
のちの「最後の4つの歌」とともに、人生の夕映えと諦念を美しく映した音楽。
シュトラウスが到達した最高傑作です。

過去記事
 
  「シルマー指揮    フレミング 映像」 

  「サヴァリッシュ指揮 シュヴァルツコップ CD」

  「ベーム指揮     ヤノヴィッツ CD」

  「沼尻指揮      釜洞 祐子 二期会公演」 

  「月光の音楽~モノローグ」 
    

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コメント

  今晩は。シュタイン指揮、アンナ・トモワ・シントウ主演の「カプリッチョ」の映像をお持ちとは恐れ入りました。テオ・アダムが出ているのもいいですね。私は、彼のヴォータンもグルネマンツもザックスもヴォツェックも大好きですから。
 R・シュトラウスのオペラはそのほとんどが冒頭から最後の部分までそれこそすべての箇所が好きなのですが、微妙なのが「インテルメッツォ」「無口な女」「平和の日」「カプリッチョ」の4作です。「インテルメッツォ」と「無口な女」は言葉の洪水のような饒舌なオペラですし、「カプリッチョ」もそれっぽいところがありますよね。「平和の日」は、シノーポリの演奏のおかげで「まぁ、好きかな」というところまでは行けたのですが…「カプリッチョ」は好きな箇所は本当に好きなのですよ。それこそ結婚を前提にお付き合いしたいぐらい(笑)。冒頭の六重奏曲、シュトラウスが書いた最も美しい音楽かもしれないと私が思っている月光の音楽、それにモノローグ…ウルフ・シルマー&フレミングのDVDしか音源を今のところ持っていませんので、例えばベームなんかで聴いたらまた印象が変わるのではないかと思います。
 最後に一言。「グントラム」がグスタフ・クーン盤もプリッチャード盤も入手不可能という現状には本当に腹が立ちます。マイナーだけど魅力的なオペラなのに。

投稿: 越後のオックス | 2012年12月 4日 (火) 18時54分

すみません、前の文章の中でグルネマンツとアンフォルタスを間違っていました。訂正してお詫びします。

投稿: 越後のオックス | 2012年12月 4日 (火) 19時00分

越後のオックスさん、こんばんは。
バタバタしてまして、お返しが遅くなってしまいました。

この映像はNHKサマのおかげです。
山のようにたまったVHSをたまに棚卸してみると、忘却の思わぬお宝が出てまいります。
その一環です。
その具象性と、美しい演奏は、このオペラの理解の一助となっております。

若い頃であれば、対訳を片手に、言葉の洪水も奮闘できたのですが、もうCDのサイズとなっては老眼の域に達してますので読めません。映像は助かります。
でも、シュトラウスは大方制覇できたと思いますので大丈夫です。

それにしても「カプリッチョ」は美しい音楽です。
シンプルで枯淡のベームを是非お聴きください。
あと、P・シュナイダーあたりに期待です。
ライブが出るといいです。

グンドラムは、プリッチャード盤があるんですか?
知りませんでした。そしてクーン盤も廃盤とはまたケシカランですね!

投稿: yokochan | 2012年12月 6日 (木) 22時03分

修士論文に「カプリッチョ」を取り上げた、nobyと申します。
この映像も参考にしました。
また、1995年にウィーン国立歌劇場で、シュタイン先生の指揮で観た舞台も、とても素敵でした。
隣の席の御婦人が、しきりにシュタイン先生のことをほめていて、「月の光の音楽」の美しさについても、解説してくれたのを覚えています。
早口のドイツ語で、理解するのに苦労しましたが・・・。
オリヴィエを歌った、まだ若かったスコウフス氏(ボイエと名乗っていた頃です)の美声から、トープのツェドニク氏まで、引き締まった舞台でした。
今のM.A.マレッリの演出ではなく、初演の流れを汲む、R.ハルトマンの演出でした。
あっという間の2時間あまりで、御婦人と満足しながら家路に着いたことを覚えています。

投稿: noby | 2018年4月10日 (火) 11時59分

nobyさん、こんにちは、素敵なコメントありがとうございます。

カプリッチョをかなり極めたnobyさんの、コメント、感嘆しながら拝読しました。
ウィーンでのシュタインさんのご体験、ほんとうらやましいです。何度も来日してくれたシュタインさんですが、日本でオペラのピットには入ることがなかったですから!
そして、御婦人との逸話、さすがはウィーンですね。
シュトラウスの美しい音楽が聴こえてくるようなイメージが浮かんでまいります。

投稿: yokochan | 2018年4月13日 (金) 08時37分

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