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2012年12月29日 (土)

ディーリアス 「告別の歌」 ヒコックス指揮

Mikimoto_winter

古木を利用した、まるで大海をゆく鯨かシャチのようなモニュメント。

クリスマス期間に撮ったものです。

Mikimoto_winter_2

クリスタルな結晶がとてもうまくできてます。

冷たいけど暖かい。

そして海の波と自然、冬を思わせます。

日本人的な感覚を感じました。

Derius_hichkox

  ディーリアス   「告別の歌」

              ~Songs of Farewell

      リチャード・ヒコックス指揮 ボーンマス交響楽団
                       ボーンマス交響合唱団

                     (1993.2 @プール)


ディーリアス・イヤーだった今年(1862~1934)だが、際立った企画や新譜はなかったように思う。
EMIが、ディーリアスのボックスを出したようだが、ほぼすべて持ってるし、なによりもあんな格安に、自身のレーベルの宝を安売りすることはないだろうに、と思っていた。
しかも、和訳のテキストがなくては、その面白みは半減。

レコード時代末期、ターナーの茫洋たる水彩画をジャケットにしたディーリアス・シリーズがそのもとになっているのですが、そこでは、英国音楽、ことにディーリアスの守護神のような三浦淳史さんの名解説が付されていて、その詩的かつ思い入れの豊かな文章は、いまでも、私のディーリアスを始めとする英国音楽の印象として、忘れがたいものの数々です。

ディーリアスの体系的な録音の流れは、まずはそのEMIに始まって、いまはナクソスとシャンドスのふたつのレーベルのものにある。
ヒコックスの死により途絶えたかにみえたそのシリーズは、アンドリュー・デイヴィスがしっかりと後を継ぎ、実は今年も何種か出ているが、気になりつつも購入はできない状況なんです。
英国系のレーベルの初盤は高額ですからね。

1925年頃から四肢の麻痺や失明に冒されていたディーリアスが、晩年にさしかかった、1930年、弟子のフェンビーの助力もありつつ完成した。
ディーリアスの境遇に感化し、半ばボランティアのように、そして全霊でもってつくしたエリック・フェンビーは、師ディーリアスの口述を受けて、師の思いを音符に残していった。
わたしたちが、ディーリアスの音楽を万遍なく聴けるのはフェンビーあってのものなのです。

ディーリアスが若いときからずっと読み愛した、ホイットマンの「草の葉」をテキストにしております。

以下、手抜きですが、以前の記事をそのまま貼ります。
あの頃も今も、同じ思いですから。

 1.黙って過去をたどっていくことの楽しさよ・・・。

 2.何か大きなクチバシの上にいるかのようにたたずんで。

 3.君たちのところへ渡っていこう。

 4.喜べ、同舟の仲間よ!

 5.さあ、岸辺に別れを・・・・・。

いずれも、静的でしみじみとした雰囲気をたたえ、オーケストラはディーリアスらしい、儚くもいじらしい背景づくり。フォルテやアレグロの場面も少なく、起伏も少ない音楽だが、合唱に励まされるようにして18分あまりの全曲を一気に聴いてしまう。

海が大好きだったディーリアスは、晩年失明し四肢が麻痺しても、海の雰囲気を味わう場所に出かけたらしい。

この曲の主役も実は寄せては帰す「海」ではなかろうか?

終曲の弦の海のうねりのような繰返しの音形が、徐々になだらかになり、その上に、合唱が「Depart・・・・」と歌いつつ静かに曲を閉じる。

ディーリアスが海に心を託した、「人生への告別の歌」であろう。

海の見える窓から、夕日を眺めながら楚々と聴いてみたい。

ヒコックスのかっちりとした音楽造りは、ディーリアスにはどうかと思われたものですが、こうして残された演奏家らは、なによりも合唱・歌に対する愛情と細やかな手作り感を思わせる点で、際立っていると思いました。
もっと多くを聴きたかったヒコックスの指揮です。

今年もあと2日です。

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