ディーリアス 「告別の歌」 ヒコックス指揮
古木を利用した、まるで大海をゆく鯨かシャチのようなモニュメント。
クリスマス期間に撮ったものです。
クリスタルな結晶がとてもうまくできてます。
冷たいけど暖かい。
そして海の波と自然、冬を思わせます。
日本人的な感覚を感じました。
ディーリアス 「告別の歌」
~Songs of Farewell
リチャード・ヒコックス指揮 ボーンマス交響楽団
ボーンマス交響合唱団
(1993.2 @プール)
ディーリアス・イヤーだった今年(1862~1934)だが、際立った企画や新譜はなかったように思う。
EMIが、ディーリアスのボックスを出したようだが、ほぼすべて持ってるし、なによりもあんな格安に、自身のレーベルの宝を安売りすることはないだろうに、と思っていた。
しかも、和訳のテキストがなくては、その面白みは半減。
レコード時代末期、ターナーの茫洋たる水彩画をジャケットにしたディーリアス・シリーズがそのもとになっているのですが、そこでは、英国音楽、ことにディーリアスの守護神のような三浦淳史さんの名解説が付されていて、その詩的かつ思い入れの豊かな文章は、いまでも、私のディーリアスを始めとする英国音楽の印象として、忘れがたいものの数々です。
ディーリアスの体系的な録音の流れは、まずはそのEMIに始まって、いまはナクソスとシャンドスのふたつのレーベルのものにある。
ヒコックスの死により途絶えたかにみえたそのシリーズは、アンドリュー・デイヴィスがしっかりと後を継ぎ、実は今年も何種か出ているが、気になりつつも購入はできない状況なんです。
英国系のレーベルの初盤は高額ですからね。
1925年頃から四肢の麻痺や失明に冒されていたディーリアスが、晩年にさしかかった、1930年、弟子のフェンビーの助力もありつつ完成した。
ディーリアスの境遇に感化し、半ばボランティアのように、そして全霊でもってつくしたエリック・フェンビーは、師ディーリアスの口述を受けて、師の思いを音符に残していった。
わたしたちが、ディーリアスの音楽を万遍なく聴けるのはフェンビーあってのものなのです。
ディーリアスが若いときからずっと読み愛した、ホイットマンの「草の葉」をテキストにしております。
以下、手抜きですが、以前の記事をそのまま貼ります。
あの頃も今も、同じ思いですから。
1.黙って過去をたどっていくことの楽しさよ・・・。
2.何か大きなクチバシの上にいるかのようにたたずんで。
3.君たちのところへ渡っていこう。
4.喜べ、同舟の仲間よ!
5.さあ、岸辺に別れを・・・・・。
いずれも、静的でしみじみとした雰囲気をたたえ、オーケストラはディーリアスらしい、儚くもいじらしい背景づくり。フォルテやアレグロの場面も少なく、起伏も少ない音楽だが、合唱に励まされるようにして18分あまりの全曲を一気に聴いてしまう。
海が大好きだったディーリアスは、晩年失明し四肢が麻痺しても、海の雰囲気を味わう場所に出かけたらしい。
この曲の主役も実は寄せては帰す「海」ではなかろうか?
終曲の弦の海のうねりのような繰返しの音形が、徐々になだらかになり、その上に、合唱が「Depart・・・・」と歌いつつ静かに曲を閉じる。
ディーリアスが海に心を託した、「人生への告別の歌」であろう。
海の見える窓から、夕日を眺めながら楚々と聴いてみたい。
ヒコックスのかっちりとした音楽造りは、ディーリアスにはどうかと思われたものですが、こうして残された演奏家らは、なによりも合唱・歌に対する愛情と細やかな手作り感を思わせる点で、際立っていると思いました。
もっと多くを聴きたかったヒコックスの指揮です。
今年もあと2日です。
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