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2012年12月30日 (日)

ディーリアス 「日没の歌」 フェンビー指揮

Umezawa_2

夕暮れの海がこよなく好きです。

すべてを飲みこんでしまうような海と、太陽の描き出す日没の色。

その色に、海が染まり、遠い山々も朱から淡い赤、そして空も、海も、山も、やがて藍色に変わってゆく。

そんな光景を、ずっとずっとながめていたい。

Umezawa

こんな風景は、人を耽美的、刹那的な心情にします。

こうして夕暮れの海を眺めながら脳裏に鳴る音楽は、決まってディーリアスです。

あとはドビュッシーとR・シュトラウスです。

自分の育った海が一番。

海は、怖い顔も見せることをまざまざと知ったけれど、近くで離れがたい存在。

海のないところには住みたくないと、最近つくづくと思うようになってきた。

Derius_song_of_sunset_fenby

  ディーリアス  「日没の歌」

    Ms:サラ・ウォーカー  Br:トマス・アレン

  エリック・フェンビー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                  アンブロージアン・シンガーズ

                    (1986.12.26 @トゥーティング)


今年最後のディーリアスは、物事の終わりに相応しい音楽「日没の歌」を。

この曲に対し、故三浦淳史さんは、「愛の幻滅に寄せる恋する者のレクイエムである」と評しました。
まったく、この音楽のことを言い得てますし、さらに氏の解説にある、セシル・グレイ(英評論家)の言葉、「ポルトガルでいう、サウダード~過ぎ去った日々にたいする、かの忘れがたい悲哀と未練の感」という言葉も、実に味わい深く、そしてこの曲はおろか、ディーリアスの音楽の本質すらもいい得ているように思います。

英国の世紀末頃の詩人、アーネスト・ダウソンの詩に基づき、1906年に友人グリーグの待つノルウェーで作曲を始め、1908年、グレで完成。
初演はビーチャム。

ソプラノ(メゾ)とバリトン独唱の男女に、合唱という30分ほどの連作歌曲で、8つの部分からなります。

  1.沈みゆく夕陽の歌

  2.微笑みをやめよ、いとしい人よ

  3.淡い琥珀色の陽の光は

  4.果てしない悲しみ

  5.哀しい別離の海のほとり

  6.身よ、いかに木立と

  7.悲しみに暮れていうというのでもなく

  8.長くはつづかない、涙と笑い


これらの8つの詩の冒頭を読むだけで、だいたいのこの曲の雰囲気がつかめると思います。
ソプラノ(メゾ)とバリトンによる連作歌曲といえば、交響曲の体裁を保っているものの、マーラーとツェムリンスキーのものがあります。
大地の歌は同年の1908年、抒情交響曲は1922年。
ディーリアスには、あともうひとつ、「田園詩曲」というソプラノとバリトンによる儚くも美しい作品もあります。

薄幸で短命だったダウソンの甘味なる詩につけたディーリアスの音楽は、それらとはまったく次元が異なり、言葉に即したリアル感や官能、寂寥感は少なく、少し覚めた眼差しで感じる感覚的な音のつらなりであります。
 際立った旋律もなく、浮かんではすぐに消えてゆく、儚いフレーズ。
明滅するような独奏楽器。悔恨を歌う男女に静かに絡み合い、優しく包み込むような微妙なオーケストラ。
わたくしは、こんなディーリアス独特のいつしか心にまといついてきて、でもあとにはなにも残さずに消え去ってしまう密やかさが好きなのです。

なかでも泣けるのは、4のソプラノによる哀歌。
あまりに美しく哀しいその音楽。
明日、別れるのだからせめて・・・明日を忘れましょう・・・と歌います。

そして最後、あらゆる人生の儚さと、その慰めを歌う。

 They are not long, the weeping and the laughter,

 Love and desire and hate


 I think they have no portion in us after

 We pass the gate.

 They are not long,the days of wine and roses:

 Out of misty dream our path emerges for a while,

 Then closes within a deam, within a dream



  長くはつづかない、涙と笑い、

  愛と、望みと、憎しみ

  これらも、あお門を行き過ぎると

  われらの心に跡形も残らない

  葡萄酒と薔薇の日々も、そう長くは続かない

  霧立ち込める夢の中から、我らが道はふとあらわれ、

  また隠れる、夢、まぼろしのうちに・・・・・

                 (三浦淳史訳)


最後は、静かに、静かに、消え入るように音楽は夕陽が沈み、あたりが静寂につつまれるように終わります。

私は、この音楽を、毎度お話する、EMIのレコードで知り、海や山に沈む夕陽とかさね合わせてずっと聴いてきました。
もう30年以上にもなります。
物事には、終わりがあること。
そして、そのあとには、また違う道や出会いがあること。
そんな流転を、悔恨とあらたな思いでもって、これまで何度も経てきました。
この先も、まだ生きてゆくとすればきっと、何度か訪れる感情でありましょう。

そんなとき、いつもディーリアスの音楽が、かたわらにあって欲しいと思います。

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