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2013年2月17日 (日)

マーラー 交響曲第10番 レヴァイン指揮

Sihibapark_1

某公園にて、きれいに整備、植えられた葉ぼたんの各種。

ムラサキ系をたくみに集めてました。

でも、春はまだ遠い。

Mahler_sym10_levine

  マーラー 交響曲第10番 (クック補筆完成版)

   ジェイムズ・レヴァイン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

                 (1978、80年 @フィラデルフィア)


金曜日に聴いた神奈川フィルの第10番のクック版全曲。

土曜も日曜も呆けたように、みなとみらいホールに響いた音を心の中で追い求めておりました。
未完の作品を第三者が、しかもよってたかって補筆していることに、以前はどうにも違和感を持ち、まともに聴いてこなかった。
初聴きは、シャイーがベルリン放送で演奏したFM放送で、カセットテープに録音したものの、先の先入観もどきの感情で、どうも入り込めなかった。
1981年ごろのことです。

マーラーに食傷ぎみとなってしまった時期もあり、10番完成版からは遠ざかっておりましたが、その10番がやってきたのは、ここ数年のこと。
ハーディングとウィーンフィルのCDを購入し、繰り返し何度も聴いて、この曲の魅力に開眼したのです。
いまでは、クックにマーラーが乗り移ったぐらいの反応を起こしたスコアだと思っております!

そして、その頃同時に起きたのが、エルガーの交響曲第3番のA・ペインによる補筆完成版への目覚め。
同様に、眉つば風に思っていたエルガー3番を、2曲ではもの足りなかった交響曲への渇望の念を埋めるようにして、あらたなエルガー作品の登場として、寛容とともに心から受け止めることで、ペインが創作した場面がマーラーのそれ以上に多々あるにしても、その出来栄えの見事さ、なによりも「エルガー・テイスト」の完璧さから、わたくしはしっかりとその曲を受け止めることができたのでした。
 まったく時を同じくする頃の10番受容は、もうひとつのマーラーという意味合いもあったことは間違いありません。
でもそれ以上に、多く残された速筆派のマーラーのスケッチやアイデアを見事に血肉化したクックやその仲間の腕の冴えに感服つかまったのです。
いまや、幾多もの版がある「10番」の基本となってずっとあり続けるのがクック版でありましょう。
それらの版によるCDレビューをしっかりされているのが、音楽および神奈川フィル仲間のyurikamomeさんのブログです。
わたしの知るなか、10番に関してもっとも広い見識をお持ちの方は、yurikamomeさんと、いまはサイト休止中のIANISさんです。

今日は、10番の演奏で気に入ってるひとつ、レヴァイン盤を聴いてます。

レヴァインの若人のマーラーの演奏の特徴は、曇りや陰りのない明るさと豊かな包容力、そして屈託ない歌でしょうか。
それがそのまま「10番」の演奏にもあてはまるのです。
5番にカップリングされた「アダージョ」とのこりの4つの楽章の演奏とは2年の歳月があるのですが、そんな差はまったく感じさせない、一貫した伸びやかなマーラー演奏。
オーマンディからムーティ治世へと変わる頃のフィラデルフィア管は、高性能ぶりと明るい煌めき系との音色で、実に耳に嬉しく優しいのです。
しかし、音が語ってこないうらみはありまして、豊かだけど雄弁さや迫真性が少ない。
美しいけど、哀しみが少ない。
でも愛にはあふれてる。
そんな印象です。

齟齬はあったけれど、聖響&神奈川フィルの演奏の方が無常感と哀しみは出ていたし、音楽の表情は必死でした。
今さらながら、素晴らしい音楽体験でした。

いろいろと聴いてきましたが、いまのお気に入りは、ハーディングとザンデルリンク、ラトルの旧盤、ギーレンの北ドイツ放送とのライブです。
いずれ発売される神奈川フィルのライブが、そのお気に入りに加わるのは目に見えてますね。

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そちらに投稿した、「アルマ」に関する内容の拙記事を長いですが以下ご紹介いたします。

神奈川フィル 第287回定期演奏会に向けてのお勉強 5時限目 

「運命の女(?)アルマ」

これまでの「交響曲第10番」のお勉強のなか、恋多きアルマの不倫が、マーラーを悩ませ、そして最後には許しの心が、この美しくも悲しい音楽に結実したことを感じていただけたと思います。
心優しく、多忙で複雑な内面を持ち続けたマーラーの音楽とその人となりを知ることがきる私たちは、アルマをちょっとばかり許しがたい存在として見てしまうのも事実です。

グスタフ・マーラーとアルマとの年の差は、19歳。
この差は、ただでさえちょっと変わり物で、決して美男子ではなかったマーラーへのギャップとして理解せざるを得ないアルマの行動だったかもしれない。
しかし、アルマは最高の作曲家であり指揮者であったマーラーに仕え、尽そうとしていたことも事実で記譜なども進んで行っていたし、夫を擁護する行動・言動も数々あります。
 自身が、画家シンドラーの娘として芸術的な素養があり、自律的・進歩的な考えもあったので、まさに芸術への目利きが効くという自覚もあったのは間違いなく、彼女が交わった人物たちは、いずれも今に名を残す芸術家たちばかりなのである。
俗に言う、彼女は「あげまん」なのかもしれない。
そして一方、「ファムファタール」と呼ぶこともできる。
それはすなわち、「運命の女」ということで、かかわった男を完全な虜にしてしまい、最後には破滅させてしまう・・・・、「魔性の女」という側面もあります(「場末の女」じゃありません)。
そのカテゴリーの女性で、音楽にちなむ名前をあげると、「サロメ」「カルメン」「ルル」などがあげられます。しかし、彼女たちは同時に「破滅の女」でもありまして、最後は籠絡した男たちに殺されてしまうのですが。
こうした一方的に男を虜にして、双方痛み分け的な存在の女性と異なる、「あげまん」型「ファムファタール」が、「ルー・サロメ」 という実在の女性で、彼女はまさにマーラーと同世代、世紀末を生きた女性なのであります。
彼女は、作家であると同時にセラピストとして、数々の芸術家と接し彼らの才能を引出し、かつ求愛もされるという存在でありました。
その芸術家たちを羅列すると、ニーチェ、ヴェーデキント(あのルルの原作、地霊・パンドラの箱の作者)、リルケ、フロイト、ほかたくさん。
 このカテゴリーに属するのが、「アルマ」といっていい。
彼女の男性関係をここの列挙します(まるで三面記事みたいですが)。

①グスタフ・クリムト・・・17歳のとき、17歳年上のクリムトにときめく。

②ツェムリンスキー・・・マーラーが後押しした気鋭作曲家で、アルマの作曲の先生。
            のちに、シェーンベルクの師となり義兄ともなる人物。
            アルマの師でありながら彼女に恋心をもってしまうも振られる。

③マーラー・・・・・・・ご存知のとおり、最初の夫。
            1902年結婚、1911年未亡人。
            娘ふたりをもうけ、一人目マリア・アンナは早くに死去。
            二人目、アンナ・ユスティーネは、作曲家クルシェネクと結婚。
            クルシェネクは、のちにアルマが10番補筆を依頼した。
            その代表作は「ジョニーは弾く」というオペラで、一世を風靡
            したものの、ナチスから退廃作曲家のレッテルをはられる。
            かつて小澤征爾がこのオペラを指揮している。

④グロピウス・・・・・・革新的な建築家。バウハウス一派を率いる。近代建築の父。
            マーラー死亡のあと、関係は遠のくが、のちに結婚。
            二人目の夫。
            ふたりの間にうまれた娘が、マノンで、19歳で早世。
            彼女を子供の時から可愛がったアルバン・ベルクが、その死を
            悼んで書いた曲が名作ヴァイオリン協奏曲。

⑤ココシュカ・・・・・・アルマより6歳若いオーストリアの画家。
            情熱的に結ばれた関係だったけれど、彼がⅠ世界大戦に従軍。
            その間、グロピウスとよりを戻され、結婚される。
            彼の作品は、クリムトやエゴン・シーレとともに、マーラーの
            作品のCDジャケットに多用されている。

⑤F・ウェルフェル・・・オーストリアの小説家。ヴェルディの研究家でもあり、独語訳
            を数々残し、その上演方式もこだわった人物。
            こんどは歳の差が逆転し、ひとまわり若い男子。


アメリカ亡命後については、詳細不明なれど、ユダヤ系のシェーンベルクやコルンゴルトなど、ツェムリンスキーの弟子筋とも交流があった模様。
コルンゴルトからは、あの魅惑的なヴァイオリン協奏曲を献呈されている。

こうして彼女の人生を見てみるとと、マーラーと歩んだ約10年間が一番輝いていたのではないでしょうか。
一流の芸術家に、アルマは惜しみなく愛を与え、そして奪うことによって、彼ら芸術家の創作に夢と力を与えていった。
まさに「あげまん」としての「運命の女」。
そして、もしマーラーが病に倒れなければ、アルマはいかなる影響と力を彼にあたえ、そして奪ったでしょうか。
51歳という、あまりに早いマーラーの死を思い、そんな想像に思いめぐらすのも、10番を聴く楽しみと喜びです。

神奈川フィルの美音が炸裂し、みなとみらいホールを、マーラーのアルマへの愛で満杯にしてしまうことを期待します。
バレンタインの翌日に、それこそ相応しいことでしょう。
(ちなみに、作曲家としての彼女の作品は、いくつかの歌曲が残されておりまして、シェーンベルク風でありドビュッシー風でもあります。

過去記事 「キルヒシュラーガー  マーラー、アルマ、コルンゴルト」

 

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コメント

いよいよハマって来ましたね、この曲に。
若杉さんは生前、「クック版よりカーペンターが今手掛けている新しい版に期待したい」と言っていましたが、それを聴けなかったのは残念でした。クック版と共にクックより前に手掛けられたウィーラー版やカーペンター版を聴くにつけ、この曲がどのように再現されるべきなのかいろいろと思い巡らせたくなります。割といいセンいっているのがやはり後発だけあってマゼッティ版、そしてサマーレ/マッツーカ版、ただ、バルシャイ版を除けば、特にウィーラー版とカーペンター版は描こうとする世界が違いますよね。聴き方にもそんなロマンがあるように思います。
ともあれ、今日、作曲科の音大生の卒業研究のテーマになるほどポピュラーな曲になったことに、ファンとしては嬉しいことと思っています。
ところで、このレヴァイン盤、フィラデルフィアのオケの威力は絶大で、美音の大津波が押し寄せるかと思えば、満天の星空のような静謐な中にゴージャスなサウンド。同じ時期に出たラトル/ボーンマス交響楽団との演奏が地味にきこえたものでした。
ところで、クック版全曲録音に当たり、第1楽章を録り直したインバルとは対照的に、なぜレヴァインは第1楽章を録り直さなかったのかぜひレヴァインの見解を聞いてみたいところです。

投稿: yurikamome122 | 2013年2月18日 (月) 08時30分

yurikamome さん、こんばんは。
そうです、しっかりはまってしまってます。持ち歩いて、佐村河内とともに、聴いてます。
まだまだ版の違いの詳細は把握できるほどではないですが、確かに後発のマゼッティ版はよいですね。
スラトキンの解説も参考になります。
神奈フィルの音盤も楽しみですが、版の聴きくらべも、わたしには残っているおたのしみです。
それと、本来のコンセルトヘボウあたりで聴いてみたいものです。
フィラ管は、一番いい時期の録音ですね。
ひっぱりだこのレヴァインだったので、あまり深い意味はなさそうですが、たしかに不思議です。
こんどは、ボストンでやってほしいものです。

投稿: yokochan | 2013年2月19日 (火) 01時00分

yokochanさん

 レヴァインのRCAの頃の録音は、今聴き直してみるとなかなかのものですよね。シカゴ響とのブラームス全集なんて、「ドイツ的」とかいうことを別に考えなければ、明るくどんどん進む演奏で、4曲が2枚に入っていることもあり、いいですよ!。マーラーも、結局全部は揃わなかったけど、明るく納得して聴いて行けるものだと思います。10番も、yokochanさんによると、なかなかいいようですね!

投稿: 安倍禮爾 | 2013年2月19日 (火) 18時16分

安倍禮爾さん、こんばんは。
レヴァインは、何気にいいですよね。
EMI、RCA、DGぐらいまでがよかったような気がします。
シカゴとのブラームスは、フィラ管とのシューマンとともに、ずっと気になっていた音源です。
きっと、わたし好みの演奏だろうなと思いつつ、いまだに確認できてません。
DGのウィーン満載のブラームスもまだ全部聴けてませんが、シカゴ盤聴いてみたいです!
そして彼のマーラーはいすれも早春賦のような記録です。
ボストンと是非、再度取り組んで欲しいものです。

投稿: yokochan | 2013年2月19日 (火) 23時11分

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