マーラー 交響曲第10番からアダージョ バーンスタイン指揮
昨日の雨や雪、今日の暖気、首都圏は春の兆しを強めつつあります。
先週末の超温暖もあって、梅の蕾も急速に開きつつありました。
本日、芝増上寺の梅の花です。
まだほんの1割程度ですが、近くの東照宮や芝公園では、5分咲きのものもありましたよ。
そちらはまた明日。
梅の種類は色の違いばかりじゃないようです。
桜の華やかさと違って、健気で着実な感じですな。
そして、あたりに立ちこめる芳香は、冬の水仙とともに、その甘味な香りは、この時期に聴く世紀末系の音楽さながらに、わたくしを酔わせるのでした。
あともう少しで、沈丁花の香りも漂い始めますからして・・・・・。
あちらの香りは、わたしには完全にアルバン・ベルクです。
マーラー 交響曲第10番から 「アダージョ」
レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
(1975.4 @NY)
マーラーの未完の10番は、オペラを書かなかったマーラーのオペラともいうべき、壮大かつ内向的な8番のあと、「9番」「大地の歌」「10番」と三部作のような死を前にした今際の淵にある人間の生への執着と告別のあい乱れる、極めて人間的・現世的な音楽の一環と終着点であります。
次回の神奈川フィルの定期演奏会は、この10番の、デリック・クック版による補筆完成の演奏会なのです!
マーラー 交響曲第10番 D・クック補筆完成全曲版
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
2013年 2月15日 (金) 19:00 みなとみらいホール
マーラーの演奏が常態化したいまにあっても、この10番のクック版全曲の演奏会は、極めて稀ではないのでしょうか。
都内オケでも珍しく、N響ですら取り上げたことがないのではないのでは!
ですから是非、マーラー好きの方は、絶対に横浜へ!
全曲版の補筆完成版は、いま数種類、さらのメインのクック版にも数稿ありますが、10番全曲にチャレンジされる方は、あまり版の違いはことさら考えることなく、自筆がどこまでとか思うところは後回しにして、虚心にお聴きいただくがよいと思います。
そしてなにより、他の番号とのカップリング率の高い、完成版の第1楽章「アダージョ」だけならば、版云々は気にせずに「9番」の終楽章の延長として、さりげなく聴くことができると思います。
ただやはり、この楽章だけを収録した演奏は、どうしても完結感を表出しすぎる傾向を感じ取ってしまい、そのあと続く欠落2楽章以下のスケッチの存在を思い抱かせることがなくなってしまうように思えるのはやむないことでしょうか。
もちろん、アダージョだけを演奏してるのであるから、あたりまえのことでありますが、完成版を多く耳にすることができるようになったいま、中途半端なアダージョだけの演奏では、どうにも満足感が得られなくなってしまったことを言いたかったのです。
そんな中でも、ついに全曲をやることなく去ってしまったバーンスタインの「アダージョ」の例のごとくの没頭的・刹那的な完結感は、この先が見越せないやるせなさと、切実な終末を感じさせるのでありました。
強烈なカタストロフの咆哮にも心奪われるのですが、わたしには、アダージョの最終部の最高音域の連続とトランペットの咆哮には、作曲者と指揮者の民族を同じくする血の叫びのように感じるのです。
不安と叫弾であり、そして平安。
ウィーンフィルの音色が美しいDG盤も好きだが、ニューヨークでのスタジオ録音の多少は粗さのある切実さの方が好きです。
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コメント
マーラーの第10は一時クック完成版にのめり込みましたが
今はアダージョだけで十分です。
バーンスタインのは2種とも甲乙つけがたいです。
やはり最晩年の録音を遺してほしかったです。
投稿: 影の王子 | 2013年2月 7日 (木) 22時21分
第1楽章のアダージョの美しさ(第9のアダージョと密接につながっている)は確かに格別であります。ただ、マーラーの書き上げていた譜面(それは、日譜で容易に入手可能なのですが)、スカスカで、あれだって“完成形”ではない。だから、結局は指揮者が手を入れなければならないことになる。それならいっそ、クック第3版でも「よし」と考えるべきなのかと思います(正確にいえば、マーラー自身、「完成形」として考えていた交響曲は第5番までですけれど)。
10番に関していえば、僕は例え全曲のオーケストレーションが他の人の手になるものとしても、第9交響曲に匹敵する重要作ではないかと考えていまして、だからこそ、新潟から今回、横浜に出向くのであります。
完成形の10番の聴きどころといったら、何といってもあのフィナーレ!
あれがあるから第10番は全曲を聴く価値がある-そう思っているんです。アレグロは確かに密度が薄くはなりますけどね。しかしバスドラが12のミュート打撃(ここで、もし金さんがバスドラに覆いを付けなかったら許しませんぞ!)に続くフルート・ソロ、アレグロが退いて、第1楽章の不協和音が轟き、しばらくたってからの弦楽器主体のあの官能的なまでに美しい旋律・・・。ギーレンが趣旨替えした理由も納得の音楽です。
来週が楽しみです。
投稿: IANIS | 2013年2月 8日 (金) 13時19分
こんなちは。
昨夜はTBだけ飛ばしてすみませんでした。
同じ演奏を採りあげておりましたのでつい・・・。
もうじき、10番演奏会ですか。浦山私意限りです。
また、感想を楽しみにしています。
バーンスタインの当演奏、時期からいくと、わずかにDG盤よりも後ですね。新旧の全集で、これだけが逆転しているんですね。あちらは映像版からの転用ですから仕方ありませんが・・・。
この、偉曲を前にして、レニーがなんとも謙虚に一歩下がって振っているように思える好演だと思います。
投稿: 親父りゅう | 2013年2月 8日 (金) 15時42分
影の王子さん、こんばんは。
わたしの場合は、ずっとアダージョでした。
全曲版はシャイーで知りましたがそのあともネグレクト。
しかし、4年ほど前から全曲を聴かずはいられないようになりました。
ハーディングのCDで何百回も繰り返し聴きました。
素晴らしい完成品だと認識してます。
あと10年あればバーンスタインも取り上げたか、もしかしたら自分で補完したかもしれないと夢想してます。
投稿: yokochan | 2013年2月 9日 (土) 00時35分
IANISさん、こんばんは。
毎度なかがら、マーレリアンのお言葉には、深い洞察と含蓄があり、まして愛される10番ですから、わたしのような10番初心者には大いに参考になるコメントでした。
ここ数日、スマホに入れて持ち歩いてますが、アダージョは当然として、やはり終楽章の耽美的な様相にはただならない思いと感動を抱いております。
一方で、2楽章と3楽章のいかにもマーラーにありそうなフレーズや歌い回しも、覚えてしまうと何かの拍子に浮かんでくるような魅力にあふれてます。
演奏会で聴くと、さらにその魅力が増すと確信しております。
神奈川フィルのマーラー、是非、ご堪能いただき、一献お伴いただければと存じます!
投稿: yokochan | 2013年2月 9日 (土) 00時47分
親父りゅうさん、こんばんは。
TBもどうもありがとうございました。
実は昨日は、休肝日明けで、したたかに飲んでの記事でして、恥ずかしい内容になってしまいました。
DGより、CBS時代のマーラーの方が昨今はすっきりくるのですが、10番はどちらも実は何とも言えない雰囲気があるんですね。少し遠くで鳴ってる印象でしょうか。
それでも、NYPO盤は好きです。
貴ブログのジャケットが懐かしいですね。
カップリングの「亡き子」が貴重な存在かもです!
イスラエルでの大地の歌と同じ時期の演奏でしょうか。
今度探してみたいと思います。
投稿: yokochan | 2013年2月 9日 (土) 01時08分