ワーグナー 「パルシファル」 聖金曜日の音楽
芝浦と汐留のあいだにある、イタリア公園。
造形美を感じる静かな庭園でした。
そして、今日は聖金曜日。
日曜日の復活祭のまえ、イエス・キリストが磔刑に処せられた日であります。
キリスト教社会では、イエスが受難を受け亡くなったということよりも、イエスが身代わりとなり、信者が死に及んだとき、永遠の命が得られるという喜びから、この聖金曜日は、喜ぶべき祝日ともされております。
そして3日後の、日曜日は復活祭で、クリスマスと同等、いやそれ以上の大きな聖なる日です。
欧米は長い休暇に入ったりしますので、この時期、あちらへ行くと、お店などがお休みになったりしているので注意が肝要。
そして、気のせいか、東京でも、英語やドイツ語を話すあちらの観光客がちらほら伺えた本日でした。

ワーグナー 舞台神聖祭典劇 「パルシファル」 第3幕から
「聖金曜日の音楽」
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
(1949.12.22@カーネギーホール)
ワーグナーの最後の作品には、いうまでもなく、「舞台神聖祭典劇」という大仰なカテゴリー名がついております。
あとにも先にも、この「パルシファル」だけ。
楽劇は、ほかの作曲家も使ったけれど、これはない。
聖堂での秘蹟や、キリストの腹を突いた槍、その血を浴びた聖杯などの聖具が登場し、最後はそれらでもって、原罪とも呼ぶべき人間の罪業が浄化されるという物語。
このような神々しい作品を作り上げてしまうのも、ワーグナー。
3幕における、パルシファルの帰還と、老グルネマンツとの再会、持ち帰られた槍と、そして老人の感動は、オペラの流れでずっと聴いてきて3時間後ぐらいに訪れる最大最高のクライマックスです。
そして、そのクライマックスの背景には、罪の女、迷える魔女、クンドリーの受洗という、大いなる感動もあるのです。
野の花(2幕の花の乙女たちとも置き換えられる)が、春に咲き誇ることも、このあまりに美しく感動的な音楽の表層的なキーですが、わたしは、クンドリーの受洗による涙こそが、この場面、いや、パルシファルの本質ではないかと思います。
このあたりは、いずれ、数日後の「パルシファル」全曲記事で。
トスカニーニは、バイロイトに1930年と31年に登場していて、パルシファルは一度だけ、31年に全公演を指揮してます。
その時の演出が、大ワーグナーの息子、ジークフリートです。
ふたりはとても仲がよかったけれど、その妻ウィニフレッドが気に入らない・・・・。
ナチスの影もちらほらする、この頃のお話です。
で、トスカニーニは、バイロイトにおける、最長上演時間記録を「パルシファル」で打ち立てているんです。
クナッパーツブッシュじゃないところが驚きだし、トスカニーニなところもびっくりでしょ。
そう、トスカニーニのワーグナーは、いずれもゆったりめの、伸びやか長大系が多いのです。
ロング2番手は、レヴァインですよ。
レヴァインもワーグナーはゆったり、ヴェルディはきびきび快速。
どうですか、この二人の共通性、テンポばかりでない類似を最近感じます。
モノラルの奥行きのない録音ながら、こちらのトスカニーニの演奏からは、ふくよかなワーグナーの音楽がゆったりと広がってゆくのを感じます。
クナのワーグナーの巨視的な大らかさと叙事的なパレットとは異なる色彩。
どちらもワーグナーを語りつくしてやみません。

ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(1995.5 @ドレスデン ルカ教会)
イタリア指揮者と「パルシファル」という意味では、バイロイトで指揮した人は、まずシノーポリ、次いでガッティ。
「パルシファル」とイタリア人指揮者では、加えて、アバドでしょうか。
シノーポリのパルシファルは、1994~99年にかけて指揮していて、DVDにもなってますし、CDでの正規発売も期待したいところ。
ドレスデンとのこの録音は、かなりコクがあって、味わいが深い。
ドレスデンの木質感も、録音のよさもあって格別。
しかし、トスカニーニのような神々しいくらいの味わいとはまた別格。
全曲を、流れのなかで聴いたらまた違うのかもしれませぬ。
でも、このオケは、ほんとスンバらしい、自主的といいますか、本能的なまでにワーグナーとオペラの雰囲気を醸し出してしまう。

何もない、すべてが象徴の世界は、能にも通じる静的な舞台。
ヴィーラント・ワーグナーのもっともロングラン上演は、22年も続いた。
一度でいいから観てみたかった。(でも、今の感覚だったら退屈してしまうかも)

こちらは、弟ウォルフがンクの聖金曜日の場面。
このほどほど感覚がちょうどよく美しい。
緑ひらく舞台は春。

そして、いまのバイロイトは、ヘアハイムの情報過多盛りだくさんのパルシファル。
それでも、この場面はこうならざるを得ない、普遍的なシーン。
この前の故シュルゲンジーフの画像がないので不明ながら、たぶん、アレはここも無視したか遊んだかしたのだろう。
ヘアハイム後は、もしやのカテリーナ・ワーグナーと想像。
思いきり、ぶっ壊しそう。
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コメント
次のバイロイト、パルジファルの演出はヨナタン・メーゼです。
http://www.jonathanmeese.com/2012/20120725_Bayreuth_Wagner_Parsifal/index_1.html
投稿: galahad | 2013年3月30日 (土) 13時29分
galahadさん、こんばんは。
これは、また知りませんでした。
情報ありがとうございます。
しかし、やらかしてくれそうなヤバイ雰囲気ですね。
日本好きな人のようですし、妙に楽しみです。
投稿: yokochan | 2013年3月30日 (土) 20時33分
Yokochanさま、こんにちわ。こちらはメトでの公演以来長々と引き続きパルジファルについて思い悩んでいたところで、日本でも映画館上映がある筈、今回のガッティ、そしてジラールの演出について、影ながら尊敬申し上げているYokochanさまの評論をいつか読ませていただけないかしら、と思っていたところでした。それにしても「クンドリーの受洗による涙こそが、パルシファルの本質」、すばらしいご指摘です。
そしてイースターの週末はほんとヴァカンス期間ですよね。ただカソリック社会では、本来的には長い四旬節中よいこは金曜にはお肉を食べなかったりなど様々な仕方である意味イエスの苦難を一年に一度わが身のことのように思い起すという習慣があります。その終わりの聖週間は、いよいよイエスのエルサレム入城のお祭りを模した日曜から始まって、毎日、そして大きくは木曜の最後の晩餐、そして悲しくも神妙に過ごす金曜の処刑の日、とますますまざまざと具体的なまでにイエスの受難を思い起こす最後のピークになっています。信者が救われるのはそれはイエスの受難のお陰なのですから長い目で意味的には喜ばしいのは勿論ですけれど、実際聖金曜は厳粛に受け止められていて、元来はミサも行われなかったそうで、現在では教会内も金曜は飾りをすべて取り払って、普段の金ぴかかもしれない十字架の替わりに素の木製の十字架を使ったりします。復活祭、イースターは、コミュニティが共にこの土曜まで、「イエスと苦しみを分かち合う」、そして人によっては「自分の罪深さを思い起こす」ような苦しい期間を過ごしてきたからこそ、その喜びがますます喜ばしくなるのではないかと思います。というようなこともやはりパルジファルを見ているとつい思い起こします。
投稿: Kinox | 2013年3月31日 (日) 05時13分
Kinoxさん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
メットのパルシファルはまだ見てないのですが、ガッティとカウフマンに魅力を感じております。
パルシファルの魅力や本質は、まだまだ私にも未知であり、これからも探訪したい道のりです。
そして、このイースターにまつわるお話、とても参考になり、大きな感動をもって拝読いたしました。
本当にありがとうございます。
「苦しみの共感」「自身の罪の認識」ともに人間が本来持っている気質の本質だと思います。
パルシファルの持つ背景を考える一助ともなります。
どうも、ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年3月31日 (日) 22時18分
今年の復活祭は早かったですね・・
投稿: edc | 2013年4月 3日 (水) 09時50分
euridiceさん、こんばんは。
そうなんですよね、しかも冬みたいに寒くって!
まだ寒暖の差と荒天も続きますね、お風邪などひかれませんように。
投稿: yokochan | 2013年4月 3日 (水) 22時23分
yokochan様
この『聖金曜日の音楽』、本当に神々しく静謐な叙情性漂う、魅力一杯の音楽でございます。以前御報告したDeccaのショルティ指揮のスタジオ録音で、コロやフリックが歌うソロ・パートを交えながらの場面、よろしいですよ。私めはワーグナーと言うお方の存在にある種の距離感を抱く(作品・人間性両面)者ですが、この音楽には無条件で参って仕舞いました。脱線ながら、晩年のクナ氏がミュンヘン・フィルと『管弦楽曲集』を録音された際に、どうして第一幕への前奏曲のみで、この場面を遺して下さらなかったのでしょう。ムラっ気で計画的録音のお嫌いな人とお伺いしてますので、プロデューサーの勧め・提案に対し、『ワシはこれ以上、手のかかる面倒臭い作業は御免だ。』とお蹴りになったのでしょうか?
投稿: 覆面吾郎 | 2022年8月21日 (日) 09時31分
こんにちは。
パルジファルは、その素材ゆえに、ワーグナー作品のなかでも、現在ではもっとも上演が難しくなってしまったと思います。
キリスト教的思想の「おしつけ」と反ユダヤ思考があるからです。
しかし、オーケストラで前奏曲と聖金曜日の音楽を聴く分には舞台が伴わずに安心です。
しかし、どうしてもこの音楽には原罪や許し、洗礼などの要素が必須です。
オーケストラ部分だけを聴いて、そうした要素を脳内変換するしかない、昨今のめんどくさい演出です。
クナッパーツブッシュが聖金曜日の音楽を録音しなかったのは残念ですが、バイロイトのライブの神々しい演奏はそれを補ってあまりあるものでした。
投稿: yokochan | 2022年8月28日 (日) 10時48分
yokochan様
フロマンタル・アレヴィの『La・Juive(ユダヤの女)』、ユダヤの金細工師エレアザルのアリア『ラシェル、神の御加護が』で有名なグランド・オペラが在るのですが、音楽的にはワーグナーやマーラーが激賞を惜しまなかった優れた物ながら、テーマがキリスト教勢力によるユダヤ人への弾圧である為、現今では些か上演しにくい‥と言う話を伺った覚えも、御座います。尤もDGより、ニール・シコフが上記の役を歌った、ウィーン国立歌劇場での公演が、DVD化されて発売されては居ましたが‥。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年8月31日 (水) 12時36分
アレヴィのユダヤの女は、全曲は聴いたことがありませんが、有名なテノールのアリアは好きです。
それ以上を語れる作品ではありませんが、かつてアルメイダ指揮の全曲盤があったと思います。
ニール・シコフはこうした熱血の役柄はうまいですね。
投稿: yokochan | 2022年9月 5日 (月) 08時44分
yokochan様
確かPHILIPSレーベルで、デ・アルメイダ指揮カレーラス、ヴァラディ、J・アンダーソン、フルラネットと言った面々が、顔を揃えて居りました。御周知のようにカレーラスが白血病を患い、結果的に制作完了迄に、四年越しの労作となりました。ただ、この全曲盤は買いそびれ、手元に御座いますのは、当初から抜粋のみで録音された一枚物です。これもデ・アルメイダ指揮ニュー・フイルハーモニア管弦楽団、アンブロジアン・コーラス、タッカー、アーロヨ、モッフォ、ジャイオッティらのRCA原盤の物で、国内発売元がまだRVC㈱では無く、ビクター音産のSRA-2994と言う番号の、LPであります。ただ、このオリジナル抜粋盤は最近SONYより輸入盤で、新装再発成ったようで慶賀の至りです。
投稿: 覆面吾郎 | 2022年9月 9日 (金) 08時51分