チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 T・トーマス指揮
春が出たり引っ込んだりですが、もうやってきました。
ですが、今年の冬の寒さはほんとうに格別で、堪えました。
首都圏でも雪が積もる日が3~4日ありまして、日陰では除雪された残骸がずっと残る寒さが続きました。
雪国の皆さまは本当に大変でしたでしょうし、ちょっとの積雪で大パニックになってしまう首都圏は冗談みたいだったでしょうね。
まだまだ厳しい北国。このところの異常気象には、もうそろそろとどめを刺して欲しいところです。
これらの雪は、ことしの成人式、1月14日の我が家から見た雪景色。
幸いにして、わたしの住む自治体では冬晴れの前日が成人式セレモニー。
慣れぬ着物に疲れた娘は、翌日の雪の日を寝て過ごしましたが、お父さんは浮かれて飛びまわってました。
早く春が来て欲しいけれど、冬の情緒もまた捨てがたいもの・・・・。
チャイコフスキー 交響曲第1番 ト短調 「冬の日の幻想」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ボストン交響楽団
(1970.3 @ボストン)
チャイコフスキー26歳の交響曲は、詩情にあふれたメランコリックな美しいシンフォニー。
第1楽章 「冬の日の幻想」~アレグロ・トランクィロ・・・
第2楽章 「陰鬱な地方、霧深い大地」
第3楽章 「スケルツォ」
第4楽章 「フィナーレ」
クラシック歴の長いわたくし、その初期には、チャイコフスキーの前半の3曲なんて、まったくマイナーなもので、テレビや放送ではまったくゼロに近いくらいに露出度ゼロ。
レコードでも、スヴェトラーノフやマゼール、マルケヴィッチらの全曲録音の中の1枚的な存在でしかなく、まして、2番に比べ、この1番と3番は耳にすることがまず難しい曲でした。
いまを思えばウソみたいなはなしです。
でもそれぞれにターニングポイントとなる1枚が存在します。
この1番「冬の日の幻想」では、71年に発売されたレコードが、今宵の1枚でして、若きティルソン・トーマスが、小澤征爾就任前のボストン響に客演して録音したものがそれです。
FM放送を録音し、何度も聴いて、この曲を大好きになっていたったのも、このMTTの演奏。
ほぼ同時期に、岩城宏之がN響を指揮した放送も聴き、さらに、ハイティンクのカッチリした演奏で感心したのは、もう少しあと。
いまや多くの演奏が聴くことができ、かなりの音盤を聴いてきましたが、そのルーツはやはり、MTTのこの爽快明晰すっきりのボストン盤。
永遠のエヴァーグリーン的な演奏なのです。
西欧に近い存在であったチャイコフスキーですが、やはりロシアの冬を描かせては、いや、その厳しいけれど、情緒的な冬に愛着をいだき続けた作者ならではの哀愁交響曲なのでです。
そのすべてが大好きで、わたくしは、この曲を聴くと5番もそうですが、素人指揮をしたくなって右手がうずうずとしてしまうのです。
1楽章冒頭のファゴットとフルートによる詩的でクールなスノー・サウンド。
あまりに素敵な2楽章は、オーボエの連綿たるメロディが雪に埋もれ、ずっと先まで真っ白なロシアの大地をロマンティックなまでに思わせる素敵なもので、その後の展開はあまりに美しく、かの地の抜けるように白い肌の女性の微笑みみたい。
で、スケルツォになると、中間部の歌謡性に富んだ場面が無情に素晴らしい。
いつまでも、どこまでも浸っていたい甘さを備えたワルツ調のメロディにメロメロ。
そして決然と、かつ民族調の終楽章。
「小さな花よ」というロシア民謡からそのメロディが取られた序奏とその主題。
繰り返しのファンファーレが重奏してゆく、ややくどい展開ですが、その興奮はいやでも高まり、最後は、後期の完璧なフィナーレ感とは遠いですが、健康的なまでの壮麗なエンディングを迎えるのです。
久しぶりに聴いて、やはり、MTTの演奏は素晴らしかった。
なんの小細工もせず、ロシアの大地なんて見たこともないのに、ビューティフルな音の配列とボストン響のヨーロピアンサウンドでもって、なにげに演奏して、録音してしまった。
そんな奇跡の音盤だと思います。
この曲を聴いてみたいと夢にまで見る演奏は、現田茂夫さんと神奈川フィル。
チャイコフスキーの全曲チクルスをやって欲しい
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コメント
私も、この演奏でこの曲を知り、魅せられました。
再発売された廉価盤ではありましたが・・・。
真夏の冷房のない官舎で繰り返し聴いた懐かしい思い出の盤です。
以降、いくつかの演奏を聴いてきましたが、やはりMTTが一番好きです。
特に第2楽章は、他の演奏がどうもしっくりこないです。
投稿: 親父りゅう | 2013年3月15日 (金) 17時30分
親父りゅうさん、どうもこんばんは。
わたしたちの世代では、このMTT冬の日幻想は、一番の思い入れがあるのですね。
この演奏以来、数々のものを聴きましたが、いまだこれを超える演奏は自分的にはないような気がします。
もしかしたら、きっと、MTTが再チャレンジしても、この音盤を超えることはできないと思います。
わたしも、2楽章にはほとほと参ってます。
投稿: yokochan | 2013年3月15日 (金) 22時56分
こんにちは。
この音盤」、いまだLPで聴いています。
「爽快明晰すっきり」、確かにそうですね。それでいてほのかな抒情味があるのが魅力です。
これからも長く聴いていきたい演奏です。
投稿: ポンコツスクーター | 2013年3月16日 (土) 09時28分
ポンコツスクーターさん、こんばんは。
どうも御無沙汰をしまして。
この演奏の素晴らしさは、もしかしたら、この曲を最初に聴いた演奏がMTTだった人にしかわからないかもしれません。
それほどに、さりげなく魅力的な演奏ですね。
わたしも、ずっとつきあっていきたいMTT盤です。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年3月16日 (土) 23時46分
お早うございます。この曲、私も好きなのですがMTT盤は未聴です。私がクラヲタになったのは80年代のことで、インフレのせいもあってかCDはまだ高かったですが、この曲のCDはあの時代にはもうかなり色々な演奏が出ていたのではないかと思います。90年代初頭に初CD化されたハイティンクの全集で聴いていっぺんで好きになりました。今のマイ・ベストはメータ指揮ロスフィルです。カラヤンとベルリンフィルの絢爛豪華な演奏も好きです。カラヤンのチャイコは5番が解釈の仕方が私的には「?」なのですが、それ以外の曲は皆素晴らしい解釈であり、演奏だと思います。
投稿: 越後のオックス | 2013年3月17日 (日) 10時26分
チャイコの1番を最初に聞いたのは吹奏楽コンクールの花輪高校の演奏でした。なんて不幸な私!今思い出しても劣悪な演奏だったのですが、とにかく最初の出会いは吹奏楽だったのです。。ご紹介の演奏はまだ聴いたことがないので近く聞いてみたいと思います。とにかく最初に聞いて「良い演奏である^^」と思ったら、その呪縛から逃れることは難しいですよね。最初がMTTであった皆様を羨ましく思います。私はレコードではマゼール、カラヤン、ロストロポービチと迷走しております。中ではマゼールが好きかな-。
投稿: モナコ命 | 2013年3月17日 (日) 16時01分
越後のオックスさん、こんばんは。
MTT盤は廃盤久しく、もしかしたらマスターに損傷でもあるのではないかと心配してます。
わたしがボケで気がつかないのかもしれませんが、マニアの間では重大な欠落があるとされてます・・・・。
ですから、よけいに愛着ある音源なのです。
しかも、カセット録音からずっと親しんできたものでうから。
この曲の愛好家は多いですね。
ほんと、素敵な愛らしい交響曲だと思います。
メータはわたしも好きですが、カラヤンは未聴です。
後期3曲は、それぞれの年代に応じて愛好家が異なると思います。
わたしのカラヤンのチャイコは60年代のDGと、70年代のEMIでして、その後はまったく聴いたことがないほどなのです。
古いリスナーなものですいません。
逆に5番の最高の演奏のひとつがカラヤンの65年録音と思ってます。
小学生のときに買ったレコードです。
投稿: yokochan | 2013年3月18日 (月) 00時05分
モナコ命さん、こんばんは。
花輪高校ですか。渋いですね。
花輪は、仕事で何度か行ったことがあります。
川沿いの道をずっと走った記憶があります。
イトク、もちろんご存知ですよね。
地元のスーパーにも何度も行きましたよ。
懐かしいです。
冬にも行きましたが、同時に行った大館の雪景色なども、やたらと印象的で、こうした曲をきくたびに思い出すのです。
マゼールは、いずれは全曲聴いてみたいと思う課題の音源です。
MTTは、もしかすると入手が難しいです。
でも、きっと聴いていただきたい1枚です。
投稿: yokochan | 2013年3月18日 (月) 00時11分
チャイコの5番はEMIのカラヤン!
おじさんの私にはたまりません^^よこちゃん様に賛同します。2楽章を聴くと中学生、高校生だったときのことが昨日のように思い出される。泣ける。、泣けるね-。。今思うとあのホルンってザイフェルトだったんですね。
4楽章が始まっただけで泣けるのは何故なのかを友人と語り合った記憶があります。昭和50年代。本当に若かった。
投稿: モナコ命 | 2013年3月18日 (月) 22時32分
モナコ命さん、こんばんは。
カラヤンのEMI5番にご賛同いただきありがとうございます。
あの頃に、カラヤンは来日し、NHKホールでトリスタンやドヴォ8、英雄の生涯などを演奏し、そこに5番もあったような記憶が・・・・、もしくはそのあとの普門館だったかしら?
ともかく、カッコいいカラヤンは、当時アンチだったけれども、チャイコの5番とワーグナーとシュトラウスだけは例外でした。
そして、チャイ5のわたしにとっても最良・最高の演奏は64年のDG盤です。
小中はこれでキマリでした!
いずれにしても、よき時代でしたねぇ!
投稿: yokochan | 2013年3月20日 (水) 00時57分
お早うございます。
スウィトナー、サヴァリッシュ、シュタインといったぐあいに日本と、とくにN響とかかわりが深かったマエストロたちの演奏でワーグナーの歌劇や楽劇を鑑賞しておられるようですね。
私が聴いたカラヤンのチャイコ5番は70年代のDG盤と70年代に制作された映像版なのです。ブログ主様やモナコ命様がお好きな60年代のDG盤や70年代のEMI盤は聴いておりません。でもどの演奏も当り外れのない帝王と言われた彼のことですから演奏傾向はそれほど変わらないのではないかと思います。前にも申し上げましたが、カラヤンのチャイ5は技術的にはものすごく上手いと思うのですが(カラヤンのバトンもオケの技量も)、でも解釈がムラ閣下やアバドやメータやセルと比べると「これってチャイコとは異質なんじゃないの?」と感じてしまうのです。でも音楽は個人の嗜好が一番大事ですからカラヤンのチャイ5をかけがえのないものだと思っている方も沢山おられますよね。
往年の巨匠のブルックナーを愛好しているクラヲタが例えばブーレーズやウェルザー・メストのブルックナーに噛みつくなんてことがありますが、青二才の私でも「貴方がたもう少し大人になれないの?」と思ってしまいます。
投稿: 越後のオックス | 2013年3月20日 (水) 04時53分
越後のオックスさん、こんばんは。
カラヤンの録音のターニングポイントは、イエスキリスト教会から、フィルハーモニーザールにその会場を変えたときと、アナログからデジタルに変わった時だと勝手に思ってます。
チャイコフスキーでいえば、60年代ものと、EMIの70年代物がイエスキリスト教会。
DGへの2度目のもの以降はフィルハーモニーです。
響きがマスとして捉えられるように録音され、それこそベルリンフィルの威力を圧倒的に感じさせるものです。
それもまたいまでは悪くないのですが、ヨーロッパ的な雰囲気を感じさせ、その豊かな響きに憧れさえも抱かせてしまうのが60~70前半の録音です。
多感な小中高を過ごしたあの時期の思い出とも重なるもので、思い入れがあるのでしょうね。
音楽の受け入れかたや、そのタイミングによって、皆さんいろんな体験や思い出がリンクしてます。
これこそが音楽の楽しみですね!
投稿: yokochan | 2013年3月21日 (木) 00時03分
冬の日の幻想が取り上げられているのは、さすがというか、嬉しいですね。
特に第2楽章の美しさ~荒涼とした情景が広がる~は
チャイコフスキーの他の曲でもあまり聞けないものですし、他の作曲家の作品と比べても屈指だと思っています。
私が聞いていたのは、FMで録音したマゼール、カラヤン、そして、よくわからない廉価版のものでしたが、紹介していただいたCDはぜひ聴いてみたいと思います。
投稿: udon | 2013年5月25日 (土) 09時16分
コメント相前後しました。
この曲の抒情はまさにロシアの大地と憂愁そのものですね。
ほんとうに好きな交響曲です。
ことに第2楽章。
あと、3楽章の中間部。
マゼール、カラヤンともに聴いたことがありませんが、どの演奏でもこの曲の良さは変わりがありません。
ロシア系の演奏が苦手なのですが、この曲に限っては聴いてみたいと思ってます。
本ティルソン・トーマス盤は、単独では廃盤中ですが、タワレコの交響曲全集の中に入っていたと思います。
投稿: yokochan | 2013年5月25日 (土) 23時10分