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2013年3月11日 (月)

ヒンデミット 「前庭に最後のライラックが咲くとき」 サヴァリッシュ指揮

Endou

こうした淡い色どりの花を普通に撮ると、こんな風なソフトフォーカスな写りになります。

鮮やかさを抑えた花々は、手向けるのに相応しいです。

Hindemith_requiem

  ヒンデミット 「前庭に最後のライラックが咲くとき」
     
           
           ~愛する人々へのレクイエム~

      Ms:ブリギッテ・ファスベンダー

      Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

   ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 ウィーン交響楽団
                          ウィーン国立歌劇場合唱団

                  (1983.11.1@ウィーン、ムジークフェライン)


ヒンデミット(1895~1963)が残した唯一のレクイエム。

1946年、終戦間もない年に完成。

当時、ヒンデミットはアメリカに亡命中。

生粋のドイツ人であったヒンデミットは、フルトヴェングラーがベルリンフィルで、彼の作品「画家マティス」を指揮して大成功を収めたにもかかわらず、反ナチス的な活動をしていたとして、その音楽を退廃的とのレッテルをナチス当局にはられ、亡命を余儀なくされた。
これを熱烈擁護し、その芸術を守ろうとしたのがフルトヴェングラーだが、そのフルトヴェングラーも、職を解かれてしまうという事件が起こった。

かつてより好んでいた詩人ホイットマンでありましたが、亡命後、同名の16編からなる詩集から12部となして、その詩をテキストにするレクイエムを作曲。

1時間に及ぶ大作は、主役のバリトンと自然と環境を歌いこむ合唱、そして鳥の声のメゾからなっていて、大オーケストラによる雄弁な背景が厳しくも優しいパレットとなっています。

ヒンデミットの音楽の常であるように、ここでの音楽は厳しく、しかめっ面のようであたりは決してよろしくない。
だが、往時の即物的にすぎる音楽よりは、ずっと旋律的で、この曲の中に共通するいくつかのモティーフを覚えてしまうと、その音の運びの展開がわかりやすくなってくる。
まして、ソロや合唱が主体なので、より具象的な雰囲気でもあり、冒頭の序奏からして極めて深刻なムードが立ち込めるのに、聴きなれると音楽の中に織り込まれた巧みな劇性を感じ、それらを拾いだすようにして聴くことができるようになりました。
バリトンの全編における活躍と、メゾの清らかな役割は、歌好きには堪らない魅力です。

またお得意のフーガの形式も曲の真ん中あたりで合唱にあてこめられていて、それはとても聴きでのあるものでしたし、だんだんと浄化してゆく最後の方、序奏を除く9曲目では、軍の消灯ラッパが静かに響くのも印象的。
 このあとの終曲、「幻影が過ぎ去り、夜が過ぎ去った・・・」では、無情感あふれるバリトンと、虚無的なフルートに鐘、弦の不安な和音。
最後はメゾも加わり、切ないまでの哀しい雰囲気のうちに曲を閉じます。

 前庭に最後のライラックが咲くとき

 そして夜、大いなる星が早くも西の空にに沈むとき

 わたしは嘆いた、そしてめぐり来る春とともに嘆くであろう


                       ~(第1曲目)

 ・・・・そして、ずっと残るべき彼らの思い出を

 私がそれほど愛した死者のために、

 この時代、この国土のもっとも美しく

 もっとも賢い魂のために

 そしてこれを愛する彼のために。・・・・


                      ~(終曲)

この曲は、年々、わたしにとって重きを増しているように思われます。
哀しく、そしてとても深く、優しくも厳しい。

こうした音楽は、フィッシャー=ディースカウの独壇場で、ときにシャウトし慟哭し、熱く優しく歌います。
ファスベンダーの女性的なメゾもいい。
そして、こうした曲を整然とかっちりと聴かせるのがサヴァリッシュの妙味。

東京大空襲で亡くなった人々、東日本大震災で亡くなった人々、昨年亡くなったフィッシャー=ディースカウに、ウォルフガンク・サヴァリッシュの追悼の念を込めて。
安らかにお休みください。

Lilac

札幌市の木、ライラック。
市内の公園にて、数年前の写真です。(たぶん、ライラックに違いありません)

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コメント

こんばんは

ヒンデミットは、はるか昔、彼の著書“作曲家の世界”を読み、音楽に対する、人一倍厳しくも、古風な愛情を感じました。シェーンベルク一派の音楽に対する言及では、人が心地よく感じる音の、その自然の理を、敢えて人為的に避けた、単なる遠回りに過ぎない、みたいな事が書かれてあったと記憶しています(記憶違いかもしれませんが…)

ともあれ、yokochan様がお書きになってらっしゃるように、現代音楽が忘れがちな、旋律の自然な美しさを非常に尊ぶ人であるという印象を受けました。

昔ながらの、いい意味で職人気質の頑固親父…当著書の最終章は、そんな彼の音楽的な良心が切々と語られ、圧巻の一冊だと思います
恥ずかしながら、彼の音楽は未聴でございました

ホイットマンとの取り合わせが興をそそりますね!

投稿: Booty☆KETSU oh! ダンス | 2013年3月12日 (火) 01時09分

Booty☆KETSU oh! ダンスさん、こんばんは。
「作曲家の世界」なる著作はまったくの初見のお話でした。
ヒンデミットは、わたしにとって、プフィッツナー、レーガーと並ぶドイツ三大難解作曲のひとりでして、その音楽は渋くて、重くて、旋律もややこしてくて・・・という難し系の人なのですが、最近徐々に目を開かれつつあるんです。
頑固もので、独自の理論を持っていると思いますが、日本人にとっては、ウィーンフィルを初めて連れてきた指揮者でもありまして、ベートーヴェンやモーツァルトをウィーン風に指揮した人なのですね。

ありきたりですが、「画家マティス」をお聴きになられることをお勧めします。

投稿: yokochan | 2013年3月14日 (木) 01時21分

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