ワーグナー 「ローエングリン」 サヴァリッシュ指揮
建て替えなった新装歌舞伎座。
4月2日が初日で、先日、近くまで行ったので見てきました。
後ろには29階建ての高層オフィスビルを併設、「GINZA KABUKIZA」というワールドな名前が通称となるそうな。
既報のとおり、地下鉄東銀座駅と直結する木挽町広場が先行オープンしてまして、売店やコンビニ、タリーズ、甘味処などがありましたよ。
お弁当売り場もありますぞ。
ワーグナー 「ローエングリン」
ハインリヒ王:フランツ・クラス ローエングリン:ジェス・トーマス
エルザ:アニア・シリア テルラムント:ラモン・ヴィナイ
オルトルート:アストリッド・ヴァルナイ 式部官:トム・クラウセ
4人の貴族:ニールス・メーラー、ゲルハルト・シュトルツェ
クラウス・キルヒナー、ゾルタン・ケレメン
ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
演出:ヴィーラント・ワーグナー
(1962.7 @バイロイト)
中期ロマンティック・オペラの3作目は、それこそロマン主義の萌芽あふれる、夢見るようなドラマの典型。
だって、まさに夢で出てきた騎士が、白馬に跨るようにして白鳥に導かれ危急存亡のときに登場して鮮やかに登場して、悪漢を退治してくれて、しかも結婚までしてくれて、しまいには、鶴の恩返しのように正体が知れたら違う世界に帰ってしまう。
夢への憧れ。バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、ローエングリンを契機にワーグナーに心酔し、国庫を空にしてしまうほどにワーグナー投資を行った。
もうひとり、夢を現実化しようと妄想した男、ヒトラー。
チャップリンの映画に、地球のバルーンをもてあそぶシーンがありました。
そのバックミュージックは、ローエングリンの清冽な前奏曲でした。
ヒトラーは若い頃から、ワーグナーに心酔し、自身がドイツの白馬の騎士になることを夢見てしまった。
でも、青春時代は、絵画や文学もたしなみ、純真な芸術好きの青年だった。
なんの歯車の食い違いか、あの男を狂わせたものは何か?
それをワーグナーだとは思いたくはないが、そう思われるフシも多々あって、アーリア系至上主義のワーグナーをその音楽とは別に鑑みるにつけ、暗澹たる気持ちになることも事実であります。
でも、わたしを含めたワグナリアンは、そんなことは百も承知で、ワーグナーの音楽だけを受容しているのでありまして、当のご本人がどんなに性悪でありましても、どんなに後ろ指差されましても、その音楽を愛してやまないのですよ。
これぞ、本来のワーグナーの毒でして、邪念をなくし本当の意味でのワーグナー音楽愛なのですから。
「ローエングリン」の魅力は、先の中世の夢物語のオペラ化にあることはもちろんですが、ワーグナーが施した、テノール・ソプラノの正、対するバリトン・メソソプラノの邪。
それぞれの世界を、白と黒に色分けされたモノトーンの演出も昨今は多いです。
勧善懲悪のわかりやすい世界は、ドラマとしてもとても魅力的な展開でして、あれこれ考えなくてすみます。
不甲斐ない亭主の尻を叩きまくるオルトルートは、最初から最後まで、おっかない悪女として描かれていて、こんなに憎たらしい女声役というのは他にはないのでは思います。
オルトルートは、異教を奉じる魔女とありますが、それはキリスト教社会から見た話で、北方の多神教信仰が北上してきたキリスト教に負けてしまった、その負い目と憎しみを強く秘めているのがオルトルートという存在なのです。
暗い闇を描いた第2幕は、パルシファルの2幕と同じく呪術的な世界なわけでありますが、そこでオルトルートは、最高神ウォータン(オーディン)と愛・魔法・死をつかさどる女神フライアの名を呼んで、復讐の祈りを捧げます。
10世紀頃の中世アントワープが、この物語の時代ですが、暗黒の中世といわれるくらいに異教徒は異端であったり、魔女狩りが行われたりとマイノリティとして片隅に追いやられてしまうので、そうした意味ではオルトルートも気の毒な存在だったわけですな。
オルトルートは、エルザにローエングリンに対する疑念を植え付け、亭主も使ってその疑惑をさらにけしかけ、巧みな心理戦に持ち込み、やがてこらえきれなくなったエルザは、禁断の問い掛けを発してしまうので、オルトルートの勝利となるのが、このオペラのある意味での結末。
クリーンな白組ばかりでなく、悪役組にも注目して聴いたり観たりすると、このオペラの面白さがまた増すものと思います。
ちなみに、北欧神話の神々の名を列挙する場面は、「ニーベルングの指環」の「神々の黄昏」、ハーゲンが家臣たちに祝宴の準備を呼び掛けるときに、ウォータン、ドンナー、フロー、フリッカの名前を連呼します。
神話の時代の人間たちが、まさにそうした神様たちを奉じていたことがわかります。
そして、その神々の壮大なドラマを巨大な楽劇にしてしまったワーグナーの創作能力は本当にすごいと思います。
1962年のバイロイト音楽祭のライブ録音。
このヴィーラント演出のローエングリンのプロダクションは、1958年がプリミエで、59、60、62年の4年間だけの上演で、指揮者は、クリュイタンス、マタチッチ、ティーチェン、マゼール、ライトナー、サヴァリッシュと毎年変わり、安定的な演目とはならなかった。
動きが少なく、装置もシンプルな象徴的な舞台で新バイロイトを率先してきたヴィーラントだが、このローエングリンはブルーを基調とする光りの効果を狙った色彩的なステージだった模様。1970年のベルリン・ドイツ・オペラの来日公演がヴィーラントの演出で、おそらくそれとほぼ似たものと推定されます。
ヴィーラント・ワーグナーと蜜月の関係にあったサヴァリッシュは、1957年から62年までの間に、トリスタン、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンを指揮したものの、62年を境にバイロイトには一度も出演することがなくなってしまうが、これはアニア・シリアをめぐるさや当てがヴィーラントとの間にあったとか、なかったとか・・・・。
いずれにしても、少し遅れて世に出てきたローエングリンのこの音盤によって、サヴァリッシュ指揮のロマンティック・オペラ3作が出そろうこととなり、75年の発売当時、とても喜んだものです。
CD時代になってからの購入でしたが、驚くほど鮮明な録音で、盛大な足音や舞台ノイズもそのまま拾っているものの、活きのいいオーケストラと往年の大歌手たちの歌声をしっかり楽しめる。
39歳だったサヴァリッシュの指揮は、後年のキリっとした几帳面な演奏とはかなり違って、ときには煽るくらいに激情的に走る場所もってスリル満点。
そこは、オランダ人やタンホイザーと同じだが、清新な初々しさを感じるのはローエングリンの音楽ならではのところ。
二度と聴けないサヴァリッシュのワーグナー。
80年代のミュンヘンでの演奏では、もっとスマートになり、オーケストラもしっかり抑制し、歌とのバランスに優れた理想的なうるさくないワーグナーに進化した。
バイエルンの放送局に残るその音源が、R・シュトラウスとともに復刻されることを切に望みたいです。
気品と力強さを持ったジェス・トーマスのローエングリン歌唱は、ケンペ盤でのものとともに理想的な素晴らしさ。
若いシリアのエルザは体当たり的な歌で、大御所的なヴァルナイのオルトルートに惑わされ、段々と疑心暗鬼に陥ってゆくさまが、単なる無垢なだけのエルザでない姿を歌いだしていました。
そのヴァルナイがこれまた素晴らしくて、ちょっとした語尾の仕上げや、嘲笑いや見事な豹変ぶりなど、そら恐ろしいオルトルートなのでした。
それと、かつてトリスタンで活躍したヴィナイがバリトンになって復帰した最初の年であるこの録音。私の好きな歌手のひとりです。テノールの暗さがバリトン声になると、少し明るく聴こえるところが面白いところ。
クラスとクラウセ、みんないいです。
歌手の充実ぶりも、この音盤の優れたところ。
思えば、アニア・シリア以外は、このCDに名前のある方々はすべて物故してしまいました。
時の流れは無常なのです。
最後の「はるかな国に・・・」を聴きながら、窓の外を見てたら哀しくなって涙が出てきました。
ジェス・トーマスの歌う、「Leb Wohl !」が心に沁みました・・・・・・。
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コメント
こんばんは。お久しぶりです。ヤノフスキのトリスタンを聴いています。
今年寒かったので、しばらく冬眠していました。芝刈りだけは続けてましたが。昨日、新国アイーダ聴いてきました。二列目センターでした。お客、超満員でした。リング以来のような。主役二人は、とても良い声でした。オケも破綻なく、いつもより立派でした。
投稿: Mie | 2013年3月18日 (月) 20時24分
わかる。。。わかるよー。この年になると「Leb Wohl」って言われるともう涙が出るんです。おじさんはお年頃なんです。「In fernem Land, unnahbar euren Schritten」と氏素性を語られるともうダメなんです。
おじさんは、それでもまだ若かった頃「インディジョーンズⅢ」で「あ!これって!ローエングリンだ」って思いながら見た頃を思い出したりして「あの頃君は若かった」とか思うと、涙ぐむんです。
ジェス・トーマスのテナーで歌われるとヤラレルんです。J・キングだったりするともうダメなんです。
おじさんは蓄音機でフェルカーの演奏をSPレコードで聴きながら泣いています。
投稿: モナコ命 | 2013年3月18日 (月) 22時18分
yokochanさん
まさに「古き良き時代」の思い出ですね!!。10年ほど前、ハンブルグでローエングリンを観たら、ペーター・コンヴィチュニーの「毒廻り演出」で、舞台は「3年B組金八先生」の教室に変えられていました。バカそうな、高校生の集まり、制帽をかぶった、制服を着ていちゃいちゃやっている高校生男女の痴話になっていて、婚礼のシーンは、教室でこの二人が「結婚」するシーンでした!!。白鳥はついに出て来ない!!
あまりに馬鹿馬鹿しくて、途中から目をつぶって聴いていました。驚くのは、こういう「演出」を褒める評論家もいて、ある時、そういう評論家と話をするチャンスがありました。あれはあれで価値があるみたいなことを、眉間に皺を寄せながら講釈ふうに話すんで、「可怪しなものは可怪しい、とはっきり言うことが必要です。そういうものに阿て(おもねて)、流行に乗ったつもりでいるのは、1930年代にナチズムがいつの間にか広まったプロセスを思い出します」とはっきり言ったら、ギクッという顔をして、それからは黙ってましたが。
yokochanさんのサヴァリッシュ盤は、「今は失われた貴重な記録」でしょう。映像も観たいですね。
投稿: 安倍禮爾 | 2013年3月19日 (火) 12時39分
Mieさん、こんばんは。
どうもしばらくでした、コメントありがとうございます。
新国もご無沙汰してたら、いつのまにか「アイーダ」だったのですね。
恥ずかしながら、「アイーダ」はまだ舞台で観たことがありません。どうも気おくれしてしまいまして。
しかし、間違いなく興奮と感動につつまれてしまうのでしょうね!
なかなかに良き上演でありましたようで、こういう上演こそNHKの放送が入って欲しいと思います。
ヤノフスキのワーグナーシリーズは好調のようですね。
途中までで止まってしまってますが、わたしもがんばって全曲制覇したいと思ってます。
投稿: yokochan | 2013年3月20日 (水) 00時41分
モナコ命さん、またも泣かせてしまいました。
しかし、「Leb Wohl」はヤバイですよね。
ローエングリンもさることながら、ウォータンのそれは、もう父親的には涙なしには聴き過ごせませぬ。
なんて罪なワーグナーなのでございましょう。
そういえば、インディもそんな感じのところがありました。息子と観てて泣いてしまいましたし。
トーマス、キングに、コロ、そしてホフマンが4大ローエングリン巨頭でございましょう!
そしてフェルカーとはまた趣きのある!!
投稿: yokochan | 2013年3月20日 (水) 00時46分
安倍禮爾さん、こんばんは。
件の、コンヴィチュニー学校ローエングリンは、DVDにもなっているアレでしょうか。
わたしは、いつも買い物リストには入れているのですが、きっと一度でお終いになりそうで、よっぽど廉価にならない限り、最終クリックには至らない商品のひとつとずっとなってます。
某評論家氏とのやりとり、痛快ですね。
観てみないことにはどうこう言えませんが。
コンヴィチュニーの演出はいくつか観てますが、驚きの視点で、新鮮な息吹きを舞台に与えることも事実としてあると思います。
音楽家としてのコンヴィチュニーの才能が、その演出に反映された場合です。
以前に観た「エウゲニ・オネーギン」がそれでした。
でも一方では、お笑い系のような表層的なおもねるその場限りの解釈も見受けられるのも事実でして、そうした遊びが過ぎるのもコンヴィチュニーならではかもしれません。
映像をいくつか観る限り、つまらないバイロイトも、そんな一面的な解釈の演出に覆われてしまったように思います。
ますます、観ることのできない、50~70年代の舞台を観にいってみたいものですね。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年3月20日 (水) 01時11分
現在NHKの「お願い!編集長」というサイトで、「サヴァリッシュ ワーグナーを語る ワーグナー没後100年を記念して」(http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/33021.html#main_section)と云う番組と1978年のポリーニ、サヴァリッシュ&n響のブラームス:ピアノ協奏曲第1番の公演(http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/33020.html#main_section)を再放送するように要請しております。2014/5/23までに100人の賛同が集まれば再放送されます。是非ご協力ください。
投稿: がんばれ!公共放送NHK | 2014年5月15日 (木) 14時59分
いまほど、投票イイネしてきました。
どちらも見ました。
ことに、ピアノを弾きながらのワーグナーは絶対に見たいですね。
情報ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2014年5月17日 (土) 17時11分