ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」 マリナー指揮
公園の整備されたポットですが、この色使いといいますか、色合いはセンスありますねぇ。
パープルと藍のブルーに、葉の緑。
この色合いもまた、冬の終わり、早春を思わせるものです。
2年前の今頃は、国民全部が打ちひしがれていて、絶望的な思いに満たされていたかと思いますが、それでも草木は春の装いを準備していた頃あいでした。
被災地の方々を思いつつも、そうでない人々は、日常をいち早く取り戻すべく立ちあがったのもさほど時間が経過していないいま時分でした。
人間の営みは、時に試練を与えてくる自然によって支えられ、多くを奪われ、そしてその自然によって、多くの恵みを得る悠久の営みなのです。
しかし、あまりに無情。
与え、そして奪う。
しかし、感謝と救いを祈らざるをえません。
ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調 「田園」
サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
(1985 @ロンドン)
この音楽が人間によって書かれ、残されたことにも感謝。
ベートーヴェンの感情表現として書かれ、決して描写音楽ではないのですが、ハイリゲンシュタットの森や鳥たちとともに書いたと、自身が表明したように、やはり耳に支障をきたしていたこの時分のベートーヴェンの心の目で見た自然と人間の営みは、この素晴らしい音楽の中にしっかりと反映されているのですね。
だれしもが持つ、自分の田園風景。
それは、生まれ育った田舎の風景かもしれませんし、旅で出会った旅情あふれる田園の風景かもしれません。はたまた、昨今では、テレビの映像でであった田園風景が、その方の心に触れたものなのかもしれません。
いずれにしても、日本人的な心象風景はほぼ似通っていて、それとダブルフォーカスに耳で体感できるのがベートーヴェンの「田園」。
不幸にして、故郷の田園風景や沿岸の光景が失われてしまった被災地ではありますが、誰しも、みなさんに、この「田園交響曲」をお届けしたいです。
今宵、そんなことを思いながら聴いていたら、終楽章の嵐の過ぎ去ったあとの感謝の感情あふれる大らかな旋律に、はらはらと涙がこぼれてしまいました。
あたりまえこそ、ありがたい。
マリナーの田園は、わたしには理想郷のような田園です。
爽やかで、さりげなく、サラサラと流れるように進行し、思い入れも、停滞感もまったくなし。
音楽がそこにあって、流れているだけ。
うすめのアンサンブルに、透き通るような見通しのよさは、思わぬリズム感と推進力を生みだしています。
これこそがマリナー&アカデミーの真髄。
ピリオド奏法なんて関係なしに、こんな清冽新鮮な音楽が紡ぎだすことができるのです。
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