ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮
神田淡路町、すなわち、秋葉原と地下鉄淡路町や新お茶の水、お茶の水が至近のアリアに忽然と立ちあがった、高層住宅、オフィス、商業複合の巨大な建築物。
それが「ワテラス・タワー」。
「Waterras」という英名は、神田川のウォーターフロントだし、テラスを意識した、オープンスペースな空間が取り入れられたゆったりエリア。
億ション系が中心なそうだが、完売に近いらしい、・・・・はぁ。。。
へそまがりなので、この手の空間開発は全然好きじゃないです。
地価がますます上がります。
元来、下町で、この地区に住んでいる方々が難渋します。
商売(仕事)が、地価に完全にリンクされて、実態化から遠ざかり、ますます普通の人々から遠ざかり、東京ブランドを特級化して非庶民化してしまいます。
東京も二分化しつつあり、都心とそうでない地区。
都心以外でも、かねて策定された都市計画アリアがあり、それが時代の流れを無視して実行化しつつあるところもあり、それでもまだ計画実行中のエリアあり・・・、いろいろです。
しかし、なにもない地域からしたら、まさに一極集中です。
さまクラの街歩きは、こんな風に、いつもマイナスイメージを喚起するばかり。
でももう、どうでもいいやあ。
音楽の嗜好も遡り、ますます過去に軸足を求めるばかり。
ところが、過去聴いてた最高と思っていた演奏も、時間の経過とともに疑問符がつき出すという寂しい事象もあります。
ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
ザックス:テオ・アダム ポーグナー:カール・リッターブッシュ
フォーゲルゲザンク:エーベルハルト・ビュヒナー ナハティガル:ホルスト・ルノウ
コートナー:ゾルタン・ケレメン ベックメッサー:ジェレイント・エヴァンス
ツォルン:ハンス・ヨアヒム・ロッチュ アイスリンガー:ペーター・ベンツィス
モーザー:ホルスト・ヒーステルマン オルテル:ヘルマン・クリスティアン・ポルスター
シュヴァルツ:ハインツ・レー フォルツ:ジークフリート・フォーゲル
ヴァルター:ルネ・コロ エヴァ:ヘレン・ドナース
ダーヴィット:ペーター・シュライアー マグダレーナ:ルート・ヘッセ
夜警:クルト・モル
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
ドレスデン国立歌劇場合唱団
(1970.11@ドレスデン ルカ教会)
もう何度目か不明のワーグナー連続シリーズは、「マイスタージンガー」です。
そしてなにをいまさらの、カラヤン盤。
東西ドイツがびんびんに健在だった頃の1970年。
政治的にはいまの南北朝鮮と同じように憎悪しまくっていたけれど、音楽の交流は豊かだったことに、いまや本当に感謝したいです。
東西交流で生まれた素晴らしい音源も数知れません。
壁崩壊の前にドレスデンとベルリンを中心で録音された魅力の音源の数々は、西側の指揮者たちによってもたらされたものも多い。
なかでも70年代からドレスデンとこぞって共演する指揮者たちが続出。
ベーム、ヨッフム、ケンペ、カラヤン、アバド、小澤、クライバーなどなど。
カラヤンは、ザルツブルクで定期的にドレスデンと共演していて、そちらの音源化も期待できますが、なんといっても、このワーグナーの大作録音がこの組み合わせが一番の成果にあげられます。
高性能のベルリンフィルを何不自由なく使えたのに、わざわざ、東ドイツへ出向き、ローカルな歌劇場のオーケストラを使って録音するなんて・・・・。
当時、中学生で、カラヤン離れを起こしていなかった頃で、カラヤンとベームのワーグナーには憧れにも似た信頼感を持って接し、待ち望んでおりました。
シュターツカペレという呼称がまだついておらず、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団という名称が正式のものとして受け入れられていた時期です。
ほぼ子供のわたくしには、歌劇場のオーケストラというところがどうにもフィルターがかかっていたところで、なんでカラヤンが?という印象でした。
しかし、そんな稚拙な思いも、レコ芸の評や、ドレスデンのオケをもっと知ることによって吹っ飛び、よくぞカラヤン、やってくれましたとその演奏を実際に耳にしてみて思うようになったのです。
初めてこの全曲を聴いて、もう30年くらいになります。
途中、摘み聴きはありますが、全曲本格聴きは、もしかしたら20年ぶりくらいかも。
当時まだ、ふくよかで、厚みのあるサウンドのなかにマイルド感もたっぷりあったドレスデンのオーケストラの響きは、いま聴くととても懐かしく感じられる。
ことに、第3幕の前奏曲のホルンと金管の夢幻的なまでの美しさ、そこに絡む低弦の底光りするような味わい深さ。
ドイツの深い森から響いてくるような音色をここに体感できます。
さらに、3幕後半、ロマンティック極まりない5重唱から、音楽は祭典の場へ移行していきますが、カラヤン独特のテヌート気味な盛り上げの壮大さと完璧なまでの高揚感の見事さ。
一説によると、当初、指揮者はバルビローリだったが、カラヤンがここでドレスデンにこだわったことが、この音色を聴くとよくわかります。
「マイスタージンガー」は、よく親方たちがその主役だとも、または、ニュルンベルクの街そのものが主役ともいわれますが、ここでは、カラヤン指揮するドレスデンが主役です。
いまでは想像もつかない、オペラのスタジオ録音。しかも東側に2ヶ月間陣取っての録音は贅沢なもので、細部にわたるまで、オーケストラは雄弁かつ緻密に仕上がってます。
実はこのオーケストラの濃密感に、今日は酔いつつも、疲れてしまうという結果にもなったのです。なんという贅沢なことでしょうか。
あっさり気味、没個性的、無国籍のオーケストラ界に当方の耳が変化しつつあるのだ。
昔は、こんな個性のあるオーケストラばかりを普通に聴いてたわけだし、その聴き方も一生懸命だった。
オーケストラ主体とはいいつつも、歌手も顔ぶれも豪華絢爛。
隅々にいたるまで、当時の東西ヨーロッパで活躍していた歌手ばかり。
テオ・アダムの凛々しいザックスを要に、ふんだんなく美声を聴かせるルネ・コロ、あまりに美しい声のリッダーブッシュ、快活な兄さんシュライアー、夜警のちょい役に若かったクルト・モル、ワーグナーを歌うなんて考えられなかった可愛いドナートに、奥行きを与えてくれる名メゾのルート・ヘッセ。
アンサンブルとしても完璧だと思います。
しかし、わたしの耳には、いまはどうしても抵抗のあるのが、ベックメッサーを歌うエヴァンス。歌い口や声による演技が巧いのはわかるけど、あまりに軽薄すぎて調子に乗りすぎ。
最初に聴いたときはそんな風に思わなかったのに。
ワーグナーの喜劇だから、思いきりコミカルに、唯一のいじられ役だから・・・・。
いまは、そんなベックメッサーにも温情がかかり、演出上では、普通の真面目人間だったり、最後は笑い物にならずに、仲間のひとりとして受け入れられたり、もっと腹に一物を持つ人物として・・・などなど、いろんなキャラクターを付与されるようになりました。
録音上で聴く場合でも、その歌唱は過度の演出を交えず、ザックスやヴァルター、親方たちと対等に存在するように聴こえるように。
(カラヤンとエヴァンス)
だからエヴァンスのベックメッサーはやりすぎの過剰歌唱に感じました。
カラヤンのオーケストラも、ここぞとばかり面白おかしく上手く付けるものだから、よけいにそう思ったのです。
もちろんそうは思わない方々もいらっしゃいましょう。
オペラにおける、「笑い」のあり方が、年月とともに変わりつつあると思います。
「リング」の「ジークフリート」の第2幕と第3幕の間に書かれた、ふたつの巨大な傑作、「トリスタン」と「マイスタージンガー」。
半音階とハ長の正反対の性格をもつこのふたつ。
「リング」と「パルシファル」とともに、ワーグナーを愛するものにとって大事な兄弟作品です。
古い録音でも、新しい録音でも、時代の流れを感じながらも、こうして等しく聴くことができる喜び。
そしてオペラ鑑賞の主体は、音源から映像へ主体が変わっても、思い出深いCDやレコードは、わたくしのもっも大事なものなのです。
ただ残るのは、この先何回聴けるか、との不安の思いのみなのであります。
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コメント
市井の人々を描いた題材の喜劇と言う点で、この作曲家としては、ユニークなオペラですね。でもまぁ、長~い事には間違いないです(笑)。この録音、以前の『レコ芸』誌のコラムで、当初バルビローリが振る筈が、亡命したクーベリックから共産圏国家内では指揮しないでくれと懇願され降板、宙に浮いた企画に帝王が巧みに滑り込んだ‥とのエピソードが、紹介されてましたね。イギリスEMIのSLS規格は、ニュルンベルクの風景の木版画?のような美しく印象的なデザインのカートンボックスでしたが、日本の東芝盤はアップなさったような、帝王の写真でありました(笑)。
で、御指摘のゲライント-エヴァンスさんでありますが、個人的にはクレンペラー最晩年のモーツァルト-オペラの、フィガロやグリエルモで出演されて居た為、馴染みのあるお方でした。他にドミンゴにコトルバス主演の、ドニゼッティ『愛の妙薬』での、いかさま薬売りドゥルカマーラでも出演していらっしゃいました。確かに演技力を売り物にされていて、かなり表情たっぷりの歌い回しを敢行する人なんです。それを面白く良しとされるか、嫌味で鼻につくと断じるかの分かれ目に、なると思います。
この『マイスタージンガー』、帝王の生誕百年記念でEMIから、Vocal&Opera集大成されたセットを買って、それに含まれて居ますがまだじっくり聴き込めておりません(笑)。コメントはまた後日と言う事で‥。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月28日 (火) 07時52分