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2013年4月14日 (日)

ヴェルディ 「ナブッコ」 ガルデッリ指揮

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桜咲くころの神田明神。

お江戸の総鎮守として、大黒様、えびす様、平将門を祀り、わたくしも近隣に会社があった頃には、商売繁盛の祈願に行事として行ったものでした。

そこそこ広い境内には、いろいろと由緒あるものが思いがけない風にありますので、一度足を運ばれてはいかがでしょうか。

鳥居の近くには、おいしい納豆を売る天野屋さんというお店があります。
さらに、少し行くと、おいしいうどん屋さんもありまして、そちらのカレーうどんが絶品なんですよ。

別館の記事を久しぶりに更新しました。→さまよえる神奈川県人

Verdi_nabucco

      ヴェルディ   「ナブッコ」

 ナブッコ:ティト・ゴッピ       イズマイーレ:ブルーノ・プレヴェティ
 ザッカリア:カルロ・カーヴァ    アビガイッレ:エレナ・スリオティス
 フェネーナ:ドーラ・カーライル    大司教:ジョバンニ・フォイアーニ
 アドバーロ:ワルター・クレートラー アンナ:アンナ・ドーラ

   ランベルト・ガルデッリ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   (1965,9 @ウィーン・ゾフィエンザール


ヴェルディ3作目のオペラ。
前作、「一日だけの王様」の初演が失敗に終わり、その直前の子供や妻の死で愛する家族も失ってしまった失意のヴェルディは、作曲家であることを辞めようとまで思う。

しかし、ヴェルディの才能を見込んでいたスカラ座支配人メレッリはあきらめず、次の台本を準備していた。
史実と旧約聖書を元にした戯曲「ナブコドノゾル」がフランスで流行り、ほどなくそれがイタリア訳され、そのオペラ化権はリコルディ社が買取り、そのバレエ版は1838年、すなわちヴェルディが最初のオペラ「オベルト」を初演する1年前にスカラ座で上演され、成功を得ていた。
今度は、それをオペラ化するにあたり、前作より協力関係を得たソレーラが台本を作製し、ヴェルディに提示した。
そして、その愛国的な内容も含むドラマにヴェルディはやる気を奮発して、一気に作曲を進め、あの失意の翌年には「ナブッコ」を完成させ、1942年3月にスカラ座で初演。
上演は、大成功に終わり、聴衆も熱狂。
ヴェルディは、こうしてイタリアを代表するオペラ作曲家としての地位を確立したのであります。
ちなみに、この初演時、アビガイッレを歌ったスカラ座のプリマ、ストレッポーニとヴェルディはこれがきっかけで親しくなり、のちに結婚に至っております。メデタシ。

オーストリア傘下にあり分裂時代の当時のイタリアにあっては、故国の統一と独立が宿願だった。
そんな中で、イタリア人の心を奮い立たせ、舞い上がらせたのがこのオペラの中の合唱「行けわが想いよ、金色の翼に乗って・・・」。
ヴェルディにも熱き思いはあったが、それ以上に台本作者ソレーラは、独立運動に身を投じ投獄されるほどの筋金入りの愛国者だったから、このあとのヴェルディとの共同作でも、愛国テーマが刷り込まれたオペラが続出することになります。
愛国無罪なんていうと恐ろしいことも起きますが、こんなオペラ作品なら大歓迎ですな。

この「ナブッコ」における愛国シーンとは・・・・「旧約時代のバビロニアの史実で、ユダヤの王が2度にわたりバビロニア王ネブガドネザル(すなわちナブッコ)に反乱を起こしたので、ネブガドネゼルはエルサレムに侵攻・陥落し、人々をバビロニアに連れ去った。
すなわち世界史で習ったバビロニア捕囚というヤツで、人々は故国とエルサレムの街を遠くバビロニアで思い、いつか帰れる日を希望を持って歌うのです」

紀元前586年ごろ

第1部 エルサレム

神殿のなか、人々はバビロニアの軍が攻めてくると大騒ぎをしている。
有名な序曲のあとのこの大合唱は一気に観る人をドラマに引き込む効果を持ってます。
ユダヤ教の祭祀長ザッカリアは、バビロニア王ナブッコの娘フェネーナがここにいるので大丈夫だと、人々をなだめて歌う。
そこへ、イスマエーレが飛び込んできて、敵がやってきたと告げる。
そして、ナブッコの娘のひとり、アビガイッレが軍隊とともに攻め込んでくる。
彼女は、イスマエーレが好きで、彼に自分を愛してくれるなら彼は助けようと持ちかけるが、当のイスマエーレはフェネーナを愛しているので、その申し出を断る。
ついに、この神聖な神殿にナブッコが馬に乗ったまま出現し、軍勢とアビガイッレは万歳を叫ぶ。
しかし、ザッカリアは神殿を汚すならば、この娘の命はないと、フェネーナに刃を付きつける。その刃を取り上げたのがイスマエーレで、彼は人々から不信をかこつことになる。

第2部 不敵な男

バビロニア王宮 アビガイッレは、古書のなかから自分の出自、すなわちナブッコが奴隷に生ませた娘であることと、ナブッコは王位をフェネーナに継がそうとしていることを知り、怒りに燃え、自分が王位を奪うことに野望を燃やす。
ここでの揺れ動く心情と激しい情熱を歌い込んだアリアはヴェルディの歌のなかでも、もっとも凄まじいもの。
 一方、囚われの身となったザッカリアは神に祈って歌う。
イスマエーレは、ヘブライ人たちから非難され、これをザッカリアの姉アンナは庇い、フェネーナも登場して混乱する。
そこへ、ナブッコ王が亡くなったとの知らせが入り、アビガイッレが王位を継いだとする。
さらに混沌としたところへ、当のナブッコがやってきて、一同驚くが、ここでナブッコは自分は王でなく、神だと宣言する。その時、雷が落ち、王冠が吹き飛び、ナブッコは錯乱状態になり、アビガイッレは、落ちた王冠を拾う。

第3部 予言

バビロニア王宮 アビガイッレは玉座についていて、そこに大司教が裏切り者であるフェネーナの処刑の判決文を手渡す。
そこへ弱り切ったナブッコがやってくるので、アビガイッレは彼をそそのかして反逆のヘブライ人たちの処刑命令に署名をさせ、衛兵にすばやく渡す。
ナブッコは、娘フェネーナのことを尋ねるが、アビガイッレは偽りの神に身をゆだねたとして一緒に滅びるのだと宣言。
愕然としたナブッコはアビガイッレを攻め、奴隷の女よと怒り古書を出そうとするが、それはいまはアビガイッレの手元に。彼女はをれを引き裂き勝ち誇り、ナブッコを捕えるように命じる。許しを乞うナブッコ。
 ユーフラティス河畔では、ヘブライ人たちが故郷を想い歌う~行け想いよ、黄金色の翼にのって~。ザッカリアも人々を励まして歌う。

第4部 壊された偶像

ナブッコは幽閉されていて、外ではフェネーナたちを処刑場へ連れてゆく葬送の音楽が聴こえる。ナブッコは悔恨にくれ、ヘブライの神々への許しを乞い、全能の神をたたえ、ついに彼は正気を取り戻し力を取り戻す。
そこへ腹心アブダッロが助けにやってきて、ナブッコに武器を与え、王位復権へと励まし、ともに戦おうと兵士たちとともに立ちあがる。
 処刑を控えたザッカリアは、フェネーナに開かれた天へ向かおうとともに歌い合う。
そこへ、ナブッコ万歳の人々の声。
ナブッコが登場して、不敬もの、止めよ、偶像も粉々に砕けよ!と叫ぶと、偶像はみな倒れて粉々になる。
そして、イスラエルに帰り、新たな神殿を建てよ、この神のみが偉大であると宣言。
さらにアビガイッレが服毒したことも告げる。
一同は驚き、感謝し、神をたたえ、ナブッコも讃える。
息も絶え絶えのアビガイッレが兵士に支えられながら出てきて、これまでのことを懺悔し、神への帰依を告白し、その場で息絶える。
ザッカリアは最後に、ナブッコに対し、エホヴァに仕えるあなたは王のうちの王であると宣言して幕。

                   幕


ヴェルディの作ったここでの音楽は、原作の原初的な世界とともに、荒削りで直截的です。
音塊はときにむき出しで、そのダイナミックで荒々しい様相は、いやがうえでも聴く人を興奮させ、人間に潜む感情を扇情的に刺激します。
その裏返しに、父と娘=バリトンと女声という、ヴェルディならではの確定的なまでに人心を感動させるモティーフもしっかり描かれております。
 もうひとりの娘は、権力を持ったがゆえの邪悪な強い声の持ち主によって歌われる一方の主人公です。このタイプもこれからヴェルディのオペラの必須の登場人物です。

こんな受けのいい役柄の固定化も、このナブッコから図られました。

ゴッピの活動期の最後に、デッカの優秀録音によって、その巧みな歌いぶりが記録できたことは、まったくもって嬉しいことです。
イヤーゴやスカルピアのイメージが強いゴッピのヴェルディでのバリトン・ロールは、極めて雄弁でありながら、その役柄の弱さや優柔ぶりを歌いこんでやみません。
シノーポリ盤のカプッチッリとともに、最強のバビロニアの狂える王の歌唱といえます。

 そしてさらにスゴイのは、スリオティスのアビガイッレの強烈さ!!
歌い急いだ彼女は、よくいわれるように、カラス2世と言われながら、急速にその声を失ってしまった。
本来のリリコスピントから、ドラマティコに移行し、さらにメゾ音域もゆうに歌えたことから、嘱望され無理がたたった。
この録音でのアビガイッレは、すさまじいまでに、最高域のハイスピントを聴かせつつ、すぐさまメゾ低音域に駆け下りるという至難の歌唱を楽々と歌いのけている。
しかし、この時すでに、そのドスの効きすぎた声は最盛期を過ぎていたようにも思われる。
1971年のNHKイタリアオペラでのノルマは、テレビでぼんやりと見た記憶があり、その後のハイライト放送のエアチェックで何度も聴いたが、流麗なアダルジーザ役のコソットの方に耳を奪われるようになってしまった。
スリオティスは、1943年生まれで2004年に61歳の若さで亡くなってしまう。
20代で、もっとも輝いた名歌手です。

カーヴァの流麗なザッカリアの歌唱、ベルゴンツィそっくりなプレヴェティの明るいテノールも楽しく聴きました。

そしてなによりも、実質ウィーンフィルの有能なオーケストラと、それを指揮するヴェルディ魂あふれるガルデッリ。
リングをへて、充実していたデッカ・チームのウィーン録音は、ここでも優秀で、ソニックステージと呼ばれたステレオ感覚を駆使した横へ広がる豊かな音には年代を感じさせないものがありました。

ブログでのヴェルディ・オペラ全26作制覇まで、あと12本(改作除く)。
道のりは長い。

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コメント

この演奏!大好きです。ゴッピの表情のすごさったらないです。例によってCDも持っていながらLPでこのアルバムを楽しんでいます。そして!ご指摘のスリオティス。さすがに美人好きのさまよえる様、見逃しませんね。声も美貌も兼ね備えたソプラノでした。あっという間に最盛期を過ぎてしまう。美人薄命。泣けます。椿姫も良かったな-。ナブッコの名盤ってそれ程多くないんだけど、このアルバムはスリオティスのアビガイッレを聞きたくて何回聞いたことだろう。大好きです^^もっと歌手として長生きして欲しかった。惜しい、でも本当にステキです。

投稿: モナコ命 | 2013年4月15日 (月) 23時13分

モナコ命さん、こんばんは。
ナブッコはどちらにしようと、悩んだのですが、シノーポリじゃなくて、ガルデッリ盤にしたのは、やはりゴッピとスリオティスの最強コンビがあったからです。
トータルの歌手の有名ぶりではシノーポリ盤ですが、こちらはチーム編成がよろしく、ふたりの歌手ふだけが突出していないところも魅力かもです。

スリオティスはあとマクベス夫人もすごいですね。
もう少し長生きして、もしかしたらトゥーランドットなんか最高だったでしょうね。
みんな死んじゃうから最近ともかく寂しいです。

投稿: yokochan | 2013年4月16日 (火) 00時09分

この『ナブッコ』、ヴェルディ初期オペラ諸作品の中では、面白みに充実度確かに図抜けて居るようです。既にオランダ・プレスに切り替わってからの盤ですが、SET-298~300と言う番号のLPで聴いております。ドラマティコ・ダジリタのアビガイッレ役が難役の為、海外のオペラハウスでもあまり頻繁に舞台に掛けられない演目の、ようでありますが自宅の皿回しでなら、仮想舞台を楽しめ結構な限りでありますね。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年4月28日 (火) 10時20分

このナブッコ、LPでシノーポリ、CDでムーティを持ってますが、ともにダイナミック。
海外では、いろんな演出を施して、最近よく上演されている様子です。
コロナ前に、リヨンオペラとトリノオペラのものをネットで聴き録音もしましたが、ともに臨場感あふれる高度の演奏に歌でした。
昨今の演奏と歌唱技術の向上は、こんな難役・難オペラを簡単に上演できるようになりましたね。
ワーグナーもしかりですが、世界中で均一にレヴェルがあがってます。

投稿: yokochan | 2020年5月 2日 (土) 14時46分

yokochan様
ムーティ盤も、悪かろうはずもございませんよね。タイトル・ロールのマヌグェラ、ムーティ指揮のベッリーニ『清教徒』のリッカルド、『カヴァレリア‥』のアルフィオにも、出演なさってました。他に、ボニング指揮の『椿姫』(サザーランド、パヴァロッティ他)の、ジェルモン役も勤めておいででした。
ゴッビやカプッチッリに比して、ネームバリューやスター性では今一つかも知れませんが、指揮者の意図を的確に察し、優れた演唱を聴かせてくれる人のようです。ロンドンを起点にして、フィルハーモニア管弦楽団と録音を行っていた頃の、活力のみなぎったタクトも、聴きものでしょう。

投稿: 覆面吾郎 | 2024年8月14日 (水) 07時33分

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