ジョン・ウィリアムズ ヴァイオリン協奏曲 ペスカーノフ&スラトキン
新幹線が西に向かって走り抜け、上ではお台場・豊洲方面は向かうゆりかもめ線。
東京ばかりが、日本の中心となってゆく。
これでいいのだろうか。
4月を迎え、真新しい着なれぬスーツを着た若者もやたらと目立つ。
彼らは、まだまだ社会人として、その空間に溶け込めず、ルーティンと化した画一化された先輩社会人たちの行動様式からは浮くばかりだ。
その初々しい毒されぬ新鮮さも5月頃には姿を消してしまい、ビジネス街はまたいつもの景色に戻るのです。
そんなことに反骨する若者はもういません。
面白みのない風景ばかりになってしまったけれど、清新な気持ちだけは持ち続けていて欲しいし、そうありたいもの。
ジョン・ウィリアムズ ヴァイオリン協奏曲
Vn:、マーク・ペスカーノフ
レナード・スラトキン指揮 ロンドン交響楽団
(1981.ロンドン)
あの「スターウォーズ」を始めとする映画音楽の大作曲家、ジョン・ウィリアムズ(1932~)の本格クラシカル作品のひとつ、ヴァイオリン協奏曲。
J・ウィリアムズの映画音楽担当作品は、あのタイトルを羅列することさえ無意味なくらいに、アメリカの映画のビッグネームはほぼすべてが彼の作品。
最近作では、「リンカーン」もJ・ウィリアムズの音楽のようです。
指揮者としても、A・フィードラー後のボストン・ポップスを大いに盛り上げ、CD音源もたくさん残したことはみなさんご存知のとおり。
こちらのヴァイオリン協奏曲は、1974年に作曲を始め、1976年10月に完成されています。
その間の映画音楽作品は、「タワーリング・インフェルノ」「ジョーズ」「ミッドウェイ」。
さらに翌年から、「未知との遭遇」「スターウォーズ」「スーパーマン」と大ヒット作が続きます。
そんなある意味、J・ウィリアムズの映画音楽の最充実期が花開く頃に、併行して、このようなシリアスな本格ヴァイオリン・コンチェルトが書かれていたことを知ることは驚きです。
1974年に、J・ウィリアムズは、妻で歌手&女優だったバーバラ・リュイックを病気で亡くしてしまいます。バーバラ43歳の若さでした。
その妻への思い出もこめて、この協奏曲は書かれました。
ちなみに、ふたりの間には3人の子供がいて、末弟のジョセフは、アメリカン・ロックのグループ「TOTO」のボーカリスト兼作曲家の歴代のひとりです。
彼はまだ50代の若さですから、今後いかなる活躍を見せるか楽しみではあります。
J・ウィリアムズが泣き妻に寄せた思いは、この協奏曲の第2楽章に聴いてとれるような気がします。
急・緩・急の伝統的な協奏曲のスタイルを持つこのヴァイオリン・コンチェルトですが、映画音楽の天才的なクリエーターとしてのJ・ウィリアムズの馴染みのいい、親しみやすさとストレートなまでのわかりやすさは、ここではなりをひそめていて、1楽章から難解な雰囲気でしかめっ面をしたこの作者の別の一面を見る思いなのだ。
終始、厳しい表情は崩さず、シェーンベルクのような分析的な音楽にも感じて、最初は辟易としてしまった。
第2楽章は、同じシリアスな要素は持ちながらも、内向的で、亡き妻への思いが静々と淡々と語られるようで、なかなかに聴かせます。
その主要主題はメロディアスで美しいのです。
しかし、中間部ではまた尖がった曲調となるところが本格派としての意思を感じるJ・ウィリアムズの筆致です。
3楽章のプレストは、無窮動的な速いパッセージに覆われるカッコいい展開とそのサウンドです。
演奏会ではなかなかに盛り上がりを見せることでしょう。
34分あまりを要する、なかなかの大作です。
聴いていて、先輩のバーバー、そしてなによりも、ハリウッドの先達、コルンゴルトのヴァイオリン・コンチェルトをも強く感じさせる音楽であることに思いを寄せるようになりました。
少しばかり強面ですが、ロマンティック・アメリカ音楽の系譜をしっかりと受け継いでいる音楽なのでした。
そして忘れてはならないのが、このCDのプロデュースはエーリヒ・コルンゴルトの息子、ジョージ・コルンゴルトによってなされているということです。
父とともにアメリカにわたり、ハリウッドで、おもに父の作品の録音プロデューサーとして活躍しましたが、1987年に59歳で亡くなってしまいました。
この曲の初演者である、ペスカーノフは、D・デレイとI・スターンに学んだ人で、1981年にスラトキン指揮するセントルイス響とともに初演奏を行いました。
その後にロンドンで行われたのがこちらの演奏です。
大衆性からは遠い作品ではありますが、こうして立派な演奏が残されていて、ほおっておくにはもったいない現代、いまあるヴァイオリン協奏曲のひとつだと思います。
併録のフルート協奏曲は、さらにシャープな、そして武満とブリテンっぽいクールサウンドでした。
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