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2013年5月

2013年5月30日 (木)

武満 徹 「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」 晋友会

Azumayama_10

鬱陶しいむしむし梅雨空の今日の首都圏。

こんな五月晴れが、ほんとうに眩しく、羨ましく思いだされる1日でした。

ニュースをひねれば、死や暴力、隣国との摩擦、政治家の暴走とあげ足取り、芸能人のつまらん話題・・・・・、そんなのばかり。

そういえば、潮田益子さんが亡くなりました。
まだお若い方でした。
小澤さんとの共演のレコードやバッハの無伴奏もありました。
わたくしの昭和はどんどん過去になっていきます。

Takemitsu_cho

 武満 徹  混成合唱のための「うた」

   ~明日ハ晴レカナ、曇りカナ~

     関根 晋 指揮 晋友会合唱団

                 (1992.9.15 @川口 リリアホール)


武満徹が編曲・作曲した無伴奏混成合唱のための二つの作品集からなる合唱曲集。
これを、合唱曲集と呼ばず、「うた」~Songs~というところが武満流。

50~80年代にかけて作曲されたものを90年代前半に曲集として編んだものです。

 1.さくら                2.小さな空

 3.うたうだけ             4.小さな部屋で

 5.恋のかくれんぼ          6.見えないこども

 7.明日ハ晴レカナ、曇りカナ   8.島へ

 9.死んだ男の残したものは   10.○と△のうた

11.さようなら             12.翼


一筋の流れのようにして聴くこれらの無伴奏合唱。

まさに形式ばらず、肩肘はらない軽いタッチの「うた」。

歌っている詩は、時として、呑気に聴いてらんないシリアスさも内包するけれど、タケミツソングスは、そんなシリアスさも優しく馴染みあるタッチでさらりと聴かせてしまう。

研ぎ澄まされた神経と耳で持って息を詰めるようにして聴かなくてはならない、武満徹の現代音楽ジャンルの作品。
それらと対峙するのでなく、同一の人物がしっかり書いたもうひとつの顔の作品群。
映画音楽のジャンルなどもそうでしょう。
あの泣けるほどに美しい「波の盆」もそう。

こうして、気の置けない雰囲気の合唱は、人々の集いの中で育まれていった英国のパート・ソングを思わせるものがありました。
ディーリアスやホルストたちの涼しげで、田園情緒あふれる庭園音楽たち。

そして日本語の綾なす美しさ。

繊細で細やかな抒情と言葉の意味なすリアルさの妙。

谷川俊太郎をメインに作曲者の詩。

     昨日ノ悲シミ

     今日ノ涙

     明日ハ晴レカナ

     曇リカナ


     明日ノ苦シミ

     今日ノ悩ミ

     明日ハ晴レカナ

     曇リカナ


今日は、ぐっとキタsign01

このシンプル・ソングnote

晋友会のしなやかな美しいハーモニー。

いいじゃないか。

武満ソングスのもう1枚の愛聴盤。
オペラ歌手ゆえに劇性も豊か、でもメゾゆえのきめ細やかさ。
林美智子さんの「地球はマルイぜ」。
ご本人のサインもいただき、大切な1枚です。

心の中はずっとずっと晴レていて欲しいものですsun

Kanagawa_phil_book_3

神奈川フィル監修の名曲案内。

本格発売中!

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2013年5月29日 (水)

コルンゴルト チェロ協奏曲 ベルガー

Yamashita_park1

わたしの住む関東地方も今日、梅雨に入っちゃいました。

しかも明日は蒸し暑さと豪雨も予想されてますし。

前にも書きましたが、本来の日本的な風情ある梅雨は、今は昔。

前線が居座って、いやな熱帯性の低気圧がそこにやってくる。

こんな風に、花を愛でてる場合じゃなくなってくるし。

こちらは、山下公園のもう旬の過ぎたバラ園。

Korngold_3

  コルンゴルト チェロ協奏曲 op37

     Vc:ユリウス・ベルガー

 ヴェルナー・アルベルト指揮 北西ドイツフィルハーモニー

                       (1991.2 @ヘルフォルト)


今日、5月29日は、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルト(1897~1957)の誕生日。

何を聴こうかと思い、時間的にも短くて、そして、甘くてほろ苦くて、郷愁のハリウッドの響きもする素敵なチェロ協奏曲を選択。

これ、実は、当ブログ3度目。

ディクソン&バーメルトのシャンドス盤、ズロットキン&スラトキン(実は兄弟)のBBC盤

そして今宵は、ベルガー&アルベルト盤。

過去記事より以下引用。

>このチェロ協奏曲は、映画「愛憎の曲~In Irving Rappers Deception」(Deception)のために作られた音楽。

映画は、美貌のベティ・ディヴィス扮するクリスチンとマルチ音楽家でセレブの男の愛人と、彼女が惚れてしまったチェリストとの三角関係を描いたもので、最後はクリスチンは、セレブ男を殺めてまで、チェリストと愛し合おうとする物語。

このなかで、セレブが作曲しチェリスト君が弾いた音楽が原曲となっている。
これをコルンゴルドが本格バージョンアップさせたのが、この協奏曲。

映画で、チェロの音を出していたのが、エレノア・アラー(Eleanor Aller)という当時ハリウッド四重奏団のメンバーで、かつ、ここで指揮しているレナート・スラトキンの母なんだそうな!!
彼女はもちろん、バージョンアップした協奏曲の初演もおこなっている<
     
                             (スラトキン盤の解説を一部参照)


その映画の場面がこちら。ふたりの男はクリスティンを巡って仲たがいし、この演奏会では指揮者は作曲者であったセレブ氏は降りてしまってます。



さらに、こちらのサイトで映画の一部が見れます。

http://www.amazon.com/dp/B006GIYBXW

背景に流れる切ない旋律は、このチェロ協奏曲のもの。

1946年の映画作品の音楽を担当。すぐさまチェロ協奏曲に。

力強さと、リズミカルなテーマと、甘味な旋律が綾なすコルンゴルト独特の世界。
いつものように鍵盤楽器と打楽器の活用も独特な近未来的な雰囲気を出しております。

ドイツの名手ベルガーの情に溺れぬシャープなチェロは、これまでのふたつの演奏とはまた違ったかっちりしたものに感じた。
それは、アルベルトと北西ドイツフィルにもいえてるけれど、コルンゴルトのヨーロッパへの想いをここにより感じることもできることは確か。
スラトキン盤は、よりキラキラしているけれど、少しばかり明るい。

コルンゴルトは来年、「死の街」がびわ湖と新国で上演予定。
数年前のアニヴァーサリーよりキテマス!


Kanagawa_phil_book_2

神奈川フィル監修の名曲案内。発売開始。

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2013年5月28日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第4番 ヤンソンス指揮

Kanteibyou1

横浜中華街の「関帝廟」。
關聖帝君という、三国時代の武将を中心に諸々祀っているそうですが、不勉強なわたくしには、それ以上ご説明できません。
ただひとつ、日本のそれもそうですが、あれこれ盛り過ぎだろ、ということ・・・。

Kanteibyou2

門をくぐり本殿は、このとおり、シンメトリーな中華なお姿。

しかも、屋根の上の細工物は、技巧のかぎりを尽した微細な彫刻物が。

ちょいとアップにしてみましょうかね。

Kanteibyou3

一部ガラス細工のようですが、本場で造ってもらったようです。

なんだかんだ言いがちですが、かの地はピンキリということでしょう。

練達の職人芸がしっかりとあるんですねぇ。

Tchaikovsky_sym4_jansons

  チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調

    マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

               (2005.11.10@ヘラクレスザール、ミュンヘン)


チャイコフスキー(1840~1893)の交響曲シリーズ。
よくみたら没後120年という地味アニヴァーサリーじゃね。

第4番は、1878年、作者37歳の作品。
交響曲に加え、白鳥の湖、オペラ3つを完成させ、ロシア音楽界の期待の若手として注目を浴びていたチャイコフスキーですが、よくあるように、その実態は生活的に困窮していて、日々苦しいばかり。
 そのチャイコフスキーを、このとき救ったのが有名なメック夫人との交流。

ナジェージュダ・フロロフスカヤあらため、ナジェージュダ・フォン・メックさんは、16歳で交通省の役人のカルルの妻となり、子沢山の家計貧乏の生活に明け暮れておりました。
しかし、夫婦でチャレンジした民間鉄道への事業転換が大当たりして、ロシアや近隣へも不動産を持つほどの財をなすほどになるのでした。
しかし、旦那カルルは45歳の夫人を残して他界。
商才あったメック夫人は、すべてを継承し、商売は順調、しかし心には寒風が吹く寂しい日々。
 それを救ったのが、かねて幼少時代に親しんだピアノと音楽。
そして売り出し中のチャイコフスキーの音楽の素晴らしさにも着目し、しかもその彼が困っている・・・・。施しと取られる本人の意志を憂慮しつつも、多額の援助を申し出るのでありました。

これがチャイコフスキーとメック夫人、14年間続く手紙だけの交際の始まりでした。

そのメック夫人に献呈した感謝のしるしが、交響曲第4番。

援助の見返りを、素晴らしい音楽創作と孤児や弱者への再援助へと惜しまなかったチャイコフスキーの真面目さと優しさ。
でも夫を亡くした熟女は、チャイコフスキーへの本当の愛を伝えつつも、相方の反応は薄く、控えざるを得なかった。
これもまたいじらしい史実であります。
受ける側が、違う方向に心がありつつの、ところがビックリ若い女性と結婚して、即破綻。

まぁ、そんなことは気にせずに、チャイコフスキーの音楽はいつ聴いても、心に迫り、鼓舞するものばかりなんですからね。

この交響曲は、夫人にあてた手紙で、それぞれの楽章に注釈があります。

①運命の旋律! これが中間部のメランコリックな雰囲気に浸っていても、人間を現実に戻してしまう。

②仕事に疲労困憊。夜中に過去を想う。

③酒を飲んだときのとりとめない観念。

④生きるには素朴な喜びが必要。どんなに苦しくても、その存在を認め、悲しみを克服するために生き続ける・・・・・。

なんだかいいこと言うねぇ~

④楽章のむちゃくちゃぶりは、わたくしには酒を飲んだ勢いに過ぎないと思えるのですが。
そして次の日にはもう後悔してしまうってヤツ。
でもまた、①楽章から、また始めるんだな、人間ってのは・・・・。

ヤンソンスとバイエルンのライブは、4~6番が揃ってます。

気質的に、若い頃から4番が得意だったヤンソンス。
じっくりと取り組みつつ、アゴーギグ豊かに、ときおり立ち止ったように振りかえってみせたり。
でも、終楽章コーダの疾風怒涛ぶりには、誰しも度肝を抜かれチャイます。
早い、激しい、おいしい。

この曲はこれでいいのでしょう。

1986年、ムラヴィンスキーの来日が病気で不可能になり、同行のヤンソンスが大半を指揮したレニングラード・フィルとの公演。
ヤンソンスは、ショスタコーヴィチの5番とチャイコフスキーの4番という、とてつもない情熱プログラムを指揮した。
NHKFMで放送されたその演奏は、まさに爆演と呼ぶに相応しい凄まじいもので、いまでもわたくしの愛聴CDRです。
このバイエルン盤をさらに若くしたストレートな演奏でありました。

そして、こんな画像作ってみました。

Kanagawa_phil_book_1

神奈川フィル監修の「神奈川フィルの名曲案内」。

早ければ明日あたりから、順次、全国書店に並びます。

ありそうでなかったオーケストラ監修の本。

是非、お手に取ってみてください。

わたくしもほんの微力ながら遠巻きにお手伝いしました。

どうしてもお手に入りにくい場合はご案内申し上げます。

コメントやメールでお知らせください。

そして、このご本を手に、首都圏の方は神奈川フィルに会いに横浜までいらっしゃってくださいnote

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2013年5月27日 (月)

シベリウス 交響詩「エン・サガ」 シュタイン指揮

Shibaura

芝浦の運河のひとこま。

東京タワーもあります。

かつては、ここからほどないところに、バブルの産物の象徴たるジュリアナ・トーキョーがあった。その建物は今もあってボーリング場を核に、オフィスビルになってます。

いまは、ここ周辺はかねてよりの海運系の会社と、大きなオフィスビルに並んで、マンションが林立してまして、子供たちの姿も多く見かけます。

いまはむかし・・・・で、ございますね。

Sibelius_stein

  シベリウス 交響詩「エン・サガ」(伝説)

   ホルスト・シュタイン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

                    (1971 @ジュネーヴ)


今年の梅雨の出足は早いです。

ここ関東も、明日あたりからお天気はしばらく、ぐずつくとのこと。

かつては梅雨の季節は肌寒くなって、憂鬱なしとしと雨で、それはそれで風情もあったもので、音楽の方は、冬とともに、シベリウスをどんよりした日に聴きたくなったりするものでした。
ところが、いまは、湿気があってむしむしと。(お餅も入ってべたべたと・・・、なんてCMが大昔ありましたな・・・・)。
一番不快な季節になりつつあります。

でも、今日はシベリウス。

「エン・サガ」は、シベリウス27歳の若い頃の作品で、海外留学を経て帰国した頃、いろいろ意欲に燃えていたときでもあり、愛妻アイノラと結婚したての幸せで前向きなころ。
交響詩的な具象性はないものの、「エン・サガ」すなわち北欧の英雄古譚そのものをイメージして作曲され、特定の伝説に由来するものではないという。

それゆえに想像力掻き立てる、ファンタジーに富んだ作品でありながら、しっかりしたソナタ形式を持っていて、外観上は、シベリウスの他の交響詩や管弦楽作品と違って、かなりシンフォニックです。
ですから、この曲は、かっちりとした構成を見極めながらのアプローチや、より自在に北欧の情景を呼び覚ますような幻想的な取り組みなど、いろんな演奏があって、それぞれに素敵に思わせるのですよ。

神秘的な出だしから、だんだんと盛り上がっていって、ダイナミックさをまして、独特のリズムに支配されるところなんか、いつ聴いても夢中になってしまうし、最後に力を急速に失って静かになって行くところも後ろ髪ひかれるようで捨てがたい面持ちがあります。

高校時代に、セラフィムの廉価盤で聴いたサージェント&ウィーンフィルが今もって忘れがたい最高の演奏。
それと男気にあふれるギブソン&スコテッシュ、北欧ムード満載のヤルヴィ&エーテボリ、ヨーロピアンなデイヴィス&ボストン。
こんな中に混じって好きなのが、ホルスト・シュタインとスイス・ロマンドのデッカ盤。
デッカに何枚かシベリウスばかり録音したこのコンビ。
ワーグナーや伴奏の専門家みたいに思われていて、発売時はそれ以上の評価を得られなかったけれど、わたしは来日記念で放送された「フィンランディア」を中心とするこのレコードと、バンベルクとのチャイコフスキー5番をFM録音して、ブラスを思いきり鳴らしてテンポよく、てきぱきと演奏するこれらの録音がかなり気に行ってました。

スイス・ロマンドの音色は決して明るいばかりでなく、シュタインが、明晰さのなかに、各楽器が混濁なくしっかり聴こえてくるような音楽造りをしていて、かっちりした構成の中に音の立ちあがりの良さを受け止めることができるクッキリした演奏。

いつも思いますが、この指揮者はほんとうに器用な人でした。
N響とのシベリウス演奏もCD化されてます。
いつも思います、バンベルクとのチャイコフスキー5番を復刻して欲しい。

そして、この曲やシベリウスの渋いところを神奈川フィルで聴いてみたい。

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神奈川フィル監修の「神奈川フィルの名曲案内」。

5月30日頃に、全国書店に並びます。

ありそうでなかったオーケストラ監修の本。

是非、お手に取ってみてください。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/478041282X

わたくしもほんの微力ながら遠巻きにお手伝いしました。

そして、このご本を手に、首都圏の方は神奈川フィルに会いに横浜までいらっしゃってくださいnote

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2013年5月25日 (土)

神奈川フィルハーモニー第290回定期演奏会 現田茂夫指揮

Minatomirai1

今日はこんなところから覗いて1枚。

夏至に向かってますます日が長くなります。

そして朝もやってくるのは早かった(?)

Kanapfill201305

  ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

  バッハ      無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番
                ~サラバンド~

        Vn:三浦 文彰

  ヴェルディ   「アイーダ」序曲  「シチリア島の晩鐘」序曲

            「運命の力」序曲  「ナブッコ」序曲

            「ラ・トラヴィアータ」前奏曲

            「アイーダ」凱旋行進曲とバレエ音楽

    現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

              (2013.5.24 @みなとみらいホール)


音楽を聴き楽しむうえで呼吸のよさ、ということがこれほどに大事で、聴く側も、おそらく演奏する側にも、それは解放感と安心感をあたえてくれるものなのだな・・・・、というようなことを思ってみた、そんな夕べの演奏会。

ベルリンフィルに前音楽監督アバドが毎年5月に戻ってくるように、神奈川フィル定期には、この月、現田茂夫さんが帰ってきます。
一昨年はチャイコフスキーの5番、去年はワーグナーのリング、そして今年はヴェルディ、という具合に、わたくし的に大好物ばかりを取り上げてくださる。

カラッとした5月らしい陽気のなかで聴く高潔で力強いヴェルディの音楽は、きっとみんなを元気にしてしまうことだろう。

しかし、その前にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
この大作は、かつてよりどうも苦手で、CDも1枚しかもってない。
何が苦手か、それもよくわからない。
本来は優しく美しい旋律にあふれた協奏曲であるものが、ヴァイオリン協奏曲の王様みたいなレッテルを貼られ、大家による堂々たる演奏が理想みたいなイメージも自分的に勝手にできあがってしまい、敬遠しがちなのだ。

20歳の青年、三浦クンのチャイコフスキーを神奈フィルで2年前に聴いたときは、曲が曲だけれど、ヴィトオーソ的な側面を打ち出し、顔色ひとつかえずにクールに弾きまくる印象。アンコールのパガニーニも口あんぐりの超絶ぶりだった。

ところが、今回、見た目の落ち着きぶりも増して、率直に音楽を見つめ、内省的な捉え方をも試みているような演奏ぶりだったのです。
この姿勢もまた20歳にしては大成しすぎているかもしれませんが、出てくる音楽は磨き抜かれていて、どこまでも美しく、夾雑物の一切ないピュアなものに感じられました。
ことに2楽章の静やかな美しさは、筆舌に尽くしがたいものでした。
現田さんも、ここでは左手を静かにはじくようにして指揮していて、オーケストラも最高に心のこもったピチカートによる背景を作り出してました。
1楽章も、3楽章も、ベートーヴェンの優美で優しい音色を感じさせるもので、それはまた若いフレッシュな感性も伴っておりました。

アンコールがバッハの無伴奏の静謐な世界であったことも、前回のパガニーニを選択したこととも大違いなところに、三浦君の進化ぶりがうかがえるものでした。
この人、次にまた聴く機会があれば、またさらなる変化があるかも。
小柄な彼の肩を抱くようにして讃えた現田さんの優しい姿も好ましいものでした。

後半は、いよいよ、ヴェルディ。
ほんとに、アイーダは序曲版をやるのだろうか。
前奏曲の間違いではないのか?
疑問を解消するために、楽団に電話して問合せましたところ、シンフォニアをやります、とのご返事。
そうかほんとにやるんだ。
音源すら少ないのに、演奏会でやること事態がたいへん珍しい序曲バージョン。
アイーダのカイロ初演後、ミラノでイタリア初演をする際に大規模は序曲を用意したヴェルディ。しかし、リハーサルで聴いてみて、本編オペラとの不釣り合いを感じて、引っ込めてしまった経緯があるいわくつきの作品。
ライトモティーフを多用したものだから、当時の口さがない評論家からは、ワーグナーの影響と言われ、まったく面白くなかったヴェルディ。
劇中の登場人物や事象のモティーフを絡み合わせるようにして作り上げたこの序曲。
少しばかり、とってつけたような印象も与えかねないけれど、凱旋の場のようなスペクタクル感はなく、相反する感情や想いのぶつかり合いをそのまま序曲にしたような感じ。
聴衆の側が、なんだろ?的な感じで、乗ってこなかった空気はありましたが、現田&神奈川フィルは誠実・着実な演奏ぶりでした。
 そうそう、今回はゲストコンマス、崎谷直人さん。
まだ若い方ですが、ミュンヘン国際音楽コンクール四重奏部門入賞ほか、かなりの実績をお持ちのようです。
石田コンマスとは、見た目も音色もがらりと違いますが、しっかり神奈川フィルに溶け込んでます。
まして指揮が現田さんだから、まったく問題なし。

この日は、指揮者とオケの一体感は、目でも耳でもとても気持ちよく感じることができました。存続なった神奈川フィルの、それこそ本来の姿と音、それがそのあともヴェルディの心わきあがる音楽に聴いてとれました。

山本・門脇ダブル豪華首席のチェロ軍団が奏でる麗しい歌、また歌の「シチリアの晩鐘」では、ヴェルディ・クレッシェンドが見事。
威圧的に響くことのない運命の和音、弦の刻みが心震わせ、響きが舞い上がるのを感じた「運命の力」。
「行け想いよ金色も翼に・・・」が、かくも晴れやかに、神々しく歌われるとは。そしてキレのいいダイナミズムも満喫の「ナブッコ」。
前奏曲だけなのだから、実はもっともっと歌わせてもよかったかもしれない、「椿姫(トラヴィアータ)」。
オルガンの鎮座する正面席に左右陣取った6人のアイーダ・トランペットが輝かしく咆哮した「アイーダ」。弾みまくりのバレエ音楽に酔い、最後はこの日オケもバンダも最高位の爆発を見せて華々しくコンサートは幕となりした。

やったぜ、イェーーイ。
ヴェルディッシモsign01
神奈川フィル最高sign01

ということで、元気と景気のいい序曲ばかりをずらっと演奏しつくしたオーケストラの皆さん、さぞかし大変だったでしょうね。
そして、いつくるかと見守り続けた、現田さんの背中の羽根(汗のにじみ出るさま)。
序曲後半あたりから、これもまたお約束。

それと、神奈川フィル監修の名曲案内本が、ついに完成。
会場で先行販売され、多くの方々の手に渡ったようです。
わたくしも当然購入。

Minatomirai3

今宵の、アフターコンサートは、コンサートの余韻の感興とともに、この本の企画・取材・執筆をされた勝手に応援団のお一人をまじえて、出版記念で乾杯。
さらに楽団からブルーダル基金のご担当Nさんもまじえて、存続決定で乾杯。

Minatomirai2

こんな美酒は久しぶりでしたよ。

Minatomirai4

場所を変えて、もっと乾杯。

気が付いたら、朝でした。

夜明けのひと気のない横浜の街、こんな機会はないと思って、散策し写真もたくさん撮って歩くことなんと2時間。われながら、ばかですねぇ。
朝から酔ってるし、覚めちゃうし。

でも朝までほんとに楽しい神奈川フィルの1日でした。

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2013年5月24日 (金)

ヴェルディ 序曲聴き倒し

Sagar1

わたくしの育った町の海。

ここでは1度引っ越してますが、最初のお家は、もう海辺まですぐ。

いつも海風に揺れる松の木のこずえの音が聴こえたものです。

台風のときは、それは怖かったですよ。いまと違ってすぐ停電しちゃうので蝋燭一家でした。

それはそうと、ここしばらく音楽が忙しい。

毎度書きますが、わたしの人生、最初で最後ともいえるアニヴァーサリー作曲が3人もいる年ですから。
ブリテンは、いずれまた集中することとなりますが、いまはワーグナーとヴェルディ。

ワーグナーの誕生日を22日に迎えたばかりのところへ、24日は、神奈川フィルの演奏会がヴェルディなんですから。

  ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

        Vn:三浦 文彰

  ヴェルディ   「アイーダ」序曲  「シチリア島の晩鐘」序曲

            「運命の力」序曲  「ナブッコ」序曲

            「ラ・トラヴィアータ」前奏曲

            「アイーダ」凱旋行進曲とバレエ音楽

    現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年 5月24日 PM7:00 みなとみらいホール


ちょっと奥手なベートーヴェンの協奏曲。
若い三浦君は超越技巧ばかりでない、なにかをきっと聴かせてくれそう。
わたしのこの曲への苦手意識を解いてくれ!

そして、後半は、聴くわたくしもお得意の、現田さん自家薬籠中のヴェルディ!
悪かろうはずがありません。
輝かしい神奈川フィルの音色もきっと満開になる初夏の夕べ。
しかも、「アイーダ」はシンフォニア(序曲)バージョンをやってくれちゃう。
ほかのオケでは考えられない、すんばらしいプログラムじゃありませんか!

ヴェルディ愛のワタクシ、きっと椅子に座っていられないくらいに興奮してしまうかも。
ブラボーこいちゃうかも。
現田さんに抱きついちゃうかも?

昨日のワーグナー生誕祭に続いてのヴェルディ祭り。
今年上半期のわたくしの音楽生活のひとつのピークであることは間違いありません。

Verdi

以前、「運命の力」序曲をイタリア5大指揮者で聴きまくる記事を書きましたが、こんかいも、それらの音源をベーズにコンサート演目の序曲をそれぞれに聴きまくりました。

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団
                           (1959)

 クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団
                           (1977年)

 クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                           (1995年)

 リッカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団
                           (1993年)

 リッカルド・シャイー指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
                           (1982年)

 ジョゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                           (1983年)


イタリア人指揮者たちのこれらの演奏。
正直言って、どれも素晴らしくって、これより上手い演奏、(たとえばカラヤン、)はあるだろうけれど、イタリア人が持つ生来の歌魂がここにはあると思う。
母親のお腹のなかにいるときからきっと聴かされてきたヴェルディの音楽、いや、その母親もオペラの一節を口づさんでいたに違いない歌がそのDNAに完全に血肉化しているゆえの歌心。

お国ものは、ときに停滞やルーティン化を生んでしまうものでありますが、彼ら優秀な指揮者たちは、オペラを指揮する一方で、偉大なコンサート指揮者でもあります。
オペラティックであるとともに、シンフォニックなその切り口は、オペラの幕開きを予見させるとともに、その序曲一曲だけでも完結感にあふれた演奏を行ってまして、こうして連続して次々に聴いても飽きることがないのです。

それぞれに、わたしが感じる特徴を端的に述べると、歌いまくりの熱いヴェルディが意外や若きジュリーニ、シンフォニックななかに歌を解放して見せた高度な演奏のアバドLSO。
オケの機能を活かしきって光彩陸離たる輝かしさを弾き出しつつ、ヴェルディならでは爆発を聴かせるアバドBPO。
遊びが少なく楽譜の力を信じつつ、これまた意外にも味わい深いムーティ。
構えが大きく、一番コンサート映えする勇壮な若きシャイー。
ウィーンの柔らかな音色と鋭い切れ味の指揮とのアンマッチングが面白いシノーポリ。

そして、「運命の力」にはもうひとつ忘れられない演奏が。

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  ヴェルディ 「運命の力」序曲

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                          (1974年)


カラヤンのヴェルディ序曲集は実は未聴。
「運命の力」のみ、その少し前に癌撲滅運動チャリティーのレコードで新録されたものを、それこそすり減るほど聴いた。
ドイツ人が、ヴェルディの序曲をこんなに輝かしく、力強く、美しく演奏するんだ!
それが真っ先の驚きで、べらぼうにウマいベルリン・フィルの威力にひれ伏すばかりの高校生でした。
その少し前、ハイティンクとコンセルトヘボウの同曲のレコードがお馴染みとなっていましたが、それは立派な演奏ながら、上には上があるもんだと感嘆することしきりでありました。

もうひとつ、この曲の思い出を。

1975年のウィーンフィルの来日。伝説のベーム公演に往復はがきで何枚も応募したけれど、すべてハズレ。ついでに出したムーティの日本デビュー公演はいとも簡単にアタリ。
ごく普通の名曲のコンサートのアンコールは、「運命の力」。
この鮮やかさと、駿馬のような見事な快走っぷりに、ムーティの本領を見て聴いた。
ともかくカッコいい以外のなにものでもありませんでした。
その演奏会のライブがCD化されたそうな。
嬉しいやらなにやら・・・・。

よし、神奈川フィルのコンサートは、思いっきり楽しむぞーーnote

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2013年5月23日 (木)

ワーグナー生誕200年記念コンサート バイロイト

Bayreuth_3

  ワーグナー 「ワルキューレ」 第1幕

        ジークムント:ヨハン・ボーダ 
        ジークリンデ:エヴァ・マリア・ウエストブロック
        フンディンク:クワンチュル・ユン

          「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

        イゾルデ:エヴァ・マリア・ウエストブロック

          「神々の黄昏」 ラインの旅、葬送行進曲

          「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

     クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団

                      (2013.5.22 @バイロイト祝祭劇場)


日本時間の23日、今朝早く、ネットライブ中継されたバイロイト祝祭劇場におけるワーグナー生誕200年記念ガラコンサートを、いつもより早起きして視聴しました。

演目ならびに出演者は上記のとおり、王道ともいえる美味しいプログラムに、いまのバイロイトを飾る、すなわち最先端のワーグナー演奏家たち。

穴倉ともいうべきオーケストラピットはそのままに、舞台の上に並んだオーケストラの整然とした美しさはどうでしょう。
ティーレマンのオーケストラコンサートは体験したことがないのですが、ここでは対抗配置。
最初は、ピット内の配置、すなわち、ワーグナーが指定した第1ヴァイオリン右側、と思ったのですが、見てると左が普通に第1ヴァイオリンでした。

朝5時からスタンバイしていたのですが、ライブまでのカウンターはまだ15分くらい。
フランスのネットからの放送で、仏語がわからん。
独語切り替え(それでもわかりませんが)ボタンをクイックして、映像スタートを押したらいきなりワルキューレやってました。
というわけで、1幕前半は聴き逃しました。

Bayreuth8

ボーダのそのぽっちゃり君を通り越したまん丸姿を抜きにすれば、この人の透明感と力感あふれる歌唱はまったく素晴らしくて、キングやホフマンに次ぐジークムントじゃないかしら。(しかし、一か所歌い損じがありました。びくびくして指揮者見てました)

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売り出し中のグラマラスなウエストブロックは、ちょっとダイエットも効いて、見栄えもよろしく、伸びのある一途な歌唱はとても気に入りました。
彼女は素晴らしいイゾルデになります、きっと。

アジア代表ユンさんは、ほぼ聴けず(出番なし・・・)

前半はもしかしたら、おっかけのビデオ再生放送だったかも。

休憩もろくになく、いきなり後半。

3曲ともに、ティーレマンの凄さを実感。

豊かに歌わせつつ、弛緩せずに、常に緊張感あるテンポを維持し、リズム感も豊かで、興奮を煽ることも忘れていない。
タメも伸ばしも、以前の不自然さは消えて、呼吸するように聴き手の思いに寄り添うような巧みさ。ワーグナー好きなら、ここはこうして欲しいという場所をちゃんと決めてくれて、隅々まで満足させてくれる。

あの腕の上がらない独特の指揮とクールさからは想像がつかない演奏が繰り広げられたのでした。

いつも聴く祝祭劇場の豊かな響きは、ここではピットから抜け出した分、まともにリアルで、かつ木質感を失わない高音質ぶり。

映像で見る聴衆は、こんな演奏会ですから、相当なスノッブぶりがうかがえます。
全員正装。

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カタリーナとエヴァのワーグナー姉妹の姿も映りました。

正直、もっとガラコンサートして欲しかったけれども、これはこれで、渋いけれども音楽の充実度の高さで勝負したような感じで、好感度高いものでした。

NHKの名前もテロップに出てましたので、いずれ放送があるものと思います。

わたしは、音声だけ録音して、いまもまた聴いて感心しております。
(かの地でも、携帯鳴らす人いるのね・・・、あと写真とりまくり、同胞っぽい人もしっかり写真とってるとこ丸映し)

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一生に一度とない、ワーグナーの200年記念。
いい思い出ができました。早起きしてみるものです。

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2013年5月22日 (水)

ワーグナー生誕200年記念バーチャルコンサート

Jibasans_2

お花売り場を勝手にパシャとしました。

花の色彩って無条件に、ほんとにきれいです。

本日は、ワーグナーの誕生日なので、とりわけ鮮やかな画像をチョイスしました。

1813年5月22日、ワーグナーはライプチヒに生まれました。

ワーグナーに夢中になって40年の自分的にも切りのいい年です。
中学生だったワタクシ。
カラヤンとベームがお気に入りの無垢な(?)少年は、矢継ぎばやに出た彼らのワーグナー、カラヤンのマイスタージンガーとトリスタン、ベームのオランダ人にやたらと興味が湧き、高額レコードが買える立場でもなかったから、FM放送のエアチェックに明け暮れる日々でした。
 カラヤンのトリスタンは日曜のオペラアワーで録音、オランダ人やわけもわからず、R・コロがスターになったローエングリンや、シュタインのリングも録音。
ともかく聴くしかなくて、名曲オペラ解説書を頼りに想像をふくらませるのみ。

そして手に入れた「ベームのトリスタン」と初出の「ベームのリング」。
すり減るほどに聴き、穴があくほどに解説と対訳を読み入りました。

わたくしのワーグナー体験のルーツのひとこまです。

Bayreuth

おそらくドイツを中心に、ワーグナーのアニヴァーサリーを祝うコンサートはいくつも行われていると思いますが、今宵、アジアの片隅で、わたくしは自分の40年を回顧しつつ、大リヒャルトへの思いと感謝を込めて、CDによる一夜のワーグナー・コンサートを開催してみたいと思います。
休憩をはさんだ、バーチャル・コンサートです。

Tristan_bohm3

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕への前奏曲

    ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 「ヴェーゼンドンクの詩による5つの歌曲」

         S:ビルギット・ニルソン

    サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

         イゾルデ:ビルギット・ニルソン

    カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     ----- 休憩 20分 ------

Wagner_parsifal_solti

 「タンホイザー」 第3幕 タンホイザーのローマ巡礼行

    オトマール・スゥイトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 「ローエングリン」 第1幕 前奏曲

    クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 「パルシファル」 前奏曲

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

            聖金曜日の奇跡、役立つのはただ一つの武器、終幕

         パルシファル:ルネ・コロ

    サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                       ウィーン少年合唱団
                       ウィーン国立歌劇場合唱団


夜7時に開演し、終演は、9時。

ソロと合唱を含みながらも、華やかさとは無縁の内省的、かつ情熱の内包した音楽ばかりで、最初から最後までワーグナーの作り出した孤高の世界と、内面を見つめる深みある音楽に、身も心もどっぷりと浸ることができました。

いずれも、わたくしのワーグナー視聴歴のひとコマを飾る名演奏ばかり。
あまりに大事すぎてめったに聴くことのない演奏もありますが、こうしてあらたまって、特別な日に聴くと、その感動とかつての思い出が双方相まって、一方の自分史は大丈夫かと振りかえってみたくなること必須でした。

半世紀とちょっとを生きてきた自分は、常に曲がり角だけど、いつもワーグナーの音楽がそばにありました。
同時に、英国音楽も聴いてもうじき40年。
ヴェルディは遅れること30年。

長けりゃいいってもんじゃないですが、こうして音楽を聴いてきた自分、その足跡そのものが自分の誇れる歴史じゃないかなって、最近思えるようになってきた。
どんなに苦しくても、音楽を捨てたことがなかったし、その音楽に力を与えてもらいましたから。

今年、2013年は、ワーグナーとヴェルディの生誕200年、ブリテンの生誕100年。
それぞれ偉大なオペラ作曲家を愛するわたくしくにとって、一生の記念になるような年。
こうしてブログを綴って、後年に思い返すのも今のこの年があるからの喜び。
このアニヴァーサリーを最大限楽しみたい。

ワーグナーとヴェルディ、ことにヴェルディのことがこんなに好きになってくるなんて思いもしなかった。
高潔で、熱狂からは距離を置いた知的なヴェルデイを、あの熱い音楽からは想像できなかった。
その逆の存在のような本能のままのワーグナー。
そのどちらも、オペラを極め尽くした存在であることを、今年半ばにしていやというほど痛感している。

「パルシファル」、その音楽と、言葉のひとつひとつ、すみずみまでもが歳と共に染み入る年齢になってきました。

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2013年5月21日 (火)

ヴェルディ 「諸国民の讃歌」 パヴァロッティ&レヴァイン

Jibasans

水色のカーネーション。

調べてみたら青色カーネーションは、ムーンダストとよばれる遺伝子組み換えで生まれた品種で、サントリーフラワーズと豪グロリジン社の共同開発とありました。

そちらは、もっと濃いパープルがかったものなので、この水色は単に色水を吸わせたものではないかと推定。

しかし、ムーンダストの方の花言葉は素敵なものです。

「永遠の幸福」だそうな。

Pavarotti_plus

  ヴェルディ  「諸国民の歌」

      ルチアーノ・パヴァロッティ

   ジェイムズ・レヴァイン指揮 フィルハーモニア管弦楽団/合唱団

                       (1995.6 @ロンドン)


今日はヴェルディの番で、こちらも、ちょっとひとひねり。

1862年、ロンドンでの万国博覧会の記念コンサートに演奏する行進曲を、ロンドンの万博当局は、英仏独伊の4ヶ国の作曲家に委嘱しました。
イタリアは、ロッシーニに依頼が来たのですが、高齢を理由に断り、代わりにヴェルディに話がきたものであります。

オペラ一筋で、こうした音楽とは無縁だったヴェルディは、当時20歳のボイート(のちの、オテロ、ファルスタッフの台本作者、メフィストフェーレの作曲者)の詩を見出し、テノールソロと合唱のための讃歌を作り上げました。

愛妻ジョセッピーナとロンドン見物もかねて、渡英し、さて演奏会の準備に、というところで、当局より横やりが入り、記念コンサートでは演奏できない、という結論を出されてしまった。
表向きの理由は、当初の依頼が、行進曲などの管弦楽作品であったから、というものだったものの、実際は、コンサートの指揮をつとめるイタリア人コスタの画策によるものでありました。彼は、作曲家でもあった自分がイタリアの代表に選ばれなかったことを、いつまでも根に持っていたのでありました。
マスコミの巻き込み、ちょっとした騒ぎになったものの、ヴェルディは夫婦でロンドンを楽しみ、結局のところ、別な機会に、ロンドン初演されこととなり、これには聴衆も熱狂して、大成功を勝ち取ることのなるのであります。
さすがのヴェルディです。

その熱狂の理由は、この曲を聴くとわかります。

「諸国民の讃歌」とあるように、この曲には、英国「Got save the Queen」、仏国「ラ・マルセイエーズ」、伊国「イタリアの兄弟たち」の3つが、そのクライマックスから終結部にかけて繰り返し、お互いに掛け合うように登場するのです。いずれも現在の国歌です。
これを聴いたロンドンの聴衆が、最後の輝かしいフィナーレに熱狂しないわけがありません。
しかも、ヴェルディのイタリアは、この曲の1年前に祖国統一を勝ち得たばかり。

14分くらいの曲です。
最初は、地球の美しい光景よ、と賛美を呼び掛けるものの、戦争の惨状を嘆かわしく歌い描写する場面に入ります。
そのあと、一筋の光が差すように、テノールソロが主に平和を取り戻せたことを感謝し、同胞の愛を神々しく歌います。むしろ、わたくしこの場面が素晴らしいと思う。
で、次に来るのが、諸国の歌となるわけです。

最終場面は、この後に書かれる「アイーダ」の勇壮な合唱との類似性も感じます。
さらに、詩の中で、イタリアの番では「ああ、我が祖国よ~Oh patoria mia」と、何度も歌うところが肝だと思います。
ヴェルディの真の心情ではないでしょうか。
「アイーダ」でも、ヒロインのアリアがその思いそのものです。

トスカニーニは、戦中にアメリカでこの曲を演奏したときに、「Oh patoria mia tradita」と、語尾に「裏切り」という言葉を加えましことは有名です。
裏切りの我が祖国よ、という歌は、ファッショに走る故国イタリアへのトスカニーニの思いだったのでした。
加えて、トスカニーニは、アメリカ国歌までも追加したりもしてます。
youtubeにあるようなので、興味ある方は探してみてください。

今回の演奏は、目の覚めるようなパヴァロッティの朗々たる歌声が気持ちいい、レヴァイン盤で。
こういう曲は録音がよくないといけませんね。これはバッチリです。

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2013年5月20日 (月)

ワーグナー アメリカ100年祭大行進曲 ヤノフスキ指揮

Skytree_1

スカイツリーに一番近づいたときの画像を出しておきます。

始終、いろんなところから見てるけれど、なかなか近づくことはないもんです。

いつかは、上に行ってみたいけれど、それはいつかはわかりません。

しかしデカイ。写真撮りにくい。

Wagner_janowski

 ワーグナー

  アメリカ合衆国独立宣言100年祭のための大祝典行進曲


     マレク・ヤノフスキ指揮 ロンドン交響楽団

                 (1972.1 @アビーロードスタジオ、ロンドン)


いかにも大掛かり、大言壮語的な巨大なタイトル。
ワーグナーらしくもあり、思わずニンマリしてしまいます。

この曲は、1876年のアメリカ建国100年記念祭のオープニングのためにと、委嘱を受けて作曲された大オーケストラのためのにぎにぎしい行進曲であります。

1876年といえば、ワーグナーは「ニーベリングの指環」をすでに完成させ、苦心惨憺、ルートヴィヒ国王の援助(というかバイエルン国の国庫負担)を得て建造された、バイロイト祝祭劇場の開場の年であります。

4部作という途方もない楽劇を作ってしまい、自分の作品専用劇場でないと上演できないと思いこんだワーグナーと、そこに資金をつぎ込んだルートヴィヒ国王は、思えばムチャクチャな人たちであります。
でも、われわれファンは、かの王様には感謝しなくてはなりませぬね。

話はそれましたが、ワーグナーがやぶから棒にアメリカのために大行進曲を書いたのは、要はお金が目当てだったわけで、リングの上演経費、劇場の運用費などなど、少しでも集めたかったわけなのですね。
さらに、イタリア旅行と翌年から着手する「パルシファル」のこともありましたから。

曲は、手持ちのヤノフスキ盤のタイムが13分16秒。

この手の音楽としては、少し長すぎで、壮大ぶっていて、少しばかり辟易としてくるのも事実。
どこをとっても、ワーグナーそのものではありますが、楽劇の世界の強烈な個性というものはここでは見当たりません。
平易で、聴きやすいもの、そして盛り上がり的に効果があがるものを意識して書いたのでしょう。そこがむしろイマイチ感を呼んでまして、単調な雰囲気に落ち込んでいるように思います。

過去作から、威勢のいい場面を引っ張り出してきて、少し姿を変えている箇所もいくつかあり、ファンとしてはむしろ、そうしたところを発見する楽しみもありました。
「リエンツィ」の行進曲、「トリスタン」のマルケ王のもとへの到着の喜びの場面をファンファーレや弦の刻みに、イゾルデの船が近づく場面は急迫する盛り上げに、さらに、ワイワイと祝宴をあげそうな雰囲気の箇所は「神々の黄昏」のハーゲンが男衆を呼び集め、宴の準備を命じるところ・・・・・、などなどです。

それなりに面白い、ちょっと疲れるアメリカ祝祭大行進曲でした。

ヤノフスキの日本デビューだったこの1枚。
初期オペラの序曲のほか、面白いけどイマイチの曲を取り揃えておりますよ。

1976年のバイロイト100年は、革命的だったブーレーズ&シェローのリングが上演された年。
ということはその年、アメリカは建国200年だったわけで、当時の大統領はちょっと地味な共和党のフォードさんだったけれど、同年の大統領選で、民主党のカーターさんに負けてしまったのでした。
高校生だったけれど、バイロイトのことと、アメリカのこと、1976年はよく覚えてます。

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2013年5月19日 (日)

ヴェルディ 「エルナーニ」 ムーティ指揮

Azumayama_3

お天気がずっとよかった連休のいつもの山の上。

大磯方面を望むの図。

Azumayama_4

湘南平も見えます。

小学校の遠足や授業で何度も行きましたが、大人になってからは行ってないな。

高麗山、泡垂山ともに歴史ある場所ですが、戦中は平塚に軍事工場が多くあり、空襲も多かったことから高射砲が据えられたそうな。
いまは、愛の南京錠の場所として有名。

Azumayama_5

海方面に目を転じれば、大磯ロングビーチと遠く江の島、三浦半島。

気温も上がり、ぼやけちゃってますが。

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     ヴェルディ   「エルナーニ」

 エルナーニ:プラシド・ドミンゴ  ドン・カルロ:レナート・ブルゾン
 シルヴァ:ニコライ・ギャウロウ  エルヴィーラ:ミレルラ・フレーニ
 ジョヴァンナ:ジョランタ・ミキエリ ドン・リッカルド:ジャンフランコ・マンガノッティ
 ヤーゴ:アルフレート・ジョコモッティ

  リッカルド・ムーティ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                  ミラノ・スカラ座合唱団
        合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ
        演出:ルカ・ロンコーニ

                       (1982.12@ミラノ、スカラ座)


ヴェルディのオペラ5作目は、ヴィクトル・ユーゴーの戯曲「エルナーニ」に基づくもの。
これまで連続してメレッリのもと、スカラ座でのオペラ製作を行って、成功とブッファの失敗を重ねてきたヴェルディは、同オペラ座でのマンネリ化を避けたいとも考えていて、かねてより若いヴェルディの才能に目をつけていたフェニーチェ劇場が新作製作を打診してきたとき、ヴェルディは渡りに船の心境だった。
 作品と台本作者選択と作曲をセットにして提案したのも他の競争相手の提案とはことなるところで、報酬の受け取り方も異例の提案を行ったヴェルディ。
親譲りの商才と後年評価されることになります。
ともあれ、いくつもの候補から「エルナーニ」を選び出し、台本作者も今後長く付き合っていくこととなるピアーヴェに決定。
作曲の最終工程を詰める傍ら、「ロンバルディア人」をオープン演目に上演し、1943年3月、「エルナーニ」はヴェネチアのフェニーチェ座で初演され、歌手の不出来はあったものの、聴衆はヴェルディの熱い音楽に大興奮し、「エルナーニ」は人気オペラとして、またたく間にイタリア全国に広まったといいます。
われらがヴェルディ、ますます好調!

今回も史劇なので、その時代背景を少しお勉強。

物語は、16世紀中ごろのスペイン。
ヨーロッパ諸王国の血筋を集約したようなサラブレッド的存在だった、このオペラでいうところの「ドン・カルロ」、すなわちスペイン王カルロス1世(1500~1558)。
主人公エルナーニは、アラゴンの貴族の出自とされますが、アラゴン王国は、確かに、カルロス1世時代に、傘下入りされて、スペイン王国入りしておりますので、父親の敵がカルロス1世ということもありえるわけです。
 このカルロス1世は、同時にブルゴーニュ、ナポリ、シチリア、アメリカなどの広大な領地を傘下に収めたが、さらに、1519年には、ハプスブルク家の領地、そして神聖ローマ帝国皇帝に選出されることで、巨大な領地の主となり、カール5世を引き継ぐことになります。
 それが、このオペラの3幕の出来事で、超強大な権力を得たドン・カルロ(カール5世)は、このオペラではその権力におごることなく、その場で謀反人たちに恩赦を繰り出すこととなります。
 晩年、引退後は、そのスペイン系の地位を息子フェリペ2世に、ハプスブルク・神聖ローマ帝国系を弟フェルディナント1世に引き継ぎます。
その彼らが、さらにその引き継いだ王国を最強のものにしていくこととなりますが、ことにスペインはカール5世とその息子フェリペ時代、「太陽の沈まぬ国」として栄華を極めつくすこととなります。

第1幕 アラゴンの山中、ルイ・ゴメス・デ・シルヴァの居城から離れた場所

今は、山賊の首領、かつては父親がドン・カルロに破れてしまったアラゴンの貴族エルナーニ。山賊たちは、酒を飲んだり、賭けをしたり、武器を磨いたりしている。
エルナーニは、シルヴァの城にあって、その叔父に結婚を迫られている恋人エルヴィーラのことを思い、アリアを歌います。
そんなに愛してるなら、その城に今から行って彼女を救いにいこうじゃないか、と山賊たちにうながされ、一同は揚々と城へと向かう。

2場は、そのシルヴァの居城のエルヴィーラの部屋。
彼女もエルナーニのことを思い、彼がここから連れ出してくれることを願って歌う。
待女たちが、結婚のお祝いをたくさん持ち込んでも浮かぬ彼女を気の毒に思って退出する。
そこへ、乳母ジョヴァンナの手引きで、お忍びで入り込んできたのが、ドン・カルロ。

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彼は、側室として共にこないか、と強引に誘うが、彼女はいいえ困りますと押し問答。
さらにそこへ、隠し戸からエルナーニ登場。
エルナーニは、ドン・カルロの正体を見抜き、父の敵として決闘を挑もうとするが、エルヴァーラが必死にとどめる。と、さらにまたそこへ、城の主、シルヴァが登場。
結婚しようとしている相手の部屋に、見知らぬ男がふたり。
口あんぐり、ショックのシルヴァは悲しい胸のうちを歌う。
しかし、名誉を傷つけられたとした彼は、二人に外へ出るように命じ兵士を呼ぶ。
そこへやってきたのが、王の従者、リッカルド。
ドン・カルロが王であることに驚き、陳謝するシルヴァ。
王は、ひとまずエルナーニは自分の配下のように振る舞い、下がらせ、自分は城に一夜泊めて欲しいとシルヴァに言う。

第2幕 シルヴァの居城

シルヴァとエルヴィーラの婚礼の日。城の人々たちは浮足立って喜ばしく歌います。
そこへ、修道士に変装したエルナーニがやってくるが、シルヴァは問答のすえ、来るものは拒まずとして城へ入れてやる。
エルヴィーラのもとに来たエルナーニは、この結婚をなじるが、自分はエルナーニを愛していて、もしあの叔父と一緒になるならば、このナイフで自決するまでと、強い決意を見せるので、二人は熱く抱き合う。
これを見たシルヴァは怒りまくり、エルナーニを殺そうとするが、今度はそこへ王の軍勢がなだれ込んでくる。盗賊(謀反人)エルナーニを追ってきたのだ。
シルヴァは、いったん迎えた客人でもあるエルナーニを引き渡すのは名誉がたたないとして、かれを秘密の部屋に案内し匿う。
王ドン・カルロが飛んできて、ヤツはどこへ行った?と攻め立てるが、シルヴァは知らない、どこなりと探して下さいというので、王の配下たちは城中探すも見当たらない。
ならばと、エルヴィーラを人質のようにして連れ去ってしまう。
 隠し部屋からエルナーニを出して、今の顛末を語るシルヴァに、怒り心中のエルナーニは、いまは一緒に力を合わせ王に立ち向かおう。助けてくれたお礼に、角笛を渡し、これが鳴り渡るとき、自分は喜んで死ぬであろうと、男としてシルヴァに命をさし出すことを誓う。

第3幕 ドイツ、アーヘン カール大帝の墓所のある聖堂

大帝亡きあと、皇帝選出選挙の報を待ちつつ、一方で謀反の動きあることへの怒りを若き日々を思いながら歌い、墓所へ降りていく。
王暗殺を企てる謀反人一行、すなわちエルナーニとシルヴァと男たちがやってきて、実行犯選出のくじ引きをして、エルナーニが選ばれるが、シルヴァは自分が替わりたい、角笛も返すからと申し出るが、エルナーニは男としてそれは受け入れない。
男たちは勇壮に国を憂いて力強い合唱を歌う。
 その時、3発の号砲がドン・カルロの皇帝選出を報じ、当のドン・カルロが墓所より出てくるので、一同はカール大帝が蘇ったかと驚く。
しかし、自分こそカール5聖である宣言し、やってきた部下たちに謀反人たちの捕縛を命じる。地位あるものは斬首、それ以外は監獄とするが、盗賊であるエルナーニが、自分はかつての貴族であり、ドン・ジョヴァンニが本名であり斬首を命じて欲しいと申し出て、ドン・カルロ(カール5聖)も応じる。
そこへエルヴィーラが飛び込んできて、彼らの命乞いを必死に行う。

Ernani_2

ドン・カルロは、しばしの沈黙ののち、カール大帝の高徳と仁慈を思い、謀反人たちをこの場で恩赦に処すことを宣言。
一同は、ドン・カルロの決断を褒め称え、エルナーニはさらに貴族復帰とエルヴィーラとの結婚までも許され、一同喜びに沸く。
ただひとり、蚊帳の外は・・・・シルヴァ。

第4幕 アラゴン、サラゴッツァにあるエルナーニの居城



今宵は、エルナーニとエルヴィーラの婚礼の宴。人々は仮面舞踏会に興じている。
そこには、黒装束仮面もいて不気味な雰囲気を出している。

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若い二人はバルコニーで、ようやくたどり着いた愛の成就を歌い合うが、そこに角笛の音が遠く響く。
青ざめるエルナーニの急変に不審に思うエルヴァーラだが、エルナーニはなんでもないから薬を取ってきてほしいと彼女を下がらせる。
そこへ黒装束のシルヴァが登場して、角笛の約束の履行、すなわちエルナーニの死を迫り短剣か毒薬かと示す。
戻ってきたエルヴァーラは驚き、シルヴァに彼の助命を懇願するが、シルヴァは徹底的に拒む。
ついに、エルナーニはその場で短刀で自決し、苦しい息で、エルヴィーラに天国で待っている、自分のことを忘れないで欲しいと歌ってこと切れ、エルヴィーラはそこへ泣き伏せる。
シルヴァは、復讐の神がいまこそ舞い降りたのだと勝利宣言をする。

               

正直言って、前作にも増して、荒唐無稽な物語。
王様が、ちょろちょろとしすぎるし、3人の老若から求愛されたエルヴィーラって、どんなに美人なんだろうか?
長編小説なら、もっと緻密な構成が組み立てれるところ、オペラだと限られた長さに、いろいろと盛り込まなくてはならないので、どうしても無理が出てしまう。
後期のヴェルディなら、もっと求心的なドラマを仕立てるところでありましょう。

しかし、初期のオペラの魅力は、次から次へと繰り出される歌また歌の宝庫。
素晴らしい旋律があふれだすように、奔流となって聴き手に届きます。
それを素直に受け取るのが正しい聴き方で、ドラマの中身はこの際よしとしましょう。

それでも、前作、「ロンバルディア人」から大きな進歩は、ヴェルディならではの激しい情熱がまともに音楽に反映され、強烈なリズムを伴ったダイナミックな音楽が展開され、舞台で接したら身も心も打ち込んでしまいそうな劇的興奮を呼び覚ますところ。
 さらに、登場人物たちが、それぞれ個性を主張しあっているところ。
ソプラノ、テノール、バリトン、バス。それぞれの声域の主役たちが競い合う声の饗宴も、あとメゾが加われば、ヴェルディのこれからの常套方程式となります。
 また、「ナブッコ」以来の、聴衆の愛国心鼓舞作戦も、ちゃんと力強い合唱を入れて組み込まれおります。

今回の音源は、リッカルド・ムーティがアバドがまだ音楽監督時代のスカラ座のオープニングに登場した記念碑的ライブ。
まだ充分に若かったムーティのたぎるような情熱と、強靱なカンタービレ。
これを受けて立つスカラ座オケの素晴らしさ。
純正イタリア人にしか出せない響きに思いました。
知的で整然とした音がおのずと音楽を語り出し歌い始めるアバド、それとはまったく違った本能的とも言えるむき出しのムーティ。どちらのヴェルディも好きです。
円熟を深めるムーティのまだ若い頃の名演のひとつだと思います。

わたしにとって、ヴェルディに夢中になっていた頃のお馴染みの歌手たちは、文句のつけようがありません。

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ことに、フレーニとギャウロウは最高です。
いろんな顔を持った役柄を歌いださなくてはならないシルヴァ役のギャウロウは特に!
ブルソンが、4人の中では、声が美しいものの地味に終始している感はありです。

ヴェルディ・オペラ、ブログ全制覇まであと10作。
 

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2013年5月18日 (土)

ワーグナー 「ファウスト」序曲 アバド、サヴァリッシュ指揮

Azumayama_4

5月の海は、青く明るいです。

夏になると気温の上昇で、遠くはもっとぼやけてしまいますから、冬の澄んだ空気も捨てがたいです。

でも、10~11月頃と並んで、1年で一番過ごしやすい美しい季節でありましょう。

Azumayama_3_2

6年前の台風の高波で、砂浜がえぐり取られてしまい、白砂青松が失われてしまった私の育った海。

バイパス復旧工事と護岸工事がずっと行われていて海に降りることもできない。

その工事もひと段落して、いっとき敷設されていた消波ブロックを活用した、人工リーフの整備が始まってました。
これは、浅瀬を作ることで、波の力を弱め、魚場を守ることになるといいます。
もともと、このあたりは水深が急に深くなっていて、海水浴も限られた範囲でしかできませんでした。
自然の脅威で奪われた環境を、また人工的に戻せるなら、それは実に喜ばしいことですが、そうもいかないようです。

子供のころから親しんだ海は、もう違った顔になりそうです。

Sawallisch_wagner

  ワーグナー 「ファウスト」 序曲

   ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

ワーグナーには、オペラ作品以外にも同じくらいの数だけ、交響曲を含む管弦楽作品があり、10数曲が残されているほか、消失または破棄してしまったものは、もっと多くあるはず。

大半は、初期から中期にかけての作品が多くて、この「ファウスト」序曲も1840年の作曲で、「リエンツィ」と同じ頃のもの。

誇大な計画を思いついては実践しようとして借金を重ねるワーグナーは、妻ミンナと逃げるようにしてパリにやってきて、この芸術の都で一旗あげようとした。
かねてより計画中のグランド・オペラ「リエンツィ」を当地で上演してもらおうというたくらみでありました。

パリで第9を聴いて、という説もかってはあったが、今では、1839年ベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」の初演を聴いて、思い至ったのが「ファウスト」を題材とする大交響曲の構想。

しかし気の多いワーグナーは、1楽章だけを作曲して終ってしまい、パリ音楽院管弦楽団で演奏してもらおうとしたものの、そのままになりオクラ入り。
結局、初演は補筆改訂をして、1844年、ドレスデンにて。
さらに後年、改訂した最終稿が、いま一般に聴かれる版で、1855年チューリヒにて初演。

こんな、地味な経歴を持つ「ファウスト」序曲は、いまでもネクラで、ひっそりとCD棚の奥に潜む忘れがちな存在であります。

誰がどう聴いても、ワーグナーの音楽そのもの。
リエンツィの華やかさはまったくなく、どちらかといえば、オランダ人の救済のないバージョンに近い、暗くてシビアな音楽です。
しかし、そこはワーグナー。
音の運びがかっこよくって、何かを一身に背負いこんだ切迫感と、ヒロイックなひたむきさがあります。
だから意外とクセになる音楽なんです。
まさに、ここにもワーグナーの魔の手が潜んでいるのです。

堂々としていながら、超優秀なフィラデルフィアの明るい音色がワーグナーに解毒作用を及ぼす美しい演奏がサヴァリッシュ盤。

さらに今回、手持ちのワーグナー音源を漁ってみたら、そこそこ持ってました。

中学の時の初聴き、ブーレーズ&ニューヨークフィルは、明晰ながらかなり渋い演奏。
初期オペラ+無名曲ばかりで勝負したヤノフスキのデビュー盤は強烈。
カラヤンのプロデューサーだった、ゲルデス&バンベルクのあっさりした演奏。
ふくよかで雰囲気豊かなJ・テイトとバイエルン放送。
フランスとドイツ、ワーグナーが望んだ響きか・・・プラッソン&ドレスデン
明晰で推進力豊かなカンテッリとニューヨークフィル。

そして、わたしが一番好きな演奏が、自家製放送音源CDRですが、アバドのウィーン時代とベルリン時代のふたつのライブ。
アバドは、なぜかこの暗い曲が好きで、2度の放送がありました。
ウィーンフィルとベルリンフィルのふたつのオケで聴ける楽しみは、アバドファン、ワーグナーファンとして、望外の喜びでして、ことにベルリン盤は録音も素晴らしくって、気合い満点。ときに、アバドのうなり声も聴こえます。
ベルリンフィルの重厚ながら、重たくならない壮絶サウンドは筆舌に尽くしがたいものがあります。

わたしの、ファウスト、ファースト・チョイスは、アバド(BPO)、ついで、サヴァリッシュ、ブーレーズ、カンテッリでしょうか。

5月22日は、ワーグナー200歳の誕生日です。

5月24日は、現田&神奈川フィルのヴェルディです。

まったくもって忙しくも、一生に一度とないアニヴァーサーリーが続きます。

明日はヴェルディです。

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2013年5月17日 (金)

ヴェルディ 「アイーダ」序曲 アバド指揮

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夏みかんも、これからが旬です。

ぶ厚いかわをむいて、中身の房も厚いので、さらにむいて。

粒が大きく、そのプチプチ感をほんのりの甘さと酸っぱさでもっていただく夏みかん。

潮風を浴びるとみかん同様に甘さの奥行きが出ます。

子供の頃は、重曹と砂糖を少しかけて食べました。

いまは、甘さも増してそのままいただきますし、ウィスキーやドライな焼酎のあてにもなっちまうんです。

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   ヴェルディ 「アイーダ」 序曲

      クライディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                       (1977.@ロンドン)

      クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

                       (1978,80 @ミラノ)


スエズ運河開通の1869年、及び、カイロのオペラハウス、オープニングのために作曲・・・・・、という風にはうまくいかず、いずれにせよ、カイロからの委嘱により作曲され、当地で翌々年、ヴェルディの立ち会いなしで、当地に初演された大グランド・オペラ。

それが「アイーダ」であります。

ヴェルディは、カイロで成功したアイーダの、イタリアでの国内初演、しかもミラノ・スカラ座での上演に先立ち、3分あまりだった前奏曲を、さらにヴァージョンアップさせ、一大シンフォニアとも呼ぶべき序曲を仕立てました。

作曲家の志を抱いて、地方であったブッセート近郊から音楽都市ミラノに上京し、成功も失敗も味わわせてもらったミラノへの思いから、格別なる序曲にしたてようと意気込んだすえに生まれた作品。

出だしは、オリジナル、すなわち今我々が、通常聴く「アイーダ前奏曲」とまったくおんなじですが、途中から、アムネリスのモティーフとかも絡みだし、アイーダの旋律も絡めつつ、大規模なオーケストラサウンドに変貌、進行していくのです。
 有名すぎて、ふだん浮足立ってしまう行進曲やバレエ音楽の華やかな場面は完全スルーして、アイーダとアムネリスの拮抗を浮かびあがらせるような心理的かつ劇的な、オペラからの重要素材だけをチョイスした濃密な11分間なのです。

シンフォニアともとれる序曲バージョンが11分。
通常の前奏曲が3分。

しかし、やはり、後期の最充実期にあったヴェルディが描き出した、恋と、肉親への愛、祖国への愛、それぞれが葛藤する深い人間ドラマの前奏曲としては、より簡潔な澄みとおるような前奏曲の方が相応しい。
 当然に、ヴェルディは、ミラノ初演のリハーサルで、すぐさま不釣り合いを感じ取り、大序曲を引っ込めてしまい、以来この序曲ヴァージョンはお蔵入りしてしまうこととなります。

ヴェルディの死後、ヴェルディ邸に眠れるこの序曲を発見し、蘇演したのがトスカニーニ!

さらにイタリア本国では、モリナーリ指揮でローマ甦演。

いずれも、時は1940年頃、第二次大戦中で、連合国アメリカとファッショ・ムッソリーニ下イタリアでの出来事であります!

しかし、戦中のこれらの演奏後、また眠りについた「アイーダ」序曲。
次には、クラウディオ・アバドがその価値を見出し、1977年に、ミラノとロンドンで演奏と録音を行いました。

簡潔さはないものの、ワーグナーのような、登場人物のライトモティーフ化を施したオペラ本編を凝縮したような充実しきったオーケストレーションと、ヴェルディならではの歌心。
唯一、欠けているのは、華麗さと大衆性。
この渋さでもって、次なる「オテロ」と、人生の終着点ともいえる「ファルスタッフ」へと着地するヴェルディなのでした。

この曲のご本家とも呼ぶべきアバドのふたつの演奏。
ロンドンとスカラ座、ふたつのオーケストラは、アバドの意志や意欲をもっとも反映できたオケかもしれません。
音楽家として良心の塊のような存在のアバドとふたつのオケが奏でるヴェルディは、心沸き立ち、震えを呼ぶほどの共感と熱にあふれていおります。

このレアな音楽を、現田&神奈川フィルが果敢にも取り上げますsign03

  ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

        Vn:三浦 文彰

  ヴェルディ   「アイーダ」序曲  「シチリア島の晩鐘」序曲

            「運命の力」序曲  「ナブッコ」序曲

            「ラ・トラヴィアータ」前奏曲

            「アイーダ」凱旋行進曲とバレエ音楽

    現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年 5月24日 PM7:00 みなとみらいホール


ヴェルディ生誕200年。

ワーグナーのそれとともに、盆と正月が一緒にきてしまったようなワタクシにとって、最大のイヴェントのひとつが、この演奏会。

ヴェルディの守護神のような現田さんの歌いまくりの指揮と、美音満載の神奈川フィルのコラボレーションはきっと会場をヴェルディの熱気で包みこんでしまうことでしょうnote

5月の空に鳴り響く、存続あいなった神奈川フィルの晴れやかなヴェルディ。

楽しみです。

そして、是非とも会場へsign01

Abbado_verdi

 合唱も絡めた「アイーダ」の凱旋行進曲とバレエの超名盤は、アバド&スカラ座・合唱団のヴェルディ合唱曲集。
わたくしの高校時代の愛聴盤です。
すり減るほどに聴いた38年前は、いまはむかしですが、ほんの昨日のよう。

横浜でその思いは蘇るかもsign03

  過去記事

 「知られざるヴェルディ パヴァロッティ&アバド」

 「運命の力 イタリア5大指揮者で聴く」

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2013年5月16日 (木)

ワーグナー M.V.夫人のアルバムのためのソナタ

Azumayama_9

この花、よく生えているけれど、なんていう名前なんでしょうね。

ちょっと怪しく、おっかない雰囲気ですよ。


Wagner_dovrak

   ワーグナー 

 M.V.(マティルデ・ヴェーゼンドンク)夫人のアルバムのためのソナタ


      ブルーノ・カニーノ
      
              (1996.8.20 @草津)


ワーグナーのオペラ以外の作品は、初期の交響曲、いつくかのこれまた初期の序曲、合唱曲、歌曲、それにピアノ作品が残されております。

ピアノ曲は、以前取り上げた初期作「大ピアノ・ソナタ」、第1ソナタ、ポロネーズ、幻想曲、そして本日の「M.V.ソナタ」、さらに小品は数十曲。

いうまでもなく、MVとは、ヴェーゼンドンク夫人のことです。
ワーグナーのパトロンであったニューヨーク絹織物商のヨーロッパ側代表であった商人オットー・ヴェーゼンドンクの若き後妻マティルデ。

1852年、ローエングリンも終了し、リングへの構想に入った頃、39歳のワーグナーは、25歳のマティルデに会って、すぐにその美しさと聡明さに魅了されてしまう。
当時、まだ最初の妻、ミンナと連れ添っていた頃。
まったくやりますなぁ、リヒャルト様は。

その後のマティルデとの関係は、完全に恋愛関係にあり、その関係がかなり強くなりはじめた頃に書かれたのが、こちらのソナタ。
1853年の作曲と思われる。
本CDの解説によれば、「マティルデがワーグナーに美しい寝椅子をプレゼントしたお礼に作曲したものとされ、楽譜には、『それがどうなるか、あなたがたはご存知ですか?』という、神々の黄昏のセリフが謎めいて書かれてあった」とされます。

その黄昏のセリフとは、ブリュンヒルデの言葉だったと思います。
なかなかに意味シンな・・・・・。

リングの作曲に取り掛かった頃だけに、ワーグナーの頭の中には、因果応報、おごれるものは久しからず、、、などなどの思いがあったはずなのに、一方で、「トリスタン」への着想が芽生え、リングを一休み中断して、「トリスタン」の創作にのめり込んでゆくことになります。
1857年のことで、「ヴェーゼンドンクの詩による5つの歌曲」が同時に生まれることとなります。
熱い二人の関係が生み出した、「トリスタン」の世界。

その萌芽は、4年前の彼女の名前が冠された「ピアノソナタ」にあるわけです。

しかし、曲は10分あまりの単一楽章による自由な形式の音楽で、ソナタっぽくはなく幻想曲風です。

初期の大ソナタもそうであったように、こちらも多分にベートーヴェン風で、幻想的であるぶん、ベートーヴェン後期風でもあります。
ローエングリンとラインの黄金の間に書かれたわけでありますが、そんな雰囲気はあんまり感じない。

しかし緩やかに始まった曲が、華麗なアルペッジョを経ながら、徐々に盛り上がるところは、さすがにワーグナー、劇的であり、わくわくさせてくれます。
 それもひと静まりすると、今度は熱い歌が待ってまして、じんわりと愛を語るような雰囲気になるという寸法です。
そのあとは、冒頭の緩やかな雰囲気に戻って優しく曲を閉じます。

たしかにワーグナー、されどワーグナーでございました。

悪くはないです。

イタリアの名手、ブルーノ・カニーノが草津夏期国際音楽アカデミーで弾いた演奏会のライブです。
明るいタッチが爽快で、とても気持ちのいい演奏でした。
濃厚でないワーグナーのやり方です。

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2013年5月15日 (水)

バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻から ケンプ

Sakurasou

おおぶりですが、これもサクラソウ。

楚々とした紫にとても癒されま~す。

今日は、お仕事を引きずり、音楽を聴きだしたのがPM11時過ぎ。

めずらしく、盃ももってませんよ。

そんな頭の中を、優しくそして規則正しい波長に整えてくれそうな曲を選びました。

今日は短く。

Bach_kempff_2ab

   バッハ  平均律クラヴィーア曲集第1巻 抜粋12曲

         ウィルヘルム・ケンプ

                 (1975.5 @ハノーヴァー)


ピアノの旧約聖書とも言われちゃう大作ですが、こうして抜粋盤だと構えずに気軽にお休み前的に聴けます。

全2巻、48曲の「前奏曲とフーガ」からなるこちらの大作集は、すべての長・短調を用いて、そもそもが教育的な意義のもとに作曲され、第1巻は1722年(37歳)、第2巻は1742年(57歳)に出来上がっています。

当時は、もう少し単純な純正律に近い調律法が一般でありましたが、バッハは一歩進んだ平均律(オクターヴを12の半分に等分)の有効性実用性を示すためにも、この作品、とくに初回の第1集を作曲したとされる。
(純正律と平均律のことは、わたくしもよくわかりません。音楽学は難しい、聴いてるだけがどんなに易しいことでしょう)
ショパン、ドビュッシー(調の割り振りはありませんが)、ショスタコーヴィチなどが、大バッハの後をついで、24の前奏曲を残しておりますね。

もっとも有名なのがこの第1集の第1曲目の1番のハ長調のプレリュードでしょう。
これなら素人のワタクシでも、最初だけチョロっと弾けますぜ。
グノーが、この前奏曲を伴奏に、アヴェ・マリアを作ったのは、思えば天才的です。
高校時代、フルートなんぞをちょっと嗜んだもんだから、この曲に合わせて吹いてみたら、やたらと早くて死にそうになりました(笑)。

19世紀生まれの大ピアニスト、ウィルヘルム・ケンプがこの音盤を録音したのが、ケンプ80歳のとき。
枯淡の域を感じさせる味わい深い演奏。
いまのキリッとした歯切れのいいピアノ演奏からすると、歯がゆいかもしれませんが、深夜にゆったりと聴くには最高のバッハ演奏だと思います。
タッチはときに揺れる感じもありますが、そこがまたよろしくも感じる。
ケンペは、この曲集の抜粋続編を5年後にも録音しておりますが、そのとき、御歳85歳であります。
そちらは、第1集と第2集、両方の抜粋です。それはまたいずれ。

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2013年5月14日 (火)

シューベルト 交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Kitashinagawa

都会の真ん中でみつけた、こんな和風のオアシス的一服の眺め。

涼しげで静けさも漂います。

近隣はやかましいですが、日本人でホントよかったと思います。

Schubert_sym9_giuliini

  シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

                  (1977.4 @オーケストラホール、シカゴ)


わたしにとって懐かしい1枚を久々に聴きました。

廉価CD化されたジュリーニのグレートが、ネットでなんと691円ですよ。

ちょっと呆れつつも、円安のなかですし、安いにこしたことない。

上のレコードジャケットには、カメラ構えるワタクシが映ってますよ。

このレコードが発売された78年、大学生でした。
渋谷の東邦生命ビルにあったレコード屋さんで買った海外盤でして、薄手のジャケットはピカピカで、しかもとてもいいにおいでした(?)。
レコードは国内盤では2800円。輸入盤は確か1890円とかいう値段じゃなかったかしら。

学生には高価なレコードを慈しむように何度も何度も聴いたのです。
いまのあふれかえるCDとは格段に扱いや聴き方が違いました。

EMIからDGに移籍したジュリーニは、その端境期に、第9シリーズをやってくれました。
ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、シューベルト、ドヴォルザークと。
いずれもジュリーニが大巨匠として、巨大な足跡を記し始めた70年代後半の名演ばかり。
その後、重要なレパートリーであるこれらは、何度か再録音をしておりますが、私には、初回のこれらの演奏がいまもってジュリーニのベストであり、後のものは聴いてもいないものもありますが、そう確信してます。

なんといっても、オーケストラとの相性があると思います。
ベートーヴェンこそロンドン響ですが、ほかは全部シカゴ響。
後年の、コンセルトヘボウやバイエルン、ウィーンより、ずっとオーケストラが愚直なまでにジュリーニの棒に応えています。
アメリカの超一流オケのなせる技でしょうか。

それゆえに、指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽がまったく素直に反映されていて、遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よいのです。
2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしいです。
レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものですが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになりました。
いま聴いてもその新鮮さは変わりないです。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。

いま、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。
大学生のときから進歩していないのかな、わたくしの耳は。

(byあまちゃんにハマってる、70~80年代男より)

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2013年5月13日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ライトモティーフ集

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新緑のイロハモミジ。鳥居にとてもよく映えます。

ほんとこの時期は気持ちのいい季節・・・、なのですが、日中は暑い。

この夏が思いやられます。

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鳥居の向こうは上の神社のつながってまして、とても清々しい。

この夏は、世界中でワーグナーが演奏されます。

バイロイトでは、5年に1度の「リング」の新演出上演が行われますが、カストロフの演出にペトレンコの指揮。演出家のことはよく知りませんが、早くもラトル後のベルリンフィルに名前があがるペトレンコに注目です。

プロムスでは、すごいことになります。
バレンボイムがベルリンを引き連れて「リング」全部。ビシュコフが「トリスタン」、ラニクルズが「タンホイザー」、エルダーが「パルシファル」をれぞれを演奏会形式で全曲やります。

ほかの劇場や、都市でも、ワーグナーはヴェルディとともにたくさん上演・演奏されておりますが、ブリテンはオールドバラ以外は少し少なめかも。
それより、日本はもっと寂しい。

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  ワーグナー  「ニーベルングの指環」 ライトモティーフ集

         監修:デリック・クック

   サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                           (1958~65、67 ウィーンほか)


「ニーベルングの指環」を4夜全部続けたら、14時間30分はかかります。
それを24時間内に聴くという無謀な行為は、いまの忙しい現代人にとっては諸事あって不可能ではないかと思います。(が、しかし死ぬまでに1度はやってみたい行為であります)

レコード史上に燦然と輝く偉業のひとつが、初のスタジオ録音であった、デッカの「リング」。
タフガイ、ショルティあってのものですが、それとともにプロデューサーのジョン・カルショウとエンジニアのゴードン・パリーあってのものでした。

リング全曲録音の余波をかって、カルショウとパリーは、「リング」をさらに分析し、聴き手のガイドにもなる音盤の製作を企画し、ワーグナーの研究家でもあったデリック・クックに監修を打診し、3者合意して出来上がったのがこちらのライトモティーフ集。

全曲盤の音源からチョイスされたものと、一部オーケストラのみで録音されたものも含まれます。
レコード時代は、3枚組で、リング4部作ばら売りとは別に発売されていたほか、19枚からなる4部作セットのさいには、付録のようにして付けられていたと記憶します。
 CDでも、2枚組140分の大作です。

オペラにおける示導動機(ライトモティーフ)は、ワーグナーにおいて完璧なまでに完成され、人や物、事象を旋律であらわすばかりか、感情の機微までも旋律で統一感を持たせるという極めて高度な扱いにまでなりました。
ワーグナーの作品の中では、「リエンツィ」あたりからその使用が目立つようになり、「トリスタン」、「リング」において、ライトモティーフの手法は高みに達した。

「ラインの黄金」の冒頭、「原初の響き」から音楽は、一音一音、常に意味を持って、まるで網の目のように複雑に絡み合い、舞台は見ずとも、そのモティーフだけですべてを表現しつくしてしまう雄弁さを持っているのです。

そのライトモティーフを体系的に、いくつものグループ分けを行い、また動機的に関連のあるグループ分けも行い、2CDで合計40トラック、紹介されている音列だけでも192例。
なかなかの大作であり、大変な分析力なのであります。
聴いていて、あぁ、そうだったのか、同じ音列なのね。とか感心することしきりであります。

「リング」聴き始めの頃は、必死になって音楽も覚え、同時にレコードの解説書は詳細なものが多かったし、だいいち大きくて見やすかったから、ライトモティーフの名称も一生懸命覚えたものです。
いまや、海外盤ばかりだし、そんな解説もついてないし、目も悪くなったしで、もう卒業したつもりで、ライトモティーフのことは意識せず、流れで聴いてしまっております。
もちろん、いまでも分析的な聴き方は時間的にもできるわけがないのですが、たまには、こうしてライトモティーフのことなどを念頭に置きながら聴いてみるのも悪くはないと思いました。

Wagner_ring_intro2

 譜例は、このように全部載ってます。


録音のよさは折り紙つき。
オケであらたに録音されたものほど、音がいいです。
かつてのレコードでは、日本語対訳が付いておりましたが、ここでは対訳もなく、英国英語が垂れ流し状態。
思いきり想像力を働かせるのみです。
スマホにでもいれて、英語のラーニングのようしたら「リング・ライトモティーフ博士」になれるかも。

それにしても、マーラーの10番のデリック・クック、恐るべしでした。

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2013年5月11日 (土)

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 ベネデッティ

Azumayama_6

毎年、5月の始めがツツジの満開なのですが、今年は桜に続き早かった。

もう咲き終わりの吾妻山。

でも空と緑、アゼリアのコントラストは完全に美しい。

Verde

もう1枚、こちらは自宅の団地の法面。

連休前、4月末。

Bruch_tchaiko_benedetti

  ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調

      Vn:ニコラ・ベネデッティ

  ヤクブ・フルシャ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                  (2010.1,2 @ドヴォルザークホール、プラハ)


最近、わたくしがお気に入り(夢中?)のニコラ・ベネデッティ(ニコラたん)のブルッフ。

シマノフスキでデビューするというビジュアル路線の掟破り的本格派のニコラ。
その音源はまだそんなに多くはないけれど、先ごろも、わたくしの愛するコルンゴルトの協奏曲に早くもとりくんでくれて、狂気したばかり。
イタリアバロックの1枚も、渋いところを突いた1枚で、近々UPします。

しかし、レコード会社も売るためには有名曲も録音しなくてはならない、ということで、モーツァルトやメンデルスゾーンの協奏曲、チャイコフスキーの協奏曲などもこうして演奏しております。

そんななかで、彼女がもっとも得意とするのがブルッフ。
チャイコフスキーは正直、飽いてしまい右から左に聴き流してしまう傾向があるけど(ムターとプレヴィンのものは、いまだにカップリングのコルンゴルトしか聴いてないという事実)、好きなブルッフは、この音盤でもう何度も聴きました。
去年のプロムスでは、協奏曲とスコットランド幻想曲を弾いて大受けされてました。

彼女の陰りのない健康的なヴァイオリンは、ロマンティックでほの暗さのあるブルッフの協奏曲をすっきり爽快に、伸びやかに聴かせてくれます。

ブラームスより5つ下、ビゼーやチャイコフスキーとほぼ同世代のブルッフは、この協奏曲と幻想曲、コル・ニドライなどだけが有名で、交響曲や室内・器楽、オペラもと、オールジャンルに作品を残したものの、その生涯も含めて、ちょっと謎な人です。
オペラなんて、どんなのだろうと興味シンシンですよ。
でも、どうしてもこの協奏曲とスコットランドが素敵な曲です。
形式からは自由なようで、音楽全体に旋律からいっても統一感があって、ブラームスにはない幻想味と、ほのかな粘りのようなものも魅力的。

ほとばしる情熱や強烈な個性はないものの、ニコラのヴァイオリンは正統派で音色の明るさと、そのポジティブな雰囲気は、わたしにはとても微笑ましくて、単なる美人で終わらずに、本流をしっかり歩んでいって欲しいと願う、お父さん的な気持ちです。

お馴染みのフルシャとチェコフィルがバックをつとめるという贅沢ぶり。
ホールトーンが美しく、録音は実によろしいが、ここは何もチェコフィルじゃなくて、ロンドンのオーケストラでよかったんじゃないかな。

ニコラさまには、先輩タスミン・リトルの道を歩んでいただきたく、英国ものを極めて欲しいデス。

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そんな目で見ないでいただきたい。

Benedetti7

ハイ、カット!

過去記事

「シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲」


「コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲」

「プロムス2012 ブルッフ スコットランド幻想曲」

「プロムス2012 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲」 

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2013年5月10日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第3番「ポーランド」 バーンスタイン指揮

Mikan

みかんの花です。

連休中の実家は、秋から初冬に果実を結ぶ木々の花がほころんでおりました。

みかんや夏みかん、その甘い香りは、初夏の香りそのもの。

Kaki

そして、こちらは柿の若葉。

もうじき、この中から花が出てくるんです。

あと、実家には梅やレモン、キウイもあるんです。

そして当然に、これからの季節、虫ちゃんもたくさんやってきます。

幼虫・毛虫系がダメな方は卒倒すると思いますよ。

季節の循環が体感できる、そこそこ田舎がいいです。

Tcaikovsky_sym3_bernstein

 チャイコフスキー 交響曲第3番「ポーランド」

   レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

             (1970.2.10@エヴァリー・フィッシャー・ホールNY)


チャイコフスキーの交響曲シリーズをゆっくりと継続中。

この3番は、1875年35歳のときの作品で、「白鳥の湖」を完成しつつあり、オペラもすでに数曲。これより最充実気を迎えるチャイコフスキー。
翌年には、メック夫人との出会いを控えておりました。
 

5楽章形式で、終楽章にポーランドの舞曲が使われているところから、「ポーランド(ポーリッシュ)」の名称が付与されたとされます。
それ以外の4つの楽章も、リズミカルで、どこか舞踏的なイメージがあって、調整もニ長調で明るく楽天的であります。

暗い開始部分を持つもののすぐに弾むように邁進する楽しい1楽章。
レントラー風の3拍子の2楽章。
抒情的でありながら、そこはチャイコフスキー。しっかりとロシアの大地の香りをにじませてくれる素敵な3楽章。
メランコリックで、流動的な4楽章はスケルツォ。トロンボーンが活躍。
この楽章、なにげにワタクシは好きですよ。
華麗なバレエ音楽のような終楽章は、終結部が大盛り上がり。


これまで、2度、この曲を取り上げてますが、またもや同じこと書きます。
ハイティンクのレコードが初聴きのこの曲。
間違えてB面(すなわち3楽章)から聴きはじめ、A面(すなわち2楽章)で終了するという聴き方を初回にしてしまった。
解説も読まずに挑んだこともあるが、どうにもしっくりこないし、もしかしたらそんな曲なのかも、と思って、解説を読み、A→Bでちゃんと聴き直したことのある、思い出の「ポーリッシュ」。

いまやいくつもの音源を持ってますが、今日は元気のいいバーンスタイン盤で。
チャイコフスキー全集を作るのに一気に録音してしまった感のある、バーンスタインの1番と3番。
希少な録音かもしれません。
DG再録音にもう一度やっていたら、濃厚壮絶な3番となっていたと思います。
70年、万博で来日する直前のこちらの録音では、バーンスタインとNYPOのコンビの最善の姿が記録されております。
それは、音楽の推進力の勢いと、音楽を作り上げる感覚的な楽しみが聴いてとれること。
乾いた録音と、オケの粗さはありますが、それ以上に若いエモーションが聴いていて気持ちが良く、アメリカのチャイコフスキーという健康的かつ健全な演奏になっていると思います。

初夏に聴いて、実にお似合いの演奏なのでした。

 過去記事

「アバド&シカゴ響」

「ヤンソンス&オスロフィル」

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2013年5月 9日 (木)

バッハ モテット「イエス、わが喜び」 ヒリヤードアンサンブル

Megumi1

教会の壁に架かる十字架です。

この連休は、実家でゆっくりしました。

天気にも恵まれ、街中を幼き頃の記憶をたどりながら、海に山に歩きまわりました。

海の風が聴こえる場所にある、わたしの通った幼稚園は、かつて家があった場所から1~2分。
子供の頃に隠れんぼうをしたりした場所に、いまでは、お洒落なイタリアンやレストランが出来てまして、ほんと、隔世の感があります。

この日も、ぼろい格好して散策してたら、ムチャクチャお洒落なおネイサンたちが外車で乗り付けてきて、一瞥されてしまいましたよ。
嬉しいやら、悲しいやら・・・・。

Bach_motets

  バッハ モテット「イエス、わが喜び」 BWV227

       ハノーヴァー少年合唱団

       ヒリヤード・アンサンブル/ロンドン・バロック

       ポール・ヒリヤー指揮

                (1984 @ハノーヴァー)


6曲ある、バッハのモテット。

カンタータとはまた異なる形式による、合唱が主体、コラールを中心に据え、聖書の聖句も引用した複合合唱作品です。

カンタータのように独唱によるアリアもなく、淡々とした合唱がメインの渋い音楽なのですが、そのポリフォニーの綾なす美的な佇まいは、厳粛なバッハの宗教作品の中にあって、以外にも陶酔的な熱とロマンを感じさせてくれます。

もっとも長く、しかも有名なのが、今宵の「イエス、わが喜び」です。

同名のコラールは、同じバッハの「マタイ」で感動的に歌われるものと一緒です。
マタイには早くから馴染んでいた自分が、この清冽なモテットを聴いた時には、マタイのような劇性がすっぽり抜け落ちたこの曲の素直な美しさに本当に感動したものです。

20分ちょっとの中に、このコラールがいろいろと姿を変えて6回(6曲)登場します。
その間に、聖書からの各節(ローマ人への手紙)が織り交ぜられて、微細な変化や異なる印象を感じ取ることができます。
音楽の根底に流れるバッハならではの篤心的な宗教への帰依は、先に書きましたような熱っぽい没頭感を持ちまして、そのバッハの思いは、いまの世の中でも、聴く人の心に意外や熱く届くという寸法です。

ヒリヤードアンサンブルを中心としたこちらの音盤は、とても上手で、見栄え聴き映えともに完璧です。

ほんとうは、ハンス・マルティン・シュナイト師のアルヒーフ盤(レーゲンスブルク)が慎ましくも南ドイツの日常風で、理想的な演奏なのです。
学生時代、朝のバロックをエアチェックして、何度も何度も聴いたものです。

いまはもう昔のことです。。。

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2013年5月 6日 (月)

海辺のにゃんにゃん

Sodegaura_nyan

連休も終了。

明日から日常が戻ります。

連休中も、お仕事の皆様、ほんとうにお疲れさまです。

全国民の同時のお休みってもの局所的な混雑なども併せて鑑み、なかなか大変なものです。
国民休日は抜きに、自在にお休みが取りやすい社会環境が実現してほしいものです。

・・・・と、にゃんこ様、は申しております。

Azuma

今日の夕日。

わたくしの方は、もう1日お休みをいただきまして、亡父の法要等を済ませてから、日常に戻ろうかと思ってます。

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2013年5月 5日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ トマス・タリスの主題による変奏曲 ワーズワース指揮

Azumayama_1

お天気に恵まれ、いつもの郷里の山の上も、晴々とほんとうに気持のいい1日でした。

早朝登れば、人も少なく、海と山の絶景をひとり占め。

Azumayama_2_2

世界遺産、富士山は残念ながら雲に隠れてまして、頭の部分だけ。

子供も頃は、自宅の自室からも頭の部分が見えて、夕日に染まるその光景を見ながら、ディーリアスをはじめとする英国音楽や、ワーグナー、ことに「ウォータンの告別」などを聴いていたものです。
 いまは、自宅前の山、すなわち、いつも登るこの山の木々も伸びたのか、部屋からはまったく見えなくなってしまいました。

新緑の眩しさをたっぷり浴びて、リフレッシュできた1日。

今夜は、そんな深呼吸したくなるような爽やかな英国音楽を。


Rvw_wardsworth_2

  ヴォーン・ウィリアムズ  タリスの主題による変奏曲

                  ノーフォーク・ラプソディ

                  揚げひばり

                  グリースリーヴスの主題による変奏曲

                  「富める人とラザロ」の5つの異版
                  
                  
 
 

                  交響的印象「沼拓地方にて」

    バリー・ワーズワース指揮 ニュー・クィーズ・ホール管弦楽団

                    (1992.10 @ロンドン、ウォルサムストウ)


ヴォーン・ウィリアムズの管弦楽作品の音盤は数々持ってますが、なかでもそのほとんどが聴けるお気に入りの1枚。

もう少し活躍してもいいと思うワーズワースは、次々に亡くなってしまった英国指揮者のなかで、正統派の期待の存在。

ニュー・クィーンズ・ホール管弦楽団は、1895年にヘンリー・ウッドによって設立されたオーケストラをその由来とし、1992年に再編されたもの。
設立時代のロンドンで使用されていた楽器や奏法を用いるというコンセプトのもとに再スタートし、このCDがその第一弾であった。

その後の録音は、ワーグナーがあったような記憶もある程度だが、まだ年数回のコンサートは継続している様子。
バロックや古典~ロマン派あたりまでの古楽器系、さらには現代楽器によるピリオド奏法。
それらの流儀を20世紀初頭の音楽に合わせて、楽器・奏法ともに解決しようというやり方であったわけです。
 ちょっと中途半端だし、現代楽器と100年前の楽器の違いはそれほどに大きいのか?という疑問もあって、やはりそのあたりが、このオーケストラの意義が地味に消滅ぎみなところなのでしょう。

でも、わたくしは、この1枚がとても好きです。

緩やかで、穏やかな表情が綾なす英国の田園風景を偲ばせるようなヴォーン・ウィリアムズの音楽。
少しピッチが低めで、落ち着いて、むしろくすんで聴こえるようなこのオーケストラの響きは極めて魅力的な反面、「揚げひばり」のような、どこまでも高く羽ばたくような軽やかさ、飛翔感は少なめ。

テューダー王朝時代の作曲家、トマス・タリスの詩編の一節からなる幻想曲は、教会の礼拝を模した二重合奏となっていて、その古風でどこか寂しい哀感をたたえた曲調は、まさにこうした渋めなオケの音色でこそぴったりきます。
古酒をしみじみと味わう感があります。

有名なるグリーンス・リーヴスもくすんだ秋景色のようで、とても美しく、儚いのです。

英国の湿地帯を思い描くことのできる「沼拓地方にて」も、民謡採取に向かうことのなる、ヴォーン・ウィリアムズの心情のはかられる、渋いけれど、郷愁誘う名曲・名演でした。

ボールト、バルビローリ、トムソン、ハンドリーと、RVWの管弦楽作品の音盤は名盤に事欠きません。

さぁ、今宵はゆったりと眠れそうです。

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2013年5月 4日 (土)

ベルリオーズ 幻想交響曲 バレンボイム指揮

Hamamatsucho1


またしても月が変わり、小便小僧と、月イチ幻想の時期とあいなりました。

ほんと、日々の流れは早いものです。

5月はお約束の端午の節句、鯉のぼり担いでますよ。

おまけにキンタローときた。

Hamamatsucho2

尻丸出し!

新聞の兜もいいね!

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   ベルリオーズ  幻想交響曲

    ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1984.9 @ベルリン・イエス・キリスト教会)


どれだけ幻想交響曲を毎月聴いているんでしょうか。

ツキイチの代替候補は自分の中でもいくつかありますが、小便小僧とのカップリングも考えると、まだしばらく続けたいと思ったりしてます。

ネタ切れではありませんが、バレンボイム盤を。

いや、バレンボイムがダメだと言っているわけじゃありません。

バレンボイムの幻想といえば、パリ時代のパリ管との演奏が、妙に生々しくて、グロテスクで、優美で、そう、あらゆる要素がはちきれそうに入り込んでいて、おまけにパリというおフランスの優美さもあって好きなのです。

今回は、そのあとの、カラヤンとベルリンフィルの隙間風吹く環境をうまく利用したCBS録音を久しぶりに聴いてみました。

一聴、わかるのが、イエスキリスト教会での響きの豊かな録音。
この録音会場で聴くベルリンフィルの音は、60年代のカラヤンの音、それも優美で横への広がり豊かな響きに同じくする印象。
しかし、カラヤンのような抑制美はなく、オケの美音と実力に、思いきり感心して酔ってしまってる印象もあって少々底浅な感も。
でも、迫力感ではかなり思い切った行動に打って出たバレンボイムの実力が味わえる。

断頭台終結から、ヴァルプルギスにかけての切迫感と、最終エンディングのド迫力は、さすがにベルリンフィルを指揮しているだけのことはあって、とどめようもない爆発力を感じ、聴き手は幻想を聴く快感を得ること間違いなしになるんです。

これでいいのかなぁ~、と思えばそれきりだけど、カラヤンの縛りから少し外れて、レコーディングを楽しんで見ました的なベルリンフィルの魅力は充分すぎるほど味わえます。

ほんとは、バレンボイムでなくて、当時まだギンギンだった小澤征爾さんの指揮で録音してくれるとよかった。

今回は、高校時代に買った黄ばんだスコアを見つけ出して、音符をなぞりながら聴いてみた。
音符の数の多さ、情報量は、ハンパないけれど、オーケストラの配列は伝統に即したもので、ただ楽器の数が多いだけで、指定の数は2管編成だし、ベートーヴェンの延長といえばいえなくもないものでした。(と恐れながら思いました)

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しかし、この時代恐らくあり得ない、もしくはユニークなものは、弦楽器群の分奏で、5楽章では、第1、第2ヴァイオリンが、それぞれ3部に分かれているし、ヴィオラも2部に。


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それと、なんといっても弦を弓の反対側で叩くように弾くコルレーニョ奏法はべルリオーズが大々的に採用したものと思われ、スコアではへんてつもないけれど、実演では極めて斬新に感じます。

しかし、スコア視聴して、指揮者の大変さ、そして何より、この曲のオーケストラの皆さんの大変さ、大いにいたみいりました5月の幻想でした。
いつも文句ばっか言ってすいません。

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2013年5月 3日 (金)

ヴェルディ 「十字軍のロンバルディア人」 カッレガーリ指揮

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つつじ満開。

自宅のある団地内の法面は、四方八方ツツジが植えられていて、いまの時期、本当に美しくて、ここに住んでよかったなとつくづく思います。

アゼリアの甘い香りもただよい、蜂たちも嬉しそうに飛んでます。

春から初夏への移り変わりです。

ヴェルデイのオペラ第4作「十字軍のロンバルディア」をDVD鑑賞しました。

Verdi_lombardi

  アルヴィーノ:ロベルト・デ・ビアージオ パガーノ:ミケーレ・ペルトゥージ
  ヴィクリンダ:クリスティーナ・ジャンネッリ ジセルダ:ディミトラ・テオドッシュウ
  オロンテ:フランチェスコ・メッリ     ピッロ:ロベルト・タリアヴィーニ
  ミラノ司祭:グレゴリ・ボンファッティ   アッチャーノ:ジャンソンス・ヴァルディス
  ソフィア:ダニエッラ・ピニ

   ダニエーレ・カッレガッリ指揮 パルマ・レッジョ管弦楽
                      パルマ・レッジョ合唱団
        演出:ランベルト・プッジェッリ

                           (2009.1.15,21@パルマ)


前作の「ナブッコ」で、イタリアオペラ作曲界の第一人者として、そして伝統を受け継ぐ正統派として、その地位を確立したヴェルディ。
次なる作品でも、失敗は許されない。
ヴェルディに次回作を契約していたメレッリは、次作もソレーラとの共同作業による作曲を求めていて、そのソレーラは、ミラノの詩人グロッシの叙事詩「十字軍のロンバルド人」をもとに台本を作り上げ、二匹目のドジョウともいうべき、圧政からの民族解放、故郷賛歌をその基本に織り込んだのでした。
 宗教的にも、政治的にも、まずいことを予見した当局は、オペラとして形をなして熱狂上演されることを恐れ、阻止しようとしたものの、ヴェルディはがんとして聞かず、時の警察署長もこの熱血の若きオペラ作曲家の肩を持ち、責任を負うと請負い擁護した。
その結果、1843年スカラ座で初演をされ、前作に次ぐ、大いなる大成功を勝ち得たのだった。

アルプスの向こう側では、ワーグナーが、「さまよえるオランダ人」をドレスデンで初演し、こちらも成功した同じ年であります。

オペラの背景時代は1096年の第1次十字軍の頃。
十字軍といえば、世界史のお勉強で習った程度の知識しかありませんが、ここで簡単にさらっておきます。
 1096年に、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけによって始まったキリスト教界の聖地であるエルサレムのイスラム国からの奪還運動。
教皇は、教会会議で聖地を「乳と蜜の流れる地」として、奪還運動に参加したものには、天において報われ、仮に戦死したとしても神教会より免償が与えられるであろうとし、さらに各地の司教たちにも広く呼び掛けるように指示をした。
これが広まり、本来意図していなかった民衆の隅々まで、この運動に賛同する動きは広まり、はては熱狂運動となった。
各地の支配階級から抑圧されていた民衆は、そのはけ口として民衆十字軍となり、略奪行動までも引き起こしたりもしたし、さらにユダヤ人排斥運動までも引き起こし、改宗を迫ったり、ユダヤ人狩りまでも行われた。
そうした十字軍の陰の部分は、幾多の書籍や小説で確認できます。

このオペラの背景は、当時神聖ローマ帝国下にあったミラノの街からスタートします。
ミラノがあるのは、今のイタリアのロンバルディア洲で、イタリア北西部のエリアです。
劇中、このエリアのロンバルディア人たちの軍の総司令官となったのがファルコ家の長男アルヴィーノで、彼らが向かった先がアンティオキアとなります。

アンティオキアは、いまのトルコ国の南端にある場所で、アンタキアと呼ばれます。
地中海に面しつつ、シリアに出べそのように喰い込んだその立地。
当時セルジュク朝にあり、難攻不落の城壁に守られていた都市で、十字軍は1096年に内報者を得て、抵抗や地震に悩まされながら、半年にわたる攻防ののち陥落し、アンティオキア公国を設立。
約170年死守するものの、そののちは再びムスリム、マムルーク朝に支配される。
ちなみに、その後、オスマン帝国、フランス治下シリア、トルコとアンティオキアは変遷していくことになります。
十字軍は、第1回より、第8回(9)。1096~1272年。すなわち、アンティオキアのイスラム化が十字軍の最後となります。
もちろん、十字軍は聖なる目標を掲げた第1回から、回を追うごとにその目標・目的も変化していったわけでありますが。

ちょっと長いですが、こうした歴史も頭において聴くのも、オペラの楽しみです。

アンティオキア攻防史を調べると、このオペラの出来事がほぼ史実にかなっていることもわかります。

簡潔な前奏曲のあと。

第1幕 ミラノ
 

 かつて、ヴィクリンダという美しい女性をめぐって、兄アルヴィーノを殺そうとした弟パガーノが、反省の念著しいとして、追放の身を解かれてミラノに帰ってくる。
パガーノの独白、後悔を歌うがしだいにまた憎しみの念がわいてきて、邪悪な心を歌う。
ヴィクリンダと結婚したアルヴィーノの娘、ジゼルダは叔父の改悛と平和を念じてアヴェマリアを歌う。
このアリアは雰囲気が、最晩年のオテロのそれにちょっと似てます。
ミラノ司祭があらわれ、十字軍ロンバルディア軍司令官にアルヴィーノが選ばれたことを告げる。
 アルヴィーノを再び亡きものにしようというパガーノの悪だくみに、腹心ピッロはのります。
不穏な動きを察知したアルヴィーノは、父と妻・娘を自室に残し城内を巡回する。
妻娘がそれぞれ引き上げたあと、騒ぎが起こり、全員が集まってくる。
してやったりのパガーノだが、そこに父親の亡きがらが運ばれてきて、「オ・ローレ(恐ろしや)とパガーノが自首すると、アルヴィーノは剣を手に飛びかかりますが、娘ジゼルダに止められ、さらにパガーノは自決しようとするものの、人々に、生きてゆくのが一番辛い償いだと制止されます。

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第2幕 アンティオキア

 
 アッチャーノ王の宮殿。十字軍が略奪・暴行の限りを尽くして責めてくると、人々が騒いでいていざ迎え討とう意気高揚と歌う。
そのあと、王の妻ソフィアと息子オロンテが出てきて、オロンテは清々しいアリアを歌う。
母は自分はキリスト教に密かに改宗していて、きっと彼女は、息子も改宗するために天が送ったのだという。
その彼女とは、待女となっているジゼルダのこと。(なんであんたがここに??)
オロンテは、彼女と密かに愛し合うようになっていて、彼女の信じる宗教こそ本物と思うようになっている。
 一方、国のはずれにある洞窟。ここには、名高く、徳もあると評判の隠者が住んでいる。
(実は、頭を丸めたパガーノ)
その元に、かつての部下ピッロがやってきて、親殺しに加担したこと、キリスト教を捨て、イスラムになってしまい後悔し悩んでいることを相談する。
隠者は、アンティオキアの城壁の門を開くことが、お前の救いとなろうと告し、ピッロは喜んで飛び去っていく。(なんで、気がつかないんだろ?)
 今度はそこへ、隠者の徳を聞きつけたアルヴィーノと十字軍一行がやってきて、娘が略奪されたことと闘いの成功を相談する。
(弟に気がつかない兄って??)
隠者は自分についてくればよろしいと、一同、愚かなアラーよと盛り上がる。
 

城内では、ジゼルダがイスラムの女たちに慰められたり、故郷を何故捨てたか、などとからかっている。
ひとりになったジゼルダは、亡くなった母への寂しい思いを祈りとともに歌うが静かながら、技巧を駆使した難アリアであります。
 そこへ、親父と隠者に引き入れられた十字軍が門を破って乱入してきて、人々をどんどん倒していく。

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ジゼルダが進みでて、こうして流される血はどうしたのか?、人の血で大地を汚すのは神のご意思でないと、激怒して歌う。彼女のド迫力はすごい強靭な歌。
父は、もう娘ではないと、切りかかろうとするが、隠者に止められる。

第3幕 エルサレム近郊

 巡礼者たちが、聖都に来た喜びを「おおエルサレムよ」と感動的に歌う。
そこに父と一緒にはいたくないジゼルダが宮殿から出てきて、わたしの心だけが天から離れていると歌う。
 そこへ戦闘のすえ死んだと思われていたオロンテが出てきて、ふたりは感激の二重唱を歌い、ジゼルダはオロンテとともに逃げると約束をして彼を大いに喜ばせる。
 入れ違いに、アルヴィーノが出てきて、逃げる男女ふたりを隠者が手助けしたと聴いて激怒し、愚かな娘め、と怒りまくる。
軍からは、弟パガーノの目撃情報もあがり、勇ましくやっけろということになる。

 ヴァイオリンソロを伴う美しい間奏曲。
負傷したオロンテにつきそうジゼルダ。ジゼルダは無慈悲な神を呪うが、そこに隠者が出てきて彼女を諭し、ヨルダン川の聖水で、オロンテに秘蹟を行い受洗を授ける。
心の喜びを歌うオロンテに死は迫り、ヴァイオリン独奏を伴った美しい三重唱となり、彼は息を引き取ります。

第4幕 エルサレム近郊

 洞窟のなか、天上の合唱に続き、オロンテの歌声が聴こえる。
ジゼルダゆえに救われた魂が天に昇る・・・、キリスト教徒たちに希望を強く持つように伝えるのだ、と歌う。
夢から覚めたジゼルダは、突然湧き上がる力を得て、十字軍を鼓舞する力強いアリアを歌う。これまたすさまじい。

郊外の野辺、十字軍とともに来た人々が、異国の地で、故郷ロンバルディアの川や湖、ぶどう畑を思って歌う有名な合唱がはいる。
疲れた人々に、ジゼルダは、シロエの泉へ導き、人々を癒し、そこへアルヴィーノとパガーノが合流し、聖なる戦いを熱く歌う。
(この流れも不自然きわまりない)
そこで戦いの場面となる。舞台裏のバンダとピットのオケが呼応しあう。
戦は終わるが、隠者は傷つき倒れ、これを介抱するアルヴィーノとジゼルダ。

9

隠者の血を見たジゼルダは驚くが、彼はこれはアルヴァーノの血であり、父上の血なのだ、時分はパガーノであると告白する。
自分はもう長くはない、神に救われた・・・と兄に許しをもとめ、アルヴァーノもお前の勝利だと手をとり、兄弟は邂逅する。
最後に、エルサレムの町を見せて欲しいというパガーノを囲んで、人々は、情け深い神を讃えつつ、感動的な雰囲気のなかパガーノは息を引き取り幕となる。

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               幕

正直いって、このはしょりまくりの急展開には閉口です。
実の兄弟や姪、かつての部下が、相手のことをまったくわからないという想定しにくい状況もありえないこと。
戦を憎んだ口が、今度は軍を鼓舞する立場にたちまちにして変貌。

おかしなところを探したら、それこそネタの宝庫なわけですが、そこはまぁオペラのことだし、ヴェルディは以降だんだんと、台本選びや、そのそもそもの選定や出来栄えに厳しく眼を配るようになるのですから、大目にみておきましょう。

前作の成功作「ナブッコ」にならった史劇、それに加えての、当時の非独立分裂状態のイタリア人の心くすぐる愛国心誘う郷愁合唱曲を巧みに配列し、聴衆の心をくすぐる作戦。
そこに活劇的なダイナミィックな戦闘モード、熱っあつの恋愛物語、それと愛憎まみえる肉親の情愛も交える巧みさ。

聴衆や当時のイタリアを意識した、できすぎの筋立てにつけたヴェルディの音楽は、あまりにもメロディの宝庫でして、最初から最後まで、初聴きでも、いい旋律だなぁ~と聴き惚れてしまうアリアや合唱ばかり。
主役のジゼルダと、オロンテ、パガーノの3人には各幕といっていいほどに、素晴らしいアリアが割り当てられています。
ことに、ジゼルダの歌はそれぞれの幕に超絶技巧のアリアが続出し、聴く側からすると快感以外のなにものでもありません。
しかし、それぞれのアリアは、ただ美しく気持ちいいだけに、内容や深み欠ける点も否定できません。
ヴェルディの初期作品に通じる美点と欠点ですが、定番のズンチャッチャ節とともに、前は否定的に思っていたこうした局面も、いまや心を解放してくれるヴェルディ作品の美点に思うようになってます。

3

このオペラのキモは、歌手がそろわないと満足ゆく上演ができないこと。
ことにソプラノのジゼルダ役は、強靭な声と細やかな歌い口を要求される難役だし、最初から最後まで、出ずっぱりのタフなスキルを要求される役柄なのです。
それをほぼ満足させてくれる、この映像のテオドッシュウは、まったく素晴らしい出来栄えで、豊富な声量と、鮮やかな技巧、そして弱音の美しさでもって素晴らしい存在ぶりなのでした。

次の主役、バスのペルトゥージも美しいバスで、スキンヘッド役の見た目の異様さとは別に、オーソドックスな安定感があります。
あと美味しい役柄テノール君、オロンテのメッリもお約束の朗々、かつお悩み満載の典型的なロールを上手に歌い演じてます。正直素敵な声です。
かつての音盤では、ドミンゴやパヴァロッティが歌ったオロンテです。
 それと、もうひとりの強いテノールが求められる兄アルヴァーノ役、ビアージョもなかなかに立派なテノールでした。

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新国でも何度かヴェルディを指揮しているカッレガーリの生き生きとした指揮もこの上演=DVDの成功のひとつ。弾んでます、歌ってます。
ヴァイオリン独奏を伴ったまるでパガニーニのような音楽の場面での、軽やかさと清涼さはとても素晴らしいものがありました。

ドラマはちょっと陳腐ですが、音楽については、歌と旋律、垂れ流しのうれしいヴェルディ初期作の「ロンバルディア」でした。

ヴェルディ・オペラ全制覇まで、あと11作。

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2013年5月 2日 (木)

街で出会ったにゃんにゃん

1

まだ未公開だった猫画像。

ある年の、冬の陽だまり。

ひとりのにゃんこが歩いてましたよ。

遠目でも、毛並みの良さがわかりますな。

こんにちは、にゃんにゃん。

2

どうですか、お客さん、このすくっとした佇まい。

いいじゃないか。いいよ。

ということで、声かけてみました。

おい!

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にゃぁ~

ちゃんとご返事いだだきました。

そとにゃんことの束の間の交流を楽しむワタクシなのでした~

さよなら、にゃんにゃん。

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2013年5月 1日 (水)

グレインジャー 歌とダンシング・バラード ガーディナー指揮

Yokohama_park_2

5月はチューリップ。

皇太子ご夫妻も、いまオランダに。

オランダ国との由緒ある麗しい関係。

戦中、利害が衝突したけれど、どちらの国もいまは成熟した大人。

そしてそれぞれ関与した国々も、充実した青年となり、今後の世界を担う立場になってゆく。

日本の行く先は、また次元の異なる違う世界を切り開かなくてはならないのでしょう。

いつまでも、ぶーすか言われる隣国を思うと、これらの花々の一本一本自立した美しさが際立って感じますがいかに。

Grainger_gardeiner

 グレインジャー 「SONGS & DANCING BALLADS」

    ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 

      
                    モンテヴェルディ合唱団・管弦楽団

                    コンサート・ソリスツ

                 (1994,95 @ロンドン)


パーシー・グレインジャー(1882~1961)は、オーストラリア、メルボルン近郊のブライトン生まれのコスモポリタン。
幼少より音楽を学び、13歳にして母親ととにに渡欧。
 ドイツ・フランクフルトにて作曲を習得。
このときの仲間には、セシル・スコット、クゥイルター、ガーディナーの伯父バルフォア、のちにブゾーニなどもいた。
 さらにグレインジャー母子は、ロンドンに渡り、ここではピアニストとしても名声を博したほか、英国、さらには北欧の民謡採集と、それを活かした曲の出版拡充につとめた。
このとき、きっと、ホルストやヴォーン・ウィリアムズとも一緒だったかもしれない。
 しかし、ロンドンには13年ほど留まったのち、今度、母子はニューヨークに渡米し、亡くなるまで終生アメリカにとどまる。

アングロサクソン系内ではありますが、このような系譜はまさにコスモポリタンとも呼べるもの。
こうしてみるとあと一人、脳裏に浮かぶ作曲家、ディーリアスがいます。
英国の血が流れていないが、英国生まれ、アメリカ、ドイツ、フランスに暮らし北欧を愛したディーリアスとグレインジャーの共通項は、コスモポリタン的存在です。

しかし、グレインジャーは、母を自殺で亡くしたあと、ショックを受けつつも、北欧生まれの画家と結婚し、さらに熟考し、オーストラリア人としての自身の存在を受け入れ、同国に民族音楽の研究機関を発足させたり、オーストラリア、イギリス双方の音楽資料のアーカイブ化に努めました。

この人がいなかったら日の目を見なかった音楽作品も多々あります。

なんだかありがたい人なのですが、その音楽作品はあまり知られてません。
今回のCDが発売された10年前くらいには、ゆかりあるガーディナーの啓蒙と、シャンドスレーベルの数々のレコーディングでもってかなり注目されたのですが、いまはまた日陰にまわってしまったかのような存在になってしまいました。
かくいうわたくしも、このCDをふと取り出した本日の視聴は、それこそ発売以来のことなのですから。

しかし、グレインジャーを侮ってはいけません。

本CDの解説によりませすれば、「複合和声と変則リズムをいちはやく開拓した」とあります。それは「ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ヒンデミットにも影響を与えた」とされておりました。

残念ながら、本CDでは、そんなすごいグレインジャーの片鱗は、ナイスなメロディーたちに隠れて強く感じることができませんが、何枚かあるシャンドスの音盤には、そんな当時の先端音楽が収録されているのでしょうか。

ここに演奏されている曲は全部で14曲。
グレインジャーのオリジナル作品はそのうち3つ。

「ソロモンの詩より~愛の詩」は、旧約の雅歌から歌詞をとり、たおやかかつ、ロマンティック、ときには濃密な雰囲気さえも浮かびあがらせる合唱作品です。
これはいい。
英国音楽と、後期濃密ロマン派、ともに手を携えたかのような美しい空間を感じさせる、わたくしには堪らないほど魅力的な音楽。
これ1曲で、グラス3杯のお酒が飲めます。

大規模なオーケストラと合唱のための作品「花嫁の悲劇」は、リアルな内容を歌い込んだ具象的な作品で、意にそぐわない花婿と結婚間近の花嫁が、本当は愛する男子によって強奪され逃げる物語。まるで、「サウンド・オブ・サイレンス」なわけですが、こちらはかなりに劇的かつドラマティックな暗さに満ちています。
逃げた二人は、約束した花婿に追いかけられ、馬にまたがって逃げますが、やがて河に狭まれ、その激流に飲まれてしまうのです・・・・・。
悲しくも辛辣な内容を、グレインジャーの作風は、淡々と進みつつも、半音階的な憧れと哀しさを醸し出す音楽に終始するのです。

あとひとつのオリジナル。「ダニー・ディーヴァー」。
兵営の歌、仲間のダニーが今夜吊るし首になる。
そんなリアルな鬼気迫った状況を、やたらと呑気に(とわたしには聴こえる)、俗っぽくコミカルに歌う。ある意味恐怖すら感じる音楽だけど、何食わぬところがグレインジャーなのだろう。
マーラーの歌曲みたいな、多面性を秘めたやたらと陽気に歌う作品でした。

その他は、耳にお馴染みの作品ばかり。

「日曜になればわたしは17歳」、ディーリアスでお馴染みの「ブリッグの定期市」、「わが黒髪の乙女」、「ロンドン・デリーの歌」、「三羽のからず」、「フォスター・草競馬」などなど・・・

民謡をいとおしむように、味わい深く再現した曲や、明るく弾むようなカントリータッチの曲やら、その姿は千変万化。
味わいもありつつ、皮肉あり、哀しみあり、喜びもあり。
そんな喜怒哀楽、すてきなグレインジャーのこだわりのない素敵な音楽が久しぶりに聴いて、わたくしの中に蘇ってきました。
5月の空と、爽やかな風にぴったりです。

アカペラで歌われる「ロンドン・デリー」の歌には、ほとほと感動しました。
泣いちゃいましたweep

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