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2013年5月 3日 (金)

ヴェルディ 「十字軍のロンバルディア人」 カッレガーリ指揮

Verde2

つつじ満開。

自宅のある団地内の法面は、四方八方ツツジが植えられていて、いまの時期、本当に美しくて、ここに住んでよかったなとつくづく思います。

アゼリアの甘い香りもただよい、蜂たちも嬉しそうに飛んでます。

春から初夏への移り変わりです。

ヴェルデイのオペラ第4作「十字軍のロンバルディア」をDVD鑑賞しました。

Verdi_lombardi

  アルヴィーノ:ロベルト・デ・ビアージオ パガーノ:ミケーレ・ペルトゥージ
  ヴィクリンダ:クリスティーナ・ジャンネッリ ジセルダ:ディミトラ・テオドッシュウ
  オロンテ:フランチェスコ・メッリ     ピッロ:ロベルト・タリアヴィーニ
  ミラノ司祭:グレゴリ・ボンファッティ   アッチャーノ:ジャンソンス・ヴァルディス
  ソフィア:ダニエッラ・ピニ

   ダニエーレ・カッレガッリ指揮 パルマ・レッジョ管弦楽
                      パルマ・レッジョ合唱団
        演出:ランベルト・プッジェッリ

                           (2009.1.15,21@パルマ)


前作の「ナブッコ」で、イタリアオペラ作曲界の第一人者として、そして伝統を受け継ぐ正統派として、その地位を確立したヴェルディ。
次なる作品でも、失敗は許されない。
ヴェルディに次回作を契約していたメレッリは、次作もソレーラとの共同作業による作曲を求めていて、そのソレーラは、ミラノの詩人グロッシの叙事詩「十字軍のロンバルド人」をもとに台本を作り上げ、二匹目のドジョウともいうべき、圧政からの民族解放、故郷賛歌をその基本に織り込んだのでした。
 宗教的にも、政治的にも、まずいことを予見した当局は、オペラとして形をなして熱狂上演されることを恐れ、阻止しようとしたものの、ヴェルディはがんとして聞かず、時の警察署長もこの熱血の若きオペラ作曲家の肩を持ち、責任を負うと請負い擁護した。
その結果、1843年スカラ座で初演をされ、前作に次ぐ、大いなる大成功を勝ち得たのだった。

アルプスの向こう側では、ワーグナーが、「さまよえるオランダ人」をドレスデンで初演し、こちらも成功した同じ年であります。

オペラの背景時代は1096年の第1次十字軍の頃。
十字軍といえば、世界史のお勉強で習った程度の知識しかありませんが、ここで簡単にさらっておきます。
 1096年に、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけによって始まったキリスト教界の聖地であるエルサレムのイスラム国からの奪還運動。
教皇は、教会会議で聖地を「乳と蜜の流れる地」として、奪還運動に参加したものには、天において報われ、仮に戦死したとしても神教会より免償が与えられるであろうとし、さらに各地の司教たちにも広く呼び掛けるように指示をした。
これが広まり、本来意図していなかった民衆の隅々まで、この運動に賛同する動きは広まり、はては熱狂運動となった。
各地の支配階級から抑圧されていた民衆は、そのはけ口として民衆十字軍となり、略奪行動までも引き起こしたりもしたし、さらにユダヤ人排斥運動までも引き起こし、改宗を迫ったり、ユダヤ人狩りまでも行われた。
そうした十字軍の陰の部分は、幾多の書籍や小説で確認できます。

このオペラの背景は、当時神聖ローマ帝国下にあったミラノの街からスタートします。
ミラノがあるのは、今のイタリアのロンバルディア洲で、イタリア北西部のエリアです。
劇中、このエリアのロンバルディア人たちの軍の総司令官となったのがファルコ家の長男アルヴィーノで、彼らが向かった先がアンティオキアとなります。

アンティオキアは、いまのトルコ国の南端にある場所で、アンタキアと呼ばれます。
地中海に面しつつ、シリアに出べそのように喰い込んだその立地。
当時セルジュク朝にあり、難攻不落の城壁に守られていた都市で、十字軍は1096年に内報者を得て、抵抗や地震に悩まされながら、半年にわたる攻防ののち陥落し、アンティオキア公国を設立。
約170年死守するものの、そののちは再びムスリム、マムルーク朝に支配される。
ちなみに、その後、オスマン帝国、フランス治下シリア、トルコとアンティオキアは変遷していくことになります。
十字軍は、第1回より、第8回(9)。1096~1272年。すなわち、アンティオキアのイスラム化が十字軍の最後となります。
もちろん、十字軍は聖なる目標を掲げた第1回から、回を追うごとにその目標・目的も変化していったわけでありますが。

ちょっと長いですが、こうした歴史も頭において聴くのも、オペラの楽しみです。

アンティオキア攻防史を調べると、このオペラの出来事がほぼ史実にかなっていることもわかります。

簡潔な前奏曲のあと。

第1幕 ミラノ
 

 かつて、ヴィクリンダという美しい女性をめぐって、兄アルヴィーノを殺そうとした弟パガーノが、反省の念著しいとして、追放の身を解かれてミラノに帰ってくる。
パガーノの独白、後悔を歌うがしだいにまた憎しみの念がわいてきて、邪悪な心を歌う。
ヴィクリンダと結婚したアルヴィーノの娘、ジゼルダは叔父の改悛と平和を念じてアヴェマリアを歌う。
このアリアは雰囲気が、最晩年のオテロのそれにちょっと似てます。
ミラノ司祭があらわれ、十字軍ロンバルディア軍司令官にアルヴィーノが選ばれたことを告げる。
 アルヴィーノを再び亡きものにしようというパガーノの悪だくみに、腹心ピッロはのります。
不穏な動きを察知したアルヴィーノは、父と妻・娘を自室に残し城内を巡回する。
妻娘がそれぞれ引き上げたあと、騒ぎが起こり、全員が集まってくる。
してやったりのパガーノだが、そこに父親の亡きがらが運ばれてきて、「オ・ローレ(恐ろしや)とパガーノが自首すると、アルヴィーノは剣を手に飛びかかりますが、娘ジゼルダに止められ、さらにパガーノは自決しようとするものの、人々に、生きてゆくのが一番辛い償いだと制止されます。

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第2幕 アンティオキア

 
 アッチャーノ王の宮殿。十字軍が略奪・暴行の限りを尽くして責めてくると、人々が騒いでいていざ迎え討とう意気高揚と歌う。
そのあと、王の妻ソフィアと息子オロンテが出てきて、オロンテは清々しいアリアを歌う。
母は自分はキリスト教に密かに改宗していて、きっと彼女は、息子も改宗するために天が送ったのだという。
その彼女とは、待女となっているジゼルダのこと。(なんであんたがここに??)
オロンテは、彼女と密かに愛し合うようになっていて、彼女の信じる宗教こそ本物と思うようになっている。
 一方、国のはずれにある洞窟。ここには、名高く、徳もあると評判の隠者が住んでいる。
(実は、頭を丸めたパガーノ)
その元に、かつての部下ピッロがやってきて、親殺しに加担したこと、キリスト教を捨て、イスラムになってしまい後悔し悩んでいることを相談する。
隠者は、アンティオキアの城壁の門を開くことが、お前の救いとなろうと告し、ピッロは喜んで飛び去っていく。(なんで、気がつかないんだろ?)
 今度はそこへ、隠者の徳を聞きつけたアルヴィーノと十字軍一行がやってきて、娘が略奪されたことと闘いの成功を相談する。
(弟に気がつかない兄って??)
隠者は自分についてくればよろしいと、一同、愚かなアラーよと盛り上がる。
 

城内では、ジゼルダがイスラムの女たちに慰められたり、故郷を何故捨てたか、などとからかっている。
ひとりになったジゼルダは、亡くなった母への寂しい思いを祈りとともに歌うが静かながら、技巧を駆使した難アリアであります。
 そこへ、親父と隠者に引き入れられた十字軍が門を破って乱入してきて、人々をどんどん倒していく。

7

ジゼルダが進みでて、こうして流される血はどうしたのか?、人の血で大地を汚すのは神のご意思でないと、激怒して歌う。彼女のド迫力はすごい強靭な歌。
父は、もう娘ではないと、切りかかろうとするが、隠者に止められる。

第3幕 エルサレム近郊

 巡礼者たちが、聖都に来た喜びを「おおエルサレムよ」と感動的に歌う。
そこに父と一緒にはいたくないジゼルダが宮殿から出てきて、わたしの心だけが天から離れていると歌う。
 そこへ戦闘のすえ死んだと思われていたオロンテが出てきて、ふたりは感激の二重唱を歌い、ジゼルダはオロンテとともに逃げると約束をして彼を大いに喜ばせる。
 入れ違いに、アルヴィーノが出てきて、逃げる男女ふたりを隠者が手助けしたと聴いて激怒し、愚かな娘め、と怒りまくる。
軍からは、弟パガーノの目撃情報もあがり、勇ましくやっけろということになる。

 ヴァイオリンソロを伴う美しい間奏曲。
負傷したオロンテにつきそうジゼルダ。ジゼルダは無慈悲な神を呪うが、そこに隠者が出てきて彼女を諭し、ヨルダン川の聖水で、オロンテに秘蹟を行い受洗を授ける。
心の喜びを歌うオロンテに死は迫り、ヴァイオリン独奏を伴った美しい三重唱となり、彼は息を引き取ります。

第4幕 エルサレム近郊

 洞窟のなか、天上の合唱に続き、オロンテの歌声が聴こえる。
ジゼルダゆえに救われた魂が天に昇る・・・、キリスト教徒たちに希望を強く持つように伝えるのだ、と歌う。
夢から覚めたジゼルダは、突然湧き上がる力を得て、十字軍を鼓舞する力強いアリアを歌う。これまたすさまじい。

郊外の野辺、十字軍とともに来た人々が、異国の地で、故郷ロンバルディアの川や湖、ぶどう畑を思って歌う有名な合唱がはいる。
疲れた人々に、ジゼルダは、シロエの泉へ導き、人々を癒し、そこへアルヴィーノとパガーノが合流し、聖なる戦いを熱く歌う。
(この流れも不自然きわまりない)
そこで戦いの場面となる。舞台裏のバンダとピットのオケが呼応しあう。
戦は終わるが、隠者は傷つき倒れ、これを介抱するアルヴィーノとジゼルダ。

9

隠者の血を見たジゼルダは驚くが、彼はこれはアルヴァーノの血であり、父上の血なのだ、時分はパガーノであると告白する。
自分はもう長くはない、神に救われた・・・と兄に許しをもとめ、アルヴァーノもお前の勝利だと手をとり、兄弟は邂逅する。
最後に、エルサレムの町を見せて欲しいというパガーノを囲んで、人々は、情け深い神を讃えつつ、感動的な雰囲気のなかパガーノは息を引き取り幕となる。

10

               幕

正直いって、このはしょりまくりの急展開には閉口です。
実の兄弟や姪、かつての部下が、相手のことをまったくわからないという想定しにくい状況もありえないこと。
戦を憎んだ口が、今度は軍を鼓舞する立場にたちまちにして変貌。

おかしなところを探したら、それこそネタの宝庫なわけですが、そこはまぁオペラのことだし、ヴェルディは以降だんだんと、台本選びや、そのそもそもの選定や出来栄えに厳しく眼を配るようになるのですから、大目にみておきましょう。

前作の成功作「ナブッコ」にならった史劇、それに加えての、当時の非独立分裂状態のイタリア人の心くすぐる愛国心誘う郷愁合唱曲を巧みに配列し、聴衆の心をくすぐる作戦。
そこに活劇的なダイナミィックな戦闘モード、熱っあつの恋愛物語、それと愛憎まみえる肉親の情愛も交える巧みさ。

聴衆や当時のイタリアを意識した、できすぎの筋立てにつけたヴェルディの音楽は、あまりにもメロディの宝庫でして、最初から最後まで、初聴きでも、いい旋律だなぁ~と聴き惚れてしまうアリアや合唱ばかり。
主役のジゼルダと、オロンテ、パガーノの3人には各幕といっていいほどに、素晴らしいアリアが割り当てられています。
ことに、ジゼルダの歌はそれぞれの幕に超絶技巧のアリアが続出し、聴く側からすると快感以外のなにものでもありません。
しかし、それぞれのアリアは、ただ美しく気持ちいいだけに、内容や深み欠ける点も否定できません。
ヴェルディの初期作品に通じる美点と欠点ですが、定番のズンチャッチャ節とともに、前は否定的に思っていたこうした局面も、いまや心を解放してくれるヴェルディ作品の美点に思うようになってます。

3

このオペラのキモは、歌手がそろわないと満足ゆく上演ができないこと。
ことにソプラノのジゼルダ役は、強靭な声と細やかな歌い口を要求される難役だし、最初から最後まで、出ずっぱりのタフなスキルを要求される役柄なのです。
それをほぼ満足させてくれる、この映像のテオドッシュウは、まったく素晴らしい出来栄えで、豊富な声量と、鮮やかな技巧、そして弱音の美しさでもって素晴らしい存在ぶりなのでした。

次の主役、バスのペルトゥージも美しいバスで、スキンヘッド役の見た目の異様さとは別に、オーソドックスな安定感があります。
あと美味しい役柄テノール君、オロンテのメッリもお約束の朗々、かつお悩み満載の典型的なロールを上手に歌い演じてます。正直素敵な声です。
かつての音盤では、ドミンゴやパヴァロッティが歌ったオロンテです。
 それと、もうひとりの強いテノールが求められる兄アルヴァーノ役、ビアージョもなかなかに立派なテノールでした。

8

新国でも何度かヴェルディを指揮しているカッレガーリの生き生きとした指揮もこの上演=DVDの成功のひとつ。弾んでます、歌ってます。
ヴァイオリン独奏を伴ったまるでパガニーニのような音楽の場面での、軽やかさと清涼さはとても素晴らしいものがありました。

ドラマはちょっと陳腐ですが、音楽については、歌と旋律、垂れ流しのうれしいヴェルディ初期作の「ロンバルディア」でした。

ヴェルディ・オペラ全制覇まで、あと11作。

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