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2013年6月

2013年6月30日 (日)

神奈川フィルハーモニー第291回定期演奏会 金聖響指揮

Markis_2

新しいものができると、すぐにそのてっぺんに行ってみたくなるワタクシ。

予想通りに、すてきな眺望でしたよ。

みなとみらい地区に新しくできた商業施設、「マークイズみなとみらい」。

その内容は経緯には、今日は触れずにおきましょう。

屋上には、庭園があって、ご覧のとおり、果樹も実ってます。

この日は、あらたにお客さんオンリーワンの種植えをするところも見ることができました。

ただでさえ、ぎりぎりの横浜入り。

汗だくになりながら、お隣のかつて知ったる、みなとみらいホールへ急行です。

地下で、クィーンズモールと駅とともにつながっているから安心・・・・。

といいながら、ものすごい人出に圧倒されましたよ。

Kanaphill201306


   リゲティ        「アトモスフェール」

   ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

   バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

           (2013.6.29  横浜みなとみらいホール)



日差しは暑いけれど、爽やかな風も吹き、好天に恵まれた土曜日。

白昼堂々とリゲティ。この曲をライブで聴くのは、もちろん今回が初。

やはりCDなどで聴くのと全然違って、ホールの空気までもが共鳴し合い、夢想するようにして聴いて、あっという間の9分間。
冒頭こそ若干の濁りを感じましたが、その後の弦のみのトーン・クラスターの展開から、いつもの神奈川フィルの透明感ある響きを、自分でも掴めたような感じ。
ピッコロによる耳をつんざく超高音域から、一転、コントラバスの轟音。
ここの激しい落差感がこの曲は好きなのですが、今回はじっくりとオケの皆さんを俯瞰しながら聴くことができたし、事前に、IANISさんの時系列解説にも目を通していたものだから、ちょっとズレながら巻き起こる音の出し入れや、微細な色合いの変化、絡むようでいて、まったく絡んでこない楽器どうしの微妙なズレなどをよく認識することができました。
そして、面白かったのはやはりピアノ内部(いやピアノは見えなかったけど、あったのかしら?)のブラシごしごし擦り。
平尾さんと清水さんのふたり掛かりのこの奏法、音もほどよく、そして刺激的でもございまして、ばっちりキマリ!
FBで写真なども拝見してたし、今宵のアフターコンサートで、楽員さんから、理想のブラシ集めとその作成のお話などもお聴きして、手持ちの音源なども確認してみたけれど、昨日の神奈川フィルのブラシ音が一番!ナイスでした。

チェロの演奏台搬入のため、模様替え。
指揮台のスコアも、台からはみ出るほどの巨大なものから、いつもの、いや少し小さめのサイズのものに差し替えられるのほ眺めて過ごします。

プラハ出身の、カニュカさん。背は高く大柄ですが、優しそうな笑顔と、そのブロンドの髪の毛が印象的。その髪のもふもふ感は、わたくしには、猫の頭を思い起こさせて、なでなでしたくなっちゃいました。ないもののヒガミでしょうかねぇ(笑)

それはそうと、爽快・壮大にスタートしたドヴォコン。
いつも思う、この曲のシンフォニックな佇まい。
そして、木管、ホルンの活躍と、弦楽器のお休みの多さ。
生で聴くと、そのへんが丸わかり。
オケだけを見ていても、ドヴォコンは楽しいのだ。

長い序奏を、ときおり振りかえってオケを聴いていたカニュカさん。
出だしは、ブリリアントに、ごく普通に登場。決してバリバリ系の奏者じゃないです。
あの柔和な雰囲気そのものが、そのチェロの音になって表れてます。
ですから、オーケストラと対峙することはまったくなくって、どこかオケの一員のような感じで、みんなと溶け合いながら誠実・着実に演奏しているように聴こえました。
ですから、この曲特有のしみじみ感が気持ちもよくって、聴いていて心に爽やかな風が吹きぬけてゆくような気持ちでしたよ。
最高の聴きものだったのは、抒情派ドヴォルザークらしい、情緒あふれる第2楽章。
中間部の哀愁列車ドヴォルザーク号には泣かされました。
情をそんなに込めずに、淡々とした中に、聴かせてくれるドヴォルザークのノスタルジー。
あっさりとした演奏の中にも、日本の田舎の夕景にもにた懐かしさと優しさを感じたものです。
この楽章では、あでやかな石田コンマスのソロとカニュカさんの手作り風ともとれるチェロとの掛け合いもまた美しく、聴きものでありました。

オケの皆さんも、出番以外は、ほのぼのと耳を傾けてらっしゃるのが見てとれました。
苦手意識もありましたが、ほーんと、いい曲ですね。
演奏終了後、大きな喝采とブラボーが巻き起こったのはいうまでもありません。
なんども、拍手に応えてにこやかにされていたカニュカさん。。

後半は、バルトーク。
オケコンと呼んで久しいこの曲。
実は、1970年代半ばで、思考停止ならぬ視聴停止状態でして、ブーレーズとニューヨークフィルのレコード、それと同じブーレーズとBBCの来日放送から終了中というていたらく。
CDもいくつか持ってますが、ほぼ印象なしの状況で、神奈川フィルのライブに挑むの図。

今日の聖響さんは、その指揮ぶりが横揺れがなく、縦にキレのいい様子がうかがえ、リゲティからバルトークまで、なかなかの集中力がうかがえました。
この人は、古典やロマン派よりは、こうした後期ロマンから近世の音楽の方が向いているようです。

しかし、バルトークのオケコンゆえに、いつもこだわる対抗配置ではないため、オーケストラは全般に、よく鳴っていて、それがきっと楽員さん相互の信頼感と自発性によって、まさに「オーケストラのための協奏曲」というべき、よく聴きとりあってのコンチェルト・グロッソ的な佇まいに仕上がっていたと思います。

苦手意識を持つ曲ですから、どこがどうということは申せませんが、ソロの活躍する各所に、神奈川フィルの新しいメンバーの息吹と、ベテラン奏者の安定感とのコラボレーションがあって、どこをとっても新鮮で清冽な響きに溢れていたと思います。
存続なった神奈川フィルですが、オーケストラは生き物です。
こうして変化と受容を繰り返しながら、進化し続けていくんだと思います。
客演ですが、4月に続いて鮮烈だったティンパニ氏、オーボエの新しい女性、新たに加わったファゴット君、おなじみのホルン女子、弦の各処にもちらほら。
 おなじみの奏者の皆様も、ますます存在感が高まって聴こえたオケコン。
オケコンは、それこそ、オケの状態をレントゲンで見るがごとく、その状態の今を浮き彫りにうしてしまうような曲だと思います。
 そんな意味では、細部の掘りの深さをいまひとつ求めたいところですが、このあたりは、一途な方向性を出しきれていなかった指揮者の責任にもあろうかと思われます。
でも、いまの神奈川フィルの自主的な一体感が、まざまざとわかったのがこの曲のこの演奏。

この曲の白眉ともいうべき、「悲歌」の第3楽章の痛切な響きは、このオーケストラならでは透明感とデリケートな響きが緊張感とともに味わえました。
そして最後の華麗なる大爆発で、ホールは驚きの大ブラボーにつつまれたのでした。

いやはや、いつも熱くなりながらも冷静に聴いてるわたくしもびっくりブラボーは、この日ごく至近から発せられました。
斜め前と斜め後ろから来るブラボーは、前後サラウンド効果のように、しかもお互いに刺激しあっちゃって、どんどん高まる様相。片方は、ガッツポーズだし、ひゅーーっとか声出しちゃうし。(もしかして、洋装の若旦那??)
そんな興奮もわからなくもない、キリリとした素敵なバルトークだったのではないでしょうか。

Yokohama_beer

終演後は、土曜日のお約束、横浜地麦酒「驛の食卓」へ。

出来立て地ビールと、神奈川の地場産の食材がメインの食事。

横浜ヴァイツェンと、サカタのタネが開発したミニトマト「アイコ」ちゃん。
トマトとビールって、夏ならではで合うんです。

お疲れのところ、楽員さんの方々にもお越しいただき、そしていつもお世話になってます、勝手に応援メンバーに、遠来の神奈フィルファンのIANISさんも交えて、大いに飲み食べたアフターコンサートは、今回もとても楽しい会となりました。

定期は、9月までお休みです。
音楽堂がお休みしますが、佐村河内コンサートを聴く予定です。
オケの皆さんも暑い夏、熱い音楽を発してください!

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2013年6月29日 (土)

ヴェルディ 「ジョヴァンナ・ダルコ」 レヴァイン指揮

Kaikoukinen

横浜税関。

横浜三塔のひとつ。

昭和9年の築で、西洋風であるとともに、ドームがイスラム風な雰囲気。

Zeikan

別の機会に撮った写真。

ライトアッイプもまた雰囲気が違います。

横浜の、そして日本の港の窓口を守ってきたその姿です。

Verd_giovanna_darco_revin

  ヴェルディ  「ジョヴァンナ・ダルコ」

 カルロ7世:プラシド・ドミンゴ       ジャコーモ:シェリル・ミルンズ
  ジョヴァンナ:モンセラート・カバリエ   デリル:キース・エルヴィン
 タルボット:ロバート・ロイド

  ジェイムズ・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団
                    アンブロージアン・オペラ・コーラス
                    合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                  (1972.8,11@アビーロード・スタジオ)


ヴェルディ7作目のオペラは、「ジョヴァンナ・ダルコ」。

「ジャンヌ・ダルク」のイタリア読みです。

前作(二人のフォスカリ)に続いての、文芸作品をベースにした台本で、原作はシラーの戯曲「オルレアンの少女」。
2作続いたピアーヴェと変わって、ナブッコ以来の成功コンビのソレーラが台本製作。
そして、発注元も、ヴェネチア、ローマと他所の依頼作に注力していたが、かつての契約履行のためにも、スカラ座で、ということになったのが、1844年12月。
速筆だったこの頃のヴェルディにしても、翌1845年2月の初演という、3ヶ月で完成させるハイスピードぶり。

「ナブッコ」の大成功以来、各地よりオファー殺到し、スカラ座にも縛られることなく創作に集中しつくした4年間(1942~46年)、6作の新作を次々に発表するのであるが、「ジョヴァンナ・ダルコ」はその中ほどの作で、さしもの若いヴェルディも多忙のあまり、徐々に体調を崩してゆくことにもなります。

ジャンヌ・ダルク(1412~1431)は歴史上、実在の人物で、映画や小説にもなってますので、ご存知の方も多いはず。
フランス、ロレーヌ地方の農家に生まれ、13歳頃に神の軍団を率い、守護者ともいわれた大天使ミカエル(レクイエムの歌詞にも出てきますね)や、聖カトリーヌや聖マルガリタの声(天啓のようなものか)を聞き、イングランド支配下にあったオルレアンを解放すべしと進言し、やがてシャルル王太子の耳にも入り、ジャンヌ自身が兵の先鋒を担い、イングランド軍に勝利して、王太子もフランス国王シャルル7世となってゆく原動力となります。
ところが、政治にもまれ孤立したあげく、イングランド軍に捉えられたあげく、異端審問裁判を受け、火刑により厳しい処刑処分となってしまう悲劇の少女なのです。
 のちに、裁判の見直しを経て名誉回復し、その死から500年近く経った1920年に聖人として列聖されることとなります。

シラーの戯曲「アルレアンの少女」では、ジャンヌは処刑でなく、戦場へ飛び出してゆき戦死する。
このどちらかといえばロマンティックに創作を施された戯曲をベースにしながら、さらに自由に手を入れたソレーラの台本では、ジャンヌは羊飼いの娘となっており、原作での恋愛の対象が若い敵将に対し、こともあろうに国王シャルル7世(カルロ7世)になっている。
しかも、ジャンヌの親父の羊飼いが、娘を敵に売り渡したり、はたまたをそれを反省したり、身分の違いを超えて国王と対等だったりと、おおよそ理解できない行動をとったり。
悪魔や天使の合唱も人間界の時空を超えて出てきちゃう。
これはある意味、後のマクベスの前兆ではあるけれど。
しかし、ジャンヌの死は、戦死として扱われ、最後には悪魔が負け昇天する。
イングランドに立ち向かう、勇敢な女性と、愛を知ってしまったがゆえの死。
ある意味、常套手段ともいうべき愛国路線。

正直言って、音楽は抜群によいが、台本が陳腐であります。
前作、「二人のフォスカリ」で、あれほど人間心理の域に切り込む新境地ぶりだったのに、またもや威勢のいいオーケストラがガンガンと鳴り渡る激情ぶりに戻ってしまった。
でも、オーケストラ好きには実に刺激的ですよ。
ダイナミックで、かつ激しい叩きつけるようなリズムに、ますます扇情的な扱いも堂に入ってきたズンチャッチャ節などが、聴き手の耳と心を鼓舞します。
ずっとこれじゃ参ってしまいますが、いつものように全編に散りばめられた美しいアリアも魅力のアクセントとなってます。
そして、悪魔と天使に代表されるように、合唱=軍団・集団に大きな役割を持たせて劇的な効果を高めているところも、これまで以上でしょう。

ちなみに、チャイコフスキーの「オルレアンの少女」もシラーをベースにしてますが、あちらは火あぶりでジャンヌは亡くなります。
ジャンヌを題材とした作品では、あとはオネゲルの「火刑台のジャンヌ・ダルク」でしょうか。

1429年フランス。

プロローグ

第1場 ドムレミイ村

フランス軍兵士とドムレミイの市民たちが集まって、
イギリス軍の侵略に怒り、恐れて歌う。きっと、神様が助けてくれると希望を歌う。
そこに憔悴し、疲れ切った国王カルロが現れ、イギリス軍にもう降伏してしまいたい、森の奥のマリア像の下に自分の剣と兜を置くようにという夢のなかで神のお告げがあったと歌う。ハイCの超絶的なアリアであります。
人々は国王を止めるがカルロは、森の中の聖母マリア像へ祈りに出かける。
音楽は後の「マクベス」を思わせる嵐の光景となります。

第2場 夜の森

オークの茂れる森、空は荒れ模様。
教会の鐘が鳴り、羊飼いのジャコモが怪しい様子で出てくる。
彼は、娘のジョヴァンナが嵐の夜に必ずここへやってくるので心配して見張っている。
ジョヴァンナは、フランスを救うために必死に祈っている。
自分には、剣と兜は重すぎるのか。でも与えてほしい、と神に祈りつつ寝入ってしまう。
 そこへカルロが現れ、神のお告げのとおり剣と兜をおいて祈る。
おまえは気がふれた女なのだと歌う悪魔と、あなたの願いを聞き入れた、フランスはあなたを通して自由を得るのだとの天使の声を聞いて、眼をさましたジョヴァンナは、そばに剣と兜があるのを見て驚く。
現れたカルロにジョヴァンナは、いきなり王と見破り、わたしが先導をします、今こそフランスを救うために起つべき時だと叫び、二人は戦地へ向かう。
これを見ていた父ジャコモは、あわてて追いかけるが、力尽きて膝をついてしまう・・・・。

第1幕

第1場 シャンパーニュの岩山


幾百の戦勝が、いまこの一日で吹っ飛んでしまった、とイギリス軍指揮官タルボットは嘆いていて、ジョヴァンナの働きで敗走したイギリス兵士たちには倦怠感が漂っている。
しかし、タルボットはジョヴァンナの奇蹟を否定したいところ。
そこに錯乱したジャコモが登場し、私はフランス人で、カルロのおかげでフランスがダメになる、父を裏切った娘のジョヴァンナをこともあろうにイギリス軍に渡すことを約束する。

第2場 ランスの宮廷の庭園

勝利したジョヴァンナは、父のもとと、家へと帰り平凡な娘に戻ることを願う。
しかし、カルロ国王はジョヴァンナに愛を告げ、ここに留まるようにと語る。
ジョヴァンナは、最初は拒みながらも、愛してます・・・と受けようとすると、そこへ天使の声が浮世の恋は哀しい~と警告が響く。
ジョヴァンナは驚き顔色を変えるが、カルロはそれを優しくなだめ、彼女も気を取り直し、やがてカルロはジョヴァンナの手をひいて戴冠式会場へと向かう。
爆発的なファンファーレの中、悪魔の「勝利だ~」の声。

第2幕 ランスの広場

陽気な軍楽隊。Viva! 群衆がフランスの勝利を祝い、国王とジョヴァンナをたたえる。
そこへ父ジャコモが現れ、父としての役割をとどめ、怒れる主の雷鳴とならなくては、と胸の内を歌う。
トランペットのファンファーレが鳴り響き、アカペラで主への讃歌。
親父ジャコモがしゃしゃり出てきて、天がわしをここへ使わし、自分を置き去りにした娘を非難する。戴冠式を終えて教会から出てきたカルロ国王の一行に向かって、あの森での出来事を覚えておいでか、ジョヴァンナは魔女だとジャコモが叫ぶ。
雷鳴が轟いたことに恐れをなした群衆もなんてこったと、それに和して非難を始める。
王は困惑し、何か反論するように、父も娘の言葉を促すが、なにも答えないジョヴァンナ。
やがて、ジョヴァンナは俗世の愛を受け入れたためと悔い、わたしの罪ゆえの永遠の怒りをかってしまったと歌う。ここでは、3人のソロと群衆の合唱との壮大なアンサンブルとなる。カルロは人々の心変わりを嘆き、運命を呪う。

第3幕 イギリス軍の陣営

フランス!とイギリス兵が叫び大砲が轟く。フランスから追放されイギリス軍に鎖につながれてしまったジョヴァンナ。
むごい運命を嘆き、確かに1度だけ愛してしまったが、いまはまた純なる気持ちで一杯と必死に祈って歌う。父ジャコモがそっと入って来てその様子を伺い、その無垢でピュアな姿を見て感動し、自分のしてしまったことを大いに反省する。親娘の二重唱。
ジャコモは娘前に行き、驚く娘の鎖を解く。ジョヴァンナは神の力をまた得た思いで、祖国へと向かうと決意、父も勝利の翼に乗っていくがよいと激励。
彼女は、父の剣を持って戦場へと走る。
要塞に登ったジャコモは、風のように飛び去り、白馬に乗ったジョヴァンナの活躍ぶりを見て歌う。
すぐさま、フランス軍の凱歌がきこえてカルロが入って来る。
カルロとジャコモは、お互いを認め、許し合う。
しかし、そこへ娘ジョヴァンナの戦死の報がもたらされる。
重苦しい葬送行進曲を伴ってジョヴァンナの遺体が担架に乗って運ばれて来る。
嘆く王と父。
奇跡的に、立ち上がる瀕死のジョヴァンナ。
自分が魔女ではないことを言い、恍惚としながら、天国が開いた、マリア様が路を示してくださる・・・金色の雲に乗って、高みへ登ってゆくわ・・・・・と歌う。
一同が嘆いていると、空から眩しい光が差し込み、戻っておいでと天使の喜びの声と悪魔の天の勝ちだと敗北の声が聞こえてくる。
人々は、栄光のオルレアンの少女の亡きがらにひざまずく。

                  幕

勇ましい音楽がたっぷりで、これでもかというばかり・・・
ちょっと疲れるのも事実。
アリアの数々も少しばかり生彩に欠くような気が。
それでも、プロローグのカルロの技巧を駆使したアリア、夢見るジョヴァンナのアリア。
ふたりで、戦場に向かう場面の人の気持ちを煽動するような迫力。
1幕最初のジャコモの能天気なまでに美しいアリア。
終幕の親娘の二重唱の素敵な様子。
こんな風に、ナイスな箇所もたくさんありますが、なんたって、親父ジャコモの妙に定まらに性格が変。
その気まぐれと、天の言いつけに背いたジョヴァンナの運命がリンクしているわけだが、どうもその辺が生煮えで、前作の深い心情ドラマはどこへ行った?って感じです。

でも、やはりヴェルディ。勇ましい序曲も含めて、ヴェルディのオペラの歴史の中に、ちゃんと存在価値は認められると思います。

オモシロ言葉~冒頭の民衆の合唱で、「ちゃっちーなぁ、血だぁ~」って聴こえるところがあります(笑)

今回は、レヴァイン初期の頃の録音。
活きがめちゃくちゃよかった若きレヴァイン。
音楽は活気にあふれピッチピチの鮮度です。
根っからのオペラ指揮者を感じさせます。

3人のお馴染みの歌手も万全。
テカテカのドミンゴ。
ピアニシモが美しい、あざといくらいのカバリエ。
マッチョなミルンズ。

個人的には、ミルンズのなみなみとした美声と憎らしげな二面性がかっこよく、好きだな。

というわけで、「ジョヴァンナ・ダルコ」でした。

ヴェルディ・オペラ、ブログ全制覇まであと8作。

 

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2013年6月28日 (金)

やはりな。。。

Baystars_2

栄光の1998年。

早や、前世紀のこととなりぬ。

ベイの日本一。数々のグッズをいまも後生大事に抱えてます。

未開封の記念ビールまでありますぜ。

次に開けよう、使用しよう、と思いつつ、はや15年が経過し、そんな記念品を持っていることも忘却しつつある昨今。

よりによって、中日相手に、ノーヒットノーランを受けるの報。

いかにもベイらしく、悲しいおしらせに、ただでさえグダグダな月末にすべてのやる気を失い、音楽記事にも手がつきませなんだ。

というわけで、さようなら。

神奈川フィルの予習もいまひとつ、苦手ばかりの演目で、ストップ状態。

驚きの、激しくもビューティフルなバルトークにリゲティを聴かせてください。

そうこうしてたら、あらまぁ、居眠りをしてしまった。

30分以上の空白が、ここに??

どうもいかん。

パァ~っと、ヴェルディでも聴いて寝るとするか。

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2013年6月27日 (木)

リゲティ 「アトモスフェール」 アバド指揮

Kandamyoujin

波の中におられる小さな神様は、少彦名命(すくなひこなのみこと)でございます。

大波に乗って彼方より光り輝きつつ来たり、大国主命(おおくにぬしのみこと)の弟分となり、日本の国土形成を行った神様。

小さいけれど、知恵を絞り、難題を解決してゆく、日本人好みの可愛い神様。

大国主命は、だいこく様。少彦名命は、えびす様。

こちらは、二神を祀る神田明神です。

Wien_modern

      リゲティ  「アトモスフェール」

  クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1988.10 @ウィーン)


アバド生誕80歳と1日。

ウィーン時代のアバドの最大の成果のひとつ、ウィーンでの現代芸術祭。

音楽意外にも、さまざまな現代芸術の祭典が毎年秋に行われた。

ベームのあとを継いで、ウィーン市の音楽監督のような立場に就任したアバドは、ウィーンフィルとウィーンの歌劇場とも蜜月で、ウィーンフィルがこれまでだったら絶対にやらない領域の現代音楽を平然と取り上げるように仕立てたのでありました。

アバドのことを無能呼ばわりする人には、こうした現代~前衛にいたるまでの音楽を積極的に、しかも保守の街ウィーンで取り上げたことをどう評価するのでしょうか。

このように、アバドは今も昔も、クールで進取の気性に富んでいたのであります。

来る神奈川フィルの定期演奏会の冒頭で演奏される、リゲティの「アトモスフェール」

 リゲティ        「アトモスフェール」

 ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

 バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年6月29日 土曜日 横浜みなとみらいホール


以下、「神奈川フィルを勝手に応援するサークル」のフェイスブックページに、いつもお世話になっております、IANIS兄貴に投稿いただいた大作に、わたくしが無為にも付け足した部分を貼り付けておきます。

本分は、完璧極まりない「アトモスフェール」視聴の手引きです。

FBアカウントをお持ちでない方も、ご覧いただけると思います。

是非ご訪問いただき、イイネお願いいたします。

Ⅰ http://www.facebook.com/#!/notes/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%92%E5%8B%9D%E6%89%8B%E3%81%AB%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E7%AC%AC291%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E6%BC%94%E5%A5%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%8B%89%E5%BC%B7-2%E6%99%82%E9%99%90%E7%9B%AE-%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%86%E3%82%A3/379048968863760

Ⅱ http://www.facebook.com/#!/notes/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%92%E5%8B%9D%E6%89%8B%E3%81%AB%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E7%AC%AC291%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E6%BC%94%E5%A5%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%8B%89%E5%BC%B7-3%E6%99%82%E9%99%90%E7%9B%AE-%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%99%82%E7%B3%BB%E5%88%97%E8%A7%A3%E8%AA%AC/379345818834075

長いURLですが申し訳ありません。

ジェルジュ・リゲティ(1923~2006)は、ハンガリー生まれのユダヤ人作曲家で、父はアウシュヴィッツ収容所で亡くなり、戦後もソ連の政治介入によるハンガリー動乱を経て、西側オーストリアに亡命。
「トーン・クラスター」(音の塊・・・狭い音程間隔に密集する音を同時に鳴らす奏法)を駆使した60年代の作風がペンデレツキらとともに西側に革新的なムーブメントを引き起こしたリゲティ。
その代表作である「アトモスフェール」は1961年にドナウエッシンゲンにて初演。

キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」に使用されて、そのミステリアスで異次元空間を思わせるサウンドは、当時も今も時空間を旅する思いを抱かせます。  のちの「ロンターノ」とともに、60年代リゲティの代表作。
映画「未知との遭遇」の音楽担当、ジョン・ウィリアムズも多大な影響を受けていて、その雰囲気をまさに、同映画にて活用しております。

その後もリゲティは、作風を変えて行き、70年代は異なるリズムを同時に扱うポリリズムのを極め、個と全体との自己相似性、自律運動性など、あらゆる技法を尽し、さらにハンガリー色も音色ににじませ、さらにはアフリカの土着音やアジアなど、非欧州の音色にも敏感になっていった。

アバドのリゲティは、このCDと併録の「ロンターノ」と合わせて、研ぎ澄まされた緊張感と感覚美でもって、静寂から大音響まで、デリケートでかつ歌心あるタッチでもって、聴く側に異常なまでの集中力を要求する演奏となっています。
ウィーンフィルの持つ「色」がまた面白いコラボレーションとなってるようです。
願わくは、ロンドン響とベルリンフィルでもやってもらいたかった。
「ロンターノ」は、ベルリンとのライブ音源を持っていたような記憶あり。探さねば。

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アバドのウィーン・モデルンシリーズは3集まで。

まだろくに聴いてないので記事にできません・・・。

あとシェーンベルクとリゲティをおさめた1枚もありました。


ともあれ、土曜日の14時に、リゲティ。

楽しみです。

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2013年6月26日 (水)

祝クラウディオ・アバド80歳!

Rose

今日、6月26日は、わたしの敬愛するクラウディオ・アバドの80回目の誕生日。

80歳の今年、アバドは7年ぶりに日本にやってくる。

何度も恐縮ですが、ワーグナー・ヴェルディ・ブリテンのアニヴァーサリーに加えて、アバドの来訪、そして佐村河内演奏会数回、加えて神奈川フィルの存続決定ならびに躍動と、2013年は音楽ファンのなかでも、わたくしは特に極めて盛り上がりを見せているのでございます。

画像は、先だって、都内でクラヲタ紳士淑女の集まりがあったのですが、アニヴァーサリーに乗じて、ワタクシ、こんな花束を戴いちゃいました。
ありがとうございます!
そして、アバドの80歳の誕生日にもかけまして、ありがとう。

薔薇と酒、いやはや、音楽生活ここに尽きます。

アバドの指揮した、ワーグナーとヴェルディを今宵は聴いて、マエストロ・アバドのますますの健勝と無事の来日、そしていつまでもピュアな音楽を紡いでいただきたく、ここにこの記事を捧げたいと思います。

Abbado_wagner_gala

 「ワーグナー ガラ 1993 ベルリン」

   タンホイザー、ローエングリン、マイスタージンガー、ワルキューレ

    ステューダー、マイアー、イエルサレム、ターフェル

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 
                         (1993.12.31 @ベルリン)


カラヤンの時代はどちらかというと名曲パレードだったけれど、アバドになってからは、毎年、テーマを定めての関連付けの知的なコンサートになったジルヴェスター。

後任のラトルも、その路線を引き継ぎ、ラテンやアメリカに偏重するきらいはあるものの、ますます刺激的に、かつ渋くなって行くジルヴェスター。

ラトルは下積みの頃、アバドやハイティンクから学ぶことも多かったので、バーミンガムでの成功は、ラトルの才能+アバドからの影響とも思っております。
カラヤンの影がすっかりなくなったベルリンに難なく着地できたのもアバドの引いた路線のおかげとも言っていい。

レパートリーであった「ローエングリン」以外の曲目が初めて聴けた、新鮮なアバドのワーグナー演奏が93年のジルヴェスター。
大晦日の晩、NHKのライブ放送を文字通り正座しながら聴いた20年前の年。
脂肪分のまったくないピュアで透明感に満ち溢れたアバドのこのワーグナーは、それまでのワーグナー演奏とはまったく違って聴こえた。
わたしには、クライバーのさらに先を行く進化系にも思われた。
ワーグナーにこのような歌を聴こうとは。
ラテン系のものと簡単に片づけられない、それはどこまでも澄んで聴こえる明晰さと、自発性ゆえに、音の一音一音がおのずと語りだすように感じられたのです。
ジークムントがノートゥンクを引き抜くときの劇的な高揚感が、こうにも美しく、哀しく響くのはこのアバドが唯一です。

2度目の記事となりますが、いまこうして聴いてもその印象は変わりません。

アバドのワーグナーは、その後、病を克服した2000年の「トリスタンとイゾルデ」の公演にそのすべてが集約され、わたくしの生涯忘れえぬ思い出となっているのでした。

Abbado_verdi_gala

 「ヴェルディ ガラ 2000 ベルリン」

  仮面舞踏会、、ドン・カルロ、リゴレット、ラ・トラヴィアータ、ファルスタッフ

   ロスト、ヴァルガス、タイトス、ガッロ、コチュルガ、ディアドコヴァ、ドゥフェキス
   レミージョ、ファチーニ、フュトラル ほか

    クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                   プラハ放送合唱団

                      (2000.12.31@ベルリン)


2000年のジルヴェスターはヴェルディ特集。
それも、アリアばかりのガラ路線じゃなくって、オペラの場をそのままコンサート形式に再現したもので、アリアもあるが、重唱やフィナーレもあるといった具合に、そのオペラの片鱗をそこそこに味わえるもの。
てんでに選ばれた選曲でもなく、きっと「笑い」がテーマになっていると思わせます。

嫁を寝とられたとの嘲笑とオスカルの能天気なコロラトゥーラによる笑。
明るい女王の舞曲、伯爵の高笑い、乾杯の楽しさと、ヴィオレッタの幸せ絶頂の笑い。
そして、「世の中すべて冗談」の決めセリフのファルスタッフ。

ほんとに、よく考えられていて感心してしまう。

この演奏の数か月前に、文化会館に現れた、頬のこけて痩せ細ってしまったアバドに衝撃を受けたけれど、ひとたびタクトを握ると、まるで阿修羅のような鬼気迫る様相と化し、異常な集中力を見せてくれた。
こちらの映像でも、最初は緊張の面持ちで、数か月前のあの晩のアバドがそこにありますが、曲が進めば、たちどころにそこはアバドのヴェルディ。
流れるような流麗な指揮で、その指揮棒の先から音符がひとつひとつ音になって降り注いでくるかのように、ヴェルディと血肉化してしまう。
時に笑みを浮かべ、ベルリンフィルと歌手たちをたちどころに夢中にさせて、自然な音楽の流れとヴェルディの歌とドラマティックな展開にと巻き込んでしまうアバド。
この微笑みに、わたしたちアバドファンはずっと魅了されてきたのです。

今年、日本でまたこの微笑みに会えるのだと思うと胸が高鳴り、一方でこれが最後では、という不安と焦燥にも見舞われます。

しかし、アバドのヴェルディはやはり素晴らしく、天然純正さを感じさせてくれます。

アバドのヴェルディは、忘れもしない、スカラ座との「シモン・ボッカネグラ」。
照明を落とした文化会館の壁にアバドの指揮姿のシルエットが映し出され、N響とはおよびもつかない深々とした本物のヴェルディ・サウンドをその最初の一音から聴かせ、度肝を抜かせてくれた。
「完璧なヴェルディ」とは、今も昔も、あの晩をおいてほかにないと思っています。
アバドと「トリスタン」と「シモン」、「ルツェルン・マーラー6」。この3つは、わたくしが墓場まで持っていく、きっと生涯最高最大の音楽体験です。
もうひとつ追加あるでしょうか。

さて、アンコールは、J・シュトラウス「仮面舞踏会のカドリーユ」です。
シュトラウスが、このコンサートでも演奏された笑いの重唱とオスカルの歌を編曲し、交互に登場させながら、徐々にスピードを上げながら盛りあげてゆくアップテンポのめちゃくちゃ盛り上がる曲です。
ベルリン・フィルは必死と見せつつ、余裕の演奏で、笑いながら指揮するアバドにぴったりとついて行きます。
アバドとベルリン・フィルが堅い絆で結ばれた年でもあります。

Abbado_neujahrskonzert1988

この曲には、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート1988盤もありまして、そちらのアバドもより若々しく、ウィーンの丸っこい響きが転がるようにして聴かれる楽しい演奏です。
あぁ、懐かしいな。

Abbado2000

ということで、マエストロ・クラウディオ。
お誕生日おめでとうございます
ますます、お元気で
乾杯


   

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2013年6月25日 (火)

コルンゴルト 「死の都」 ピエロの歌

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バラ一本。

お船を背景に、洋航に出てみたくなる雰囲気。

横浜は、こんな風に景色に華があります。

千葉にも海はありますが、千葉港なんて最低の雰囲気だし、幕張の海岸も人工的にすぎるし、センスないんですよ。

京葉線沿線の幕張エリアに、イオンを核とする巨大商業施設の建設が決定しております。
イオン総本部のお膝元。イオン頼りの街づくり。
千葉市は、みなとみらい、お台場とつながる湾岸観光構想として決定しておりますが、なんだかなぁ~の感じです。
気が付けば、みなとみらいも商業施設頼り。
渋谷の高層化も商業施設ありき。
どこもかしこもそう。

どこから金がまわって、そこに落とされるんだろう。パイは変わらないんだから。

千葉県民、神奈川県人、東京人の3様のわたくしですが、それぞれにお金撒いてたら破産しますで。

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  コルンゴルト 「死の都」 第2幕から「ピエロの歌」

    ~おれの憧れ、おれの夢想は~

        フリッツ:ヘルマン・プライ

    ホルスト・シュタイン指揮 ベルリン交響楽団
 

                        (1961.10@ベルリン)


5つあるコルンゴルト(1897~1957)のオペラのうち、一番有名な「死の都」。

ベルギーのブリュージュが舞台。亡き妻とうりふたつの女性マリエッタを街で見かけたパウルが、錯乱の倒錯の中で夢と現実の狭間に酔い、やがてすべてを諦めて、彼を惑わせた古都ブリュージュを後にする・・・・。

このバリトンのアリアは、パウルの友人フリッツと二役のピエロ役が歌うロマンティックな歌で、パウルの夢の中で、踊り子マリエッタがピエロに愛の歌をせがみ、彼が甘く切なくそれに応えるシーンであります。

「マリエッタの歌」とともに、このオペラのアリアとしては白眉の音楽であるとともに、コルンゴルトの書いた音楽の中でも、もっとも甘味なもののひとつでしょう。

 おれの憧れ、おれの夢想は 過ぎ去った日に立ち帰る・・・・・

軸足を過去に置いて切々と歌いかけるこの歌には、いつも陶然としてしまいます。

プライの明るい真摯な歌声は、誠実な友人の裏の顔みたいで、妙にハマってます。

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      フリッツ:ボー・スコウフス

  ジェイムズ・コンロン指揮イングリッシュ・ナショナル・オペラ管弦楽団

                        (1997.6~11@ロンドン)


スコウフスの歌は、今度はマリエッタを誘惑する宿敵ピエロの側にあるような、ちょっとシニカルさも漂わせた雰囲気です。
こっちの方が今風であり、カッコいいところでしょうか。
オーケストラもシュタインのドイツ風よりは、ずっとスタイリッシュで涼やか。

わたくしは、どちらのフリッツも、ピエロも好きですよ。

男のカッコよさにあふれてます。

二人とも、プライはラインスドルフ盤、スコウフスはラニクルズ盤のそれぞれ全曲盤で歌っております。

それとこの甘味な曲をヴァイオリンで弾いているのが、ワタクシのアイドル、ニコラたん

Silver_violin_1

オーケストラ伴奏で、もう、ため息が出るほどに美しい~

勘弁して欲しい~

それともう1枚、コルンゴルトのヴァオリン曲を集めたファン・ビークのソロでも聴けます。

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こちらは、ピアノ伴奏で、ニコラより健康的。

「死の都」は、来春、時期をほぼ同じくして京都と東京で上演されます。

過去記事

「死の都」  ラニクルズ盤

「死の都」  インバル盤

「ヴァイオリン・ソナタほか」  ファン・ビーク盤

「シルヴァー・ヴァイオリン」  ニコラ・ベネデッティ

「マリエッタの歌~ヘンドリックス、メスト&フィラデルフィア」

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2013年6月24日 (月)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 マイスキー&メータ

Narita_ajisai

とりどりの色彩。

だんだんと変わってゆく紫陽花の色合いをおさめてみましたよ。

もっと赤いのは、濃いピンクから濃紫の色で、とても珍しかったのですがね、写真にとるとうまく色が捉えられない。

やっぱり、人間の目が一番。

今週末は、神奈川フィルの定期演奏会なので、今日はそのなかの1曲を聴いときます。

 リゲティ        「アトモスフィール」

 ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

 バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年6月29日 土曜日 横浜みなとみらいホール

「リゲティ、ドヴォコン、オケコン」


なんだか語呂ももよろしく、ナイスな選曲は、チェコとハンガリーの東欧作曲家というキーワードで結ばれております。味がありますね。
カニュカ氏は、プラハ生まれの中堅で、数々のコンクール上位入選歴を持ち、録音もたくさんある名手ですから、本場云々はともかくとして、そんな方のチェロを間近に聴けることが大いに楽しみです。

Maiskymehta

  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調

       チェロ:ミッシャ・マイスキー

    ズビン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                         (2002.12 @ベルリン)


濃厚な顔のお二人のジャケット。

マイスキーのチェロは、「濃い」というイメージがかつてよりあって、聴く前からもう引いてしまうところがあります。
また協奏曲をやるときは、何故かいつも濃厚系の方との共演。
1回聴いただけでもうお腹いっぱいでそれきりになったバーンスタインとのドヴォルザーク旧盤、エルガーとは遠いところにあったシノーポリとの共演。
前回聴いた、MTTとのショスタコーヴィチは曲が曲だからまったく気にならない名演。

2004年にドヴォルザーク没後100年に発売された、こちらメータとの共演盤は、即時購入して聴いてみたものの、その時聴いたかぎりで、印象はどうも薄目。
今回再び聴いても、どうもしっくりとこなくて、マイスキーであり、メータである印象が正直ないと思われた。

何故だろう?

むしろ、CD長時間収録の賜物である、カップリングのR・シュトラウス「ドン・キホーテ」の方がリアルで克明、オケも乗っていて面白い。

唯一2楽章のほのぼの感と、のびやかな歌いぶりが、チェロもオケも美しくドヴォルザーク本来の魅力を余裕を持って奏でているように感じられました。
ことにベルリンフィルの木管の艶やかさと、べらぼうなうまさが実感できるのもこの楽章でして、彼らとマイスキーの絡み合いは、さりげなく速めのテンポで進められるだけに、今風のこだわりのなさがあって、わたくしは気にいりました。

この演奏が、しっくりこない云われは、自分的には、だれもが持ってるかもしれません、ロストロポーヴィチとカラヤンの共演盤が、刷り込みにすぎて、一音一音、録音の様子や、豪華見開きジャケットの匂いや、カップリングのチャイコのロココも含めて、トータルに五感に沁み込みすぎているためなのかもしれません。
ロストロポーヴィチがしつこく、何度も、これが最後ですというくらいに演奏・録音しつくしたものだから、よけいにこのカラヤン共演盤に対する愛着と執念があるのでしょう。

Dovorak_rostro_karajan

いろいろと異論もございましょうが、やっぱこれだな

ある意味味が濃すぎるバターたっぷりの肉料理なのですが、憎らしいほどに美味く(上手く)隙がなく完璧。
これで少年時代に聴き過ぎちゃったのが不幸なのか。
フルニエ&セルとか、ジャンドロン&ハイティンクあたりで知りあっておけば、いまの苦手意識はなかったかも・・・・。
罪な1枚、憎らしい1枚です。

これまで、ドヴォコンで、あの1枚を忘れさせてくれたのは、シフとプレヴィンのウィーンフィル盤です。醤油系でほどよくバタ臭い・・・・。

オーケストラもチェロと対等に活躍し、メロディアスでかつ、シンフォニックな側面も併せ持つドヴォコンですから、神奈川フィルで聴く喜びもあります。

このように、正直言って苦手なドヴォコンと、ついでに苦手なオケコンではありますが、神奈川フィルで聴けますことが楽しみなのであります。

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2013年6月23日 (日)

遠近のにゃんニャん、お花付き

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百合の花の先に、ねこ。

日曜日は疲れてしまったのと、家事に忙殺されたこととで、音楽はお休み。

昨日は、ちょっと飲み過ぎましたし。

音楽仲間による集いは、本当に楽しくて、終わりがありません。

みなさんの音楽体験にそれぞれ感化されて、また音楽が好きになるという麗しき循環。

コンビニで安酒買って、帰宅後、また飲んで、撮りだめた写真をパソコンに入れて整理しようと思ったら、間違えて全部消去しちゃいました・・・・・、ガァーーーン。

せっかく、ドイツで飲んでます式の記事を書こうと思ってたのに。

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というわけで、お疲れ様でした。

また1週間が始まります。

明るく乗り切りましょう。

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2013年6月21日 (金)

ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番 マイスキー

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なんだかよくわからないけど、紫陽花。

6月の梅雨は、この花があるから救われる。

日本情緒ゆたかな植物。

いろんな種類も楽しめるし、梅雨ならではの、ブルーとピンク主体の淡いパステルがとてもお洒落。

でも、赤や黄色は、品種改良でもご法度ですな。

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  ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番

     チェロ:ミッシャ・マイスキー

  マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ロンドン交響楽団

                   (1993.8@ロンドン)


まだやります、この鬱陶しい天気に迎合するように、哀しみ、絶望、救い少なめの音楽。

ショスタコーヴィチに癒しとか、心温まるとかいう言葉はまずありません。

シニカルを標榜してはいても、その実態は、どこまでがその本質か不明。
実はなんのことはなかった、単なる彼の作風の常套であったのかもしれないし、もしくは本当に時の体制への隠れ蓑だったのかもしれないし・・・・。
これこそが謎なんでしょうな。

一方で、しっちゃかめっちゃかな、破れかぶれともいうべきハメを外したかのような明るさ。

そのどちらも、ショスタコ。
東西もなくなったいまに、タコさんが生きていたとして、その音楽はどんなだったでしょうね。

ショスタコの交響曲はすでに制覇し、それを聴けば何番ぐらいにはわかるようには、なりました。
協奏作品とオペラも大体に同じ感じ。
しかし、弦楽四重奏を始めとする室内楽作品はまだまだ。

だいたいに、メロディや曲の雰囲気だけを知ってもままならないのがショスタコの音楽。
暗さと明るさ、深刻と軽薄、深淵と表層、憂鬱と明朗、絶望とユーモア、悲観と楽観・・・・、あらゆる反対語がその音楽からは聴こえてくるようだ。
そのどれもがショスタコーヴィチの音楽の姿で、実はそれ以上のこともない、なんのこともないのではないかと思ったり。
わからん、いまだに不思議なオッサンです。
こうして、理解できない欲求不満におちいり、鼻を抓まれた印象で終わってしまう気分が、それこそショスタコーヴィチの音楽なのでしょう。
かの激烈な「ムチェンスクのマクベス夫人」なんかも悲惨このうえないけれど、あらゆる皮肉と希望への願望が満載なのだから。

総論はともかく、こちらの1966年製第2チェロ協奏曲のたっぷり暗澹さの詰まったアイロニー500%ぶりは、聴く者をマイナスオーラにしっかりと包んでくれます。
と同時に、ショスタコらしい打楽器満載の五感に訴えてくるリズミカルな爆音もあります。

よくある内面的で暗く、とっきの悪い1楽章。
続く2楽章はスケルツォ的なアレグレット。悲壮感抜群であります。
そして終楽章にもこの流れは続き、ますますとりとめがなく、自分はいったい何を聴いてるのかわからなくなります。
2楽章で出てきて、終楽章にも引き継がれる妙に劇画チックな旋律。
90年代初頭から、どうも聴いたことがあると、思っていた気になる旋律。

そう、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」に聴こえるんですよ、私には。

だから、ずっこけちゃう。キターーッですから。

しかし、そんなこといいながら、なんだかんだで、終結部はますます謎と混迷を深めていって、ユーモアと皮相感たっぷりに突然に(?)曲は死んじゃいます。

第4と14、15番の交響曲の終わりにも似たり。

この作品、時に交響曲では13と14番の狭間、弦楽四重奏では11番と同じ年。
わたくしは、8歳の小学生。
関係ないけど、バイロイトではベームのリングとトリスタンのライブ録音の年。

日本初演は、ロストロポーヴィチがたしかN響で、71年ごろ?。
テレビで見ましたが、子供だったワタクシ、「へ~んなの?」でお終いでした。

酸いも甘いも、の歳となった今。
「わからんが、キターーーッ」でございます。

マイスキーとMTTは、むちゃくちゃいいと思います。はい。

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2013年6月20日 (木)

ブリテン 「ラクリメ」 今井信子 

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今日も雨。

きっと明日も雨。

体も適応し、慣れれば、そして多く降らなければなんのことはない。

しかし、いけませんね、ここ数年の豪雨は。

居座る前線まではいいけれど、熱帯性の低気圧、ましてや台風が悪さをするのが。

美しい紫陽花を愛でる、そんな情感のへったくれもない無慈悲な雨は遺憾です。

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  ブリテン  「ラクリメ」 ダウランドの歌曲による投影

       ヴィオラ:今井 信子

       ハープ:吉野 直子

                 (1993.2 @ラ・ショウド・フォン、スイス)


「悲愴」に始まった今週。
哀感・哀愁路線中。

毒食わば、皿まで、梅雨の虚しい天候にこっちも波長を合わせきって、テンション下降の音楽を聴いてやろうっていう寸法ですよ。

今宵は、ブリテン。

哀感表現の楽器としては、ヴィオラはもううってつけでございましょう。

1913年生まれ、誕生日は、わたくしと1日違いのブリテン、37歳の作品。

英国ルネサンス末期の作曲家、ジョン・ダウランドの「あふれよ、わが涙」というリュート歌曲にインスパイアされた、ヴィオラとピアノのための17の部分からなる変奏曲。

ジョン・ダウランドは、英国国教と相いれず、フランドルやドイツ、イタリアで活躍し、のちに英国に戻り、作曲家兼リュート奏者として名を成した人であります。
もっとも高名な作品が、このもとになった歌曲。

そして、もしかしたらもっと有名だったのが、リコーダー奏者だった頃の、フランス・ブリュッヘンが吹いたレコード、「涙のパヴァーヌ」。
フランドル国のファン・エイクが、ダウランドのこの曲をリコーダー1本に編曲しました。
短髪のブリュッヘンが、ジャケットになったこのレコードは、わたしも高校時代に無心に聴きました。ほんと、無垢の音楽を、純なる奏者が無心に演奏するけがれない完全無垢のレコードでした。

ブリテンにも、この曲があることを最近知りました。

昨年、バイエルン放送響の首席ヴィオラ、メニングハウス氏と山本裕康さん夫妻との演奏会で、聴いて大いに感銘をうけました。→こちら

でも、自分のCD棚をよくみたら、いくつも持ってました。
メインの曲になっていないから見逃してるんでした。

その代表が、今井信子&吉野直子のコンビのもの。
こちらはピアノではなくて、ハープでの伴奏。
リュートの古雅で混じりけない雰囲気に近いものかもしれないハープによる演奏。
日本人同士、透明感と諦念の表出がハンパない。
研ぎ澄まされすぎて、ちょっと怖いくらい。

あと手持ちは、タヴェア・ツィマーマンとハルトムート・ヘルとのピアノ版。
ナッシュアンサンブルによる、作曲者自身の弦楽オーケストラ編曲版とふたつを持ってまして、今宵、その3種を聴き比べました。

劇的に緊張感高いのが、意外にピアノ版で、集中力も要求されます。
弦楽版は、よりブリテンらしいミステリアス感やクール感が表出されますが、劇的なのはピアノ版で、弦楽版は意外と癒し系の美しさを感じます。

どの版も、最終場面でピュアに再現されるダウランドのオリジナル旋律が、極めて感動的で、思わず、それこそ涙が出そうになるくらいに感銘がじんわりと広がります。
ブリテンの筆の冴え、人の心に訴える作曲家としての才能と劇作への適性を、この14分あまりの作品で感じ取ることができます。

明日も、自分を思いきり哀しい気分にしてやりたい。
そんな曲を聴こうじゃないか。
(大丈夫ですよ、ワタクシはいたって元気ですからね)

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2013年6月19日 (水)

ラフマニノフ 「美しき人、もう歌わないで」 プジャール

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連日、蒸し暑く、曇り空と雨まじり。

鬱陶しい日が続きます。

こんな毎日だと、こちらの気分も下りどうし。

紫陽花のパステルも、どこか憂愁をしか感じさせません。

昨日は「悲愴」を聴いたけれど、今日も下がるテンションに鞭打つような哀愁曲を。

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  ラフマニノフ 6つのロマンス op4から 第4曲

           「美しき人 もう歌わないで」

          ソプラノ:アナ・プジャール

          ピアノ:トーマス・ハンス

                   (1992.11@キュンツェルザウ)


ラフマニノフ(1873~1943)の歌曲は、だいたい、CD2枚分くらいあって、単品歌曲もそこそこあるが、20歳から40代半ばにかけて継続して書かれた「ロマンス」とよんだ歌曲集が7つあります。

そしてなにげに、このラフマニノフも微妙なアニヴァーサリー作曲家でして、生誕130年・没後70年なんですね。

チャイコフスキーのロマン主義の流れを汲むラフマニノフは、ロシアの憂愁をロマンティックに切々と歌い上げてやみません。
歌曲の分野でも同じこと。
交響管弦楽作品、オペラでは、宿命的な運命が時として立ちはだかる救いようもない暗さもありますが、数分のロマンスの諸曲には、そのような重苦しさはどちらかといえば少なめ。
もちろん、それこそ「運命」とか「お墓のそばに」なんていう救いようのない暗さに覆われたものもありますが・・・・。

名ピアニストでもあったラフマニノフは、これまた名バス歌手シャリアピンとも朋友関係にあったから、彼の伴奏でピアノを弾くことも多かった。
そんな経験も、歌曲の世界におけるピアノのあり方、歌手との兼ね合いなどを熟知させる方向に向かわせたのでありましょう。

若書きののものも素敵ですが、後年のものほど、そのほの暗いロマンティシズムが、ピアノ・歌声ともに渾然となって、ラフマニノフ好きなら酩酊感を催すほどの作品たちとなっております。
いずれ大系的に聴いて、また記事にしてみたいと思います。

今日のこの1曲は、20歳のときの作品。

プーシキンの詩に付けた曲で、その歌は歌わないで、悲しみと胸の痛みをわたしにもたらすのだから。。。、月夜のあの過ちを・・・・、な~んて感じで、連綿と歌うんですよ。
切ないったらありゃしない。
ピアノも切々としたもので、気持ちはどんどん内向きになってくる。

でも、これもまたラフマニノフ。大好きですよ。

スロヴァキア出身のソプラノ、プジャールさんは、とてもスッキリした歌声で、蠱惑的な部分を差し引きしたようなR・ポップにも通じる親しみやすさもありました。
オペラでの活動もさかんなようですが、その音源はあまりないところが残念なところ。

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美人な、プジャールさんの画像を発見。

フレミングの歌は、ヴァイオリン・ソロ付き。

ちょっと濃厚すぎるし、言葉のキレがこの曲のイメージと違う。

ヴァイオリンもいらん。

けど、曲を知っていただきたいものですから。

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2013年6月18日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 バルビローリ指揮

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横浜スタジアム前の横浜公園から。

ラミちゃんと、キャプテン石川。

メリハリある采配を行う中畑監督にあって、ちょっとダレたら厳しい応酬が下ることが、石川への対処でもってわかった。
ラミちゃんも、守備があんまりにもショボイから・・・
でも、ラミちゃんは、ブランコがファーストにきちゃったから気の毒なところもあるし、交流戦でも、はじけるモーガンがDH座っちゃったしで、最近どうも浮かばれない。
それでも、テレビ見てたら、ベンチの最前列で激を飛ばし、真っ先に選手たちを向かい入れるその姿。
日本球界にずっと残りたい、貢献できる、というその熱心な姿にファンは心動かされているんだ。

ロッテが、大砲を探していて、DHだしラミレスがその候補と出たのがちょっと前。
しかし、ラミレス違いで、ボストンからいま台湾に行っている超メジャーの同姓の選手、ということが今日わかりました。
もしかしたら、それも目くらましということもありえますが、私としては、ずっとベイに残って、同じリーグで、あのオレンジ色のすごいヤツを叩きのめす力になって欲しい。
がんばれラミちゃん、と言いたい!!

好きになると、わたくしは、一途に長いです。

横浜大洋ホエールズが、東海道線色のユニフォームの川崎時代、中学生のときから。
いまあるクラヲタ君的フェイバリット、ワーグナー・ディーリアス・アバド・ハイティンク・オペラも中学生から。
かれこれ、いずれも40年となろうとしてます。

え? 女性は? はてそれはなんのことかしらん。「悲愴」「悲劇的」「悲しいワルツ」「冬の旅」「さすらう若人の歌」・・・・そんな曲こそが拙者には相応しい悲しみ三重奏トリオ作品96なのだ??

冗談さておき、今宵は「悲愴」。

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  チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」 

   サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハルレ管弦楽団

                     (1958.10@マンチェスター)


チャイコフスキー 交響曲シリーズ。

高名なる6番「悲愴」を。

人生への絶望と厭世、悲哀の情を込めた1893年、チャイコフスキー最後の年の交響曲。

この年をよく見れば、今年は、「悲愴」120年の年なんですな。

チャイコフスキーの生誕200年は、2040年なので、それに遭遇することは、もしかしたら無理だろう。
それに会える若いチャイコフスキー好きの方には、おめでとうと、今から言っておきたい。
かつて、ベートーヴェンや、モーツァルト、バッハ、ブラームスのアニヴァーサリーを大いに楽しみ、今年、ワーグナーとヴェルディとブリテンのトリプル・アニヴァーサリー・イヤーを謳歌している自分です。
だからきっとチャイコの生誕200年は思いきりのめり込めると思ってやみませぬ。

サラリーマンを辞めてはや11年目。
ある意味死ぬまで自由に働くことができます。
この自由さの持つ経済的な不自由は味わったものでしかわかりますまい。
「悲愴」「悲劇的」「悲しいワルツ」「冬の旅」「さす・・・・・、これらの音楽がこれほどに身に沁みる立場の存在ってありますまい。
その裏腹に、あらゆる楽観をも享受できる立場にもある自分。

喜怒哀楽・悲喜こもごも、人間の感情のジェットコースターにございますよ。

悲観的な自分が、ものしている今日の「さまよえるクラヲタ人」の記事。

中学1年のときに初めて聴いた「悲愴」。
中坊なりの大いなる悩みや、わからないことへの困惑、体のこと女子のこと・・・。
あらゆる悩みを集約したかのように、この交響曲に没頭した時期もありつつ、一方で、先にあげた、ワーグナーやディーアスで、壮大な世界観と恋愛観、美しい自然なども音楽から学びとった。

コロンビアのダイアモンド1000シリーズの中のこの1枚は「悲愴」の刷り込み演奏でした。

高校に入って、アバド&ウィーンの「悲愴」が出現して、そちらにナンバーワンは自分的に譲ったけれども、このバルビローリ盤は本当に忘れられない。

木管のもこもこ感は、録音の古さと同時に、ハルレ管の懐かしの音色として養われ、バルビ特有の心込めた歌い回し、すなわち1楽章全般と2楽章の中間部、終楽章の切ないまでに悲しみの情感を乗せた弦楽器。
全般を鑑みるに、現在の楽譜主体、解釈薄目、表情薄目、表現濃い目のある意味耳当たりよく演奏効果のあがる演奏とは違う。
木訥した語り口のなかに、音符に熱い思いを込めた感じ。
そして意外なまでに、3楽章はテンポを動かさずに相当な激情ぶり。
オペラ指揮者でもあったサー・ジョンの気合のこもった指揮ぶりもうかがえます。

しかし、「悲愴」は、いまや、そのタイトルを忘れて、あ~あぁ、今日はこんなこともあったな、みたいに、さりげなく、飲んだあとのお茶漬けみたいに、さらさらと食して、翌日に引っ張らない吹っ切れ感のよさも必要なのだろうと思います。
チャイコフスキーの音楽は、そのように多面的で、いろんな聴き方ができるのだとも。

悲しいお酒も、いまは、ビール、日本酒、焼酎各種、酎ハイ、カクテル、梅酒と硬軟豊かなのですからね、音楽もそういう風に聴くのがありですよ。

70年代オヤジの繰りごととして、バルビの悲愴をお受け止めくだされば、と思います。
古事ばかり、ご無礼いたしました、若い衆。

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2013年6月16日 (日)

ワーグナー 「ラインの黄金」 ヤノフスキ指揮

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竹芝から見たお台場方面。夕刻どき。

海底トンネルの首都高も、こうした橋の首都高も、東京を無尽に走る高速は、運転するのも気持ちいいですが、同乗者として景色を眺めて過ごしたいもの。

誰か運転してくれい!

あの橋を芝浦からお台場まで徒歩で走破するのもまた楽しいけれど、ちょっとの恐怖と隣り合わせ。
どちらかというと飛行機以外の高いところ苦手なもので。

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  ワーグナー 楽劇「ラインの黄金」

       ウォータン:トマシュ・コネチュニ   
        ドンナー:アントニオ・ヤン
      フロー :コル=ヤン・デッセリエ   
        ローゲ:クリスティアン・エルスナー
      フリッカ:イリス・フェリミリオン    
        フライア:リカルダ・メルベト
      エルダ :マリア・ラドナー       
        ファゾルト:ギュンター・クロイスベック
      ファフナー:ティモ・リーホネン    
        アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー
      ミーメ :アンドレアス・コンラット   
        ウォークリンデ:ユリア・ボルヒェルト
      ウェルグンデ:カタリーナ・カンマーローハー 
      フロースヒルデ:キズマラ・ペッサッティ

  マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団

     (2012.11.22@フィルハーモニー、ベルリン)


ワーグナーの主要作品サイクル聴き。
もう何度もやってますが、アニヴァーサリーの今年のサイクルは自分でも思い出に残るようにしたいもの。
年内に2回のサイクル予定ですが、もう上半期も終ろうとしてまして、ちょっと焦りを覚えます。ヴェルディとブリテンもやってますので、大計画ぶち上げ過ぎましたか。

いよいよ、「リング」始めます。

舞台祭典劇「ニーベルングの指環」4部作、序夜「ラインの黄金」の音源は、ワーグナー主要作品の演奏会形式上演とライブ録音をこの5月に成し遂げたマレク・ヤノフスキの指揮で。

  作曲年代の対比

 「ローエングリン」            1846~48年

 「ラインの黄金」             1853~54年

 「ワルキューレ」             1854~56年

 「ジークフリート」             1856~71年

 「トリスタンとイゾルデ」   1857~59年

 「マイスタージンガー」   1862~67年

  「神々の黄昏」        1869~74年


番号歌劇の形式に決裂し、事実上、楽劇(ドラマ・ムジーク)に近づいたローエングリンのロマンティシズムの権化ともいうべき清らかな和音から、原初の響きともいうべき変ホの低弦による持続音とそこから派生する8本のホルンによる「生成の動機」への変化は、ワーグナーの音楽の作風の中で、一番大きな変化と劇的な進化であります。

上記年史にみる「ローエングリン」と「ラインの黄金」との間隔は5年。
その5年間、ワーグナーは構想中の「ニーベルングの指環」の台本製作に没頭し、自身の楽劇論をいくつかの著作を書いて展開したほか、悪名高いユダヤ人非難論をも「音楽におけるユダヤ主義」という論文も匿名ながら発表したりして、文筆活動にふけった年月である。

そして作曲面で遂げた進化とともに、自身の音楽論で武装されて作り上げたドラマもまたかつてなく、そして途方もない世界だった。
「ジークフリートの死」から書き始めた物語と台本は、だんだんと枝葉が増えてゆき、説明を足しながら物語を追加し、遡るようにして「ラインの黄金」へとたどり着いた。
作曲は、当然に「ラインの黄金」からスタートするので、書いたばかりの台本と音楽がその時の新鮮な思いのままに反映されているわけで、以前の新国の上演パンフでそれを指摘されて、ハタと膝を打った次第なんです。
「神々の黄昏」の完成年度と、台本完成の間には、24年もの年月があるのです。
もちろん、ワーグナーのことだから、台本には始終、手を入れていたことでしょうが、構想から最終完成まで35年あまりを費やしたワーグナーの完遂能力と強固な意志がいかに並はずれていたかがわかります。

これまでのオペラの物語にあった、たわいない恋愛物語や、史劇、自身もものした伝説や神話。こうした物語たちから、ワーグナーの「リング」の物語は神話の世界にありながら、完全に違う領域にあるものといっていい。

それは、一言では言い切れないものなれど、きれいごとでない、人間存在の醜さをえぐり出していること、それにつきます。

そのためには、神様である連中を俗物的に、しかも長、ウォータンを負の存在のように浮き彫りにしてしまったこと。そんな彼が娘への愛情を連綿と吐露しつつも、愛を捨てるという宿命から逃れることができなかったゆえに自滅する神々の存在。

リングに描かれた痛い登場人物の代表の一例です。

ともかく、みんな自我の赴くままにふるまい、自分とその一族がやがて壊滅してゆく。
こんなに、エグイ、本能的なまでの行動と、そののちの因果応報たる滅亡。
どんな時代でも、共感をえられる共通概念。

そしてワーグナーの描き出した物語と音楽は、当時の通念を超えて、200年経った今でも、人々に訴えかける力を持ち続けているのです。

「ラインの黄金」を40歳を超えたあたりの、もっとも過激な人間が勢いよくかいた作品としてとらえること。
しかも1幕物としては、もしかしたら最長の2時間30分の劇作品を書いた人物としても捉えた場合のワーグナーの破天荒偉大ぶりも注目しなくてはなりません。

そんな思いをいまさらながらに描いたのは、ヤノフスキのこのCDのオーケストラ演奏が、実に鮮烈であるからなのです。
ショルティ&カールショウの「ラインの黄金」から早や55年。
伝説と化す経年ぶりですが、それは今でも鮮明でリアルな録音であります。
その後のリングは、スタジオ録音から、いまは多くのオペラがそうであるように、ライブで、かつ映像を伴うものに主体を変えつつあります。
 しかし、このヤノフスキ盤はライブでありながら、オーケストラがピットに入らないオン・ステージ上演であるため、迫真のそのオーケストラの演奏ぶりをまともに録音が捉えていて、ワーグナーの音楽のものすごさを眼前に楽しむことができるのであります。

しかも、ホールはベルリンのフィルハーモニーザール。
響きの豊かさ、レスポンスの高さ、音のリアリティでも完璧なこのホールに座っているかのような感じ。
うなりをあげる低弦は、ずんずん響いてくるし、松脂が飛び散る感じ。
ブラスも重奏しても分離が豊かで、しかも耳のそばに聴こえるし、黄金賛美のトランペットもぶれなく聴こえる。
弦楽器は艶がよく、どこまでも伸びがよろしい。
そして、地下世界への出入りにギンシャラ鳴る金床、ニーベルハイムの絶叫、ドンナーの槌、雷のティンパニ、などなど、他盤ではヒヤヒヤしながら再生することになるこれらの場面も、音を上げていても難なく再生できる。
しかも、私の装置は、35年物のロートルだし、ヘッドホンですよ。
細心のシステムで聴いたらさぞかし・・・・・・・。
夢のような別世界がさらに広がるのでしょうな。

ペンタトーンレーベルの定評ある録音ばかり誉めてしまいましたが、ヤノフスキの作り出すワーグナー音楽は、このシリーズにおいて、かつてのヤノフスキのリングが「ドレスデンのリング」と呼ばれたのとは、まったく次元を異にして、「ヤノフスキのワーグナー」そして「ヤノフスキのリング」がついに始動したことを確信させます。

 

ヤノフスキらしい快速テンポ。
しかし、音の堀りさげは深く、ライトモティーフの一つ一つに長い経験の積み重ねともいえる味わいがうかがえる。
ときにある、そっけなさも、きっとヤノフスキが達した境地のひとつと思えるくらいに感じちゃう。
往年のワーグナー指揮者を聴き親しんだ耳からすると、濃淡は浅いし、さっと通り過ぎる部分などもってのほかと思われるかもしれないが、いまの時代に即した演奏の精度の極上の高さはとても魅力的で、作為のまったく感じられないナチュラルなワーグナー表現として、わたくしは最高得点を与えたいと思います。
ヤノフスキもかつては、ハイティンクのように、オケは立派だけどと、無能のように呼ばれた時代がありましたが、じっくり・ビルダー型のヤノフスキは、いまやかつての東独ベルリンの放送管弦楽団やスイス・ロマンドを反応の鋭い、鋭敏オケに変えてしまったように感じます。
いずれ記事にしたいと思いますが、スイス・ロマンドとのブルックナーやピッツバーグとのシュトラウスは素晴らしいものです。

この優秀録音は、オケもそうですが、歌手の歌声も可不足なく、完全にとらえてます。
当然に演技が伴わない分、歌のみ注力した歌手たちのその精度も高いです。
今現在、各処で活躍する旬の歌い手たちは魅力的です。
 ただ、わたしの好みでは好悪がはっきりします。
ウォータンを歌う、コネチュニは、ポーランド出身、ウィーンを中心にウォータンで活躍中。
数年前に新日フィルのコンサート・オペラで来日し、ローエングリンのハインリヒを歌ったのを聴いたことがありますが、その時の印象では歌は立派だが、声質がアルベリヒやクリングゾルと本ブログでも書いたことがあります。
それは、ウォータンを歌うこちらでも一緒の印象で、アルベリヒと一緒、いやアルベリヒのように狡猾に歌うウォータンに感じられました。
このイメージのまま、「ワルキューレ」に行くようだと、私的には?です。
かつてのカラヤン盤で、FDが知能犯的なこずるいウォータンを歌ったわけだが、ラインゴールドのウォータンには、そうした若気の横暴な過ちも必要なことから、はまっていた。
そうした解釈からすると、どこか怪しい、粘っこい表現はウォータンのギラギラしたイメージにも符合します。
悟りや諦めを覚えてゆくワルキューレやさすらい人では、どうだろう。

それ以外の歌手は、もう完璧。
ローゲのきりりとしたかっこいいエルスナー。
同じように背筋の伸びたフェルミリオンのフリッカに、ジークリンデのように夢中が可愛いメルベトのフライア。
なんで殺されるか不合理な凛々しいクロイスベック。
シュメッケンベッヒャーは聴くからにアルベリヒそのもの。
このように、時代は次から次に、新しいワーグナー歌手を生みだしてくるわけで、それもワーグナーの音楽が不滅であることの証し。

なんだか誉め尽くしのライン・ゴールド。

「ワルキューレ」をどうしようか考え中なのも、リングの楽しみ。

  「ラインの黄金」過去記事

「ショルティ ウィーンフィル」

「バレンボイム バイロイト」

「トーキョーリング 新国立歌劇場」

 

「ブーレーズ バイロイト」

「ドホナーニ クリーヴランド」

「カラヤン ベルリンフィル」
  

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2013年6月15日 (土)

ある神社のにゃんにゃん

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ムシムシと暑い今週。

猫たちも、きっと参っているんでしょうな。

某、神社にて発見のにゃんにゃん。

こんな狭苦しいヘリに、ちゃっかり乗っかてるふたり。

Tousyouguu2

付かず離れず。

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眠り狂四朗状態のトラに、荒野の用心棒的な、まだらクン。

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睨みをきかせる、まだら。

顔をそむける風を漂わせながら、警戒に怠らないトラくん。

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わたくし、野良レポーターが、少し位置を変えたら、ご覧のとおり、まだらが方向転換。

Tousyouguu8

ハイっ、2ショット

お別れに、お二人、左右対称、美しのにゃんにゃん画像となりましたぁ~

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2013年6月14日 (金)

ローザ 協奏交響曲 アルベルト指揮

Tokyotower_shiba

東京タワーの近くの某所。

最盛期を過ぎたバラと、梅雨の晴れ間。

遠くのビルは、虎ノ門ヒルズあたりの工事現場でしょうか。

Rozsa_sinfonia

  ミクローシュ・ローザ 

     ヴァイオリンとチェロのための協奏交響曲

      Vn:アンドラーシュ・アーゴシュトン

       Vc:ラーズロ・フェンヨ

     ウェルナー・アンドレアス・アルバート指揮フィルハーモニア・フンガリカ

                       (2000.10 @ケルン)

アメリカ風に読むと「ローザ」だけれど、出身のハンガリー人としては、ロージャ。
しかも日本と同じく、姓と名だから、ロージャ・ミクローシュとなります。

1897年ブタペスト生まれ、1957年ハリウッド没。

ブタペスト、ライプチヒ、パリ、ロンドンと、この時代の人らしく生粋のクラシカル作曲家として欧州各地を勉学・作曲して移動したロージャ。
実業家の父、ピアニストの母、実業の専攻をしながらも、その母方の血を引いて父の反対を受けながらも作曲家としての姿に重心を移動しつつ、ハンガリーで名声を受けるようになります。
実際、シューリヒトやワルター、ベームといった指揮者もローザの作品を盛んに演奏してました。
フランス時代に師事したオネゲルが、映画音楽の作曲も手がけていたことから、ローザもその道に難なく入るようになり、本格クラシカルの作曲と併行しながら、映画の仕事をするようになり、やがてハリウッドへ移住することとなります。
第二次大戦末期のこと。

同時期、ハリウッドにはユダヤの出自でアメリカに逃れた、スタイナー(風と共に去りぬ、レベッカ)、コルンゴルトもおりまして、そのほかにアメリカ生粋のワックスマンや後のハーマンなどもおりまして、まったく目を見張る充実ぶりだったのです。
こうした文化面での物量豊富さを今にして見てしまうと、経緯はともかく、アメリカには敵うはずもなかったと思うのです。

両刀使いの意味では、ローザとコルンゴルトは両大2巨頭でしょう。

しかし、クラシカル方面ではコルンゴルトの戦前の実績が勝ち、戦後はアメリカで活路を見出したローザの勝ちなのだと思います。

映画音楽分野でも、有名作品への作曲や、その数の膨大さでローザが勝ります。
白い恐怖、ベン・ハー、エル・シド、キング・オブ・キングス、黒騎士、ジュリアス・シーザーなどなど、歴史スペクタル系を中心に、その音楽が流れる作品は枚挙にいとまがないのです。
もちろんコルンゴルトはローザより10年先輩、かつ40年も先に没してしまうので、長きに渡って作曲できたローザではありますが。。。

コルンゴルトはオペラ作曲家に重心があり、ローザはオーケストラ作品と壮麗な映画音楽作曲家であったのでしょう。

本日のCDは、もうだいぶ前から何度も繰り返し聴いてきた1枚で、メインの協奏交響曲は、アメリカ時代に、ハイフェッツとピアティゴルスキーのために1958年に書かれた作品です。
30分ぐらいの3楽章形式。しかもある意味古風なコンチョルト・グロッソ。
後期ロマン派風から表現主義+民族主義的なリズムの多用+無機的なモダニズム。
そんな感じの、やはりどこかハンガリーの風土、場合によってはバルトークにも結び付くようなサウンドも聴きとることができます。
もちろん、悲愴的な哀感サウンドはヨーロッパへの郷愁をも感じさせ、ベルクと当然に仲間のコルンゴルト的な切ない甘味さも秘めてます。

カッコよくも哀しいローザのコンチェルタント。

ハイフェッツの弾くヴァイオリン協奏曲とともに、コルンゴルト好きにはお薦めの一品でござますね。

指揮は、これ系ではお馴染みのアルベルトおじさんです。

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2013年6月13日 (木)

ラヴェル 「ボレロ」 プレヴィン指揮 

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眩しい海辺で食べるカレーです。

鬱陶しいお天気が続くもんだから、5月の陽光を懐かしんで実家近くのカレー屋さんの画像を。

Sagar_3

晩ご飯済ましたのに、こうして画像を見てたらまたお腹がすいてきてしまった。

カレーは別腹か?

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   ラヴェル  ボレロ

    アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

             (1979.6 @キングスウエイホール、ロンドン)


急にボレロが聴きたくなったから、ボレロ。

カレーみたいに、急に聴きたくなるのがボレロ。

その顛末がわかっちゃいるけど、だまされて興奮するのがボレロ。

音楽史上もっともシンプルな造りだけど、その反復感が人を刺激しまくるのがボレロ。

小太鼓奏者の方にブラボーが集まるのがボレロ。

そのオリジナルバレエは、いまやフラッシュモブとも呼べる集団効果がボレロ。

誰が演奏しても、そこそこウマくいくのがボレロ。

チョー~長~いクレッシェンドともいえるのがボレロ。

あぁボレロ、されどボレロ、しかしボレロ、何故におまえはボレロ、人を惑わすのか。

まだまだ、どしどし書けそうなボレロ。

ディアギレフのバレエ・リュスのところにいた、イダ・ルビンステイン夫人の独立に伴い彼女のために書かれたバレエ音楽。

CDでも、ライブでも、もう知り尽くしたと思って聴いてると、いつの間にか、思わぬ興奮状態に高められてしまう、ルーティン化の常習性あるアブナイ音楽の一つといっていいかも。

オケの名技性よりも、ここは指揮者の腕の見せ所だ。

ライブで聴いた1番は、小澤さんと新日。
指揮棒を持たず、最初は指揮もせず、体を揺らすのみで各奏者を目で率いて行く小澤マジック。
拍子をとりだしたのは弦が出てきてから。
あとはもう魔法がかけられたみたいに、小澤さんのしなやかな指揮姿に見とれるのみで、そこから独特の熱いうねりが生まれて、いつしか熱狂の域に達していったのを覚えている。もう30年以上前だ。

CDでは、格式高く味わい深いアンセルメ、全体を熱い弧のようにひと筆に描ききったミュンシュ、エレガントでスマートなクリュイタンス、オケを夢中にさせ熱狂の淵に落とし込んだアバド。
そして今宵、久々に聴いたプレヴィン盤は、おそらく最長に近い、全編17分13秒をかけたジックリ型のインテンポ演奏。
プレヴィンという人は、元来、腰の重たい演奏をする人で、そこにスタイリッシュ感と、優しい眼差しの貫かれた柔らかな歌い回しが加味される訳で、決してポップで軟な指揮者じゃないのです。
そんな、ときに粘りさえも感じるこのボレロは、ロンドン響のめちゃくちゃウマいのと、レスポンスの豊かさでもって極めてユニークな演奏に思います。
お約束の終盤の盛り上がり感は、これまた尋常でないほどですが、クール感も残したところがまたプレヴィンらしいところ。

面白かった。

と思って聴いてたら、NHKで佐村河内さんが出てました。

すかさず、「みなとみらい」でのピアノソナタ演奏会をプレオーダーしましたがいかに。

Sagar_4

静かな海はいい。

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2013年6月12日 (水)

ジークフリート・ワーグナー 交響曲 アルベルト指揮

Oiso

新緑のなか、ボールを真っすぐに打ち込みたい。

とかいいながら、もうゴルフは何十年もご無沙汰。

亡父がゴルフ大好きで、学生時代に手ほどきを受けて、何故か大学の一般教養の体育の授業でゴルフもあったり、その後は会社人のたしなみとしてそこそこやりました。

が、いまは昔。クラブも握らなくなってしまいました。

お散歩中に潜入した大磯のプリンスゴルフクラブ。

高麗山あたりに向かって打ち込むコース。

Oiso2

こちらは、その反対側、海のコースは、相模湾に西湘バイパス。

気持ちよさそうだなぁ。

ゴルフとは縁遠い生活。いまでは、ここにテーブル出して、好きな本と好きな音楽を聴きながらビールやワインを飲みたい自分。

これじゃだめじゃん、あかんですな。

Siegfried_wagner_sym

  ジークフリート・ワーグナー 交響曲ハ長調

     ウェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮

          ライン・プファルツ州立フィルハーモニー

              (1997.6 @ファルツバウ、ルートヴィヒスハーフェン)


リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)の息子ジークフリート・ワーグナー(1869~1930)の交響曲。

ワーグナーの2度目の妻である、コジマとの間に生まれた長男。
おじいさんは、フランツ・リスト。
親父ワーグナー56歳の時の息子は、本当に可愛かったに違いない。
愛する寵児に英雄ジークフリートの名前を付ける親ばか。
その前の長女にはイゾルデ、妹の二女にはエヴァですから。

親父の七光はあったのか、なかったのか。
完全に埋もれてしまったその音楽作品。
むしろ、バイロイト音楽祭を母コジマとともに守りぬき継承した、劇場運営力と父の作品を指揮する高い能力と演出の世界に革新をもたらす萌芽。こうした才能も光る息子のジークフリートは、ともかくある意味、親父の血を引くことのない、「とてつもなくいい人」だった。

過去のオペラアリア集での記事から、以下引用して貼り付けておきます。

>親父は、息子に音楽の道を進ませなかった。
イタリアには家族で始終行っていたし、ギリシア語も学んでいたから、おのずと建築家を志すようになったという。
でも、さすがに音楽家の素養は隠しきれず、イタリアにいたことからヴェルディの旋律を口ずさんだり、爺さんのリストの前で歌ったりとしたらしいし、フンパーディンクに学んだりもしている。

本格的に音楽家になろうと決意したのは、父が亡くなってから9年あまりたってから。
23歳のことだから、これまた凡人ではなしえないこと。
オペラ通いに熱を注ぎ、一方で裕福だったものだから、友人の商船で東南アジアなどにも長旅をしていた。そのとき、シンガポールの街中で、何故かバッハの「ヨハネ受難曲」を耳にして、電撃的な感銘を受けて、音楽家転向の決心をしたという。
なんだか、まるで作り話みたいだけど、ほんとの話。

やがて指揮者としてデビューし、父の作品の解釈者として一流の存在となり、同時に、自身で台本を書き、オペラの作曲も始める。
その数、19作品

 むしろ、ジークフリートの功績は、劇場の近代的運営といまにつながるワーグナー演出を打ち立てたことにある。
母コジマを補佐しつつ、バイロイト音楽祭を盛り立て、母が引退後は、総監督として指揮も行いつつ、民間の劇場としてのバイロイトを軌道に乗せた。
演出面でも、具象的だが平面的・絵画的であった装置を、三次元の様式(アッピアの理論)に高め、光の効果的な使用なども実践し、これは戦後の新バイロイトにいずれつながる流れとなっている。

作曲家・指揮者・演出家・劇場運営者と、マルチな才能を発揮したジークフリートは、まさにオペラの人になるべくして生まれたわけであります。<

19のオペラ以外は、管弦楽作品や室内作品など。

親父のオペラを愛する、ワグネリアンを標榜するわたくしとしては、息子のオペラにも触手を伸ばさないわけにはいかない。
少ない音源から3つだけ入手して、ときおり聴いてるけれど、独語テキストで英訳すらないものもあり往生している。
何度も聴いて、耳になじませるようにしているが、どうも捉えどころがなく、曖昧とした遠い存在なのだ。
でも、いつかは記事にしてみたい。

アリア集も3枚持ってますが、それ以外で聴きやすいのは、やはり管弦楽作品。
オペラ序曲集と、本日の交響曲であります。

ジークフリートは61歳で早死にしてしまうので、この交響曲が書かれた1925年はその生涯を見た場合に晩年の作品となりますが、筆の早かった彼としても最充実気のものといえます。
この年を見た場合、ドイツではナチスが台頭を始め、ヒトラーは「わが闘争」をものしたころ。イタリアではムッソリーニ政権が登場、日本もだんだんときな臭くなっていくころ。
音楽の同時代人たちは、マーラーはもうすでに亡く、プッチーニも前年に死去、新ウィーン楽派が活躍、同様にR・シュトラウスも全盛。
この歴史と対比すると、いかにジークフリートが、保守的で親父の中期くらいの活躍期に逆戻りしてしまっている音楽を残したことがよくわかるというもの。
親父ワーグナーの後継者としてみても、R・シュトラウスというよりは、独ジングシュピールやメルヘンオペラの世界のフンパーディンクの作風により近い。

ですから、政情も国情も危うくなっていたのに限らず、ジークフリートの音楽には、古きドイツの森や動物の自然や、人々の大らかな営みを感じさせる、緩い系のほのぼの感があふれてます。実際にそのオペラはそんなファンタジーが盛り盛り。
そのあたりが、起伏が少なく雄弁性も少なめと感じる由縁で、どこまでもイマイチ感がつきまとうところなのです。
しかし、そこがまたジークフリートのいいところで、かの大「ジークフリート」たる楽劇の方の主人公のように愛すべき、誰からも好かれるいい人ぶりが、音楽ににじみ出ているのでありまして、強烈な個性で嫌なヤツだった親父からは、こうした好人物が往々にして生れてくるという人生のひとつのパターンなのでしょう。

親父の強烈個性は、意外にもジークフリートの嫁ヴィニフレットが引き継ぎ、ナチスとの関係も劇場と一族のために結ばざるをえなかったことになるのです。
かれらの息子と娘は4人。
ヴィーラントとウォルフガンク兄弟についてはもう申すまでもないですね。
兄ヴィーラントはまぎれもない天才肌だったが早世してしまい、後を継いだのが劇場運営にたけたウォルフガンク。
この弟の方に、ジークフリートに近いものを感じますが、かれも自分の血族をワーグナー家の本流とし、兄方の子供たちは皆、名前を聞かなくなってしまった。
そして、ウォルフガンク亡きあとは、異母姉妹のエヴァとカタリーナにバイロイトは託されたわけです。演出担当のカタリーナに血の濃さを感じます・・・・・・。

それはさておき、交響曲については多くを語れず、いまだに多くを感じ取ることもできません。
45分、4楽章のしっかりした構成の交響曲で、ハ長の明るく屈託ない音楽は、どこにもひっかかるところがなく、耳にもスムーズで気が付くと全曲終わっているみたいな曲です。
でも注意深く聴けば、父リヒャルトの響きもふんだんに聴きとることができて、それは父の初期作から晩年までと幅広く顔を出す雰囲気に感じました。
「ファウスト」序曲とか、「妖精」とかが初期からの雰囲気のメインですし、緩徐楽章たる第2楽章では、「パルシファル」の2幕とか、「トリスタン」の半音階進行もちょっとだけ聴くことができました。
終楽章がきっぱりとしてなくて、ブルックナーやマーラーのような交響曲としての完結感をまったく持ち合わせてないところがまたイマイチ君なところで愛らしい。

この2楽章には、2年後に改作された別稿があって、このCDにも併録されてます。
まったく別物で、こちらの方が独自性があって、というか、むしろブルックナーの緩徐楽章のようで、アルプスの野山を思わせる詩的なムードにあふれてました。

もう少し長生きしていたら、もっと違う展開のあったと思わせるジークフリート・ワーグナーなのでした。
母コジマの後を追うようにして亡くなったジークフリートは、ナチスとの関係をまったく持たずにこの世を去りました。

ジークフリートとコルンゴルトのスペシャリスト、アルベルトの演奏は、普通に素晴らしく、気負いなく聴かせるものです。

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2013年6月11日 (火)

タヴナー 「奇跡のヴェール」 

Ajisai2013_b

ようやく梅雨到来か、と思うものの、台風だったりして。

むしむしと不快指数高し。

爽やかパステル紫陽花でも鑑賞するに限る。

ここに、最近めっきり見かけなくなった、でんでん虫でも配置したいところ。

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  ジョン・タヴナー 「The Protecting Veil」~奇跡のヴェール

       チェロ:フランス・スプリングェル

    ルドルフ・ウェルゼン指揮 フランダース管弦楽団

                      (1997.9 @ヘント、ベルギー国)


ジョン・タヴナー(1944~)は、ロンドンのウェンブリーで生まれた現代英国作曲家のひとり。
英国ルネサンス期の15世紀生まれの同姓の作曲家がいて、おまけに英国系のレーベル、ハイペリオンだったものだからなにげに購入したら、あたりまえのことながら古楽ジャンルの人だった・・・・。そんなミステイクな思い出もあるタヴナー。

ミステイクを犯した要因は、ヒコックスの指揮だからというので、もう15年以上前に買ったシャンドスから出ていた「セオファニー」という曲。
なんだか不思議にふわふわした、いくぶん宗教がかった曲で、それは明らかに西欧型のカトリックやプロテスタント、英国正教ともことなる様相で、多分に東洋的で、へたすりゃヒンドゥーっぽかった。
神秘主義とも呼ばれるその作風が気にいりました。
だもので、タヴァナーを買ったら、まるきり正統宗教曲だったわけだったので、それは500年前の別人だったのでありました。

さて、今日はタヴナーの中でも、もっとも聴きやすく有名なのが「神秘のヴェール」。

40分超の、独奏チェロと弦楽オーケストラによる8つの部分からなる宗教秘蹟を模した作品。
ですが、なにも堅苦しくも、宗教がかったところも一切ありません。
全編のほとんどが、静かな進行で、アダージョからアンダンテぐらい。
フォルテ記号は、おそらくほとんどないのでは。
起伏の少なめの、抒情的な癒し系の音楽といってもいいです。
ですから、お休み前のヒーリングサウンドとして、静かにこの曲をかけて、眠りが訪れるのを待つ、なんてのが宗教から遠い極東に住むわれわれの聴き方かもしれませぬ。

BBCの委嘱で、スティーブン・イッサーリスのために書かれ、1989年にロジェストヴェンスキーとLSOのバックを得て、プロムスにて初演されております。

タヴナーは、30代で正教会に入信(そのまえは英国正教会か否か不明)。
その正教は、ロシア系・ギリシャ系かも調べたけれど不明。
しかし、ここに描かれた聖母マリアは、わたしたちが多く目にする、カトリック教会に佇む白亜のマリア様とは違うはず。

この曲がインスパイアされたのは、10世紀頃の、コンスタンティノープル、Blachernae (Vlacherni)の教会区での出来事。
サラセン軍の攻撃を受け、追いつめられたギリシア正教徒の前に、聖母マリアが現出し、そのヴェールでもって、人々を覆うようにして、その危機を救ったという・・・・・。

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違うかもしれませんが、こんなイコンがかの教会に残されているそうな。

チェロ協奏曲ともある意味いえるこの曲。

明確なストーリー性はありませぬが、先のヴェールの秘蹟による曲を前後に挟んで、イエスの受胎告知、降誕、磔刑、マリアの嘆き、復活、マリアの死、などをイメージしております。
繰り返しますが、宗教観はなしで、この美しい曲と、清らかに、ときに清朗に、人の声にも同調するように歌うチェロの調べを楽しむに限ります。

女流スプリングスウェルさんのチェロは、美声で透明感あり、なかなかによろしいかと。
ペルトとかホヴァーネスとかグレツキ、おまけに武満あたりも得意にしているらしいベルギーの指揮者ウェルゼン(?読み方不肖)の指揮も、いい悪いはさっぱり不明ながら、テラークの抜群の録音の良さゆえにひきたつオーケストラではありました。

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2013年6月 9日 (日)

グリーンウェーブコンサート15th

Greenwave2013

このところ、6月はじめの恒例となりました、グリーンウェーブコンサートに行ってきました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者、森園ゆりさんとピアノの佐藤裕子さんのコンサートは、今年15回目ということで、長く続いておりまして、わたくしはまだ3度目ですが、ホールはいつも満席。

みなさん、とても楽しみにしておられるこのコンサート。

だって、とても気持ちがいいんです。

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保土ヶ谷区のハンズゴルフクラブがその舞台。

初夏の緑の眩しい光が降り注ぐレストランホール。

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軽食とスゥイーツとお茶も美味しい。

そして本番のコンサートは、森園さんが選んだバラエティ豊かな素敵なプログラム。

今年のテーマは、「光、輝き」

  メンデルスゾーン 「歌の翼に」

  ヴィヴァルディ   ソナタ イ長調

  フォーレ      「シチリアーノ」

  ロッシーニ     「パガニーニに寄せて一言 エレジー」

  パガニーニ     「ラ・カンパネラ」

  ドビュッシー    「月の光」

 

  ヴィターリ     「シャコンヌ」

  クライスラー    「シンコペーション」

  シンディング   組曲より「プレリュード」

  ラフマニノフ    「ヴォカリーズ」

  サン・サーンス  「序奏とロンド・カプリチオーソ」

  森園 康香     「冬の足音」 ~アンコール~



           ヴァイオリン:森園 まり

           ピアノ     :佐藤 裕子

                                         (2013.6.8 @ハンズゴルフクラブ)


幕開きに相応しい、爽やかなメンデルスゾーンで開始、快活なヴィヴァルディ、憂いを含んだフォーレ。
外から差し込む6月の光りもキラキラと美しく、性格の異なる曲を鮮やかに弾きわける森園さんのヴァイオリンにぴったり。

この日、一番気にいったのがロッシーニの秘曲。オペラ作曲家を卒業後の作品のひとつ「老年の罪(いたずら)」第9集からのエレジー。
ロッシーニがヴァイオリンとピアノのために書いた唯一の曲と森園さんが自ら書かれたプログラムに書かれてます。
わたくしも、初聴き。
これがロッシーニのオペラのアリアを思わせるような伸びやかで清々しい曲なのです。
船を漕ぐかのようなすてきなピアノ伴奏のゴンドラに乗って、美声の船頭の歌を聴いてるような気持のよさ。
さきに発売された、CD「弦楽のためのソナタ」とともに、森園さんのロッシーニはとってもチャーミングでナイスなのでした。
youtubeにありましたので、この曲、いままた聴いてますが、昨日のあのシテュエーションでの森園さんの美演には敵わないな。
http://www.youtube.com/watch?v=5fAt31p_XKU

有名な「ラ・カンパネラ」で、パガニーニつながり。
そして、白中堂々と、佐藤さんのピアノソロ「月の光」も、日の眩しさが嬉しい1曲。

後半は、大曲ヴィターリの「シャコンヌ」は、ドラマティックでかっこいい曲のよさがわかる演奏で、何気に超絶技巧をすらすら駆使。堪能しました。
緊張のあとは、ほのぼのとクライスラー。
北欧のさわやかなシンディングに、憂愁なるラフマニノフ。

最後のトリは、サン・サーンス。
この曲もあらためて聴くと難易度が高いですが、ズバズバと決まる森園さんのソロ。
実はこの曲には懐かしい思い出があって、高校時代管弦楽部に入っておりまして、学際の演奏会でやりました。
わたしは、へたくそなフルートでしたが、緊張して演奏中に、譜面台から譜面を巻物のようにパラパラと落としてしまったのでした。
そんなことを思いながら、聴くサン・サーンスは、切れ味とエスプリ感も味わえました。

欧州各国のさまざまな曲を、まさに各国を旅するように、輝かしい演奏で楽しむことができました。
森園さんひとりでも、感じることのできた神奈川フィルの響き。
そして長年のコンビの佐藤さんのピアノにもその同質感が。

アンコールは、ヴュルツブルク留学中の娘さん、康香さんの可愛い小曲。
夏ですが、小雪舞う頃を思わせるほのぼのと素敵な曲。
ラ・ボエームを思い起こしてしまいました。
7月には一時帰国してヴァイオリン奏者として神奈川フィルや市内オケとの共演予定とのこと。嬉しいニュースです。

過去グリーンウェーブコンサート記事

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

緑と音の「光と輝き」のシャワーを浴びたあとは、これまた恒例、焼き肉屋さんです。

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分厚いカルビは、しっかり焼かずに肉の甘さを楽しめます。

くぅーーっ!めったに行けないからこそ、よけいに美味しい。

ビールも焼酎も美味しくいただきました。

いい音楽のあとは、一緒に親しんだ仲間といいお酒と食事。

こうして、また神奈川フィルのことなどを話しながら、ますます神奈川フィルのこと、好きになって行くのでした。

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神奈川フィルの監修本、森園ご夫妻がメンバーのロッシーニのCD、絶賛発売中!

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2013年6月 8日 (土)

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」 ガヴァッツェーニ指揮

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横浜三塔のひとつ、開港記念会館。

ジャックの塔です。

みなと、横浜をイメージする建造物のひとつです。

大正6年、1917年の建築。

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   ヴェルディ 「二人のフォスカリ」

   フランチェスコ・フィエスコ:レナート・ブルソン 
     ヤコポ・フィエスコ:アルベルト・クピード
   ルクレツィア:リンダ・シュトゥルマー  
     ロレダーノ:ルイジ・ローニ
   バルバリーゴ:レナート・カッツァリーガ 
     ビザーナ: モニカ・タリアザッキ
   セルヴォ:アルド・ブラマンテ       
     フェンテ:アルド・ボッティオン

  ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団
                  ミラノ・スカラ座合唱団 

            (1996 ミラノ・スカラ座)

 

ヴェルディのオペラ第6作は、「二人のフォスカリ」。

「ナブッコ」で成功を勝ちとったヴェルディのもとには、各地からのオペラ制作依頼が次々に舞い込んでくることになったが、前作の「エルナーニ」はヴェネツィアのフェニーチェ劇場から、そして、ローマ、ナポリと続くことになります。
エルナーニを含めて、2年間で4作品という驚異の仕事ぶりを、後年ヴェルディは自ら称して苦役の年月と呼んだという。

さらに、この頃より、台本にも完全に責任を持つというヴェルディならではの契約の仕方でもって、より作曲者の眼鏡にかなう題材が選択されるようになる。
エルナーニはユーゴーの戯曲、「二人のフォスカリ」はバイロンの同名の戯曲をその題材に選ぶこととなる。
ローマ歌劇場からの委嘱による「二人のフォスカリ」。
台本は、エルナーニに続いてピアーヴェが担当。
1844年の夏にブッセートで仕上げ、同年11月にローマで初演。
これまでの即大成功とはいかず、じわじわと成功してゆく、そんなタイプのヴェルディ新境地のオペラ。
 それは、登場人物の心理へと深く切り込もうとした意欲作。
従来の歌手たちの名人芸や華やかなストーリー優先のオペラに対し、「二人のフォスカリ」が扱った素材は、政治劇。
好いたはれたのたわいもない物語でなく、公人と父親との間で揺れ動く男の渋い物語。
ここにはラブソングはひとつもなく、親子の別れ、夫婦の別れが唯一の感情の発露。
ヴェルディが後年にかけて、ますます突き詰めてゆくことになる、オペラにおける人間の心理表現。
全体に暗い色調が支配しますが、そこはやはりヴェルディ。

 

美しいメロディが滔々とあふれ出ております。
そして、バリトンが主役のこのオペラは、男のドラマ、まさにこれもまたヴェルディならではで、のちの「シモン・ボッカネグラ」や「ドン・カルロ」に、悲劇に即した深い心情の掘り下げは、「マクベス」「ルイザ・ミラー」「トラヴィアータ」「リゴレット」につながって行きます。

ドラマの舞台は、1457年ヴェネツィア。

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15世紀、都市国家ヴェネツィア共和国は、群雄割拠のイタリア国戦国期にあって、大いに力を得て反映した時代。
ことに、1423年から1457年まで続いた、フランチェスコ・フォスカリの時代、ヴェネツィアは、ライバルとのミラノ公国との戦いも継続しつつ、国力も領地も最大級になった。
この時代が、697~1797年まで、1100年続くヴェネチアの共和国としての一番の華であった時期。
そのフォスカリの悲劇は、息子のヤコポ・フォスカリが贈収賄でクレタへ遠島の憂き目にあい、さらに自身にも当時のヴェネツィアの統治機構である十人委員会から辞職勧告を受け、政敵マリピエロに総督の座を奪われ、ほどなく亡くなってしまうところにある。
ヴェネツィアを支えた統領の急転直下の晩年。
この実在の人物を描いたのがバイロンであり、ヴェルディのオペラなのです。

第1幕 前奏曲
 
 第1場 ヴェネツィア ドゥカーレ宮殿広場

議員と十人委員会の面々が、沈黙・秘密・・と歌いながら静々と総督フランチェスコ・フォスカリの息子ヤコポ・フォスカリの裁判を行うために集まってくる。
 別室では、島を出ようと図ったヤコポが今度は謀反のかどで手枷を強いられ登場。

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彼は、わが故郷ヴェネツィアよと、前奏曲で印象的だった物哀しい旋律に乗せて歌う。
フォスカリ家の一員として、無実の罪に立ち向かうと意思をあらわにする。
ここはテノールの朗々とした歌が素晴らしい。

 第2場 彼が去ったあと、ヤコポの妻ルクレツィアが飛び込んできて、総督である義父に訴え出ようと切々と美しいアリアを歌うが、その間、流刑判決の報が知らされ、彼女は委員会への怒りと不信をあらわにして、今度は力強く歌う。

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 第3場 委員会と議員たちは、ヤコポの無実の訴えを退けたこと、なんといっても敵方ミラノ国のスフォルツァ家への書簡が見つかった以上は、いかに総督の息子でも実刑は止めようがないと歌う。

 第4場 総督の部屋 統領と父親としてのそれぞれの立場を苦しげに歌い、涙ももう枯れ果ててしまったと悲しむ。
そこへ嫁ルクレツィアがやってくるので、統領としての立場を忘れてはならないとして自らを戒める。委員会を罵倒し、押収された手紙は、故郷のヴェネツィアをひと目見たくて書いたもので謀反などではないと父に迫る。しかし、流刑の身でありながら手紙をしたためたことは違法は違法なこと、と苦しげに語る父。

第2幕 ヴィオラとチェロのソロを伴う悲しげな前奏曲

 第1場 牢獄にて、ヤコポが十人委員会への憎しみに燃えているが、死者の亡霊を見る錯覚と狂乱に陥り気を失ってしまう。
そこへ妻ルクレツィアがやってきて夫を悪夢から目ざめさせ、再流刑を伝え、妻子への思いを歌う二重唱となる。おりから外からゴンドラの船頭の歌が聴こえ、その陽気さと自分たちの怒りに、ふたりは希望、苦しみもともに分かち合おうと歌う。

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 そこへ、父親フランチェスコが忍びながらやってきて、親子は抱き合う。
さきほどはきつく当たったが、あれはあの場でのこと、お前を愛していると、嫁もまじえた3重唱となる。
父は、もう一度会うときは公人としてのこと、あらためて別れを惜しむが、そこへフォスカリ家を憎む宿敵ロレダーノが出てきて、その苦しみを助けてやろう、さぁいますぐに護送船で発つのだと冷たく言い放つので、フランチェスコは怒り、お前は十人委員会の使いっ走りか、と揶揄する。
4者4様の気持ちを歌う四重唱はなかなかのものです。

 第2場 十人委員会の会議室  ドナート家の人間を殺害し、敵方(ミラノ)と組んだという新たな罪状も加わり、ヤコポにはわずかな温情としての再流刑の判決を読みあげられる。
総督である父親に、無実を訴え、あなたなら恩赦も選択できるはずだと迫るが、委員会の決定は絶対、と苦しげにも言い放つフランチェスコ。

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そこへ、嫁が子供たちを引き連れて乱入、孫は祖父のもとに。ルクレツィアは自分も島まで付いて行くと言い張るが、総督はそれはダメだと断言。
3人と今度は委員会・議員、待女たちの合唱との大アンサンブルになり、ロレダーノの無慈悲な出立命令に、ヤコポもすべてをあきらめて、妻子を父親に託してこの場を去って行く。

第3幕

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 第1場 サンマルコ広場  人々がやがて始まるゴンドラ競技の開始をワクワクと待ちわびている。ロレダーノは、この連中にとっては、総督がフォスカリであろうとマリピエロであろうと構わないのだとつぶやく。
楽しい音楽とともに、ゴンドラが走り、船頭たちが漕ぐ姿が見えて、人々は楽しく歌う。
そこへ鐘がなり、聖マルコの獅子の裁きが下った報が知らせれる。
人々は犯罪者がひったてられてくるというので、散り去ってしまう。
 その流刑者ヤコポは、待っていた妻ルクレツィアと今生の別れを交わす。
年老いた父を優しくしてやって欲しい、子供たちには父は無実の罪で服することを話してあげてくれ・・・・。またしても急かすロレダーノ。アディオ・・と夫婦は分かれる。

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 第2場 総督の私室  無実の罪で、あれはいってしまった。あそこでひとこと言っていたら・・・・。これまで3人の子供を失い、今日も4人目。
総督の地位を受諾するときに、この命を絶っていたら、息子たちはまだいたはずなのだ。。。悔恨にくれるフランチェスコのもとへ、腹心のバルバリーゴがやってきて、ドナートを殺したのは自分ひとりの仕業と自白した真犯人の報をもたらす。
喜びに紅潮したフランチェスコだが、今度は、嫁ルクレツィアが飛びん込んできて、夫ヤコポが出立したあと、すぐに息絶えたと伝えにきて、意気消沈してしまった父のかたわらで、悲しみよりも復讐を求めていると奮い立つ。

ひとり沈む総督のもとへ、またもや委員会と議員たち。
委員会と元老院から、高齢と悲しみから休息をお薦めしますと・・・・。
愕然とするフランチェスコ。35年の間、2度も辞任を要請したが認めてくれないばかりか、終身総督を誓わされた。
これがお前たちの用意した勇気と忠誠への報いなのか!
無実の息子と、名誉という飾りをも奪うのか!
息子を返して欲しい!
ついにフランチェスコは、胸のうちをすべて吐き出し、いままで抑えていた感情を爆発させる。
しかし観念し、指環も帽子も、総督の服も脱ぎ捨て、折りから迎えにやってきた娘ルクレツィアと抱き合う。
しかし、そこにまたしても鐘の音。次の総督が早くも決定したという報である。
手回しの良すぎる展開。鐘の音に不吉を感じ取ったフランチェスコは、とつてもない憎悪の犠牲となってしまった、息子も、総督の座も、もう命もない、なにもなくなってしまったと朦朧としながら、苦しそうに歌う。
ロレダーノは憎々しく、この時を待っていたとほくそ笑む。
フランチェスコ・フォスカリは、ここでついに命が燃え尽きてしまい、倒れ伏し、ルクレツィアにみとられながら息を引き取る。

                                             

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初期作に特有の、激しい情熱のぶつかり合いや、愛国心の煽りや、壮大な歴史劇スペクタクルや、大恋愛・・・・、こうしたものが一切ありません。

渋い劇の内容に即して、主役のバリトンにあたえられた歌唱も渋い。
自分を抑制し続ける総督が、最後に抑えていた感情を爆発させるところは本当に感動的だ。
ヴェネツィアという海の街もポイントだが、同じ海の街ジェノヴァを舞台にした「シモン・ボッカネグラ」の姉妹作的な存在にも思える。
シモンを愛し、何度も何度も指揮したアバドが、このフォスカリを振ってくれなかったのが本当に残念。
主役が渋すぎるものだから、テノールとソプラノに配分されたアリアたちが、浮足立って感じてしまうほどだ。逆にそうした部分がなかったら本当に救いがないオペラなわけですが。

当然に、オーケストラも渋くて、初期作の特徴である奔放なまでの情熱の爆発はない。
前奏曲で奏でられ、息子ヤコポのアリアでも出てくる悲しそうな旋律が、素敵なもので、これが頭からどうしても離れません。
そして、登場人物や事象に、定旋律をあてがったことも、音楽とドラマを強く結びつけることになっております。

この作品には、カプッチッリ、カレーラス、リッチャレッリを揃えた素晴らしいガルデッリ盤がありますが、今回は大昔にNHK放送をビデオ録りした映像で。
カプッチルリにくらべると、ブルソンの声は美しいだけで、やや単調なのですが、こうして映像を伴うと、その苦悩に満ちた迫真の演技ともに、抑制された歌唱がこの役柄にぴったりと符合しております。
美声のクピードはやや明るすぎ、シュトゥルマーはまずまず、ローニの悪役ぶりは最高。
 そして名匠ガヴァッツーニは、淡々と音楽を進めるなかに、ヴェルディへの愛情を感じる指揮ぶり。耳でも目でも確認できました。

ヴェルディの一面でもあり、ある意味本質でもあるこの渋いオペラ、わたくしはかなり好きです。

ヴェルディ・オペラ、ブログ全制覇まであと9作。

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2013年6月 7日 (金)

ヘンデル 「ディクィスト・ドミヌス(主は言われた)」 ミンコフスキ指揮

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夕陽を浴びる教会。

こちらは、プロテスタント系でシンプルで清楚な趣き。

手前が幼稚園で、わたくしはこちらでお世話になりました。

もうかれこれ、半世紀近く前ですが、いまだに同じ海からほど近い、潮騒の聞こえる場所にあります。

どちらもかつては、こんなに立派な建物ではなかった。

木造のギシギシ系で、当時の印象では園庭も広くて、もっと広大な場所に感じてました。

半世紀も経つと、自分の尺度が大幅に変化して、同じここが、猫の額みたいに思えてしまうところが、悲しくも懐かしくあるところ。

ここで、園児たちの宗教劇が行われてましたが、いまはどうでしょうか。

わたくしは、イエス降誕を見にきた貧しい人々その3、ぐらいの役割で、あたまに唐草の風呂敷をかぶって演技しました。
ですから、いまでも、唐草風呂敷をかぶることには抵抗はありません・・・。
あ、いや、わたし、泥棒さんじゃありませぬよ。
ただ、子供心に、イエスのこととかを、身近に感じて過ごしましたし、麗しき思い出もたくさん生まれたことは、生涯忘れえぬことなのですから。

ヘンデルの音楽を知ったのは、学校時代の「ハレルヤ・コーラス」や「水上の音楽」なのですが、自主的に音楽を聴き始めてふたたび巡りあったヘンデルは、そう、「メサイア」なのですね。

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  ヘンデル 「ディクスト・ドミヌス」~主は言われり

    マレク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジュシャン・ドゥ・ルーヴル

        (1998.6 @オリヴィエ・メシアン・ホール、フランス放送局、パリ)


もしかしたら多くの方にご賛同いただけるのが、ヘンデルのメサイアが、バロック音楽への窓口。
バッハにはリヒターという厳格きわまりない番人がいて、イタリア系バロックはイ・ムジチがイコールで四季しかない。
しかし、メサイアには、そんな垣根が一切なくって、わたくしはデイヴィスとロンドン響の初回録音のものをFMで聴いて、一気に好きになった。
当時、ハープシコードすら珍しげに聴いた田舎育ちのわたくし。
チンチロと華奢になるハープシコードの音色に魅せられ、メサイアを聴いたものだった。

それ以降のメサイア遍歴は、さしたるものでなく、ヘンデル自体への興味もそんなでもなく、今日に至っているわけです。

ヘンデルの作品をたくさんお聴きになり、素晴らしいサイトをお造りの方々には本当に頭がさがりますし、一方で、ヘンデル初心者のわたくしを叱らないでいただきたいです。

1685~1759年の生没年のヘンデルは、生粋のドイツ人でありながら、イギリスに安住し死を迎えることになる、作曲家兼教師兼、多彩な才能の持ち主の人材だった。

本作は、ヘンデルが22歳のとき、1707年に、イタリア各地を勉学を兼ねて巡業中に作曲された。
内容は聖句も含めて、きっぱりと決然とした表現にあふれていて、ブレや迷いが一切ない。
これだけ一本義のストレート音楽は、ヘンデルにはほかにないのではないでしょうか。

旧約聖書の詩篇110(ないしは109)からとられたこの作品は、生真面目感と陶酔的なわが信じる神への帰依が描かれていて、なにもそんなに一生懸命、と思わなくもありませんが、ヘンデルの若さゆえに微笑ましくも思える音楽でもあるんです。
ずっと後年の「メサイア」の緩急・硬軟の自在感からしたら、よっぽど背筋が伸びてしまう音楽なのですが、ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャンの柔軟な解釈からしたら、ヘンデルのそのあたりのシリアス感が英国的大らかさ、仏国的お洒落感によって、味わいをましていて、教条的な堅苦しさを一切感じませなんだ。

ミンコフさんの若い演奏ですが、その頃から、この方、先鋭さが丸く、いい形で着地する稀有の才能をお持ちだったと思うのであります。

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横浜三塔のひとつ、税関本館。

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2013年6月 6日 (木)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ストコフスキー指揮

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前にも出した山下公園のバラ。

氷川丸を背景に、曇り空が残念ですが、いい感じ。

バラって、その香りも含めて、ヨーロッパの庭園って感じで、どう感じても和の雰囲気じゃないです。

もともとは、チベットから中国西北部にかけてが原産で、それがやがて南下していって、インド・東南アジアに。
おそらくはかつての植民地から、ヨーロッパへ、そしてアメリカという風に広まったのでしょう。
前にも書きましたが、インドは薔薇の大きな産出国で、薔薇エキスのローズオイルは、かの地ではかなり安く生産されているそうな。
また、ドリーブのオペラ「ラクメ」もインドが舞台で、現地女性が英国人と愛し会うが、やがてそれは悲劇に・・・・、まるで、蝶々さんのような切ないドラマなのですが、このオペラでも薔薇園が舞台になってます。

何を言いたいか、こちらでは趣旨が違いすぎますから書きませんが、欧米はずるいぞ、ということをおもんばかって欲しいわけですよ。

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  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

   レオポルド・ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

                  (1966 @キングスウェイホール、ロンドン)


チャイコフスキーの交響曲シリーズ。

作曲順にいくと、4番の次は「マンフレッド」ですが、ときおり無性に聴きたくなる禁断症状が出てきたので、5番。
ケンタッキーフライドチキン、吉野家の牛丼、コカコーラ、お家のカレー、あっさり醤油ラーメン、お袋のお雑煮、磯辺焼き・・・・、あぁ、こんな風に時おり接種しないと胸が苦しくなる。

というわけで、ワタクシも含めて、音楽好きの超人気曲の第5番は、本日、変化球を投じて、スココフスキー(1882~1977)で。

5番をこれで来るなんて、こうほうビックリうれしい、といえよう。(さすがに漢字変換まではいかなかった)

しかし、ワタクシ、こばけんのチャイ5は一度も聴いたことありません。
というか、何故か、こばけんはみたいけん。
みたくないけん、じゃなくって、単に機会がないだけ。
だって、こばけんは、ワーグナーやらないし、英国ものもやらないし、最近神奈フィルにこないし・・・・・・。

話がそれました。

わたくしが、チャイコフスキーの交響曲を始め、彼の音楽が好きなのは、その音楽が旋律重視なところで、後期ロマン派&オペラマンの拙者としては、堅固な構成のもとにある形式美よりは、あふれいずる豊富な旋律美の方が好きなんです。
ゆえに、チャイコフスキーでいえば、1番と5番が異常に好き。

1888年、4番の交響曲から10年、マンフレッドの作曲から3年を経ていたチャイコフスキー。オペラや劇作品に注力していた10年間、純粋交響曲を渇望していたかのように一気に書きあげた第5交響曲。
ここでも、4番と同じように、「運命」の動機が最初は暗く、そして最後は晴れやかに勝ち誇ったほうなファンファーレでもって鳴り響く。
これはまさに、ベートーヴェン以来、佐村河内守まで続いている、「暗から明」の交響曲というスタイルのひとつの定番である。

しかしチャイコフスキーは、そうした循環的な作風にありながらも、どこまでも歌と抒情、そしてロシアの風土を感じさせる自然描写のようなものを強くにじませていて、その形式はとても自由なのです。

話はまた逸れますが、佐村河内音楽の凄いところは、音楽が悲しみや怒りに即して、それを体験または感じる人に完全同化してしまっているところだと思います。
長大な大交響曲を最後の光明にのみしか興味を見いだせない聴き方は間違いだと思います。
そこにいたる艱難を、音楽が充分にともにして、分かち合っているので、それを体と耳で感じとってこそ、最後の光が眩しく、また来る苦しみに立ち向かう力を得るのではないでしょうか。
そこで終わりではなく、まだまだ続く悲しみや困難がまだある。
それを最近は聴いてしまうようになってきた・・・・・。

あっ、すいません、チャイ5ですね。

ですから、この曲は、シンフォニックにかっちり演奏しても、旋律があふれ出てきますし、その旋律美にどっぷり埋没してしまうような演奏でも、聴く側を酔わしてしまう魅力を秘めているのです。
この曲とマーラーの1番は、同じ頃に作曲されました。
チャイコフスキーがもう少し長生きしていたら、マーラーもびっくりの、自己同化的かつ自然満載の自己陶酔てきな自在な交響曲が生まれていたのではないでしょうか・・・・。

そんなことをつらつらと思ってしまったスココフスキーの演奏。

ゲテモノじゃありません。ヘンタイでもありません。
最初はビックリしますが、これも愛すべきチャイ5なのです。

ブレーキとアクセルを巧みに使い分け、しかも最初は初心者マークの演奏のように、車酔いしてしまいそうな制動不能ぶりに感じる。
何度か聴いていくうちに、堂々と、至極平然と行われるご無体の数々が、いとも自然に受け入れられてくるから不思議だ。
これもチャイコフスキーの音楽の懐の深さだろう。
全楽章にわたって、そのスットコどっこい、スットコ節は聴かれます。

アゴーギクの天才のような1楽章は、吸って吐いて、はい止めて・・・・、うぅ苦しい、みたいな感じが、快感になる。
 やたらと歌いまくり、連綿たる抒情垂れ流しの第2楽章、スクリーンには胸かきむしったロシア女の豊満なおっきな胸と、窓の外の極寒の氷の世界が・・・・。
 ワルツがワルツになっていない、ぎくしゃくした舞曲はバレエの決めポーズが浮かぶくらいにストップがかかる。笑えてしまうが、妙に愛おしい。
 そして、ストレートな終楽章は、大胆なカットや、読み替えもふんだんに。
あれ?あれれ?と思うコーダ前と、拍手が地方都市では起きてしまうコーダの継ぎ目をなくして、音を被せてしまう。
堂々と、かつあっけらかんと進む最終場面は、まさかの省略もありながら、唖然とする結末に・・・・・・・

いやはや、録音当時84歳のストコフスキー。
恐るべし腕白ぶり。
音楽聴き始めのころ、ストコフスキーは70年代に入って第二期全盛時だったけれど、若いわたくしは、音楽評論を読んでたじろぎ、ろくに聴いてこなかった。
そして、ここ10年くらい、とても面白く感じるようになったストーキー。
普通じゃないけど、普通よりははるかに面白い!
こんな老人になりたい。
某クラシックを知らないと思われる販売店のCDコーナーで、日本語見出しが、「ストコウイスキー」になっていたのには感心した。
ほう、どんなウィスキーだろうか。
いい感じに酔いそうだな、と思ったものだ。

Kanagawa_phil_book_8

2011年6月、神奈川フィルで聴いたチャイコフキーの5番

現田茂夫さんの指揮。

震災後の意気消沈気分を吹き飛ばすような晴れやかで美しい演奏だった。

神奈川フィルでまた聴きたいチャイ5。

もちろん現田さんでもう一度、それと、ゲッツェルさん、それから小泉さんあたりで

>6月5日、NHKの「おはよう日本」~首都圏で、「神奈川フィル」が取り上げられました。

ネットストリーミングでご覧になれますので、神奈川フィルの先日のヴェルディの演奏や、日頃の熱い活動や市民とのふれあいなどが描かれておりますので是非!

http://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/report/20130605.html  <

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2013年6月 5日 (水)

ブリテン 弦楽四重奏曲第2番 ブリテン四重奏団

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雨でしっとり、というわけにはいかない。今年の紫陽花。

今日も暑かった。

パステル調の色の変化も美しい紫陽花です。

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 ブリテン 弦楽四重奏曲第2番 ハ長調

    ザ・ブリテン・カルテット

          (1989.10 @スネイプ、モールティングス)


生誕100年のベンジャミン・ブリテン(1913~1976)ですが、ワーグナー、ヴェルディらの巨星にくらべると同じアニヴァーサリーでもちょっと地味。
小さなものしか、シンフォニーを残さなかったこと、青少年があまりに有名すぎること、そしてその主力が16のオペラ作品や声楽作品にあること、などが日本などではブレイクしにくいところなのでしょうか。

弊ブログでは、英国音楽の一環としてもブリテンを積極的に聴いておりますが、オペラ好きとして外せない作曲家としてのブリテンにも注力しております。
あと5つになったブリテンのオペラシリーズは、今年なんとか完結したいと思っておりますが、もう半分も1年が過ぎてしまった。
まだ10作も残ってるヴェルディ制覇とともに、ちょっと焦ってきた。

一方で、ブリテンにはまだまだ未聴の作品が多数。
今日は、室内楽の分野から弦楽四重奏曲第2番を。

ブリテンは、番号付きの弦楽四重奏曲を3つ、そして、未公表の18歳のときの習作四重奏がひとつ、さらにまだ12歳のころの四重奏のための6つの未公表小品があります。

第1番は、ブリテンのアメリカ在住時代1941年の作。
その後の2番は、1945年。
さらに間が空いて1975年、死の前年に3番ということになります。

今日はまず中間の2番を。

パートナーのピアーズが声楽家として、ヘンリー・パーセルに取り組んでおり、その結実は、「青少年のための音楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)」(1945)なのでありますが、もうひとつブリテンは、パーセルにちなんでこの弦楽四重奏曲を書きました。
1945年は、パーセル没後450年にあたっていたことも、そうしたきっかけです。

3つの楽章からなる30分ぐらいの曲ですが、その半分以上を占める終楽章がパーセルを讃える部分です。
原曲は、パーセルの「シャコンヌ」。
この美しく静謐な曲を、ブリテンは別途1965年に、弦楽四重奏バージョンに編曲してます。
その20年前のこちらの四重奏曲では、形のうえではシャコンヌもしくは、パッサカリアで書かれておりまして、低音部に、ずっとパーセルのシャコンヌのモティーフが何度も姿を変えつつ現れております。
少し、とっつきは悪いかもしれませぬが、ブリテンらしいクールで、かつ熱い情熱も秘めたなかなかの傑作だと思います。
聴いていくうちに、4つの楽器の絡み合いがひとつひとつほぐれて、それぞれの楽器が奏でる断片のようなフレーズがつながってゆくのがわかるような気がしてきました。
この楽章のエンディングは、実にカッコいい!

不思議に暖かく、歌謡性もある1楽章に、急速ヴィヴァーチェの第2楽章も、いかにもブリテンしております。

今度は、いっちゃってる感じの彼岸の3番を聴きましょう。

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6月5日、NHKの「おはよう日本」~首都圏で、「神奈川フィル」が取り上げられました。

ネットストリーミングでご覧になれますので、神奈川フィルの先日のヴェルディの演奏や、日頃の熱い活動や市民とのふれあいなどが描かれておりますので是非!

http://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/report/20130605.html

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2013年6月 4日 (火)

ベルリオーズ 幻想交響曲 フレモー指揮

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梅雨入りしたと思ったら、まさか嘘だったの?、あ、いやもう、まさかの梅雨明け?

連日、お日さまは元気で、暑い日々が続きます。

梅雨ルックの小便小僧さんも、蒸し暑そうです。

水不足の梅雨にならないよう、放尿も控えめにね。

Hamamatsucho201305_b

カワイイ雨合羽は、お手製のキルティング。

有志によるこの着せ替え活動には、ほんと、頭が下がります。

いつもこうして楽しませていただいてますし、こうして全国の音楽ファンにも広めることができてます。

手芸グループ「あじさい」

https://www.kissport.or.jp/tiikizin/05/0501/index.html

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  ベルリオーズ 幻想交響曲

   ルイ・フレモー指揮 ロンドン交響楽団

             (1989 @ヘンリー・ウッド・ホール、ロンドン)


今月の幻想は、懐かしのフランス人指揮者、ルイ・フレモーとロンドン交響楽団の演奏で。

フレモーと聴いて、おっ、懐かしいと思っていただける方、きっとわたくしと世代的に近いのではないかと思います。

1921年、ベルギー国境に近い北フランスの街、エール=シュラ=リス生まれ。
この街のあるエリアは、海を渡ればもうすぐ英国。
そんな環境に育ったフレモーさん。まだ存命です。

フレモーはなかなか波乱万丈人生のようで、調べたら音楽学生時代、第二次大戦が勃発し、フランス軍レジスタンスに身を投じ闘い、終戦後は、今度はフランス軍外人部隊としてベトナムでの大戦後処理にもあたっている。
そのあと、音楽復帰をはかり、勉強のし直し、パリ音楽院に入学し、ルイ・フレスティエ、ジャック・シャイエに師事。1952年、31歳にして指揮科を首席で卒業。
あとの音楽キャリアは、モンテ・カルロ国立歌劇場、ローヌ・アルプス県フィルハーモニー、バーミンガム市交響楽団、シドニー交響楽団などを歴任。
その音楽キャリアも広範な地域にまたがっていて、ユニークなのです。
日本にも、何度も客演しておりまして、わたくしは実演には接することができませんでしたが、評論や雑誌でも好評を持って迎えられておりました。

レコード時代、忘れられないのは、モンテ・カルロとの多くのエラート録音。
フォーレのレクイエム、カンプラのレクイエム、ジルのレクイエムと、フランス作曲家の古今のレクイエムを録音してましたし、幻想や展覧会といった名曲路線もありました。
そのいずれもが廃盤久しく、とても残念。
EMIには、フランソワとのショパンや、仏管弦楽曲集、バーミンガムとのサンサーンスなどなど、そこそこに音源はあります。

いずれも感じるのは、フレモーの感性の豊かさ、それは単なるフランス風なセンスのよさばかりでなく、熱いラテン系のはじける色彩感。
一連のフランス・レクイエムの暖かな微笑みと、ローカル・フレンチともいえる音楽の素敵な訛りさえ感じるユニークなものでした。

そのフレモーがロンドンで今は亡きコリンズ・レーベルに残した「幻想」。
思いのほか、大人しく感じるのはおそらく、音圧レヴェルの低めの録音のせいだと思われます。演奏自体は、LSOゆえに完璧で、どこもかしこも鳴りきって間然とするところがひとつもありません。
正直、フレモーの個性はあんまり出ておらず、完璧な装いばかりが目立つ演奏に感じられます。
ゆえに、3楽章の「野の風景」は、極めて美しいフランスの田園風景となりました。
ワルツもしゃなりしゃなりと、優美です。
しかし、終楽章に至り、録音は相変わらず遠いですが、音たちが雄弁に語りだし、オケは地響きを立てて迫ってくるのを感じます。

どんな幻想でも、それなりに満足してしまうわたくし。
懐かしのフレモーさんということで、これはヨシです。
願わくは、モンテカルロとの旧盤をCD復刻して欲しい。

ということで、6月の小便小僧と幻想でした。

Kanagawa_phil_book_6

絶賛発売中。

書店に見つからない場合はご相談ください。

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2013年6月 3日 (月)

R・シュトラウス エレクトラ、サロメ、ばら騎士 ライナー指揮

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バラと東京タワー。

5月の最後の日に撮影。

テレビ電波塔としての役割を一部を残しほぼ卒業の東京タワーと、早めの季節の巡り合わせでもって、もう盛りを超えてしまった薔薇。

毎年、同じように健気に花開く植物たちへの愛着は、歳とともに増していきます。

と同時に、自分と同じ世代の建造物が継続して頑張っている姿に感動を覚えます。

建造・建築物も文化です。

一方、形あるものの、あふれかえる音源の山々に、それを消化していない焦燥と焦りを覚えても長く経ちます。
粗末にしちゃいけないけれど、驚くほど安く、ますます簡便に扱うことができるようになり、その価値観が手頃になる価格ともに安易になりがちです。
高かったレコードを大事に大事に、いとおしむように聴いてきた自分。
それに比べて長く存在、継続できるCDは、本来もっと高付加価値の商品であって欲しかった。
わたくしの仕事範囲ではありませんが、技術革新が、ひとつの文化領域のあり方を変えてしまった典型に思われます。

とか酒気帯びにて、酩酊しながらあれこれ思いを馳せつつ、お手軽に毎晩とっかえひっかえ、音盤をいじくりまわしている、わがままなクラヲタ典型人なのでした。

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  R・シュトラウス  「エレクトラ」

       エレクトラのモノローグ、オレストとの再開、終幕

    エレクトラ:インゲ・ボルク   クリソテミス:フランシス・イィーンド
    オレスト:パウル・シェフラー

             「サロメ」

       7つのヴェールの踊り、終幕

          サロメ:インゲ・ボルク

          
             「ばらの騎士」 ~ ワルツ

      フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団

                (1954~57 @オーケストラホール、シカゴ)

久しぶりのR・シュトラウス。

このところ、ワーグナーとヴェルディばかりなのでご無沙汰しちゃいました。

わたくしの、5大オペラ作曲家は、ワーグナー、R・シュトラウス、プッチーニ、ヴェルディ、モーツァルト、プラスαは、ブリテンです。
これは大胆にもファイヴァリット順です。
そのあと続くのは、もう順不同の作曲家たち。でもどれもが好き。
ここではあげません。

ドレスデンで活躍時代、1914年以降、ライナーは作曲者R・シュトラウスの直接の知己を得て数々の指揮におけるアドヴァイスを受けております。
R・シュトラウスは、長く活動し、音楽生命も長かった作曲家だったので、ライナーのような直伝系の演奏家は数多く存在します。
クラウス、ベーム、セル、カイルベルト、ケンペ、ショルティ、サヴァリッシュ、スウィトナー・・・。キラ星のようなシュトラウス指揮者たちの顔ぶれ。

ストイックなライナーのイメージだが、そのシュトラウスは演目にもよるが熱いです。
エレクトラにおける冷徹かつ研ぎ澄まされた感覚が、かえって熱気を帯びて、触れれば火傷しそうな高温発する音塊たち。
恐ろしいほどの冷たい熱さ。
冷たくて手に火傷を負ってしまいそうななかに、シュトラウスならではの甘味な味わいも巧みに潜ませてくる。

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ボルクの真っすぐ一直線の歌唱は、ぜんぜん古めかしくなくって、いまにも通用すると思う。
ボルクの音源は意外と少なくて、カイルベルトのバラクの妻、、ベームのエレクトラ、エレーデのトゥーランドットで耳に馴染んだこのドラマティックソプラノ。
不思議にワーグナーがありません。
しかし、この時代のドラマティコにはない、突き抜ける声と無理のない軽い感じの低域は不思議なまでの透明感をかもしだす。
後年のヒルデガルト・ベーレンスを思わせる声です。
まだ90を越して存命中のインゲさま。
ずっとずっと元気でいて欲しいと思いました。
そんな若々しい、そして画像を見るとやたらと美人のボルクさん。

厳しいライナーの指揮と、ボルクの歌唱。
耳洗われる精妙かつ美しいシュトラウスを聴きました。

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がんばれ神奈フィル

がんばれベイスターズ        

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2013年6月 1日 (土)

街路灯の向こうのにゃんにゃん

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うーーーん、気持ちいい、伸びてますぜ、おいらは、旦那。

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うん、なんだ、おまえか。

よく会うにゃんこでしたから、認識してもらったんでしょうかね。

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かわいいでしょ。

認識してもらうと、こんな表情を見せてくれます。

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遠くを見るかと思いきや、その視線の先は、カラスやスズメの鳥さんたち。

ソト猫の野趣あふれるカワゆさは、そんなところにあるんですね。

彼ら、彼女らは自由だ

なんだか、うらやましい、にゃんこたちなのでした~

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ストラヴィンスキー 「春の祭典」 シャンゼリゼ劇場

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ひと気のない朝の中華街は、ゴミ収集車とカラスと早起きのランナーだけの街。

太極拳でも見れるかと思ったけれど、嘘のように静かな街。

今年は、いろんなアニヴァーサリーがあるけれど、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の大スキャンダルを引き起こした初演から100年。

1913年5月29日、シャンゼリゼ劇場@パリでございます。

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  ストラヴィンスキー バレエ「春の祭典」

            マリンスキー劇場バレエ団

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮マリンスキー劇場管弦楽団

                        (2013.5.29@シャンゼリゼ劇場)


ハルサイ100年の記念公演をネット観劇しました。

ゲルギエフと手兵、マリンスキー劇場のパリ来演。

100年前のディアギレフのバレエ・リュスによる初演は、歴史上空前のスキャンダルにもなりましたが、100年後の同じ日、同じ場所で、ロシアからの最強軍団を得て記念上演が行われました。

前半が、100年前のニジンスキーの振り付けと当時の衣裳や舞台背景、すなわちオリジナルを再現した舞台。
ミリセント・ボドゥソンとケネス・アーチャーの再現作品。

後半が、いま2013年のサッシャ・ワルツの新作。

Gergiev

ピットの中には、お馴染みのゲルギエフがいかつめらしく入ってます。

ハルサイは、通常オケだけで聴くもんだと思っていて、オーケストラピースとしての聴きどころや掴みどころも自分なりにあって、どんな演奏でも楽しめるわけであるが、こうしてほぼ初ともいえるバレエ観劇には、当初、正直戸惑いました。

指揮者も舞台を意識しながらバレエ音楽としての解釈をするわけですから、踊り手のことを考えたら、やたらと飛ばしたり、伸ばしたりはできないでしょう。
そんな感じが、音だけ聴いてると、日常の視聴との違いがありありなのですが、映像が入ると、踊り手の(演出の)感情表現が先に目にくるものですから、オケは後から耳に入ってきて、音源視聴と異なっても違和感がだんだんと解消していきます。

オペラは音でも舞台でも、一体ですが、バレエというのは声を発しない舞台芸術なので、このあたりが面白い見もの、聴きものでした。

そして、100年のビフォア=アフターですが、わたくしにはどちらも面白く視聴できました。

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100年前のものは、プリミティブ感が満載で、野趣にあふれてまして、非現実的で人間離れしております。
それぞれのダンサーの動きも極端なまでに、楽曲のリズムに忠実に、まるでインデイアンみたいな足踏みとかも見せてくれます。
ときには、大げさにデフォルメされて、それが今の視点からすると、ある意味可愛さささえも感じるのでした。

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長老の今にも死にそうなすっとこどっこいぶりと、生贄の場で出てくる「くまもん」のようなカワイイ熊さんも好き。

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生贄に選別された若い女性が、ずっと斜め上を見たまま固まったまま・・・、その彼女が最後の力を振り絞って乱舞するさまはなかなかのものでした。

そして、現在のハルサイ。

A

ダンサーたちは、厚化粧もなく、衣裳も普通のなり。まったく、ふつう。
その彼らが、スポーティーに運動美に近い動きをキレよくするものだから、ハルサイの持つ禍々しさが遠のいた感じ。
動きはエロティックなものも目指したりはしているのだが、その男女の動きはエロくふるまっても、こちらをまったく刺激しない。むしろ音楽の邪魔にさえ感じたくらい。
不思議なものだ。
いまある日常の延長のようなアフターのハルサイに鈍感で、100年前の再現にときめくワタクシ。
でも、彼らの凄まじいまでの表現能力はスゴイと思うのですよ。

C

生贄に選ばれた女性が、まさかあたしかよっ??ってな感じで茫然。
いまの人々が普通に浮かべる表情と、そしてその動き。

E

いやだよ、いやだするところは、妙に現実味があったりするし、その後天から徐々に降りてくる長い切っ先の下で、狂気乱舞する姿は、ハルサイの狂おしい趣旨にもバッチリあってる。

F


第二部のこちら、フランス人のユーモアかもしれないが、盛大なブーイングが飛んでました。

ゲルギエフのふたつの演奏。
舞台によって完全に振り分けてました。
ふたつの完全に異なる演奏。
この人は、やはり劇場に入るピットの人です。すんばらしい!

まだしばらくネットで見れると思います。

「ARTE Live」フランス版 

http://liveweb.arte.tv/fr/blog/1/message/Le_Sacre_du_siecle/

ドイツ版では、P・ヤルヴィの千人なんてのもありますぞ。

そして、4月に聴いた神奈川フィルのハルサイの素晴らしかった。

Kanagawa_phil_book_4

神奈川フィル監修の本、絶賛発売中

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