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2013年6月 6日 (木)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ストコフスキー指揮

Yamashita_park4

前にも出した山下公園のバラ。

氷川丸を背景に、曇り空が残念ですが、いい感じ。

バラって、その香りも含めて、ヨーロッパの庭園って感じで、どう感じても和の雰囲気じゃないです。

もともとは、チベットから中国西北部にかけてが原産で、それがやがて南下していって、インド・東南アジアに。
おそらくはかつての植民地から、ヨーロッパへ、そしてアメリカという風に広まったのでしょう。
前にも書きましたが、インドは薔薇の大きな産出国で、薔薇エキスのローズオイルは、かの地ではかなり安く生産されているそうな。
また、ドリーブのオペラ「ラクメ」もインドが舞台で、現地女性が英国人と愛し会うが、やがてそれは悲劇に・・・・、まるで、蝶々さんのような切ないドラマなのですが、このオペラでも薔薇園が舞台になってます。

何を言いたいか、こちらでは趣旨が違いすぎますから書きませんが、欧米はずるいぞ、ということをおもんばかって欲しいわけですよ。

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  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

   レオポルド・ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

                  (1966 @キングスウェイホール、ロンドン)


チャイコフスキーの交響曲シリーズ。

作曲順にいくと、4番の次は「マンフレッド」ですが、ときおり無性に聴きたくなる禁断症状が出てきたので、5番。
ケンタッキーフライドチキン、吉野家の牛丼、コカコーラ、お家のカレー、あっさり醤油ラーメン、お袋のお雑煮、磯辺焼き・・・・、あぁ、こんな風に時おり接種しないと胸が苦しくなる。

というわけで、ワタクシも含めて、音楽好きの超人気曲の第5番は、本日、変化球を投じて、スココフスキー(1882~1977)で。

5番をこれで来るなんて、こうほうビックリうれしい、といえよう。(さすがに漢字変換まではいかなかった)

しかし、ワタクシ、こばけんのチャイ5は一度も聴いたことありません。
というか、何故か、こばけんはみたいけん。
みたくないけん、じゃなくって、単に機会がないだけ。
だって、こばけんは、ワーグナーやらないし、英国ものもやらないし、最近神奈フィルにこないし・・・・・・。

話がそれました。

わたくしが、チャイコフスキーの交響曲を始め、彼の音楽が好きなのは、その音楽が旋律重視なところで、後期ロマン派&オペラマンの拙者としては、堅固な構成のもとにある形式美よりは、あふれいずる豊富な旋律美の方が好きなんです。
ゆえに、チャイコフスキーでいえば、1番と5番が異常に好き。

1888年、4番の交響曲から10年、マンフレッドの作曲から3年を経ていたチャイコフスキー。オペラや劇作品に注力していた10年間、純粋交響曲を渇望していたかのように一気に書きあげた第5交響曲。
ここでも、4番と同じように、「運命」の動機が最初は暗く、そして最後は晴れやかに勝ち誇ったほうなファンファーレでもって鳴り響く。
これはまさに、ベートーヴェン以来、佐村河内守まで続いている、「暗から明」の交響曲というスタイルのひとつの定番である。

しかしチャイコフスキーは、そうした循環的な作風にありながらも、どこまでも歌と抒情、そしてロシアの風土を感じさせる自然描写のようなものを強くにじませていて、その形式はとても自由なのです。

話はまた逸れますが、佐村河内音楽の凄いところは、音楽が悲しみや怒りに即して、それを体験または感じる人に完全同化してしまっているところだと思います。
長大な大交響曲を最後の光明にのみしか興味を見いだせない聴き方は間違いだと思います。
そこにいたる艱難を、音楽が充分にともにして、分かち合っているので、それを体と耳で感じとってこそ、最後の光が眩しく、また来る苦しみに立ち向かう力を得るのではないでしょうか。
そこで終わりではなく、まだまだ続く悲しみや困難がまだある。
それを最近は聴いてしまうようになってきた・・・・・。

あっ、すいません、チャイ5ですね。

ですから、この曲は、シンフォニックにかっちり演奏しても、旋律があふれ出てきますし、その旋律美にどっぷり埋没してしまうような演奏でも、聴く側を酔わしてしまう魅力を秘めているのです。
この曲とマーラーの1番は、同じ頃に作曲されました。
チャイコフスキーがもう少し長生きしていたら、マーラーもびっくりの、自己同化的かつ自然満載の自己陶酔てきな自在な交響曲が生まれていたのではないでしょうか・・・・。

そんなことをつらつらと思ってしまったスココフスキーの演奏。

ゲテモノじゃありません。ヘンタイでもありません。
最初はビックリしますが、これも愛すべきチャイ5なのです。

ブレーキとアクセルを巧みに使い分け、しかも最初は初心者マークの演奏のように、車酔いしてしまいそうな制動不能ぶりに感じる。
何度か聴いていくうちに、堂々と、至極平然と行われるご無体の数々が、いとも自然に受け入れられてくるから不思議だ。
これもチャイコフスキーの音楽の懐の深さだろう。
全楽章にわたって、そのスットコどっこい、スットコ節は聴かれます。

アゴーギクの天才のような1楽章は、吸って吐いて、はい止めて・・・・、うぅ苦しい、みたいな感じが、快感になる。
 やたらと歌いまくり、連綿たる抒情垂れ流しの第2楽章、スクリーンには胸かきむしったロシア女の豊満なおっきな胸と、窓の外の極寒の氷の世界が・・・・。
 ワルツがワルツになっていない、ぎくしゃくした舞曲はバレエの決めポーズが浮かぶくらいにストップがかかる。笑えてしまうが、妙に愛おしい。
 そして、ストレートな終楽章は、大胆なカットや、読み替えもふんだんに。
あれ?あれれ?と思うコーダ前と、拍手が地方都市では起きてしまうコーダの継ぎ目をなくして、音を被せてしまう。
堂々と、かつあっけらかんと進む最終場面は、まさかの省略もありながら、唖然とする結末に・・・・・・・

いやはや、録音当時84歳のストコフスキー。
恐るべし腕白ぶり。
音楽聴き始めのころ、ストコフスキーは70年代に入って第二期全盛時だったけれど、若いわたくしは、音楽評論を読んでたじろぎ、ろくに聴いてこなかった。
そして、ここ10年くらい、とても面白く感じるようになったストーキー。
普通じゃないけど、普通よりははるかに面白い!
こんな老人になりたい。
某クラシックを知らないと思われる販売店のCDコーナーで、日本語見出しが、「ストコウイスキー」になっていたのには感心した。
ほう、どんなウィスキーだろうか。
いい感じに酔いそうだな、と思ったものだ。

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2011年6月、神奈川フィルで聴いたチャイコフキーの5番

現田茂夫さんの指揮。

震災後の意気消沈気分を吹き飛ばすような晴れやかで美しい演奏だった。

神奈川フィルでまた聴きたいチャイ5。

もちろん現田さんでもう一度、それと、ゲッツェルさん、それから小泉さんあたりで

>6月5日、NHKの「おはよう日本」~首都圏で、「神奈川フィル」が取り上げられました。

ネットストリーミングでご覧になれますので、神奈川フィルの先日のヴェルディの演奏や、日頃の熱い活動や市民とのふれあいなどが描かれておりますので是非!

http://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/report/20130605.html  <

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コメント

はいはい、ストコフスキーのチャイコ5番、ありがとうございます。例によって私はこちらの演奏はSPレコードで所有し楽しんでいるのでございます。
SPレコード5枚で10面もかけてくれまして、ありがとうございます。実に勝手なルバートでとんでもないところでレコード面を変えてくださり感謝申し上げます。
ただし!
さまよえる様のご指摘のように、聞き慣れてくると、あーらフシギ!このルバートが一番正しく聞こえてくるように洗脳してくださりありがとうございます。
チャイコは時として演歌のように感じるのでございます。何度聴いてもあきない、どころか、ますます繰り返して聞きたくなってくるのでございます。
なんででしょうか。。。

投稿: モナコ命 | 2013年6月 6日 (木) 23時05分

ストコフスキーは素晴らしいですよね。私も、かつては悪しき先入観がありましたが、今は、とてもナチュラルな音楽づくり(もちろん、彼なりの)に思えます。

こばけんさんのチャイ5は三重県で2回も聴けました。どちらも新日フィルで・・・これはこれで、ものすごい演奏でした。生だったからよけいにそう思えたのかも知れません。彼のあの独特の雰囲気は録音では「誤解」を招く???とも言えそうです。

投稿: 親父りゅう | 2013年6月 6日 (木) 23時13分

モナコ命さん、こんばんは。
やりましたぞチャイコ5番。
SPでは5枚10面ですか。
忙しいけれど、面の切れ目が分かれ目ならぬ、継続性を感じさせる稀有のストコフスキーなのですね。

この演奏が持つ常習性は、洗脳ぶりも手伝ってアブナイです。
それもこれも、チャイコフスキーの罪深さでしょうか。
あの狂乱熱狂の4番、死にたくなるような6番と、乱痴気ぶりは幻想交響曲なみのマンフレッドと、チャイコさまの凄さは並大抵じゃありません。
まさにド演歌ですよね。
ニッポン人の心に響く音楽ゆえに、常習性が生まれるのだと思います。

投稿: yokochan | 2013年6月 6日 (木) 23時20分

親父りゅうさん、どうもこんばんは。
TBもありがとうございます。
まったく同感の内容にございました。

わたしも、ストコフスキーを別な耳で聴いてるような、そんな見直しをしてました。
かっちりした演奏は、正しく安全で心地いいのですが、天真爛漫ともいえるストーキー演奏にも、魅力を感じるようになってます。

こばけんは、きっと聴いたらはまっちゃうんだろうと思います。ゆえに避けているのかも・・・・・。
でも、ハンガリー時代の演奏などを聴いてみたいと思ったりもしております。

投稿: yokochan | 2013年6月 6日 (木) 23時26分

 今晩は。チャイコの交響曲、5,6番は変化球で行くと仰っていましたが、ストコフスキーでしたか!彼のチャイコ5番は未聴です。ストコはあまり沢山聴いていませんが好きな指揮者の一人ですね。1972年にチェコフィルを指揮したバッハ・トランスクリプションズは世紀の名盤だと思っています。特にパッサカリアとフーガは編曲も演奏も本当に凄いです。私は、自分が死んだらこの曲、この演奏を葬式で流してほしいと思っているほどなのです。チャイコ5番は同じストコ編曲の展覧会の絵とカップリングされた盤が廉価で入手できるはずなので是非とも聴いてみたいです。昔はストコを貶すことで高級クラシックファンを気取るスノッブもいたようですが、ここ20年ほどの間は日本でもストコの芸術を真摯に研究し、受け止めようという動きが出ているようですね。日本ストコフスキー協会なんてものがあるようですし。困ったことは聴きもしないでストコを「バッハのヘンな編曲と演奏ばっかりやってた奴」などと決めつける御仁がいまだにいることです。私はこういうのには本当に腹が立つのです。自分の耳で聴き、自分のハートで本当にストコがそういう音楽家だったのか確かめるべきです。KiKi様のブログでも書かせていただきましたが、坂の上の雲をドラマも見ず、司馬さんの原作も読まずして「右翼ドラマ」だの「軍国主義礼賛作品」だのと決めてかかっている人たちに通じるものがありますね。長文失礼いたしました。

投稿: 越後のオックス | 2013年6月 7日 (金) 01時15分

ストコフスキーは、この曲の聴かせ所を良く把握していて強調して演奏しているので、一緒にのめりこめる録音だと思います。
でも、5番は曲が良く出来ているので、強調せずそのまま演奏した方が好きです。

投稿: faurebrahms | 2013年6月 7日 (金) 07時09分

越後のオックスさん、こんにちは。
ストコフスキーは、実はクラシック聴き始めにレコードを持っていました。
EMIじゃないキャピタル盤で、ドビュッシーのイベリアを中心とするフランスものでした。
聴き比べなんてできないので、当時はストコフスキーは普通に聴いてました。
しかし、音楽マニアになってゆくと、遠ざかってしまった。みなさん、そんな感じなのではないでしょうか。
いまにして聴くと、ほんとうに新鮮です。
そして、そうですね、バッハはいいですね。
ご指摘のとおり、とくにいまはネット中評論だらけですので、聴かずして、読まずして、その気になるというのも無理からぬこと。
でも、必ず自分で確かめるということは肝に銘じるべきですね。

投稿: yokochan | 2013年6月 8日 (土) 13時05分

faurebrahmsさん、こんにちは。
ストコフスキーの心憎い演出は、ときとして鼻に付きすぎますが、それがマゼールのようないやらしさを伴わないところがいいです。
たしかに、5番の場合は、その音楽そのものが完全ですね。
しかし、面白い演奏でした。

投稿: yokochan | 2013年6月 8日 (土) 13時14分

今晩は、よこちゃん様。 私とストコフスキーとの出逢いは、指揮者としてではなく俳優としてなんですよね~。 映画「オーケストラの少女」での指揮者役。実際の指揮者で本人役をやっているとは知らなかったので、とっても指揮の上手い俳優さんなんだと思いました。母が子供の頃祖母に連れられて行った映画で、テレビ放映の際に半ば強制的に見せられたのですが、私も子供ながら面白くて夢中でテレビにかじりついていました。ドキドキハラハラの後の階段でのハンガリアンラプソディーの演奏に自然に身体が動いたストコフスキーとディアナ・ダービンの愛らしさ。 素晴らしい映画でした。ストコ氏が俳優にしても良いくらいハンサムでしたし…
で、これから本題。番長三浦大輔…生涯ベイスターズ三浦宣言してくれたんですね。 もしかしたらベイ以外のチームだったら200勝してるかもしれない番長… その男気に涙です。頼むから番長の登板の時に打ってくれ~!切に祈るワタクシなのです。三浦大輔バンザイ

投稿: ONE ON ONE | 2013年6月 8日 (土) 22時13分

ONE ON ONEさん、こんばんは。
お返し遅くなってしまいました。
まず、番長の男気に100点。
Gに行ったMクンはお悩み中のなか、貫くという行為の美しさを感じ入ります。
しかし、あまりに無念1勝11敗。
大敗はしてないのに、今一歩のつのるイライラ感。
これって、役者は違えど、思えば毎年のジレンマに陥りつつあります。
しかし、静観するしかないです。

そして、スココフスキーさま。
指揮棒を持たない姿の美しさはピカイチでしたね。
わたしも、オーケストラの少女見ましたよ。
白馬の王子さまみたい。
アメリカン・ドリーム真っ盛り。
いまは昔、日本が夢見たアメリカでしたね。
懐かしい~

投稿: yokochan | 2013年6月 9日 (日) 23時58分

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