祝クラウディオ・アバド80歳!
今日、6月26日は、わたしの敬愛するクラウディオ・アバドの80回目の誕生日。
80歳の今年、アバドは7年ぶりに日本にやってくる。
何度も恐縮ですが、ワーグナー・ヴェルディ・ブリテンのアニヴァーサリーに加えて、アバドの来訪、そして佐村河内演奏会数回、加えて神奈川フィルの存続決定ならびに躍動と、2013年は音楽ファンのなかでも、わたくしは特に極めて盛り上がりを見せているのでございます。
画像は、先だって、都内でクラヲタ紳士淑女の集まりがあったのですが、アニヴァーサリーに乗じて、ワタクシ、こんな花束を戴いちゃいました。
ありがとうございます!
そして、アバドの80歳の誕生日にもかけまして、ありがとう。
薔薇と酒、いやはや、音楽生活ここに尽きます。
アバドの指揮した、ワーグナーとヴェルディを今宵は聴いて、マエストロ・アバドのますますの健勝と無事の来日、そしていつまでもピュアな音楽を紡いでいただきたく、ここにこの記事を捧げたいと思います。
「ワーグナー ガラ 1993 ベルリン」
タンホイザー、ローエングリン、マイスタージンガー、ワルキューレ
ステューダー、マイアー、イエルサレム、ターフェル
クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1993.12.31 @ベルリン)
カラヤンの時代はどちらかというと名曲パレードだったけれど、アバドになってからは、毎年、テーマを定めての関連付けの知的なコンサートになったジルヴェスター。
後任のラトルも、その路線を引き継ぎ、ラテンやアメリカに偏重するきらいはあるものの、ますます刺激的に、かつ渋くなって行くジルヴェスター。
ラトルは下積みの頃、アバドやハイティンクから学ぶことも多かったので、バーミンガムでの成功は、ラトルの才能+アバドからの影響とも思っております。
カラヤンの影がすっかりなくなったベルリンに難なく着地できたのもアバドの引いた路線のおかげとも言っていい。
レパートリーであった「ローエングリン」以外の曲目が初めて聴けた、新鮮なアバドのワーグナー演奏が93年のジルヴェスター。
大晦日の晩、NHKのライブ放送を文字通り正座しながら聴いた20年前の年。
脂肪分のまったくないピュアで透明感に満ち溢れたアバドのこのワーグナーは、それまでのワーグナー演奏とはまったく違って聴こえた。
わたしには、クライバーのさらに先を行く進化系にも思われた。
ワーグナーにこのような歌を聴こうとは。
ラテン系のものと簡単に片づけられない、それはどこまでも澄んで聴こえる明晰さと、自発性ゆえに、音の一音一音がおのずと語りだすように感じられたのです。
ジークムントがノートゥンクを引き抜くときの劇的な高揚感が、こうにも美しく、哀しく響くのはこのアバドが唯一です。
2度目の記事となりますが、いまこうして聴いてもその印象は変わりません。
アバドのワーグナーは、その後、病を克服した2000年の「トリスタンとイゾルデ」の公演にそのすべてが集約され、わたくしの生涯忘れえぬ思い出となっているのでした。
「ヴェルディ ガラ 2000 ベルリン」
仮面舞踏会、、ドン・カルロ、リゴレット、ラ・トラヴィアータ、ファルスタッフ
ロスト、ヴァルガス、タイトス、ガッロ、コチュルガ、ディアドコヴァ、ドゥフェキス
レミージョ、ファチーニ、フュトラル ほか
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ放送合唱団
(2000.12.31@ベルリン)
2000年のジルヴェスターはヴェルディ特集。
それも、アリアばかりのガラ路線じゃなくって、オペラの場をそのままコンサート形式に再現したもので、アリアもあるが、重唱やフィナーレもあるといった具合に、そのオペラの片鱗をそこそこに味わえるもの。
てんでに選ばれた選曲でもなく、きっと「笑い」がテーマになっていると思わせます。
嫁を寝とられたとの嘲笑とオスカルの能天気なコロラトゥーラによる笑。
明るい女王の舞曲、伯爵の高笑い、乾杯の楽しさと、ヴィオレッタの幸せ絶頂の笑い。
そして、「世の中すべて冗談」の決めセリフのファルスタッフ。
ほんとに、よく考えられていて感心してしまう。
この演奏の数か月前に、文化会館に現れた、頬のこけて痩せ細ってしまったアバドに衝撃を受けたけれど、ひとたびタクトを握ると、まるで阿修羅のような鬼気迫る様相と化し、異常な集中力を見せてくれた。
こちらの映像でも、最初は緊張の面持ちで、数か月前のあの晩のアバドがそこにありますが、曲が進めば、たちどころにそこはアバドのヴェルディ。
流れるような流麗な指揮で、その指揮棒の先から音符がひとつひとつ音になって降り注いでくるかのように、ヴェルディと血肉化してしまう。
時に笑みを浮かべ、ベルリンフィルと歌手たちをたちどころに夢中にさせて、自然な音楽の流れとヴェルディの歌とドラマティックな展開にと巻き込んでしまうアバド。
この微笑みに、わたしたちアバドファンはずっと魅了されてきたのです。
今年、日本でまたこの微笑みに会えるのだと思うと胸が高鳴り、一方でこれが最後では、という不安と焦燥にも見舞われます。
しかし、アバドのヴェルディはやはり素晴らしく、天然純正さを感じさせてくれます。
アバドのヴェルディは、忘れもしない、スカラ座との「シモン・ボッカネグラ」。
照明を落とした文化会館の壁にアバドの指揮姿のシルエットが映し出され、N響とはおよびもつかない深々とした本物のヴェルディ・サウンドをその最初の一音から聴かせ、度肝を抜かせてくれた。
「完璧なヴェルディ」とは、今も昔も、あの晩をおいてほかにないと思っています。
アバドと「トリスタン」と「シモン」、「ルツェルン・マーラー6」。この3つは、わたくしが墓場まで持っていく、きっと生涯最高最大の音楽体験です。
もうひとつ追加あるでしょうか。
さて、アンコールは、J・シュトラウスの「仮面舞踏会のカドリーユ」です。
シュトラウスが、このコンサートでも演奏された笑いの重唱とオスカルの歌を編曲し、交互に登場させながら、徐々にスピードを上げながら盛りあげてゆくアップテンポのめちゃくちゃ盛り上がる曲です。
ベルリン・フィルは必死と見せつつ、余裕の演奏で、笑いながら指揮するアバドにぴったりとついて行きます。
アバドとベルリン・フィルが堅い絆で結ばれた年でもあります。
この曲には、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート1988盤もありまして、そちらのアバドもより若々しく、ウィーンの丸っこい響きが転がるようにして聴かれる楽しい演奏です。
あぁ、懐かしいな。
ということで、マエストロ・クラウディオ。
お誕生日おめでとうございます
ますます、お元気で
乾杯
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コメント
はじめまして、Gijyouと申します。
93年のベルリンフィル・ワーグナー・ガラを見て、すっかり嬉しくなって初コメントをさせていただきます。
何を隠そう、これは私が新婚旅行でベルリンを訪れた時に聴いた、初アバド、初ベルリンフィルだった演奏会です。初っ端のタンホイザー序曲での、弦内声部の凄まじい弾きっぷりにまず圧倒され、このタンホイザー序曲が私にとって未だにデフォルトとなっています。
ステューダーとイェルザレムはすでに盛りを過ぎていましたが、全盛期のマイヤーを聴けたこととターフェルを発見できたことは大変嬉しかったです。
マイヤーとイェルザレムによるワルキューレの二重唱も手に汗を握って聴いておりました。
このCDは私の宝物のひとつです。
投稿: Gijyou | 2013年6月27日 (木) 07時26分
アバド卿も80歳になったんですね。高齢の指揮者というと晩年のベーム、カラヤン、バーンスタイン、マタチッチ、シノーポリ(晩年でもなかったけど)、クライバー、スイトナー、オーマンディー、ショルティを思い出す。って、、、みんな故人ばかりであることに気がつく!
アバド卿も26日で80歳なんですね。今初めて知りました。こうなると長生きも芸のうちという言葉の重さを思い知ります。
ローエングリンといえば、大学卒業したてで、当然まだ独身で、社会人デビューの1年目に無謀にも演劇用に台本を書きかえて、レコード(クーベリック盤)をBGMにしてステージ発表した想い出があります。なつかしくも恥ずかしくも大切な想い出の1ページなのです。
1幕の前奏曲で聖杯の説明をスクリーン画像と一緒にしました。演劇は台詞だてなのですが、ワグナーの台本があるにもかかわらず、大変苦労してテキストを書いた記憶があります。
今、着々と偉い人達が物故した年齢に近づいて来ているのですが、アノ当時のまま何も進歩も成長もしていない自分に気がつく。いかんいかん。何かやらないと、何かやりとげよう、と思いながら毎日を過ごしています。
投稿: モナコ命 | 2013年6月27日 (木) 20時31分
Gijyouさん、こちらこそはじめまして。
わたしにとっても、アバドのワーグナーということで、最も大切な1枚ですが、あの日、あの場にいらっしゃったということをお聴きし、羨ましく、そして遠い日本ではありますが、放送を通じて同じ時間を過ごせたということに、大いなる共感を覚えます。
ともかく、最初のタンホイザーからしてすごいですよね。
あと個人的には、マイスタージンガーがアバドの資質にもあっていて、病に倒れなければもしかしたら実現していた全曲上演なのです。
そして、ワルキューレも素晴らしいですね。
昨夜は、3度も聴いてしまいました。
NHK放送のビデオを私家盤DVDにしてありますが、こちらは正規映像が早く欲しいところです。
コメントどうもありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2013年6月27日 (木) 23時21分
モナコ命さん、こんばんは。
アバドは、胃癌を克服して、死の狭間を通して、完全に次元の異なる音楽家の高みに達した感がありますが、人懐こさと若々しさ、謙虚さは相変わらずです。
従来の巨匠より、きっとずっと現役で、変わりなく活躍するような生き様に思います。
しかし、もんだいは聴くこちら側でして、アバド様に添いとげることが難しいやもしれません。
モナコ命さんの、ローエングリン演劇のお話。
なんだかとってもイマジネーションが湧きます。
いい仕事してるjyないですか。
しがない会社員に身をやつし、そのごスピンアウトして放浪の身。
わたくしも同様、先が見えてまいりまして、進化するアバド様の足元にも及ばない停滞ぶりにございますよ。
お互い、精進いたしましょう。
投稿: yokochan | 2013年6月27日 (木) 23時31分