ヘンデル 「ディクィスト・ドミヌス(主は言われた)」 ミンコフスキ指揮
夕陽を浴びる教会。
こちらは、プロテスタント系でシンプルで清楚な趣き。
手前が幼稚園で、わたくしはこちらでお世話になりました。
もうかれこれ、半世紀近く前ですが、いまだに同じ海からほど近い、潮騒の聞こえる場所にあります。
どちらもかつては、こんなに立派な建物ではなかった。
木造のギシギシ系で、当時の印象では園庭も広くて、もっと広大な場所に感じてました。
半世紀も経つと、自分の尺度が大幅に変化して、同じここが、猫の額みたいに思えてしまうところが、悲しくも懐かしくあるところ。
ここで、園児たちの宗教劇が行われてましたが、いまはどうでしょうか。
わたくしは、イエス降誕を見にきた貧しい人々その3、ぐらいの役割で、あたまに唐草の風呂敷をかぶって演技しました。
ですから、いまでも、唐草風呂敷をかぶることには抵抗はありません・・・。
あ、いや、わたし、泥棒さんじゃありませぬよ。
ただ、子供心に、イエスのこととかを、身近に感じて過ごしましたし、麗しき思い出もたくさん生まれたことは、生涯忘れえぬことなのですから。
ヘンデルの音楽を知ったのは、学校時代の「ハレルヤ・コーラス」や「水上の音楽」なのですが、自主的に音楽を聴き始めてふたたび巡りあったヘンデルは、そう、「メサイア」なのですね。
ヘンデル 「ディクスト・ドミヌス」~主は言われり
マレク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジュシャン・ドゥ・ルーヴル
(1998.6 @オリヴィエ・メシアン・ホール、フランス放送局、パリ)
もしかしたら多くの方にご賛同いただけるのが、ヘンデルのメサイアが、バロック音楽への窓口。
バッハにはリヒターという厳格きわまりない番人がいて、イタリア系バロックはイ・ムジチがイコールで四季しかない。
しかし、メサイアには、そんな垣根が一切なくって、わたくしはデイヴィスとロンドン響の初回録音のものをFMで聴いて、一気に好きになった。
当時、ハープシコードすら珍しげに聴いた田舎育ちのわたくし。
チンチロと華奢になるハープシコードの音色に魅せられ、メサイアを聴いたものだった。
それ以降のメサイア遍歴は、さしたるものでなく、ヘンデル自体への興味もそんなでもなく、今日に至っているわけです。
ヘンデルの作品をたくさんお聴きになり、素晴らしいサイトをお造りの方々には本当に頭がさがりますし、一方で、ヘンデル初心者のわたくしを叱らないでいただきたいです。
1685~1759年の生没年のヘンデルは、生粋のドイツ人でありながら、イギリスに安住し死を迎えることになる、作曲家兼教師兼、多彩な才能の持ち主の人材だった。
本作は、ヘンデルが22歳のとき、1707年に、イタリア各地を勉学を兼ねて巡業中に作曲された。
内容は聖句も含めて、きっぱりと決然とした表現にあふれていて、ブレや迷いが一切ない。
これだけ一本義のストレート音楽は、ヘンデルにはほかにないのではないでしょうか。
旧約聖書の詩篇110(ないしは109)からとられたこの作品は、生真面目感と陶酔的なわが信じる神への帰依が描かれていて、なにもそんなに一生懸命、と思わなくもありませんが、ヘンデルの若さゆえに微笑ましくも思える音楽でもあるんです。
ずっと後年の「メサイア」の緩急・硬軟の自在感からしたら、よっぽど背筋が伸びてしまう音楽なのですが、ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャンの柔軟な解釈からしたら、ヘンデルのそのあたりのシリアス感が英国的大らかさ、仏国的お洒落感によって、味わいをましていて、教条的な堅苦しさを一切感じませなんだ。
ミンコフさんの若い演奏ですが、その頃から、この方、先鋭さが丸く、いい形で着地する稀有の才能をお持ちだったと思うのであります。
横浜三塔のひとつ、税関本館。
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