ワーグナー 「ラインの黄金」 ヤノフスキ指揮
竹芝から見たお台場方面。夕刻どき。
海底トンネルの首都高も、こうした橋の首都高も、東京を無尽に走る高速は、運転するのも気持ちいいですが、同乗者として景色を眺めて過ごしたいもの。
誰か運転してくれい!
あの橋を芝浦からお台場まで徒歩で走破するのもまた楽しいけれど、ちょっとの恐怖と隣り合わせ。
どちらかというと飛行機以外の高いところ苦手なもので。
ワーグナー 楽劇「ラインの黄金」
ウォータン:トマシュ・コネチュニ
ドンナー:アントニオ・ヤン
フロー :コル=ヤン・デッセリエ
ローゲ:クリスティアン・エルスナー
フリッカ:イリス・フェリミリオン
フライア:リカルダ・メルベト
エルダ :マリア・ラドナー
ファゾルト:ギュンター・クロイスベック
ファフナー:ティモ・リーホネン
アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー
ミーメ :アンドレアス・コンラット
ウォークリンデ:ユリア・ボルヒェルト
ウェルグンデ:カタリーナ・カンマーローハー
フロースヒルデ:キズマラ・ペッサッティ
マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団
(2012.11.22@フィルハーモニー、ベルリン)
ワーグナーの主要作品サイクル聴き。
もう何度もやってますが、アニヴァーサリーの今年のサイクルは自分でも思い出に残るようにしたいもの。
年内に2回のサイクル予定ですが、もう上半期も終ろうとしてまして、ちょっと焦りを覚えます。ヴェルディとブリテンもやってますので、大計画ぶち上げ過ぎましたか。
いよいよ、「リング」始めます。
舞台祭典劇「ニーベルングの指環」4部作、序夜「ラインの黄金」の音源は、ワーグナー主要作品の演奏会形式上演とライブ録音をこの5月に成し遂げたマレク・ヤノフスキの指揮で。
作曲年代の対比
「ローエングリン」 1846~48年
「ラインの黄金」 1853~54年
「ワルキューレ」 1854~56年
「ジークフリート」 1856~71年
「トリスタンとイゾルデ」 1857~59年
「マイスタージンガー」 1862~67年
「神々の黄昏」 1869~74年
番号歌劇の形式に決裂し、事実上、楽劇(ドラマ・ムジーク)に近づいたローエングリンのロマンティシズムの権化ともいうべき清らかな和音から、原初の響きともいうべき変ホの低弦による持続音とそこから派生する8本のホルンによる「生成の動機」への変化は、ワーグナーの音楽の作風の中で、一番大きな変化と劇的な進化であります。
上記年史にみる「ローエングリン」と「ラインの黄金」との間隔は5年。
その5年間、ワーグナーは構想中の「ニーベルングの指環」の台本製作に没頭し、自身の楽劇論をいくつかの著作を書いて展開したほか、悪名高いユダヤ人非難論をも「音楽におけるユダヤ主義」という論文も匿名ながら発表したりして、文筆活動にふけった年月である。
そして作曲面で遂げた進化とともに、自身の音楽論で武装されて作り上げたドラマもまたかつてなく、そして途方もない世界だった。
「ジークフリートの死」から書き始めた物語と台本は、だんだんと枝葉が増えてゆき、説明を足しながら物語を追加し、遡るようにして「ラインの黄金」へとたどり着いた。
作曲は、当然に「ラインの黄金」からスタートするので、書いたばかりの台本と音楽がその時の新鮮な思いのままに反映されているわけで、以前の新国の上演パンフでそれを指摘されて、ハタと膝を打った次第なんです。
「神々の黄昏」の完成年度と、台本完成の間には、24年もの年月があるのです。
もちろん、ワーグナーのことだから、台本には始終、手を入れていたことでしょうが、構想から最終完成まで35年あまりを費やしたワーグナーの完遂能力と強固な意志がいかに並はずれていたかがわかります。
これまでのオペラの物語にあった、たわいない恋愛物語や、史劇、自身もものした伝説や神話。こうした物語たちから、ワーグナーの「リング」の物語は神話の世界にありながら、完全に違う領域にあるものといっていい。
それは、一言では言い切れないものなれど、きれいごとでない、人間存在の醜さをえぐり出していること、それにつきます。
そのためには、神様である連中を俗物的に、しかも長、ウォータンを負の存在のように浮き彫りにしてしまったこと。そんな彼が娘への愛情を連綿と吐露しつつも、愛を捨てるという宿命から逃れることができなかったゆえに自滅する神々の存在。
リングに描かれた痛い登場人物の代表の一例です。
ともかく、みんな自我の赴くままにふるまい、自分とその一族がやがて壊滅してゆく。
こんなに、エグイ、本能的なまでの行動と、そののちの因果応報たる滅亡。
どんな時代でも、共感をえられる共通概念。
そしてワーグナーの描き出した物語と音楽は、当時の通念を超えて、200年経った今でも、人々に訴えかける力を持ち続けているのです。
「ラインの黄金」を40歳を超えたあたりの、もっとも過激な人間が勢いよくかいた作品としてとらえること。
しかも1幕物としては、もしかしたら最長の2時間30分の劇作品を書いた人物としても捉えた場合のワーグナーの破天荒偉大ぶりも注目しなくてはなりません。
そんな思いをいまさらながらに描いたのは、ヤノフスキのこのCDのオーケストラ演奏が、実に鮮烈であるからなのです。
ショルティ&カールショウの「ラインの黄金」から早や55年。
伝説と化す経年ぶりですが、それは今でも鮮明でリアルな録音であります。
その後のリングは、スタジオ録音から、いまは多くのオペラがそうであるように、ライブで、かつ映像を伴うものに主体を変えつつあります。
しかし、このヤノフスキ盤はライブでありながら、オーケストラがピットに入らないオン・ステージ上演であるため、迫真のそのオーケストラの演奏ぶりをまともに録音が捉えていて、ワーグナーの音楽のものすごさを眼前に楽しむことができるのであります。
しかも、ホールはベルリンのフィルハーモニーザール。
響きの豊かさ、レスポンスの高さ、音のリアリティでも完璧なこのホールに座っているかのような感じ。
うなりをあげる低弦は、ずんずん響いてくるし、松脂が飛び散る感じ。
ブラスも重奏しても分離が豊かで、しかも耳のそばに聴こえるし、黄金賛美のトランペットもぶれなく聴こえる。
弦楽器は艶がよく、どこまでも伸びがよろしい。
そして、地下世界への出入りにギンシャラ鳴る金床、ニーベルハイムの絶叫、ドンナーの槌、雷のティンパニ、などなど、他盤ではヒヤヒヤしながら再生することになるこれらの場面も、音を上げていても難なく再生できる。
しかも、私の装置は、35年物のロートルだし、ヘッドホンですよ。
細心のシステムで聴いたらさぞかし・・・・・・・。
夢のような別世界がさらに広がるのでしょうな。
ペンタトーンレーベルの定評ある録音ばかり誉めてしまいましたが、ヤノフスキの作り出すワーグナー音楽は、このシリーズにおいて、かつてのヤノフスキのリングが「ドレスデンのリング」と呼ばれたのとは、まったく次元を異にして、「ヤノフスキのワーグナー」そして「ヤノフスキのリング」がついに始動したことを確信させます。
ヤノフスキらしい快速テンポ。
しかし、音の堀りさげは深く、ライトモティーフの一つ一つに長い経験の積み重ねともいえる味わいがうかがえる。
ときにある、そっけなさも、きっとヤノフスキが達した境地のひとつと思えるくらいに感じちゃう。
往年のワーグナー指揮者を聴き親しんだ耳からすると、濃淡は浅いし、さっと通り過ぎる部分などもってのほかと思われるかもしれないが、いまの時代に即した演奏の精度の極上の高さはとても魅力的で、作為のまったく感じられないナチュラルなワーグナー表現として、わたくしは最高得点を与えたいと思います。
ヤノフスキもかつては、ハイティンクのように、オケは立派だけどと、無能のように呼ばれた時代がありましたが、じっくり・ビルダー型のヤノフスキは、いまやかつての東独ベルリンの放送管弦楽団やスイス・ロマンドを反応の鋭い、鋭敏オケに変えてしまったように感じます。
いずれ記事にしたいと思いますが、スイス・ロマンドとのブルックナーやピッツバーグとのシュトラウスは素晴らしいものです。
この優秀録音は、オケもそうですが、歌手の歌声も可不足なく、完全にとらえてます。
当然に演技が伴わない分、歌のみ注力した歌手たちのその精度も高いです。
今現在、各処で活躍する旬の歌い手たちは魅力的です。
ただ、わたしの好みでは好悪がはっきりします。
ウォータンを歌う、コネチュニは、ポーランド出身、ウィーンを中心にウォータンで活躍中。
数年前に新日フィルのコンサート・オペラで来日し、ローエングリンのハインリヒを歌ったのを聴いたことがありますが、その時の印象では歌は立派だが、声質がアルベリヒやクリングゾルと本ブログでも書いたことがあります。
それは、ウォータンを歌うこちらでも一緒の印象で、アルベリヒと一緒、いやアルベリヒのように狡猾に歌うウォータンに感じられました。
このイメージのまま、「ワルキューレ」に行くようだと、私的には?です。
かつてのカラヤン盤で、FDが知能犯的なこずるいウォータンを歌ったわけだが、ラインゴールドのウォータンには、そうした若気の横暴な過ちも必要なことから、はまっていた。
そうした解釈からすると、どこか怪しい、粘っこい表現はウォータンのギラギラしたイメージにも符合します。
悟りや諦めを覚えてゆくワルキューレやさすらい人では、どうだろう。
それ以外の歌手は、もう完璧。
ローゲのきりりとしたかっこいいエルスナー。
同じように背筋の伸びたフェルミリオンのフリッカに、ジークリンデのように夢中が可愛いメルベトのフライア。
なんで殺されるか不合理な凛々しいクロイスベック。
シュメッケンベッヒャーは聴くからにアルベリヒそのもの。
このように、時代は次から次に、新しいワーグナー歌手を生みだしてくるわけで、それもワーグナーの音楽が不滅であることの証し。
なんだか誉め尽くしのライン・ゴールド。
「ワルキューレ」をどうしようか考え中なのも、リングの楽しみ。
「ラインの黄金」過去記事
「ショルティ ウィーンフィル」
「バレンボイム バイロイト」
「トーキョーリング 新国立歌劇場」
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コメント
ヤノフスキのラインですね。私の手元にあるヤノフスキのCDは1981年の8月録音のものです。写真を見ると、まだヤノフスキーの頭のフチっていうかリングに髪が残っている時代のものです。ある意味、ヤノフスキーの髪の毛がリング時代のリングです。テオアダムとかイエルサレムとかクルトモルとか偉い歌手がいっぱいいたころの時代の録音です。さまよえる様のリングは、おそらくヤノフスキーが「ツルッ^^」ってなったリングと思われます。
知らない歌手が勢揃い!すごいよ。。去年のじゃん!へんてこな演出で歌ってるときのですよね?聴きたいような、聴きたくないような^^;でも後で聴いてみますね。いつもベームやショルティ、カラヤンだけじゃダメ!ってさまよえる様が笑顔で&無言で私を叱咤してくれています。
私も少しずつ変わるようにがんばります^^
投稿: モナコ命 | 2013年6月17日 (月) 22時24分
モナコ命さん、こんばんは。
毎度お世話になります!
わたくしも、フチ時代のヤノフスキのドレスデンリングはすり減るほどに聴いてきました。
しかし、こちらのツル時代のヤノフスキのリングは、本当に彼の積み上げた個性であり、素晴らしいです。
で、録音は、オーケストラライブなのですよ。
ですから、もうむちゃくちゃ音がリアルで近いわけでして、しかもこのレーベルは、旧フィリップス時代を支えた人が作り上げたものですので、往年の名録音を思わせる圧倒的な素晴らしさなのですよ。
ここまで誉め尽くしちゃって、欲望に火を付けるようですんません。
目からウロコの音の良さでしたもんで。
で、そうですね、わたくしも、脱往年演奏家をなんとかしようと思っているリング・チクルスなのです。
映像時代になると指揮者が小ぶりなものですからね。
投稿: yokochan | 2013年6月18日 (火) 23時01分