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2013年6月12日 (水)

ジークフリート・ワーグナー 交響曲 アルベルト指揮

Oiso

新緑のなか、ボールを真っすぐに打ち込みたい。

とかいいながら、もうゴルフは何十年もご無沙汰。

亡父がゴルフ大好きで、学生時代に手ほどきを受けて、何故か大学の一般教養の体育の授業でゴルフもあったり、その後は会社人のたしなみとしてそこそこやりました。

が、いまは昔。クラブも握らなくなってしまいました。

お散歩中に潜入した大磯のプリンスゴルフクラブ。

高麗山あたりに向かって打ち込むコース。

Oiso2

こちらは、その反対側、海のコースは、相模湾に西湘バイパス。

気持ちよさそうだなぁ。

ゴルフとは縁遠い生活。いまでは、ここにテーブル出して、好きな本と好きな音楽を聴きながらビールやワインを飲みたい自分。

これじゃだめじゃん、あかんですな。

Siegfried_wagner_sym

  ジークフリート・ワーグナー 交響曲ハ長調

     ウェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮

          ライン・プファルツ州立フィルハーモニー

              (1997.6 @ファルツバウ、ルートヴィヒスハーフェン)


リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)の息子ジークフリート・ワーグナー(1869~1930)の交響曲。

ワーグナーの2度目の妻である、コジマとの間に生まれた長男。
おじいさんは、フランツ・リスト。
親父ワーグナー56歳の時の息子は、本当に可愛かったに違いない。
愛する寵児に英雄ジークフリートの名前を付ける親ばか。
その前の長女にはイゾルデ、妹の二女にはエヴァですから。

親父の七光はあったのか、なかったのか。
完全に埋もれてしまったその音楽作品。
むしろ、バイロイト音楽祭を母コジマとともに守りぬき継承した、劇場運営力と父の作品を指揮する高い能力と演出の世界に革新をもたらす萌芽。こうした才能も光る息子のジークフリートは、ともかくある意味、親父の血を引くことのない、「とてつもなくいい人」だった。

過去のオペラアリア集での記事から、以下引用して貼り付けておきます。

>親父は、息子に音楽の道を進ませなかった。
イタリアには家族で始終行っていたし、ギリシア語も学んでいたから、おのずと建築家を志すようになったという。
でも、さすがに音楽家の素養は隠しきれず、イタリアにいたことからヴェルディの旋律を口ずさんだり、爺さんのリストの前で歌ったりとしたらしいし、フンパーディンクに学んだりもしている。

本格的に音楽家になろうと決意したのは、父が亡くなってから9年あまりたってから。
23歳のことだから、これまた凡人ではなしえないこと。
オペラ通いに熱を注ぎ、一方で裕福だったものだから、友人の商船で東南アジアなどにも長旅をしていた。そのとき、シンガポールの街中で、何故かバッハの「ヨハネ受難曲」を耳にして、電撃的な感銘を受けて、音楽家転向の決心をしたという。
なんだか、まるで作り話みたいだけど、ほんとの話。

やがて指揮者としてデビューし、父の作品の解釈者として一流の存在となり、同時に、自身で台本を書き、オペラの作曲も始める。
その数、19作品sign03

 むしろ、ジークフリートの功績は、劇場の近代的運営といまにつながるワーグナー演出を打ち立てたことにある。
母コジマを補佐しつつ、バイロイト音楽祭を盛り立て、母が引退後は、総監督として指揮も行いつつ、民間の劇場としてのバイロイトを軌道に乗せた。
演出面でも、具象的だが平面的・絵画的であった装置を、三次元の様式(アッピアの理論)に高め、光の効果的な使用なども実践し、これは戦後の新バイロイトにいずれつながる流れとなっている。

作曲家・指揮者・演出家・劇場運営者と、マルチな才能を発揮したジークフリートは、まさにオペラの人になるべくして生まれたわけであります。<

19のオペラ以外は、管弦楽作品や室内作品など。

親父のオペラを愛する、ワグネリアンを標榜するわたくしとしては、息子のオペラにも触手を伸ばさないわけにはいかない。
少ない音源から3つだけ入手して、ときおり聴いてるけれど、独語テキストで英訳すらないものもあり往生している。
何度も聴いて、耳になじませるようにしているが、どうも捉えどころがなく、曖昧とした遠い存在なのだ。
でも、いつかは記事にしてみたい。

アリア集も3枚持ってますが、それ以外で聴きやすいのは、やはり管弦楽作品。
オペラ序曲集と、本日の交響曲であります。

ジークフリートは61歳で早死にしてしまうので、この交響曲が書かれた1925年はその生涯を見た場合に晩年の作品となりますが、筆の早かった彼としても最充実気のものといえます。
この年を見た場合、ドイツではナチスが台頭を始め、ヒトラーは「わが闘争」をものしたころ。イタリアではムッソリーニ政権が登場、日本もだんだんときな臭くなっていくころ。
音楽の同時代人たちは、マーラーはもうすでに亡く、プッチーニも前年に死去、新ウィーン楽派が活躍、同様にR・シュトラウスも全盛。
この歴史と対比すると、いかにジークフリートが、保守的で親父の中期くらいの活躍期に逆戻りしてしまっている音楽を残したことがよくわかるというもの。
親父ワーグナーの後継者としてみても、R・シュトラウスというよりは、独ジングシュピールやメルヘンオペラの世界のフンパーディンクの作風により近い。

ですから、政情も国情も危うくなっていたのに限らず、ジークフリートの音楽には、古きドイツの森や動物の自然や、人々の大らかな営みを感じさせる、緩い系のほのぼの感があふれてます。実際にそのオペラはそんなファンタジーが盛り盛り。
そのあたりが、起伏が少なく雄弁性も少なめと感じる由縁で、どこまでもイマイチ感がつきまとうところなのです。
しかし、そこがまたジークフリートのいいところで、かの大「ジークフリート」たる楽劇の方の主人公のように愛すべき、誰からも好かれるいい人ぶりが、音楽ににじみ出ているのでありまして、強烈な個性で嫌なヤツだった親父からは、こうした好人物が往々にして生れてくるという人生のひとつのパターンなのでしょう。

親父の強烈個性は、意外にもジークフリートの嫁ヴィニフレットが引き継ぎ、ナチスとの関係も劇場と一族のために結ばざるをえなかったことになるのです。
かれらの息子と娘は4人。
ヴィーラントとウォルフガンク兄弟についてはもう申すまでもないですね。
兄ヴィーラントはまぎれもない天才肌だったが早世してしまい、後を継いだのが劇場運営にたけたウォルフガンク。
この弟の方に、ジークフリートに近いものを感じますが、かれも自分の血族をワーグナー家の本流とし、兄方の子供たちは皆、名前を聞かなくなってしまった。
そして、ウォルフガンク亡きあとは、異母姉妹のエヴァとカタリーナにバイロイトは託されたわけです。演出担当のカタリーナに血の濃さを感じます・・・・・・。

それはさておき、交響曲については多くを語れず、いまだに多くを感じ取ることもできません。
45分、4楽章のしっかりした構成の交響曲で、ハ長の明るく屈託ない音楽は、どこにもひっかかるところがなく、耳にもスムーズで気が付くと全曲終わっているみたいな曲です。
でも注意深く聴けば、父リヒャルトの響きもふんだんに聴きとることができて、それは父の初期作から晩年までと幅広く顔を出す雰囲気に感じました。
「ファウスト」序曲とか、「妖精」とかが初期からの雰囲気のメインですし、緩徐楽章たる第2楽章では、「パルシファル」の2幕とか、「トリスタン」の半音階進行もちょっとだけ聴くことができました。
終楽章がきっぱりとしてなくて、ブルックナーやマーラーのような交響曲としての完結感をまったく持ち合わせてないところがまたイマイチ君なところで愛らしい。

この2楽章には、2年後に改作された別稿があって、このCDにも併録されてます。
まったく別物で、こちらの方が独自性があって、というか、むしろブルックナーの緩徐楽章のようで、アルプスの野山を思わせる詩的なムードにあふれてました。

もう少し長生きしていたら、もっと違う展開のあったと思わせるジークフリート・ワーグナーなのでした。
母コジマの後を追うようにして亡くなったジークフリートは、ナチスとの関係をまったく持たずにこの世を去りました。

ジークフリートとコルンゴルトのスペシャリスト、アルベルトの演奏は、普通に素晴らしく、気負いなく聴かせるものです。

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