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2013年6月18日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 バルビローリ指揮

Yokohama_st

横浜スタジアム前の横浜公園から。

ラミちゃんと、キャプテン石川。

メリハリある采配を行う中畑監督にあって、ちょっとダレたら厳しい応酬が下ることが、石川への対処でもってわかった。
ラミちゃんも、守備があんまりにもショボイから・・・
でも、ラミちゃんは、ブランコがファーストにきちゃったから気の毒なところもあるし、交流戦でも、はじけるモーガンがDH座っちゃったしで、最近どうも浮かばれない。
それでも、テレビ見てたら、ベンチの最前列で激を飛ばし、真っ先に選手たちを向かい入れるその姿。
日本球界にずっと残りたい、貢献できる、というその熱心な姿にファンは心動かされているんだ。

ロッテが、大砲を探していて、DHだしラミレスがその候補と出たのがちょっと前。
しかし、ラミレス違いで、ボストンからいま台湾に行っている超メジャーの同姓の選手、ということが今日わかりました。
もしかしたら、それも目くらましということもありえますが、私としては、ずっとベイに残って、同じリーグで、あのオレンジ色のすごいヤツを叩きのめす力になって欲しい。
がんばれラミちゃん、と言いたい!!

好きになると、わたくしは、一途に長いです。

横浜大洋ホエールズが、東海道線色のユニフォームの川崎時代、中学生のときから。
いまあるクラヲタ君的フェイバリット、ワーグナー・ディーリアス・アバド・ハイティンク・オペラも中学生から。
かれこれ、いずれも40年となろうとしてます。

え? 女性は? はてそれはなんのことかしらん。「悲愴」「悲劇的」「悲しいワルツ」「冬の旅」「さすらう若人の歌」・・・・そんな曲こそが拙者には相応しい悲しみ三重奏トリオ作品96なのだ??

冗談さておき、今宵は「悲愴」。

Tchaikovsky_6_barbiiroli_2

  チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」 

   サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハルレ管弦楽団

                     (1958.10@マンチェスター)


チャイコフスキー 交響曲シリーズ。

高名なる6番「悲愴」を。

人生への絶望と厭世、悲哀の情を込めた1893年、チャイコフスキー最後の年の交響曲。

この年をよく見れば、今年は、「悲愴」120年の年なんですな。

チャイコフスキーの生誕200年は、2040年なので、それに遭遇することは、もしかしたら無理だろう。
それに会える若いチャイコフスキー好きの方には、おめでとうと、今から言っておきたい。
かつて、ベートーヴェンや、モーツァルト、バッハ、ブラームスのアニヴァーサリーを大いに楽しみ、今年、ワーグナーとヴェルディとブリテンのトリプル・アニヴァーサリー・イヤーを謳歌している自分です。
だからきっとチャイコの生誕200年は思いきりのめり込めると思ってやみませぬ。

サラリーマンを辞めてはや11年目。
ある意味死ぬまで自由に働くことができます。
この自由さの持つ経済的な不自由は味わったものでしかわかりますまい。
「悲愴」「悲劇的」「悲しいワルツ」「冬の旅」「さす・・・・・、これらの音楽がこれほどに身に沁みる立場の存在ってありますまい。
その裏腹に、あらゆる楽観をも享受できる立場にもある自分。

喜怒哀楽・悲喜こもごも、人間の感情のジェットコースターにございますよ。

悲観的な自分が、ものしている今日の「さまよえるクラヲタ人」の記事。

中学1年のときに初めて聴いた「悲愴」。
中坊なりの大いなる悩みや、わからないことへの困惑、体のこと女子のこと・・・。
あらゆる悩みを集約したかのように、この交響曲に没頭した時期もありつつ、一方で、先にあげた、ワーグナーやディーアスで、壮大な世界観と恋愛観、美しい自然なども音楽から学びとった。

コロンビアのダイアモンド1000シリーズの中のこの1枚は「悲愴」の刷り込み演奏でした。

高校に入って、アバド&ウィーンの「悲愴」が出現して、そちらにナンバーワンは自分的に譲ったけれども、このバルビローリ盤は本当に忘れられない。

木管のもこもこ感は、録音の古さと同時に、ハルレ管の懐かしの音色として養われ、バルビ特有の心込めた歌い回し、すなわち1楽章全般と2楽章の中間部、終楽章の切ないまでに悲しみの情感を乗せた弦楽器。
全般を鑑みるに、現在の楽譜主体、解釈薄目、表情薄目、表現濃い目のある意味耳当たりよく演奏効果のあがる演奏とは違う。
木訥した語り口のなかに、音符に熱い思いを込めた感じ。
そして意外なまでに、3楽章はテンポを動かさずに相当な激情ぶり。
オペラ指揮者でもあったサー・ジョンの気合のこもった指揮ぶりもうかがえます。

しかし、「悲愴」は、いまや、そのタイトルを忘れて、あ~あぁ、今日はこんなこともあったな、みたいに、さりげなく、飲んだあとのお茶漬けみたいに、さらさらと食して、翌日に引っ張らない吹っ切れ感のよさも必要なのだろうと思います。
チャイコフスキーの音楽は、そのように多面的で、いろんな聴き方ができるのだとも。

悲しいお酒も、いまは、ビール、日本酒、焼酎各種、酎ハイ、カクテル、梅酒と硬軟豊かなのですからね、音楽もそういう風に聴くのがありですよ。

70年代オヤジの繰りごととして、バルビの悲愴をお受け止めくだされば、と思います。
古事ばかり、ご無礼いたしました、若い衆。

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コメント

わかる!わかるよー。ダイヤモンド1000シリーズ。よくぞ紹介してくださった。泣ける。泣けるね-。。
ご案内のバルビローリとハルレ菅の演奏は未聴です、しかし、さまよえる様の思い入れが言葉のはしはしから痛いほど伝わってきます。わかる、、わかるよー。。。泣きたいね-。。最初に、中学生の時、高校生の時になけなしの小遣いで買った1000シリーズ!どのレコードも自分には宝石だった。その演奏がすべてで、最上と信じて何度も何度も繰り返し聴いた。今、何かの拍子に当時のレコードを手にすると、あの時の友人、彼女、学校の風景、部活の想い出、登下校の様子、級友との何気ない会話のなにもかもがまるで昨日のように思い出される。
泣ける、、泣けるね-。。わかるよー。。レコードってそんな不思議な力を持つ。
まして、レコードの演奏がステキだったりしようものなら涙が止まりません。
チャイコの200年は無理ですかね?私もお気に入りのミトロプーロスの悲愴で120年を一人で楽しく悲しく寂しくお祝いします。涙が止まらないお祝いになりそうです。

投稿: モナコ命 | 2013年6月18日 (火) 23時08分

モナコ命さん、涙をともしてくださり、わたくしも感涙にむせります。
今夜3度目のバルビの悲愴を聴いてます。
終楽章に入りましたが、バルビローリのウンウンという唸り声が聴こえます。
もうオケも指揮者も夢中すぎます。

あぁ、悲しく虚しく切なく懐かしい。
この感じ、同感いただけて幸いです。
レコードという手のひらに余る大きな存在もまたそんな思いに拍車をかけるのですね。
今宵は、悲愴以外は聴けない一夜となりました。

いつも共感のこもったコメントありがとうございます。
涙を浮かべて感謝しております!

投稿: yokochan | 2013年6月18日 (火) 23時36分

ダイヤモンド1000シリーズ、懐かしいです。残念ながらバルビローリの悲愴は未聴ですが、バルビローリ/ハルレの新世界や、ブレンデル/メータの皇帝は繰り返し聴きました。また、演奏の印象は薄いのですが、ハンス・ユルゲン・ワルターという指揮者の名前は覚えております。

投稿: faurebrahms | 2013年6月19日 (水) 05時46分

faurebrahmsさん、こんばんは。
日本初の廉価盤シリーズでしたね。
ベートーヴェンの生誕200年も重なり、クリップスの交響曲全集や、ファイン・アーツの弦楽四重奏、そしてブレンデルの協奏曲にソナタ。
メインのシリーズのMSという番号は、いまでも覚えてまして、その1がH・J・ワルターの運命と、渡辺暁雄の未完成で、マッターホルンのジャケットでした。
懐かしいです。たくさん語れちゃいますね。

投稿: yokochan | 2013年6月20日 (木) 00時14分

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