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2013年6月 8日 (土)

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」 ガヴァッツェーニ指揮

Yokohamakaikoukinen

横浜三塔のひとつ、開港記念会館。

ジャックの塔です。

みなと、横浜をイメージする建造物のひとつです。

大正6年、1917年の建築。

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   ヴェルディ 「二人のフォスカリ」

 フランチェスコ・フィエスコ:レナート・ブルソン 
  ヤコポ・フィエスコ:アルベルト・クピード
 ルクレツィア:リンダ・シュトゥルマー  ロレダーノ:ルイジ・ローニ
 バルバリーゴ:レナート・カッツァリーガ ビザーナ: モニカ・タリアザッキ
 セルヴォ:アルド・ブラマンテ       フェンテ:アルド・ボッティオン


   ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団
                          ミラノ・スカラ座合唱団 

                        (1996 ミラノ・スカラ座)

ヴェルディのオペラ第6作は、「二人のフォスカリ」。

「ナブッコ」で成功を勝ちとったヴェルディのもとには、各地からのオペラ制作依頼が次々に舞い込んでくることになったが、前作の「エルナーニ」はヴェネツィアのフェニーチェ劇場から、そして、ローマ、ナポリと続くことになります。
エルナーニを含めて、2年間で4作品という驚異の仕事ぶりを、後年ヴェルディは自ら称して苦役の年月と呼んだという。

さらに、この頃より、台本にも完全に責任を持つというヴェルディならではの契約の仕方でもって、より作曲者の眼鏡にかなう題材が選択されるようになる。
エルナーニはユーゴーの戯曲、「二人のフォスカリ」はバイロンの同名の戯曲をその題材に選ぶこととなる。
ローマ歌劇場からの委嘱による「二人のフォスカリ」。
台本は、エルナーニに続いてピアーヴェが担当。
1844年の夏にブッセートで仕上げ、同年11月にローマで初演。
これまでの即大成功とはいかず、じわじわと成功してゆく、そんなタイプのヴェルディ新境地のオペラ。
 それは、登場人物の心理へと深く切り込もうとした意欲作。
従来の歌手たちの名人芸や華やかなストーリー優先のオペラに対し、「二人のフォスカリ」が扱った素材は、政治劇。
好いたはれたのたわいもない物語でなく、公人と父親との間で揺れ動く男の渋い物語。
ここにはラブソングはひとつもなく、親子の別れ、夫婦の別れが唯一の感情の発露。
ヴェルディが後年にかけて、ますます突き詰めてゆくことになる、オペラにおける人間の心理表現。
全体に暗い色調が支配しますが、そこはやはりヴェルディ。

美しいメロディが滔々とあふれ出ております。
そして、バリトンが主役のこのオペラは、男のドラマ、まさにこれもまたヴェルディならではで、のちの「シモン・ボッカネグラ」や「ドン・カルロ」に、悲劇に即した深い心情の掘り下げは、「マクベス」「ルイザ・ミラー」「トラヴィアータ」「リゴレット」につながって行きます。

ドラマの舞台は、1457年ヴェネツィア。

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15世紀、都市国家ヴェネツィア共和国は、群雄割拠のイタリア国戦国期にあって、大いに力を得て反映した時代。
ことに、1423年から1457年まで続いた、フランチェスコ・フォスカリの時代、ヴェネツィアは、ライバルとのミラノ公国との戦いも継続しつつ、国力も領地も最大級になった。
この時代が、697~1797年まで、1100年続くヴェネチアの共和国としての一番の華であった時期。
そのフォスカリの悲劇は、息子のヤコポ・フォスカリが贈収賄でクレタへ遠島の憂き目にあい、さらに自身にも当時のヴェネツィアの統治機構である十人委員会から辞職勧告を受け、政敵マリピエロに総督の座を奪われ、ほどなく亡くなってしまうところにある。
ヴェネツィアを支えた統領の急転直下の晩年。
この実在の人物を描いたのがバイロンであり、ヴェルディのオペラなのです。

第1幕 前奏曲
 

 第1場 ヴェネツィア ドゥカーレ宮殿広場

議員と十人委員会の面々が、沈黙・秘密・・と歌いながら静々と総督フランチェスコ・フォスカリの息子ヤコポ・フォスカリの裁判を行うために集まってくる。
 別室では、島を出ようと図ったヤコポが今度は謀反のかどで手枷を強いられ登場。

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彼は、わが故郷ヴェネツィアよと、前奏曲で印象的だった物哀しい旋律に乗せて歌う。
フォスカリ家の一員として、無実の罪に立ち向かうと意思をあらわにする。
ここはテノールの朗々とした歌が素晴らしい。

 第2場 彼が去ったあと、ヤコポの妻ルクレツィアが飛び込んできて、総督である義父に訴え出ようと切々と美しいアリアを歌うが、その間、流刑判決の報が知らされ、彼女は委員会への怒りと不信をあらわにして、今度は力強く歌う。

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 第3場 委員会と議員たちは、ヤコポの無実の訴えを退けたこと、なんといっても敵方ミラノ国のスフォルツァ家への書簡が見つかった以上は、いかに総督の息子でも実刑は止めようがないと歌う。

 第4場 総督の部屋 統領と父親としてのそれぞれの立場を苦しげに歌い、涙ももう枯れ果ててしまったと悲しむ。
そこへ嫁ルクレツィアがやってくるので、統領としての立場を忘れてはならないとして自らを戒める。委員会を罵倒し、押収された手紙は、故郷のヴェネツィアをひと目見たくて書いたもので謀反などではないと父に迫る。しかし、流刑の身でありながら手紙をしたためたことは違法は違法なこと、と苦しげに語る父。

第2幕 ヴィオラとチェロのソロを伴う悲しげな前奏曲

 第1場 牢獄にて、ヤコポが十人委員会への憎しみに燃えているが、死者の亡霊を見る錯覚と狂乱に陥り気を失ってしまう。
そこへ妻ルクレツィアがやってきて夫を悪夢から目ざめさせ、再流刑を伝え、妻子への思いを歌う二重唱となる。おりから外からゴンドラの船頭の歌が聴こえ、その陽気さと自分たちの怒りに、ふたりは希望、苦しみもともに分かち合おうと歌う。

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 そこへ、父親フランチェスコが忍びながらやってきて、親子は抱き合う。
さきほどはきつく当たったが、あれはあの場でのこと、お前を愛していると、嫁もまじえた3重唱となる。
父は、もう一度会うときは公人としてのこと、あらためて別れを惜しむが、そこへフォスカリ家を憎む宿敵ロレダーノが出てきて、その苦しみを助けてやろう、さぁいますぐに護送船で発つのだと冷たく言い放つので、フランチェスコは怒り、お前は十人委員会の使いっ走りか、と揶揄する。
4者4様の気持ちを歌う四重唱はなかなかのものです。

 第2場 十人委員会の会議室  ドナート家の人間を殺害し、敵方(ミラノ)と組んだという新たな罪状も加わり、ヤコポにはわずかな温情としての再流刑の判決を読みあげられる。
総督である父親に、無実を訴え、あなたなら恩赦も選択できるはずだと迫るが、委員会の決定は絶対、と苦しげにも言い放つフランチェスコ。

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そこへ、嫁が子供たちを引き連れて乱入、孫は祖父のもとに。ルクレツィアは自分も島まで付いて行くと言い張るが、総督はそれはダメだと断言。
3人と今度は委員会・議員、待女たちの合唱との大アンサンブルになり、ロレダーノの無慈悲な出立命令に、ヤコポもすべてをあきらめて、妻子を父親に託してこの場を去って行く。

第3幕

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 第1場 サンマルコ広場  人々がやがて始まるゴンドラ競技の開始をワクワクと待ちわびている。ロレダーノは、この連中にとっては、総督がフォスカリであろうとマリピエロであろうと構わないのだとつぶやく。
楽しい音楽とともに、ゴンドラが走り、船頭たちが漕ぐ姿が見えて、人々は楽しく歌う。
そこへ鐘がなり、聖マルコの獅子の裁きが下った報が知らせれる。
人々は犯罪者がひったてられてくるというので、散り去ってしまう。
 その流刑者ヤコポは、待っていた妻ルクレツィアと今生の別れを交わす。
年老いた父を優しくしてやって欲しい、子供たちには父は無実の罪で服することを話してあげてくれ・・・・。またしても急かすロレダーノ。アディオ・・と夫婦は分かれる。

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 第2場 総督の私室  無実の罪で、あれはいってしまった。あそこでひとこと言っていたら・・・・。これまで3人の子供を失い、今日も4人目。
総督の地位を受諾するときに、この命を絶っていたら、息子たちはまだいたはずなのだ。。。悔恨にくれるフランチェスコのもとへ、腹心のバルバリーゴがやってきて、ドナートを殺したのは自分ひとりの仕業と自白した真犯人の報をもたらす。
喜びに紅潮したフランチェスコだが、今度は、嫁ルクレツィアが飛びん込んできて、夫ヤコポが出立したあと、すぐに息絶えたと伝えにきて、意気消沈してしまった父のかたわらで、悲しみよりも復讐を求めていると奮い立つ。

ひとり沈む総督のもとへ、またもや委員会と議員たち。
委員会と元老院から、高齢と悲しみから休息をお薦めしますと・・・・。
愕然とするフランチェスコ。35年の間、2度も辞任を要請したが認めてくれないばかりか、終身総督を誓わされた。
これがお前たちの用意した勇気と忠誠への報いなのか!
無実の息子と、名誉という飾りをも奪うのか!
息子を返して欲しい!
ついにフランチェスコは、胸のうちをすべて吐き出し、いままで抑えていた感情を爆発させる。
しかし観念し、指環も帽子も、総督の服も脱ぎ捨て、折りから迎えにやってきた娘ルクレツィアと抱き合う。
しかし、そこにまたしても鐘の音。次の総督が早くも決定したという報である。
手回しの良すぎる展開。鐘の音に不吉を感じ取ったフランチェスコは、とつてもない憎悪の犠牲となってしまった、息子も、総督の座も、もう命もない、なにもなくなってしまったと朦朧としながら、苦しそうに歌う。
ロレダーノは憎々しく、この時を待っていたとほくそ笑む。
フランチェスコ・フォスカリは、ここでついに命が燃え尽きてしまい、倒れ伏し、ルクレツィアにみとられながら息を引き取る。

                                             

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初期作に特有の、激しい情熱のぶつかり合いや、愛国心の煽りや、壮大な歴史劇スペクタクルや、大恋愛・・・・、こうしたものが一切ありません。

渋い劇の内容に即して、主役のバリトンにあたえられた歌唱も渋い。
自分を抑制し続ける総督が、最後に抑えていた感情を爆発させるところは本当に感動的だ。
ヴェネツィアという海の街もポイントだが、同じ海の街ジェノヴァを舞台にした「シモン・ボッカネグラ」の姉妹作的な存在にも思える。
シモンを愛し、何度も何度も指揮したアバドが、このフォスカリを振ってくれなかったのが本当に残念。
主役が渋すぎるものだから、テノールとソプラノに配分されたアリアたちが、浮足立って感じてしまうほどだ。逆にそうした部分がなかったら本当に救いがないオペラなわけですが。

当然に、オーケストラも渋くて、初期作の特徴である奔放なまでの情熱の爆発はない。
前奏曲で奏でられ、息子ヤコポのアリアでも出てくる悲しそうな旋律が、素敵なもので、これが頭からどうしても離れません。
そして、登場人物や事象に、定旋律をあてがったことも、音楽とドラマを強く結びつけることになっております。

この作品には、カプッチッリ、カレーラス、リッチャレッリを揃えた素晴らしいガルデッリ盤がありますが、今回は大昔にNHK放送をビデオ録りした映像で。
カプッチルリにくらべると、ブルソンの声は美しいだけで、やや単調なのですが、こうして映像を伴うと、その苦悩に満ちた迫真の演技ともに、抑制された歌唱がこの役柄にぴったりと符合しております。
美声のクピードはやや明るすぎ、シュトゥルマーはまずまず、ローニの悪役ぶりは最高。
 そして名匠ガヴァッツーニは、淡々と音楽を進めるなかに、ヴェルディへの愛情を感じる指揮ぶり。耳でも目でも確認できました。

ヴェルディの一面でもあり、ある意味本質でもあるこの渋いオペラ、わたくしはかなり好きです。

ヴェルディ・オペラ、ブログ全制覇まであと9作。

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