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2013年7月 5日 (金)

シューベルト 交響曲第9番 ハイティンク指揮

Shiba_rose

茶色系のシックなバラ。

ちょいと調べたら「ジュリア」という品種だそうな。

なんか好きですよ、この色合いも。

今日聴くシューベルトの演奏にぴったりの感じ。

Schubert9_haiteink

   シューベルト  交響曲第9番「ザ・グレート」

 ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                  (1975.@アムステルダム)


シューベルトのいまは、8番とも呼ばれる長大な交響曲。

やはり、第9番ハ長調「ザ・グレート」という名前こそが相応しい。

未完成の次にやってきたこの曲。

中学生の時に買ったワルターのレコードが、完全なる刷り込み演奏で、その優しく歌心にあふれた演奏が基準となっております。
以来数々聴いてきたけれど、ベームとジュリーニ、そしてハイティンクの3つがいまでも、わたくしの「グレート4」であります。

ところが、ハイティンク盤はCD初期に廉価盤化されたのみで、しかも文庫っぽいジャケットで、手が出ぬままに、そちらが廃盤久しく、CDとしては89年に一度出たっきり。
ハイティンクのもう1枚のシューベルト、5番と8番も同じ運命。
76年に発売された、ハイティンクのシューベルトシリーズは、天使の無垢な教会内の彫像がジャケットとしてあしらわれていて、とても美しく、シューベルトらしい雰囲気が出ているものだった。
こちらが宝物のようにしている、そのレコード・ジャケットです。

そして、先日、もう何年も探していたかつての廉価盤を、某中古ショップにて見つけました。
ドキドキしました。
すぐに手にとり、ウソだろ!とつぶやいてました。
価格も驚きのワンコイン。しめしめとばかりに、人に見られないようにこっそりレジへ急行。
思えば、隠れる必要はないのですが・・・・・。

レコードを聴ける環境でないので、もう35年ぶりぐらいに、聴いた「ハイティンクのザ・グレート」。
もう、もう、涙が出ましたよ。

なんて美しいんだろ。なんて立派なんだろ、そしてなんて無為無策のように何もせずして、こんなる音楽的なんだろ。
レコードで聴いたときから思っていたこと。
まるで、スルメのように噛めば噛むほど味わいが増す音楽であり演奏。
繰り返しなし、ほぼ50分の遅滞ないテンポは、推進力とともに、いじらしいぐらいにさりげない歌にあふれていて、第2楽章の中間部の切実かつ壮絶な響きと、そのあとにくる優しい、心の襞をそっとなぞるような流麗な美しい展開。
もうこれこそが天国的でありましょう。
ハイティンクがワルターに近づいた瞬間だと思いました。

そして、毎度のことながら、コンセルトヘボウにおけるフィリップス録音の芯がありながらマイルドで空間が響きで埋まる瞬間をとらえた鋭敏かつ雰囲気豊かな録音。
この録音と、コンセルトヘボウという稀有なオーケストラ有機体が音の上でも表裏一体になっていることを強く認識できます。
日本に何度もやってきたこのコンビを、学生時代に聴くことができなかったのが残念ですが、放送を通じ聴いた響きは、驚くべきことに、これらのフィリップス録音と同じものだった。
指揮者・オーケストラ・レーベルが三位一体となった存在の結果なのだと痛感します。

加えて、ハイティンクは70年代ロンドン・フィルハーモニーの指揮者も兼務するのですが、LPOもコンセルトヘボウ的な音色を一時出していたと思います。
その後、ショルティやテンシュテットとなって失われてしまった、くすんだヴェルベット・トーンです。

全曲、どこをとっても素晴らしい、これはハイティンク&COAの大傑作ではないかと思います。
何度も繰り返し聴いた大学・社会人初期のころの印象と寸分たがわず同じでした。
馥郁たるシューベルト。
リズムのよさも、もたれないテンポ感も、冒頭のホルンの瑞々しさも、オーボエのメランコリーも、終楽章の着実なフィナーレも、すべてにおいて最高でした。
昨日2回、今日も2回聴いてます。

明日もハイティンク&コンセルトヘボウ。

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