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2013年7月15日 (月)

シリングス 「モナ・リザ」 ザイベル指揮

Shibarose

 

数多くあるその種類の呼び名はわかりませんが、高貴でかつ妖艶、そして清潔感も。

美しいご婦人のようでございます。

Shillings_mona_lisa

  マックス・フォン・シリングス  「モナ・リザ」

 見知らぬ外国人、フランチェスコ・デル・ジョコンド
                  :クラウス・ヴォールプレヒト
 彼の若い妻、モナ・フィオルダリーザ:ベアーテ・ベランツィア
 修士生、ジョヴァンニ・ディ・サルヴィアーティ:アルベルト・ボンネマ
 ピエトロ:マレク・ガツェッキ   アリーゴ:カルステン・ルース
 アレッシオ:ウルリヒ・ケーベルレ サンドロ:ヨルク・サブロフスキ
 マッソリーノ:ベルント・ゲープハルト 
 ジェネルヴァ:エヴァ・クリスティーネ・ラインマール
 ディアノラ(フランチェスコの娘):アミィ・ローレンス
 ピッカルダ:ゲルダ・カシュバウム 

  クラウスペーター・ザイベル指揮 キール・フィルハーモニー管弦楽団
                       キール・オペラ合唱団

                     (1994.12@キール)


シリングス(1868~1933)は、世紀末期の純正ドイツ人の作曲家・指揮者で、第1次大戦をはさんだドイツ音楽界において、朋友であったR・シュトラウスとともに、重要な人物のひとりであります。

この人が、第2次大戦後、まったく名前が浮上しなくなってしまったのは、反ユダヤ主義で、当然に国家社会主義党員だったこと、同時期のシェーンベルクやシュレーカーなどの現代性を持ちえずオールドファッションとみなされてしまったことなどでありましょう。

しかしなんといっても、ナチス治下の初代帝国音楽院総裁であったこと、すなわち親ナチであったことが大きく、その音楽は演奏すらはばかれる時期が長くあった訳ですから。

その点、ナチスから迫害されたり、退廃のレッテルを貼られてしまった作曲家たちも、戦後は埋もれてしまったものの、いまやしっかりと復活と名声を勝ち得ているのが皮肉なもの。

しかし、シリングスの音楽は捨て置くにはもったいない。
同じ反ユダヤ的なプフィッツナーと同時代人ですが、プフィッツナーほどに晦渋・難解さはなく、シリングスの音楽は明快でわかりやすく、なによりもシュトラウスなみの甘味さと、ワーグナー風の濃厚なロマンティシズムがあります。

オペラを4曲ほど、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、歌曲など、広範に作曲。
1890年代に、シュトラウスに巡りあっていらい終生、友情で結ばれ、ふたりでドイツ音楽界を牽引したほか、作曲家・教育者のトゥイレ(Thuille)、ブラウンフェルスらとともに、シュトラウス、モットルらもまじえ、ミュンヘン楽派を形成し活動した。
 指揮者としても、シュトゥトガルト、ミュンヘン、ベルリン、ウィーンなど各地のオペラハウスで活躍、ベルリン国立歌劇場の音楽監督も務めたので、後代にたどれば、スウィトナーやバレンボイムの大先輩になるわけ。
さらに、フルトヴェングラーやR・ヘーガーの先生でもあります。

1911年、シリングスは、オーストリアの女流詩人ビアトリス・ドヴォスキーの劇的伝説「LADY GODIVA」を読んで、音楽化を思いつきます。
1913年には、ドヴォスキーは、「MONA LISA」として台本を提供し、すぐにピアノ・スケッチにとりかかりますが、第1次世界大戦が勃発。
医学兵として、フランス・ベルギーに8ヶ月間軍務につき、その間も作曲を進めます。

この作曲の合間、1911年8月に、ルーブル美術館にあったレオナルドの「モナ・リザ」が盗難に合い、2年間行方不明となる事件が起きました。
それは、イタリア人清掃人が、自国の宝をイタリアに持ち帰りたいというナショナリズム的な行動でありましたが、この世間を大騒ぎに陥れた事件のおかげで、シリングスが「モナ・リザ」のオペラを作曲しているという評判が巻き起こり、その初演権のメットも含めた争奪戦が巻き起こりました。

 

結局、初演は、シュトットガルトで、1915年9月に、シリングスの2度目の妻となった、ソプラノのバーバラ・ケンプをヒロインに据えて、作曲者自身の指揮により行われました。
それが大成功となり、またたく間に各地のハウスで上演されるようになったのでした。

戦後の上演は、1953年のベルリン(ヘーガー指揮)、1983年カールスルーエ(プリック指揮)のふたつは、カットを施して。
完全上演は、本CDが録音される直前の1994年11月キール、さらに、1996年にはウィーンのフォルクスオーパーでも行われているようです。

プロローグとエピローグ:1915年(初演時現在)、フィレンツェ デル・ジョコンド家

本編1幕・2幕:1492年、フィレンツェ デル・ジョコンド家


プロローグ
 ある外国人とその若い妻がフィレンツェのとある宮殿を訪れている。
修士が、ふたりにこの建物のあらましを説明する。
「建築家ブルネレスキの作で、ドナテルロ風のフレスコ画で飾られている・・・・、その後、裕福な商人フランチェスコ・デル・ジョコンド。その名は、高齢にも限らず、若いひとりの女性と結婚していなければ、歴史の中に埋もれてしまっていたでしょう。
その女性の名は、フィオルダリーザ・ゲラルディーニ。レオナルドの奇跡の絵画「モナ・リザ」の中に息づく女性です」
 夫は、20年前にフィレンツェを最初の新婚旅行で訪れたことを明かし、若い妻は、自分より多くを経験している夫に不満をもらす。
修士は、そこで1492年の謝肉祭の晩に起きた悲劇を語り始める・・・・・。

第1幕
 豪華なフルーツ、肉、お酒がふんだんに供されるゴージャスな、デル・ジョコンド家のホール。当主、フランチェスコと仲間のゲストたちが、カーニバルを祝っている。
フランチェスコの前妻の娘ディアノラがひとりなので、父親が尋ねると、彼の若い妻リーザは教会に告解に行っていると答える。
バルコニーからは、賑やかなカーニヴァルの様子と楽しい音楽の響きがうかがえる。
マリアたちの合唱、ヴィーナスたちの合唱。
苦行をと歌う僧たちの合唱も聴こえ、カーニヴァルは中断してしまう。
その中には、説教者サヴォナローラもいる。
仲間たちは、ヴィーナスの中の中心にいる娼婦ジェネルヴァを呼び込もうということになり、娘とやがて帰ってくるリーザがいることで反対するフランチェスコの反対をよそに、上に呼んでしまう。
 ジェネルヴァを讃える仲間たちと、蠱惑的な彼女とのなまめかしい対話のあと、リーザが教会かた帰ってくる。
ジェネルヴァは、リーザに、罪は喜びの塩のようなもの、と言う。
女性ふたりが化粧室へ向かったあと、そこへジョヴァンニがやってくる。

ジョヴァンニに、皆はお楽しみはありましたか、と問うが、彼は忙しくて、明日ローマに帰らなくてはならないが、一目、幻を見たと思うと語る。

彼は、ローマ教皇への真珠を手配するために、庁から派遣されたのだった。
フランチェスコは、彼をドイツ製の二重扉の密閉空間である金庫へ案内し、高貴で高価極まりない真珠を見せ、みずから、その真珠を賛美して興奮し、毎晩妻に着用させていると語るが、傍らでは、リーザが、こんな真珠は、冷たくてきらいだと独白する。
真珠を収納に姿を消したすきに、ジョヴァンニとリーザは互いに認め合う。
そこへ、再び現れたフランチェスコは、明日またここで、ジョヴェンニに真珠を手渡そうと言って、バルコニーの仲間たちとともに、出てゆく。
二人になったジョヴァンニとリーザは、かつての恋人同士。
明日、一緒に逃げようと熱く進めるジョヴァンニに、リーザもついに折れて、ふたりは熱く語らうが、そこへフランチェスコの戻ってくる気配に、ジョヴァンニは物陰に隠れる。
妻の顔に、あの謎の微笑みが残るのをみて、フランチェスコは自分に協力なライバルがいることを察知する。
ホールからの出口のあらゆる窓や扉を順番にひとつずつロックしてゆくフランチェスコ。
もう逃げ道は金庫しかなくなったジョヴァンニはそこへ逃げ込むが、ついにフランチェスコはそこもロック。
動揺を隠せないリーザに、フランチェスカは、鍵を手渡すことを条件に、ほくそ笑みながら、それをちらつかせながら、自分への愛を要求しながら、いろいろなことを約束させ、まるでゲームのように楽しむ。その間、ジョヴァンニのうめき声も聴こえてくる。
そして、最後はその鍵をバルコニーの下を流れるアドルノ川に投げ込み、リーザはショックのあまり倒れ込み、フランチェスコは狂ったようにお前の輝かしい微笑み、リーザと叫ぶのでありました。

第2幕
 翌朝、同じ場所。灰の水曜日。その名の通り、どんより曇った暗い朝。
継子ディアノラとメイドのピカルダが部屋にやってくるものの、倒れこんでいるリーサには気がつかない。
かわりに、川に浮かぶディアノラの小舟に金色に輝く鍵を見つけ、取りに向かう。
意識を回復したリーザは、昨夜起こったことをよく思い出せず、理解もできなかったが、徐々に思い起こしてきて、自分がジョヴァンニを救うことができなかったことを後悔し、金庫室に向かって彼の名前を呼び続ける。しかし応答はなく、彼を死を認識し、悲しみに沈む。
 そこへ、ディァノラが戻ってきて、みつけた鍵を義母に差し出す。
ひとりになり、さっそく鍵を開けてみようと扉をふたつ解錠し、そこに彼の死を認める。
またもフランチェスコの気配に、すぐさま扉をもどし、何事もなかったようにバルコニーに佇む。
鍵を提示した彼女を見て、てっきりジョヴァンニを逃がしたのだと思ったフランチェスコだが、彼女の首にまだ真珠があることもいぶかり、あの微笑みも彼女にみとめる。
では、ジョヴァンニに真珠を届けなくてはならないから、その鍵を求めるフランチェスコに、リーザは喜んで手渡す。
金庫に入って行ったフランチェスコの後ろで、リーザは第2の扉をクローズ。
驚き飛びかかるフランチェスコだがすでに遅く、微笑みとともに、最終扉も閉めるリーザ。
リーザは狂ったように、笑い、事のなりゆきに満足し、水で手を清め、教会の方向に向かい、神の慈悲を乞う。

エピローグ
 
修士は長物語を語り終え、二人は謝辞を乞い、立ち去るが、若い妻はひと房の百合の花を気の毒なリーザにと、残していく。
修士は、あなたは一体誰だったのか?モナ・リザの名前を何度か歌う中、幕が降りる。

               幕


1幕がやたらと長過ぎるし、全編、同じ場面で起伏が少ないのが、外見的には不足と感じられますが、ほぼ2時間、同じ場面にとどまりながらも、昼下がりのサスペンス・ドラマのような情と愛と憎しみが交錯しあう集中的な劇となっております。
タイムマシンのように時代を前後する構成も実に巧み。

裕福な商人として、地位も名誉も金も事欠かなかったフランチェスコ。
レオナルドの書いた妻の絵に魅せられ、現実の妻とのギャップに悩んだ男。
その謎の微笑みを解明しようとして、激昂してしまい悲劇を生んだ。

ほんとに、面白い着眼点のドラマで、そこに付けられたシリングスの明瞭で、世紀末の陰りもふんだんに聞かれる音楽は、わたくしには極めて魅力的で素晴らしいものでした。



このオペラの雰囲気を集約したようなミステリアスで、ロマンティックな前奏曲。
リーザの2度ほどあるモノローグは、ファム・ファタール(男を虜にししてダメにしてしまう女)的に思われる、このオペラのリーザの役柄とは裏腹に、一途にかつての恋人ジョヴァンニを思う心根が素敵に歌われています。

しかし、彼女をめぐるふたりの男からしたら、お互いに一人の女性でもって、命を落としてしまうわけで、彼らから見たら、完全に、「ファム・ファタール」です。
その彼女を一方的に愛する男のバリトンの歌は、強引で押しつけがましいですが、イヤーゴのいやらしい心情告白や、アルベリヒの邪悪さもときに感じます。
性格バリトンの役柄です。
そして、テノールの甘い役柄は、どちらかといえば薄白で、深みはまったくないですが、1幕後半のリーザとの二重唱は、まるで、「トリスタン」の濃厚二重唱のような世界になってます。

謎の微笑みを、一人目の男性でもって封印してしまったリーザの立ち位置は、純真で健気でもあり、一方で復讐心に燃える一本義な強さもありです。

面白いオペラです。

naopigさんの記事に触発されて、ショップで目にして手に入れて、もう6年以上。
折に触れ聴いてましたが、今回、真剣に取り組み、ようやく記事にしてみました。
いつものように長くなってすいません。

CPOレーベルのこうしたジャンルへの取り組みには、付属の解説書の充実ぶりとあわせて感謝しなくてはなりません。
ザイベルとキールフィルの的確さは、シュトラウスやコルンゴルトでもおなじみ。
リーザ役のベランツィアは、かつてバイロイトでフライアを歌っていて、CPOでもコルンゴルトの「ポリキュラスの指環」のヒロイン役だった。
コケットリー感と、リリックな女性的な純真さが、とても素敵なソプラノ。
 敵方バリトンのヴォールプレヒトは、実にすばらしいバリトンだった。
明るい声質ながら、ねちっこい悪役ぶりと、熱い思いを歌うに相応しい知的かつ威圧的なバリトン声。気に入りました。スカルピアとかイヤーゴとか、クリングソルとかアルベリヒですよ。
 そして、いまやおなじみとなった、ボンネマ君。ぽっちゃりお腹のテノールは、かつて「ローエングリン」のステージで体験済み。
この役柄であれば、甘さのうえで問題はなし。コンヴィチニューの黄昏での自在さを後年に身につけて行くんです。

長く聴いて準備してきただけに、ロングな記事、すいません。

   

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コメント

これはいい曲ですね! 素晴らしいです。あらすじも魅力的です。プロローグから引き込まれました。シリングスはエーリヒ・クライバーがベルリン・シュターツオーパーの音楽総監督になるべく尽力した人物でもあるようで、興味深い作曲家です。

投稿: Shushi | 2013年7月15日 (月) 22時20分

Shushiさん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
このオペラは、実によく出来てますね。
何度も繰り返しきいて、その思いを強くしました。
シリングスは、いまだにこの曲以外は聴いてませんが、音源はいくつかあるようで、拡張して行きたい作曲家です。
まだまだ、捨てておけない作曲家たちがいますね!

投稿: yokochan | 2013年7月16日 (火) 23時40分

Good publish, Love that. Keep the idea up. Thanks!

投稿: male shoe lifts | 2013年8月13日 (火) 02時25分

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