ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演記録 ②
ベルリン・ドイツ・オペラの本拠地。
ネットから拝借しました画像です。
ベルリンには、有力なオペラ・ハウスが3つ。
ベルリン国立歌劇場、ベルリン・コーミッシェオーパーが旧東ベルリンで、西にあったのが、ベルリン・ドイツ・オペラ。
戦後の東西分断で、栄光の歴史ある国立歌劇場が東側のものとなってしまい、従来あった市立劇場的なものを、威信にかけて再スタートさせた西側きっての劇場。
数奇なもので、東西統一で、3つになってしまったハウスを統合してしまおうという動きもありましたが、いまはその声も収まり、3つの個性を際立たせながら並存しております。
コーミッシェ・オーパーが、実験的な様相を持つハウスとすれば、国立歌劇場は、世界水準のトップをゆく国際的な存在。そして、ドイツ・オペラは、その両面を併せ持ちつつある劇場。そんな感じかな。
3つとも、日本への来演も多くて、いずれも高水準の舞台を繰り広げてくれました。
国立歌劇場は、80年以降だけど、ドイツ・オペラは、60年代からたびたびやってきてくれました。
63年(ベーム、マゼール、ホルライザー)、66年(ヨッフム、マゼール、ヘンツェ)、70年(ヨッフム、マゼール、ホルライザー、マデルナ)、87年(コボス、ホルライザー)、93年(デ・ブルゴス、コート、ホルライザー、ティーレマン)、98年(ティーレマン、コート)。
ワーグナー200年の今年、9月と明1月に、G・フリードリヒの「リング」が、現地で通し上演されます。
2000年にフリードリヒは、亡くなっておりますので、ベルリンではレパートリーとしてしっかり定着していたことになります。
しかも、指揮者はサイモン・ラトル。
来年は、現音楽監督のドナルド・ラニクルズ。
さて、本日は、87年の「ワルキューレ」の舞台を思い起こしてみます。
ワーグナー 舞台祭典劇「ニーベルングの指環」
ヘスス・ロペス・コボス指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/合唱団
演出:ゲッツ・フリードリヒ
舞台装置・美術:ペーター・ジコーラ
(1987年 10月30日、11月1日、4日、7日 東京文化会館)
(ベルリンでの上演、サイモン・エステスのウォータン)
「ワルキューレ」 11月1日
ウォータン:ロバート・ヘイル ジークムント:ジークフルート・イエルザレム
ジークリンデ:ユリア・ヴァラディ フンディング:マッティ・サルミネン
ブリュンヒルデ:カタリーナ・リゲンツァ フリッカ:ダイアン・カリー
ゲルヒルデ:ルシー・ピーコック オルトリンデ:バーバラ・フォーゲル
ワルトラウテ:アナベル・ベルナール シュヴァルトライテ:カヤ・ポリス
ヘルムヴィーゲ:シャロン・スウィート ジークルーネ:野村陽子
グリムゲルデ:バーバラ・シェルラー ロスワイセ:アニタ・ヘルマン
1987年の日記より転載
第1幕 タイムトンネルは仕切られ、奥がなく壁となっており、入口のドアもある。
上の方は、格子のようなものが並んでいて、光が漏れている。
全体に、黒と白のモノトーンが基調で、最後の赤い炎が活きてくる。
ジークリンデは最初から部屋の中をせわしく動き、ジークムントがやってくる直前に部屋奥の椅子にじっと座る。
ジークムントは扉から入ってくる。フンディングの登場では、彼は皮のジャンパーを着ており、男たちが7~8人長い黒皮のフロックを着て、手に懐中電灯を持ち入ってきて、ジークムントを照らす。
そのあと、二人はテーブルの両端に座り食事をするが、ジークリンデはいそいそと働く。
本当に酒を注ぎ、フンディングはリアルに食べている。
ジークムントの物語で、フンディングは興奮して立ちあがるが、そのとき、男たちも同時に立ちあがる。
ジークムントの正体を知り、決闘を挑むと、男たちは去るが、入口からはなおも、顔を出している。
剣は、舞台に据えられた真っ二つに裂けた木の中央に刺さっており、剣のライトモティーフとともに赤く輝く。
驚いたのは月の光が差すところ。奥の壁が左右に開き、椅子が何脚か音とたてて倒れる。外は、月の光にまばゆく、白く輝く樹木。美しい。
ジークムントは剣を抜き、二人、手を取り外へと飛び出してゆく・・・・。
第2幕 タイムトンネルは奥にふたつ。
左奥には、巨大な馬が首を折って倒れてる。3か所に、ミニチュアの都市模型があり、ニューヨーク、ローマ、・・・か?
右手前には、どういうわけか、乳母車が倒れており、何かがこぼれ出ている。
ウォータンは、例のごとく白のフロックコート。フリッカは白いドレス。
例の仮面も手にしてる。
(リゲンツァの、一生涯忘れることのできない素敵なブリュンヒルッデ)
ブリュンヒルデは、黒の革のスーツに、槍と楯。頭には理想的な兜、かっこいい。
ウォータンは苦悩のあまり、のたうちまわる。
ブリュンヒルデとの対話のなかで、終末を願い願望するところ。ウォータンは、コートを脱ぎ、その下の鎧も脱ぎ、Tシャツ1枚になり、舞台前面に出てくる。
「Der Ende」で真っ暗になり、ひとりスポットを浴びる。
アルベリヒが子をもうけたとのくだりでは、例の乳母車から何かを取り上げる(赤ん坊か?)
この乳母車の脇では、(逃避行中の)ジークリンデが倒れ込む。
これはやはり、ハーゲン=ジークフリートの複線を意味するのか?
ブリュンヒルデは、死の告知のところでは、例の衣裳で、槍には白い布を巻いて出てくる。
この槍を、ジークムントは掴みながら、やりとりをする。
勇気をもらったジークフリートは、タイムトンネルの奥へと走り込んでいった。
(闘いと、ウォータン、ブリュンヒルデ、ジークフリートの場面は、ここでは書けません。絵で表現してました・・・・、いまこの絵を開設すると、左手奥に馬上のウォータン、右手奥にブリュンヒルデ。左手中ほどにフンディング、右手中にジークムント。そして、舞台最前面中央にジークリンデが、全体を見とれる位置に。こんな美しいシンメトリーでした)。
最後に、ウォータンは槍を使うことなく、手振りで追い払うだけで、フンディングを倒す。
第3幕 まるで野戦病院のよう。
中央台にワルキューレたちがうずくまっている。彼女たちの中には、ナチスの将校風の人もいる。とてもダルな雰囲気で、ブリュンヒルデが登場するまでは、明るく楽しそう。
トンネルの両脇の穴のところには、白いパイプベットが8つ。
死体というか、英雄というか、が乗っている。
ブリュンヒルデとジークリンデが登場する。
子が宿ったことを知らされたジークリンデは、両手で体を包むようにして、ワルキューレたちに懇願する。感動的な場面だ。
ウォータンは、怒号とともにやってくる。ワルキューレたちを槍で横にしてかわし、追い払う。
ブリュンヒルデとの長い対話。ときにウォータンは、こちらに背を向け、じっとしている。
そに長い対話の終わりの方でもそのようにしているが、娘の懇願に負け、感動し、槍を投げ捨て、ついに前面にやってきて娘と抱き合う。告別の場面だ。
最高に力の入る例の場面では、ブリュンヒルデが逆にこちらに背を向け、中央の台に楯を置いたウォータンがこちら(客席)を向いてブリュンヒルデを寝かせて、そして眠りにつかせる。
ローゲを呼び、炎を着けるが、舞台上のマンホールのひとつを槍で押すと、火がちょろちょろっと出る。そのあと、次々と7つあるマンホールの火が、パチッ、パチッと着いて行く。
赤いオレンジの照明に満たされる。
白い煙が充満してきて、ブリュンヒルデはすっかり包まれてしまう。
舞台前面に、ウォータンが出てきて、槍をかざして「Wer meines Speeres Spitze furchtet, durchschreite das Feuer nie!」と歌い、幕。
リゲンツァについては、最後に書くとして、ワルキューレでも、R・ヘイルの少しマッチョなテキサス風ウォータンが素晴らしかった。
最後の告別での悲しげかつ、ヒロイックな姿と、その豪勢な声の魅力は忘れえぬものです。
そして、初めて接したヴァラディのジークリンデのけなげなまでの、真摯で夢中さあふれる歌と演技。言葉ひとつひとつに選ばれた女性的な表現と、その声の美しい魅力。
最高のジークリンデでした。
それと、熱っぽい没頭感あふれるジークムントのイェルザレムの素晴らしさ。
聴いてて涙が出てくるほどの役柄への打ち込みぶり。
当時まだ不評だったイェルザレムを聴いて、そのとんでもない評価に腹がたったものです。
このあと、ルネ・コロが実際に聴けてしまうという、いま思えば贅沢極まりない公演だった。
「ジークフリート」では、降り番のイェルザレムが奥さんと劇場に来ていて、休憩時間に、まるきり真横に並んでみたものです。
チョーデカイ人でした。
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