ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演記録 ③
日記にある、演出についてのメモ。
今思えば恥ずかしい、昨今の演出を知らない、四半世紀前の自分が書いてます。
「今回のリングの核心は、そのトップクラスの演奏陣もさることながら、やはりゲッツ・フリードリヒの演出。
日本のオペラ上演史においても、これだけの世界的な才人の演出がかかるのは稀なこと。
ヴィーラント・ワーグナーの抽象的な新バイロイト時代の様式から完全に脱しきった、かといって、単純な具象性のみを追及しないリアルな舞台。
シェローのような過激性のリアルでもなく、あくまで、ワーグナーの音楽に充分則した考え抜かれた演出。
細目は、各日記したが、四部作通してのタイムトンネルが、統一感と永続性とをもたらした。
SF的であるには違いない。
奥へと続くトンネルは、光による絶妙の影を作りだし、どこまでも続くと思わせる神秘感を醸し出した。
ワルハラ城はスモッグに煙る、かつ地上からまばゆく七色に光る夢の時代のような城であり、グンターの家は近未来の文明人のそれであった。
という具合に、それぞれの場面・スペースがまったく我々の誰にもわかる簡易性をもってタイムトンネルの大きな枠組みの中で繰り広げられる。
人物の描き方も適切。それぞれの動作が多い。それもまったく多い。
動かず、じっとしていることがない。その動きに注目していると、他の動きが見過ごされてしまうくらい。
これが舞台に観客を集中させるのに役立ったにはもちろん、登場人物たちを個性的に描き分けたポイントかもしれない。
照明の使用の具合も効果的で、登場人物の心理までもたくみに照らし、あぶりだしていた。
すべての場面が、脳裏に残っているが、とりわけ、黄金がラインに戻り、すべてが「ラインの黄金」の原初へと戻る、「神々の黄昏」の大詰めが実に感動的で、すべてが終わったという感と、また再び始まるのだ、という新たな気持ちとで、言い知れぬ深い感動に包まれた。
拍手もできなかった。
ついに、「リング」を体験できたという偉大な喜びもあり、その感動は今でも覚めやらない。
次は、バイロイトでリングを観るこちが、僕の最終目標だ!」
まだ20代だったワタクシの世間知らずの偉そうな稚拙な文章ですが、思えば、いまも大した進歩は認められない恥ずかしさ。
当時、それでも、リング体験は、二期会で、「ジークフリート」と「神々の黄昏」の日本初演を経験していた。
朝比奈隆と新日本フィルの演奏会リングも体験していた。
ただし、シェローのリングは、映像でもまだ未体験だったはずで、写真と音源のみだったと思う。
そんな自分が、フリードリヒ演出に、いかに驚き触発されたか、おわかりいただけますか。
いまだに抽象路線だった日本のワーグナー演出や、無難な外来演出しか知らない自分がドイツの最先端の舞台に接した新鮮極まりない驚き。
ある意味、自分の中に指標ができたのかもしれません。
K・ウォーナーのトーキョーリングもポップだけれど、路線的には、このG・フリードリヒにも近いし、社会派路線のクプファーやSF感漂うレーンホフも、Gフリードリヒを抜きに語れない演出だったと思います。
ワーグナー 舞台祭典劇「ニーベルングの指環」
ヘスス・ロペス・コボス指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/合唱団
演出:ゲッツ・フリードリヒ
舞台装置・美術:ペーター・ジコーラ
(1987年 10月30日、11月1日、4日、7日 東京文化会館)
(ベルリンでの上演)
「ジークフリート」 11月4日
ジークフリート:ルネ・コロ ミーメ:ホルスト・ヒーステルマン
さすらい人:ロバート・ヘイル アルベリヒ:ゴットフリート・ホルニック
ファフナー:ベルント・ルントグレン エルダ:ヤトヴィガ・ラペ
ブリュンヒルデ:カタリーナ・リゲンツァ 鳥の声:ガブリエリン・ワトソン
第1幕 3日めともなると、こちらにも余裕が出てくる。
森の中のミーメの仕事部屋。いままでで一番派手。 森は児童画のような美しい花々に満ち、虹、月、星、太陽が輝く。
ミーメは小屋の幕を開け、照明に光を灯してゆく。
ジークフリートは熊の敷き布をかぶって帰ってくる。彼は、母親を動物に例えてミーメに問うときは小屋の上の登る。さらに、ミーメは、そこへ追ってきてライトを拭いたり、ちょこちょこと動きまわっていて忙しい。
さすらい人は、ジークフリートが最初に森へ戻る前からやってきて、小屋の上にいる。
槍に布を巻いている。
3つのミーメへの質問では、赤い○、緑の□、黄色の△の表示を出して連想ゲームのようなやり取りをする。
ウォータンが槍を地面に立てると、槍の先がピカッと光る。ミーメは小屋に隠れてしまう。
ジークフリートの鍛冶の場面はわりとオーソドックス。
ふいごの紐を引きながら歌う。剣を仕立てて行くさまがリアル。
ハンマーに仕掛けがあるのか、打つたびに青い火花が飛ぶ。
ミーメは深鍋を使って、カタカタとかき混ぜながらお料理。終わると水筒に詰めて外出の支度をする。
剣が完成し、ジークフリートが金床を思いきり叩くと、小屋はたくさんの試作剣を一斉に落として、カーテンも落ちて、もろとも壊れてしまう!
第2幕 薄暗い森。奥は紗幕で仕切られていて、上から森の模様の幕が垂れている。
前方左手に膨らみがあるが、アルベリヒが迷彩布をかぶって、森と同一色になっている。
大蛇は、図のように(絵を描いているんです、わたくし)、宇宙船のようなロボットの頭で、目は大きく光り、光線を発射する。
ジークフリートが剣を刺すのは、その真ん中あたりで、そこからファフナーが登場する。
小鳥は、幕に一筋のライトであらわされているが、やがて驚いたことに、紗幕を透かして、宙づりの森の小鳥が羽をパタパタさせているのが見えてくる。
ミーメを大蛇とともに、放り込んだあと、紗幕が前面に降りて、大蛇はすっかり片づけられて、二口のタイムトンネルがあらわれ、ジークフリートはそこへ飛び出すように消えてゆく。
第3幕 ワルキューレ2幕のように、奥は古びた宇宙船のような壁で仕切られている。
エルダあ、赤やオレンジのクリムト風の巨大な布の中に眠っていて、赤い紐(これは、たそがれで、ノルンたちが持つのか?)がぐるっとまわりを取り巻いている。
出てゆくときは、地を這うように左のタイムトンネルの壁の穴から去ってゆく。
さすらい人は、よく見ると坊主頭だ。
ジークフリートがやってくる。さすらい人は左端で、つばの広い帽子をかぶり、何気なく槍も交換したようだ。
ジークフリートは、大きな身振りでさすらい人をからかう。
父の敵とわかると、剣を振り上げ、さすらい人の槍を折ってしまうが、このときもピカッとしてストロボをうまく使っている。
その少し前あたりから、壁の向こうから赤い光が漏れたり、煙が漏れたりしている。
一番左の穴をウォータンは開けると、真っ赤に燃える向こう側が見える。
ジークフリートは、角笛を吹きながらそこを元気に出て行くわけだ。
ウォータンは折れた槍を手に、右手の袖へ行くが、立ち止り、しばらく舞台を見ている。
角笛の吹く中、壁が左右に開き、ワルキューレ第3幕の場。
火はなく、ものすごい煙が立ち込め、各マンホールから真っ赤な照明が立ちあがっている。
この煙はすごい。オーケストラボックスに流れ込み、指揮のコボスの姿も見えない。
この煙が消えゆくと、ジークフリートは中央左手に立ち、脇にはブリュンヒルデが横たわっている。たしか、ワルキューレ3幕であった、奥の鉄柱のようなものが、真っ白になって、左右に折れて朽ちているのが、時間の経過を思わせる。
ジークフリートの口づけによる目ざめの場面では、少し高台に眠るブリュンヒルデに上から強い白い光を当てる。
この光りは最後まで、ずっとそのまま。
ラストでは、二人ともここに登り、ジークフリートはブリュンヒルデの楯と槍を投げ捨て、彼女は黒の革ジャンを脱ぎ捨て、白いブラウスになる。
二人は抱き合い、横になるところで、歓喜のうちに幕。ブラボー。
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コメント
こんにちは。久しぶりですが、いつも興味深く読んでいます。
ベルリンドイツオペラの来日公演にいらっしゃったのはうらやましいです。最高の思い出でしょうね。
メキングをLDで見て、実に面白そうで楽しめる演出、演奏だと思ったものです。後にベルリンでの上演のラジオ放送とかは聴くことができましたが、やはり舞台付きにはかなわないと思います。
投稿: edc | 2013年8月30日 (金) 09時04分
euridiceさん、こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。
もう、それこそ四半世紀前の出来事ですが、ワーグナーへの思いを形成する自分史上最大の出来事であり思い出です。
いまからベルリンで行われるこのリングのリバイバル上演、指揮がラトルということもあり、きっと映像化されるのではないでしょうか。
でも、Gフリードリヒはもう亡く、装置も含めてだいぶ変化しているかもしれません。
劇場のHPで、写真をかなり確認できました。
投稿: yokochan | 2013年8月31日 (土) 16時52分
一昨年ベルリンにいた折、フリードリヒのリングツィルクスを鑑賞しました。
東京公演のノートを拝読したところ、まったく同じ演出、装置であると思います。ご安心ください!!
しかしDVD化は本当に楽しみですね!
ベルリンではおそらく、秋に毎年公演しているはずです。
わたくしが鑑賞した時もサルミネンのハーゲンでした。まさにタイム・トラベル・トンネルですね!
投稿: | 2013年9月 2日 (月) 12時32分
今回あらためまして、かのハウスのHPを見てましたら、完全にレパートリーとして定着しているんですね。
そして、当時と変わらぬままとのことも嬉しい情報です。
DVDは、あくまでわたくしの想像ですが、わざわざラトルですからきっとあり、と念じてます。
サルミネンの息の長い歌手ですね。
あの深々としたバスは、いまでも耳に残ってます。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2013年9月 4日 (水) 00時17分