ヴェルディ レクイエム カラヤン指揮
クリスチャンだった叔父の墓地にて。
そこに佇むのは、わたくしの母です。
教会の共同墓地ですが、清々しさ漂う安寧の場所に感じました。
無情な雨も清らかに思えます。
人を死を悼む気持ちは、太古の昔から変わらず、亡き方々を偲び、手を合わせるのは、人間としてあたりまえの思いです。
今年もまた、広島、長崎、そして終戦の日と、8月の暑い夏を迎えております。
ヴェルディ レクイエム
S:ミレルラ・フレーニ Ms:クリスタ・ルートヴィヒ
T:カルロ・コスッタ Bs:ニコライ・ギャウロウ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団
(1972.1 @イエス・キリスト教会、ベルリン)
毎年、8月のこの時期に聴く音楽です。
ヴェルディのレクイエム。
そして、ブリテンの戦争レクイエム。
さらに、ここ3年ばかりは、佐村河内守のHIROSHIMA交響曲。
死者を悼み、決してまた歩んではならぬ道を思う。
そして、家族や親類との絆を確認する、正月と並ぶ希少な時期。
子供たちへも伝えて生きたい、日本の夏です。
ヴェルディのレクイエムは、ヴェルディのオペラを初期のものから連続して聴いている自分にとって、そのオペラの延長上に位置する音楽であると同時に、かつては、ヴェルディのオペラをろくに聴かずして、その一番劇的な、ディエス・イレにみに着目して夢中になった初期の受け入れ時期と、ふたつの顔を持ちます。
しかし、歳を経て、ヴェルディの歌心と、オペラへの情念、したたかなまでのオペラというカテゴリーへの挑戦ぶり。
そんな作曲家の姿を知るにつれ、このレクイエムの存在が大きくなり、親しみもさらに増しております。
宗教曲としてのレクイエムに、イタリアのオペラを一身に背負ったヴェルディが持ちこんだ、極めてオペラティックな様相。
これは、そのオペラを聴いてみなければわからなかったこと。
通俗的なまでに有名な、アイーダや椿姫(トラヴィアータ)、リゴレット、トロヴァトーレ・・・ばかりでなく、初期の血のたぎるような作品や、中期の苦み走ったような作品、そして後期の悟りの世界に通じるような悲喜劇。
これらをしっかり把握して聴く、「ヴェルディのレクイエム」の素晴らしさと恐ろしさ。
その旋律は、メロディメーカーのヴェルディならではの、どこまでも続く歌、また歌、という様相で解釈できます。
レクイエムの要素である、人の死を美しく送り出すという概念にぴたりです。
一方の劇的な様相は、数度にわたる「ディエス・イレ」の万人が求める激しさでもって凝縮されております。
しかし、この曲の核心は、ここでもなければ、トゥーバミレムでもなく、全体を共通して流れる歌、それもカンタービレ、歌心でしょう。
禁欲的にあればならぬ、死者のためのミサ曲=レクイエムにあって、歌心というのは、ドイツ系の音楽ではありえないことでしょう。
その本質を、響きを解放させ、その壮麗さでもって、華やかになる直前まで持っていってしまったのが、カラヤンの演奏です。
カラヤンのヴェルレクは幾多ありますが、わたくしはこの音盤以外は知りませぬ。
中学時代に買ったこのレコードは、2枚組で豪華カートンボックスに入っていて、畏れ多い雰囲気でした。
ヴェルディのオペラを同時進行で、NHKのイタリアオペラでもって聴いていった時期。
「トラヴィアータ」「アイーダ」「オテロ」までは聴いていて、このレクイエム。
そのあとは、しばらくしての「シモン・ボッカネグラ」でもって、またヴェルディの印象や、そのレクイエムの印象も変わった。
そんな、1974年頃の出会いでした。
カラヤンのヴェルレクのあと、知った、「アバドのヴェルレク」。
実は、これがいまもって絶対的で、カラヤンの演奏にある上手さを、完全に消去したような真っすぐ感あふれる求心的なヴェルレクだった。
正直いって、「アバドのヴェルレク」に勝る演奏は、わたしにとって、この世にないものと思ってます。
カラヤン盤の「甘味さ」は、いま聴くとちょっと辛いもものがありました。
ギャウロウのコントラスト豊かな歌や、コスッタの美声、ルートヴィヒの少しのヴィブラートも、いまの耳には少し驚きでした。
しかし、90分の完成された油彩画のような鮮やかな大伽藍は、一方では耳のご馳走であり、刺激でもあります。
こんなにまで、完璧に音楽を美的に極め尽くすことの凄さを体感できます。
カラヤンは、あらためてスゴイと思いました。
そして、そんなカラヤンがあってもなくても、ミレッラ・フレーニの歌とその存在は芸術品です。カラヤンなんて関係なくフレーニなところ、素晴らしいのです。
アバド盤とまったく変わらぬフレーニさまです。
過去記事 ヴェルディ「レクイエム」
「アバド&ミラノ・スカラ座」
「バーンスタイン&ロンドン響」
「ジュリーニ&フィルハーモニア」
「リヒター&ミュンヘン・フィル」
「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」
「アバド&ウィーン・フィル」
「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」
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コメント
この豪華なジャケット、懐かしいです。普段は廉価盤しか買えなっかた中、これだけは無理して買ってはまっていました。それで、普門館での来日公演でも、この曲を聴きに行き圧倒された覚えがあります。今ではゴージャス過ぎる演奏とも言えますが、時々聴きたくなる演奏です。
投稿: faurebrahms | 2013年8月10日 (土) 06時22分
バーンスタインに次いで買った2組目のヴェルレクでした。
高校入試直前の73年2月頃でしたか、発売後すぐに買いました。なつかしいなぁ。もちろん、まだ手元にありますが、かなり聴き込んで盤面もそれなりになってしまいました。
本当に、仰る通り「甘味」。「甘美」「妖艶」とさえ言いたくなる響きに、当時はクラクラしたものです。
アバドのスカラ座ライヴは素晴らしかったですね。あれ、映像残ってないかな???
初期のベータで録ったけど、もう観れません。
投稿: 親父りゅう | 2013年8月10日 (土) 08時37分
faurebrahmsさん、こんにちは。
この白の布張りで、しかもキラキラした表紙のボックスは、ある意味芸術品的でしたね(笑)。
ポリドールやロンドンの組物は当時は特に豪華でした。
普門館の伝説の公演いかれたのですね。羨ましいです。
わたしは、そのFM放送のエアチェック組ですが、いまはもう失ってしまいました。
ちょっと輝かしすぎですが、忘れられないひと組ですね。
投稿: yokochan | 2013年8月11日 (日) 11時58分
親父りゅうさん、こんにちは。
このレコードの思い出を共有される方は多いですね。
すごく嬉しいです。
毎月、魅力的な新譜が発売されるいい時代でした。
見てるだけが多い中、これはおこずかいで購入して、もっとも大事にしたひと組です。
久しぶりに聴いて、ちょっと辛い場面もありましたが、それもまた懐かしく思いました。
アバドの来日公演のふたつの放送は、いい状態でエアチェックできて、いまはCDRにして温存してます。
あのときの映像がNHKにあるでしょうか?
あれば、ほんとうにお宝ですね。
投稿: yokochan | 2013年8月11日 (日) 12時04分
管理人様へ:
この記事も見つけてしまったため、時間の取れる時にと思い立て続けにコメントします。
この録音も思い出深いです。「ヴェル・レク」をじっくり聞き込んだのは、私もこの演奏が初めてでした。カラヤン・VPOの「オテロ」共々、ワーグナーも凄いけれどヴェルディの後期作品も、と夢中になっていました。ですが、その後アバドやクライバーのスカラ座との録音及び実演を聴くに及び、本場物はスカラ座の方と勝手に思うようになりました。今となっては、私のような素人はどれが本場物とか軽々しく言わない方が良いと考えていますが。
抽象的な言い方となり恐縮ながら、カラヤンの演奏は音を上から下へドスンと落とす感じでドイツ的・ワーグナー的、スカラ座の演奏は音をストレートに前へ飛ばす感じで切れ味が良くヴェルディ的、と勝手に思っていました。「オテロ」や「ヴェル・レク」において、私の好みは今も後者のスタイルです。
独唱者に関しては、今もってカラヤン・BPO盤に最も魅力を感じます。当時、フレーニなんて所詮はカラヤン子飼という思いがあり上手く歌っているな程度の印象でしたが、81年のスカラ座来日公演に接し、その認識が改まりました。終曲はフレーニの一人舞台(曲の構成からするとそんなはずないのですが)という感があり、あの時の歌声が今でも耳の奥に残っているような気がします。
カラヤンはVPO他と75年と76年頃に2年連続でザルツブルク音楽祭において「ヴェル・レク」を演奏したという記憶があります。初年度の独唱者はフレーニ、コッソット、ドミンゴ、ギャウロウという超豪華なメンバーでした。年末にNHK・FMで放送されたものの、なんらかのトラブルにより中断してしまい、翌年の春か夏頃に再度放送されたというのも懐かしい思い出です。このときの録音についても正式にリリースされることを期待しています。
投稿: | 2019年1月 7日 (月) 14時20分