R・シュトラウス 「ナクソスのアリアドネ」抜粋 エレーデ指揮
ある日本海の絶景。
秋の夕暮れを迎える風景でした。
もう何年か前、震災よりも前、車で東北をよく走り回っていた時分です。
こんな絵のような美しい景色が、あたりまえのようにある幸せ。
自然との共生、ずっと美しく平和でありたいもの・・・・・。
R・シュトラウス 歌劇「ナクソスのアリアドネ」から
アリアドネ:リーザ・デラ・カーザ バッカス:ルドルフ・ショック
ナイヤード:リーザ・オットー ダイヤード:ナーダ・プッター
エコー:レオノーレ・キルシュタイン
アルベルト・エレーデ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1959.6@グリューネヴァルト教会 ベルリン)
来年は、R・シュトラウス(1864~1949)の生誕150年です。
今年に続いて、シュトラウス好きのわたくしは、忙しい年になりそうですが、音楽界はワーグナーやヴェルディほどの熱いことにはならないかも。
でも、いまから、その15作ある素晴らしいオペラの世界にまた浸ろうと、心ときめかせております。
われらが、神奈川フィルでも、今週末は「アルプス交響曲」と、来年1月には「ばらの騎士」組曲が待ち受けております。
「アルプス交響曲」が、1911年から15年にかけての作曲。
オペラでは、「ばらの騎士」完成のあと、併行して「ナクソスのアリアドネ」にとりかかる。
ホフマンスタールとのコンビが最高に乗ってきた頃で、シュトラウスは、ワーグナーの影響下にあった「楽劇」という呼称を、このアリアドネからは止めて、「歌劇」に戻した。
室内オーケストラ編成による透明感あふれる軽やかな響き。
舞台は、地中海を舞台にしたブルーの空と満点の星がそのキャンバス。
前半は喜劇、後半は劇中劇だけど、悲劇とそのあとの麗しのハッピーエンド。
こんな不思議な倒錯感が、シュトラウスの甘味なる音楽によって、聴く者見るものを惑わす。
モーツァルトに帰ったかのような、感情の機微を細やかに描き、それを豪奢なワルツをまとったドラマにしたてた「ばらの騎士」。
このあとすぐに「アルプス交響曲」。
若い頃からの交響詩を仕上げ尽くし、バレエ音楽を除き、ほぼ最後の大きなオーケストラ作品。
オーケストレーションを知り尽くしたシュトラウスの集大成として、巨大な編成によるスペクタクルでありながら、その音楽は緻密で、ダイナミックな感興はその一部で、しみじみとした到達感と人生の夕暮れをも感じさせる達観音楽でもあるのです。
各所に散りばめられた清々しい光景も抒情的で美しい。
そして、古典風ともいえる「アリアドネ」でも、その抒情と抜けるような透明感がその真髄。
前半の弾むようなコミカルぶりと、シニカルさも聴きもの。
よく聴けば、アルペンを思わせるフレーズも感じます
R・シュトラウスの音楽は陰りがなく、どこまでも清朗で曇りないのです。
今日の1枚は、後半のオペラ編から、アリアドネのモノローグと、バッカスとの長大な二重唱と幕切れが収められてます。
美しい、デラ・カーザのアリアドネとショックの凛々しいバッカスは絶品でした。
バイロイトでも活躍したイタリア人指揮者エレーデとベルリンフィルも実に美しい。
シュトラウスの音楽の筆致の冴えと、ホフマンスタールの抜群の劇作力。
モーツァルトとダ・ポンテに匹敵する、音楽界の名コンビです。
それをひとりでやってしまったワーグナーのすござ。
台本には恵まれなかったけれど、歌の力の優位性で完全なる「オペラ」を作り上げたヴェルディ。
ジャコーザ・イルリカと恵まれた作家はありながらも自己中で、うまくいかなかったプッチーニは、愛すべき女性たちをオペラの中に活かし続けることができた。
お友達との共作が、さまざまな形態で社会に訴えかけるブリテン。
こよなく愛し続ける、わたくしのオペラ作曲家たち。
ベルク、コルンゴルト、シュレーカー、V・ウィリアムズ、ヤナーチェク、チャイコフスキーと続きます。
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